2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(108)

終末論の時代(43)

「独占資本主義の終末」補充編(28)

羽仁提言「三つの原則」の検討(26)


原則3:「発展途上国との共生」(9)

日本の対アフリカ援助の問題点(2)

 TICADは大規模な国際会議であり、国内外から多くの要人が参加している。しかし石田さんによると、第一回~第三回の会議の内実は「要人たちの顔合わせや外交的なコンセンサスを形成することが目的」となっていて、アフリカ問題に対する「具体的な戦略が検討されたことを想像するのは難しい」といった内容だったようだ。TCSFは「TICAD Ⅳ」にむけて、TICADが真にアフリカ問題に向き合うことを願って、次のような二つの提言をしている。

提言4
第4回アフリカ開発会議を貧困削減・飢餓撲滅と格差解消の機会に!


 第4回アフリカ開発会議を政策決定者の儀礼の場で終わらせるのではなく、アフリカ民衆を主役とするアフリカ開発を実現するための画期的機会とするための提言である。

 まず、第4回会議のテーマは、アフリカの参加を得て決めるべきと考える。外務省では、
①成長の加速化、
②平和の定着、MDGs達成を含む「人間の安全保障の確立」、
③環境問題・気候変動問題への取り組み
を第4回会議の3本柱とすると発表している。しかし、これはアフリカ開発のための会議である。アフリカの人々の知らないところで議題を勝手に決めるべきではない。

 アフリカの市民社会組織と協議してきた結果、第4回会議は「貧困削減・飢餓撲滅と格差解消」を使命とすべきと考える。会議では、アフリカと日本の政策決定者、アフリカと日本の市民が、貧困削減・飢餓撲滅と格差解消について、過去5年間のアフリカ各国、世界、そして日本の努力の経験を引き出し、来る5年間に向けて、民衆が主役となる開発について合意を形成し、世界の世論をリードしていくべきと考える。

 次に、第4回会議では、市民社会の正式な参加を実現すべきと考える。アフリカ開発会議の場に市民が正式に参加し、広く情報が公開される初めての会議とすべきである。アフリカ開発会議の場において、市民社会を通してアフリカ民衆の声を伝え、アフリカ開発の政策策定にアフリカ民衆や市民社会が参加する第一歩を踏み出すことが重要である。

 アフリカと日本の市民社会は、同会議発足以来、正式な参加を求め続けてきたが、いまだ実現していない。アフリカ開発会議において開発のために真剣な議論が交わされ、日本とアフリカの市民が広く関心をもち、アフリカの貧困削減と格差解消に役立つには、市民社会の正式参加が不可欠の条件となるであろう。

提言5
第4回アフリカ開発会議で日本の新たなリーダーシップを!


 私たちは、日本政府が第4回アフリカ開発会議において以下の公約をし、続くG8サミットにおいて、アフリカ支援強化実践へ向けて国際社会を牽引することを求める。

 TICAD市民社会フォーラムの提案する「第4回アフリカ開発会議における日本政府の公約」

1. 2013年(第5回アフリカ開発会議開催予定年)までに、ODAの対GNI[国民総所得]比0.7%目標を達成する。

 国連は、2009年までに少なくとも対GNI比0.5%の達成を求めている。私たちは、日本が2015年のMDGs達成に向けて、2013年の第5回会議までにGNI比0.7%を達成すると約束することを求める。第4回アフリカ開発会議と洞爺湖G8サミットでは、日本はG8議長国として率先して自らの約束を果たし、ほかの参加国にも実現を迫るべきである。

2. これまでのODA公約を誠実に履行する。

 小泉首相(当時)は2005年のグレンイーグルズ・サミットに際して、2005年から2009年の間に、無償援助を中心に100億ドルをODAに追加することを宣言する一方、2005年4月のアジア・アフリカ会議(通称バンドン会議)では、2007年までに対アフリカODAを2003年に比べて倍増すると発表した。しかし、この増額分には、債務削減関連の資金も計上されていた。日本政府はこれらの約束を、債務削減の進展とは別に「真水」で実現すべきである。なぜなら、過去の借金の棒引きでは、貧困者に届く資金は増えないからである。

3. ODAの質の改善を図り、次回のアフリカ開発会議までにアフリカ援助を4倍増とする。

 MDGs達成が困難であることが明らかになっている今、日本は第4回アフリカ開発会議およびG8サミットのホスト国として、対アフリカ協力の議論をリードしていくためにも、第4回会議のモニタリング・評価体制を整備して、日本の対アフリカ政策の成果を公表し、さらに、次回の会議までにアフリカ支援を2005年に比べて4倍増にすべきと考える。

4. 対アフリカ援助は、無償援助を4分の3以上とする。

 アフリカ各国への支援に占める無償援助の割合は、4分の3以上とすべきである。アフリカの公的部門の援助吸収能力・大型インフラの経済効率ともに極めて低いこと、そしてアフリカの最貧国向けとしては借款による支援は不適切であることは、すでに明らかである。アフリカに対する借款は、効率的な使用と確実な返済が可能で、貧困者の利益となるような革新的な制度を探るべきである。それが確立されるまでは、試験的な供与以上に踏み込むのは、貧困者にとって望ましいことではない。

5. 債務削減プロセスヘの市民の参加を拡大する。

 1996年以降、HIPCsイニシアティブ[重債務貧困国イニシアティブ]による債務救済が開始され、貧困国の債務削減が進んでいる。しかし、貧困者は債務削減の利益を十分に受け取っていない。債務削減は、政府の貧困との闘いへの財政支出の増加と貧困者支援の効率化、民主主義の前進をもたらすものでなければならない。債務削減が貧困者の利益となるためには、債務削減プロセスにおいて市民社会が必要な役割を果たすことが重要である。さらに、債務削減が日本国民の理解を獲得するには、日本の市民社会の債務問題へのコミットメントを高めなければならない。債務に関する情報の公開を進め、債務削減プロセスヘの市民参加を求め、アフリカと日本の市民社会が、この分野で対話と協力を進める枠組みを保障するべきである。

6. 「アフリカ・日本新パートナーシップ宣言」を採択する。

 第4回アフリカ開発会議が対アフリカ協力の新たな出発点であることを示すために、アフリカと日本で新パートナーシップ宣言を提案することを求める。ただし、私たちは、宣言の内容を一方的に提案することはしない。宣言は、アフリカと日本の市民社会・政府が共に考え、合意するべきもので、私たちだけで決めるものではないからだ。

 以下に、日本の市民社会組織として、TICAD市民社会フォーラムが宣言に含むべきと考える点を提案する。
(1)
 新しい協力の基礎となるODAに対する共同評価を市民と共に実施する。
(2)
 アフリカ向け円借款の本格的再開の前に、市民と共に評価を行う。
(3)
 アフリカ各国に、それぞれの国と日本の市民社会組織による市民委員会を設置し、ODAの政策決定から執行に至るまでの市民の参加を求める。
(4)
 アフリカと日本の市民社会組織間の連帯強化のために、3万人の交流を目標とするエクスチェンジ・プログラムに公的支援を行う。

 以上のような五つの提言を総合して、これまでのTICADの批判とこれからのTICADの在り方について、具体的の次のようにまとめている。

アフリカ開発会議のこれから

 アフリカ開発会議は1993年に初めて開催されたとき、当時最大のドナーであった日本が国際社会に対してアフリカ支援の必要性を訴え、アフリカヘの支援低下に歯止めを掛ける役割を果たしたことで、アフリカの民衆にも間接的な利益をもたらした。しかし、その後方向性を失っていく。日本のODAでは、アフリカのシェアも絶対額も増加せず、アフリカ協力の制度的革新はみられず、民間投資や貿易を拡大することにも成果はみられない。アフリカと中国やインドとの経済的な関係の急速な進展と日本のODA総額の減少によって、アフリカの経済成長促進には日本が当面大きな役割を果たすことができないことも明らかな今、アフリカの指導者、企業家からの期待は低下している。

