2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(55)

権力が教育を破壊する(38)

教育反動(30):中曾根臨教審以後(1)


 (今回からは教科書として、<教科書C> 久保義三著『昭和教育史』の外に、<教科書E> 山本正身著『日本教育史』を追加します。)

 久保さんは臨教審の答申を「21世紀に向けての真の教育改革たりえず、世界史の流れにも背を向けていくものである」と厳しく批判したが、その答申はその後の教育政策のあからさまな国家主義的反動化に引き継がれていった。臨教審後の教育反動の流れを追ってみよう。

1985年9月
 文部大臣、教育課程審議会(会長・福井謙一 以下「教課審」と略す)に「幼稚園、小学校、中学校及び高等学校の教育課程の基準の改善について」を諮問。

1987年8月
 臨教審が設置期間満了。

1987年12月24日
 教課審、文部大臣に答申。

1989年2月10日
 その答申に基づいて、文部大臣、「幼稚園教育要項、小・中・高校の学習指導要領改訂案」を公表。

1989年3月15日
 上記「案」に重要な変更が行われ、文部省告示第24号として告示。

1989年4月
 中央教育審議会、再開。
 教育政策に関する議論は、再び中教審に委ねられることになった。

 1996年7月
 中教審、「二十一世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の第一次答申を発表。

 この答申では、臨教審が持ちだした教育における「不易」と「流行」という概念を引き継いでいる。答申が主張するところはおおよそ次のようである。

 第一に、教育には、どれほど社会が変化しようとも「時代を超えて変わらない価値のあるもの」(不易)を二点挙げて、それらを涵養する教育が極めて重要だとしている。  一つは
「豊かな人間性、正義感や公正さを重んじる心、自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心、人権を尊重する心、自然を愛する心」
などの道徳心であり、もう一つは
「子供たちにその国の言語、その国の歴史や伝統、文化などを学ばせ、これらを大切にする心」
すなわち、国家に対する帰属意識や忠誠心(愛国心)である。

 第二に、答申は、教育は「時代の変化とともに変えていく必要があるもの」(流行)に柔軟に対応していくことも必要だとする。すなわち、
「国際化や情報化などの社会の変化に対して迅速な対応する」
とともに、将来の社会変化に対応するため
「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断・行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」
を育むことも重要な課題だとした。そして、そうした資質や能力のことを「生きる力」と呼んだ。

 こうして、21世紀に向けて、国際社会の中で活躍できる日本人を育成するために、
①道徳心・愛国心の形成(不易)
②「生きる力」の育成(流行)
という二つの方向性が打ち出された。

 1989年は1月7日に天皇裕仁がなくなっている。そのことが学習指導要領改訂や中教審の答申に大きな影響を与えただろうことは容易に想像できる。久保さんは学習指導要領改訂について
「このように、幼稚園から高校までを一斉に改訂するのは、戦後はじめてであり、昭和の終焉にふさわしく、その規模においても、その質においても空前であった。」
と述べている。そしてその内容たるや、さらに輪をかけて「21世紀に向けての真の教育改革たりえず、世界史の流れにも背を向けていくもの」であった。まさに、学習指導要領改訂は反知性主義・歴史歪曲主義というイデオロギー(虚偽意識)にがんじがらめになって行われていたのだ。久保さんの分析を追っていこう。

 教課審の答申は、中教審答申を参考にしている点もあるが、前述した臨教審答申から重要な指針や教育内容の改善策について、多くを負っている。就中道徳教育の強化がその最たるものである。

 したがって学習指導要領改訂は、小学校低学年の社会、理科を廃止して生活科の新設、高校社会科を解体し、地理歴史科と公民科に分割したこと、国旗・国歌の強制、歴史上の人物名の明示、神話教育における『古事記』・『日本書紀』等の指定、天皇の地位に対する理解と敬愛の深化に及んでいるが、いずれも、道徳教育の強化に収斂していくものであった。

 しかも、道徳の内実となるものは、天皇に対する敬愛と国を愛する心である。この意味で、学習指導要領の改訂は、個々ばらばらに分散孤立して、各教科内容が改訂されたものではなく、昭和天皇の死去に際して醸し出された予期しない復古的風潮を背景にして、天皇敬愛を核とする、徳育重視の教育観によって、首尾一貫しているのである。

 学習指導要領が「徳育重視の教育観によって、首尾一貫している」流れの源泉はやはり臨教審であった。

 高校社会科を地理歴史科と公民科に分割するという構想の発端は、臨教審における教育目標論の審議過程においてであった。すでに前項においてのべておいたように、臨教審においては、21世紀に求められる日本人の資質とそれを達成するための教育目標として、

一、ひろい心とゆたかな創造力、
二、自主・自律の精神、
三、世界の中の日本人、

を挙げたのである。そして、その項目の説明において、
「世界から信頼される日本人にふさわしい礼節、礼儀作法をしっかりしつけること、日本の豊かな歴史、伝統、文化を大切にし、国を愛する心を育くむこと、……初等中等教育における社会科の在り方を見直し、世界地理、日本地理、世界史、日本史の基礎・基本をしっかりと教えるようにすること、……」
が強調された。

 このように「世界の中の日本人」であるためには、日本人としての自覚をすることであり、愛国心を高めることである。そのためには、これまでの社会科を解体し、地理・歴史を独立させ、しっかりと学習させることであるとしたのである。これは、臨教審第二次答申として、中曾根首相に答申されたのである。

 教育課程審議会が教育課程問題を審議の最中の1987年10月2日に、リクルート事件に関係した高石邦男文部次官が二回も総理官邸で中曾根首相に会い、そのとき、「地理と歴史は大切だ」という首相の意向が伝えられ、高石次官がその実現を引き受けたという。その後、高石次官は、歴史独立、世界史必修へと大きく踏み込み、その結果、同年11月13日の高等学校教育分科審議で、社会科解体案が決定された。この詳細については市川博「学習指導要領を書いたのは誰か」(「世界」1989年11月号)にのべられている。

 教育内容そのものに対する政治権力の介入は、教課審レベルだけでなく、学習指導要領の起草過程においても、不当な圧力が加えられていたという。次のようである。

 中島源太郎は、文相に、1987(昭和62)年12月に就任した。翌年2月の学習指導要領案では、日本史については12の歴史区分を設け、「日清・日露戦争と国力の充実」の項にふさわしい人物として伊藤博文と小村寿太郎の名前が上っていた。その後、4月案では小村寿太郎が消え、かわりに東郷平八郎が入っていた。それが5月16日の『朝日新聞』にスクープされ、文相もそれを知って驚いたという状況であった。

