2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《米国の属国・日本》(12)

軍事面での対米従属(5):戦争法(2)


<対中脅威論>

 対中脅威論の中核にあるのは南シナ海紛争と尖閣諸島問題である。後者に関連した出来事としては、今月(8月)初めから中国海警局の公船と共に数百艘の中国漁船が尖閣周辺に押し寄せた問題が報道された。日本での報道はあまりにも扇情的だったという。例えば
「南シナ海だけでなく東シナ海でも、いよいよ習近平政権が強権的な行動に出てきた」
といった論調があふた。また、ネットでは
「あれは漁民でなく軍事訓練を受けた海上民兵が乗り組んでる」
といったような流言飛語まで出たそうだ。

 この問題について日刊ゲンダイが『日中漁業協定も読まずに「中国脅威論」をあおる愚』という高野孟(ジャーナリスト)さんによる記事(2016年8月18日付)を掲載していた。それによると「退職後も霞が関周辺で情報関係の仕事に携わる元外交官」という方の次のような談話を紹介している。
「日中漁業協定も読んだことがないような記者が、こういう記事を書いているのでしょうね。ご承知のように、尖閣については領有権で日中は折り合わず、従って12カイリの領海、その外側12カイリの接続水域、さらに200カイリの排他的経済水域に至るまですべて折り合わない。しかしそれでは両国の漁民が困るので、97年の日中漁業協定で『暫定措置水域』を設定して、そこでは両国の漁船はお互いに、相手国の許可を得ることなく操業でき、両国の公船は自国の漁船についてのみ取り締まる権限を持つことにした。今回の事態は、中国側が設定している禁漁期が8月1日までなので、待ちかねた中国漁民がドッと押し寄せたというだけの話です」
 そして中国の公船が一緒だったことについても、次のように説明している。
「それは『金儲けしか考えない漁船が(日本側の主張する)尖閣領海に乱入するのを取り締まるためだ』と、中国側は日本側にちゃんと通告してきています。そういう了解があるから、11日に中国漁船がギリシャ船と衝突して沈没した時も、海保が淡々と救助し、それに中国側が謝意を表明するということが起きるのです」

 これを受けて、高野さんは、南シナ海問題も取り込みながら、次のようにまとめている。

 実際には、海保の活動現場ではこのような危機回避のメカニズムが機能しているというのに、政府・外務省・マスコミは「今にも中国と軍事衝突か」と中国脅威論をあおることにばかり熱心で、それと連動して南シナ海でも、東南アジアはじめ各国に働きかけて中国包囲網を形成しようと躍起となっている。

 しかし、国際仲裁裁判所で中国に全面勝利したフィリピンは外交上手で、ドゥテルテ大統領はラモス元大統領を特使として8日、香港に派遣し、中国の外交要路と非公式会談を開いて南シナ海を巡る話し合い解決に踏み出した。

 日本の硬直した反中国姿勢では世界から取り残されていくばかりだ。

 さて、白井さんの論説に戻ろう。
 白井さんは「なぜ対中脅威論に頼るのか」と題して、「アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト」政権の「硬直した反中国姿勢」を批判している。

 「抑止力の強化」という言葉を、新安保法制の成立過程において安倍内閣は連発しました。一体誰を「抑止」するのか。新安保法制賛成派が切り札としていた理屈を簡潔に表現すれば、次のようなものです。
「明日にでも中国との戦争が始まりかねませんよ。すぐそこに敵が迫っている状態なのに、違憲だとかなんとかごちゃごちゃ言ってる場合じゃないですよ。いますぐ中国を抑え込まなければなりません」。

 これは、ナチスの高官、ヘルマン・ゲーリングの格言 ― 国民を戦争に引きずり込むのは実に簡単だ、外国に攻撃されつつあると言えばよい― を応用したレトリックであり、危機感に訴えるために劇薬的に機能する理屈ですが、大きな問題があります。まず、そもそもそのような危機はいま本当に存在するのか。尖閣諸島をめぐっては、確かに緊迫した状況がありますが、そのことと戦争の脅威はまったく別問題です。

 ゲーリングの言説の出所を知りたいとネット検索をして『ヘルマン・ゲーリング』に出会った。それによると、ゲーリングがニュルンベルク刑務所で裁判を受けているときゲーリング付のグスタフ・ギルバート心理分析官(大尉)に対して語った言葉だという。(中略)部分があるが次のように記録されている。

『もちろん、普通の人間は戦争を望まない。(中略)しかし最終的には、政策を決めるのは国の指導者であって、民主主義であれファシスト独裁であれ議会であれ共産主義独裁であれ、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。(中略)とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。』

 白井さんの 論説に戻ろう。

 では、なぜ権力側は、これほど対中脅威論に頼っているのでしょうか。これも「永続敗戦レジーム」の本質を考えていくと、理由が見えてきます。

 永続敗戦レジームを支えていた最重要の要素である冷戦構造のおかげで、日本は大変良い目を見ることができました。アメリカとの共通敵としてソ連があったため、日本とアメリカの潜在的な利害対立がなかなか顕在化しないで済みました。

 また、第一章で見たように、アメリカがもっと日本に何かやらせたい、あるいは何か要求を呑ませたいというときでも、日本はそれを断ることができた。それはソ連という存在を担保にしてのことです。社会主義イデオロギーを奉じるかなりの規模を持つ社会党という第二党が存在し、いざとなったら ―時が流れるにつれてどんどん現実的な想定ではなくなってきましたが― 日本は東側陣営に走るかもしれない、というふうにアメリカに想像させるだけの切り札があったからです。特にアメリカは、戦後の初期においては、日本が親ソ国家になってしまうのではないかということを真剣に恐れていました。となると、アメリカとしては、日本に対して不満があっても、庇護しなければならないということになります。

 しかし、以上は共通敵があってこその話です。冷戦構造がなくなったことで、共通敵は消えてしまいました。それでも、日本としては、居心地が良かった「あの頃」のことが忘れられません。そこで、現在の「居心地の悪さ」の原因は、共通敵がいないことだと考える。では、新たに共通敵をつくればいいんだということで、持ち出されるのが中国です。要するに、「危ない」中国を一緒に敵視しましょうよと、アメリカに誘いをかけているわけです。

 例えば、日本の外交当局者が頻繁に使う言葉に「価値外交」というものがありますが、この言葉はそのような戦略の端的な表れです。この言葉の意味は、根本的な価値を共有する国同士だけが親密な信頼関係を築くことができる、ということです。これを裏返して言えば、価値を共有しない国は一緒に仲間外れにしましょう、ということでもある。つまりは、日本とアメリカは共通の価値を前提できるが、中国は違う。すなわち中国は日米の仲間ではない、と日本の当局者は暗にそう言いたいわけです。

 では、その共通の価値とは何か。それは議会制民主主義であり、人権の尊重であり、報道の自由、そして法の支配である、と日本の外務省は言っている。これらの要素を、日本とアメリカは自由民主主義社会の基礎として尊重しているけれども、中国は異なる。だから俺たちの仲間には入れるわけにいかない、というわけです。要するに、「価値外交」は、中国を共通の敵として同定するためのレトリックとして使われているという面があります。こう考えていくと、結局、ポスト冷戦時代の日本がたどり着いた結論は何かというと、「ああ冷戦時代は良かったな、あの頃に戻りたいな」という話でしかありません。

 外務省が欧米諸国と共有していると言っている価値「議会制民主主義・人権の尊重・報道の自由・そして法の支配」を「アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト」首相が口にすると、笑止千万ということになる。また、日刊ゲンダイの記事をお借りする(『自由と民主主義を強調 安倍首相“中国対抗フレーズ”の噴飯』2016年8月29日付)。

 ケニアで開かれたアフリカ開発会議に出席した安倍首相が、3年間で総額3兆円の投資を表明した。いつもの“バラマキ”外交だが、目立ったのが安倍首相の中国への対抗心だ。

 アフリカ諸国への投資で、中国は金額や規模で圧倒的に先行している。そのため日本は「量」ではなく、「質」と「技術力」をことさら強調。さらに安倍首相は基調講演で、「自由で開かれたインド太平洋戦略」という方針を打ち出し、こう締めくくった。
「アジアで根付いた民主主義、法の支配、市場経済の下での成長が、アフリカ全土を包むことが私の願いだ」

 「自由」「民主主義」「法の支配」は、中国との差別化で安倍首相が毎度持ち出すフレーズだ。しかし、違憲の解釈改憲で憲法を踏みにじり、国民から自由や権利を奪うような国家優先の改憲草案を作成した自民党の総裁が、よく言うよ、である。

 「市場経済」にしたって怪しい。官製相場で株価を左右したり、賃上げや設備投資を官主導で指図したりと、今や日本は“統制経済”だ。

 聖学院大教授(憲法・フランス法)の石川裕一郎氏もこう言う。
「中国包囲網の一環で安倍首相は以前も、『米や豪、インドなど自由主義の国々とともに』と言い、自由や民主主義といった『価値観共同体』を強調していました。しかし、米ニューヨーク・タイムズや仏ルモンドなどがたびたび書いている通り、欧米の知識人は、安倍首相が欧米と価値観を共にしているという主張に疑念を抱いています。自民党改憲草案のQ&Aには『我が国の伝統を踏まえたものにする必要があるため、天賦人権論は見直した』と書いてある。天賦人権論とは『人は生まれながらに人権を持っている』というもので、欧米の価値観の根底にあるものです。それを否定する政党のトップが、一方で欧米との『価値観共同体』を持ち出す。底の浅さを感じます」

 発展途上のアフリカでは、中国以上の強権国家も少なくない。安倍首相の言う“価値観”が通用するのかどうか。欧米だけでなくアフリカにも相手にされず……、ってことになるんじゃないか。

 日刊ゲンダイの記事は、キチンと本質を踏まえた上、歯に衣を着せない論説で、まさにジャーナリズムの鏡である。

………
追記(8月31日)
 『日中漁業協定も読まずに「中国脅威論」をあおる愚』の中の元外交官の談話について、この元外交官は日中漁業協定を歪曲しているという意見に出会った。調べてみたら『暫定措置水域』が間違っていた。第7条で暫定措置水域が定義されているが、その水域は北緯27度以北であり、尖閣諸島の領海は含まれていない。『暫定措置水域』を根拠にした議論は成り立たないことになる。

 しかし、国会で「1997年のいわゆる日中漁業協定における尖閣諸島の取り扱い等に関する質問主意書」が提出されいて、その質問の三と、それに対する政府の答弁が次のようになっている。
『第六条(b)には「北緯27度以南の東海の協定水域及び東海より南の東経125度30分以西の協定水域(南海における中華人民共和国の排他的経済水域を除く。)」とあるが、右海域には何があるか。右海域は、我が国固有の領土である尖閣諸島が含まれる海域であると理解するが、確認を求める。』
『協定が適用される水域は、協定第一条において日中両国の排他的経済水域とされている。したがって、協定第六条(b)に規定する水域には、我が国固有の領土である尖閣諸島の周辺の我が国の排他的経済水域は含まれるが、同諸島の周辺の我が国の領海は含まれない。

 中国の漁船団が操業をしていたのが「尖閣諸島の周辺の我が国の排他的経済水域」だったのかどうかが問われることになる。ほとんどの報道では「尖閣諸島周辺の接続水域(領海の外側)」となっている。問題ないようだ。海上保安庁のサイトを調べたら「尖閣諸島周辺海域では、領海内での中国漁船の操業は違法となりますが、そのすぐ外側で操業する中国漁船は、我が国漁業関係法令の規制の対象になりません」と書かれていた。ちなみに、産経新聞は「領海」(意図的だろうか)と書いている。

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《米国の属国・日本》(11)

軍事面での対米従属(4): 戦争法(1)


<賛否をめぐる対立軸>

 一般には「新安保法」と呼ばれているが、私は「戦争法」と呼ぶことにする。

 言うまでもなく、私は戦争法を全く認めない。しかし、これを支持する人たちの考えも検討した上で判断すべきだろうと思う。白井さんは
「成立してしまった新安保法制によって何か危惧されるのか、為政者の思惑を推測することで具体的に考えてみます」
と問題提起をして、「新安保法制をめぐる対立点」という節を設けている。それを読んでみよう。

 現在の世界情勢において、目に見えて最も不安定な状態にあるのは中東です。シリア難民がヨーロッパヘ大量流入し、様々な悲劇も起きている中で、大国イランとサウジアラビアの対立など、さらに大きな戦争の気配すらも感じられます。そこに、もしアメリカが本格的に軍事介入するという状況になったならば、一体どのような形で日本に手助けをさせたいのか。新安保法制の内容に沿って考えれば、自衛隊による兵站、警護なり後方支援が想定可能です。本来、歴史的経緯に鑑みて、あまりに複雑な中東情勢に日本が主体的に軍事的な関与をしなければいけないような義務はありません。

 義務はないはずですが、それでも、現在の政府に最大限譲歩した見方をするならば、日本が中東問題にコミットすることによってのみ、「世界の警察官」から降りたがっているアメリカからアジアの情勢(中国の軍事的拡大)にコミットし続ける確約を得ることができるのだ、という答えが出てくるでしょう。これが、一番合理的なラインで考えられる新安保法制を正当化する論理です。そして、はっきり言えば、この論理は、対テロ戦争の主要プレーヤーに日本がなるということですから、在外邦人がテロの標的になることや、日本国内で無差別テロが起こることを覚悟せよ、というものです。

 この憲法違反の戦争法が早くも具体的に実施され始めた。最近は新聞を読まない人が多いと聞く。お節介を承知で、新聞記事を転載しておこう。東京新聞(25日付)が次のように報じている。

 政府は24日、昨年9月に成立した安全保障関連法に基づき、他国を武力で守る集団的自衛権行使も含めた全ての新任務に関する訓練を自衛隊に開始させると発表した。南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に11月に交代で派遣される陸上自衛隊部隊は25日から訓練を始める。違憲の疑いが指摘されている安保法は成立から1年足らずで自衛隊の新任務の訓練が始まり、運用が目前に迫ることになる。(横山大輔)

 集団的自衛権の行使を想定した訓練は、米国との共同訓練の場を利用することになる。防衛省は10月以降に予定する日米統合演習「キーン・ソード」などでの実施で、米側と調整を進める考えだ。仮想敵国からの米艦に対する攻撃に自衛隊艦隊が反撃するシナリオが想定され、発進準備中の戦闘機への給油など米軍の戦闘支援も訓練メニューとなりそうだ。

 自衛隊員が戦闘に巻き込まれる可能性を高める新任務に関しても、実施に向けて訓練が始まる。25日から派遣準備訓練を始めるのは、南スーダンPKOの要員交代で派遣される陸上自衛隊第9師団第5普通科連隊(青森市)主体の部隊。