 こうしたなかで開催される第4回会議では、主催者のみならず、アフリカ諸国、アフリカ市民社会も交えて、アフリカ開発会議再生について検討する必要がある。TICAD市民社会フォーラムでは、今後同会議が、アフリカの民衆とともにアフリカの開発を考える会議に生まれ変わることによってこそ、再生されるものと考える。このためにも、アフリカ開発会議へのアフリカと日本の市民社会の正式参加を実現しなければならない。同会議の再生を探る上では、その実施体制について以下を検討する必要がある。


 アフリカ開発会議を政府首脳のみならず、市民社会の正式参加による国際会議とする。 ②
 アフリカ開発会議を、AU[アフリカ連合]の開発フォーラムヘと転換する。

 AU、アフリカ諸国、市民社会と共に、アフリカ開発会議の目的と機能を再定義する。

 新開発フォーラムには、独立した常設の事務局を設置する。


 さらに、これまでのアフリカ開発会議では、日本の対アフリカ政策や日本のODA政策、具体的な戦略が議論されることはなかった。しかし、実質的な成果やインパクトを生み出し、MDGsの達成を目指す上で大きな貢献を果たすためには、同会議において、以下の議題について議論し、戦略を打ち出すことが重要であると考える。


 市民社会や住民の開発プロセス参加推進のためのエンパワーメント[empowerment 力をつける(与える)こと]と、相手国政府が民主化を進め、市民社会や住民参加への支援体制を強化するための法制度整備。


 アフリカ政府による汚職、差別や暴力などについて、市民社会と協力し、相手国政府の行政に切り込むための対策強化。


 第4回アフリカ開発会議戦略の具体的出発点として、貧困削減・飢餓対策のために、日本、アジア、アフリカの農業・農村開発の知見・経験をレビューし、気候変動や環境問題の視点からの分析を踏まえ、アフリカの農村開発に関する総合的な調査の実施と、アフリカや日本の市民社会を交えた具体的アクションプランの作成と実施。


 貿易・投資や経済成長を促す上で、アフリカ、日本、そしてアジアの民間企業や、市民社会、住民や農民が、日本のODAを活用可能とするための制度整備。

 アフリカと日本の市民の相互理解と連携を強化し、アフリカ民衆による、アフリカ民衆のためのアフリカ開発を実現するために、第4回会議を契機に、アフリカ開発会議の有効性が再建されることが重要であると強く訴える。また、第4回会議が、G8サミットと同じ年に、同じ日本で開催されることを単なる偶然に終わらせず、日本社会がアフリカの貧困削減のために再び国際的統一行動をとれるよう関心を喚起することも同会議の従来からの、そして新たな「使命」であることを忘れてはならない。

 以上のような提言をもとに、どのような活動が行なわれ、どのような成果を上げたかは、前回に紹介した「TNnet活動報告書」に詳しく記録されている。また、外務省HPの「第四回アフリカ開発会議(TICAD IV)(概要と評価)」を読むと、多くの提言が取り上げられていることが分る。

 思い掛けず長くなってしまった(なんと、約2年半かかった)が、ずいぶんと色々な学習ができた。これで《『羽仁五郎の大予言』を読む》を終わることにします。
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《『羽仁五郎の大予言』を読む》(107)

終末論の時代(42)

「独占資本主義の終末」補充編(27)

羽仁提言「三つの原則」の検討(25)


原則3:「発展途上国との共生」(8)

日本の対アフリカ援助の問題点(1)

 「TICAD」と略称されている国際会議がある。日本政府、国連機関(UNDP[国連開発計画]、OSSA[アフリカ担当事務総長特別顧問室])、世界銀行などの共催で、5年に1度開催されている「アフリカ開発会議(Tokyo International Conference on African Development)」である。「TICAD Ⅰ」は1993年に開かれている。

 「TICAD Ⅳ」(2008年7月7日~2008年7月9日)に向けて活動していた日本のアフリカ関連NGO27団体がアフリカのNGOとともに「政策提言」活動をすることを目指して、「TICAD Ⅳ・NGO ネットワーク」(略称TNnet)を結成した。(TNnetの活動の詳細については「TNnet活動報告書」で知ることが出来ます。)

 そのTNnet結成を主導しその事務局を務めたのは「TICAD市民社会フォーラム」(略称「TCSF」)というNGO法人である。TCSFは「TICAD Ⅳ」に向けて、アフリカの人々へ届く支援の実現を目指して、アフリカと日本の市民の手によって2004年6月に結成されたNGOである。これからお世話になる<参考書2>はTCSFが出版した「アフリカ政策市民白書」(第1号~第3号 2005年~2007年)を一冊にとりまとめた本であり、著者の石田洋子さんはそのNGOの副代表を務められていた方だ。なお、TCSFは2009年3月に活動を終了している。

 さて、「TNnet活動報告書」によると、TNnetが結成された経緯は、次のようである。
 「TICAD Ⅲ」の直前に開催されたシンポジウム会場で、アフリカのNGOから日本のNGOに対して次のような指摘があったという。
「TICADや日本政府が問題だ問題だというけれど、こんなTICADを許してきたのは主催国の日本の市民社会の責任ではないのか? 私たちは、毎回会議が近づくと急に呼び出され、会議が終わるとその後何の音沙汰もないままに何年も過ぎ、また呼び出されることの繰り返しである。これでは、本当にアフリカの市民社会の声を日本に届けようとしているとは思えない。日本の市民社会は、アフリカに来て活動をすることよりも、自分の国の政府・社会を変えることからやってほしい。」
 この指摘を真摯に受け止めて結成されたのがTNnetである。

 石田さんはそれまでの日本政府の対アフリカ政策や日本市民のアフリカ理解を次のように批判している。

 日本政府の対アフリカ政策は、投資・貿易関連はほとんどなく、ODA関連が大部分を占める。しかし、後述するとおり、アフリカの開発ニーズは高いものの、日本の対アフリカ援助額は、アジア諸国に対する援助額に比して非常に低い。また、アフリカに進出する日本企業もまだ限られているのが現状である。そして、「アフリカのような遠いところで起こっている出来事は、日本には関係ない」とか、「アフリカの開発は、旧宗主国であっ たヨーロッパや、米国が担うべきだ」と考えている日本人は少なくない。しかし、本当にそれでいいのだろうか。

 テロや紛争、感染症、環境など地球温暖化の問題、グローバライゼーションによる経済成長や格差の拡大、石油などの資源の問題等、これからは、日本だけ、アジアだけではなく、地球規模での問題解決が求められる。また、同じ人間として、人道的な観点から、アフリカで苦労している人たちを理解し、支援していこうという考えをもつことは自然ではないだろうか。

 アフリカにおける貧困削減を実現するためには、日本国民もこれまでのようにアフリカや日本のODA事業に無関心ではいられない。アフリカの民衆と協力して、アフリカの貧困者に届く支援をすることの一翼を担うことが、日本国民にも求められる。ODAや非政府組織(NGO)による活動に注目して、参加し、現状を知る。そして、貴重な税金を使って行われるODAの便益が、アフリカの貧困者にまで届いているかどうか、ODAを監視して、成果を知り、失敗やその原因を知り、改善を求めていくことも必要である。

 そこには無駄な時間や、無駄な資金を費やしている余裕はない。このままでは、日本のODAは、日本国民からもアフリカからも見捨てられてしまう。あるいは、日本自体もアフリカから見捨てられてしまうかもしれない。