 文相は、その取り消しを担当者に指示し、省議でも反対であると発言し、また内閣改造で後任の西岡武夫文相との事務引き継ぎの際、
「小学校6年で教える社会科の歴史に東郷平八郎を入れることに反対です」
とその一点だけを申し送り事項にした。しかし、結局それは受け入れられなかった。これを見ても、東郷平八郎を入れるということについて、相当強い圧力があったことが理解される。

 その圧力集団の一つが、自民党文教族で構成される「初等中等教育に関するプロジェクトチーム」であった。

 ついでながら、現在、塾マネーがらみの政治資金問題で追及されている下村文部科学大臣は文教族としてのキャリアを積んでのし上がってきた人である。このお人、親学という全く反知性的な偽学問の信奉者である。こういう人にこそ道徳教育が必要だ。

 さて自民党文教族が教育政策議論にどのような圧力を掛けていたのか。(次回に)
スポンサーサイト
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(54)

権力が教育を破壊する(37)

教育反動(29):中曾根臨教審(7)


(4) その他の答申事項

 久保さんは「その他の答申事項」の中から「生涯学習体系への移行」と「初等中等教育の改革」を取り上げている。

<1> 「生涯学習体系への移行」

 これは、臨教審幹部によって、改革のキーワードであると解説された項目である。

 第一次答申では、生涯学習は学歴社会を是正する手段として提起されたが、第二次答申では、
「本審議会は生涯学習体系への移行を主軸として、学校中心の考え方を脱却し、21世紀のための教育体系の総合的な再編成を提案する」
としている。このように、「生涯学習体系への移行」が、日本の教育制度全般を改革する原理になる、という大仰な問題提起をしているのである。この立場から「学校教育体系の肥大化(学校教育の量的拡大と期間の長期化や学校教育への過度の依存志向など)に伴う弊害」があるとし、これに変えて改革していくために「新しい柔軟なネットワークを形成することである」としている。

 私は、この「生涯教育」という用語を知ったとき、「生涯にわたって教育されてたまるか」と、つい口走ったことを思いだした。教育とは国家から押しつけられるものではなく、その根本はすべからく自己教育であるべきだ。小学生だって、学校で押しつけられる教育(それが一つの契機となっている場合もあるが)とは別に、自らの興味と関心に沿った読書・芸術的営為や鑑賞、あるいは友人との人間関係を通して、知的・情緒的・道徳的学習をを行っており、そうした自己教育が個性ある人間性を育てている。

 さて、久保さんは臨教審が「生涯学習体系への移行」の論拠としている「学校教育体系の肥大化に伴う弊害」という認識と、そこから引き出された「生涯学習体系」論の実態を次のように批判している。

 このような臨教審の学校観は、歪んだものであり、誤ったものといわざるをえない。学校は肥大化するどころか、国民の教育要求を満たすのには、縮小化さえ見られる。しかも学校の教育条件は劣悪であり、この改善、向上、拡大こそ教育改革の第一歩である。

 登場した「生涯学習体系」そのものに問題がある。その「生涯学習体系」論の実態は、「教育の自由化」論の再浮上である。教育を市場競争の場に晒し、経済的利益の対象に位置づけようとするものであった。答申はいう。
「家庭教育、学校教育、社会教育、職業能力開発、新聞・出版・情報サービス・研究開発のためのシンクタンク。カルチャーセンター・塾等の情報・教育・文化産業等による教育活動を、人間の各ライフステージとの関連において総合的なネットワークとしてとらえ直す必要がある」

 この「総合的なネットワーク」のうち学校教育以外の大きな部分は、結局、情報・教育・文化産業の供給する教育サービスであり、それを生涯にわたって自己の責任で、自己の負担で購入し続けて学習していくことを意味する。人権としての生涯教育の国際的理念とはなじまないものである。

<2> 「初等中等教育の改革」

 第二次答申の第二部第三章の「初等中等教育の改革」の最初の第一節が「徳育の充実」である。これは、臨教審が教基法の教育目的条項を最大の関心をもって臨んだことを象徴している。とくに、
『小学校低学年における「児童の生活を中心とした内容により構成される総合的教科を構想」し、「体験的な活動を通しての基本的な生活習慣の形成」をはかる』 として、特設「道徳」のほかに、さらには「総合的教科」を設置しようとして、「生活科」構想が出されている。

 この答申は、言うまでもなく、道徳教育の強化を目指す意図をもったものであるが、他面低学年社会科の解体をもたらすものであった。さらに道徳教育の副読本の使用も提言し、大学での「教職科目の内容、初任者研修を通じ、現職研修を通じ、道徳教育」の強化が提起された。

 これらの提案は、教育課程審議会に引き継がれ、国家主義的色彩の濃厚な学習指導要領改正に結実していった。

 久保さんは、以上の臨教審の答申を総括して、次のように結語している。

 こうして、臨教審は、1987年8月7日、最終答申(第四次答申)をまとめ、中曾根首相に提出して、その任務を終了した。最終答申は、これまでの提言を整理し、21世紀に向けての教育改革の視点として、「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「変化への対応」の三点を改めて強調したものであった。

 これらについては、すでに批判したとおりであり、21世紀に向けての真の教育改革たりえず、世界史の流れにも背を向けていくものであると判断された。

 とくに、国旗・国歌の尊重については、審議経過では「国際常識」と位置づけていたが、最終答申では藤尾前文相や塩川文相の要請に配慮し、「学校教育上適切な取り扱いがなされるべきである」と一歩踏み込んだ措置を提案したことは、臨教審全体の性格を象徴するものであった。そして、「君が代」斉唱、「日の丸」掲揚は、学習指導要領改訂を待たずして、小・中・高校に強制化されるのであった。

 学校で国旗・国歌の尊重は「国際常識」であるといったような根拠のない誤った認識をもとに議論を進めてる。臨教審での議論はこのような反知性主義的議論のオンパレードである。

 私は、学校で国旗・国歌の尊重が「国際常識」ではないということを、すでに「世界の国々での学校における国旗・国家の扱い」で取り上げている。改めてその記事を読んでみたが、そのときに利用した資料の一つは政府による調査結果であった。そして、なんとその調査は1985年に行われている。つまり、その調査は臨教審がさまざまな議論をしていた時期に行われていたのだった。もしかすると臨教審の委員たちは学校で国旗・国歌の尊重が「国際常識」ではないということを知っていたのではないだろうか。もしそうだとすると、これは自説に都合の悪いことを隠蔽して自説を強引に主張する歴史歪曲主義者たちの手法と同じである。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(53)

権力が教育を破壊する(36)

教育反動(28):中曾根臨教審(6)


