2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(102)

終末論の時代(38)

「独占資本主義の終末」補充編(22)

羽仁提言「三つの原則」の検討(20)


原則3:「発展途上国との共生」(3)

アフリカの現状

 <参考書③>の著者ダンビザ・モヨさん(以下、モヨさんと呼ぶことにする)はザンビア生まれの黒人女性で、オックスフォード大学で博士号を取得した経済学者である。2009年5月のtime誌で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれているという。

 本書のとびらにはヨーロッパに行こうとして飛行機の車輪格納部に潜んでいて死んでしまったギニアの二人の少年(ヤギン・コイタとフォード・トゥンカラ)が持っていたという手紙文が掲げられている。
ヨーロッパの偉い人たちヘ
 アフリカの人たちはとても困っています。アフリカはたくさんの問題を抱えています。子どもの権利も認められていません。戦争もあれば、病気も蔓延していて、食べるものもありません。……私たちも学校に行きたい。お願いします、あなたがたのようになれるよう、勉強がしたい。どうか助けて下さい。

 では、アフリカの現状について具体的に学習してみよう。<参考書③>を用いるが、原書が出版されたのは2009年であり、その後変化した事項もあるが、翻訳者が(訳注)を付してくれている。また、前回にも書いたが、私はアフリカに関することや(付け加えると)経済用語に疎いので、いろいろ調べながら読んでいる。それらは私の注として[ ]で付しておく。もう一つ、前回の記事について訂正がある。前回アフリカの現状を示す表を転載したが、その表題に「サブサハラ・アフリカ」(サハラ砂漠以南のアフリカという意味)と書いてあるのをうっかり見落としていた。従ってその表にアルジェリア・エジプト・チュニジア・西サハラ・モロッコ・リビアなどの北アフリカの国々が入っていないのは当然のことでした。

 では<参考書③>の第一章を読んでいこう。

 10年前、アフリカといえば希望のない大陸といったイメージだったろう。多くの人がアフリカに対して、経済が発展する見通しはなく、汚職が蔓延し、社会資本はなきに等しく、数多くの国が専制国家で、インフラは全く未整備、といったイメージを持っていた。

 しかしこの5年ほど、アフリカがよくなる兆しが見え始めている。多くの国で5パーセントくらいの経済成長が実現しているし、民主的な選挙も行われている。

 モヨさんはその主な要因を三つ挙げている。
(Ⅰ)
 石油、銅、金、食糧といった一次産品価格の上昇が、アフリカ諸国の輸出増をもたらし、それが経済成長を促進した。
(Ⅱ)
 1980年代末に始まった市場経済化に向けた構造調整の成果が現れた。
(Ⅲ)
 多くの国で政治制度の民主化が地についた動きをし始めた。

 その結果は経済成長率の上昇・インフレ率の低下・投資環境の大幅な改善として現れ、金融政策も財政政策も理に適った安定的なものになったという(モヨさんは数字を挙げて詳論しているが省略する)。そして社会指標が顕著に改善している国もあると言い、ケニア取り上げている。ケニアでのHIV/AIDSの罹患率は、2001年に15パーセントだったが、2006年には6パーセントに低下しているという。

 続いてモヨさんは「アフリカの金融市場で起こっている画期的な出来事」を具体的に数字を挙げて解説している。

 証券取引過去5年のうち3年間、アフリカにおける株式投資収益率は世界で最も高く、平均40パーセントであった。アフリカ最大のアグリビジネス[アグリカルチャー(農業)+ビジネス(事業)で、農業関連産業]企業であるZambeef(ザンビーフ。牛肉、鶏、卵、牛乳、酪農品の生産、加工、流通から小売りまで手がけている)の2007年の収益率は、実質ドルベースで150パーセントを記録している。また2005年から2008年初めまでのナイジェリアの銀行部門の収益率は約300パーセントであった。

 アフリカの債券市場のパフォーマンスもすばらしい。アフリカの債券の収益率は、2006年は15パーセント、2007年は18パーセントであった。過去5年間に、アフリカの借入れスプレッド[Spread 金利差]は250ベーシス・ポイント[0.01%=1ベーシスポイン]も縮小した。このことは、たとえばアフリカの国が一億ドルの国債を発行したとき、5年前と比べて、毎年250万ドル節約できるということだ。アフリカの株式投資も好調で、過去10年間の収益率は約30パーセントである。

 以上のように、経済面でも政治制度面でも大きく改善されていく様子が見られるが、これはサブサハラ・アフリカ以外の地域でのことであり、サブサハラ・アフリカはそうした発展から取り残されている。依然として以下のようなさまざまな問題を抱えているという(以下の前半は前回転載した表の具体的は解説になっている)。

 サブサハラ・アフリカの平均所得は一日約1ドル以下であり、世界で最も貧しい地域である。現在のアフリカの実質1人当たり所得は、1970年代よりも低い。多くのアフリカの国は、40年前と同じくらい貧しいままだということだ。アフリカの人口7億人のうち半分以上が1日1ドル以下で暮らしており、サブサハラ・アフリカは世界で最大の貧困率を誇る地域であり、世界の貧困層の50パーセントを占める。1980年以降、世界の絶対的貧困は、数で見ても、貧困比率で見ても、大きく低下してきたが、サブサハラ・アフリカだけは増加し、50パーセントになった。1981年から2002年にかけてアフリカの絶対的貧困層の数はほぼ2倍に増加し、アフリカの人々は20年前より貧しくなっている。UNDP(国連開発計画)の『人間開発レポート』(2007年版)によれば、1990年にはサブサハラ・アフリカは世界の絶対的貧困層の5分の1を占める程度であったが、2015年には3分の1を占めると推定されている。