 モヨさんは援助に代わる第1の資金源として「貿易・外国直接投資」を挙げていたが、「投資・貿易関連はほとんどなく」と嘆いているように、石田さんもそうした政策が必要なことは十分承知している事だろう。しかし石田さんは、ODAを止めるのではなく、その在り方を改善する方向の提言を行なっている。その提言は最終章(第11章 提言)でまとめられている。それを読むことにする。

 まず、提言の基本理念を次のように述べている。

 今、アフリカ諸国はいくつかの重要な選択肢に直面している。つまり、腐敗・人権侵害と格差を伴う成長か、民主的で安全で平等な成長か、ローカルまたはグローバルな環境面での持続性か、などという選択肢である。私たちは、アフリカ諸国がそのいずれの道を進むことを支援すべきであろうか。TICAD市民社会フォーラム(TCSF)では、アフリカの平和と貧困解消に寄与し、環境面での持続性も考慮した、民主的で平等な成長を支援したいと考える。成長の果実がごく一部ではなく、圧倒的多数の民衆の手に届くような、また、民衆がアフリカの主人公となれるような発展を心から望み、活動を行っている。

 日本として、日本国民として、そして日本の市民社会として、アフリカ諸国やアジアの国々、国際社会と、どのような協力ができるのか。今話し合われ、行動へと踏み出すべきだと考える。第4回アフリカ開発会議は、このためにまさに最適なタイミングで実施される。後悔することのないよう、この機会を生かしていくことが責務であると信じ、日本の対アフリカ政策と第4回会議の開催について、以下を提言する。これらの提言は、アフリカ開発への支援は国益のためではなく、貧困や飢餓から脱却するために苦しみ、闘っている人々を、同じ人間として支援するという、人間の根源にかかわる思いから行われるものであるという、TICAD市民社会フォーラムの信念に基づくものである。

 ODAに対しては三つの提言、TICADに対しては二つの提言を行なっている。長いので、今回はODAに対する提言を紹介して、TICADに対する提言は次回に紹介する。

提言1
アフリカ民衆への支援をODAの柱に!


 困難な環境の下で貧困と闘う世界の人々に敬意を表すとともに、ODAは、世界から貧困をなくすために使うべきだと主張する。貧困者への支援は、日本国憲法の国民の誓いにも書かれているからである。[憲法前文ですね。]

 また、後発開発途上国人口の約60%が暮らし、1日Iドル未満で生活する人々の割合が41%と世界で最も多いアフリカに、ODAを優先的に配分することを求める。アフリ力は、人々の暮らしが最も厳しく、MDGs[Millennium Development Goals ミレニアム開発目標]の達成が困難視されている唯一の大陸である。MDGsを2015年に達成できるよう、アフリカ民衆の闘いを支援する上で、国際社会、特に経済規模が世界で上位にある日本が、アフリカヘ向けた開発協力の質を改善し、また金額を大きく増やしていく必要があると考える。

 ODAの目的は本来、OECD/DAC[経済協力開発機構/開発援助委員会]によって「相手国の経済発展と福祉の向上」と定められている。しかし、2007年に入って発表された自民党や経団連の外交関連提言では、「ODAは国益実現のための戦略的ツール」との認識が前面に出ており、アフリカの貧困者への連帯や想いがほとんど感じられない。

 こうした主張は国際的に認められないだけでなく、これでは日本のODAは狭い自国利益のために行う身勝手な援助としか理解されないであろう。

提言2
アフリカ開発のオーナーシップをアフリカに!


 アフリカのオーナーシップを前進させていることは肯定的な変化である。こうした改革は、援助の問題の半分が援助側にあることを認めている。オーナーシップ、つまりアフリカに決定を委ねることによって援助は改善できることが、ようやく認識されてきたといえよう。援助する側が、一方的に資金配分を決めたり、好みの事業を援助したり、援助機関・国別に異なる手続きを押し付けることの弊害は、いまや広く知られるようになった。

 改革の流れのなかで、特に重要な意味をもつのはパリ宣言[2005年3月に採択]である。パリ宣言の根幹は、受益国側のオーナーシップを認め、援助改革が必要なことを認めただけでなく、援助側に指標と日程を定めて改革を迫っているところにある。

 日本政府がパリ宣言作成に果たした役割を評価するとともに、これを誠実に履行することを強く求める。また、中国等の新興ドナー国も、アフリカ向けの援助を行う上で、このパリ宣言に沿った援助を行っていくことが重要になっている。

 アフリカに向けたODAは、パリ宣言を尊重した援助になること、さらに、日本および国際社会がパリ宣言を乗り越えて進むことを求める。

 パリ宣言は、開発の主体をアフリカの政府とみなしている。しかし、開発の真の主体はアフリカの民衆である。民衆の自立的な発展を容易にすることがODAの目的であり、ODAによる産業用のインフラ建設や、政府の強化はそのための手段にすぎないことを忘れてはならない。

提言3
アフリカ民衆を、アフリカ開発の主役に!


 アマルティア・セン[インドの経済学者。アジア初のノーベル経済学賞受賞者]が指摘するように、貧困からの解放とは、アフリカの人々が自らの運命の主人公となることだと考える。所得は暮らしの重要な要素であるが、貧困には所得貧困から非所得貧困まであり、多面である。アフリカの人々が運命の主人公となるためには、日常的な生活やその経済活動においてだけでなく、外部との協力においても、その舵はアフリカの人々が握るべきである。

 アフリカの民衆を信頼し、協力の方法と執行・管理を共に考え、彼らに決定権を委ねることによってこそ、支援は貧困者の自立に役立つはずだ。アフリカから遠く離れた私たちが、アフリカの草の根の人々が必要とすることを知っているとうぬぼれたり、彼らがすべきことを指図したり、民衆への政府の支配力を強化する援助を増長するべきではない。

 私たちが主張するのは、日本が設計した事業に貧困者の参加を求めるのとは異なる。ODA全体の配分、モダリティ[事態に対する話し手の判断や認識]、事業設計に至るまで、アフリカの政府、市民社会、民衆に決定権を委ねることである。この実現のためには、政府以上に民衆と市民社会の能力強化が必要であり、ODAの大半を民衆と市民社会が直接利益を受けるものへと転換することが必要とされる。私たちは、アフリカ民衆にアフリカ開発の主役の座を戻すために、民衆や市民社会組織の能力強化、民衆の生活自立化支援(マイクロクレジット[貧困者への小額の融資]等)の強化が不可欠と考える。そして、市民社会が自らのガバナンス[統治]やアカウンタビリティ[責任、責務]の強化に尽力することも重要と考える。

 市民社会の能力強化とネットワーク構築へ向けて、TICAD市民社会フォーラムでは「アフリカパートナーシップ基金」の創設を提案している。「アフリカパートナーシップ基金」とは、アフリカが市民社会と創り出す新しい国際協力のガバナンスの試みである。この基金の運用は、政府と市民社会の平等なパートナーシップに基づいている。アフリカとドナー双方の政府は開発実施者の立場で、また双方の市民社会は貧困者を代表する立場で運営に参加する。

 アフリカ全体のレベルでは、アフリカ諸国と市民社会の連合が資金の地域配分を協議する。国別の運営会議では、政府・市民社会が資金の配分、支出制度、モニタリング[調査・分析すること。監視すること]について協議する。基金は広く国際社会に開かれたもので、他の援助国・機関の参加も自由である。基金の試みは細心の評価を経て、既存の援助モダリティと比較されなければならない。この試みの教訓は広くODA改革に生かされるべきであり、高い成果が上がるのであれば、日本のODAを漸次基金に移行することを提案する。