(3) 「教育の自由化」論

 「教育の自由化」は臨教審第一部会「21世紀を展望した教育の在り方」で議論された。「教育の自由化」は、当初は規制緩和(ディレギュレーションderegulation)と呼ばれていたが、これを「自由化」と訳した。そこには、あたかも「現在の公教育に自由がないので、それを自由化する」と、公教育への不信をあおる意図があったと思われる。そして、戦後教育の基調の一つである「機会均等」という概念を「画一主義」にすり替え、それと対抗する概念として「個性重視」を打ち出してきた。それは、京都座会の提言と同様、学校間・生徒間、さらに教師間にも、能力主義と市場競争の原理を導入し、教育を企業の投資対象とする道を開くためであった。総じて、教育の機会均などの民主主義的原則を否定し、それがあたかも自由の対立概念であるかのように見なして進めた論理的詐術とでも言えばよいだろうか。では、実際にどのような議論が進められていったのか、たどってみよう。

 1985年2月9日、臨教審の第一部会は、「教育の自由化」をめぐって激論が続いたという。「審議経過の概要(その2)」にその論議の内容が記述されている。しかし、『朝日ジャーナル』には、それとはニュアンスを異にする、未公表の議事概要が紹介されているという。久保さんはまず初めにその未公表の議事概要を取り上げている。次のようである。

「臨教審として、第三の教育改革を訴えるには、やはり『自由化』を強調することがポイントだ」。

「親が子供を育て、教師が生徒を教えるという行為に『自由化』という言葉はなじまない」。

「いや理念として『自由化』が入っていなければ改革の名に値しない」。

「教育における『自由』という言葉がわからない」。

「文部省が『自由』を避けてきたことこそ問題である。教基法の第一条、第二条に掲げられているのは、まさに『自由』の原理であり、戦後、文部省、日教組ともこれを忘れたのではないか」。

「自由の大切さは、理念としてはもっともである。しかし教育の現場では『自由』をめぐる不幸の確執が続いてきた。校長は教員に対し余計な口出しをするなという意味での『教師の自由』は裁判ざたにもなったし、ここでは自由は無規律と解されるごとくになっている」。

「文部省も教育委員会も校長等の管理責任者も、この意味での自由=無規律の是正のため、必死に努力してきている。生徒の構内暴力の非行にも、教師対生徒の関係の無規律にその原因の一端があり、このための是正も懸命に行われている」。

「自由という言葉は、学校現場では、日教組が校長等の管理者のコントロールに服さず、勝手きままにするという意味にとられるのか」。

「その通りであり、学校現場はやっと立ち直りつつある状況にあり、いま『自由』というと誤解されて、また逆戻りするのではないか心配である」。

 久保さんはこうした議論を
『このように「教育の自由化」論議で問題になるのが、文部省サイドの委員の中から、自由という言葉を多年使い続けてきたのは日教組であり、いままたそこに自由という言葉をもち込むと現場が再び無秩序になり混乱するからという根拠で、反対論を繰り返し展開することであった。次元の低いものであった。』
と、切り捨てている。

 「審議経過の概要(その2)」によると、上のような論争を通じて、「教育の自由化」は、「理念のレベル」と「手段のレベル」の両面にわたって検討されるべきであるという主張がある一方、「教育の自由化」そのものに反対という主張があり、混沌とした議論が展開された。そして、最終的には
『戦後教育においては、「教育の機会均等」の実現をめざすあまり、「平等」の概念が強調されすぎ、個性の尊重、自律、自己責任というような「自由」の概念が軽視されてきたから、教育改革の基本方向として、個性の尊重、個人の尊厳をかかげる』
ことに、ほぼ共通の認識が得られたという。

 「中曾根臨教審(4)」で取り上げた「京都座会」の「教育の自由化」論に沿った主張を臨教審で展開したのは、天谷直弘(元通産審議官 京都座会のコアメンバーであり、臨教審第一部会長に就任している)や香山健一(学習院大教授・政治学)等の委員であった。彼らは教育改革の手段と方法について、つぎのような主張をしていた。
『義務教育の在り方、学区制、学校と塾、公立学校と私立学校、学校の設置基準、教科書検定、教員採用、文部省・教育委員会の役割、等の諸分野について、従来の教育行政における規制、許認可を見直し、児童・生徒・父母の選択の自由を拡大すべきである』

 これを素直に受け取れば、教科書検定を初めとする文部省による教育への過度な介入を批判しているように見えるが、「中曾根臨教審(4)」で見たとおり、京都座会の提言にはそのような主張はこれっぽちもない。天谷らの主張に対しては、画一性などを打破する必要は認めつつ、
「急激な自由化は、混乱や弊害を呼ぶ危険があり、とくに義務教育段階の学校設立の自由や学区制の廃止等には慎重を期すべきである」
という反論があったというが、天谷らに批判的な委員たちも「文部省による教育への過度な介入」を問題化する意義など全く念頭にない。

 「教育の自由化」という概念から私たちが受け取る意味は、教科書・教育内容に対する権力の介入排除、国民・地域住民に直接責任を負う教育行政機関への参加の自由、教師の教育の自由などであり、総じて「国家権力からの教育の自由」であろう。もちろん、香山の主張する教育の自由化は、そうした真の意味での「自由化」ではない。香山は、歴代文相と臨教審幹部との懇談会(1985年1月31日)において、教科書検定についての自説を述べ、文相経験者たちを安心させているという。

 香山が打ち出した京都座会の「教育の自由化」論は、反対意見と妥協しながら方向転換を行っていく。「概要(その2)」では、「教育の自由化」の言葉は消え、それに代わって、「個性主義の原則」なるものが、教育改革の理念として浮上している。日本を代表する(と自負しているであろう)知性の集団が作成した妥協の産物はそこらじゅう支離滅なしろものとなっている。久保さんはその「概要(その2)」の記録を追いながら、それを厳しく批判している。次のようである。

 「概要(その2)」は
「この個性主義とは、個人の尊厳、個性の尊重、自由、自律、自己責任の原則の確立であることを確認した」
と定義付けをしている。

 個性主義という用語からして、日本語として意味不明である。その内容も、次元を異にする価値観を、並列、羅列しているにすぎない。そして、続けて、「個性主義」に関して留意すべき点を挙げている。

