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《『羽仁五郎の大予言』を読む》(38)

権力が教育を破壊する(21)

教育反動(13)


1956年

1月16日
 自民党文教制度調査特別委員会、教育委員会制度改正要綱を発表。

委員の公選廃止、教員任命権を県教育委員会に移す、ことなどを内容としている。

1月27日
 臨時教育制度審議会設置法案(臨教審法案)を閣議決定。

 教育基本法改正を含め、教育制度全般にわたる改革のため、内閣直属の審議会を設置するための法案(後に詳しく取り上げる)。

3月6日
 教育委員会制度改正要綱を閣議決定。

3月8日
 「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」案(地教行法)として国会に上程。

 この法案は、公選制教育委員会を廃止し、教育行政の中央集権化と官僚統制を企図したものである。「任命制教委法案」とも呼ばれることもあるが、教育委員会法の改悪にとどまるものではない。この法案の主要な内容は次のようである(教科書Aによる)。


 教育委員は公選を廃止し、首長による任命とする、

 教育長の上部機関による承認制(都道府県は文部大臣、市町村は都道府県教委による)、

 文部大臣、都道府県教委の措置要求権の明定、

 指導主事に事実上の命令監督権を付与、

 教科書以外の教材の届出、承認制、

 予算および条例の原案送付権の廃止、

 勤務評定、学校管理規則の作成、実施、

 「県費負担教職員」の任免権を都道府県教委に移行する、
など・・・。

 これは、戦後新たに発足した教育行政機構の根本的な変更を意味するものであった。このことは、なによりも、教育委員会法第一条が掲げていた根本理念、すなわち、
「この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政令行うために教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする」
という文言が全文削除されていた
ことに示されていた。

 戦後教育行政民主化の三原則とされた「民衆による教育統制」、「教育の地方分権化」および「地方の自主性の確保」を否定しようとする意図のあったことは一目瞭然であった。公選制を廃止せんとすることは、教育にたいする国民の民主的統制を養い育てようとする広義の政治教育的機能を停止することを意味していた。

3月12日
 「教科書法」案を国会に提出。  (後に詳しくは取り上げる。)

 上の三法案は、教育の理念・制度・内容の全般にわたって民主主義的諸原則を根本から否定するものとして相互に連関をなしていたことから、「教育三法案」と呼ばれた。このような三法案が矢継ぎ早に提出された経緯は次のようである。

 1955年11月15日保守合同で自由民主党が結成され、11月22日第三次鳩山内閣(~1956年12月23日)が発足した。二大政党(自民党・社会党)の成立により、二大政党間の教育政策の対立軸がいよいよ鮮明と成る。上の年表に見るように、1956年は教育の反動政策が一気に噴出した。

 文相・清瀬一郎は就任直後の記者会見では教育については一言も所信を語ることなく次のように述べている。

「文部大臣もいわば党の小使いで党の政策を忠実に実行するばかりだ」
「中教審の答申は貴重な参考にはするが、最終的には党議や内閣の方針をきめるうえに役立てるということになる」
と"党議優先"の名で教育を自由民主党の政策に従属させる意思を公言した。この発言について、教科書Aは次のように分析している。

 問題は清瀬文相が"党議優先"を唱えたことにあるのではなく、かれを代弁者とする自由民主党自体の教育政策がいかなる内容のものであったかにあるが、これはただちにあきらかになった。

 清瀬は、翌56年3月の国会答弁で、
「今こそ占領教育刷新のときである」、
「教育基本法の改正は必要だ」
とのべ、歴代文相が口に出せなかった教育基本法の再検討を平然と主張した。

 こうした支配階級の意図は一連の法案となって第二四国会(55年12月20日開会)に逐次上程された。

3月19日
 矢内原忠雄東京大学長など10大学長が「文教政策の傾向に関する声明」(10大学長声明)を発表。3月23日に関西13大学長たちが声明を支持。

5月18日
 「新教育委員会法」(地教行法)反対中央国民大会を開催。

6月2日
 参議院、警官500人を動員して「地方教育行政法」案を強行採決。

6月30日
 「地方教育行政法」を公布。

10月1日
 「地方教育行政法」による任命制教育委員会が発足

10月10日
 文部省、教科書調査官制度(定員40人)を創設。

 鳩山内閣は警官まで動員して地教行法の成立を優先した。その混乱の中、教科書法案は審議未了で廃案、また臨教審法案も、衆議院で可決(3月13日)されていたが、やはり審議未了で廃案となった。しかし、廃案となったこの二法案は以後の自民党の文教政策の内容や手法に引き継がれ、今日まで生きている。そこでこの二法案の内容を見ておくことにする(教科書Aを用います)。

臨教審法案
 この法案は、
内閣に、臨時教育制度審議会を置き(1条)、
「内閣の諮問に応じ、教育に関する現行制度に検討を加え、教育制度及びこれに関連する制度に関する緊急な重要政策を総合的に調査審議する」(2条)、
審議会は内閣の任命による国会議員10名、学識経験者30名で構成され(3条)、
他に総理大臣が任命する専門委員(学識経験者)および幹事(関係各行政機関職員)をおく(5・6条)、
など全10条および附則からなる2年間有効の時限立法であった。

 政府は国会答弁で臨教審諮問事項として、
①教育基本法の改正、
②道徳の基準の検討、
③教育制度の再検討、
④教育にたいする国の責任と監督の検討
の四点をあげ、中教審の存在を無視し、自民党の意図にそった教育制度の全面改革案を答申させるねらいであることをあきらかにした。

 文部事務当局は、国会審議と並行して臨教審にたいするつぎのような具体的諮問事項案を決定していたが、これらはその後の政策動向の基調を示すものとして重要であった。

1 教育にたいする国の責任と監督について

 ①初等中等教育関係(初中等教育の内容および教職員の人事取扱いについて)、
 ②大学関係(国公立大学の管理者〔学長、評議会、教授会〕と文部大臣〔公立にあっては設置者も含む〕との権限関係について、
 ③私学関係(私学の管理運営にたいする国の権限と責任について)、

2 教育行政組織について

3 国家的社会的要請に応ずる教育計画と学校制度の関係

 ①職業教育関係、
 ②私学関係、
 ③技能者養成関係。

4 教育財政について

(ちなみに、1984年に中曽根首相が内閣直属の審議会として臨教審を設置している(1987年に解散)。

教科書法案
 この法案にいたる経緯は次のようである。

 検定制度の部分的法改悪は、すでに「学校教育法等の一部を改する法律」(53年8月5日公布)がある。この改悪による「検定権を文部大臣のみに制限する措置」や「産業教育振興法にもとづく高等学校の特殊な産業教育教科書を文部省で刊行する措置」などにより徐々に進められてきた。そして、政府・与党は一方で「うれうべき教科書の問題」などの大宣伝による世論操作を行ないながら、他方で、根本的な制度改正をねらう法案作成の作業を秘密裡に進めていた。

 1955年10月3日、松村謙三文相は中教審に「教科書制度の改善方策について」諮問した。これにたいし中教審は、12月5日「教科書制度の改善に関する答申」を行なった。要旨はつぎのとおりであった。

〈検定について〉


 現行の教科用図書検定審議会を拡充強化する。

 常勤専任調査官を相当数置く。

 検定基準を整備する。

 検定合格本に一定の有効期間を定める。

〈採択について〉


 郡市単位など一定の地域においてできるだけ少ない種類の教科書を使用する。

採択は教育委員会が行なう。

〈発行・供給について〉


 発行者に欠格条件を設け、登録制度にする。

 同一種目の教科書の種類の改訂は抑制する。

〈その他〉


 教師用指導書についてその内容に教育上不適当な箇所があるときは訂正できるようにする。

 夏休み帳・副読本などの使用については届出制にする。

 1956年3月13日に国会に上程された教科書法案は上の答申に基づいて作られた。しかし、前記答申にくらべ、いっそう国家統制を強化する諸条項が加えられていたという。教科書Aは次のように解説している。
たとえば、
「申請見本本に、誤記・誤植又は誤った事実の記載が多いこと、その他検定の基準に著しく違反すること」が書いてあると文部大臣が判断した場合、教科書検定審議会に諮問して「検定を行わないこととすることができる」(第7条)、
 合格本のなかに「客観的事情の変更に伴い明白に誤りとなった事実の記載があったとき、文部大臣は修正させる」(第12条)。
「必要があると認めるときは……」事業場の立入検査を行なうことができる(第36条)。
 命令を守らない場合「登録を取り消し・・・・・・教科書の全部若しくは一部を教科書広報に登載しない(発行の間接禁止)」(37条)、
などである。また法案には、検定手数料(6条)、検定手続き(13条)、教科書検定審議会の組織・運営(17・18条)、選定協議会の内容(29条)、発行審議会の内容(53条)など15条にわたる政令委任事項、加えて12条にのぼる省令委任事項があり、法案の"効力"はこれらの行政措置にその多くがまかされていたことは重要であった。

 当時、教科書検定にかんする関係法は、「教科書発行に関する臨時措置法」のみであり、検定の実際については大部分が省令等により文部省の掌中にあって、不明朗な運用がなされていたため、その民主的改革の要求は強く、日教組から「教科書採択基準」(55年6月16日)、日本教育学会「教科書制度要項」(55年10月10日)が発表され、政府案と並んで社会党「教科書法案」が提出されていた。文部省はこうした法律上の不備を逆手にとり
「省令にゆだねられていた事項を正式に法律にするのだから、実に民主的だ」(安達健二教科書課長)
と強弁した。しかし、さきに見たようにこの法案が教科書の国定化への布石として出されていたことは明白であったため、「任命制教委法案」とならび激しい反対運動が展開され、6月3日、審議未了で廃案になった。