 平均余命も延びていない。60歳に満たないのはアフリカだけだ。50歳前後をさまよっている。

 1950年代に逆戻りしている国もある。スワジランドの平均余命はなんと約30歳だ[? 例の表では45.8歳となっている]。平均余命が逆行しているのは、エイズのせいである。さらにアフリカでは7人に1人の子どもが5歳になる前に死んでしまう。アフリカも他の途上国同様若者が多く、人口のおよそ半分が若者(15歳以下)だということを考えると、この数字は深刻である。

 ほとんどのアフリカの国で、成人識字率は1980年以前の水準にまで大きく低下している。識字率、健康指標(マラリアや住血吸虫・コレラといった汚染された水による病気)、所得不平等など、さまざまな問題が依然アフリカには残っている。アフリカは世界の経済成長から取り残されている。ここ数年、アフリカは平均で5パーセントの成長を達成しているが、アフリカ・プログレス・パネル(Africa Progress Panel)によれば、着実に貧困削減を実現するには7パーセント成長が必要だという。

 政治という点でも多くの国が民主化から取り残されている。

 政治はどうかというと、アフリカの半分は依然非民主国家だ。ポリティⅣ(PolityⅣ)のデータベースによれば、アフリカには少なくとも11の完全な独裁国家がある。
(コンゴ共和国、赤道ギニア、エリトリア、ガボン、ガンビア、モーリタニア、ルワンダ、スーダン、スワジランド、ウガンダ、ジンバブエ)

 アンゴラのドス・サントス、赤道ギニアのオビアン、ガボンのボンゴの三人の国家元首は1970年代からその地位にある。ガボンのオマール・ボンゴ大統領は1969年12月2日に就任したので40年以上その地位にあった(訳注:オマール・ボンゴ大統領は2009年6月死去したが、8月の大統領選挙で子息のアリ・ボンゴが当選した)

 ブルキナファソのコンパオレ、カメルーンのビヤ、ギニアのコンテ(訳注:コンテ大統領は2008年12月死去)、ウガンダのムセベニ、ジンバブエのムガベは、1980年代から政権を握っている。

 1996年以降、11の国(アンゴラ、ブルンジ、チャド、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、ギニアビサウ、リベリア、ルワンダ、シエラレオネ、スーダン、ウガンダ)で内戦が起きている。2008年5月に発表された世界平和度指数(Global Peace Index)ワースト10のうち、アフリカには四ヵ国が入っており(悪い順でいえば中央アフリカ、チャド、スーダン、ソマリア)、大陸別に見ると最も多い。

 モヨさんは「なぜこうもアフリカはうまくいかないのだろうか。」と自問する。

 なぜアフリカだけが世界の経済成長から取り残されているのだろうか。最近の調査では、破綻国家(failed satates)ワースト10のうち7ヵ国がアフリカの国だが、これはなぜなのだろうか。アフリカ人は他の大陸の人より能力が劣っているのだろうか。アフリカのリーダーは、先天的に欲ばりで、無慈悲で、汚職を好むというのだろうか。アフリカの政策担当者は、本質的に無能だというのだろうか。アフリカが他の地域より遅れているのはなぜか。21世紀になっても、他の地域の発展の流れに乗れそうもないのはなぜか。
 その答えは、アフリカに対する援助にある。

 ということで、次回はアフリカでのODA問題を取り上げよう。
スポンサーサイト
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(101)

終末論の時代(37)

「独占資本主義の終末」補充編(21)

羽仁提言「三つの原則」の検討(19)


原則3:「発展途上国との共生」(2)

 発展途上国と言われている国々はかつて欧米諸国の植民地とされ支配収奪されてきた国々である。その発展途上国の経済発展や福祉の向上のために先進国の政府・政府機関が援助を行なっている。その事業はODA(Official Development Assistance 政府開発援助)と呼ばれている。もちろん、日本のODAも大きな貢献をしてきている。しかし、のちに取り上げるが、ODAの援助には深刻な問題点があるようだ。

 ところで、羽仁提言は「発展途上国への開発援助」ではなく「発展途上国との共生」と言っている。「共生」は「提言2」の検討で取り上げた資本主義後の社会構想の基本理念と通ずる理念だ。私は発展途上国についてもODAについてもニュースで見聞きする程度のことしか知らないので、今のところ確言はできないが、ODAの問題点は「共生」という理念の欠如の結果でないかと予想している。また、羽仁さんは発展途上国の中でも特にアフリカの国々に言及しているが、私はアフリカについてはとても疎い。そこで、こんども少し長くなるかもしれないが、アフリカに絞って問題点をさぐってみようと思う。全てを用いるかどうかは分らないが、とりあえず図書館から次の本を借りてきた。

<参考書①>
 平野克巳著『アフリカ問題 開発と援助の世界史』(日本評論社 2009年11月刊)
<参考書②>
 石田洋子著『アフリカに見捨てられる日本』(創成社 2008年6月刊)
<参考書③>
 ダンビザ・モヨ著・小浜裕久監訳『援助じゃアフリカは発展しない』(東洋経済新報社 2010年8月刊)