 このような提言が実行されれば、ODAも極めて有効な援助になるだろう。しかし、未だに「成長の果実がごく一部」に留まり、「圧倒的多数の民衆の手に」届かず、「民衆がアフリカの主人公となれるような発展」とは無縁の負の援助が行なわれている国もあるようだ。本日(11月28日)の東京新聞朝刊にアフリカ歴訪中のローマ法王フランシスコの動向を伝える記事があった。27日ケニアの首都ナイロビを訪れた法王は貧民層の置かれている現状を知って、激しい怒りを示したという。そのことを記事は次のように伝えている。

 清潔な飲み水や電気がない都市周辺部に貧困層が追いやられている状況について「恐ろしく正義に反する」「新しい植民地支配の形」と語り、貧富の格差に激しい怒りを示した。

 水道などの公共サービスや教育施設が整備されず、治安も悪いスラムの現状を訴える住民の声に耳を傾け「少数の人々が富と権力に執着して自分本位に浪費する一方、大多数の人々が不潔で荒廃した周辺部に住むことを余儀なくされている」と指摘した。

《『羽仁五郎の大予言』を読む》(106)

終末論の時代(41)

「独占資本主義の終末」補充編(26)

羽仁提言「三つの原則」の検討(24)


原則3:「発展途上国との共生」(7)

アフリカでのODA問題(3)

 自発的に援助依存から抜け出るにしろ、ドナー側から援助を打ち切られるにしろ、そのときその国に何が起こるだろうか。いや、アフリカの国々はどのような政策を進めるべきだろうか。モヨさんは、全てのドナー国が、飢饉や自然災害のような個別の緊急援助は例外として、従来行なってきた援助を5年後に打ち切ると被援助国に告げた、という想定で、その後に遂行すべき政策を次のように提言している。

 まず、当該国の援助への依存を年々減らす経済計画が必要となる。たとえばドンゴ国の場合、援助は毎年14パーセント減って、現在財政収入の75パーセントを占めている援助は5年後には5パーセントに減るだろう。最初の年にドンゴ国は、援助から75パーセントではなく61パーセントの収入を得ることとなる。ドンゴ国は必要となる14パーセント分の不足資金を援助以外の方法で見つけ出さなければならない。2年目にはドンゴ国は援助以外で28パーセントの財政資金を見つけなければならず、翌年にはこれが所要資金の半分近い42パーセントとなる。

 では、その時々に出てくる不足資金をどこから捻出すればよいのだろうか。前回の冒頭でモヨさんがその資金源として「貿易・外国直接投資・資本市場・海外送金・マイクロファイナンス・貯蓄」などを挙げていることを紹介したが,まずはどこら始めるのが適切だろうか。

 最終的には当該国がどこに資金を求めるかは、その国固有の状況による。たとえば、アフリカの大多数の国がそうだが、ザンビアやケニアやウガンダのように商品作物に支えられた輸出志向の国の場合であれば、中国や他の新興経済国との貿易を増大すべきだ。また、最近新たに信用格付けを獲得したアフリカ15ヵ国の場合、ガボンやガーナの先例に続いて資本市場からの資金調達を検討すべきである。
 資金計画がいったんできあがり、ドンゴ国がいくら調達できるかが判明した後の第二段階では、それを超えて生活しないよう慎重なルールを徹底する必要がある。収入が減った家庭と同じく、ドンゴ国には二つの道がある。支出額を切り詰めるか、それとも、一定の支出を支えることができる資金をどこからか調達することである。支出の削減は、学校や病院やインフラではなく、宮殿、自家用ジェット機、パリのシヤンゼリゼでの買い物旅行といった不要不急の経費が対象とならなくてはならない[政治権力者たちが汚職により援助から手に入れた金の使い道。第4章でひどい汚職の例がいくつか記録されている]

 援助と異なる方法の資金調達によって、腐敗の余地が減り、学校、病院、インフラはいずれにせよ安価になるだろう。しかし、以前と同水準の支出を維持するためには、ドンゴ国は、他の収入手段を開拓することが必要になる。本書の提案を採用することで利用可能な資金の調達方法は、単に支出水準を維持することを助けるだけではなく、それ自体が経済の成長と課税可能な中間層の増大を促し、ドンゴ国の代替収入源を拡大するだろう。

 もちろん、政府が悪ければ、このような新しい資金が昔ながらの不正な支出に使われることを止めることはできない。いくつかのアフリカ諸国のリーダーは、ロンドンの高級デパート、ハロッズでの買い物で有名なジンバブエのグレース・ムガベ大統領夫人のように、買い物旅行にご執心なことで知られているし、さらに他の誰かが同じ誘惑に駆られるかもしれない。だが援助は口の締まらない財布のように、このような行為を毎年許していたが、本書が提案する方法で民間資金を使えば、一回限りでその資金は逃げて行く。たとえば、もしある政府が債券で調達した資金を盗用したり、輸出に懲罰的な関税をかけたりすれば、貸し手は二度と資金を貸さず、輸出業者は輸出を停止するだろう。そんなことを繰り返していくうちに、食い物にしようとする経済のパイはどんどん小さくなり、最終的には消えてなくなってしまう。ジンバブエのムガベ大統領がかくも長く続いた理由は、ジンバブエ経済が元気だったからではなく、2006年に3億ドルの外国援助が流れ込んだように、 間違いなく多額の外国援助に支えられてきたからだといえる。実際、援助がなければ、ムガベ大統領はとうの昔にいなくなっていたはずだ。また、外国直接投資については、たとえば中国のように、出し手は何らかの見返りを期待している。仮にもし流入した資金の80パーセントが盗まれたとしても、資金の出し手は、道路に出したなら道路建設を求め、商品に出したならその商品の購入を要求するだろう。資金の盗用があることは決して理想的状況とはいえないが、少なくとも一部は国の収入となり利益となる[中国とアフリカとの良好な関係は第7章で論じられている]

 本書が提案するモデルの第三の段階は、制度・機構の強化である。われわれの提案の核心は説明責任(アカウンタビリティ)である。良き公共財を提供し、民間部門が繁栄できる透明かつ健全な環境を保証する責任がある人々は、それに失敗したとき責任を取らなければならない。アカウンタビリティの欠如は、まさに援助モデルのアキレス腱でもある。

 デービッド・ランデスは『国家の繁栄と貧困』(Landes 1998)の中で、成長と発展のために理想的な政府について以下のように述べている。
「私的財産権を保障し……貯蓄と投資を促進し、個人の自由の権利を保障し……専制の乱用と犯罪や腐敗の双方を防止し、契約による権利を守らせ……公に知られる原則により統治される……安定した、えこひいきや地位による利益配分のない実直な、税を引き下げて社会の余剰利益を求めない、効率的で貪欲ではない統治を行う政府といえよう。」

 しかし、これは大多数のアフリカ人が暮らしている世界ではない。援助に依存する彼らの世界では、政府はこれらの任務にものの見事に失敗してきた。

 続いて、アフリカ援助の成功例として、先ほど登場した中国のアフリカ進出についてまとめた部分を引用しよう。

 アフリカを終末に運ぶ四頭建ての馬車である汚職、疾病、貧困と戦争は、容易に国境を越え、西側諸国をアフリカ諸国と同様の危険にさらす。そして、収奪され欧州の銀行口座に送られた資金はテロ活動家の資金となる恐れがあり、疾病、貧困、戦争は、法的権利を持たない難民と歯止めのきかない移民の波を誘発し、西側諸国の経済に法外な負担を強いる恐れがある。