(この項、次回に続く。)
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《『羽仁五郎の大予言』を読む》(37)

権力が教育を破壊する(20)

教育反動(12)


1954年

12月10日
 第1次鳩山内閣が発足し、安藤正純が文部大臣に就任。

 五期続いた吉田内閣(自由党)に代わって、 民主党と左右社会党の支持を受けた鳩山一郎民主党総裁が首班に指名された。この鳩山内閣は三次まで続く。それぞれの文部大臣は次のようである。

 第二次鳩山内閣(1955年3月19日発足)の文部大臣は松村謙三。
 第三次鳩山内閣(1955年11月22日~1956年12月23日)の文部大臣は清瀬一郎。

 1955年は戦後政治史上画期をなす年であった。この年の秋に、1951年に分裂した右派社会党・左派社会党が再統一した。この日本社会党の統一に危機感を覚えた財界からの要請で、日本民主党と自由党が保守合同して自由民主党が誕生した。「改憲・保守・安保護持」の自由民主党と、「護憲・革新・反安保」の日本社会党の二大政党体制ができあがった。いわゆる「55年体制」である。

 この新しい政治体制はとうぜん教育行政における逆コースの加速化をもたらした。55年体制下で中央集権的・官僚的教育行政機構が確立し、教員の管理・統制とともに教育内容に対する統制と学校制度の能力主義的再編が進行した。

 第三次鳩山内閣の清瀬文相はその就任の折、一般政策として「国民道議の確立と教育の改革」をとりあげ、さらに緊急の政策として「教育委員会を改廃し、教科書制度を改し、教育者の政治的中立厳守の措置をとる」と述べている。もちろん、これらの政策は保守合同以前からの既定路線であり、教科書制度改は1955年の初頭から動き始めている。教科書関係だけに絞って、その年表を追ってみよう。

1955年

2月12日
 文部省、小学校の改訂社会科の内容について通達。3月3日には中学校にも通達。4月から実施。

この通達は小中学校社会科学習指導要領の改訂案である。社会科を解体し、地理・歴史・社会として、天皇の地位を強調することを明示している。

 社会科は戦後の新教育(戦後教育改革)の象徴として位置づけられていたが、それだけ新教育のもつ矛盾と弱さが集約されたかたちで社会科に包含されていた。上の通達は、戦後初期社会科がもっていた「市民」的良識の性格の育成という教育目標から、また再び国家主義的愛国心や天皇親愛を強調する社会科への改悪が始まったことを示している。

 しかし、社会科に対しては、もちろん文部省の反動的な思わくとは対極の位置にある民間教育研究団体から、「無国籍的・没階級的・機能主義・現状肯定的である」という批判が出ていた。さらに、歴教協(歴史教育者協議会)などからは、学習方法としての経験的、問題解決方法が、結局のところ、系統的・法則的認識を育てず、あれこれの経験をさせて終るという、いわゆる「はいまわる経験主義」という批判も出され、新たな地理・歴史の系統学習の重要性が指摘されていた(以上は教科書Cによる)。

(ちょっと寄り道。昨日(11月25日)夕刊の訃報記事に久保義三という名前がありました。あれ、見たことがある名前だ、と思ったら、なんと教科書Cの著者でした。専門分野は「日本教育政策史」と紹介されています。教科書C『昭和教育史』は「天皇制と教育の史的展開」という副題が付されていて、大正デモクラシーから始まり1989(平成元)年まで、つまり昭和時代を網羅した1200ページの大著で、大変充実した本です。大変よい資料をありがとうございます、と改めてお礼を申し上げたいと思いました。)

3月16日
 民主党政務調査会、教科書の民編国管を検討。

 文部省は1953年10月30日に「教科用図書検定基準」を告示している。それに連なる動きである。(以下、引用文は教科書Aから。)

 55年2月の総選挙に際し、日本民主党は選挙綱領で「文教の刷新・施設の整備・国定教科書の統一」を公約、3月には、同党政務調査会で教科書を民間で編集し、国が管理するという「民編国管」案を検討しはじめた。これは、支配階級が教育費の父母負担が年々増加するなかで、国民の切実な生活要求から生まれた「教科書代が高い」という不満を「国営にすれば安くなる」という形でたくみに利用し、戦前の国定教科書制度の復活を企てたことを意味するものであった。当時の新聞も「……父兄の不満がもっぱら経済的理由にあって教育の内容や方向にあるのでないことは注意する必要がある。いわば、ソボクともいうべきこの不満を背景にして、国定復活をたくらむ風潮があるとすれば、大いに讐戒されねばならない」(『毎日新聞』55年3月17日「余録」欄)と暗に民主党の構想を批判した。

6月18日
 日本教育学会、教科書検定について声明。

6月21日
 総評、日教組、子どもを守る会等6団体が良い教科書と子供の教科書を守る大会を開催。

6月24日
 衆院行政監察特別委員会、不公正取引、偏向教育などの教科書問題で証人喚問を実施。

 衆院行政監察特別委員会(以下、行監委と略称)は教科書問題(教科書の不公正取引・偏向教育問題)をとり上げ、証人喚問を開始した。当時、行監委が優先的に追求すべき課題であった造船疑獄・政界汚職問題をタナ上げにして、教科書問題をとり上げたうらには、行監委を利用して、教科書の内容が偏向していること、このうらには日教組があること、を宣伝し、「教科書国定化」へ世論誘導をしようとする民主党の"政治的意図"が秘められていた。

8月13日
 日本民主党「うれうべき教科書の問題」第1集を刊行。(続いて、10月7日に第2集、11月13日に第3集を刊行している。)

 民主的な教科書に露骨な「アカ」攻撃をかけ、教科書の国定化の前提条件をつくる宣伝をおこない、青少年の思想の反動的な再編成を試みた。

 それは偏向教科書の四つのタイプとして、「教員組合をほめるタイプ」(宮原誠一編 高校『一般社会』)、
「急進的な労働運動をあおるタイプ」(宗像誠也編 中学『社会のしくみ』)、
「ソ連中共を礼讃するタイプ」(周郷博編『あかるい社会』六年)、
「マルクス・レーニン主義の平和教科書」(長田新編『模範中学社会』三年下)
をあげ、まったく非科学的なひぼうの口調をもって平和と民主主義の教育に攻撃をかけてきた。これにたいしては「戦時中の暴力的な思想統制」を想起させるものとして、いち早く広範な反対運動が展開された。

10月
 日本学術会議・思想の自由委員会、「うれうべき教科書の問題」で民主党に警告。

 「うれうべき教科書の問題」に対する抗議活動の詳細は次のようである。
 影響を重視した日教組は、8月30日、牧野良三、山本正一ら民主党幹部に会見、つづいて9月1日松村文相と会見し、その編集、刊行責任者、内容の問題点、配布の経路などについて質問書を手交、厳しく抗議を行なった。

 長田新(日本教育学会会長)、周郷博(お茶の水女子大学教授)、宮原誠一(東京大学教授)、宗像誠也(同左)ら関係教科書編著者有志23名は9月22日、「日本民主党の『うれうべき教科書の問題にたいする抗議書』を作成、 「説明書」を添えて民主党に厳しく抗議し、パンフレットの撤回を要求した。その抗議書にはつぎのようにのべられている。

「……いやしくも教育の問題を論ずるには、これにふさわしい誠実さと知性をもってしなければならない。しかるにこのパンフレットは、全体にわたり、学問上の誤りと事実の曲解による低級な中傷に終始し、国民の判断を誤らせようとしている。与党である大政党が、このようなふまじめな文書を党の名においてあえて公表したことは、教育を一政党の道具とするものであって、私たちは、深い憤りを感じないわけにはいかない。私たちは、学者としての自己の良心にもとづき、憲法と教育基本法の精神にしたがって、教科書の編集と執筆にあたった。万一このパンフレットに盛られたような主張が通るとすれば、学問の成果が無視されるだけでなく、憲法と教育基本法そのものも偏向として否認されてしまうであろう。このパンフレットは単に私たちの名誉を傷つけるだけでなく、学問と思想の自由ならびに民主主義教育全体を脅かすものである。このパンフレットは、政治の力によって白を黒と言いかえ、真実と自由を抑圧した戦時中の思想統制を思い起させるものである。私たちは教育に一生をささげている者として、またみずから子をもつ親として、このような恐るべき傾向にたいしては、どこまでも反対する。」

  さらに、10月7日には、同じく23名の連名で「日本民主党の『うれうべき教科書の問題』はどのようにまちがっているか」と題する小冊子を公表、パンフレットの虚偽性について、詳細な分析と批判を加えた。

 また、長田新ら四氏の申入れを討議した日本学術会議学問思想の自由委員会(委員長青木得三)は、10月22日「今回日本民主党の名において出されたパンフレットは学問・思想の自由をおびやかすおそれがある」と結論した。

 歴史学研究会(代表江口朴郎東大教授)も11月4日、「教科書問題に関する声明」を発表、「教科書にたいして加えた誹謗ならびに、このパンフレットを貫ぬいている歴史にたいする非科学的な考え方」は「教育や学問研究の自由を侵害するおそれ」があると鋭く批判した。

 また翌5日、同研究会は、財団法人史学会(理事長坂本太郎東大教授)、大塚史学会(代表家永三郎東京教育大教授)と連名で同趣旨の声明を行なった。

 このような抗議もなんのその、教科書制度の改悪は着々とすすめられていく。

12月5日
 中央教育審議会、教科書制度改善について、教科書調査官の設置などを答申。
 文部省、高等学校学習指導要領(一般編)を刊行。(試案の文字が消え、コース制の採用を明言している。1956年より実施。)