「① 個人レベルの個性だけでなく、家庭・学校・地域・国・時代などのレベルの個性を幅広くとらえる必要があること」
としている。

 ここでも、個性尊重の原則を強調する視点から、このような対象を列挙して何をいおうとしているのか、漠然として、理解できない。

「② 日本文化の個性は、伝統文化を踏まえた新しい文化の創造によって発展するものであること」
を挙げる。

 これは、一つの日本文化論であって、なぜこの論点だけを強調するのか、また、それが、個性尊重の教育とどう結びつくのか不明である。

「③ 個性主義をエリート主義と解するのは誤りであり、むしろ多様な個性の開花により偏差値型エリート主義の弊を改めようとするものであること」
という。

 このような表現をして、弁明をしなければならないのは、自由化論者(香山、天谷委員他)が、戦後教育を「平等」ばかり強調する画一主義であったとのべ、学校にも、生徒間にも、教師間にも、能力の原理と競争の原理を導入して活性化させようと主張していたからである。その論理の発展として、当然、「個性主義」と「エリート主義」の結合を考えるのは自然であろう。それを裏づけるかのように、臨教審は、具体的提言で、エリート化する危険があるとみずから認める六年制中等学校の創設を提言しているほどである。

「④ 教育の場に特定のイデオロギーを持ち込むことは個性の伸長を妨げるおそれがあること」
まで確認されたという。

 この命題も理解に苦しむところである。特定イデオロギーに限らず、政治的あるいは党派的思想の強制、権力の教育介入は、個性の伸長だけでなく、教育全般に悪影響を与えるものとなる。学習指導要領の法的拘束化や検閲的教科書検定こそ、個性の伸長を歪める最たるものであることを銘記すべきである。

 こうして、臨教審の文書からは、「教育の自由化」の用語が消え、理解することの困難な「個性主義」が、それにとって代わったのである。それについて、天谷第一部会長は、口頭で、
「いわゆる自由化とは審議メモにいう画一性・硬直性の打破、個性主義の尊重の意味であったように思う。しかし『教育の自由』をまったく別の意味に解する向きもあるので、個性主義という表現を用いることがより適切であろう」
と付け加えたという。

 これは、明らかに、前述したように、自由化派と反自由化派の対立調整の妥協案であった。これによって、正統的な教育の自由論を逸脱した京都座会的自由化主張さえからも、後退したことを意味した。

 臨教審提言した六年制中等学校は現在「中高一貫教育」と呼ばれて全国的に展開されている。それらは明らかにエリート校をを目指すものである。

 また、教育の場に自民党公認の国家主義という特定のイデオロギーを持ち込む動向もいよいよあからさまに推し進められている。その典型的な事例が「日の丸君が代の強制」である。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(52)

権力が教育を破壊する(35)

教育反動(27):中曾根臨教審(5)


(2) 教育基本法への対応

 「中曾根臨教審(3)」で指摘したように、臨教審法第1条は
「教育基本法の精神にのっとり、その実現を期して各般にわたる施策につき必要な改革を図る」
とうたっている。これについて久保さんの
「これは一つには、野党対策でもあり、二つには、こと荒立てて教育基本法改正といわなくても、解釈改法により、実質的に改正の目的が達成されるからである。」
という論評を紹介した。では、臨教審は具体的にどのように教基法の「解釈改法」を行っていたのか、見てみよう。

 久保さんは、「審議経過の概要(その2)」を用いて、教基法をめぐる臨教審の審議を分析している。それによると、教基法に対する評価としては、積極的な評価や消極ながら評価するものがあったが、条文改正の主張はほとんどなかったという。しかし、今後とも「教育の目標」論議を深めていくことになり、それに関連した討議の中では、「教育憲章」を新たに制定せよ、「国会決議も一つの方法である」という提唱もなされたという。

 「教育の目標」論議では
「『人格の完成』に自己を内から律する価値を入れなければならない」
という主張に対しては、
「内面的規範に立ち入るのはよくない」
という意見があり、
「国会決議」に対しては
「国会決議になじむとは考えられない」
という意見があったという。
 あるいは、
「簡潔な内容で、かつ国民大多数の合意が得られるものであれば、必要性を提起する意義もある」
との意見も見られた。そして、教育の目標を一律に論ずることはきわめて困難である、とされた。

 上の意見の中で「内面的規範に立ち入るのはよくない」というしごく真っ当な意見があったことが注目される。それが、共通見解として合意されていけば、現在のアベコベ政権の教育政策(折しも、2月4日、文部科学省が内面的規範に土足で踏み込むような「道徳正式教科化」改定案を公表した)も含めて、異なった局面が展開されたかも知れないと思えるが、残念ながら、これは少数意見にとどまったようである。

 自民党が教基法を問題視してきたのは、主として第一条の教育目的条項に対してであった。教基法の教育目的条項には、愛国心・伝統文化の尊重などが盛られていない、という不満を提起してきたのだった。

 臨教審の「教育の目標」論議について、久保さんは次のように解説している。この解説はアベコベ政権の「道徳正式教科化」指向への批判ともなっている。

 教育目的といえば、当然いかなる人間を形成すべきか、どのような国民的素質をもった個人を育成すべきか等々に関わってくるのである。したがって、このような教育目的に関する事項は、市民社会においては、それぞれの市民に、また子どもの教育に直接責任を有する両親を含む国民の自主的判断に委ねられたり、あるいは宗教的倫理観が、それに代わることが一般的であった。それを、教育基本法第一条のように、法律において明文化することの必然性は、長く国民の教育目的を教育勅語に依存せざるをえなかった、天皇制国家の特殊性から由来するところが大であったといわなければならない。

 法律において明文化される教育目標が、人類普遍の価値であるにせよ、あるいは基本的人権に根ざす教育理念を包含したものであれ、その妥当性は、依然問われなければならない性質のものである。そういった性質のもの、すなわち個人の価値観、世界観、思想および倫理観のような、個人の内面に関わる事項を包含する教育目的を、法律で規定することには、問題がある、ということである。もっと強くいえば、それは、日本国憲法規定と両立しえない、ということである。

 その意味で、前述の意見すなわち「内面的規範に立ち入るのはよくない」の見解は、重要である。

 臨教審の委員の中で教基法の見直しを積極的に主張したのは有田一寿(九州工業学園理事長)と金杉秀信(同盟副会長)であった。
有田発言
「わたしは全面的改正とまではいいませんが、やはり宗教心の涵養だとか国を愛する心だとか、または伝統文化の尊重だとかは加えるべきだと思います」
金杉発言
「『人格の完成』とありますが、それは具体的にどんなことなのか。あいまいな点が目につきます。このようなことを克服するためには、やはり『教育基本法』を見直すべきだ、とわたしは考えています」