 西側諸国が全く無視していても、また好むと好まざるとにかかわらず、中国のアフリカ進出が続いている。世界的な優位を狙う彼らがその組織的活動を強めているのがアフリカである。中国人は何においても経済を最優先に考えているが、彼らはそのうちアフリカ全体で銀行、土地、資源を所有するだろう。そのとき、彼らの聖戦は終わる。彼らは勝利を得るだろう。

 中国による支配を今の一般的アフリカ人が心配しているかいないかという問いは、的外れである。アフリカの人々がどれだけ自由と権利を重視しているかを過小評価すべきではない。彼らは自由と権利を重視しているのだ。しかし、ドンゴ国の田舎の女性にとっては、目下の関心は40年後の彼女の政治的自由の危機よりも、今夜の食卓に食べ物を乗せることにある。そして中国は、今日の食卓上の食べ物、明日の子どもの教育、そして予見可能な将来に彼女の仕事を支える経済基盤を約束しているのだ。

 西側諸国の犯した間違いは、何かを与えるのに際して、何も対価を求めなかったことである。中国の成功の秘密は、彼らのアフリカヘの急進出のすべてがビジネスだったことだ。西側諸国はアフリカに援助を贈り、成果を気にしなかった。このことが、利権集団を作り、膨大な数の人々を富から排除したために、政情不安を引き起こした。

 一方、中国は、現金をアフリカに送り、見返りを求めた。その見返りによって、アフリカの人々は仕事や道路や食料を得て生活を向上させ、少なくとも当分の間、表面的な政治的安定が得られている。経済こそが重要なのだ。シンガポールの例のように、たとえ民主主義がなくとも、中間層市民が経済的により裕福になれば平和がもたらされることが証明されている。アフリカの例では、もし平均的ケニア人が現状より経済的既得権や利害関係を持っていなかったとすれば、2008年の騒乱はもっと長引いていたであろう。他の社会同様、常に不幸にして経済活動に十分に参加できず経済成長の恩恵に与れない周縁部の人々がいるため、そのような騒乱状況が、長引くだけ長引いたかもしれない。中国のアフリカヘの進出は続き、西側諸国は危険を冒してまでそれを無視している。

 十年一日のごとき開発処方便や過去のものとなった古い組織に、何らかの役割があるのであろうか。アフリカが持続的成長と貧困削減を真に達成するよう支援するためには、間違いなくこれらはいらない。その目標を達成するためには、あたかも悪魔との取引で身を滅ぼしたファウストの契約のような、今の援助に依存した開発政策を切り捨て、開発論議を支配している硬直化した政策や手続きから離れる必要がある。幸いにして、正しい方向に向かっての動きが、遅々としてではあるが、出てきている。公の批判を気にしてか、あるいは開発ゲームの中での主導的役割が低下していることを恐れてか、国際機関はその主張のトーンを変えている。

 誰が新しい開発の方向性をより具体化できるのかという視点から、開発援助機関の上層部に新興世界の発想をより多く取り入れようという圧力がテクノクラートや政治家から出ている。実際、2008年、世界銀行は、これまで欧米人が占めていた同行第二位のポストであるチーフ・エコノミストに中国人のジヤスティン・リン(林毅夫)を選んだ。

 また、官民協働(Public-Pribate Partnership)とか債券資本市場(Debt Capital Market)や海外居住者向け債券(Diaspora Bond)などの民間資本からの開発資金の調達(Private-Capital Solution)といった用語が、開発専門用語の中に浸透してきた。この動きは、今ある開発モデルを単に生き延びさせるのではなく、それに多分に疑問を呈し、民間部門の役割をより重要視する流れの中で起きている。これは疑いなく良いスタートである。また、ヘッジ・ファンドや国際銀行やプライベート・エクティ・ファンドといった何十億ドルのいわゆるスマート・マネーがアフリカに向かいだしている。アフリカにとっての民間資本の時代は今まさに始まったところであり、その傾向が続くよう大事に育てていくことが必要である。

 これまでの過ちを止め、文字どおりの厄災を正し、アフリカ経済を強固な基盤の上に乗せるためには、しなくてはならないことはたくさんある。援助国や国際援助機関は開発イデオロギーを、多分に国家統制主義的だった1970年代の誤った経済政策から、ワシントン・コンセンサスの背後で生まれ今日論じられている良い市場重視政策へと切り替えるよう勧奨されなければならない。その一方、われわれは彼らに対し、援助の排除なくしては、新しく、より良くなるはずの開発の体制が、見かけ倒しで無駄で、さらには災厄でさえあり続けるだろうということを気づかせる必要がある。

 アフリカの開発が陥っている袋小路の現状は、開発のために何が役に立ち何が役に立たないかについて、新しいレベルの自覚、より大幅な革新、さらには真摯な誠実さを求めている。そして、一つ確実にいえることは、援助への依存は役に立たなかったということである。援助依存の悪循環を止めようではないか。

 ここで<参考書3>終わることにして、次回は<参考書2>を用いて日本のODA援助の問題点を調べることにする。

〔追記〕
 ネット検索をしていて、「Forbes JAPAN」というサイトで『日本では見えない「アフリカの政治、社会、ビジネス」の実態』という表題のモヨさんへのインタービュー記事に出会った。残念ながら、全文ではなく抜粋記事だが、現在のアフリカの様子が語られていてとても参考になると思ったので、転載させて戴くことにした。

 (中略)一方で、アフリカには、多くの可能性があるのも事実だ。意外と知られていないが、現在、アフリカの少なくとも20カ国が信用格付けを取得し、株式市場も存在する。株式市場の流動性も確実に高まっており、アフリカ全体で取引される銘柄は約1,000で、その85%以上が非市況銘柄(ノンコモディティ)だ。個人消費の伸びによって、小売り・物流・通信・金融などの分野が、株式市場を牽引している。

 政治の面でもここ数年で自由で民主的な体制へと大きな転換が見られた。アフリカ諸国で安定した市場としては、経済規模第1位のナイジェリアに加え、ケニア、タンザニア、ウガンダ、ボツワナなどの国が挙げられる。現在、東アフリカ諸国は、ケニアを中心にウガンダやタンザニアなどが、経済統合を目指して、域内協力を進めており、この地域の将来には、私はかなり楽観的な見方をしている。

 ケニアを例にとれば、携帯電話の普及率が、2013年には71%まで伸びた。その普及により、さまざまな情報が得られ、生活が便利になった。たとえば、農村部で飼っている牛を売ることにしたとしよう。A町では50ドル、B町では70ドルで売れる。その情報は携帯電話から得られる。携帯電話による情報流通の改善が、経済活性化に寄与し、生活を豊かにするという循環が始まっているのだ。あるいは、医者が町に来ることを知らせるメールを受け取ることもでき、それは医療環境の改善につながる。

 アフリカの投資といえば中国の積極的な進出が話題だ。昨年、私は習シー近チン平ピン国家首席と北京で会談する機会を持ったが、中国のアフリカ進出は、非常にグローバルな視点に立っていることを確信した。中国は、自国経済の長期的発展のために、アフリカに戦略的に進出しようとしている。一般的に、中国の投資対象は一次産品や天然資源に限定された単純な投資プランだと思われがちだが、じつは、アフリカの大手銀行の株を20%保有するなど、小売業や銀行にも投資し、その投資が戦略的かつ市場本位の合理的な考え方に基づいたものであることがうかがえる。  アフリカの人々は、一方的で柔軟性のない戦略でアフリカに進出されることは決して望んでいない。当事者間でいままで以上にビジネスや投資機会に関して、慎重かつ綿密な協議が行われることを期待している。 (以下略、)

《『羽仁五郎の大予言』を読む》(105)

終末論の時代(40)

「独占資本主義の終末」補充編(25)