 政府は、新任務としてPKO関係者らが武装集団などに襲われた際に防護に向かう「駆け付け警護」や、宿営地の他国軍との共同防衛を付与することを検討。派遣準備訓練の一環として、抵抗する暴徒らを武器を使って威嚇、制圧する訓練を9月中旬に行う見通しだ。「駆け付け警護」では武器使用の基準を緩和し、任務遂行のための警告射撃などを容認した。

 稲田朋美防衛相は24日の記者会見で、訓練の開始に関し「憲法の許す範囲の中で自衛隊の貢献も期待されており、しっかりと訓練することが重要だ」と意義を強調した。

 安保法は日本が米国の戦争に巻き込まれたり、危険な任務に当たる自衛隊員のリスクを高めたりする懸念が残る。集団的自衛権の行使の容認には違憲性も指摘され、廃止論は根強い。

<駆け付け警護>
 改正PKO協力法に基づき海外に派遣された自衛隊が、離れた場所にいる他国部隊や国連職員らが武装勢力に襲われた際に現場に向かい、武器を使って助ける任務。安保法で新たな自衛隊任務とし、危険性を考慮して武器使用基準を緩和した。宿営地の共同防衛は、他国軍とともに宿営地を守ること。攻撃してくる武装勢力が国や国に準ずる組織の場合、海外での武力行使にあたり、憲法9条に抵触する恐れが出る。

 戦争法が強引に動き始めたが、賛成派と反対派の議論が噛み合わぬまま今日に至っている。その噛み合わぬ議論:を白井さんは、手続き論と本質論の2点から次のように分析している。

 しかし、新安保法制に関する議論は、終始噛み合わないまま進行していきました。議論を整理すると、まず賛成派と反対派がありますが、対立軸の一つ目は手続き論的な観点です。賛成派は、こういった憲法解釈の変更は○だと言い、反対派は手続き論的に×と言いました。日本が集団的自衛権を行使する国になるべきであるという方向性自体は肯定する人でも、憲法を改正しないでやるのはおかしいという見解を述べる向きもありました。

 二つ目の対立軸は、本質論です.賛成派は、いま述べたように、中東への日本の軍事的コミットメントとアメリカのアジアヘの関与継続がバーターであるとの論議を組み立てました。それに対して、反対派は、本質論の次元に踏み込んでいくケースですと、中国包囲網をつくろうという考えそのものが間違っている、あるいは中国脅威論をある程度認めるにせよ、危機がさし迫っているわけでもないのに、対中包囲網にアメリカを参画させるために、中東で血を流さなくてはならない法律をつくるのは訳がわからない、と批判しました。

 このように、対立軸は二つあるので、四つの立場が設定可能です。次の図のようになります。
新安保法制への賛否対立軸

 賛成派は「中国脅威論」を盾に、「中東への日本の軍事的コミットメントの見返りに対中包囲網にアメリカを参画させる」という論理を打ち出している。私は手続き論に於いても本質論に於いても、賛成派の議論に全く同意できない。本質論では「中国脅威論」の検討が必要不可欠になるが、それは次回に取り上げよう。

 では、白井さんはこうした議論についてどう考えているのか。その意見を聞いてみよう。

 この二つの対立軸に関する私の見解を述べます。まず、1内閣の閣議決定によって実質的に憲法を変えてしまうような政治手法が、立憲主義の根幹を脅かすものだという手続き論における反対論に、私は同意します。

 本来であれば、このような立法をするには、改憲が必要でした。そして、改憲するためには国民投票が必要です。国民投票にかければ、改憲したい側としては失敗する可能性もありますが、別に失敗しても、またやればいいのであって、日本にとってそこまで絶対に必要な法律であるのであれば、やがては国民に理解され、改憲にも成功するでしょう。

 なぜ、こういう正攻法をとらなかったのか。そこに、「永続敗戦レジーム」の側の自信のなさが表れています。安全保障に関して、本当に国民に対して真剣にものを言えるか、あるいは聞いてもらえるか、それだけの自信がなかったのだろうと思います。

 戦後の保守は、日本国民の安全保障問題に対する態度には忌避反応がある、という不満をこれまで幾度もこぼしてきました。しかし、これは自業自得と言うべきものです。それは、敗戦処理の問題、つまりは「敗戦の否認」の問題に関わっています。あれほど無責任な戦争をやっておいて、国民に対して何の総括も自主的にはしていない国の指導層に系譜的に連なる支配者が、安全保障について語ったところで、まったくリアリティーが欠けている。語る資格がないので忌避反応が起こるのです。今般のクーデター的な実質的改憲は、このジレンマを解くことを放棄し、無資格性に開き直る方針を鮮明にしたことを意味します。

 対立軸の二つ目は本質論です。すでに述べたように、賛成派は、その根拠を対中問題に見出しています。中国の台頭が著しい今日、アジアの軍事的パワーバランスは動揺しており、米軍のプレゼンスによってのみ日本の平和を保てるのだ、と彼らは言います。この問題には、軽々には答えられません。中国の軍事費が増大しており、南沙諸島問題を中心に隣国との軋轢が生じていることは確かですが、だからと言って、中国が日本を侵略する準備を着々と進めているなどと判断するのは、妄想的です。軍事費の増大も、GDPの増大に比例したものであるという側面もあります。

 この問題への見通しを得るためには、まず現在の日本の情勢下で対中脅威論がどのような機能を果たしているのかを、見る必要があるでしょう。

《米国の属国・日本》(10)

軍事面での対米従属(3):「国策の共有」の虚構性


 白井さんは、前回引用した新安保についての論評で、「アメリカが日本を守ってくれる」という新安保支持論者の立論が正しいと言えるのは「日米が完全に国策を共有している」という前提が成り立つ限りに於いてであると述べていた。新安保支持論者は、勿論、「日米が完全に国策を共有している」と、検証抜きで楽観しているのだが、果たしてそうなのだろうか。この問題に対する白井さんの分析は次のようである。

 この(日米が国策の根本内容を完全に共有できるという前提)段階で想定外にならざるをえないことが、ひとつあります。それはつまり、日米の友好関係が壊れ、日米が再び対立するという状態です。そうなると、日本側から見れば、米軍は占領軍以外の何者でもないということになる。これは何もまったくの仮定の話ではなく、現にそのような認識をアメリカが見せたことがすでにあります。

 ニクソン政権時代の1971年、国務長官のヘンリー・キッシンジャーが中国に極秘訪問し、周恩来首相と会談した際に述べた「瓶の蓋」論というものがあります。

 キッシンジャーは、米中国交正常化に向けた準備交渉のために中国へ行ったのですが、両者の会談の席で周恩来が、国交正常化に対して前向きな姿勢を示しつつも、在日米軍の存在について、「なぜ、米軍を他国〔日本〕に駐留させるのですか」とキッシンジャーを問い詰めます。そのように我が方を敵視して喉元に大軍を突きつけているような状態では、友好関係は結べない、と。これに対してキッシンジャーは、
「我々と日本との防衛関係が日本に侵略的な政策を追求させなくしている」
「日本が大々的に再軍備をすれば、やすやすと1930年代の政策を繰り返すことができるでしょう」
と答えます。

 キッシンジャーは周との別の会談の席でも、
「もし我々が撤退するとなると、原子力の平和利用計画によって日本は十分なプルトニウムを保有していますから、とても簡単に核兵器を作ることができます。ですから、我々の撤退にとって代わるのは、決して望ましくない日本の核計画なのであり、我々はそれに反対なのです」
と述べています。要するに、在日米軍とは、第二次大戦のときに見られた、極めて危険な存在としての日本人を押さえ込むための「瓶の蓋」である、ということです。

 この論理は、中国と国交を開くためのレトリックにすぎないのか、それとも本音なのか。仮に本音ならば、日米は端的に対立しているということになります。

 いまから振り返れば、アメリカが中華人民共和国との国交樹立に向かったという流れは、冷戦構造の終結に向けた第一歩でした。そのことが示唆するのは、日米が根本的次元で国策を共有できる状態とは、冷戦構造があってこそ可能であった、ということです。

 60年安保について岸は、自分はこんなに正しいことをやろうとしているのに、なぜ国民は反発するんだと腹を立てたわけですが、しかしながら、60年安保に対する批判の本質は、新条約に切り替えることによって、冷戦構造の中で日米が国策を完全に共有するほかないような状態を歩むしかなくなる、ということだったのです。

 岸首相の前任者であった石橋湛山は、「何も急ぐ必要などないのに」という批判を当時投げ掛けました。それは、冷戦構造が永久に続く保障はないのに、冷戦構造の中でしか合理性を持たないような立ち位置に国を置くことに対する批判だったと言えます。確かに、51年の旧条約がある限り、ほとんど公然たる仕方で占領が継続しているような状態が続く。しかし、相対的な対等化は、日米の国策の共有が運命づけられるという事態をもたらしたわけです。

 ただし、冷戦構造が続く限りは、日本はこの構造の中で経済的に大成功を収めることができ、保守政権が長期にわたって安定政権を担当し続けることができました。問題が表面化したのは、冷戦構造の崩壊によって、この日米の根本的国策の共有という前提が揺らぎ始めたためです。湛山の表明した危惧は現実化しました。どれほど親密さを喧伝しても、もう現実には、国策は非共有になり、場合によっては対立となることもあります。

 冷戦構造下においてすらこの共有が大きく揺らいだ瞬間を、もうひとつあげましょう。例えばベトナム戦争です。ベトナムでアメリカがやっていることに対して、「これはおかしいではないか」という声が日本の中でも非常に大きくなりました。べ平連(ベトナムに平和を!・市民連合)などを中心とするベトナム反戦運動の広がりは、その表れです。結局アメリカはベトナム戦争に敗れ、この敗北がアメリカが下り坂を迎えるきっかけのひとつになります。

 とはいえ、アメリカが自由主義陣営のリーダーの座からすぐに滑り落ちることはなかった。先に見たように、経済面での没落の食い止めを助けたのは、他ならぬ日本でした。しかし、似たようなことが、今度は冷戦崩壊後の2000年代になって反復されます。すなわちイラク戦争です。ブッシュ・ジュニア政権が始めたイラク戦争の失敗が明白になったことによって、アメリカの覇権が根本的に揺らぐ時代に突入してきたわけです。

 日米の国策が共有出来たのは冷戦下の時であって、冷戦崩壊後はそれは虚構でしかなかったと言っている。冷戦崩壊後の対米従属は「安定の時代」から「自己目的化」していったのだ。

 冷戦末期に首相だった中曾根康弘の「日本列島はアメリカの不沈空母である」という発言があったが、これが対米従属が「自己目的化」していった表徴的な出来事だった。白井さんはこの発言について次のように解説している。

 この発言の実質的内容は、「シーレーン防衛」という、日本の近海で活動するソ連の原子力潜水艦の活動を、日本の海軍力を用いて阻止するという話でした。アメリカが日本に対して軍事的な注文、つまり対ソ封じ込め戦略にもっと積極的に参与してほしいという注文をつけてきて、それを日本が呑んだ形です。

 防衛費のGNP1%枠のルールが撤廃されたのも、この時期です。当時、国防予算はGNPの1%を超えてはならないというルールがあったのですが、シーレーン防衛のために1%ルールをやめることになります。中曽根政権の時代には、新冷戦などとも言われて、再び米ソ対立が深まっていったわけですが、最終的にはソ連が崩壊し、冷戦構造が崩れます。こうして日本は、アメリカとの新たな関係を模索しなければならない局面に差し掛かったわけです。つまり、前章で論じた対米従属の三つの区分にあてはめれば、「安定の時代」が終わりを迎えたわけです。

 続いて白井さんは、冷戦崩壊後に対米従属がより深まり「自己目的化」していった理由として「親米保守の逆説的状況」を取り上げている。

 戦後間もない頃から、銀座の数寄屋橋でしょっちゅう演説をしていることで有名だった、赤尾敏という右翼の活動家がいました。赤尾は民族派でありながら、親米右翼思想の持ち主です。すでに指摘したとおり、「親米右翼」「親米保守」というのは、本来矛盾を含む表現です。「親米ナショナリズム」などという言葉は、日本以外の国にあるのでしょうか。聞いたことかありません。例えば、フランスの保守であれば「親仏保守」、ドイツの右翼であれば「親独右翼」であるはずです。ところが日本でだけは、「親米保守」なる、まことに奇妙な立場が成り立つとされているわけです。それでも、この「親米保守」もソ連が崩壊するまでは、それなりの理屈がありました。

 赤尾に、ある日誰かが問いかけました。「先生は、右翼と名乗ってらして愛国者でいらっしやるのに、アメリカに対してなぜそんなに親近感があるのですか」と。すると赤尾は、「いや、アメリカは嫌いだよ。だけどいまはしょうがないんだよ。ソ連の共産主義は最悪の脅威である。それを防ぐためにはアメリカの力を借りるしかないんだ」と答えたといいます。この答えは、先にも触れましたが、日本の戦後保守、あるいは55年体制下の自民党の前提を正確に言い当てていると思います。

 しかしながら、ソ連が崩壊してしまえば、保守なり右翼なりを名乗る際に、本来「親米」という言葉は言えなくなるはずです。共産主義という共通の敵がいたからこそ、「親米保守」ということにもある程度の根拠はあったわけですが、その敵はいなくなった。ところが現実には、逆に保守はますます親米化し、どんどんアメリカ様の言いなりになっている。この逆説は、一体どこから発生するのか、考え抜かなくてはいけないのです。

 これに関連して、「外務省のラスプーチン」と呼ばれた佐藤優氏が、『国家の罠』を書き、自身が巻き込まれた、いわゆる外務省・鈴木宗男事件の背景を分析しているのが参考になります。

 佐藤さんが逮捕されたのは、2002年のことでした。いわく、この事件の本質の一つは、外務省の内部的な路線対立・派閥対立において、対米従属派が他の派閥を駆逐するために起きたのだ、と。佐藤氏の見方によれば、それ以前の外務省内には、大きく言って三つの潮流があった。親米主義・アジア主義・地政学主義です。地政学主義とは、地政学的な観点に基づいて、その時々で国際間のパートナーを替えることも辞さないという立場ですから、親米路線を相対化して見ていることになります。佐藤さんは自身をこの派閥に属していたと分析しています。この三つの路線の拮抗によってそれまでの外交方針が成り立っていたのが、鈴木宗男事件を経ることで、親米主義以外の路線は引きずり降ろされることになった。それが起こった時期は、これからお話しする、アメリカの単独行動主義に日本が無批判的に追随していく始まりの時期に当たります。

 対米従属の「自己目的化」路線の無批判的な徹底的追随に行き着いたのが「アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト」政権である。『《『羽仁五郎の大予言』を読む》(100):終末論の時代(36)』で取り上げたように、「アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト」政権のトンデモ政策は全て「第3次アーミテージ・ナイ・レポート」が押しつけてきた政策の実行だった。ここに行き着いた経緯を、白井さんは次のように解説している。