 教科書検定についての羽仁さんの見解を矢崎さんがまとめている一節があるのでそれを引用しておこう。

 今、高校、中学、小学校の教科書には、どれも"文部省検定済"という印刷がされている。

 教科書の著者や編集者の人たちがどんなに苦労してよい教科書、おもしろい教科書を作ろうとしても、文部省は"教科書検定"という関所を作りそれを邪魔しているのだ。羽仁五郎によれば
「それはまさに事前検閲で違法行為なんだよ。憲法違反だ。今の教育の基本にされている教科書においてさえも、文部省は脱法行為をしているんだ」
というわけである。

 文部省検定済の教科書を受験生が丸暗記させられる一方、悪質な教科書出版社は、教科書だけでなくテスト問題やアンチョコなどを作って先生や生徒たちにあの手この手で売り込み、大儲けをしたりしている。教科書や受験地獄の問題が教育界の腐敗につながっていることは、明治以来繰り返し"教育疑獄"として暴露されてきたところだ。腐敗は、やがては学校や教員組合にまで及ぶことになるだろう。
「あらゆるところに腐敗が及んでいる。その根本は、何度もいうようだけど、文部省なんだよ。文部省が教科書をいじくるということから始まってきているからね」

《『羽仁五郎の大予言』を読む》(36)

権力が教育を破壊する(19)

教育反動(11):番外編:アメリカによる日本占領は終わっていない(3)


(今回も前回の補足から始めます。)

 私が愛読しているサイトの一つ『澤藤統一郎の憲法日記』の今日(11月18日)の記事は『いよいよ「終わりの始まり」ー沖縄知事選とアベノミクス失敗』だった。その中に前回書いたことと関連する事柄があったので紹介したい。

 澤藤さんは「幸先のよい前哨戦の勝利、翁長候補の当選を素直に喜びたい。」と沖縄知事選の結果を評価しているが、「率直に言って、翁長候補の政治姿勢には大きな違和感を感じる」と一抹の危惧を漏らしている。その危惧の論拠として、沖縄タイムス(電子版)11月8日付の「沖縄知事選公約くらべ読み:『憲法』」という記事を取り上げて、記事の中の「候補者の見解」を紹介しながら、それを論評している。その中の「憲法9条に対する各候補者の見解」のうち、喜納候補の見解とそれへの論評が私の目を引いた。澤藤さんは「喜納候補の憲法論は歯切れがよい」と評価している。喜納さんの見解は次のようである。

集団的自衛権不可 喜納昌吉氏

 現行憲法には国会議員の免責特権をはじめ、重大な欠陥があり、前文と9条の崇高な精神を継承・発展させて改憲すべきである。

 1条から8条はなくし、国民主権を第1章とすべきだ。
 第1条は国民の抵抗権。
 「すべての国民は外国の侵略あるいは国家の圧政により、生命および基本的人権がおびやかされる場合、可能なあらゆる手段・方法をもってこれに抵抗し、これを排除する権利を有する」旨を明記すべきだ。
 9条には第3項を加え「集団的自衛権についてはこれを認めない」と明記するべきである。
 現政権による「集団的自衛権の行使容認」は国家による武力の行使、すなわち戦争の容認であり、明らかな憲法違反だ。
 これを閣議決定による「解釈変更」で強行したのは、まさに「ナチスの手口」によるクーデター。

 これに対する澤藤さんの論評は次の通りである。

 個人的にはシンパシーを感じる主張。基本姿勢において「護憲派」ではなく、人権・民主主義・平和主義を徹底する立場からの「改憲派」なのだ。天皇制をなくすことを公言するその意気やよし。しかし、問題は、この主張では勝てる見込みがないことだ。この人と組むことは、私個人なら喜んでするが、政党や政治勢力としては難しかろう。

 喜納さんが「第1条は国民の抵抗権」と言っているが、これは吉本さんが言う「政治的リコール権」にほかならない。また、澤藤さんは喜納さんを「改憲派」と呼んでいるが、日本の人民が「人民の人民による人民のための」憲法を制定したことはないという白井さんの指摘に従えば、「制憲派」と呼ぶのが正しい。

 さて、これまで論じてきたように、自民党政権は一貫してアメリカ・財閥・官僚の傀儡政権であった。そして、そのようになっていった淵源はGHQの占領政策が大日本帝国の天皇制官僚を使った「間接統治」を行った点にあった。その占領政策の結果、天皇制官僚と財閥が生き返った(その経緯については「日本の支配者は誰か」をご覧下さい)。

 自民党政権が一貫してアメリカの傀儡政権でもあったことは明らかであるが、そのことを最もあからさまに表面化させた結節点は1953年10月の池田・ロバートソン会談だったと、私は捉えている。そこで、池田・ロバートソン会談についてはすでに何度か簡単に触れているが、教科書Aが詳しく論じているので、少し長いが、ここでそれを転載しておくことにした。次のようである。

 1953年7月27日、朝鮮休戦協定が調印された。それは、アメリカの朝鮮侵略の失敗を意味していた。そしてそれは、アメリカの極東戦略体制のうえでの日本の地位をいっそう重視させることとなり、ヨーロッパにおける西ドイツとならんで、日本を反共軍事拠点としてかためる政策となってあらわれた。

 アメリカの軍需・発注にたよっていた日本経済は、中間的な恐慌の徴候をあらわし、その活路をさがし求めていた。朝鮮戦争による「特需」に支えられていた日本の戦争経済は、その休戦を契機に消費財部門から生産財部門に波及し、とりわけ石炭、海運等は深刻な影響を受けた。

 それに加えて53年4月には関東一帯の大霜等、6月下旬には九州の大水害、七月和歌山・京都の水害、九月の台風の被害、冷凍害、イモチ病の発生等は1400億円にのぼる被害をもたらし、19年ぶりの大凶作が農村をおそった。アメリカでもウォール街の株式の暴落に見られる過剰生産恐慌がおそっていた。

 アメリカの対日政策は、MSA「援助」をテコに日本の軍備を急増し、急速度に軍国主義を復活させることであった。日本の反動的支配層は、このMSA受け入れによって再軍備と軍需産業の拡大を促進し、政治反動の体制を強化することによってその深刻な経済的・政治的危機をのりきろうとしたのである。

 当時自由党政調会長であった池田勇人は1953年10月、日本政府の特使としてワシントンを訪れ、MSA受け入れ(わずかばかりの完成兵器と米余剰農産物中心)とひきかえに、日本の「防衛力」増強と再軍備促進の問題について、ロバートソン米国務次官補と会談した。

 53年10月25日の『朝日新聞』(同行した宮沢喜一『東京=ワシントンの密談』実業之日本社、1956年、もほぼ同内容を記述している)はつぎのような議事録草案を報道した。

 日本側代表団は十分な防衛努力を完全に実現するうえで次の四つの制約があることを強調した。
(イ)法律的制約
 憲法第九条の規定のほか憲法改正手続きは非常に困難なものであり、たとえ国の指導者が憲法改正の措置を採ることがよいと信じたとしても、予見し得る将来の改正は可能とはみえない。
(ロ)政治的社会的制約
 これは憲法起草にあたって占領軍当局がとった政策に源を発する。占領8年にわたって日本人はいかなることが起っても武器をとるべきではないとの教育をもっともつよく受けたのは、防衛の任にまずつかなければならない青少年であった。
(ハ) 経済的制約
 国民所得に対する防衛費の比率あるいは国民一人当りの防衛費負担額などによって他の国と比較することは、日本での生活水準がそれらの国のそれと似ている場合のみ意味がある。旧軍人や遺家族などの保護は防衛努力に先立って行なわなければならぬ問題であり、これはまだ糸口についたばかりであるのみならず、大きな費用を必要としている。また日本は自然の災害に侵されやすく、今会計年度で災害によるその額はすでに戦後1500億円に上っている。
(ニ)実際的制約
 教育の問題、共産主義の浸透の問題などから多数の青年を短期間に補充することは不可能であるか、極めて危険である。

 会談当事者はこれらの制約を認めた上で・・・(中略)・・・会談当事者は、日本国民の防衛に対する責任感を増大させるような日本の空気を助長することがもっとも重要であることに同意した。日本政府は、教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもっものである。…(後略)

ニューヨークータイムズのウィリアム記者は、「池田・ロバートソン会談」のもようをつぎのようにのべた(『週刊朝日』 1954年新年号より)。

 池田は、自己の見解をのべるかわりに ― いや、のべることはのべたが ― おおかたは米国の対日新政策のきびしい現実に耳をかたむける結果になったのだ。

 まずはじめに、池田は、日本という島を囲んで配置された、北は樺太から南は中国沿岸にいたる共産勢力の脅威に関して、徹底的かつ劇的な軍事情勢の説明をうけた。……これら情況説明の目的は、たんに池田、したがって日本人を恐怖させるためにのみなされたのではなく、むしろ、それは軍事的危険を、したがって日本を防衛するために何らかの措置をとる必要のあることを、ハッキリさせるためになされたのである。

 第二に池田は、アメリカの新政策が経済援助を削減して、軍事的援助に集中するものであることを知らされた。

 この「池田・ロバートソン会談」はアメリカ帝国主義の極東戦略体制の上での日本の教育のもつ意義とその軍国主義化の必要が認識され、その期待が表明されたものであったし、そこでは反共のためにすすんで武器をとる日本の青少年づくりが露骨に要求されたものであった。

 この直後、ニクソン米副大統領が来日し、日米協会の席上で「戦争放棄の憲法は誤りであった」と演説した。すでに、"逆コース"として復活しつつあった教育の官僚統制はこれ以後急速に強化されていく。