羽仁提言「三つの原則」の検討(23)


原則3:「発展途上国との共生」(6)

<アフリカでのODA問題(3)

 ODA援助がアフリカ諸国に真の自立をもたらさないからとその援助を受けないとしても、持続的な経済発展を遂げるためにはそれに代わる資金が必要である。モヨさんはその資金調達の代替方法として貿易・外国直接投資・資本市場・海外送金[海外で活躍しているアフリカ人から家族への送金]・マイクロファイナンス[貧者向けの小規模金融]・貯蓄などを提言してる。では、これらの方策がどのように持続的な経済発展に貢献できるのか。アフリカ諸国の国内事情はさまざまだが、モヨさんはその典型として「ドンゴ共和国」という仮想の国を設定して議論を進めている。では、「ドンゴ共和国」とはどのような国か。アフリカが抱えている問題点の総まとめにもなっているので、読んでみよう。

 ドンゴ共和国について説明しよう。人口3000万人。平均余命40歳(65歳だったものが、この20年で、主にエイズの蔓延によって40歳にまでなってしまった。都市部では成人の3人に1人がエイズに罹患している)。年間1人当たり所得は300ドルで、国民の70パーセントが1日1ドル以下で暮らしている。過去20年間の年平均経済成長率は1パーセントだったが、この5年で見れば、銅の国際市況がよかったので5パーセントになっている。ドンゴ共和国の主要輸出品は、銅、金、綿花、砂糖などである。政治体制は、20年間、同じ政党の一党支配が続き、同じ大統領が支配していたが、10年前に表面的には民主体制になった。

 ドンゴ共和国はこのような国だ。もちろん、仮想的な国だが、多くのアフリカの国は、みなこのようなもので、1960年代にヨーロッパ諸国より独立するという国の成り立ちも、またその後の発展もよく似ている。社会主義国も1970年代から動き出し、1980年代半ばに民営化を進め、グラスノスチ、ペレストロイカの後、民主体制に移行した。

[訳者注:グラスノスチ、ペレストロイカ
 ペレストロイカは、1985年にソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフが提唱・実践したソ連経済のリストラ・経済改革のこと。グラスノスチは、ペレストロイカと表裏一体をなす政府活動の情報公開のこと。]


 トランスペアレンシー・インターナショナル[Transparency International(略称:TI)は、腐敗、特に汚職に対して取り組む国際的な非政府組織]の腐敗認識指数(CPI:Corruptoin Perceptions Index)でドンゴ共和国は3になった(10段階の評点で0が一番悪い)。1980年代、ドンゴ共和国の対外債務は30億ドルにまでふくれあがり、これはGDPの2倍、教育予算と保健予算合計の3倍に当たる。21世紀初頭の債務救済のおかげで、ドンゴ共和国の債務はとても少なくなった。さらに毎年何百万ドルの援助を依然として受けている。援助はGDPの10パーセントで、国の財政収入の75パーセントにもなる。

 ナイジェリアやマラウィと同じくドンゴ共和国も1960年代に独立した。ウガンダやボツワナ同様、エイズに悩まされている。ザンビア、マリ、ベナン、コンゴ民主共和国(旧ザイール)同様、ドンゴ共和国も一次産品(鉱産物と農産物)輸出に依存している(たとえば、ザンビアの輸出の6割は銅、ナイジェリアの輸出の95パーセントは石油・ガスである)。ガンビアやエチオピアのように財政収入の97パーセントを援助に依存するほどではないが、それでもドンゴ共和国は予算の大半を援助に頼っている。ケニア同様、ドンゴ共和国の民主主義は脆弱で、外的要因に影響されやすい。多くのアフリカ諸国と同じく(そしておそらく途上国一般かもしれない)、人口構造を見ると若者が多く、国民の半分以上が15歳未満である。ドンゴ共和国も多くの近隣諸国と同じく、政治不信、国内の騒乱、内戦などできわめて不安定である。

 20年後、ドンゴ共和国の若者はどうしているだろうか。きちんと教育を受けた官僚、政治家、エコノミスト、知識人がいなくては、国は没落するしかない。ドンゴ共和国は変わることができるだろうか。あるいは20年後も依然失望と絶望の連鎖に悩まされているのだろうか。

 本書は、個別の開発政策を論じたものではない。エイズに対処するにはどういう政策が優れているかとか、どんな教育政策がいいか、といった個別の政策を論じてはいない。そうではなく、開発に必要とされる資金をどう調達するかを考えたものだ。どんな開発戦略をとるにせよ、経済発展は実現されなくてはならない。そのためには、ドンゴ共和国は、これまでの援助依存の発展モデルを捨て去り、本書の提案を全面的に採用しなくてはならない。

 経済開発に必要とされる資金をどう調達するかは、とても重要だ。ベストの開発戦略をとったとしても、それを実現する資金計画が杜撰だと、開発はうまくいかない。ドンゴ共和国が、資本主義的な経済政策をとっているか社会主義的な経済政策をとっているかは問題ではない。要は、どうやって開発資金を調達するかだ。資本主義経済であれ社会主義経済であれ、自由市場で資金を調達しない限り、長期的な発展はおぼつかない。

 はっきりと論じてはいないが、本書では、開発資金調達は自由市場体制に基づくものを重視している。そういうと、社会主義的政策(たとえば無料の教育や無料の医療)をとる国が、国際資本市場で資金調達ができるか、と疑問を持つ読者もいるだろう。答えはイエスである。スウェーデン、デンマーク、ノルウェーを見るといい。その国が、社会的、政治的、経済にどんなイデオロギーを持っていようと、援助よりはましな資金調達の方法はあるのだ。

 社会主義的価値観を維持しつつ、自由市場的な手段をとることができるだろうか。答えはもちろんイエスであり、そうしなくてはならないと思う。社会主義的手段(たとえば増税)で政府が資金調達をしているときでも、経済発展を成功させるためには、一部は市場から資金を調達すべきである。

 この後モヨさんは、冒頭で紹介した援助に代わる資金調達の代替方法の一つ一つについて、実際の国々の現状を分析しながら、ドンゴ国が選ぶべき道を探り出している。これを全部取り上げると長くなりすぎるので、ここではこの部分は割愛する。次回は全体のまとめの最終章(第10章 「アフリカに真の開発を」)を読むことにする。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(104)

終末論の時代(39)

「独占資本主義の終末」補充編(24)

羽仁提言「三つの原則」の検討(22)


原則3:「発展途上国との共生」(5)

アフリカでのODA問題(2)

 善意にもとづくものであったとしても、単なる施しのような援助は真の援助にはならない。問題点をモヨさんは「マクロとミクロのパラドックス」と呼んで、次のように解説している。

 蚊帳をつくる者がアフリカにいると仮定しよう。彼は一週間におよそ500張りの蚊帳をつくる。彼は10名の従業員を雇用し、その従業員1人ひとりは、(アフリカの他の多くの国と同様に)15名以上の扶養家族を養わなければならないとする。彼らがどんなに一生懸命働いても、十分な量のマラリア予防のための蚊帳をつくることはできない。

 そこでハリウッドの映画スターが登場し、マラリアが蔓延する地域に100万ドルの費用で10万帳りの蚊帳を送るよう欧米諸国の市民に声高に働きかけ、彼らの政府を鼓舞するとしよう。その後、外国製の蚊帳は現地に届き配布されて「善行」は成し遂げられる。

 しかしその結果、市場には外国製の蚊帳が溢れるようになり、地元で蚊帳をつくる者はすぐに仕事を失う。彼の10名の従業員はもはや150名を超える扶養家族を養うことはできない(彼らはもはや施し物に依存するしかなくなる)。そして、5年もすれば外国製の蚊帳は破損し使用に堪えなくなる。