 まず初めに白状しよう。私はアフリカ大陸のどこにあるのかをハッキリと答えられる国は北方のモロッコ・アルジェリア・チュニジア・リビア・エジプト、南端の南アフリカ共和国ぐらいである。ではアフリカにはいくつの国があるのか。なんと、57カ国もある!! 下に<参考書③>に掲載されている図を転載した。
アフリカの国々
 ちなみに、下手な字で書き込みをした国名が三つあるが、南スーダンは<参考書③>の発刊より後の2011年に独立した国である。またカナリア諸島・レニユオンは、ネットではアフリカの国々に加えているが、それぞれスペイン・フランスの海外自治州・海外自治県なので、<参考書③>では国としては除外したのではないかと推測している。

 では次にアフリカの人々が置かれている生活状況を見てみよう。次の表も<参考書③>から転載した。
表1
表2
[注:表中に「na」という略記号がある「not applicable 該当なし)あるいは「not available 利用できない」の意味で使われているようだ。ここでは「データが存在しない」という意味だろう。]

 この表を見ればアフリカの人たちが置かれている生活環境問題の深刻さが一目瞭然であるが、具体的にどのような状況なのか、参考書を読んでみることにしたいが、その前に、この表には、上で取り上げた南スーダン・カナリア諸島・レニユオンのほかに、アルジェリア・エジプト・チュニジア・西サハラ・モロッコ・リビアが入っていない。このことに触れておこう。

 西サハラは国名は正確には「サハラ・アラブ民主共和国」である。この国は主要領地をモロッコに占拠されて、アルジェに亡命政府を置いている。アフリカや中南米の約50ヵ国が正式な外交関係を結んでいるが、欧米諸国・日本などは独立国家として認めていないという。詳しくは「世界約50ヵ国が正式な外交関係を結ぶ、砂漠の中の亡命政府」をお薦めします。

 次に、アルジェリア・エジプト・チュニジア・リビアという地中海に面した国々は石油などの天然資源などにより、援助を必要としない国のようだが、2010年~2011年に起きた「アラブの春」と呼ばれている政治変革に連なる国々である。2010年12月18日に始まったチュニジアのジャスミン革命・2010年~2011年のアルジェリア騒乱・2011年1月より始まったエジプト革命、そして2011年3月に起こったリビア内戦。
 ここで特にリビア内戦について触れておきたい。当初、リビア内戦は暴虐なカダフィ独裁政権を倒した民衆による革命と報じられていたが、実態は欧米軍による一方的な軍事攻撃であった。この事については「リビア戦争 現地記者の証言 帝国のプロパガンダ」をお薦めします(「アラフォーママの日記」さんの記事で、2011年10月にyoutubeにアップされたLizzie Phelan というイギリス人記者の叙述を翻訳したもののようです)
 また、カダフィ政権は政体としては確かに独裁政権であったが、カダフィが作り上げた国は、かつてあったどの国よりも理想的な国だった。この事についてはLizzie Phelan さんも触れているが、より詳しい「のびやかな暮らし」さんの記事「カダフィーの真実~理想社会を創った英雄」をお薦めします。

 さて、先に「具体的にどのような状況なのか、参考書を読んでみることにしたい」と述べたが、長くなりそうなので次回に繰り越します。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(100)

終末論の時代(36)

「独占資本主義の終末」補充編(20)

羽仁提言「三つの原則」の検討(18)


原則3:「発展途上国との共生」(1)

 「原則1」は「小国主義」だった。この原則に立つのなら、当然その国が進めるべき外交は「大国主義」の外交とは真逆なものと成るべきだろう。では「大国主義」とは何か。

 『羽仁提言「三つの原則」の検討(1)』で検討したように、それは端的にまとめれば次のようなイデオロギーに基づいている。
『「膨張主義・侵略主義・民族主義」を基軸とする負のイデオロギーこそまさに「大国主義」である。ヨーロッパ・アメリカはこのイデオロギーを掲げて世界を征服し、富を略奪していった。』
 明治維新を経て近代国家に仲間入りした日本が1945年の敗戦までその国是としてきた基本方針はまさにこの「大国主義」だった。

 「大国主義」は資本主義という強欲経済システムを維持するための必然的な帰結であった。その資本主義は『資本主義の現状』でまとめたように、いまやその終末を迎えている。簡単に復習をしておこう。

 「資本主義とはフロンティア(周辺)を広げることによって中心が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステム」であるが、現在では「地理的・空間的フロンティア」も「自然フロンティア」も底を突く状態であり、資本主義を延命させるべく新たに目をつけた「電子・金融空間」も、今やそれによる資本の自己増殖が不可能な状況になっている。そしてついに、ネオコンに牛耳られたブッシュが、「軍産複合体」の思わく通り、戦争による資本の自己増殖を始めるに至った。

 ここで「軍産複合体」について少し調べてみることにした。
 「軍産複合体」という言葉が初めて使われたのはアイゼンハワー大統領の退任演説(1961年1月17日)の中でであったと言われている。これまで何度かお世話になった『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』から引用する。

 アイゼンハワーの演説によって知られるようになった「軍産複合体」という単語は、ローレンス・リバモア国立研究所の元所長で、物理学者のハーバート・ヨークによって提案されたものだと思われる。1971年の夏にストックホルム国際平和問題研究所(SIPRI)で研究を行なっていたヨークは、後輩のアメリカ人研究者に対して、退任演説で使うための的確な言葉をアイゼンハワー大統領に提案したのは自分だったことを明らかにしている。アイゼンハワーはその提案に同意し、次のように警鐘を鳴らした。