 ソ連が崩壊した1990年代初頭から今日に至るまで、対米従属が一直線に「自己目的化」していったわけではありません。例えば、95年前後から、アメリカは日本に対して集団的自衛権行使容認を要求しています。アメリカから見れば、この要求が実現するまで20年もかかっているのです。ただし、日本側がこの間それを断ってきたわけでもなかった。日本の歴代政権は、ひと言でいえば生返事、「前向きに検討します」などと言って、のらりくらりとかわしてきたとも言えます。それが、第二次安倍政権になって急に受け入れるようになったわけです。

 それでは、90年代に何が言われていたか。この時代、日本の国際的責任がいよいよ強調されるようになりました。日本は明らかに経済的には大国化しているのだから、世界で生じている様々な問題に対して背を向けていることはできない、大国にふさわしい国際貢献が求められているのだ、という論調です。第一章で言及した小沢一郎氏の『日本改造計画』でも、そのような主張が強調されていました。

 国際貢献には、主に二つの手段があると考えられてきました。お金を出すことと、人を出すことです。この時の「人」とは、端的に軍事力を指します。自衛隊を初めて公式に海外へ出したという意味で画期的だった湾岸戦争後のペルシヤ湾での機雷除去作業が、重要なターニングポイントになります。そして、国連PKO活動への参加であるとか、自衛隊の海外での活動は、それ以降だんだんとその場を広げていきます。

 そこで留意すべきは、90年代におけるこうした活動では、国連中心主義、すなわち国連の活動に参加するという形で責任を果たしていかなくてはならない、という考え方が強く謳われており、実際その方針に即して自衛隊の派遣等が行なわれていたということです。それが決定的に変質し始めるのが、9・11以後、対テロ戦争という文脈が出てきたときでした。アフガン戦争、イラク戦争と、単独行動主義にアメリカが突っ込んでいくときに、アメリカのスタンスに対する国際社会からの強力な批判があったにもかかわらず、日本政府は逡巡する気配すらなくアメリカに追随しました。その延長線上に、今日の集団的自衛権行使容認は位置づけられます。

 それでも、小泉政権がアフガン戦争のときの自衛隊のインド洋派遣や、イラク戦争に対して派兵に近いことをやったときは、法的根拠は特措法によって処理され、憲法解釈の変更や改憲には踏み込みませんでした。ところが、第2次安倍政権においては、憲法解釈を変更し、アメリカの世界戦略への日本の追随を、言うなれば原理化することになりました。小泉政権のやり方は、ある意味で場当たり的ではありました。しかしそれは、アメリカの強引な軍事行動への追随を原理化してはいなかったわけです。つまり、小泉政権がなし崩し的に採った方針を、第2次安倍政権は原理化していると言えます。

 次回は「アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト」政権が強引に成立させた憲法違反の戦争法(安保関連法)を取り上げよう。
《米国の属国・日本》(9)

軍事面での対米従属(2):旧安保から新安保へ


 安保条約については「昭和の抵抗権行使運動」の中で「60年「改定安保」の問題点」と題して取り上げた。その中から主要な部分を再掲載しよう(一部書き換えがあります)。

 まず旧安保のおさらい。

 安保は、サンフランシスコでの講和会議の最終日(1951年9月8日)、対日平和条約(「日本国との平和条約」、通称「サンフランシスコ平和条約」)と抱き合わせで締結された。講和条約は、ソ連・中国・インドなどの反対を無視して、それらの国を除く旧連合国48ヶ国と日本との間で調印された。草案はアメリカ・イギリスだけで作成し、会議も討議も一切認めない議事規則で強行されている。

 この安保条約の最大の特徴は、日本の個別的・集団的自衛権を承認し、日本の再軍備とアメリカ軍隊の駐留継続を許容した点にある。さらに、沖縄・小笠原諸島におけるアメリカの施政権継続も盛り込まれており、アメリカの極東戦略が色濃く反映された条約だった。

 敗戦後の連合軍による占領施政は終了したが、アメリカ軍隊の駐留継続により、実質的にはアメリカによる占領が続いてきたといえる。そして、今日に至るまで、日本政府はアメリカの属国のような従米政策を続けてきている。

 この屈辱的な条約に署名したのは吉田首相だった。吉田はこの条約の署名を渋っていたが、その署名を押しつけたのは、なんと、これも天皇ヒロヒトなのだった。

 この講和条約締結時の首相は吉田茂である。吉田茂の長男・吉田健一(英文学者)によると、吉田茂は講和条約締結の一週間ほど前からひどく不機嫌になったという。これを枕に、天木さんのブログ(9月13日)が、講和条約と吉田についてのおもしろい?(「重大な」と言うべきか)エピソードを取り上げている。天木さんは、豊下楢彦著「安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交」(岩波新書)を用いながら、およそ次のように述べている。

 講和条約は日本にとって極めて寛大な条約であり、この条約を吉田茂は高く評価していた。しかし吉田は首席全権代表を強く拒んだ。つまり「ひどく不機嫌」だったのだ。なぜか。

 吉田は講和条約に署名したくなかったのではない。その直後に控えていた日米安保条約に署名する事が嫌だったのだ。吉田は、少しでも対等な条約をと、粘り強い交渉を重ねていた。これに対して、天皇の戦争責任をせまるソ連の影響を恐れた昭和天皇が、安保条約の早期締結を命じ、出席を渋る吉田に、はやく出席し、署名するように、と迫ったという。

 やむなく吉田茂は、日本国民や国会はもとより、全権代表団にさえ安保条約の実態を知らせることなく、責任をみずから一人に負わせる形で、サンフランシスコ郊外の米軍兵舎に一人赴いて署名した。つまり、今日もなお日本の桎梏となっている日米安全保障体制は、昭和天皇と米国の利害が一致して作られたのだ。

 さて、この51年に締結された日米安保の改定に向けての布石は55年の重光外相の渡米(重光・ダレス会談)から始まる。そして、アメリカの意向と資金を背負ってのし上がってきた岸が登場し、安保改定は急ピッチで進行していく。

57年1月 石橋湛山首相病気のため岸外相を臨時代理に指名
57年2月 石橋内閣総辞職、岸内閣成立
57年3月 自民党大会、岸信介を総裁に選出
57年6月 岸渡米、日米新時代宣言
58年9月 改定交渉開始

 以後20回に及ぶ日米交渉によって、安保改定という従米支配層の悲願がいよいよ成就目前となっていった。1959年、安保改定をめぐる階級闘争(安保闘争)が開始される。

(ついでながら、岸信介が「CIAのエージェント」であった事を『昭和の抵抗権行使運動(3):60年安保闘争時の政治裏面』で取り上げている。)

 それでは、新安保とは何か。それが日本にもたらした問題は何だったのだろうか。その問題の核心を捉えている論考として、私は「60年「改定安保」の問題点(1)」で天木直人さんのブログ記事「ビル・トッテンという日本人」(2007年5月3日の記事)を転載している。天木さんは日本国籍のビル・トッテンという人の著書『日本は略奪国家アメリカを棄てよ」(ビジネス社)』を用いているが、その記事から主要部分を再転載しよう。

 その中で私が最も注目したのは、日米安保条約こそ不平等条約であるという事実を喝破したくだりである。周知のように日米安保条約はサンフランシスコ講和条約を締結した1951年に、米国に恫喝されて吉田茂が単独で秘密裏に締結した条約である。そしてそれが10年経って期限が来る前に、米国に命令されて岸元首相が恒久条約化させられて今日に至っている。あの安保騒動の時である。 (管理人注:この有効期限についての記述には誤りがある。旧安保が恒久条約であり、10年毎の見直し条項は新安保のものである。)

 安保改定の最大の改善点は岸元首相が頑張って、それまでの片務協定から、「米国が日本を守る」という事を義務付けた点であるということになっている。

 ところがビル・トッテン氏は、改定後の安保条約こそ不平等条約であるというのだ。つまり改定された安保条約をよく読むと、「共通の危険に対処するよう行動する」と書かれているだけで、どこにも「日本を守る」とは書かれていない事をあらためて日本人に教えてくれている。いったいどれほどの日本人がわずかA4二枚ほどの安保条約に目を通したというのか。

 この文言については今でも関係者の議論が分かれているのである。アメリカが共通の危険を感じる相手から攻められない限り、日本を守ろうとしないという解釈ができる。つまり中国や北朝鮮が日本を攻めてきても、その時点で中国や北朝鮮が米国の友好国となって米国にとって危険を感じる国でなければ、米国は日本を守ろうとしないのだ。そしてその現実が今まさに起きようとしているのだ。その一方で日本は米国の軍隊を日本全土に受け入れることを約束させられ、そのための人的、財政的負担を支払わされている。しかもこれからは「テロとの戦い」という日本の防衛とは何の関係もない米国の戦争の為に、ほとんどすべて日本の自衛隊が使われるのだ。これは大変な不平等条約ではないか。

 実はこの指摘こそ外務省が決して口に出さない、国民に知られたくない点なのである。突き詰めて言えば、日米安保条約は完全にその機能を変えてしまったのである。日米同盟を原点から見直すべき時にきているにもかかわらず、外務省はそれをごまかしているのである。これ以上の怠慢はない。これ以上の不誠実はない。

 それにしてもフルフォードといい、トッテンといい、日本のためを思って「米国から独立せよ」と言ってくれるのがカナダ人や元アメリカ人だけであるというのが、いかにも情けない。右翼も左翼も一致団結して日米関係を見直す努力をすべき時が来ている。彼らに日本国民を思う気持ちがあるのなら、今こそ日本の国益のために、「米国から裏切られる前に、日本のほうから日米関係を見直せ」と日本政府に詰め寄るべきなのである。

 この新安保についての白井さんの論評も、「アメリカに日本を守る義務があるか否か」が最重要論点となっている。それを読んでみよう。

 岸信介内閣時代に結び直された、新安保条約について見てみましょう。安倍首相は、自分の祖父が行なった1960年の新安保条約の締結と、このたびの新安保法制を結びつけて考えています。

 安倍首相は、60年の新安保条約について、次のようなことを述べています。あの頃に安保闘争と言って国民が大騒ぎをしたのは不条理であった、なぜかといえば、彼らは安保のことを理解していなかったからだ、と。岸自身も同じようなことを言っていますが、確かに1951年の旧安保条約には、アメリカには日本に対する防衛義務がなく、アメリカとしては好き放題に基地を使うけれども、有事の際には自分たちの考えで勝手に動くという明白に一方的なものでした。つまり、占領の延長のようなものでしかなかった。岸は、60年の新安保条約で旧条約を相対的に対等なものに変えようとして、ある程度は実現をした。そのことを理解せず、アメリカに国を売った奴だ、といった批判を反対派がしていたのはまったくのナンセンスである、と岸は主張しています。しかしながら、反対派は、60年に新条約になったところで、アメリカの防衛義務は決して厳格なものではない、と批判します。

 どちらの言い分に真実があるのでしょうか。留意しなければならないのは、反対派の60年安保批判は、アメリカとの軍事同盟関係を恒久化する必要があるのか、という疑問を投げ掛ける「そもそも」論であった、ということです。その意味でそれは、条約の対等性・非対等性を問題にしていなかった。このことを無視して、反対派の主張はナンセンスであったと決めつける岸=安倍の論法は、対米従属以外の方針をアプリオリ(無前提)に斥けるものにほかなりません。

 51年の旧条約と60年の新条約には大きな違いが何点かありますが、興味深いのは条約の有効期間です。51年の条約においては、なんと有効期間がありません。未来永劫、アメリカは日本に基地を好きなだけ置き続けて、それでいて、何かあっても必ず守るわけではない。さらに、内乱条項がありました。日本で深刻な内乱が起きて日本の警察力や自衛隊だけで対処できない場合は、米軍が鎮圧する、という条項です。要は、日本国内の行く末についても、アメリカが最終的な決定権を握っていることが、明白な条約なのです。

 岸は安保条約の改正をアメリカに対して持ちかけるにあたって ―これは岸自身が言っていることですが― 最初は相手にもされないだろう、しかし、このように占領軍的性格がむき出しなままでは日本人のあいだに広範な反米感情が生まれてくることを避けられない。だから結局、改正せざるをえなくなるだろう、と考えていました。

 かくして、新安保では、条約の期間が定められました。アメリカから日本に、あるいは日本からアメリカに、この条約をやめましょうといえば、そこから1年で安保条約は失効するという約束になっています。内乱条項も廃止されました。ですから、60年の新条約によって、51年の旧条約が持っていた占領軍的な性格が確かに薄められたということは言えます。

 しかしながら、占領軍的な性格が薄まったとはいえ、先に述べたように、本当のところ、新安保条約においても、防衛義務がありやなしやということが、厳格に決定されていません。そこが、安保体制にまつわる究極的な曖昧さでもあります。もし日米が国策を共有していて、防衛義務について完全に合意し、有効であるのだとすれば、親米保守派の主張する、日米安保体制は日本にとって得な話だという理屈には、それなりの一貫性があることになります。

 そして、今回の新安保法制の件は、同じ理屈の延長線上にあります。すなわち、中国の脅威(それが新安保法制賛同者の主張通りにリアルなものだと仮定して)に対してアメリカが全力で対処してくれるならば、日本の自衛隊がアメリカの戦争へ加勢して少々の血を流すぐらい当然ではないか、というわけです。しかし、もしアメリカに防衛義務がないのだとすれば、その前提はすべて覆ります。

 では、日米が本当は国策を共有しておらず、そしてアメリカの日本に対する立場は中立なものであるとした場合、つまり日本がアメリカにべったりと追随していくことに何の利益があるのか曖昧な場合、アメリカにとって安保体制と在日米軍基地は、純粋に自身の世界戦略のためのものであり、占領の継続だということにもなります。

 そのとき、日本にとって安保体制にはどんな意味があるのでしょうか。それは、国民の利益とは直接に関係がないということになります。とすれば、残る機能は、対米従属の権力構造を維持するための装置としてのそれ以外には、何も見出せなくなる。日本国家の側から見れば、国内の権力構造を維持するために、世界最強の軍隊を自分のところに引き込んだということです。明らかに、51年の旧条約はそのような性格を持っていました。

 また旧条約の内乱条項も、この性格に関係しています。この条項は、安保条約が成立する以前、つまり占領軍としての米軍がいた頃の状況に照らせば、非常にリアルな意味合いを持っていました。戦後間もない頃、東京では、共産党に率いられたかなり戦闘的なデモンストレーションが起きていましたが、それを最終的に止めたのは、米軍です。GHQが解散命令を出して、吉田茂の政府を救ったわけです。