 これがマクロとミクロのパラドクスである。短期では即効性のある行動も、持続可能な長期の便益をもたらすことはまれだ。さらに悪いことに、現地において、脆弱なものであっても持続的な発展のための機会が生まれているにもかかわらず、(外国製の蚊帳を大量に援助することにより)知らず知らずにその芽を摘んでしまう可能性があるのである。

 確かに一見すると援助は役立っているように見える。しかし、全体を通して見れば、アフリカにおける全般的状況は改善しておらず、実際のところ長期的には悪化している。

 ほとんどすべてのケースにおいて、短期の援助の評価は、援助の成功という誤った印象を与える。しかし、短期の援助の評価は、アフリカにおいて長期の問題に取り組む場合にほとんど役に立たな い。援助効果は、長期の持続的成長にどれほど貢献したかで評価されるべきであり、持続可能な手法によりどれだけ多くの人々を貧困から救済できたかという観点から評価されるべきである。このようなレンズを通して見ると、援助は目標を達成ていないことが分かる。

 続けてモヨさんは、このようなパラドックスを回避する援助の仕方の一例として、次のような事例を取り上げている。

 その一方で、(2005年カンザス・シティにおいて開催された食糧援助会議において打ち出された)食糧援助に関する提案は援助の新しい方向性を示すものであり、それはアフリカの農民を救済するものとなる可能性がある。この提案によれば、アメリカの「平和のための食糧援助」予算に基づく食糧援助の4分の1は、アメリカ産の食糧ではなく貧しい国々において生産される食糧の調達によって賄われることになるのである。この戦略は、アメリカ産の食糧を途上国の市場に溢れさせることで途上国の農民から職を奪うのではなく、援助資金を途上国の農民から食糧を調達するために使い、その調達された食糧を困窮している住民に配布することを可能にする。蚊帳の例でいえば、ドナーは外国製の蚊帳を供与するのではなく、地元で蚊帳をつくる業者から購入し、それを地元で売却するか供与できたのである。このような発想がもっともっと必要なのである。

 まさしくこの方向が「共生」への道であろう。しかし、実際に行なわれている援助の多くは施し援助に終わっているようだ。モヨさんは、援助を大量に注入すればアフリカの貧困問題は解決すると主張する人たちは「援助の根幹に横たわる一つの問題」を見逃していると言う。その問題点をめぐる考察から、モヨさんは「援助そのものが問題なのだ」と結論づける。

(その問題点とは)、特定の目的のために確保された資金が容易に他の目的― 成長にとって有害ではないとしても無意味な課題 ―のために使われうるというファンジビリティ(資金の流用可能性)の問題である。援助の擁護者自身、抑制のない援助資金の流入には、それが投資に使われたり、公共のために使われるのではなく、個人のポケットに入るなど言語道断な形で使われうるリスクが常につきまとうことを認識してきた。このようなことが起きても― 実際、よく起こるのだが ―何らの実際の処罰や制裁が科されることはなかった。それゆえ無償の援助が多くなれば多くなるほど、腐敗のリスクが高まるのである。

 援助の失敗に関する最も憂うつな側面というのは、ドナー、政策策定者、政府、経済学者を含む学者および開発専門家がみな、援助が役立っていないし、役立ってこなかったし、これからも役立ちそうもないことを心の奥底では察知しているということである。少なくとも一人のドナーの代表のコメントとして、かつてのイギリス貿易産業省の主任エコノミストは、「彼らは援助が役に立たないものだと知っているが、しかし、それは『売れる』のだ」と語っていた。

 数十年に及ぶ巨額の援助が開発の観点から目に見えるインパクトをもたらしてこなかったことを示す研究は枚挙にいとまがない(その多くはドナーによる研究である)。たとえば、Clemens et al.(2004)は、援助には成長に対する長期のインパクトはないと認めている。貯蓄と援助との間には相反するネガティブな関係が見られることをHadjimichael et al.(1995)とReichel(1995)が見出している。Boone(1996)は、援助は投資よりも消費に使われ、外国援助は非生産的な公共消費を増大させ、投資促進には失敗していると結論づけている。

 ざっとデータを見ただけでもアフリカでは援助は増え続けてきたが成長は低下し続け、貧困が増大していることが分かる。過去30年間、最も援助に依存してきた国々の年平均経済成長率はマイナス0.2パーセントであった。

 援助という形での外国からの介入は、ほとんどの国々で貧困へ向けての劇的な転落という結果をもたらした。1970年代以前のザンビアはほとんどの経済指標が上向きの軌道を描いていたにもかかわらず、10年後のザンビアは経済的な荒廃に見舞われた。元世界銀行エコノミストのウィリアム・イースタリー・ニューヨーク大学教授は、もしザンビアが1960年以降に受け入れたすべての援助を投資に転用し、かつ、そのすべての投資が成長に回っていれば、1990年代初めにはザンビアの一人当たりGDPは2万ドルに達していたであろうと推計している(Easterly 2003, p.33)。 実際にはザンビアの一人当たりGDPはその頃500ドル以下であり、1960年の水準より低かった。ザンビアの所得は現状の少なくとも30倍になっていたはずなのである。アフリカヘの援助量がピークにあった1970年から1998年の間、アフリカにおける貧困率は11パーセントから驚くべきことに66パーセントにまで上昇した。これはアフリカの10億人の人口のうち、おおよそ6億人が貧困の泥沼にはまってしまったというショッキングな数字である。

 このように援助が役立っていない証拠が強固かつ揺るぎないものであることから、指導的な援助機関であるIMF[国際通貨基金]ですら援助擁護者に対し、どれだけ援助できるか、という投入量ばかりではなく、開発の手段としての援助により大きな期待が集まるようにすべきであると警告している。IMFは、さらに、増大する援助がアフリカの問題を解決するであろうと主張する政府、ドナーおよび活動家たちに対し、もっと謙虚であるべきであると警告している。このような認識が真の変化に向けた触媒になればよいと思う。

 おそらく最も驚愕すべきことは、明確かつ議論の余地のない証拠があるにもかかわらず、このような実証された失敗が繰り返し続けられてきたことである。このような分野は、それがビジネスであろうが政治の世界であろうが、ほかには存在しないと思う。

 さて、振り返ってみよう。過去60年間にわたり、1兆ドルを超えるアフリカ向け援助が行われてきたにもかかわらず、見るべきものは多くはない。だが仮に、援助により本来達成すべきものが達成されなかったというように、援助が無害なものであったというのならば、この本は書かれることはなかっただろう。問題は、援助が慈悲深いものではなく有害である点にある。援助はもはや潜在的な解決策の一部ではなく、実際には援助そのものが問題なのである。

《『羽仁五郎の大予言』を読む》(103)

終末論の時代(38)

「独占資本主義の終末」補充編(23)

羽仁提言「三つの原則」の検討(21)


原則3:「発展途上国との共生」(4)

アフリカでのODA問題(1)

 援助の効果を疑わない人たち(学者や役人等)は、援助資金の提供者(ドナー)により設定される諸条件(コンディショナリティ)が究極的には援助の成否を決定すると考えている。モヨさんは「1980年代、アフリカ向けに付されたコンディショナリティが秘密の呪文と化したのである」と述べている。以来、アフリカの国々にはその厳格な諸条件を受け入れるか、あるいは受け入れないかという選択肢に直面することになった。それらはどのような条件だったのか。

 ドナーは援助の見返りとして、次のような三条件を被援助国に求めた。

 被援助国は、ドナーないしドナーが指定する国の製品およびサービスを調達しなければならない。
 後にこれには人員スタッフをも含むようになる。ドナーは、被援助国に適切な候補者がいるにもかかわらずドナーの国民を雇用することを被援助国に求めたのだ。