 巨大な軍隊と大規模な軍需産業の結びつきは、アメリカの歴史上、かつてない経験です。経済的、政治的、さらには精神的な影響が、わが国のいたるところで感じられます。国中の都市、州議会、連邦政府オフィス……。……私たちはその重大な意味を正確に理解しなければなりません。これはアメリカ国民の労苦や資源や暮らしのすべてが影響を受ける問題です。つまり、われわれの社会の根幹にかかわっている問題なのです。政府の委員会等において、それが意図されたものであろうとなかろうと、軍産複合体が不当な影響力を獲得しないよう気をつけなければなりません。……この軍産複合体の影響力が、私たちの自由や民主主義のプロセスを決して危険にさらすことのないようにしなければなりません。……警戒心をもち、見識のある市民のみが、軍と産業が結びついた巨大な複合体を、平和的な手段と目的に適切に適合するよう、しむけることができるのです。そしてその結果として、安全と自由の共栄が可能になるのです。

 この演説の重要性は、長いあいだ、ほとんどのアメリカ国民に理解されてこなかった。しかし、なかには注目に値する例外も存在した。ウォルター・リップマンが、ジョージ・ワシントンの告別の辞と、アイゼンハワーの告別の辞を鋭く比較したのである。リップマンによると、ワシントンが「市民の力に対する(国外からの)脅威」について警告したのに対して、アイゼンハワーはアメリカ国内における軍の脅威に関して警告を発した。アイゼンハワーは、ワシントンを自分にとっての「英雄(ヒーロー)」とみなしていた。《アット・イーズ》誌においてアイゼンハワーは、「(ワシントンの)退任演説は……私が心から敬愛の念をいだく人間性の一つの例だ」と語っている。

 《ニューヨーク・タイムズ》紙のジャック・レイモンドは、紙面の全面を使って、軍需産業の分析記事を書いている。グラフを使ってアメリカの過剰な軍事費を詳細に分析し、約810億ドルの国家予算のうち、59パーセントが軍軍費であることを指摘したのだ。連邦予算の半分を占めていることに加えて、ペンタゴンは320億ドル相当の不動産(空軍基地と兵器庫を含む)を管理していることも指摘された。レイモンドは、予算獲得のために軍と産業界がいかに手を携えているかを解説した。そして、アメリカの過剰な軍事優先政策が、対外的な国のイメージを損なっていると付け加えた。「大きな梶棒を待ち運ぶ一方で、アメリカはセオドア・ルーズベルトの外交政策の残りの部分、すなわち『言葉は穏やかに』という部分を忘れているように見える」。

 ジャック・レイモンド記者の記事を読んでいるとすぐに、現在進行中のジャパン・ハンドラーズ&財閥の傀儡アベコベデタラメ政権の愚行が重なって見えてきてしまう。山本太郎さんが国会で追及(山本さんのオフィシャルサイトの記事「今回の安保法案は、第3次アーミテージ・ナイ・レポートの完コピだ!」(以下、単にリポートと呼ぶ)で読むことが出来ます)したように、傀儡アベコベデタラメ政権が遂行している重要政策は全てジャパン・ハンドラーズ提出したリポートでの命令に従ったものだ。次の表は山本さんが国会での質問時に掲げたリポートの「日本への提言9項目」をまとめたパネルだ。
第3次アーミテージ・ナイ・レポート
「原発再稼働」「TPP交渉参加」「戦時の米軍と自衛隊の全面協力(=集団的自衛権)」「ホルムズ海峡の機雷掃海」「国家機密の保全(=秘密保護法)」「PKOの法的警護の範囲拡大(=駆けつけ警護)」「武器輸出」と全て揃っている。

 レポートは序文で「日本は一流国家であり続けたいのか、 それとも二流国家に成り下がって構わないのか?」と書いて、日本政府をけしかけている。言うまでもなく、ここで言う「一流」とは「大国主義」内の「一流」である。そして、羽仁さんの提言は「小国主義」内での「一流」を目指すことである。

 このように、「戦争法」がこのレポートに追従して提出されたことがハッキリと示されている。その「戦争法」について、傀儡アベコベデタラメ首相は「積極的平和主義」という剽窃用語を錦の御旗に掲げて得意になっているが、これも剽窃であることを知っている世界中の人たちの冷笑を誘っていることだろう。

 「積極的平和主義」の出典については新聞のニュースでも報道されていたが、真相は次の通りである。

 市民たちの求めに応じて8月に来日したノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士(Johan Galtung、1930年10月24日~ 社会学者、数学者。平和研究、紛争研究の開拓者、また第一人者として知られている)は、来日中に講演会やイベント参加などいろいろと活躍されたので、ネット検索をするとたくさんのサイトで取り上げられている。ここでは澤藤統一郎さんが『「積極的平和主義」とは何か』で、日民協の機関誌「法と民主主義」に掲載された大田昌秀(元沖縄県知事、沖縄国際平和研究所 理事長)さんの解説(著書「沖縄 平和の礎」からの抜粋のようです)を紹介しているので、それを転載させて戴く。

 一般に平和とは何かと聞かれた場合に、すぐに思い浮かぶ答えは「戦争のない状態」と言えます。しかし、ガルトゥング教授は、戦争を「直接的な暴力」と規定した上で、戦争がないからと言ってわれわれの社会はけっして平和とは言えないとして、直接的な暴力に対し「構造的な暴力」ということばを対置しています。教授の言う構造的な暴力とは、偏見とか差別の存在、社会的公正を欠く状態、あるいは正義が行き届いていない状態、経済的収奪が行われている状態さらには、平均寿命の短さ、不平等などを意味します。ですから、今日の社会は至る所に平和でない状態、つまり構造的な暴力がはびこっていると言っても過言ではありません。したがって、ガルトゥング教授は、この構造的な暴力を改善していくのでなければ、本当の意味での平和は達成されないと述べているのです。