 さらに、金杉は、臨教審合宿審議において、一歩踏み込んで、教基法の成立過程を調査した結果から、
「親子・家族への情愛、弱者やお年寄りへの思いやりの心、歴史・伝統の尊重、独立自尊の精神といった人類普遍の道徳律を、あえて教育基本法に条文化しなかったのは、高橋文相答弁にもあるように、教育勅語はそのまま存続するとしたからである。……」
と述べている。つまり、その失われた部分(教育勅語)を、今こそ教基法において補うべきではないか、と主張しているだ。

 久保さんは続いて「審議経過の概要(その3)」を取り上げている。そこでは、教基法の教育目的に関して
「教育の目標 ― 教育基本法の精神が、今後の我が国の教育に生かされるよう、その正しい認識の確立に努める。それを基礎に、21世紀に向けての教育の具体的・実践的な目標と方法を明確なものとするよう努力すること」
が意図され、具体的な教育目標が提示されている。その教育目標を検討する前に、久保さんはそのよって立つ理論的根拠を分析している。それを読んでおこう。

 「概要(その3)」は、まず、教基法第一条の「人格の完成」について論じている。その教基法第一条に対する久保さんの基本的姿勢は次の通りである。

《人格とは、「道徳的行為の主体としての個人」(『広辞苑』)であり、そのような個人の道徳的発達を期することが、人格の完成に通ずるものとなる、と解したい。しかも、その徳性の内容 ― 社会生活を営むうえで、ひとりひとりが守るべき行為の内面的規準 ― は、市民社会の構成員、国民、親に委ねられるべきものである。》

 このような教基法第一条についての真っ当な見解に対して、臨教審という政権お気に入りの知識人組織は、その議論を見ると、全くの反知性主義者の集まりと言わざるを得ない。私はそういう人たちの知性の本質を虚偽意識(イデオロギー)と呼んでいる。その典型的な例が見られるだろう。久保さんの論評を読んでいこう。

 この「概要」においては、
「教育的努力の究極の目標としての『人格の完成』は、いわば理想的な人間の類型であり、それは個々の自然的人間をこえて普遍的、理想的、宗教的、超越的な究極の価値を永遠に求め続ける人間の営みの中にこそあるものである」
とのべている。これは、まさに人知を超えてすぐれた、尊崇すべき存在であり、宗教的信仰の対象でもある神を求めているのである。

 この「概要」において、多くを引用している田中耕太郎の『教育基本法の理論』には、「最も崇高な意味における完成された人格の像は神でなければならない」とのべている部分がある。臨教審も、立論の根拠を田中耕太郎の所説に依拠している。神の存在は、単一でなく、多くの神々が存在する。法によってあるいは、国家権力によって、特定の単一神を独占的に、そこに位置づければ、私にとっての神は他人にとっての悪魔であるかもしれない。したがってそこに神々の対立が引き起され、限りない抗争に発展しかねない。

 田中耕太郎自身、「国家が法律を以て間然するところのない教育の目的を明示することは不可能にちかい」さらに「如何に教育思想が混乱し不明確であるにしろ、道徳の徳目や教育の理念に関する綱領のごときものを公権的に決定公表することは、国家の任務の逸脱であり、パターナリズムかまたはファシズム的態度といわなければならない」とさえいっている。このように田中は、国家権力が教育目的や道徳の徳目の在り方に介入することを峻拒したのである。それにもかかわらず、教基法第一条を規定したことについては、「法が教育の目的やその方針に立ち入ったのは、過去において教育勅語が教育目的を宣明する法規範の性質を帯びていた結果として、それに代るべきものを制定し以て教育者の拠りどころを与える趣旨に出」たとのべ、法の介入を是認するとともに、歴史的事情を免責の根拠としていた。

 臨教審は、田中のこの重要な所説を意図的に無視して、道徳の具体的な徳目にまで介入するのに好都合な部分のみを引用し、立論の根拠にしているのは公正ではない。後述するように、臨教審は「教育の自由化」を当初教育改革の旗印としたが、その冒頭に教育目的、道徳教育の国家権力からの自由化を位置づけるべきであったが、現実は、まさに逆の方向に走ったのは、その自由化の内実が紛い物であったことの証左であった。

 「概要(3)」では、田中耕太郎自身が立法者意志とは異なることを断りながらのべている箇処を、あたかも立法者意志のごとく権威あるものとして引用している。それは、つぎの部分である。

「完成された人格の内容の中には、当然国家や民族の意義と価値の認識、国家の権威と秩序の尊重、民族とその文化に対する理解と愛、国民としての義務と責任の自覚、公共心の涵養等が含まれる。」

 これは、人格概念を不当に拡大し、とくに政権担当者の立場からの、倫理的・道徳的観念を超越した、国家主義イデオロギーの強要と受け取られかねない危険さえあるものである。臨教審は、このような観点にたって、「21世紀に向けての教育の目標」を設定している。目標は目的を具体化したものであり、「人格の完成」の目的を、さらに具体化したものとして、それは、徳目の設定にあたる。これこそ、国家権力がもっとも抑制しなければならないものの一つである。

 その目標は、
一、ひろい心とゆたかな創造力、
二、自主・自律の精神、
三、世界の中の日本人、
をかかげている。

 このうち、三の世界の中の日本人について見てみよう。その説明で、
「これからの日本人は、狭い自国の視野の中だけではなく、広い国際的、地球的、人類的視野の中で日本人としての自覚を形成するという基本に立つ必要がある」、
そして
「こうした目標を達成するために必要なことを例示すれば、美しい、正確な国語能力を身に付けさせること、世界から信頼される日本人にふさわしい礼節、礼儀作法をしっかりとしつけること、日本の豊かな歴史、伝統、文化を大切にし、国を愛する心を育くむこと、……初等中等教育における社会科の在り方を見直し、世界地理、日本地理、世界史、日本史の基礎、基本をしっかりと教えるようにすること……」
をのべている。世界の中の日本人の形成といってみても、ポイントは愛国心を喚起することに尽きるようである。しかも、そのために小・中・高校における社会科を解体し、地理・歴史を分離・独立させようと目論んでいるのである。徳目の細目を強要したり、そしてその目的のために、重要な教科目の再編を提示するにいたっては、寄って立つ自己の立場から逸脱するも甚だしいものがある。

 このような例は、
一、ひろい心と豊かな創造力、
についてもいえる。

「ひろい心を育くむ最初の揺りかごとしての家庭を大切にすること、とくに、幼児期から少年期において、子ども同士でのびのびと遊び、楽しみ、運動することを教えること……大人の側からの過保護、過干渉、過剰管理にならないよう厳しく自制し……」
とのべているのを見ると、私的領域である家庭の在り方まで、過干渉し過剰管理しようとしている。これこそ政府は、厳しく自制すべきであり、そのようなことが可能になる環境整備こそ、国家権力の役割であろう。