 あるいは、1947年に官公庁の労働組合を中心に計画された、いわゆる2・1ゼネストにしても、最終的にはマッカーサーの命令で中止されました。GHQがいなければ2・1ゼネストは決行されていたわけです。そうすれば、当時の日本の国家権力は崩壊の危機に瀕したでしょう。つまり、占領期においては、米軍は当時の日本の支配構造、国体を守っていたと明確に言えるわけです。

 このように見てくると、岸の企てた安保改正とは、ある側面では安保条約の「国民化」であったと定義できます。露骨な占領軍的性格をある程度まで相対化したことで、日米安保体制を日本国民のための体制とする、日本国民のための安保条約にしていくということを、ある程度成し遂げたとは言えるでしょう。ただし、それはあくまで、日米が国策の根本内容を完全に共有できるという前提があってのことです。

 天木さんからの引用文中に「いったいどれほどの日本人がわずかA4二枚ほどの安保条約に目を通したというのか。」とあったが、これをはじめてよんだとき(約6年前)、私は
「天木さんの指摘に私の耳が痛いと言っている。教科書程度の知識で分かった気になっていた。次回、学習し直すことにしよう。」
と書いている。その時安保全文を順を追って解読をしている大変レベルの高い「60年安保全文」という記事に出会った。それを改めて紹介しておこう、と思ってアクセスしてみたら、「サービスは2015年2月28日をもちまして終了させていただきました」というメッセージが表示されていた。しかし、実は『「60年「改定安保」の問題点(2)」』に転載していたので興味ある方はそれを読んで下さい(しかし残念ながら、その内の前文の解説だけだった。全文転載しておくべきだったと、いま悔やんでいる)
《米国の属国・日本》(8)

軍事面での対米従属(1):対米従属路線の始まり


 「軍事面での対米従属」と言えば、「二重の法体系」の中の「日米安保条約」と、その付随協定である「日米地位協定」が問題となるが、この二つについてはこれまでに色々なところで取り上げてきた。特に「日米地位協定」についてはシリーズ《沖縄に学ぶ》で「沖縄問題の本質(1)~(9)」でかなり詳しく取り上げている。ただし、「日米安保条約」そのものについては「日米地位協定」の論考に必要な部分だけを断片的取り上げてきただけだった。白井さんは「軍事面での対米従属」については「日米安保体制の本質」と題して、旧安保と新安保を対比させながら、その問題の本質に迫っている。この白井さんの論考から、これまでに取り上げてこなかった観点を追っていくことにする。

 白井さんは「経済領域での対米従属」の内実の分析から、「確立の時代」「安定の時代」「自己目的化の時代」という三つの時代区分を提示していたが、日米安保の考察の結果、「軍事面での対米従属」についてもこの三つの時代区分を採用している。
「51年の旧安保の時代→確立の時代」
「60年の新安保の時代→安定の時代」
「冷戦崩壊後の安保時代→自己目的化の時代」
として、次のような表でまとめている。

安保の時代区分
 白井さんはこの時代区分について、次のように解説している。

 このように整理することによって、日米安保体制の意味が、戦後の全期間を通して変化してきたことがよくわかると思います。51年の安保条約では、戦勝国アメリカが敗戦国日本をほとんど戦利品として扱ったに等しいと言うべきでしょう。しかし同時に、それは日本側から見れば、「国体護持」の実現手段であった。

 60年の安保改定によって、条件つきながらも米軍の日本防衛義務が明記され、米軍はアメリカにとって都合のよい政府を国民の批判や内乱から守っているのではなく、日本国民を守っているのだ、という体裁となりました。無論それは、日米間での国策の根本的共有が条件となりますが、51年の安保条約においては、在日米軍の占領軍的性格が拭えなかった以上、国策の共有も強制的な性格を免れ得なかったのに対して、60年の安保条約では、国策の共有は日本側から主体的に選び取ったものだ、という体裁を得ることとなります。まさにこの点をこそ、多くの60年安保反対の論者が追及したことは、先に見たとおりです。

 岸信介による安保改定のポイントに付け加えなくてはならないのは、「極東条項」が加えられたことです。すなわち、在日米軍の駐留目的は、日本の安全を守ることだけでなく、「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」と定義づけられました。これは、言い換えれば、在日米軍が同盟国日本の安全保障に寄与するだけでなく、米軍が世界の秩序を安定させるための活動の前線基地として在日米軍基地を利用するということを、あらためて定めたものと言えます。

 この極東条項の意義は、冷戦崩壊により大きく変化していきます。なぜなら、ソ連が崩壊することで、日米安保体制の最大の機能であったはずの対ソ連の共同防衛が、意味をなさなくなったからです。順当に考えれば、ソ連の脅威が消滅した時点で、控え目に見ても、在日米軍基地は劇的な縮小を視野に入れてもおかしくないはずです。ところが現実にはそうならなかった。ソ連は存在しない、にもかかわらず巨大な在日米軍基地は維持されなければならない、ということになりました。この矛盾を解くことができるのは、極東条項の延長線上にある「世界の警察官」としてのアメリカの活動を支えるために在日米軍基地があるのだ、という論理しかありません。

 そして、このように整理することによって見えてくる最大のポイントは、彼我の国力差が51年時点と冷戦崩壊後ではまったく異なるにもかかわらず、冷戦崩壊後の安保体制は、51年安保の体制に似通ってくるということにほかなりません。すなわち、述べてきたように、共通敵が失われたためにもはや国家的利益は共有されるよりもむしろ対立をはらむという事実が決定的です。そうだとすれば、冷戦崩壊後の在日米軍とは、一体誰を守るためにあるのか。このことがよくよく考えられなければなりません。そこに対米従属の自己目的化の病理の核心の問題が隠されているはずなのです。

 では、このようにまとめられる至った白井さんの考察をたどってみることにする。白井さんは安保体制の起源として『昭和天皇の「現実的判断」』を、豊下楢彦さんの著作を援用しながら論じている。

 実は、このテーマについては、私は以下の記事でかなり詳しく取り上げている。その時用いた教科書は小森陽一著『天皇の玉音放送』や豊下楢彦著『昭和天皇・マッカーサー会見』・『安保条約の成立』であった。(このページの最後に白井さんの簡潔な論考を転載するので、以下の過去記事がわずらわしい場合は読み飛ばして下さい。)

 『アメリカ属国化路線を敷いた張本人(1)』
 『アメリカ属国化路線を敷いた張本人(2)』
 『アメリカ属国化路線を敷いた張本人(3)』
 『アメリカ属国化路線を敷いた張本人(4)』
 『アメリカ属国化路線を敷いた張本人(5)』
 『アメリカ属国化路線を敷いた張本人(6)』
 『アメリカ属国化路線を敷いた張本人(7)』
 もう一つ、『《『羽仁五郎の大予言』を読む》(29):権力が教育を破壊する(12):教育反動(4)』の冒頭に記事。

 さて、白井さんの論考を転載しよう。

安保体制の起源としての昭和天皇

 そこで歴史を遡り、安保条約の起源を見てみましょう。豊下楢彦氏をはじめとする、日本の対米従属を批判的に見る非主流派の歴史家たちが非常に困難な研究を重ねて、その政治的プロセスを明らかにしましたが、日米安保条約は、サンフランシスコ講和条約とセットのものです。同講和条約が発効する時点で、占領軍は撤退しなくてはなりません。けれども、米軍は撤退したくなかった。冷戦構造下において、日本に世界戦略のための基地を持ち続けたい。日本の国家主権が回復されてしまうと、外国の軍隊の基地を置き続ける理由がなくなります。ですから別個に条約を結ぶ必要があったわけです。それが日米安保条約の起源です。

 このように、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約は限りなくワンセットのものである、ということをまず押さえておく必要があります。この交渉を米側で主導したのは、当時の国務長官であるジョン・フォスター・ダレスですが、ダレスが獲得しようとした目標は、独立したはずの日本に、「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を得る、ということでした。要するに、やりたい放題にやるということです。もちろんこれは理想的な獲得目標であって、ダレスとて、まさか100%それが叶うとは思っていなかった。しかし、交渉過程で日本側が譲歩を重ねたために、ダレスの理想的な目標が実現することとなったのです。

 その状況をつくった主役がなんと昭和天皇であったというのが、豊下氏の研究が提出した驚くべき説です。私は、豊下説には相当の説得力があると考えています。当時、首相の吉田茂にしても、アメリカの要求を100%飲むなんて、独立国としては許されざることであると考えていた。にもかかわらず、ダレスの要求は完全に受け入れられた。それを主導したのは昭和天皇であったというわけです。日本に米軍基地がたくさんあるのは、戦争に負けた帰結であり、本来日本民族のナショナル・アイデンティティにとって非常にトラウマ的な出来事であるはずです。臥薪嘗胆の気持ちで米軍基地を見つめるというのがナショナリストの心のあり方でしょうが、そのような状態を望んだのは、誰あろう天皇陛下であったと。

昭和天皇の「現実的判断」

 なぜ昭和天皇はそこまでしたのかという驚きが生じますが、これには明確な理由があるのです。それは、昭和天皇の共産主義に対する恐怖です。豊下氏によれば、昭和天皇は冷戦が本格化する以前から「内外の共産主義が天皇制の打倒をめざして直接・間接に日本を侵略してくるのではないかという危機感に苛まれて」いました。20世紀以前から世界各国で起きた多くの革命において王室は廃され、ロシア革命に至っては皇帝一族もろとも殺されてしまいました。日本で共産主義革命が起こったらどうなるか。皇統が断絶してしまうに違いないという恐怖があった。だから、どんな妥協をしても、何とかして皇統を続けていかねばならないというのが、昭和天皇の覚悟であったとも言えるわけで、そのために米軍を利用したのです。豊下氏も言っているように、こう考えると、在日米軍とは、国体護持のための装置だったということにもなります。

 天皇制を存続させるということは、皇族にとって職業倫理です。豊下氏には『昭和天皇の戦後日本 ―〈憲法・安保体制〉にいたる道』という著作がありますが、それを読むとわかるのは、当時の大半の保守政治家よりも、昭和天皇の方がはるかに頭脳明晰であったということです。昭和天皇の皇統をつないでいくという強靫なる意志が冴えた現実的な判断を生んでいたことがよくわかります。

 その象徴的な事例が、戦後憲法をめぐるプロセスです。恒久的な武装解除という内容に対して多くの政治家たちが拒否反応を示す中、昭和天皇は「それでよい」と言います。

 オーストラリアやソ連は天皇制廃止を主張しており、憲法制定の過程に他の連合国が介入してくるような事態になれば、天皇制を廃止する憲法を受け入れざるを得なくなってしまうかもしれない。だから、アメリカは、他の連合国を納得させるには、天皇制維持のかわりに武装放棄をする憲法にするしかないと言って、政府要入たちに迫りました。昭和天皇は、こうした背景を非常によく理解していました。

 ただし、こうした「現実的な判断」が冷酷なものでもあったことを付け加えておかなければなりません。それが、戦後の沖縄の処遇をめぐる判断です。共産主義陣営に対する守りを固めるために、沖縄を無期限的にアメリカの手に委ねるという提案を、昭和天皇自身ががアメリカに対して行ないました(沖縄メッセージ、1947年)。このことが、現在に続く在沖縄米軍基地問題につながっていることは、まったく明らかです。

 憲法第九条がアメリカからの押しつけのように書かれているが、2016年8月12日付けの東京新聞朝刊のトップ記事が、それは決して押しつけられたものではないことを証明する新史料が堀尾輝久・東大名誉教授によって発見されたことを報じていた。主要部分を転載しておこう。

 堀尾氏は五七年に岸内閣の下で議論が始まった憲法調査会の高柳賢三会長が、憲法の成立過程を調査するため五八年に渡米し、マッカーサーと書簡を交わした事実に着目。高柳は「『九条は、幣原首相の先見の明と英知とステーツマンシップ(政治家の資質)を表徴する不朽の記念塔』といったマ元帥の言葉は正しい」と論文に書き残しており、幣原の発案と結論づけたとみられている。だが、書簡に具体的に何が書かれているかは知られていなかった。

 堀尾氏は国会図書館収蔵の憲法調査会関係資料を探索。今年一月に見つけた英文の書簡と調査会による和訳によると、高柳は五八年十二月十日付で、マッカーサーに宛てて「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文をいれるように提案しましたか。それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」と手紙を送った。

 マッカーサーから十五日付で返信があり、「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記。「提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」と結んでいる。

 九条一項の戦争放棄は諸外国の憲法にもみられる。しかし、二項の戦力不保持と交戦権の否認は世界に類を見ない斬新な規定として評価されてきた。堀尾氏が見つけたマッカーサーから高柳に宛てた別の手紙では「本条は(中略)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したもの」とあり、堀尾氏は二項も含めて幣原の発案と推測する。

《米国の属国・日本》(7)

経済領域での対米従属(3):年次改革要望書からTPPへ


 これまで、日本の「二重の法体系」を在日米軍関係で牽引しているのが毎年行なわれている「日米合同委員会」であることに度々触れてきたが、経済面での対米従属を牽引しているのが前回の最後に出てきた「年次改革要望書」である。もう一つ、政府の政治政策の根本を指示しているのが「アーミテージ・ナイ・レポート」である。

 アーミテージ・ナイ・レポートはこれまでに2000年・2007年・2012年と三回出されている。私は『《『羽仁五郎の大予言』を読む》(100):終末論の時代(36)』で、山本太郎さんが「第三次アーミテージ・ナイ・レポート」を用いて、政府の対米従属ぶりを厳しく追及したことを取り上げている。

 年次改革要望書は正式には「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」と言い、両国の経済発展のために相手国の規制や制度の問題点についてまとめた文書である。1994年以来毎年日米両政府間で交換されていたが、2009年に民主党の鳩山内閣によて廃止されている。しかしその後、次のような日米による会合がもたれるようになっている(ウィキペディア「年次改革要望書」から引用する)。

 民主党鳩山由紀夫内閣の時代に、「日米規制改革委員会」が廃止され年次改革要望書の交換も事実上停止した。しかしその後もアメリカは、駐日アメリカ合衆国大使館サイトにおいて、「日米経済調和対話」と題し産業のいくつかの分野について『米国政府は、実行可能な範囲において、両国のシステム、規制アプローチ、その他の措置や政策の調和に向け、この共通の目標を推進する形で日本と緊密に協働することを期待する。』とする文章を掲載していた。

 2011年3月に日本側では外務省サイトにおいて、貿易の円滑化、ビジネス環境や個別案件、共通の関心を有する地域の課題等について、日本とアメリカ両国が協力し取り組むための、「日米経済調和対話」事務レベル会合の開催を発表した。