 教科書Aはニクソン演説の該当部分を記録している。次のようである。
「ひとびとは1946年に、日本の非武装化をしたのはだれだというだろう。それは日本人ではなかった。日本人も軍備の放棄に賛成ではあったが、それはアメリカが日本の非武装化を固執したからであった。ところで、もし1946年には、軍備の廃棄が正しいことであったのなら、なぜ1953年には間違いだということになるだろうか。そして、もし1946年には正しかったものが、1953年に間違いだったと、認めないのだろうか。公人として、私は、なすべきだと考えたことを、いまおこなおうとしているところなのである。私はここで率直に、アメリカが1946年に誤り(ミステイク)をおかしたことを認めようとしているのである」(1958年11月19日)。

 これは明らかに日本を属国扱いしている発言だ。実際に日本はアメリカの属国なのだから、その限りでは間違った発言ではないと言わざるを得ない。

 このニクソン演説は参議院の予算委員会で取り上げられていたことを知ったので、その部分を、国立国会図書館の「国会会議録検索システム」から転載しておこう。ちなみに、質疑者の小林孝平は当時は日本社会党所属の議員である。

質疑(小林孝平)
 次に総理大臣にニクソンアメリカ副大統領の言明に関してお尋ねをいたしたいと思います。去る十一月の十九日に日米協会主催の昼食会においてニクソンアメリカ副大統領は、終戦後アメリカが日本の軍備を解体したのは間違いであつた。日本は自衛できる水準まで再軍備すべきだ、米国は援助を惜まないという内容の演説を行なつておられるのであります。これは憲法に関連して一九四六年の誤りを公式に言明しまして、日本は憲法を改正して再軍備すべきであるというアメリカ側の意向を率直に述べたものであると考えられるのであります。ダレス長官もこのニクソン言明を支持する旨の談話をアメリカにおいて発表しておるのであります。これは極めて重要な発言であると思うのであります。日本をアメリカの従属国であるかのごとき態度をとつているのは我々としても到底承服しがたいところであります。我々のこの日本の今後歩むべき道は日本自身が決定する事柄であつて、日本の主権を無視するがごときこのニクソン副大統領の発言は我々としても甚だ迷惑千万であると思うのであります。吉田総理大臣といえども内心は恐らく非常に御不満であろうと思うのであります。そこで、この問題について総理大臣はどういうふうにお考えになつているのか、こういう発言をされつぱなしでいいのかどうかという点をお尋ねいたします。

答弁(国務大臣・吉田茂)
 ニクソン副大統領の演説は直接に聞かないから知りませんが、併し私はニクソン副大統領との直接会つた感じは、決して日本に対して悪意を持つて、或いは干渉というような考えで演説せられたものでないと確信いたします。而してニクソン副大統領若しくはダレス長官の言明に対して、とやかや私はくちばしをさしはさむことは、過日参議院の本議場においても申上げましたが礼儀の上から差控えます。

 吉田茂の答弁は質問をはぐらかして、まったく何も答えていないに等しい。このような答弁はもちろん吉田に限らない。国会で行われている質疑応答はこの類いのものが多い。それにしても吉田の答弁は属国の宰相としての面目躍如、と言ったら言い過ぎだろうか。

(次回から本道に戻ります。)
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(35)

権力が教育を破壊する(18)

教育反動(10):番外編:アメリカによる日本占領は終わっていない(2)


 前回の引用文中に、日本における米軍機の飛行ルートも治外法権下にあるという指摘があったが、昨日(11月14日)の東京新聞朝刊にその実例の一つを示す『羽田増便阻む「横田空域」』という記事があった。横田空域の範囲は日米地位協定によって決められていて日本の航空機はそこから排除されている。その記事の中で、現役機長の高橋拓矢さんが次のように語っている。
「操縦士にとっては、羽田空港のすぐ西に高層マンションが立っているようなもの。空域の南側は、羽田へ向かう航空機が数珠つなぎで気を使う。ニアミスの危険がつきまとい、管制官にも相当な負荷がかかる」
「首都近辺の広大な軍用空域は他の先進国に例がなく、軍事上の制約で民間機への危険が生じている」

 こんな理不尽なことがまかり通っているのだ。

 そしてもう一つ。こちらは何ともせこい話で、今日の東京新聞朝刊「こちら特報部」の「NHK受信料 在日米軍滞納中」という記事。『米側は、日米地位協定を盾に「特権」を主張』しているそうだ。

<閑話休題>

白井さんは日本の政府が「合法的傀儡政権」であることを、舌鋒鋭く、かつ明晰に次のように論じている。

 基地の場合は日米安保条約と地位協定、原発の場合は日米原子力協定 ― これが日本の国内法の上位に位置し、かつこの優位性は、法的に確立されている。

 1959年の砂川判決により、安保条約のごとき高度に政治的な問題について司法は憲法判断から逃避することを自ら決め、そしてダメを押すように2012年の原子力基本法改正によって同法には「安全保障に資する」の文言が取り入れられた。この二つを足し合わせれば、出てくる結論は次のようなものとなるだろう。

(管理人注:
砂川判決については「裁判は階級的である(1)」で詳しく取り上げています。)


 すなわち、福島原発事故の賠償問題も含め、今後原子力問題について憲法上の人権保障とのかかわりで訴訟が起こされたとしても、司法は安全保障問題であることを盾に憲法判断を回避できる、ということである。

 確かに、戦後憲法には民主主義の原則や基本的人権の尊重やらが立派に書き込まれている。しかしそれらは決定的な局面では必ず空文化される。なぜなら、権力の奥の院 ― その中心に日米合同委員会が位置する ― における無数の密約によって、常にすでに骨抜きにされているからである。

 つまり、この国には、表向きの憲法を頂点とする法体系と、国民の目から隔離された米日密約による裏の決まり事の体系という二重体系が存在し、真の法体系は当然後者である。言い換えれば、憲法を頂点とする日本の法体系などに、大した意味はないのである。

 官僚・上級の裁判官・御用学者の仕事とは、この二重体系の存在を否認することであり、それで辻棲が合わなくなれば二重の体系があたかも矛盾しないかのように取り繕うことである。この芸当に忠実かつ巧妙に従事できる者には、汚辱に満ちた栄達の道が待っている。

 かくして、戦後日本には、世界で類を見ない体制が成立した。それはすなわち、「世界一豊かで幸福な極東バナナ共和国」とでも呼ぶべきものである。傀儡政府は珍しいものではない。しかし、かつて中南米に多数存在した「バナナ共和国」では、もちろん誰もが傀儡政権の傀儡性を理解していた。日本のそれこそ万邦無比たる所以は、この傀儡性に社会全体が無自覚であり、メディアを含む支配層が全力を挙げてこれを否認するところにある。このメカニズムのなかで、この国の住民は、平和と繁栄を謳歌し幸福を享受してきた。この精神状態がなおも続くならば、幸福の微笑みを浮かべる者たちは、それが引きつった卑屈な作り笑いへと変質していることに気づかないままに、幸せそうなふりをするのを止めた者たちを迫害するのであろう。

 「幸せそうなふりをすることを止めた者たち」とは、事の真相を解こうする人たちに対して、その人たちの議論の正否を検討・議論することなく、「引きつった卑屈な作り笑い」を浮かべて、「非国民」「売国奴」「国賊」「反日日本人」などというステレオタイプの罵倒語を発して「迫害」する者たちである。現在、マスゴミでもネットでも、その種の反知性人が大きな顔をしている。彼らをなんと呼べばよいのだろうか。彼らこそ「非国民」「売国奴」「国賊」「反日日本人」だろう。それが全く分らないとは、どうしようもない愚民と呼ぶほかない。

 さて、白井さんの論文「護憲ではない、制憲を」の第二節「占領の継続は当然」に入ろう。

 上で指摘された「二重の法体系」の由って来る由縁はどこにあるのだろうか。

 1946年11月3日に公布された日本国憲法の公布文は次の通りである。

朕は、日本國民の總意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝國憲法第七十三條による帝國議會の議決を經た帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

 御名 御璽
   昭和二十一年十一月三日

 矢部さんが提起しているもう一つの重要な論点は上の公布文と関連している。矢部さんの論点提起を白井さんは次のようにまとめている。

 矢部氏は、いわゆる改憲/護憲論争に対しても重大な論点を提起している。護憲だろうが改憲だろうが、右に見た二重体系を解消できないのなら何の意味もないという重い事実を、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』は突きつけている。

 矢部氏は、これまでの護憲運動が反動的な改憲の動きをせき止めてきたことを一定認めつつも、近代民主国家の憲法の原理的問題に言及する。

 それはすなわち、外国軍の占領下で、その圧倒的な支配力の下に、何らの民主的な手続きなしに民主主義を根拠づける憲法が制定される、などという事態は、端的に荒唐無稽であるという事実だ。

 ここでは「内容が素晴らしいのだからいいじゃないか」という護憲派の論理は成り立たない。しばしば指摘されてきたように、欽定憲法たる大日本帝国憲法の改正プロセスに従って民主主義憲法を定めたという事態が、旧体制(アンシャンレジーム)を利用しての民主化という占領政策の矛盾した本質を濃厚に反映しているのであり、ここでは誰が(当然それは国民自身でなければならないのだが)この憲法を定めたのか、永遠に確定できない。つまり、どれほど条文の中身が素晴らしかろうが、それを定め、国家に強制する主体=国民はのっけから存在していない。この構造は、先に見た二重の法体系をつくり出すものにほかならない。

 以上から明らかになるのは、これまでの改憲/護憲陣営の多くが、どれほど的を外した議論で堂々めぐりを続けてきたか、ということだ。そして、不毛な議論が続く限り、改憲でも護憲でもない、民主制国家が必ず通らなければならない過程、すなわち制憲の問題は、視野の外に置かれる。このことはもちろん、永続敗戦レジームの延命に寄与する。そして、制憲権力とは革命権力にほかならない