 こうして、臨教審は、教育基本法に対しては、その第一条の「人格の完成」概念を、国家主義の観点から不当に拡大解釈し、その目的達成のために、徳目に当たる三つの具体的目標を設定し、愛国心の涵養や家庭の在り方まで方向づけたのである。これは民主主義の政府が立ち入ることのできない領域であることを確認すべきである。

 金杉が教育勅語から引き出した具体的な道徳教育項目は、このように臨教審においてより詳細に議論されていた。そして、この臨教審で行われた議論が、現在のアベコベ政権の「道徳正式教科化」案の学習内容にしっかりと盛り込まれている。小学校1・2年では19項目、小学校3・4年は20項目、小学校5・6年と中学校で22項目の学習内容があり、これを検定教科書を用いて教育し、記述式で評価するという実にあきれるほかないトンデモ案である。この案を作った方々、自らを省みて忸怩たる思いはまったく起こらない鉄面皮、いや失礼、聖人なのだろうか。参考までにその学習内容案の画像を添付しておこう(東京新聞より転写)。

道徳教科化学習内容1 道徳教科化学習内容2
道徳教科化学習内容3
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(51)

権力が教育を破壊する(34)

教育反動(26):中曾根臨教審(4)


「京都座会の提言」

 京都座会は、世界も日本も危機状態にあるという認識をもとに、その危機を打開するために、
「日本と世界の秩序の構築についても率先して研究、検討、積極的な提言、提案を行っていく」
ことを目的に発足した。そして、この方針に従って、国家経営研究・国際問題の研究・新しい人間観の研究・テクノポリスと国土創成研究・教育問題の研究の6領域が設けられた。教育問題の研究グループは京都座会のコアメンバー全員で構成されていた。すなわち、主査・加藤寛以下、松下幸之助・天谷直弘・飯田経夫・石井威望・牛尾治朗・高坂正尭・斉藤精一郎・堺屋太一・広中平祐・山本七平・渡部昇一である。このうち臨教審の委員にもなっているのは天谷直弘(元通産審議官)と石井威望(東大工学部教授)である。

 上記の天谷・石井もそうだが、それ以外にも私には初めて見る名前がある。ネットで調べてみた。要するにメンバーは、自民党政権が設けるどの諮問機関とも同じで、財界人・元官僚・いわゆる有識者(御用学者・保守系言論人)たちである。中でも歴史歪曲主義者の中心的存在である渡部昇一が加わっていることが私の目を引いた。この会がどのような提言をするのか、おおいに興味がわいた。その提言を確認してみよう。

ちょっと脇道へ。
 上で私は「歴史歪曲主義」という言葉を使ったが、一般には「歴史修正主義」が使われている。私は常々「歴史修正主義」は事実を誤解させる言葉であると不満に思っていた。そこで私はこれまで「正」を修正して「歴史修偽主義」と表記してきた。
 ところで、昨年の『週間金曜日1014号』(10月31日刊)の表題は「歴史修正主義 日本の政治家に蔓延する病」と「「歴史修正主義」を使っていた。これにも不満を感じていた。ところが1024号(1月23日刊)の表題では「歴史歪曲主義」と表記されていた。ウン、これがピッタリだと思った。以後はこれを用いることにした。


閑話休題。
 京都座会の提言は次のようである。

「提言1」
 学校の設立を容易にし多様化すること。

 そこでは学校設立に伴う規制や指導を緩和し、誰でも自由に学校を設立できるようにし、学校の種類を多様化することを主張している。

「提言2」
 通学区域制限を大幅に緩和すること。

 現在あるすべての通学区域の制限を大幅に緩和し、学校選択の自由を拡大すべきであると主張している。

「提言3」
 意欲のある人を先生にすること。

「提言4」
 学年制や教育内容、教育方法を弾力化すること。

 これまでの固定的な学年制を弾力化し、子どもの学力に応じて、飛び級制度を設けること、教育内容やその方法も、学校設置者によって自由に決定できるようにすべきであると主張する。

「提言5」
 現行の学制を再検討すること。

 例えば六・四制でも六・六制でも、あるいは五・四制でも、設置者が自由に選択できるようにし、さらに、標準学力認定制度に合格すれば、就学しなくてもよい、とすべきである。

「提言6」
 偏差値偏重を是正すること。

「提言7」
 規範教育を徹底すること。

 人が人であるための共通の規範があり、また人が社会人として生きていくため共通の規範がある、として、つぎの項目を挙げている。
① 自分自身の言動に責任を負う責任感。
② 他人の気持ちを思う心の優しさ。
③ 法を守り、ルールを尊ぶ公平な気持ち。

 要するにかねてから財界が強く望んでいたこと、つまり、多様化してきた労働力需要に見合った従順で便利な労働力を欲しているのだ。この提言についても、久保さんが適切な論評を加えている。次のようである。

 こうして見ると、提言は、教育の自由化、学校の多様化と弾力化を押し出し、教育の領域に市場原理を導入し、義務教育さえも競争原理に晒すことを強調したのである。

 したがって、この主張は、父母、地域住民に根を下し、教職員とともに、ひとりひとりの子どもの生長、発達をめざして、地域の学校づくりに努力してきた、戦後民主主義教育の体制を解体しようとするものであった。

 この京都座会の提言は、臨教審の場において、さらに、強力に展開されていった。


 それでは、その臨教審の審議内容を見てみよう。

 久保さんは臨教審の審議内容を
(1) 歴史観
(2) 教育基本法への対応
(3) 教育の自由化論
(4) その他
に分類して、検討している。

(1) 歴史観

 ここでの久保さんの論考はこれまで学習してきた「教育の反動化」の総まとめになっている。少し長いが久保さんの論考をそのまま転載しよう。

 まず、臨教審が明治以降、第二次大戦後の今日にいたるまでの教育史を、どのように認識しているかを見てみたい。過去をどのようにとらえるのかを知ることによって、現状認識を、そして何を改革しようとするのかを知ることができる。

 端的にその歴史観を示しているのは、
「明治、大正、昭和の日本の追いつき型近代化は、成功のうちにその百余年の歴史的役割を終えた」
という叙述である。

 そして、
「この『第二の教育改革』(戦後教育改革)によりもたらされた義務教育期間の延長、高等教育の大衆化なども、大局的にみるならば、明治以降の追い付き型近代化時代の教育の延長線上にあるものであり、その意味において、明治以降の追い付き型教育は、戦後の『第二の教育改革』により補完されたとみることができる」
とのべることによって、臨教審は、戦前・戦後の教育を連続的に追い付き型ととらえるという一面的、単純な史観におちいっているのである。しかも、それは、成功裡に歴史的役割を終えたととらえる歴史観でもあった。