 「日米経済調和対話」は「要望書」の米国側関心事項をほぼ踏襲しているという。

 鳩山首相は辺野古問題でアメリカの意向に逆らったために失脚させられているが、この年次改革要望書の廃止もその理由の一つなのではないだろうか。なぜなら、年次改革要望書はアメリカからの一方的な要求書だったのだから。白井さんはこの年次改革要望書について次のように解説している。

 年次改革要望書とは、日米が両国の経済的な交流をより深めるために、それを阻害する不合理な法律や習慣などをお互いに指摘しあって、親密な経済関係をもっと深めていきましょうというものです。これだけを聞くとまことに結構なものに思われるかもしれませんが、しかし、どう運用されたかを見れば、それは建前であって、実際はアメリカからの日本に対するほとんど一方通行的な要求です。

 アメリカの経済的苦境の一因は、対日貿易赤字でした。改革の要求は、アメリカ側が貿易不均衡の理由を、自国の産業の欠点のために日本製品との競争に勝てない、つまり自業自得であるとせず、日本の市場が閉鎖的であるからだ、と主張するための手段として機能しました。そこから、多国籍資本が日本市場に入っていくための規制緩和の要求が出てきます。

 年次改革要望書とか、構造改革協議、金融ビッグバン、金融資本の移動の自由化といった一連の改革は、軌を一にしていることがわかります。いずれの現象も、グローバル資本が何のしばりも受けず動き回れる状態をつくり出そうとするものです。この流れが、今日のTPPにまでつながっていくというのは非情にわかりやすい話だと言えます。

 アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権は、2012年の衆議院選挙の公約に「TPP不参加」を掲げていた。ところが第三次アーミテージ・ナイ・レポートの「提言の3、TPP交渉参加」を突きつけられて、公約を堂々と破って、TPP交渉参加を忠実に実行している。経済領域での対米従属の最たるものが、このTPP交渉参加である。こうした経済領域での対米従属の行き着く先を、白井さんは次のように論じている。

 こうしたことが最終的にどこに帰結するかといえば、これまで社会が万人の共有物として保持してきた直接的な生活基盤を食い物にしようとする資本の運動が、いよいよ顕著になってくるということです。後に論じますが、国民皆保険制度を壊そうという動きなどがその典型です。資本の運動は、その本性上行き過ぎるものだから規制する必要がある、と考えるのが真っ当な発想だと思いますが、「永続敗戦レジーム」によって支配された日本は真逆の方向に迎合し、それを促進するような政策に向かって邁進している状況です。政治権力と経済権力が、一丸となって、これを後押ししているのです。

 こう考えると、抵抗すべき対象はアメリカ国家だけではなくなってきます。アメリカ国家が促進する政策の背後には多国籍企業があります。ですからTPPに関しても、アメリカ国内でも相当に強い反対が存在します。大企業を儲けさせるだけで、雇用の不安定化など、大衆への搾取がより一層進むだけではないか、という批判です。したがって、今後大事になってくるのは、いかにして反グローバル資本の国際的連帯をつくるのかということになるでしょう。

 TPPについてはその詳細をご存じの方が多いとおもうが、どんな弊害があるのか、その問題点を列挙しておこう(『サルでもわかるTPP』から拝借しました)。

〇国民皆保険制度がなくなってしまうかも。盲腸の手術だけで200万円、それが払えない貧乏人は死ぬような社会がやって来る!?

〇日本の食料自給率は39%から13%に下がる。近いうちに必ず世界的な食料危機が起こるから、突然食料輸入が途絶えて餓死者が出るようなことになるかも。

〇遺伝子組換え食品が蔓延し、そうでない食品を選ぶ自由すら奪われちゃう。

〇牛肉の月齢制限や添加物など食の安全基準が緩くなって、健康への悪影響が心配。

〇低賃金労働者が外国から入ってくるから、日本人の給料はますます下がる。職を奪われて失業も増えるよ。そのうち外国まで出稼ぎに行かなきゃならなくなるかも。

〇デフレがますます加速するよ。今まで日本国内で回っていたお金がどんどん海外へ流出しちゃうよ。景気はますます悪くなり、日本はどんどん貧しくなるよ。

〇そして何よりも問題なこと……国民を守るために、国民の代表が決めた法律や制度が、アメリカ企業の都合によって、いくらでも変更してしまえるようになる。国民の主権が奪われちゃうよ。民主主義の崩壊だよ。

〇と、いうことはだ……もしも仮に、脱原発運動の成果として、日本で国民投票が行われ「日本はすべての原発を廃炉にし、永遠に原発の新設はしない」と決めたとしよう。でも、もしも日本の原発で儲けてるアメリカの企業が「そんな取り決めはけしからん! わが社の利益に反するじゃないか!」と言ってきたら、そちらの言い分の方が優先されてしまう(もしくは巨額の賠償金を支払わされる)ということ。つまり、どんなにがんばって市民運動をしたって、あるいは政治家がまともな政治をしようとしたって、なんの意味もなくなってしまうということだ。

 終わりの2項目は多くの論者が一番懸念しているISD(Investor State Dispute)条項の事である。これについてはより詳しく復習しておきたい。『TPPに隠されたアメリカの卑劣な手口 日本経済は植民地化される』から引用する。

 日本語では「投資家対国家紛争解決条項」と訳されている。韓国では「POISON(毒素)条項」と呼ばれ、米韓FTAの最大の問題点と言われている。この内容は「アメリカの投資家(企業、個人)が進出先の韓国で不当な扱いを受け、当初期待した利益が上がらなかったと判断すれば、韓国政府を訴えて、当初見込まれた利益を賠償させることができる」という条項である。

 この条項は、1994年にアメリカ、カナダ、メキシコ三国間で締結されたNAFTA(北米自由貿易協定)で46件も発動されており、このうちアメリカ政府が訴えられたのはわずか15件で、敗訴はゼロ。逆にアメリカ企業がカナダとメキシコの両政府を訴えたケースは36件もあり、アメリカ企業が賠償金を得たのは6件、請求棄却はわずか6件に過ぎず、アメリカ企業が敗訴することはありえない。また、企業間で和解するようなことがあっても、アメリカ企業が事実上、勝訴する内容が多いと言われている。

 とくにNAFTAで有名なケースがある。アメリカの廃棄物処理会社が、カナダで処理した廃棄物を、アメリカ国内に輸送してリサイクルする計画を立てたところ、カナダ政府が、環境保全の観点からカナダの法規に従って、アメリカへの廃棄物輸出を一定期間禁止した。これに対してアメリカの廃棄物処理業者は、ISD条項を盾にとって、カナダ政府を提訴し、その結果、カナダ政府が823万ドルの賠償金を支払うことになったというケースである。

 このISD条項は、提訴する側から見ると、極めて利用しやすくなっていて、日本がTPPに参加すれば、保護主義的政策、社会福祉的政策(例えば、国民皆保険、年金などの政府系機関、公共団体が行う福祉事業など)が多い日本の法規が、アメリカの投資に損害を与えていると言って、日本政府が頻繁に提訴されるであろう。このときに訴訟を裁く裁判所は、世界銀行の傘下にある国際投資紛争解決センターである。1946年に設立された世界銀行の総裁は、当初から今日までアメリカ人であり、その人物が任命する裁判員が、ISD条項違反の可否を決定するのであるから、日本側に公平な判決が下ることは到底期待できない。とくに、このISD条項を頻繁に使って、アメリカは日本の法体系と社会基盤を崩壊させるであろう。

 アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権はこのようなとんでもない協定を受け入れようとしているのだ。誠に無知にして無恥と言うほかない。

(以上で「経済領域での対米従属」を終わります。次回からは「軍事面での対米従属」がテーマです。)
《米国の属国・日本》(6)

経済領域での対米従属(2):マネー敗戦とは?


 マネー敗戦はレーガノミクス政策をきっかけとして起こった、ということだったが、ではどのような状況がマネー敗戦と呼ばれているのか。この観点からレーガノミクスが引き起こしたことを白井さんの解説を下敷きにしてたどってみることにする。

 レーガンはソ連を「悪の帝国」と罵倒し、ソ連との対立を先鋭化させ軍事拡大を進めていった。その軍拡構想の中に「戦略防衛構想(SDI)」という計画があった。オリバー・ストーンは「人工衛星と地上迎撃システムの連携により、飛んできた敵のミサイルを撃墜するという荒唐無稽な計画」と解説している。この構想は「スターウォーズ計画」と呼ばれて揶揄されていた。しかし、レーガンはこの構想をむきになって進めようとした。

 軍拡には大変な予算が使われていったため、「双子の赤字」は更に拡大していった。白井さんは
「その際に少なからぬ役割を果たしたのが、日本でした。米国債を大量に購入することにより、レーガノミクスをファイナンスしてあげたわけです。」
と指摘している。

 そして更に、国際的な動きが加わる。
1985年9月22日
 ドル高の是正を目的として米、英、西独、仏、日本の5ヶ国の蔵相会議がニューヨークのプラザホテルで開催された。この会議で「為替レート安定化に関する合意」が成立した。プラザ合意と呼ばれている。この合意後、各国は為替市場に協調介入し、ドルはたちまち下落していった。

 レーガンは「軍事的、経済的に強く偉大なアメリカのためには、その通貨も強くなければならない」と、「強いドル」目指していた。しかし、ドル高によって貿易赤字が拡大していった。こうした国際的な動きが日本経済に及ぼした影響を白井さんは次のように解説している。

 アメリカの産業(製造業)を回復させたいなら本来、輸出を増やす必要があり、ドルは安くしなければならない。レーガン大統領は選択を迫られ、結局「強いドル」を放棄したのでした。

 プラザ合意以前から、すでにもう円高圧力は強まっていたのですが、プラザ合意がなされることによって、円高ドル安の流れは加速します。だいたい1ドル約240円だったのが、1987年には120円台にまで下がっていきます。対円でドルの価値はおよそ半減したわけです。

 これによって、アメリカは大きな得をしました。まず、それ以前にアメリカは日本からレーガノミクスヘのファイナンスで大量にお金を借りています。その借金は全部ドル建てです。実は米国債問題のポイントは、日本が買った米国債は全部ドル建てであるということです。例えば1ドル240円のレートで借りたとすると、後に1ドルが160円になれば、借りた側からすれば、何もしなくても借金が3分の1圧縮されたのと同じことになるわけです。実際にそういうことが起きたのです。

 この状況を、経済学者の吉川元忠は「マネー敗戦」と名づけました。例えば、一部なりとも円建てで貸していればまだよかったのですが、日本はそういうことをしなかった。吉川は、1998年に出版された著書『マネー敗戦』で、日本はアメリカの借金棒引き術に引っかかってとんでもない目に遭っているんだということを書いています。その他にも、ケインズ派経済学者の宮崎義一もこれと同じようなことを論じていますが、当時、こうした分析は、経済学業界で決して主流の議論にはならなかったようです。主流派には、経済現象の背後にある政治力学が見えない、あるいは見て見ぬ振りをするのです。

 借金が目減りしたアメリカは、できたお金で軍拡を行ない、米ソの軍拡レースを激化させます。そのとき、すでにソ連は基礎体力が弱っており、結果として、冷戦構造が最終的に崩壊するという大事件が89年から91年にかけて起こっていきます。

 この流れにおいて、日本は一体何をやつたのか。アメリカの膨大な借金をファイナンスしたという意味では、間接的にはソ連の崩壊を導いたことになります。冷戦構造は、日本が敗戦を否認することが可能な、心地よい環境を提供してくれていたものでしたが、ある意味で日本はその環境の破壊に自ら手を貸したとも言えるわけです。

 1991年12月にソ連が崩壊し、冷戦は終結した。その後、日本経済に何が起こったのだろうか。1987年頃にバブルが始まり、1990年頃にバブルが崩壊する。1990年代の日本経済史の年表から経済停滞を示す事項を拾ってみよう(岩田年浩という方の『戦後日本経済年表』を利用しています)。

1990年
 8月30日公定歩合は6.0%にUP(バブル崩壊のシグナル)。

1991年
 金融証券スキャンダルの発覚相次ぐ(イトマン、四大証券、住友、興銀など)。
第二次オイルショック。

1992年
 平成不況始まる。
 公定歩合は3.25%に。
 92年度の倒産は1万4441件。
 平均株価は1万4822円と6年ぶりに最低

1993年
 2月4日 公定歩合は2.5%に。
 6月 金利の自由化が始まる。
 企業のリストラすすむ。

1994年
 平成不況下で輸出に活路(貿易黒字14兆円)。

1996年
 6月 1ドル=90円台に入る。

1997年
 97年度より就職協定廃止。
 4月消費税率3%から5%へ。
 6月改正労働基準法成立(各種の労働保護を撤廃)。
 10月の完全失業率は3.5%と過去最悪に並ぶ。
 11月 北海道拓殖銀行経営破綻、山一証券自主廃業。

1998年
 98年度から2年間、減反目標は96万3000ヘクタールと過去最大に。
 4月 総合経済対策16兆円。
 11月 緊急経済政策24兆円を発表。
 8月 日経平均株価は1994年8月以来で1万3000円を割り込む。
 雇用者所得(ほとんどは賃金)の伸び率が初めてマイナスに。
 2年連続でマイナス成長。

1999年
 企業は雇用・設備・債務の3つの過剰の解消に向かう(リストラ元年)。
 3月決算で大手11行の不良債権は19.9兆円に。
 6月 完全失業率は4.9%に。
 東証一・二部企業の決算は291兆円の減収(3年連続)。しかし8.8兆円の増益。
 後半以降,デフレスパイラル進行。
 11月 経済新生対策18兆円。
 12月ダウは1万1405ドルと最高値を更新。

 このような深刻な経済停滞の原因は何だったのだろうか。平井さんは「経済停滞の犯人捜し」と題して、次のように分析している。

 冷戦構造が終結すると、90年代以降は金融の国際化、金融をめぐる世界的なルールの統一化が一層進んでいきました。なぜ、ルールを統一しなければならないのかと言えば、資本移動の自由化を進め、金融資本主義化を進めるためには、国によってルールが異なるのは不都合であるからです。

 そんな中、日本型産業構造に対する批判が起こります。日本の産業構造は、よく「護送船団方式」などと呼ばれていましたが、端的に言うと、国家による指導の側面が非常に強い資本主義です。通産省(現・経産省)や大蔵省(現・財務省)が各主要業界に対して強い権限を持ち、産業の司令塔として指導をするというところに特徴があります。

 本山美彦(よしひこ)さんの『金融権力 ―グローバル経済とリスク・ビジネス』で詳しく説明されていますが、ここでキーポイントになるのは、金融システムです。国家指導型資本主義においては、国家が必要と考える産業にファイナンスしないといけない。そのときにリスクが高ければ、民間金融機関は応じることができない。かといって国家が丸抱えにするのでは、資本主義社会、自由主義社会とは呼べません。