 最後の一文を私なりに解釈しておきたい。

 自民党の憲法改正草案も「制憲」と言えるが、しかしそれは「革命」ではなく「反革命」である。そして、自民党は「旧体制(アンシャンレジーム)を利用しての民主化という占領政策」の落とし子であり、よほど本質的な脱皮がない限り、自民党には傀儡政府しか作れない。

 私(たち)の立場から理想を言えば、「制憲」されるべき憲法はブルジョア民主主義を止揚したものでなければならない。現在の日本国憲法を土台にして論じるとすれば、まず天皇条項はすべて削除しなければならない。そして、その代わりというわけではないが、少なくとも政府に対する「政治的リコール権」の条文を追加すべきである。このような憲法が制定できればそれこそまさに「革命」と言うことができよう。

 「政治的リコール権」という概念は吉本隆明さんからの受け売りです。これまでずいぶんといろいろのところで使ってきました。つい最近では《『羽仁五郎の大予言』を読む》(7)でもふれています。詳しくは
「戦争と平和(2):政治的リコール権 」

「権力と反権力の現在(6):社会主義とは何か」
をご覧下さい。


 さて、白井さんは最後に、日本がいまだに連合国の占領軍(実態はアメリカ軍)の占領下にあるのは当然だという法的根拠を指摘をしている。ポツダム宣言第12項である。

 われわれは知るべきであろう。ポツダム宣言第12項、
「前記諸目的が達成セラレ且日本國國民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府が樹立セラルルニ於テハ聯合國ノ占領軍ハ直ニ日本國ヨリ撤収セラルベシ」
は、厳密な意味で正しく履行されていることを。この条項は、現在まで続く米軍駐留と矛盾するものだとしばしば言われる。しかし、「責任アル政府」が現に存在しない以上、占領が続くのはむしろ当然なのである。

 アメリカ・財閥・官僚に対して「責任アル政府」ではなく、一般国民に対して「責任アル政府」、つまり「国民の国民による国民のための政府」が誕生しなければ、占領は終わらない。しかし、圧倒的多数が「引きつった卑屈な作り笑い」の中で満足している限り、そこへの道は限りなく厳しい。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(34)

権力が教育を破壊する(17)

教育反動(9):番外編:アメリカによる日本占領は終わっていない(1)


 番外編というより、此まで主張してきたことの補充をしなければと思い至った。

 私は国家について、折に触れて二つのことを強調してきた。
(1)
 いわゆる先進国は民主主義国家を標榜しているが、たぶらかされてはいけない、それは真の民主主義国家ではない。それはブルジョア民主主義国家であることをはっきりと認識すべきである。(これについては「統治形態論・民主主義とは何か」、特にその中の(4)「議会制民主主義とブルジョア独裁の仕組み」を参照して下さい。)
(2)
 二つは、なかんずく日本はアメリカの属国であり、日本の歴代政府はアメリカの傀儡政権である。

 ところで、『週間金曜日』に白井聡さんが執筆している『「戦後」の墓誌銘』という連載論文がある。11月7日号(1015号)では「護憲ではない、制憲を」と題して、矢部宏治さんの新著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社 10月24日刊)を「3・11以降刊行された書物のうちで、私の知る限り最も重要なものの一冊である」と紹介し、それを下敷きに論文を展開している。この二つの事柄に関連して、私はこの論文から、上の(1)(2)について重要なことを二つ学んだ。それをまとめてみることにした。

 論文「護憲ではない、制憲を」は「合法的傀儡政府」、「占領の継続は当然」という二つの節から成り立っている。

 「合法的傀儡政府」では「合法的」という指摘に「あっ!」と思った。もしそれが確かな根拠をもつ主張なら、日本国憲法はあってなきがごときものであり、アメリカによる日本占領は終わっていない、ということになる。 「合法的」とはおおよそ次のようなことを指している。

 米軍基地をなくせないのは「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」(ダレス)が生きているからである。辺野古基地の建設を強権的に進めようとしているのも、オスプレイが日本上空を我が物顔に飛び回っているのも、その法的根拠となっているのが「日米安保条約」と「日米地位協定」である。

 現在、アベコベ政権は原発再稼働にもやっきになっている。傀儡政権には原発は止められないのだ。その法的根拠は「日米原子力協定」である。

 「日米安保条約」「日米地位協定」「日米原子力協定」が傀儡政権にとっての最高法規なのである。そして、これらを法的根拠にして、日米間のさまざまな密約を作り出して実質的に日本を牛耳っているのが「日米合同委員会」である。日本国憲法はあってなきがごときものである。

(これまでこの日米合同委員会については詳しいことを知らなかった。るいネットさんの「日米合同委員会~もっともらしい名称だが実体は、米軍が霞ヶ関を通して日本を支配するための機関」という記事がとても参考になる。)

 ところで、上の記事「日米合同委員会・・・」の中に「日米地位協定入門」という本が紹介されていたので、それを検索したら、前泊博盛編著『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』の初め40頁を無料でダウンロードできることを知ったので、ダウンロードして読んでみた。なんと、著者の一人に矢部宏治さんが入っている。

(ダウンロード先
「IWJ日米地位協定スペシャル」の下の方にダウンロード用バナーがあります。)


 さて、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を直接読んでみたいと思っていたが、とりあえず共有したい基礎知識としては「日米地位協定入門」の「はじめに」(執筆者は前泊博盛さん)で十分と判断した。ちょっと長い前書きだが、それを全文転載させていただくことにした。(ダウンロードファイルはDPFファイルでかつ縦書きなので、読みやすくするため横書きHTMLファイルになおした。)

はじめに

 きっとみなさんも、よくわかっているのだと思います。この数年、日本には大きな出来事が次々と起こりました。民主党政権の誕生と消滅、普天間基地の「移設」問題、東日本大震災、福島原発事故と原発再稼働問題、検察の調書ねつ造事件、尖閣問題、オスプレイの強行配備、TPP参加問題、憲法改正問題……。

そうしたなか、これまで、
「ひょっとして、そうなんじゃないか」
「でも信じたくない」
と思ってきたことが、ついに現実として目の前につきつけられてしまった。いくら否定しようとしても、否定しきれなくなってしまった。いま、そんな思いがしています。

 私は沖縄の宮古島で生まれ、沖縄本島の那覇市で育ちました。大学は東京に行きましたが、卒業後はまた沖縄にもどり、琉球新報という新聞社で27年間、記者をやっていました。 2011年からは沖縄国際大学という、米軍のヘリが落ちたことですっかり有名になってしまった大学に移りましたが、いまでも物ごとの見方や情報のとり方、生きるうえでの基本的な姿勢は、新聞記者時代とほとんど変わりません。沖縄で新聞記者として生きるということは、多かれ少なかれ、つねに日米安保や米軍基地のことを意識して生きるということです。

 そうした日々のなか、本書を読んでいただければわかるように、私自身、米軍基地問題に関してはかなり過激な取材や報道をして、ギリギリのところまで肉薄してきたつもりです。でも、27年かかってどうしても答の出なかった問題、このあまりにもムチャクチャな沖縄の現状の根源は、いったいなんなんだという問題に、最近、専門外の人たちから、こんな言葉をストレートにかけられるようになったのです。

「宗主国と植民地」

 これは『犠牲のシステム福島・沖縄』(集英社)を書いた東大教授の高橋哲哉さんの言葉です。高橋さんはこの本のなかで、日米両政府を「宗主国」、沖縄を「植民地」と位置づけています。高橋さんの専門は、政治でも国際関係でもない、哲学です。基地問題も米軍問題も専門ではありません。そうした外部の冷静でフレッシュな目には、はっきりそう見えるということです。
「あーあ、ついに言われてしまった」
失望と同時に脱力するような思い。

 たしかにこれまで私が新聞社の仲間といっしょに積み重ねてきた、膨大な事件取材やインタビュー、そこから論理的に考え、見直してみると、そう言わざるをえないのです。しかしこれまで自分から、そこまではっきりと言うことはできなかった。ひょっとしたらそうじゃないか、そうじゃないかと思いながら、最後の最後はちがうと思いたかった。それはやはり、そのことを肯定してしまったあとに広がる世界が怖かったからなのでしょう。

 最近では、学者でもジャーナリストでもない一般の人からも、
「結局、日本はアメリカの属国なんでしょう」
「海兵隊も、日本のほうが出て行かないでくれって頼んでるんでしょう」
などと言われるようになりました。

「そんな簡単な話じゃないんだ」
「ネットでちょっと読んだだけで、なに適当なことを言ってるんだ」
そう、言い返したい気持ちがあります。この問題に関しては、27年間、最前線で体をはっ て取材してきたという自負があるからです。しかし、そうした新聞記者としての体験をもとに、昨年からは研究者としての視点を加えて客観的に考察してみても、それはまぎれもない事実だと認めざるをえないのです。なぜなら本書を読むとわかるように、日米両国の「属国・宗主国関係」とは、たんなる外交上の圧力や力関係から生まれたものではなく、きちんとした文書にもとづく法的なとり決めだからです。その法的なとり決めの中心こそ、本書のテーマである「日米地位協定」です。 「戦後日本」という国家の根幹をなすもっとも重要な法律(法的とり決め)は、残念ながら日本国憲法でもなければ、日米安保条約でもありません。サンフランシスコ講和条約でもない。日米地位協定なのです。

 私はこれまで沖縄の基地問題について、何冊も本を書いてきました。そのときいつも胸にいだいていたのは、
「はたして沖縄は日本なのか」
という思いです。こういうと本土のみなさんは、少しうんざりされるかもしれません。戦後約70年にわたって、つねに沖縄から本土に対して訴えてきたのは、沖縄の住民の人権が米軍によっていかに侵害されているか、それをなんとか他の日本国民にも知ってほしいという強い思いだったからです。