 しかし、この連続説に対しては、厳しく批判されたこともあり、「審議経過の概要(その3)」以降は、戦前・戦後を連続と断絶としてとらえるようになった。

 「富国富民」という範疇においては、戦前・戦後を連続面ととらえ、「強兵」路線においては、「第二次世界大戦に至る不幸な歴史過程」の帰結が、「無謀で悲惨な戦争と敗戦であった」とし、その結果、
「軍国主義・極端な国家主義が否定されたことは、戦前と戦後の教育の非連続面として正確に認識しておかなければならない」
としたことにそれが現われている。

 これは、一歩前進として評価しておこう。そして、敗戦の結果として、
「『強兵』目標の否定、『富国』目標への集中を可能にし、それが、世界の奇跡ともいわれた戦後日本の高度経済成長時代をもたらした」
とのべているが、その基盤となっている日本国憲法第九条についての記述を欠いているのは公平ではないというべきである。

 しかし、「富国富民」の連続史観においては、強兵への道を、昭和の戦時期に限定することによって、明治以降の天皇制、国家主義、軍国主義、戦後の官僚支配、政党支配の強化の事実を免罪し、人類普遍の諸価値に根ざす戦後教育改革への積極的評価を作為的に無視しているのである。

 たとえば、明治期において、教育勅語に言及している記述がある。
「欧米化、近代化に伴う社会的統合の崩壊を防止するものとして、また欧米化との心理的均衡を図るために」
「教育勅語」が出されたことを「貴重な教訓」だとのべている。

 教育勅語が、日本の教育にとって如何なる負の役割を演じたのかをまったく問うことなしに、それが一方的に肯定的に取り上げられているのである。この「貴重な教訓」といっていることは、大変意味深長である。後述する教育基本法のところでふれるが、かつて「文教懇の報告」がのべた「不易」と「変化」と同様の発想で、ここでも「不易」と「流行」の用語を使用している。これからの教育においては、国民的合意を前提に、一定の共通目標、基準等を必要とするが、その際「不易」なるものを、それに対応させようとしている。その「不易」なるものを確定するのに、教育勅語が、貴重な教訓になるといっていると判断されるのである。

 戦後教育史においては、前述したように、戦後教育改革の民主主義的性格への評価を欠いていることから、その後の歴史的認識が、必然的に歪んだものにならざるをえなくなっている。
「第二期においては、占領期にほぼ骨組みのできあがった新教育制度に、……我が国の実情に即した手直しが行われた。その後、いわゆる……技術革新と経済成長に基づく教育への社会的需要が増大し、教育の著しい量的拡大が行われた」。
そして、「第三の教育改革」と謳われた中教審答申(1971年)も教育理念の検討を避けたために、不発に終わったのだと批判されている。

 戦後日本の「富国富民」路線にそった、理念なき経済成長が、さまざまな社会病理をもたらし、それが「学校」に集約されて噴出したことも事実である。その教育荒廃の諸要因の一つに、学校教育が画一性・硬直性におちいっている、としてあたかも客観的立場で指摘して、それで良しとしていることは、臨教審としては無責任の謗りを免れないのではないか。

 この教育の著しい量的拡大の時期に、文部省の権限も急速に拡大され、それが、高校以下の学校教育を画一化し、硬直化させたことに、一指もふれないことはどういうことなのであろうか。

 公選制教育委員会を任命制教委に強引に法改正をしたことから始まって、学習指導要領の法的拘束化、勤務評定、全国一斉学カテストの強行、教科書検定の検閲化と連続的に打ち出された教育政策の展開は、戦前以上の教育の中央集権化と教育に対する政治的介入を許容するにいたった。経済大国であることを誇示しながら、学級規模は、1991年まで上限45人学級という基準が継続し、諸外国の場合の現状で平均して小学校29人、中学校・高校26人と比較して、劣悪な状況におかれていた。こうした国家政策の結果によって、学校における硬直化と画一化がもたらされたのである。

 こういった歴史認識に立脚した現状分析においては、現実の諸問題を正しく反映することは困難である。

《『羽仁五郎の大予言』を読む》(50)

権力が教育を破壊する(33)

教育反動(25):中曾根臨教審(3)


1984年1月4日
 伊勢神宮参拝後の記者会見での中曾根談話。
「教育改革では、1月中に中央教育審議会に諮問したい。できるだけ早く、しかも全力を尽くしたい。」

(ついでながら、首相の伊勢神宮参拝は、靖国神社参拝と同様、政教分離にもとる憲法違反の行動である。)

1月7日
 これを受けて文部省は「第14期中教審を1月末に発足させる」ことを決めた。

 しかし、中曾根は教育改革の検討を中教審に委ねるのか、それとも別な機関を設けるのか、揺れ続けていたようだ。

1月9日
 中曾根は森喜朗文相に対して、
「戦後政治の総決算を行うべきだ。そのために行政改革・財政改革に加えて、教育改革の機は熟している。内閣全体として取り組む必要がある」
と述べ、「首相の直属機関」による教育改革の審議を強く求めた。

 これに対して、森文相・文部当局・自民党文教部会は首相直属の機関が教育改革の主役になることには危惧の念を持っていた。文相・坂田道太元文相・海部俊樹党文教制度調査会長らがいろいろと意見を交わした結果、海部が首相を訪ねて次のように伝えた。

1月23日
「文部省の責任と中教審の過去の答申を尊重することを条件に首相直属の機関の設置を党として正式に了承する。」

 そして2月1日、首相と文相の会談で教育臨調の設置は本決まりとなった。

2月6日
 中曾根は衆議院における施政方針演説で次のように述べている。
「教育改革は、全国民の皆様のご支援の下に、長期的かつ国民的裾野をもって進められるものだ。このための内閣総理大臣の諮問に応じて改革案を調査審議する新たな機関を設置すべく検討を進めていく。」

 自民党は、1984年度の運動方針で
「正しい民主主義と祖国愛を高揚する道義を確立するため、現行教育制度を改革する」
と宣言している。そして、党内には、教育基本法を改正して、国家意識の高揚のため、愛国心や防衛教育の必要性を盛り込もうとする目論みが強くあった。それは、改憲と軌を同じくする動きである。とうぜん「戦後教育の見直し」を行おうとする中曾根の教育改革論にも同じ意図が隠されていることが追い追いと明らかになってくるだろう。

3月27日
臨時教育審議会設置法案を国会に提出。

8月6日
 参院本会議で可決成立、8日公布。

 臨教審の委員は、25人以下で組織され、総理大臣が任命し、答申等は国会に報告するものとされた。1984年8月21日に施行され、3年を経過しだ日に効力を失う、時限立法である。