 このように平和問題というのは、単に戦争の問題に限定されるのではなく、社会的偏見や差別の問題、政治的不公平の問題から男女間の不平等、経済的貧富の問題に至るまで広範、かつ多岐にわたるのです。したがって、それらの問題を解決して初めて言葉の真の意味での平和の創造が可能となるわけであります。

 ちなみにガルトゥング教授は平和を実現するため、三つのPが必要だと述べています。第一にPeacemovement(平和運勤)、第二にPeaceresearch(平和研究)、第三にPoliticalparty(政党)の三つであります。これらが三位一体となって平和の創造に取り組むのでなければ、人々が期待するような平和は成り立だないと説いているのです。

(「平和運動」に関する部分の紹介)

 戦争を廃絶すると言えば、そんなことは、この人間世界ではありえないことだとつい考えてしまいます。そのため、実際にはユートピア的とか、気違い沙汰だと馬鹿にされがちです。しかし人類の歴史を振りかえってみると、奴隷制度の廃止とか、植民地の廃棄などということは、ある時代においてはそれこそユートピア的思想であったにもかかわらず、今日ではすでに実現しているのも少なくないのです。

 つまり、戦争のない状態を平和と捉える「消極的平和」に対し、貧困、抑圧、差別など構造的暴力のない状態を「積極的平和」と呼んでいるのである。

 少し長くなるが、もう一つ、沖縄の米軍基地問題への提言もされているので、沖縄新報の『「首相は積極的平和の言葉「盗用」 平和学の父・ガルトゥング氏』(2015年8月23日 09:46)という記事を転載させて戴く。

 「平和学の父」として世界的に知られるヨハン・ガルトゥング氏は22日、浦添市のてだこ大ホールで開かれた「戦後70年 ガルトゥング氏が語る『積極的平和』と沖縄」(琉球新報社、新外交イニシアティブ主催)の講演で来県した。講演に先立ち、新基地建設が進む名護市辺野古を視察し「安倍首相は『積極的平和』という言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対のことをしようとしている」と政府姿勢を批判した。

 講演では、国会で議論されている集団的自衛権の行使について「時代遅れの安全保障」と、世界の潮流に逆行すると断じた。その上で「北東アジアの平和の傘構想を沖縄から積極的に提起していくべきだ」と強調した。

 世界の趨勢(すうせい)は軍事基地をなくしていく「新しい平和秩序」に向かっているとし、ヨーロッパ共同体(EU)や東南アジア諸国連合(ASEAN)などに遅れて北東アジアも2020年には共同体形成へ向かうと予測した。

 日本、ロシア、韓国、北朝鮮、中国、台湾の6カ国・地域による北東アジアにおいて「沖縄は地理的に非常に重要な位置にある」と指摘。尖閣諸島や竹島、北方領土の問題で日本は台湾以外とは好ましくない関係にあるとし、核の傘ではなく「平和の傘を築く必要性がある」と述べた。その上で、独立の気概をもって特別県になるなどして国際機関を誘致し、共同体の本部を置けるよう早く名乗りを上げることも提唱した。

 また沖縄は米国と日本に植民地のように扱われてきたとの認識を示した。それを乗り越えるには、単に「基地反対」を叫ぶだけではなく、北東アジアの平和を積極的に提起するよう話した。周辺国の非政府組織(NGO)を沖縄に招き、問題解決に向けて協議することを提案した。

 講演後、石原昌家沖縄国際大名誉教授、高里鈴代基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表、我部政明琉球大教授が登壇し、意見を交わした。約700人の聴衆が熱心に話を聞いた。

《『羽仁五郎の大予言』を読む》(99)

終末論の時代(35)

「独占資本主義の終末」補充編(19)

羽仁提言「三つの原則」の検討(18)


原則2:「社会主義」(16)

<参考書4> 広井義則著『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書)
の続きです。

 「ちんじゅのもり」は一般には「鎮守の杜」と表記されているが、ここでは広井さんの表記「鎮守の森」に従うことにする。

 さて、鎮守の森を取り上げている一節は「自然エネルギーと鎮守の森 ― コミュニティで循環する経済へ」という表題が付されている。まず、「自然エネルギー」の自給率の現状を見てみよう。

 原発や今後のエネルギー政策をめぐる展開はなお混迷が続いているが、次のような興味深い事実がある。日本全体でのエネルギー自給率は4%台に過ぎないが、都道府県別に見ると10%を超えているところが14あり、ベスト5は
①大分県(26.9%)、
②秋田県(29.7%)、
③富山県(17.6%)、
④長野県(15.4%)、
⑤鹿児島県(14.7%)
となっている(2014年)。
 これは環境政策が専門の倉阪秀史千葉大学教授が進めている「永続地帯」研究の調査結果であり、大分県が群を抜いて高いのは、別府温泉などの存在からわかるように地熱発電が大きいことによる。富山県や長野県などは山がちな風土を背景にして水力発電が大きいことがエネルギー自給率が高い要因である。もっぱら、"自然資源に乏しい"と言われてきた日本だが、意外にもこうした自然エネルギーに関しては一定のポテンシャルを持っているのだ。

 ちなみにドイツではエネルギーの地域自給を目指す「自然エネルギー100%地域」プロジェクトが進められており、2012年現在でそうした自然エネルギー100%地域は74で、ドイツの面積全体の28.6%、人口では2000万人(24.2%)に及んでおり、なお急速に拡人中である(環境エネルギー政策研究所資料)。