 しかし、よく考えてみてください。法律というのは日本全国同じです。日米地位協定も日米安保条約も、すべて国と国のあいだで結ばれたものです。1972年の沖縄の本土復帰(施政権の日本への返還)以降、米軍が沖縄でできて、本土でできないことはなにもありません。そのことは昨年(2012年)7月、オスプレイ(MV22)という新型軍用機の日本への配備が決まる過程であきらかになりました。 この「未亡人製造機ウィドウメーカー」と呼ばれるほど危険な12機の軍用機は、沖縄の普天間基地に配備されたものですが、その前にまず山口県の岩国基地に運ばれ、普天間基地に配備されたあとも、沖縄と本土の上空で平均150メートルの超低空飛行訓練を実施することがあきらかになったのです。

 ここでみなさんに注目してほしいのが、「平均150メートル(500フィート)」で超低空 飛行訓練をするという、米軍発表の内容です。なにかおかしくないですか?そう。普通、飛行機はもっと上空を飛んでいますよね。それが超低空飛行をするから問題になっているのに、なぜ「平均」の高度で発表されているのでしょう。そもそもいつからいつまでの平均なのでしょう。よく考えると、一番問題なのは安全性なのですから、規制されるべきなのは「最低高度」のはずです。なのにそれをなぜ「平均150メートル」での飛行訓練と書くかといえば、

① 日本の航空法令で決められた人口密集地以外での最低安全高度が150メートルだから(→121ページ)
② 「平均」というのはそれ以下の高度で飛ぶことがあるから

なのです。事実、海兵隊の訓練マニュアル(「MV22B訓練/即応マニュアル」2010年3月)によると、オスプレイには最低高度60メートルでの訓練が求められています。絶対におかしいですよね。車におきかえてみると、「米軍の車両に関しては、高速道路の時速制限は『平均100キロ』とする」と言っているのと同じことなのです。つまり日本の法律を守るつもりは、初めからないということです。どうしてこんなことが許されるのでしょう。

 これまでこういう問題は、たいてい沖縄だけの問題として考えられてきました。戦争に負けた結果、沖縄をとられたんだから、返してもらっただけでありがたいじゃないか。少しくらい米軍基地の問題が残ったって、沖縄ががまんするしかない……。こう考える人が多かったような気がします。でもちがうのです。非常に危険な軍用機オスプレイは、沖縄だけでなく、本土の六つのルートで超低空飛行訓練をすると、すでに新聞でも報じられています。その訓練ルートの下にある県や町は、全国で21県138市町村にのぼります。すでにのべたとおり、最低高度は60メートルですから、飛行訓練ルートにあたる町の住民の方々は、心配でしかたがないでしょう。しかも、問題はオスプレイだけではありません。本土にあるこうした飛行ルートは、みなさんがご存じないだけで、昔から米軍機の低空飛行訓練ルートとして、ずっと使われてきたのです。(→117ページ)

 さらに新聞が報じていないことがあります。公式にはそうやって飛行ルートが設定され、その下に住む人たちだけが心配しているようですが、米軍の軍用機は「基地間移動(基地と基地のあいだの移動)」という名目で、事実上、日本のどの地域の上空も飛ぶことができるのです。しかもオスプレイの最低高度は「平均150メートル」、つまりどれだけ低空を飛んでもいいということです。これほど理不尽な話があるでしょうか。

 それだけではありません。現役の日本国首相の発言によって、さらに理不尽な話があきらかになりました。それは、もしも日本政府をふくむ日本人全員がオスプレイの配備に反対したとしても、安保条約が存続しているかぎり、アメリカは「接受国通報」(ホストネーション・ノーティフィケーション=米軍基地の受け入れ国への通達)という名の通達を一本出せば、日本全土の上空で、アメリカ国内では絶対にできない危険な超低空飛行訓練を行なう権利があるという事実です。いくら住民の危険が予想されても、日本政府にそれを拒否する権利はないのです。2012年7月16日、民放のTV番組に出演した野田首相(当時)は、「〔オスプレイの〕配備自体はアメリカ政府の基本方針で、同盟関係にあるとはいえ、〔日本側から〕どうしろ、こうしろという話ではない」とのべました。

 アメリカ西部ニューメキシコ州にあるキャノン空軍基地では、オスプレイなどの夜間・低空飛行訓練について、住民のあいだで反対運動が起きたことから訓練の開始を少なくとも翌年以降に遅らせる事態となりました。またハワイでも、予定されていた訓練が、「空港周辺の歴史的遺産〔カメハメハ大王の生誕地〕にあたえる影響や、騒音に関する住民の意見など」を考慮して、事実上、無期延期になったことがわかっています。ところがアメリカにとって他国のはずの日本では、いくら住民が反対運動をしても、「米軍にどうしろ、こうしろとは言えない」ということを首相が公式に認めてしまったのです。

 この言葉を聞いて、心ある日本の人たちはみな激怒しましたが、もっとひどい事実があるのです。それは、「実は法的には、野田首相の言っていることが正しい」という衝撃の事実です。旧自民党政権時代なら、おそらく実態が国民にばれないよう、「これは、けしからんことだ」とか、「アメリカに厳重に抗議する」などと言って政治的な演技をしたと思います。しかしそうした政治的経験のまったくない野田首相は、驚くほど率直に真実を話してしまったのです。そうなのです。いくら危険でも、これまで出された最高裁の判例によれば、日本国民にオスプレイの超低空飛行訓練の中止を求める権利はまったくないのです。

 さらにみなさん、驚かないでください。くわしくはこのあと本文のなかでふれますが、もしも本土を飛ぶオスプレイが東京大学の安田講堂に激突し、墜落・爆発事故が起きて機体の破片が広範囲に飛び散ったとき、米軍は東大の敷地内を封鎖し、警視総監の立ち入りを拒否する法的な権利をもっているのです。信じられないかもしれませんが、すでに日米で合意文書(→112ページ)も作られた、まぎれもない事実です。

 つまり米軍基地に関して、本土には沖縄となにも変わらない現実があるのです。この本を読んだみなさんは、おそらく、「沖縄は日本なのか」「沖縄はまだ米軍の占領下にあるんじゃないか」という思いは共有してもらえると思います。それはだれの目にもあきらかな現実だからです。

 でも、そこからもう一歩踏みだして、
「では、日本は独立した主権国家なのか」
「もしかしたら、日本全体がまだアメリカの占領下にあるんじゃないか」
という問題に向きあってもらえればと思います。米軍基地やオスプレイの問題だけではありません。冒頭でのべた原発事故やその再稼働問題、TPP参加問題、検察の調書ねつ造事件など、多くの問題を生みだす構造的原因が、そこに隠されているからです。

《『羽仁五郎の大予言』を読む》(33)

権力が教育を破壊する(16)

教育反動(8)


「政治的中立」って何?(2)

(今回は『大予言』から関連記事を引用します。)

 大達文相のとき、羽仁さんは参議院議員だった。第三章「文部省を廃止せよ!」で、参議院法務委員会での大達文相とのやり取りを紹介して、「教育の政治的中立」の反教育性を次のように指摘している。

 1954年に、「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律」などいわゆる「教育二法」が出た時に、この時の文部大臣は大達茂雄だったがね、ぼくは参議院の法務委員会で、この大達文相に
「お互いに歳を取ったが、あなたは、小学校時代に教えを受けた恩師の顔を、覚えているかね」
といったんだよ。そしたら、
「覚えている」
というんだね。
「その恩師の顔を思い浮かべた上でこの法律を作ったのかね。この法律は、教師は中立を守れ、中立を破ったら警察がひっぱるぞ、という法律だよ。あなたは自分の恩師に向って、こういうことをいうつもりか。文部大臣は、こんな法律を作っていいのか」
といったら、
「自分は教育については、何も知らんもので……。しかし、決してこれは教師を刑罰でおどかすという性質のものではないと思っている。それに、これはいい先生にはかからないものです」
「馬鹿をいうな、君は法律を少しでも知ってるんだろう。法律というのはすべての人間にかかるんだよ。平等なんだよ。法律の前には、悪魔もなければ天使もないんだ。だから、いい先生だってその威嚇の下に立されるんだよ」
っていったんだがね。

 そして現にそういうことが起こるんだよ。例えばその時あった事件は、山形県かどこかの知事の選挙の時に、一年生の先生が、
「明日は知事の選挙で学校が休みだから、お父さん、お母さん、みんな棄権しないように頼めよ、いい政治ができるように」
といったんだね。そこでやめておけばいいのに、
「ところで、今、知事には二人の人が立候補している」
といって二人の名前を黒板に書いたんだよね、それで
「一方の人は百姓のことがよくわかる人なんだ」
といって○を書いた、
「一方の人は、百姓のことなんか全然わか らない」
といって、×を書いたんだ。するとこれを密告するものがあった。それで裁判所で裁判をやった時に、検察官が証人として一年生の子供を連れてきた。
「どうだ、嘘をいっちゃだめだよ、嘘をいうと、お前が罪になるよ、本当のことをいえ」
っていったら子供がウアーと泣いてしまった。これではしようがないというんで、今度は弁護士が出てね
「こわくないよ、先生は二人の名前を書いたかも知れないが、○書いたり、×書いたりしなかったんじゃないか」
というと、またウアーと泣くんだね。それで結局、両方ともウアーとうなずいて泣いてばかりいるんだよね。これはね、教育を受ける者を教育する人に対立する敵性証人の立場に立たせることなんだ。つまり、教育の中立法案というのは、教育の破壊です。