 ちなみに、臨教審法の第一条は
「教育基本法の精神にのっとり、その実現を期して各般にわたる施策につき必要な改革を図る」
とうたっている。「「愛国心や親孝行」を表だって主張することは避けている。これについて、久保さん(教科書Cの著者です)
「これは一つには、野党対策でもあり、二つには、前述したように、こと荒立てて教育基本法改正といわなくても、解釈改法により、実質的に改正の目的が達成されるからである。」
と論評している。

 では、その臨教審がどんな審議をしたのか、たどっていこう。

 臨教審第1回総会は、9月5日に開催された。その際、中曾根首相は、
「我が国における社会の変化及び文化の発展に対応する教育の実現を期して各般にわたる施策に関し必要な改革を図るための基本的方策について」
を諮問した。諮問理由はつぎのとおりである。
「21世紀に向けて我が国が創造的で活力ある社会を築いていくためには、教育の現状における諸課題を踏まえつつ、時代の進展に対応する教育の実現を期して、教育基本法の精神にのっとり、各般にわたる施策に関し必要な改革を図ることが喫緊の課題であり、そのための基本的方策を樹立する必要がある」。

 臨教審の委員には、会長に元京大学長岡本道雄、会長代理慶應義塾塾長石川忠雄、同日本興業銀行相談役中山素平の3名のほか、22名が選ばれた。そして、検討課題別に次の4部会に分けて、審議を開始した。
第一部会
 21世紀を展望した教育の在り方
第二部会
 社会の教育諸機能の活性化
第三部会
 初等中等教育の改革
第四部会
 高等教育の改革

 その後、臨教審は四次にわたる答申を発表して、任務を終了している。
1985年6月26日 第一次答申
 我が国の伝統文化、日本人としての自覚、6年制中等学校、単位制高等学校、共通テスト
1986年4月23日 第二次答申
 初任者研修制度の創設、現職研修の体系化、適格性を欠く教師の排除
1987年4月1日 第三次答申
 教科書検定制度の強化、大学教員の任期制
1987年8月7日 最終答申
 個性重視、生涯学習、変化への対応

 臨教審の設置に当たって、中曾根は「中教審の過去の答申を尊重すること」を一つの条件として受け入れた。従って、臨教審の審議は中教審のこれまでの審議結果を踏まえて行われているが、実は臨教審の審議に影響を与えたのはそれだけではなかった。

 1983年4月27日(これは臨教審設置法案の国会上程の5日前)に、中曾根が私的諮問機関として設置した「文化と教育に関する懇談会」の答申と、松下幸之助が創設(1983年4月27日)した新政策研究提言機構「世界を考える京都座会」の「学校教育活性化のための七つの提言」という意見広告が同時に発表されている。この答申と提言が臨教審の審議に強い影響を与えた。久保さんはこの答申と提言の同時発表は偶然ではないと、次のように分析している。

「前者は前述したように、中曾根首相の私的諮問委員会であり、後者は、後述するように、中曾根首相のブレーン、文教懇委員、行革臨調委員、のちに臨教審委員となるメンバーも含まれている会であった。したがって、これは、偶然的ではなく、意図的に仕組まれたものであり、臨教審設置法案審議に向けてのアピールであったといえよう。」

 では、「文教懇の答申」と「京都座会の提言」の内容はどのようなものだったのか、それを見ていこう。

「文教懇の答申」

 文教懇の答申は、当初1984年6月の予定であったのが、中曾根の強い要請によって、3月22日に発表されたものである。この急遽早められた答申については、久保さんの解説と批判をそのまま引用しよう。

 したがって(急遽早められたために)、それは、
「報告書のとりまとめは、文部省のOBの天城勲氏と文部省から総理府に出向している森内閣審議官があたり、詰めの段階では「ノリとハサミの徹夜作業」『あれも足りない。これもない』ということになったが、委員の日程調整がつかず、2、3月は持ち回り協議が頻繁に行われた」
という状況の中で起草されたものであった。

 「文化と教育に関する懇談会『報告』の共通意見」は、総論、
一、教育の現状について、
二、教育問題発生の根本原因について、
三、教育改革の基本的視点について、
四、教育改革の方向と主な課題について、
となっている。

 総論においては、現代日本のおかれている状況分析から教育改革の課題を位置づけようとしているのであろうが、考察が皮相的であり説得性が薄いものとなっている。
「今日、人間性をはぐくむべき教育の分野では、画一主義の浸透により、個人の能力や実力よりも出身校や学歴が過度に重んじられ、受験体制教育が進み……」
とのべ、画一主義の弊害を指摘している。しかし、何故画一主義が浸透してきたのかの原因の分析にはいたらない。学習指導要領の拘束性や教科書検定の弊害についてはまったく目を閉ざしている。そして、
「我々の歴史は、人間と社会について、常に時代を超えて『不易』なるものと、『変化』するものとがあることを教えている。来るべき未来に向けて、既成の通念にとらわれない、新たで最も必須なものの教育が行われなければならないが、それとともに、人間が社会を作り上げていく以上、人間として当然備えるべき不易の価値を保持し、より高め、養っていくことこそ教育の本旨であろう」
とのべるにいたる。

 これは、時々刻々変化している社会の中にあって、世代を超えて、求められる道徳性をより高めていくことこそ、不易の価値の高揚であり、それが、教育の本来の趣旨であると説いたのである。これは、そのまま、臨教審に引き継がれ、「不易」と「流行」の措辞で論じられている。

 そして、この総論部分の結論は、
「我々は、以上のような基本的認識の下に、教育基本法や教育に関する特定の見解にとらわれず、特に今後の教育の在り方 ― 教育改革の必要性と課題 ― に焦点を当て、以下のように我々の意見を整理した」
というものであった。教育改革に当たっては、教育基本法の改正をも臆することなく行うことに意見の一致を見たということである。

 こうして、根本的な原因の追及を怠り、現象的な教育の弊害を画一主義批判に集中し、教育の本旨を道徳価値の高揚ととらえるような、不易の価値を強調し、教育基本法をも改正する方向を示したのである。

 上に記したように、四項目において総論を具体化しようとするが、いずれも、きわめて抽象的文言に終始している。第四の「教育改革の方向と主な課題」において、
「学校教育制度の多様化と運用の弾力化を図り、希望する者に選択の余地を残す学校制度の再編を図ること」
と答申しているが、これは現行教育制度の能力主義的効率的再編の提起であり、単線型学校制度に歪みを与えるものとなる。