 こうした自然エネルギーが鎮守の森とつながっていく論理は次のようである。

 ところで自然エネルギー拠点の整備というテーマは、狭い意味でのエネルギー政策という枠を超えて、ローカルな地域コミュニティの再生という視点が不可欠だろう。つまり先ほどの「コミュニティ経済」とまさに重なるが、自然エネルギーを軸に、ヒト・モノ・カネが地域内で循環し、そこに雇用やコミュニティ的なつながりが生まれるような仕組みづくりが課題となる。このような視点を含めて私が考えるようになったのが「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」だ。

 最初に知った時に驚いたのだが、全国の神社の数は約8万数千で(お寺もほぼ同数)、コンビニの約5万よりずっと多く、また中学校の数が1万であるのを踏まえると中学校区当たり平均8つずつという大変な数にのぼる。明治の初めには神社の数は20万近くにのぼっており、おそらくこれは当時の"自然村"つまり地域コミュニティの数にほぼ対応していたと思われる。これらの場所は狭い意味での宗教施設ということを超えて、「市」が聞かれたり「祭り」が行われたりするなど、ローカルな地域コミュニティの中心としての役割を担っていた。

 こうした点を踏まえ、自然エネルギー拠点の自律分散的な整備と、元来地域コミュニティの拠点であった鎮守の森を結びつけ、福祉や世代間交流などの視点も総合化して進めていくというのが「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」の基本的な考えである。

 それは自然エネルギーを通じたエネルギー自治という現代的課題と、自然信仰とコミュニティが一体となった伝統文化を融合させたものとして、日本が世界に対し発信できるビジョンにもなる可能性があると思われる。

 以上の話は半ば夢物語のように響くかもしれないが、既に関連の試みは進んでいる。たとえば岐阜県と福井県の県境にある石徹白(いとしろ)地区という場所で、若い世代を中心に地域再生機構というNPOが小水力発電を通じた地域再生事業を進めているが、そこはかつて白山信仰の拠点として栄えた場所でもある。

 前著(『人口減少社会という希望』朝日選書)にも記したことだが、最初にコンタクトをとらせていただいた時、同機構の副理事長の平野彰秀さん(東京の外資系コンサルティング会社に勤めた後に地元の岐阜にUターン)からいただいた次のようなメッセージは、私にって非常に印象深いものだった。平野さんは、「石徹白地区は白山信仰の拠点となる集落であり、小水力発電を見に来ていただく方には必ず神社にお参りいただいています」、そして「自然エネルギーは、自然の力をお借りしてエネルギーを作り出すという考え方」であり、「地域で自然エネルギーに取り組むということは、地域の自治やコミュニティの力を取り戻すことであると、私どもは考えております」と述べていたのである。

 こうした例も参考にしながら、ささやかながら現在、岐阜、熊本、長野、宮崎等の地域の方々や関連機関と連携を取りつつ「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」のプロジェクトを進めている。

 もちろん地域コミュニティの拠点となる場所は鎮守の森だけではない。2007年に全国の 自治体に対して私が行ったアンケート調査では、「これからの時代におけるコミュニティの中心として特に重要な場所」として挙げられていたのは、多い順に
①学校、
②福祉・医療関連施設、
③自然関係(公園等)、
④商店街、
⑤神社・お寺
となっていた(広井著『コミュニティを問いなおす』ちくま新書参照)

 こうした場所を自然エネルギー等とうまく結びつけ、コミュニティで循環する経済を築いていくことが、ポスト成長時代の日本における中心的な課題になるだろう。

 なおこの場合、経済システム全体のあり方としては、次のような「ローカルからグローバルヘの全体構造」を構想し実現していくべきものと考えられる。

すなわち、
(1)
 物質的生産、特に食料生産およびケア(対人サービス)はできる限りローカルな地域単位で ― ローカル~ナショナル
(2)
 エ業製品やエネルギーについてはより広範囲の地域単位で ― ナショナル~リージョナル[regional 地方、市~県レベルか](ただし自然エネルギーについてはできる限りローカルに)
(3)
 情報の生産、消費ないし流通についてはもっとも広範囲に ― グローバル
(4)
 時間の消費(コミュニティや自然等に関わる志向ないし市場経済を超える領域)はローカルに
という方向だ(広井著『グローバル定常型社会』、『コミュニティを問いなおす』)
 これは、本書の中で述べてきた「物質の消費→エネルギーの消費→情報の消費→時間の消費」という経済構造および科学の基本コンセプトの進化とも対応するものである。

 続けて、広井さんは、コミュニティ経済を考えていくときのもう一つの重要な論点として、「地域の自立」という問題を取り上げている。

 通常、地域の自立というのは経済的ないし財政的な意味で使われ、たとえば財政破綻した夕張は自立しておらず、経済的に豊かな東京はもっとも「自立」しているという具合に語られる。

 しかし本当にそうだろうか。環境政策などの分野で「マテリアル・フロー[material flow]」、つまり食料やエネルギーの物質循環を指す言葉があるが、そうした視点から見れば、むしろ「自立」しているのは地方や農村部であり、逆に東京のような大都市は、それらの地域(あるいは海外に)食料やエネルギーを大幅に「依存」するかたちで初めて成り立っている。