 生徒はいつ教師の敵になるかわからない、裁判所の法廷において、検事側の証人として、教師に対して敵性証言をするという可能性もあるということなんだ。この時に、矢内原さんに会ったら、烈火のごとく怒ったね。
「羽仁君が参議院議員をしていながら、こんな法律を通したら、ぼくはもう君とはつき合わんよ」
というんだね。つまり
「法律というものは、一連の法律でもって一つのシステムを作っていくんだよ。教育委員会の公選を廃止する、教科書は検定にする、ということは一体どこへわれわれを連れて行こうとするか、明白じゃないか。一つ一つでもって判断なんかしていたら、危険というものは絶対わかりっこない」
といって、矢内原さんは、その時この教員の中立に関する法律案に対して、本当に心の底から怒っていたね。

 つまり教育に権力が介入してきてはいけないんだ。政府なり権力は、現状維持が本質なんだ。ところが、教育の本質は、常に進歩なんだね、したがって、権力と教育とはあいいれない。

 「政治的中立性」については、第四章「権力が教育を破壊する」でも取り上げられている。こちらは、矢崎さんがジャーナリストの立場から問題提起をし、羽仁さんと交わした会話の記録である。

 政治家は"公正"とか"中立"といった言葉が好きである。不正ばかりやっている人間に限って、公正を気にし、偏向しているからこそ中立を叫んだりするのだろうか。羽仁五郎の話は一気呵成、それこそ一直線に論理が展開されるかと思うと、ポンとわき道にそれたりする。そのわき道の話の中に、意外な発見があったりして楽しい。次に掲げる対話は、そうしたもののひとつである。

矢崎
 さっきの教員の中立の話の時に、感じたのですが、ジャーナリズムの問題でいうと新聞の中立とか報道の中立とか、つまり日本人というのは割と中立とか公正とかが好きでしょう。ところがそんなものはない。
 例えば、ぼくは新聞記者を十年やって、それから自分で雑誌を作るようになったのですが、ともすると間違いを犯すんですよ。卑劣なこともしかねない、裏切りさえもするかも知れない。だけどいつも「お前はジャーナリストだよ。それでいいのかい?」ということを自分にいいきかせる。何となく、それはまずいかなという気持になる。つまり歯止めが、自分がジャーナリストかどうかということを問いかけるということなんです。
 ところが世の中のマスコミで働いているのに自分はジャーナリストだという奴がいる。そいつらの話を聞いているとどうもおかしい。よく中立とか公正ということを平気でいっている。つまり、さっきの教育の問題とまったく同じで、中立を守るということが非常に大切なことだと錯覚している。中立を守るというただ一つのことのために、その人間がやらなければならない大切なことを置き忘れてしまって、ごまかしてしまっている。「私は中立のジャーナリストだから、そんな事には加担できない」といいながら、結局、中立を笠に着て自分の生き方のやましさをごまかしてきているのではないのか。日本の新聞ジャーナリズムはその最たるものだという気がします。

羽仁
 そうね。十年くらい前に、東京で国際新聞経営者協会の大会があった。この新聞経営者の国際会議の席上で、西ドイツの代表が日本の新聞に向って、日本では選挙のたびにつまり世論調査のたびごとに、"わからない"という人の数が非常に多いというんだね。38パーセントに近いんだからね。それから、選挙のたびに与党が勝っちゃうんだよね。これが彼らにはわからない。その原因を彼は「日本の新聞の中立性にある」といって指摘している。つまり新聞は党派を明らかにすべきだとね。新聞が中立では、国民に判断の仕様がないんだよ。Don't Now「わからない」という率が日本では異常に高くなるのも当然なんだよ。そしてその一番の根本原因は文部省だ。文部省があると、みんな頭が悪くなっちゃうんだよ(笑)。そこで、前章の結論だけど、文部省を廃止すれば、日本の教育はその日から素晴しいものになるんだよ。国会図書館法の冒頭の前文に「真理がわれらを自由にする」と書いてあるんだが、同時に「自由がわれらに真理を認識させる」んだ。天皇制にしても、文部省にしても、人間を馬鹿にする根本原因なんだよね。
 例えば、中立性というのは、哲学的には、いわゆる現実概念ではないんだよ。世界のど こかに中立があるか、というと、これは無いんだな。昼があり、夜があるだけで昼と夜の中立なんてものはない。それで、中立というのはどんな概念かというと、課題概念なんだね。みんなで努力して実現する概念なんだよ。だから、中立というのは二つの対立するものがないところにはないんだよ。対立するものが自由に主張し合って初めて中立がでてくる。だから、実在する概念だという考えは独断論になってしまう。すなわち、「自分は中立だ」「自分は神である」「自分は天皇である」「自分は文部省である」「自分は総理大臣である」というふうにね。だから、田中角栄でも佐藤栄作でも自分が著しく不道徳であるとか、自分が著しく反動であるとは思ってないでしょ。自分は中立だと思っている。これは恐ろしいことだよ。ですから、反対党を認めない、強行採決をやるわけだよ。

矢崎
 そうですね。その強行採決をやることが国民の真意にのっとっているような感覚でやってる。

羽仁
 そうなんだ。例えば教育の中立に関する法律っていうのを、自民党は通したい、いや社会党は通したくないと、この二つが討論して初めて中立が実現できるんだということだね。だけど彼らは頭が悪いために、中立ということを言葉の上では知っているけれども実際に中立を実現する方法を知らないんだよ。

矢崎
 だから恐ろしいなあといつも思うのは、あの強行採決をやった時に、変にあの人達は使命感に燃えているでしょ。とても素晴らしいことをやっていると思っている。

羽仁
 そう、悪いことをやっているとは思っていない。これはヒットラーがアウシュヴィッツで何百万人もの人を虐殺した時に、その役人は立派な帳簿を作っているんだよ。これで戦争犯罪の証拠が残ってしまった。彼らは公務だと思っているから、ちっとも悪いことをしたなんて思っていない。
 したがって例えば公務執行妨害ということも成り立つんだな。公務執行妨害なんていうのは、本当ならば論理的には成り立たないんだよね。公務が妨害されるというのは、それが公務でないからなんだ。誰が公務を妨害するでしょうか。例えば警察が本当に中立であるなら、誰も妨害しませんよ。

矢崎
 日本の警察官が市民の側に立っていないことは明らかですが、せめて公正であって貰いたいといつも思います。ことに車の運転なんかしていると、一日に一度くらいは警察官からひどい扱いを受けるんです。いきなり停車を命じて「どこへ行くのか」「助手席にいる人とはどういう関係か」「この車の持ち主は誰か」と矢継ぎ早に質問してくる。理由もいわず、たずねるというより尋問するといった感じなんですね。素直に答えないと、「ちょっと来てくれ」ですからね。人権なんて、なんとも思っちゃいないんでしょうね、たぶん。警察手帳を見せる義務は彼等の側にあるわけで、正当な理由なしに免許証を提示することも質問に答えることも、われわれは義務づけられていないわけですから、警察官の態度にはうんざりします。

羽仁
 だいたい警察権力といったものは、弱きをくじき、強きを助けるためにあるようなものなんだよ。だから刑法が改悪されたりしたら、どんどん法の解釈を自分たちに都合のいいように考えて、その適用範囲をうんと拡大してしまう。極端なことをいえば、何もしない奴を、ただ気に入らないという理由だけで引っぱることだってできる。韓国の軍事裁判なんて、その最たるものだよ。こっち側に何ひとつやましいところがなくても、先方ににらまれたら、どんな目に合わされるか、わかったものではないんだ。

 このシリーズの第一回《『羽仁五郎の大予言』を読む》(1)で紹介したように、羽仁さんは大日本帝国敗戦直前に治安維持法違反で逮捕され、激しい拷問を受けている。そのときの逮捕理由は「YWCAの成人講座で共産主義を宣伝し、戦争に反対する言動があった」である。羽仁さんは「にらまれたら、どんな目に合わされるか、わかったものではない」ということを身を以て経験している。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(32)

権力が教育を破壊する(15)

教育反動(7)


「政治的中立」って何?(1)

 「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句を、さいたま市公民館が月報「公民館だより」への掲載を拒否した事件が皮切りだっただろうか。以来、自治体が「政治的中立」を理由に市民団体が主催する憲法の集会などの後援申請を拒否するケースが相次いでいる。最近では次のような事例がある。

 東京都国分寺市での事例。
 「国分寺9条の会」は2008年以来、国分寺市後援の「国分寺まつり」にブースを出し、憲法9条に関するパネル展やシール投票をしてきた。それが今年は参加を拒否された。(それをを企んだのは自民党の市議である。市議会でのどうしようもない連中のお寒いやり取りを「みんな楽しくHAPPYがいい」さんが記録しています。)

東京都調布市の事例
 『調布九条の会「憲法ひろば」』が来年一月に開く創立十周年記念イベントについて、調布市が後援しないことを決定。理由は、憲法ひろばの会則が、『「改憲」のくわだてを阻むため…』などと宣言した「九条の会」のアピール文に連帯の姿勢を示している点を問題視した。(『インターネット政党「ネット des 新党」』さんが論評している。)

兵庫県神戸市の事例
 今年の5月3日と11月3日の神戸憲法集会について、神戸市と同市教育委員会に"後援"名義使用の申請をしたが、どちらに対しても不承諾の決定。(「上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場」さんが論評している。)

 このような情けない動きに対して、東京新聞(4月23日)の「本音のコラム」に斎藤美奈子さん(いつも核心を突いた歯切れのよい論評で、愛読している)が次のような文を寄稿している。

中立って何

 21日のNHK午後7時のニュースが「"政治的中立への配慮"が相次ぐ」と題して講演会や展示会に対する自治体の対応を報じていた。 施設の貸し出しを断ったのは1自治体(奈良市)で2件。内容の変更を求めたのは東京都、足立区、福井県、福井市、京都市の5自治体6件。後援の申請を断ったのは札幌市、宮城県、長野県、茨城県、千葉市、静岡県、堺市、京都府、京都市、神戸市、大津市、岡山県、鳥取市、福岡市の14自治体で22件。こんなに多くの自治体が市民の自由な活動に横やりを入れていたなんてね!