 そこで中間的な形態として生み出されたのが、政府系の金融機関です。例えば長期信用銀行などの特殊な金融機関が長いスパンで企業活動を支援すれば、短期的な利ざやを求めず、長期的な展望の下に企業の活動を支援できる。これが日本型産業構造の特徴であり、戦後の経済成長を支えたシステムであったわけですが、1990年代あたりから激烈な批判にさらされていくことになります。

 バブル崩壊以降、いよいよ日本経済が停滞するようになって、その犯人捜しが始まります。そのとき最も激しくやり玉にあげられたのが、この構造でした。国家の統制が強すぎるために自由なイニシアチブがない、だからバブル崩壊のダメージから立ち直れないんだろう、という論調がメディアを席巻していきます。ちょうど私が大学生だった90年代後半は、まさにこうした論調の最盛期だった覚えがあります。

 でも、いまから考えると、これらの批判が一体何を批判していたのかよくわかりません。その後「金融ビッグバン」等々によって金融のルールを変えて、護送船団方式を崩さねばならないという流れになります。詳しくは次章で説明しますが、今日の目から見れば、停滞の本当の理由は、非常に長期的な意味での資本主義の行き詰まりという問題ですので、根本的には解決のしようがなかったのではないかと思われます。短期的な理由は、不良債権の処理に手間取ったことが主因であり、90年代末の小泉内閣の時代にやっとそれに気づきます。これを処理しないとどうしようもないということで、実質的に政府が不良債権を保証することになります。

 ですから、長期的に見ると、バブル崩壊の痛手から立ち直るにあたって、護送船団方式や日本型産業構造をことさらに問題視するのは筋違いであったと思われるにもかかわらず、なぜかそこに諸悪の根源があるかのように言われました。いまになってみると、それは何かを行なうための口実にすぎなかったのではないか、と考えられるのです。それが、例えば金融ビッグバンであり、構造改革です。日米の間で年次改革要望書が実質的に始まるのが94年ですから、ちょうど金融ビッグバンの前夜に当たる時期です。

《米国の属国・日本》(5)

経済領域での対米従属(1):レーガノミックスの功罪


 第三章の表題は「対米従属の諸相(二)」となっている。そして、この章の目的を次のように述べてる。
「対米従属が自己目的化した時代における経済領域での対米従属について、簡潔に分析します。それによって、経済現象が政治からまったく独立などしていないことが理解できるはずです。そこから、政治における対米従属の本丸を見ていきます。政治権力はその本性上暴力にかかわります。つまり、軍事における対米従属に焦点を当てなければなりません。」

 白井さんは「経済領域での対米従属」について、まず、「マネー敗戦」からTPPに至る流れに着目する。…と、ここで早くも「?」。「マネー敗戦」という言葉に初めて出会った。まずこの言葉の意味から学習しよう。

 白井さんは「マネー敗戦」の説明を次のように初めている。
「マネー敗戦とは、アメリカのレーガン政権によるレーガノミクス政策をきっかけとして起こったものでした。」

 ここで思い出したことがある。レーガノミクスなら『「ミニ経済学史(20)」:新しい古典派の時代(3):フリードマン(2)』で取り上げた。そこからレーガノミクスについて解説している部分を再掲載しよう。

1980年代初頭にレーガンはフリードマンの提言を忠実に実行したという。その政策の結果インフレはある程度は収まったのに、その後、レーガンはソ連との対抗のために大軍拡を行い、財政支出を際限なく膨らませて全てを元の木阿弥としてしまった。教科書④は
「結局振り返ってみれば、フリードマンの言う通りに貫徹できたことと言えば、富裕層中心の減税と、福祉・医療・教育予算の大幅削減と、労働組合攻撃ぐらい」
と、手厳しい。ちなみに、「富裕層中心の減税」という項目が入っているが、フリードマンは累進課税反対論者である。累進課税は「税負担能力を基礎においた応能負担原則」によるものであり、私は公平な税制だと考えている。(『「財源=税」問題を考える』を参照してください。)

 次いで、レーガンが行った政策の詳しい内容を知りたくて、『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』から関連部分を引用した。

 レーガンは中米やカリブ諸国に対して非道な行動を取っただけではない。自国の労働者階級や貧困層も踏みつけにした。軍隊の多くの部分を占め、緊急事態に真っ先に犠牲になるのは彼らである。しかし、〈現在の危機に関する委員会(CPD)〉のメンバーで公職に就いている人間のうち、50人以上がその事実を「良いこと」とみなしていた。

 1980年の選挙の直後、メルビン・レアード元国務長官はレーガンに対して「国防費を大幅に増やすことは、アメリカにとって最もあってはならないことだ」と警告を発している。レーガンはこの助言を聞くどころか、正反対のことをした。「アメリカの軍事力は弱体化しており、このままではソ連の攻撃に対抗できない」という作り話を根拠に、国防費増額を強く訴えたのだ。「今われわれは、真珠湾後の日々よりも大きな危険の中にいる。アメリカの軍隊はこのままでは無力で、この国をまったく守ることができない」とも言った。

 レーガンの脅しは功を奏した。国防費は、1985年にはなんと、1980年に比べ51パーセント増となったのである。それだけの費用を捻出するため、彼は自らの裁量で動かせる内政関連の政府支出を30パーセントも削減した。700億ドルもの大金を内政から軍事へと振り向けることに成功したわけだ。

 ハワード・M・メッツェンバウム上院議員は、行政管理予算局局長のデイヴィッド・ストックマンの予算削減手腕の見事さを称賛したが、同時にストックマンという人間に関し「冷酷で、非人道的で、不公正」とも言った。1983年には、48万人もの人が、児童扶養世帯扶助制度(AFDC)の支援を受けられる資格を失っている。また、給付金を減らされた人も29万9000人にのぼった。レーガンはさらに議会を促して、120億ドルだったフードスタンプ(食糧配給券)の予算を20億ドル減らし、35億ドルだった学校給食の予算も10億ドル減らした。その他、メディケイド(低所得者向け医療費補助制度)、小児栄養、住宅補助、光熱費援助などの予算も削減し、都市支援の予算はほとんど半分まで減らした。レーガンは、こうして貧しい人間に厳しくする一方で、所得税の最高税率は引き下げた。70パーセントだった最高税率は、彼が大統領を退任するころには28パーセントになっていた。

 新兵器の開発、既存兵器の改良は積極的に進められた。費用が非常に高く、大幅に遅れていたMXミサイルの開発なども進んだ。これは、位置の特定を困難にし、ソ連の先制攻撃による破壊を避けるため、ループ状の地下坑道を移動する配備方式も検討されたミサイルである(訳注 のちの《ピースメーカー》ミサイルだが、結局、移動配備方式は採用されなかった)。レーガンは、ソ連の経済が停滞していることを知っており、おそらく追随することは難しいだろうと読んでいた。

 核兵器に向ける予算は飛躍的に増加した。1981年には、いわゆる「対ソ封じ込め政策」の提唱者であるジョージ・ケナンが、レーガン政権が無分別な核兵器の増強を続けていることを批判してこう発言している。
「われわれはこれまで、次々に武器を増やしてきた。ミサイルを次々に作り、破壊力をどこまでも高めてきた。やむを得ずそうしてきたのだ。催眠術にかかったように、半ば無意識に。夢の中にいる人のように。海に向かって行進するレミング(管理人注:集団自殺をする鼠の一種)のように」。

 レーガンが行なった愚かな政策は、なんと、今アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権がそっくり受け継いでいるではないか。ちなみにオリバー・ストーンはレーガンに対して
「レーガンは、歴代大統領の中でも、おそらく最も知的好奇心の乏しい人物であった。」
と、手厳しい人物評価をしている。その評価も安倍に当てはまる。『《沖縄に学ぶ》(43)』で、「安倍さんを表現するとき、私は、二つの『ムチ』に集約できると思うのです。ひとつはignorantの無知、もうひとつはshamelessの無恥です。」という安倍の恩師(加藤節名誉教授)による厳しい安倍批判を紹介した。ついでなので、レーガンを扱っている章の見出しから、アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権がやっていることを彷彿とさせるような項目を紹介しておこう。


 「想像を絶する」、レーガン大統領の知的レベル

 レーガン名物、「ほら話」

 大統領の無知・無関心につけ込む者たちの暗躍

 レーガン外交は「魔女の煮物」

 さまざまな思惑が交じり合い、何ができあがるのか誰にもわからない

 「人間の残虐さに鈍感な」アメリカ帝国

 「冷酷で、非人道的で、不公正な」国内政策

 児童扶養世帯扶助制度の改悪、メディケイドなどの予算削減
(管理人注:メディケイド=公的医療保険制度)

 停止していた核開発計画を再開

 さて、このレーガノミクスについて、白井さんは次のように解説している。

 当時のアメリカは「双子の赤字」と呼ばれる、貿易収支と経常収支の二重の赤字を抱えており、このままでは経済破綻しかねないと言われるほどの状況でした。その中でも、日米間での貿易不均衡、日本側の大幅な黒字が問題視されていました。これを解決する策として提示された経済政策がレーガノミクスでした。ちなみに「アベノミクス」の名前もここからとられています。

 レーガノミクスの面白いところは、国家が財政赤字に陥っているとき、普通なら増税を考えるところを、減税すべきだとしたところです。レーガン大統領は、減税すればするほど税収は増えるんだと、逆説的なことを言い出したわけです。

 レーガン大統領はイデオロギー色の強い人でもありました。反共産主義的な考え方から高負担高福祉の国家はソ連的であるとし、アメリカはアメリカらしくまったく違う考え方でいくべきだと主張します。そこで出てきたのが、税率を低くすれば低くするほどみんな一生懸命働くようになるので、かえって税収が増える、という魔法のような考えです。実際、この考えは当時「ブードゥー・エコノミー」と呼ばれ、眉唾ものであると見なされていました。この場合のブードゥーとは、「怪しい呪文を唱えているだけで意味がわからない」という意味です。

 レーガン政権は、具体的には、富裕層への減税を行ないました。というのは、そもそも貧困層への税率は低いため、富裕層に対する累進課税を緩和するほうが影響は大きいからです。

 では、レーガノミクスの結果、アメリカ経済は復活したのか。その答えは単純には言えません。短期的には、まさに「ブードゥー」だったと言えます。税率を下げたところで、生産性が上がったとはあまり言えず、税収もそれほど増えず、赤字は拡大していきました。とはいうものの、中期的にはアメリカに世界中のマネーが流れ込む仕組みをつくり、同国の覇権を延命させたと言えます。レーガン政権は、今日にまで続く世界的な新自由主義の流れを大いに促進することで、「偉大なアメリカ」を観念的に回復させたのです。

 しかし、長期的には、いわゆる経済のカジノ化をもたらし、それは2008年のリーマン・ショックでついに矛盾を露にします。明らかになった矛盾は、本質的にはいまも解決されてはいません。

《米国の属国・日本》(4)

二重の法体系とアメリカの二面性


 続いて白井さんは対米従属を考える上での大事な問題として「二重の法体系」と「アメリカの二面性」を取り上げている。前者について、私は《沖縄に学ぶ》の次の記事で詳しく取り上げている。
沖縄問題の本質(1):行政協定と地位協定(1)
沖縄問題の本質(2):行政協定と地位協定(2)
沖縄問題の本質(3):日米合同委員会(1)
沖縄問題の本質(4):日米合同委員会(2)
《沖縄に学ぶ》(28):沖縄問題の本質(5):日米原子力協定
沖縄問題の本質(6):爆音訴訟
沖縄問題の本質(7):米軍ヘリ墜落事故
沖縄問題の本質(8):日本には国境がない

 「二重の法体系」とは何か。白井さんは矢部宏冶著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を援用して論を進めているが、上の私の記事もその著書を利用している。上に提示した記事「沖縄問題の本質(4):日米合同委員会(2)」では「二重の法体系」のポイントを論じている矢部さんの論説を直接引用した。それを再掲載しておこう。

 深刻なのは、田中耕太郎が書いたこの最高裁判決の影響がおよぶのが、軍事の問題だけではないということです。最大のポイントは、この判決によって、
「アメリカ政府(上位)」>「日本政府(下位)」
という、占領期に生まれ、その後もおそらく違法な形で温存されていた権力構造が、
「アメリカとの条約群(上位)」>「憲法を含む日本の国内法(下位)」
という形で法的に確定してしまったことにあります。

 安保条約の条文は全部で10ヵ条しかありませんが、その下には在日米軍の法的な特権について定めた日米地位協定がある。さらにその日米地位協定にもとづき、在日米軍を具体的にどう運用するかをめぐって、日本の官僚と米軍は60年以上にわたって毎月、会議をしているわけです。それが「日米合同委員会」という名の組織なのですが、左ページの図(日米合同委員会組織図)のように、外務省北米局長を代表とする、日本のさまざまな省庁から選ばれたエリート官僚たちと、在日米軍のトップたちが毎月二回会議をしている。そこでいろいろな合意が生まれ、議事録に書きこまれていく。合意したが議事録には書かない、いわゆる「密約」もある。全体でひとつの国の法体系のような膨大な取り決めがあるわけです。しかもそれらは、原則として公表されないことになっている。

 そうした日米安保をめぐる膨大な取り決めの総体は、憲法学者の長谷川正安・名古屋大学誉教授によって、「安保法体系」と名づけられています。その「安保法体系」が、砂川裁判の最高裁判決によって、日本の国内法よりも上位に位置することが確定してしまった。つまり裁判になったら、絶対にそちらが勝つ。すると官僚は当然、勝つほうにつくわけです。

 官僚というのは法律が存在基盤ですから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体型)を優先して動くのは当然です。裁判で負ける側には絶対に立たないというのが官僚ですから、それは責められない。

 しかも、この日米合同委員会のメンバーがその後どうなっているかを調べてみると、このインナー・サークルに所属した官僚は、みなそのあと、めざましく出世している。

 とくに顕著なのが法務省で、省のトップである事務次官のなかに、日米合同委員会の元メンバー(大臣官房長経験者)が占める割合は、過去17人中12人。そのうち9人は、さらに次官より格上とされる検事総長になっているのです。

 このように過去60年以上にわたって、安保法体系を協議するインナー・サークルに属した人間が、必ず日本の権力機構のトップにすわるという構造ができあかっている。ひとりの超エリート官僚がいたとして、彼の上司も、そのまた上司も、さらにその上司も、すべてこのサークルのメンバーです。逆らうことなどできるはずがない。だから鳩山さんの証言にあるように、日本国憲法によって選ばれた首相に対し、エリート官僚たちが徒党を組んで、真正面から反旗をひるがえすというようなことが起こるわけです。