 福島や新潟という、首都圏から遠く離れた場所に東京電力の原発があるというのはこうしたことの象徴であり、3・11が明るみに出したのは、高度成長期以降の日本が忘れかけていた以上のような「都市―農村」の関係性だった。しかもここで重要なのは、東京のような大都市圏は、食料やエネルギーを相当に安い価格で地方や農村から調達しており、そこにはある種の「不等価交換」のメカニズムが働いている。これはいわゆる先進国と途上国の関係と構造的に共通するものであり― なぜそうした「不等価交換」が生じるかについては「時間」というテーマとあわせて終章で考えたい ―、したがって2012年にスタートした再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度や、様々な農業支援、地域の若者支援のような「再分配」の仕組みを導入してこそ、都市と農村は「持続可能な相互依存」の関係を実現できるのである。

 残念ながら、「2012年にスタートした」はずの政策は全て「持続可能な相互依存」とはほど遠いアベコベ政策に豹変してしまっている。

 さて、「鎮守の森」についてもう一つ、終章の冒頭に興味深い話題が書かれているので、それを紹介しておこう。

 東日本大震災での津波において、津波の到達した境界線上に多くの神社が立っていたという事実がある。この話題は2011年8月に放映されたTBSの「報道特集」でも取り上げられ、また他にも様々な場面で言及されてきたので、聞いたことのある人も多いかもしれない。

 上記番組の取材に関わり、もともと大学院で海洋環境を研究しており、後に共著で『神社は警告する』という本をまとめた一人である熊谷航は、福島県南相馬市から新地町にかけて、津波の影響を受けた海側にある神社84社を訪れ被災状況を確認した。これら84社は"村社"と呼ばれる、地域の人々により信仰、運営されてきた小さな祠だったが、17社が流出・全壊の被害を受けたものの、その他67社はすべて無事であることがわかったのである。

 また、概して古い神社ほど津波の被害からまぬかれた例が多く、『延喜式』と呼ばれる文書(927年)に記載されている神社を「式内社」と呼ぶが、福島、宮城、岩手の式内社100のうち全壊・半壊しだのは三社のみであった。平安時代にいわゆる貞観大津波が起きたのが869年ということを考えると、貞観津波がその時代の神社の立地に影響したと見るのは不合理ではないと思われる。

 神社の立地と津波の浸水域がかなり重なっているという点やその背景については、さらに立ち入った検証が必要だが、これらの神社に関して、当時の人々が"津波はここまで来るおそれが現にあるので、何かあった時はこの場所に避難せよ"、あるいは"ここより海側は危険だ"といったメッセージを後代の者に託しながら建てたというのは十分ありうることだろう。

 このように見ていくと、若干誇張して言うならば、地震研究など現代の科学が行う地震予知や警告に従うよりは、「何かあったらできるだけ近くの神社仏閣に行け」という古くからの素朴な戒めを遵守したほうが、津波の被害は少なかった可能性があるとも言える。

 ちなみに、上記の熊谷はまとめの文章で次のように述べている。
「報道等でも周知のとおり、このような規模の津波災害は数百~千年周期で起こっていたことが科学研究からわかってきている。では、千年後へ伝えられる防災とは、なにか? 今回の津波災害を経て、防災体制や防災教育がみなおされはじめているが、はたしてそれは千年後の社会にまで生きつづけることができるのだろうか。私たちの周囲を見渡してみてほしい。千年前から受け継いできたものを見つけることなど容易ではない」
「今回の調査を通じて、地域の神社に関しては私たちが忘れてしまっている、知らないことがたくさんあるということを痛感した。千年前からある地域の神社に思いを馳せ、さらに千年後の地域社会になにを伝えられるのかについて考えることは、地域づくりの根幹だと思う」(同、傍点引用者[太文字にしました])。

 さて、「資本主義の終末」を主題にした出版物4冊を参考書として、羽仁さんが提言した「三つの原則」のうちの第二の原則「社会主義」に関連した部分に絞って紹介してきたので、どの参考書についてもつまみ食いの感がいなめない。どの参考書も充実した著作であり、触発された論考がたくさんある。機会があったらもう一度読み直したいと思っている。

 今回も思い掛けず、ずいぶん長くなってしまったが、これで「第二の原則」の検討を終わります。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(97)

終末論の時代(34)

「独占資本主義の終末」補充編(18)

羽仁提言「三つの原則」の検討(17)


原則2:「社会主義」(15)

<参考書4> 広井義則著『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書)
の続きです。


コミュニティというセーフティネットの再活性化。


 この第三の柱では<参考書1>~<参考書3>にはなかった重要な論点がある。それは「産業構造の第三次産業化」に着目した議論である。

 「産業構造の第三次産業化」は資本主義の終末の一因である資源の枯渇により引き起こされた当然の結果である。広井さんはこれを積極的に用いるべきだと言う。

 かつての時代は"人手が足りず、自然資源が十分ある"という状況だったので「労働生産性」(=少ない人手で多くの生産を上げる)が重要だった。しかし現在は全く逆に、むしろ"人手が余り(=慢性的な失業)、自然資源が足りない"という状況になっている。したがって、そこでは「環境効率性(資源生産性)」、つまり人はむしろ積極的に使い、逆に自然資源の消費や環境負荷を抑えるという方向が重要で、生産性の概念をこうした方向に転換していくことが課題となる。

(中略)

 ただし重要な点だが、こうした方向への転換は、市場経済に委ねていれば自然に進んでいくものではなく、先ほどの北欧の福祉・教育などの政策や、ドイツのエコロジー税制改革などのように、それを促すための公共政策が不可欠となる。