 ドナーは援助により支援されるセクターないしプロジェクトをあらかじめ選定する権利を留保 することができる。

 援助は被援助国が一連の経済的および政治的な政策改革に同意する限りにおいて供与される。

 私には、「共生」とはほど遠い、「援助してやる」と言っているような上から目線の援助であるとしか思えない。以来、この三条件のもと、具体的には次のような政策を受け入れることを条件にアフリカ諸国に援助が供与されるようになった。
(1)
 国家統制的な中央計画経済から、公務員数の削減、国営企業の民営化、貿易障壁の除去といった市場指向的経済政策に政策を変更すること。
 さらにその後、新たに次の条件が加えられた。
(2)
 あらゆる形態の汚職の撲滅を期待して、民主主義を基調とした統治システム[govenance]を構築すること。

 こうした諸条件にもとづく援助の結果はどうだったのだろうか。モヨさんの解説を直接引用する。

 理論上、コンディショナリティは理にかなっていた。ドナーは援助の用途に制約を課し、被援助国はそれを遵守するはずであった。ところが実際には、コンディショナリティは悲惨な失敗をもたらした。最大の失敗は汚職と悪しきガバナンスを抑制できなかったことであった。

 世界銀行の調査によれば、85パーセントもの援助が、ばかげた企てではないものの、しばしば非生産的な目的に転用されるなど、当初意図していた目的以外のものに対して使われてきた。すでに1940年代には国際的なドナーはこういった援助の転用のリスクはよく認識していた。1947年、世界銀行のポール・ローゼンシュタイン=ロダン経済局次長は、世界銀行が発電所向けの融資と考えていても、実際には売春宿に融資していた場合さえあると述べていた。

 しかし、ここで重要なことは、コンディショナリティが明白に無視されていたことであり、コンディショナリティが公然と破られている場合でも、援助(それも巨額の援助)が供与され続けたことである。スヴェンソンは調査を通じ、ある被援助国の改革努力やコンディショナリティの履行状況とドナーからの援助の支出状況には関連がないことを指摘し、コンディショナリティが多くの援助に関する合意の中核をなしているにもかかわらず、実際上はコンディショナリティがほとんど重視されていないことを証明した。

 「コンディショナリティがほとんど重視されていない」という問題について、援助の条件の一つである「民主主義」にしぼってモヨさんの議論をたどろう。

 欧米諸国の視点からは「民主主義こそがすべてを約束している」ということになる。モヨさんはそのような主張をする学者の説をいくつか取り上げているが、ここではその代表例としてマンスール・オルソンとアマルティア・セン(ノーベル経済学賞を受賞している)という二人の経済学者の説を解説した文を引用しておこう。

[オルソンは]民主的な政府の下でこそ、経済活動を刺激する上で非常に重要な所有権の保護と契約の保証の実現が期待できると考えた。重要なことは、民主主義は平和の配当を生み出し、経済成長の先駆けとなる政治的な安定をもたらすというのである。オルソンの世界では、民主的な体制は二つの方法で民間企業の生産を助長するような機会を提供する。一つは、民間活動のための(たとえば法的・規制的)枠組みを維持することであり、もう一つは、市場が効率的に提供できないもの(たとえば遠隔地にある小さな村と大きな貿易都市を結ぶ道路など)を直接提供することである。民主主義は、その特性ゆえに、すべての人々が恩恵を受ける公共財を提供するインセンティブをもたらし、また、民主的な体制は、専制的ないし独裁的体制よりも、より多くの富の創造を可能にするというのである。』

[センは]民主的に選出された政治家は、政権を失うリスクを避け経済的な災難を回避しようとしてより用心深くなると説く。ほかにも、主に途上国の中では、民主的政府は非民主的政府と比較し70パーセント以上も国民の基礎的ニーズを満たしているという研究もある。』

 こうした考えに対して、モヨさんは次のように反論している。
 このような考えの下では、民主主義によってアフリカは救われると考えられる。すなわち、汚職や経済的な縁故主義および反競争的かつ非効率的慣行を取り除き、公職にある者がきまぐれに富を奪取するすべての機会を民主主義によってきっぱりと断ち切ることによってアフリカは救われるというのである。民主主義は、より公平で透明な経済政策を求め、長期的で持続可能な経済成長に導く政策を求めるというのである。ドナーは、あらゆる政治体制の中で民主主義(そして唯一民主主義)と経済成長との間においてのみ正の相関関係があると確信しているのである。

 民主主義が持つ潜在的に前向きの要素が欧米諸国における援助議論(および援助政策)を独占してきた。一方、欧米ドナーおよび政策担当者は、開発の初期段階において民主主義は開発とは無関係であるどころか有害ですらあると説く者の反論を基本的には黙殺してきた。援助依存の環境の下 ではそのようなことを想像するのは容易である。援助資金に依存する民主主義の下では、政府は自 らの利益に資するように所有権を改めようとする誘惑に駆られる。もちろん、それは投資に向けた インセンティブ[incentive 刺激・動機]を低減させ、成長を抑制するようになる。

 居心地の悪い真実なのだが、民主主義は経済成長の前提となるどころか、経済的便益をもたらす 法制度の採択が、競合する党派と利害の狭間で困難になる場合には、民主主義は開発の妨げになる こともある。完璧な世界では、貧しい国々が経済開発の最も低い段階において必要とするのは複数 政党制民主主義ではなく、実際のところ、経済を発展させるために必要な改革を推し進める毅然と した意思のある慈悲深い独裁者なのである(残念なことに、多くの国々の場合、慈悲深いとはいえない独裁者で終わってしまうのだが)。欧米の思考は、複数政党制民主主義という政治システムと(たとえば、効果的な法の支配、所有権の尊重および独立した裁判所等のような)質の高い制度を同一視するという誤った前提に基づいている。しかし、この二つは同じものではない。

 ここで、「慈悲深い独裁者」として思い出すのはフセイン(イラク)とカダフィ(リビア)である。欧米が押しつける民主主義(実は資源の略奪が主目的)が、それまでの一般国民の豊かで安寧秩序が保たれた生活を破壊して、生命さえ脅かす暴力がはびこる貧困困苦の生活に陥れてしまっている。現在ではシリアがその標的にされている。モヨさんの解説に戻ろう。

 現実的な問いかけは、外国援助を通じアフリカに民主主義が広まったことでアフリカは経済的に稗益したであろうかということである。この問いかけに対する回答は明白ではない。アフリカの民 主国家の中には説得力のある経済成長の数字を示そうと苦闘し続けている国がある(たとえばセネガルは2006年に3パーセントというわずかな成長を遂げた)一方、明らかな非民主的国家でも前例のない経済成長を遂げつつある国(たとえばスーダン)も見られる。

 ここで明白なことは、民主主義は、援助の擁護者が主張するように経済成長のための前提条件で はないということである。逆に、経済成長が民主主義の前提条件なのであり、そして、経済成長を 達成する上で必須とは見なされないものの一つに援助がある。

(中略)

 誰も民主主義に非常に重要な価値があることを否定していない。問題はタイミングである。

 開発の初期段階では、飢えに苦しむアフリカの家族にとって投票できるか否かはあまり重要なことではないだろう。いずれは重要になるだろうが、今日は食糧がまず重要なのであり、経済成長はその後でよい。

 試みにセネガルとスーダンの2014年の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング(対象: 187ヶ国)を調べてみた。
161位 セネガル 1,071.81
138位 スーダン 1,979.54
で、一人当たりの名目GDPはスーダンはセネガルの約1.8倍であった。