 この章のはじめで、私が沖縄に行ったきっかけは、
「鳩山首相を失脚させたのは、本当はだれなのか」
「官僚たちが忠誠を誓っていた『首相以外のなにか』とは、いったいなんだったのか」
という疑問だったと言いましたが、この構造を知って、その疑問に答えが出ました。  彼らは日本国憲法よりも上位にある、この「安保法体系」に忠誠を誓っていたということだったのです

 二つ目の「アメリカの二面性」については白井さんの論考を直接引用する。

 戦後、アメリカは日本を直接的・間接的に支配してきた。支配とは、力を担保として行なわれるものです。力の一つは、いわゆるハードパワーです。人を支配する、言うことを聞かせたいときに、どうすればいいか。最も単純な手段が暴力です。しかし、暴力のみによって人に言うことを聞かせるのは不安定だし、効率が悪い。そこで、自発的に言うことを聞くように仕向けるのが上手いやり方です。そうした手段は、政治学的にはソフトパワーと呼ばれています。

 これは言い換えれば文化的な力です。すなわち日米関係で考えれば、日本人がアメリカを好きになることが、アメリカにとっての力になるということです。もちろんアメリカニズムの流入は戦前からありましたが、戦後になると、その物量がまったく変わってくる。アメリカン・ウェイ・オブ・ライフやアメリカン・カルチャーヘの憧れが駆り立てられるということが、かなり組織的に行なわれていったわけです。

 ですから、アメリカの二面性と言ったとき、戦後日本に流入してきた「アメリカ的なるもの」とは、一方では「暴力としてのアメリカ」であり、それは端的に占領軍です。しかし、暴力の力だけで支配するというのはアメリカにとっても決して望ましいことではなかった。日本人が反米感情にとらわれるようになったら、東側陣営に走りかねない危惧があったわけです。ゆえに、暴力をどこかで担保しつつも、「文化としてのアメリカ」を同時に入れていく。この二つをバランスさせてきたわけです。

 このアメリカの二面性は、敗戦直後の日本人にとっては、まだ皮膚感覚で実感できたものでした。まず実際に、占領軍が目の前にいる。占領軍兵士と地域住民の間で、様々な軋轢が起こる。米兵による暴行事件や性犯罪が数多く起こった。まさに、「暴力としてのアメリカ」です。しかし、本土の基地が徐々に削減されていくことによって、「暴力としてのアメリカは後景に退いていくことになります。では、その削減されたものはどこに行ったのか。言うまでもなく沖縄です。

 こうして、本土では暴力的な側面は脱色されて、どんどん見えなくなっていきます。では、アメリカの暴力性が本当になくなったのかというと、そんなことはまったくない。アメリカは第二次大戦後も、常に大中小の戦争をやり続けてきた国なのですから。しかし、日本の本土においては、「暴力としてのアメリカ」を見ないで済むようになり、「文化としてのアメリカ」だけを享受するという巧妙な装置がつくり上げられていったわけです。その結果、ほとんどの本土の人間にとっては、アメリカの暴力が再び日本に振り向けられるかもしれないということが想定外になってしまいました。先の戦争で日本を打ち負かしたところのあの暴力が、再びこちらに向けられることがあるかもしれないという可能性をまったく考えなくなってしまったのです。このことが、本土で永続敗戦レジームに対する抵抗がまだ本格化しないことの理由の一つです。

 要するに、戦後日本はアメリカに対して、「基地でも何でも提供しますから、暴れるなら外でやってください」という態度を取ることで、「暴力としてのアメリカ」の面を巧みにやり過ごすことに成功したわけです。そのなかで、沖縄だけが例外でした。沖縄だけがアメリカの暴力性にさらされ続け、いまなおさらされている。だからこそ、「暴力としてのアメリカ」を想定外とする本土に対して、いま、沖縄は根本的な抗議の声を上げるに至っているのです。

 沖縄は、永続敗戦レジームの外部に位置すると同時に、「暴力としてのアメリカ」の側面を一身に引き受けることによって、本土でこのレジームが成立するための不可欠の要素であったわけです。沖縄で現在起こっていることについては、終章で触れますが、沖縄の問題を考えることは、永続敗戦レジームの本質の一端を明らかにすることでもあります。

 《沖縄に学ぶ》で学習してきた事を振り返れば、白井さんの論説には全て納得できる。

 「暴力としてのアメリカ」を沖縄に押しつけて、そんなものは元々なかったのだとすまし顔で、日本の権力の中枢に群がるエリートたちはどのように「文化としてのアメリカ」に拝跪してきたのか。白井さんは「幻想と利権共同体」と題して、この問題を取り上げている。

 結局、「暴力としてのアメリカ」が不可視化され「文化としてのアメリカ」のみが前景化した結果、いわば慈悲深いアメリカ、恵みをもたらすアメリカというイメージが、抱かれるようになっていきます。それは大日本帝国において、天皇が果たしていた役割を代行するものでもありました。その意味では、まさに慈悲深いアメリカという幻想をつくり出すことこそが、「永続敗戦レジーム」の生命線であると言っても過言ではありません。

 しかし、その中核部の実体は、政官財学メディアといったあらゆる業界に張り巡らされた対米従属利権共同体にすぎません。利権共同体そのものはどこにでもあるつまらないものです。そして、日本社会の中のごく限られた一部の人間がアメリカとうまくやっていて、そこから様々な利権を引き出しているというのならば、話は非常にわかりやすい。しかし、この場合、その利権共同体は政官財学メディアなどあらゆる領域に広範囲に張り巡らされているし、そうやって広がれば当然利権は広く薄く分配されますから、利権を独占している存在を特定することは難しくなる。さらには、この利権共同体の最重要の機能が、慈悲深いアメリカという幻想をつくり出すことによってこのような構造を不可視にすることにほかならないわけです。

 学問の世界から一例を挙げると、国際政治学という学問があります。国際政治学者が書いた本を書店で手に取ると、われわれプロは、目次より何よりまず著者の学歴経歴を見ます。翻訳書の場合は訳者の学歴経歴です。学歴経歴を見るだけで、その本に書いてある内容の八割九割はわかってしまう。どうしてか。まず国際関係論とか国際政治学を専攻している学者の多くがアメリカ関係の研究をやっています。日米関係やアメリカ外交ですね。戦後の日米関係の重要性に鑑みれば、国際政治学の専門家の多くがアメリカに関する研究をすること自体は不自然ではありません。

 問題は、この人たちがどのような教育を受け、どのようにキャリア形成をするかということです。その人たちの多くは、アメリカに留学をし、場合によってはアメリカで学位を取る。

 アメリカにおける国際関係論とはどういう学問なのか。これは「アメリカの国益を最大化するためにはどうするべきかを考える学問である」と明快に定義されています。アメリカ人がそういった学問 ―これほど政治的目的を前面に出した学問を学問と呼ぶべきなのか微妙ですが― をやるのは勝手ですが、日本人がアメリカに行って、この分野で学位を取り、当地の人脈をつくり、そして帰国後に日本の大学や研究機関で職を得て、講義や教育、あるいは政府の政策に助言をしたりする。そのことの意味を、よく考える必要があります。

 なぜわれわれが、国際政治学者の本を見るとき、学歴経歴から見るのか、察しがつくでしょう。何年アメリカで学んだのか、そこで学位は取ったのか、帰国後の就職活動で苦労しているか ――こうした点を見れば、本の内容はおおよそ推測できます。つまり、ある国際政治学者のアメリカ滞在歴が長く、帰国後あっという間に良いポストに就職しているというような場合、その著書の主張は、「日米同盟は永遠に続くべきである」というものであると、見当がつくのです。そのような結論ありきで書かれた書物に、当然知的緊張はありません。

 日本の権力の中枢に群がるエリートたちにとってはアメリカ留学は大変な箔が付く勲章なのだ。ここで思い出したことがある。つい最近話題になった学歴詐称問題だ。その話題人物の中に安倍総理と麻生副総理がいた。それぞれの公式ホームページに次のような学歴が書かれていたそうだ
安倍の場合
 1977年3月 成蹊大学法学部政治学科卒業
続いて南カリフォルニア大学政治学科に2年間留学
麻生の場合
 1963年 学習院大学政治学部卒業
続いてスタンフォード大学大学院に2年間留学
さらに2年間ロンドン大学政治経済学院へ留学

 その後、この留学という詐称学歴は削除されたそうだ。悲しいかな、ウソをついてまで勲章を欲しがる無知・無恥ぶりを発揮するような人物が総理・副総理にしてしまう国民も無知にして無恥と言わざるを得ない。
《米国の属国・日本》(3)

対米従属、その内実の変遷(3)


 GHQの占領政策がGS的なものからG2的なものに変わって行ったが、それは、GHQの消滅後、日本の政治にどのように引き継がれていったのだろうか。白井さんは現在に至るまでの経緯を次のように論じている。

 90年代に『人間を幸福にしない日本というシステム』という本で官僚支配の続く日本社会を批判し、有名になったオランダ人ジヤーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレンさんと対談をしたときに、「なるほど、オランダの人からはこう見えるのか」と興味深く聞いた話があります。

 ウォルフレンさんは、戦後の日本の社会党 ―いまは社民党ですが― の流れをとても批判的に見ています。自民党政権がこれだけおかしくなったのも、社会党がだらしがなかったからだというわけです。いわく、社会党は、結局現実路線を取ることができず、空理空論ばかり唱えていたからダメになってしまった、ヨーロッパにおける社会民主主義政党(マルクス主義の革命論を放棄した)のように変身を遂げることができなかった。だから、今日の日本の政治状況をつくり出した罪は社会党にもある、と。

 前章で社会党が戦後の現実に対応できなかったことを指摘しましたが、そこでも述べたとおり、ウォルフレンさんの主張には首肯できる点がある。しかし、ちょっと違うのではないか、と思うところもあります。どういうことかと言えば、いま述べてきたように、すでに占領期の段階で、GHQの内部で、GSとG2の間に激しい権力闘争があったわけです。両者の対立は、当初はGSが優勢でしたが、最終的には逆コースの中で関係が逆転する。当時起きた昭電疑獄事件(1948年)とか炭鉱国管疑獄問題(1947―48年)などの汚職系の政治スキャンダルの背景にも、実はGSとG2の対立があったと言われています。

 こうした暗闘の結果、GSが劣勢になり、G2は日本の保守勢力、とりわけ旧ファシスト勢力との結びつきを強めていくわけです。まさしく、「永続敗戦レジーム」の主役中の主役と呼ばれるべき勢力と結びついていく。

 サンフランシスコ講和条約締結によって占領期が終わると ―もちろん米軍は駐留し続けていますが― GHQによる直接的な政治支配はなくなります。では、その後、GS的な民主主義推進勢力はどうなったのでしょうか。

 ウォルフレンさんは、社会党のほかにも、作家の大江健三郎氏の政治的スタンスを強く批判していました。社会党や大江さんは、日本の保守政治を批判してきたけれども、言っていることはまるで非現実的で、GHQの言っていたこととほとんど変わらない、というのです。大東亜戦争を実行した軍国主義国家としての日本などいまでは存在しないのに敗戦直後の占領軍のような言説を千年一日のごとく繰り返しているのはおかしいではないか、と。彼が言ってることは、ある意味で的を射ています。社会党や大江健三郎的な保守政治批判というのは、確かに、占領期にGSが言っていたことを受け継ぐものです。

 つまり、次のように整理できるでしょう。GHQの消滅後、G2的なるものは戦前とのつながりを色濃く残す保守派へと受け継がれ、日本の国家権力と一体化する一方、GS的なるものは、占領軍という後盾を失った形で社会党などの左派へ受け継がれました。

 G2的なるものからすれば、GSによる改革の成果などどうでもよく、国家権力の行使に際して邪魔くさいものでしかない。だからいま、永続敗戦レジームの純粋形態としての安倍政権ならびに極右的政治家たちは、戦後民主主義改革の成果を次々に覆そうという意志を露にしています。自民党の新憲法草案は、その最も見やすい現れです。

 GSの遺産の守り手たちから見れば、この状況は「ほら、言わんこっちゃない」というものにほかなりません。戦後日本の民主主義は本当には定着していないという状況判断があったからこそ、彼らは、例えば憲法の問題にしても、「指一本触れてはならない」という立場を堅持してきました。

 ウォルフレンさんに言わせれば、現に自衛隊が存在し、海外派遣すらされているのだから、文字通りの護憲など欺瞞にすぎない、ということになる。しかし、このような欺瞞の中にとどまることが、国家権力を背景にできないGSの遺産の守り手たちにとって、永続敗戦レジームの地金が露出することを防ぐ唯一の手段であったのだとすれば、それは単なる空理空論だったとは言えない。「日本の保守支配層は、彼らの憧憬する戦前のレジームを隙あらば取り戻そうとする」という彼らが繰り返してきた批判は、実際に当たっていたのです。

 この状況は、ある意味で、占領期のGSとG2の暗闘が、役者を替えていまだにズルズル引き続いているようなものです。外から見れば、日本は先進自由民主主義国であるかのように見えるかもしれませんが、このような不毛な現実を内在させ続けてきたことは、事実なのです。

 こうしてGSとG2の流れは、明らかに戦後の保守と革新のそれぞれの系譜へと結びついていくわけですが、保守の側が方針としたのは、政治・経済的な次元での対米従属を通じた対米自立ということでした。他方、リベラルや左派の側は思想的次元で同様の軌跡を描いてきました。

 戦後の左派やリベラルが価値観として最も盛んに強調してきたものは、民主主義です。そもそも民主主義は、GHQが戦後改革の柱として強調したものであり、アメリカの国是でもあります。これを重視するということは、左派やリベラルは思想的な次元でアメリカに依存しているということになります。

 そして、アメリカに対する思想的な次元での依存を、今度はアメリカに対する批判の根拠にしていくことになるわけです。例えば、ベトナム戦争のごとき侵略戦争を行なっているアメリカには、本当の民主主義はないというような論理で、アメリカから受け取ったものをアメリカ批判の根拠にしていく。あるいは、憲法九条にしても、起源においてはアメリカの側から強制されたものなのですが、これを通じて、戦争ばかりしているアメリカと日本の間に一線を画そうとしていくわけです。こういう具合に、保守・リベラルともに、アメリカに対する依存と自立の志向が絡み合った非常に複雑な状況のもと、歴史は推移してきました。

 ところが、長いあいだ極めて複雑かつ、捻じれもはらんだものであったアメリカに対する関係は、現在では驚くほど単純になっています。例えば、2015年9月に成立した新安保法制の成立過程を見ても、その本質はとてもシンプルです。新安保法制は、衆議院の憲法審査会に招致した憲法学者三人全員から「違憲」との判断を下されました。自民党が呼んだ憲法学者まで、「違憲だ」と言ったのです。にもかかわらず、そんなことは政府の側は何にも気にしませんでした。なぜかといえば、それは、「アメリカ様がやれと言ってるから」、「アメリカ様にもう約束してしったから」という、きわめて単純な理屈です。