 なぜなら、たとえば介護などの領域は、日本においてそれが概して低賃金であり離職者が絶えないことにも示されているように、市場に委ねるだけではその労働の価値が著しく低く評価され、維持できなくなるからだ(なぜそのように「低く評価」されるかという構造については終章において「時間」をめぐる考察とともに掘り下げたい)。したがって、そうした分野の価値を公的な財政で何らかの形で支えるような政策― たとえば介護や教育等の分野の公的財政での支援、自然エネルギーに関する価格支持政策など ―が特に重要となることを確認しておきたいと思う。

 ところで、広井さんは第三の柱を論じている第8章の表題を「コミュニティ経済」としているが、この「コミュニティ」がもう一つの重要な論点である。広井さんはコミュニティを
「互酬性ないし相互扶助を原理とするコミュニティ」
と説明してるが、「互酬性」や「相互扶助」は<参考書1>~<参考書3>でも重要な論点であった。また広井さんは
「工業化や情報化・金融化を中心とする拡大・成長の時代が"地域からの離陸"の時代だったとすれば、(コミュニティや自然を含む)"地域への着陸"という方向が今求められているのである。」
とも語っている。つまり、広井さんが言う「コミュニティ」は「コンミューン型の共同体」あるいは「協同組合(アソシエーション)型の共同体」と同じ概念だと考えてよいだろう。 このことは議論が進むに従ってよりハッキリしてくるはずだ。

 また、<参考書2>・<参考書3>ではもっぱら農業の復活(活性化)に焦点を当てていたが、広井さんの構想は農業にとどまらない。広井さんはコミュニティ経済について、イギリスのNEF(New Ecinomics Foundation)が提唱している「地域内乗数効果(localmultiplier effect)」という概念を紹介しながら、次のように説明している。

 これは経済がほぼもっぱら国(ナショナル)レベルで考えられてきたケインズ政策的な発想への批判ないし反省を含んだ提案で、「地域再生または地域経済の活性化=その地域において資金が多く循環していること」ととらえ、

「濯漑(irrigation,資金が当該地域の隅々にまで循環することによる経済効果が発揮されること)

「漏れ口を塞ぐ(plugging the leaks,資金が外に出ていかず内部で循環することによってその機能が十分に発揮されること)
といった独自のコンセプトを導入して、地域内部で循環する経済のありようやその指標を提言しているものである。

 私見では、こうしたコミュニティ経済の例としては、
(a)
 福祉商店街ないしコミュニティ商店街、
(b)
 自然エネルギー・環境関連(後述の「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」を含む)
(c)
 農業関連、
(d)
 地場産業ないし伝統工芸関連、
(e)
 福祉ないし「ケア」関連
など種々のものが考えられる。これらのうち、地域内の経済循環ということがもっとも明確に表れやすいのは、後でふれる自然エネルギー関連のものだろう。

 一方、(e)の福祉ないし「ケア」に関連する最近の興味深い事例の一つとして、千葉県香取市の「恋する豚研究所」の試みを紹介してみたい。

 「恋する豚研究所」とは、養豚場で豚を飼育するとともに、その加工や流通、販売なども一括して行い、かつその加工などの作業を知的障害者が行うという福祉的な機能ももった事業を行っているところで、"福祉(ケア)と農業とアート"を組み合わせた試みと呼べるものである。「アート」という点は、流通や販売にあたってクリエイターの人々が積極的に参加し、デザイン性ないし付加価値の高い商品を心がけていることを指している。また、福祉的な性格をもっていることは商品の流通や販売においては前面に出しておらず、あくまでその質とおいしさで勝負している。

 興味深いのは、この事業を中心になって進めている飯田大輔さん(36歳)が、この事業の全体を「ケアの六次産業化」というコンセプトで把握しているという点だ。農業の六次産業化ということはよく言われるわけだが、この事業の場合、「ケア」を軸にして、生産・加工・流通・販売をつなぎ、それを事業化しているのである。しかも養豚のみならず、ハムなどを作る時に使う塩なども地元産にこだわっており(ちなみに千葉県は豚の飼養頭数が全国三位)、経済の地域内循環ということを意識した事業にもなっている。

 以上は一例だが、産業構造が大きく変わる中、様々な事業を新しい形で結びつけ、ローカルな経済循環を実現していくような試みが今後一層重要になっていくと思われる。

 私は「六次産業化」という言葉に初めて出会った。今村奈良臣(農業経済学者)さんが提唱した造語だという。その意味は次のようである(ウィキペディアはら引用)。

 農業、水産業は、産業分類では第一次産業に分類され、農畜産物、水産物の生産を行うものとされている。だが、六次産業は、農畜産物、水産物の生産だけでなく、食品加工(第二次産業)、流通、販売(第三次産業)にも農業者が主体的かつ総合的に関わることによって、加工賃や流通マージンなどの今まで第二次・第三次産業の事業者が得ていた付加価値を、農業者自身が得ることによって農業を活性化させようというものである。

六次産業という名称は、農業本来の第一次産業だけでなく、他の第二次・第三次産業を取り込むことから、第一次産業の1と第二次産業の2、第三次産業の3を足し算すると「6」になることをもじった造語であったが、現在は、第一次産業である農業が衰退しては成り立たないこと、各産業の単なる寄せ集め(足し算)ではなく、有機的・総合的結合を図るとして掛け算であると今村が再提唱している。

 さて、<参考書2>で中谷さんは農業の振興の要として「里山」に着目をしていた(『羽仁提言「三つの原則」の検討(8)』を参照して下さい)。一方、先の引用文中に「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」とあるように、広井さんは「鎮守の森」に着目している。実に興味深い着眼だと思う。次回はこの「鎮守の森」をめぐる論考を読んでいくことにする。