 先に述べたように、岸信介が60年安保で取り組んだゲームが複雑なものであったのとは対照的に、現在の安倍晋三首相のロジックは異様なまでにシンプルなものになっています。2015年の夏、戦後70年の談話を彼は発表しましたが、その中で、あの戦争における日本の過ちは「国際秩序への挑戦者となってしまった」ことだと述べています。この言い方は、あの大戦を総括するにあたって使われるものとしてはやや珍しい。

 この件が、現存する「国際秩序」の善悪如何を問わず、「現存の国際秩序に挑戦すること自体が悪いことなのだ」と言っているのだとすれば、そこには重大な含意があることになります。現代の国際秩序とは、不安定さを増しているとはいえ、アメリカ中心のそれであることは確かです。これが良いものであろうがなかろうが、それに挑戦すること自体が罪深いことである、ということになる。こうなるともはや、従属と自立をめぐる複雑なゲームをやる能力も意思もないらしいと判定せざるをえません。

 上の引用文中に出てきたウォルフレンという方も、その著書『人間を幸福にしない日本というシステム』も私は全く知らなかった。<注>には次のように紹介されている。

 この著書は当時30万部以上のベストセラーとなった。この中でウォルフレン氏は、日本の民主主義は常に「中味のない貝殻のようなもの」であり、「その殻のなかで実際に機能している権カシステム」を「官僚独裁主義」と名付けた。
 カレル・ヴァン・ウォルフレン著、篠原勝訳『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』毎日新聞社、1994年。
 白井聡さんとカレル・ヴァン・ウォルフレンさんの対談本『偽りの戦後日本』KADOKAWA/角川学芸出版、2015年。

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 ウォルフレンさんの著書で翻訳出版されているのが外にもあるだろうかと、利用している図書館の蔵書を調べてみた。結構沢山あるので驚いた。また、その内容紹介を読むと全ての著書が今テーマにしている問題と重なっているので、すごく興味を引かれ、読んでみようかと思った。以下は私のためのメモなのだが、興味をお持ちの方もいるかと思い、ここに記録しておくことにした。出版年代順に紹介する。

『日本/権力構造の謎』(1990)
(内容紹介なし)

『人間を幸福にしない日本というシステム』(1994)
 官僚批判の火付け役となった「日本/権力構造の謎」につづき、本書では「政治化された社会」等の新概念で日本のリアリティーにさらに深く斬り込む。

『なぜ日本人は日本を愛せないのか:この不幸な国の行方』(1998)
 ウソばかり聞かされてきたのだから、国を愛せなかったのも無理はない。日本の栄光の時代が終わった今こそ、真実に目を開こう。「人間を幸福にしない日本というシステム」に次ぐ渾身の論考。

『怒れ!日本の中流階級』(1999)
 「おとなしい中流」が「怒れるブルジョア」に変わるとき、この国のすべてが幸福な方向へ一変する。最高の日本分析家が心からの同情を込めて、21世紀ニッポンのただ一つの希望の道を説く。

『世界が日本を認める日:もうアメリカの「属国」でいる必要はない』(2005)
 高度経済成長達成から目標を見失ってしまった日本人。大国アメリカが壊れていくなか、日本は世界秩序の安定に貢献する存在となれるのか。未知なる危機に直面した国際社会のなかで、日本という国家が果たすべき役割を探る。

『もう一つの鎖国:日本は世界で孤立する』(2006)
 日中関係、日米関係、米中関係がシフトチェンジの時をむかえている今、日本はかつてない重要な選択を迫られている。40数年間にわたり日本の変化を見つめ続けてきた著者が、ニッポンの外交に警鐘を鳴らす。

『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』(2007)
 アメリカの覇権は終わり、すでに世界はアメリカ抜きで動き始めている。日本はいつまでアメリカに縋りつくのか?アメリカの不在が露わにしつつある政治・経済の新しい現実を、綿密な取材と緻密な分析で明らかにする。

『アメリカとともに沈みゆく自由世界』(2010)
 オバマ大統領の不作為によって、さらに危険な国家へと変質しつつあるアメリカ。この現実を見誤るとき、世界はかつてない混乱に巻き込まれる―。ポスト・アメリカの時代を政治・経済の両面から透徹した論理で分析し警告する。

『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』(2012)  漠然とした不満を驚くほど多くの日本人が感じているのはなぜか―。アメリカの庇護と官僚独裁主義に甘んじてきた日本社会の本質を喝破。政権交代、金融危機、東日本大震災等を経て、迷走を続ける日本へ新たな指針を示す。

『この国はまだ大丈夫か』(2012)
 日本はなぜ改革が進まないのか。小沢一郎はなぜ消されようとしているのか。アメリカはもはや盟友ではないのか。官僚の力はどうして削がれないのか。日本分析の第一人者による語りおろしを収録する。

『人物破壊:誰が小沢一郎を殺すのか?』(2012)
 「人物破壊」というキーワードから、政治家・小沢一郎を巡る騒動の背景に、国家を支配する非公式権力の姿が浮かび上がる。日本の権力構造を見つめ続けるオランダ人ジャーナリストが「画策者なき陰謀」の正体を喝破する。

『日本を追い込む5つの罠』(2012)  アジアを搾取しアメリカ経済すら破壊するTPP、「国家なき国」の犠牲となり続ける沖縄の基地問題…。震災後の日本を追い討ちする“本当の危機”を直視せよ! 世界の権力地図が塗り変わる今、指針を示す。 孫崎享共著『独立の思考』(2013)
 TPP、半島・尖閣有事、普天間問題…。日本人はいつまで騙され続けるのか? 外交から日本の問題を読み解いてきた孫崎享と、官僚を出発点に日本社会を論じてきたウォルフレンが、共に行き着いた対米追随という元凶を論じる。

『日本人だけが知らないアメリカ日本に巣喰う4つの“怪物”』(2014)
 保守化する日本と塗り替えられた世界“権力”地図。混迷極める欧州からの警告を直視せよ―。知日派ジャーナリストが、日本人の未来を閉ざし、民主国家を害するポリティカル・モンスターの正体を明らかにする。

『偽りの戦後日本』(2015)
 1945年の「敗戦」を認められない日本人は、「戦後70年」という巨大な欺瞞の構造をいつまで放置し続けるのか―。原発、基地問題から安倍政権の本質まで、独立なき「永続敗戦」の現実を直視する日欧の論客が語りあう。
《米国の属国・日本》(2)

対米従属、その内実の変遷(2)


 白井さんは
「複雑な対米従属の構造の原点は、占領期にあります。そこにすでに複雑な構造が発生していました。GHQの占領方針が途中で転換したうえに、それに関連して内部が一枚岩ではなかったからです。」
と書いている。占領期の対米従属については、私はシリーズ「昭和の抵抗権行使運動」の中で、「アメリカ属国化路線を敷いた張本人」と題して、7回(2008年10月3日、4日、10日、13日~10月16日の記事)にわたって取り上げた。そこでは、属国化路線を敷いた張本人としての天皇ヒロヒトの言動とそれに対するGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の対応を追った。これに対して、白井さんはGHQの占領方針の転換に焦点を当てている。

 GHQの中にはGS(民政局)とG2(参謀二部)という二つの有力な分局(セクション)があった。
GSは
 文民出身者によって構成されていた。社会民主主義的な思想を待ったニューディーラーが数多く所属し、民主主義改革について熱心な勢力であった。
G2は
 生粋の軍人によって構成されていた。パワー・ポリティクス的な論理によって、民主化よりもとにかく日本を冷戦構造の中でうまく利用することを重視した勢力であった。

 占領期初期の財閥解体、軍国主義の打破をはじめとする民主主義改革を意図した政策は、そのほとんどがGSが企画立案したもだった。つまり、占領初期においては、GSがGHQにおいて中心的な役割を果たしていたのだった。
 しかしGHQは、東西対立が激しくなると、民主化よりも反共主義の方が優先されるという政策転換が行なった。いわゆる「逆コース」である。朝鮮民主主義人民共和国の樹立(1948年)、続いて中華人民共和国の樹立(1949)、そして1950年には朝鮮戦争が勃発する。そうした中で、日本を民主化することよりも、冷戦構造下のアジアにおける米軍の拠点にしていくことの方が重要視されるようになってきた。

 GHQの政策転換を象徴する事項が1947年2月1日に実施を計画していた「2・1ゼネスト」に対するマッカーサーよる中止命令である。それまでは労働組合の結成や活動を民主化に資するものとして積極的に後押ししていたのが、「逆コース」をたどることになった。1949年立て続けに起こった国鉄三大謀略事件(7月6日下山事件、7月15日三鷹事件、8月17日松川事件)に代表されるように、労働組合、そしてその背後にいる日本共産党への圧力が高まっていった。そして1950年になると、レッドパージと公職追放解除が進行し、自衛隊の前身である警察予備隊が組織されて再武装が着手される。この一連の事件は、GSとG2の関係が逆転したことを表している。

 以上のようなGHQの政策転換に応じて対米従属の内実も変化していく。白井さんは「確立の時代」「安定の時代」「自己目的化の時代」という三つの時代区分を提示して、その変化を次のように解説している。

 「確立の時代」というのは、占領期から保守合同による55年体制の成立を経て、おおよそ60年の安保闘争あたりまでを指します。この時期が「確立の時代」だというのは、逆に言えば不安定な時期だったということでもあります。敗戦後の社会の根本的な不安定さの中で、支配層からすれば、何とかしてこの構造を確立させなければならなかった。またこの頃は、共産主義革命の可能性がまだリアルに感じられた時代です。それが、60年安保を支配権力の側か乗り切ったことで、何とか一定の安定に到達したわけです。

 そこから対米従属の「安定の時代」に入りました。この時代に日本は、「安定」を背景として驚異的な経済的成功を収めます。この状況を決定的に終わらせたのは冷戦構造の崩壊でした。ですから、「安定の時代」は冷戦終焉までということになります。

 冷戦が終わった時点で、日本が無条件的な対米従属をしている合理的な理由が無くなりました。なぜなら、「共産圏の脅威」があったからこそ、米軍の駐留を無限延長させ、アメリカを親分として仰いできたはずだからです。ところが、その後の25年間に何が起きたかというと、かつては依存と自立の志向が複雑に絡み合ったものであった対米従属構造が変質し、盲目的従属が深まっていくという摩詞不思議なことが起こったわけです。

 「確立の時代」と「安定の時代」においては、対米従属は、まずは強いられたものであったと同時に国を復興しなければならないという合理的な理由づけから始まり、共通の敵に一丸となって対峙するため、という理由づけがなされました。この二つの時代においては、対米従属を正当化することが可能だったわけです。

 ところが、90年代以降は、明らかに正当化が難しくなりました。その中で、日本の対米従属の特殊性、その歪んだあり方が際立ってきています。やめられないのはなぜか。それが「自己目的化」しているからです。明確な目的、国を復興させて、国民を豊かにしようという目的があり、そのための手段として対米従属があったはずが、いまや対米従属することそれ自体が目的になってしまった。

 こうして、90年以降から現在まで、55年体制から本当の意味で脱却することに失敗し続けた結果、今日の日本はまさに「永続敗戦レジーム」の名にふさわしい状況になってしまったわけです。

 ここで「永続敗戦」という概念が出てきた。白井さんは「序論」の中で、この概念の意味を次のように解説している。
「最も簡潔に言えば、負けたことをしっかり認めないので、ズルズルダラダラと負け続けることになる、という状態を意味します。」

 この概念の初出は白井さんの前著『永続敗戦論』である。そこでは加藤典洋著『敗戦「後」論』 を分析しながら、この概念に到達している。その部分を引用して置こう。

 話を加藤典洋の議論に戻す。そこにおいて問題とされるべきはむしろ、加藤が『敗戦「後」論』という枠組みで問題を提起していることである。右に述べてきたように、今日表面化してきたのは、「敗戦」そのものが決して過ぎ去らないという事態、すなわち「敗戦後」など実際は存在しないという事実にほかならない。それは、二重の意味においてである。敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。無論、この二側面は相互を補完する関係にある。敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況を私は、「永続敗戦」と呼ぶ。

 安倍政権は得意げに「戦後レジームからの脱却」というスローガンを繰り返し述べ立て、同じように無知な支持者たちはが喝采をしている。私には、実際に行なっているあからさまな対米従属ぶりからは「戦後レジームの堅持」をしているとしか見えない。で、彼らが言う「戦後レジームからの脱却」とは何かというと、宗主国・アメリカが絶対認めるはずがない、いやまともな日本人が絶対認めるはずがない時代錯誤の大日本帝国の復活なのだ。上の引用文に続いて、白井さんがこうした問題を語っているので、少し長くなるが、その部分も引用して置こう。

 永続敗戦の構造は、「戦後」の根本レジームとなった。事あるごとに「戦後民主主義」に対する不平を言い立て戦前的価値観への共感を隠さない政治勢力が、「戦後を終わらせる」ことを実行しないという言行不一致を犯しながらも長きにわたり権力を独占することができたのは、このレジームが相当の安定性を築き上げることに成功したがゆえである。彼らの主観においては、大日本帝国は決して負けておらず(戦争は「終わった」のであって「負けた」のではない)、「神洲不敗」の神話は生きている。しかし、かかる「信念」は、究極的には、第二次大戦後の米国による対日処理の正当性と衝突せざるを得ない。それは、突き詰めれば、ポッダム宣言受諾を否定し、東京裁判を否定し、サンフランシスコ講和条約をも否定することとなる(もう一度対米開戦せねばならない)。

 言うまでもなく、彼らはそのような筋の通った「蛮勇」を持ち合わせていない。ゆえに彼らは、国内およびアジアに対しては敗戦を否認してみせることによって自らの「信念」を満足させながら、自分たちの勢力を容認し支えてくれる米国に対しては卑屈な臣従を続ける、といういじましいマスターベーターと堕し、かつそのような自らの姿に満足を覚えてきた。敗戦を否認するがゆえに敗北が無期限に続く ―それが「永続敗戦」という概念が指し示す状況である。

 そして今日、このレジームはもはや維持不可能なものとなった。ひとつには、グローバル化のなかで「世界の工場」となって莫大な国力を蓄えつつある中国は、日本人のかかる「信念」が中国にとって看過できない害をなすのであれば、それを許容しはしないということ。そして第二には、1970年代以降衰退傾向を押しとどめることのできない米国は、冷戦構造の崩壊以後、日本を無条件的同盟者とみなす理由を持たない、という事情が挙げられる。そのとき、米国にとっての日本は、援助すべき同盟者というよりも収奪の対象として現れる。だが、こうした客観的情勢にもかかわらず、「侮辱の体制」はいまだ頑として聳え立っている。