 これは都道府県、県庁所在地の市、東京23区、政令指定都市を合わせた121自治体だけの調査。実際はもっと多いのだろう。内容的には憲法11件、原発7件。ほかにTPPや介護、税と社会保障など。

 この件が暗に発するメッセージは「政治的な意見を持ってはいかんよ」「政府に盾突く意見などもってのほか」という言論統制が平気でまかり通っている現実だろう。

 笑っちゃうのは、この種の「配慮」には熱心な自治体が、選挙になると急に投票を呼びかけるバカバカしさだ。「政治的に中立」で、どうやって誰かひとりに投票するのさ。このように建前と本音を使い分けるダブルスタンダードが人々の政治離れを助長する。投票率が低いと嘆く資格はないよ。

 教育関係では次のような事例がある。(以下は、高知新聞(9月12日)の記事『高知県四万十市の中学校が「琉球新報は政治色強い」と教材変更』)による)。

 高知県四万十市の中学校で、NIE(教育に新聞を)活動で、「平和・人権」をテーマにした班が「琉球新報」を利用していた。「平和・人権」班は記事を使って1学期中に2回、壁新聞を作っている。これを、四万十市の藤倉利一教育長が「政治色が強い」などと校長に指摘した。これを受けて、学校が2学期から別の新聞に切り替えた。

 記事では、他県では沖縄の地方紙を使って基地問題などを掘り下げて学習した事例があると、次の事例を紹介している。

「4年前、地元の地方紙や全国紙など計5紙を読み比べる授業を行った長野県の公立中学校では、米軍普天間飛行場の移設問題に興味を抱いた生徒たちが、沖縄県の地方紙を読んだり、大田昌秀・元沖縄県知事や住民、中学生らを取材したりし、新聞を作った。」

 もう一つ、記事は、広島大学大学院の小原友行教授(教育学 日本NIE学会会長)のまっとうなコメントを掲載している。

「面倒な社会問題を避け、自己規制をかけると、子どもは批判的思考もできず、社会現象に現実感も抱けない。むしろ論争についてこそ学ぶべきだ。・・・結論を導くのは教師ではなく、子ども自身によってでなくてはならない。・・・各紙独自の主張を把握して新聞を選ぶなどの準備をし、教師の工夫や努力、学習が必要だ。」

 このような政治権力におもねった自己規制のはしりが「山口日記事件」だった。

 もう一つ、任命制教育委員会の自堕落ぶりを示す大阪府教育委員会の現状を紹介しよう。(「都教委包囲首都圏ネットワーク」の渡部さんからのメールから引用します。)

10月29日の大阪府教育委員会で、中原教育長のパワハラが立川教育委員に暴露されました。 彼は以下のようなことを立川委員に言っています。

『立川さんなんかが何を言っても何も変わりませんよ。例えば、安倍総理が集団的自衛権を言っているのに、その内閣の大臣が全く違うことを言うのと同じこと。裏切り。すべて組織で動いているんです、「同じチーム」でしょ。裏切るんですか?共産党と一緒に、後ろから知事を刺しに行くようなもの、何のためにそんなこと言うのか。』

(立川委員が「子どものため」と言ったら)

『え??何を言ってるんですか。誰のおかげで、教育委員でいられるのか、誰のおかげかって。大きな権限、こんな地位を与えられているのか、他でもない知事でしょう』

 しかも、このパワハラが暴露されたあとに松井府知事・橋下市長はともにパワハラを問題にせず中原教育長を擁護し、松井氏に至っては問題をはぐらかし、「やめるのは立川委員の方だ」というようなことまで言っています。

ここに、彼らの非民主的、暴力団的、かつデマゴギーに満ちた本質がよく出ています。全く教育や民主主義とは程遠い連中です。一日も早くゴロツキのような中原教育長をやめさせましょう。

 さて、1953年10月の池田・ロバートソン会談において、池田が「自衛と愛国心教育」を約束したことを受けて、大達の動きはさらに勢いづく。

1954年

1月8日
 中央教育審議会、教育の政治的中立性維持について答申。教育2法の立法本格化する。

この答申にすでに現在の「教育の政治的中立」という詭弁が網羅されている。教科書Aから引用する。

 この答申は日教組の運動方針、全国教研の報告書などの一部をとりあげて非難し、つぎのようにのべていた。

「公務員の身分を有する教員は、他の一般公務員と等しく、国家公務員法または地方公務員法によって、政治的行為の制限を受けているが、更に教育基本法はすべての教員に対し、一定の政治的活動禁止の規定を受けている。これは教育の中立性を重視し、教員をして特定の政治的活動から中立を守らしめようとする趣旨に出たものである。……教員の政治的中立性に関する問題のうち、最も重要なるは、高等学校、中学校教員の大部分を包容する日教組の行動があまりに政治的であり、しかもあまりに一方に偏向している点と、その決議、その運動方針が組合員たる50万の教員を拘束している点と、その教員の授業を受ける、800万の心身未成熟の生徒・児童の存在する点とにある。」
「日教組が地方公務員法に基く職員団体の任意の連合体でありその結成そのものはもとより自由であろうが、その活動の現状をみるに前述のとおりであって、その組合員たる教員が、組合の政治的方針を学校内にもち込んで、直接教育に当ることのあるを考えれば、まことに憂慮にたえないものがある。もちろん、現在すべての教員がかくのごとくであるとは信じないけれども、これを放任することは、やがて救うべからざる事態を惹起するであろう。」
「したがって教員の組織する職員団体及びその連合体が年少者の純白な政治意識に対し、一方に偏向した政治的指導を与える機会を絶無ならしむるような適当な措置を講ずべきである」。

 このように、この答申ほど、政治権力の方針に反する教育思想、教育政策をすべて「政治的」だと断定し、これらを教育界から排除することこそ、教育の中立性を侵す最たるものであることをよく示しているものは他にない。

 大達文相は、この中教審の答申を根拠にして、教員の政治活動規制の法案を起草することになる。

2月9日
 教育2法「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」「教育公務員特例法」一部改正案要綱を閣議で決定。16日の国会に提出。

 前者は義務教育学校教職員に特定の政党等を支持・反対させる教育をおこなうことを教唆、煽動したものは懲役、罰金を科するというものであり、後者は教育公務員の政治活動を国家公務員法(102条)、人事院規則(14ー7)を適用することによって一切禁止しようとする改悪案である。

3月3日
 文部省、偏向教育事例24を衆議院文部委員会に提出。

 文部省はこれによって世論誘導を試みたが、そのなかの多くは事実に合わなかったり、与党の調査委員が「偏向の事実なし」と報告したりで、その根拠はきわめて薄弱なものであった。

3月12日
 日教組、反証資料を配布。

3月14日
 日教組、教育2法反対の振替授業闘争を実施。

3月15日
 日教組、教育防衛大会を開催。

 日教組はこの2法が軍国主義復活のためのものであり、教員だけでなく国民の自由をうばうものだとして、日曜日に振替授業を行ない、翌日各地で教育防衛大会をひらき父母にも法案反対を訴えた。日本教育学会、全国大学教授連合、全国教育委員協議会、全国連合小学校長会、全日本中学校長会なども法案に反対した。

4月12日
 参院文部委員会、事例関係者を証人として喚問。

5月14日
 参院本会議、教育2法案を可決。

6月3日
 教育2法を公布

(次回に続く)
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(31)

権力が教育を破壊する(14)

教育反動(6)


1953年

5月21日
 第5次吉田内閣が発足。大達茂雄が文部大臣に就任。

 大達は満州国総務庁長、昭南(シンガポール)特別市長、内務大臣などを歴任した経歴があり、戦犯官僚として追放されていた人物である。その大達が文相となり、さらに旧特高官僚を次官、初中局長、地方課長にすえた。

 大達は日教組と正面切って対立した初めての文相である。そして、戦後教育改革の民主的原則を空洞化・形骸化するという、その後の文教行政の基本路線を敷くという重要な(反動勢力にとって)役割を果たしている。

6月3日
 岩国市教育委員会、平和問題等に関する記述を不当として、山口県教組編『小学生日記』「中学生日記」の回収を決定。

 この事件は「山口日記事件」と呼ばれている。大達はこの事件を徹底的に利用することを企んだ。

 山口日記事件の経緯は次のようである(教科書Aより引用する)。

 岩国市教委の一人は「県教組編集の日記はアカである」といい出し、市教委は校長にたいしその使用状況調査・回収を強要した。「親ソ的」とされた欄外記事は文部省推薦図書『朝日年鑑』から抜すいした「ソビエト連邦」であり、「再軍備と戸じまり」では、在日米軍基地への疑問をなげかけたものであった。毛利元就の三本矢の話も、中共の思想だと攻撃され、このような"偏向教育"という武器に県教組分裂の攻撃がかけられた。

 大達文相は徹底的にこれを利用し、「教育の中立性確保」の名目で、教員の政治活動の禁止をたくらんだ。国会討論でも大達は
「再軍備をしない建前だということを教えるのはいいが、再軍備反対といえば一つの政治的主張だ」
という珍妙な論理で、憲法・教育基本法の根本精神から教育をきりはなそうとした。

「平和と独立のための教育であるが、一口にその正体を洗えば、アカ(平和)と反米(独立)のための教育である……民族的課題とやらを解決するために教育を道具に使うことだけは、絶対にやめて貰わねばならぬ。いな、絶対にやめさせなければならぬのである」(大達茂雄『私の見た日教組』新世紀社、1955年)。

 これは対米従属下の軍国主義復活を推進する独占資本・支配層の意志を集中的に表現していた。この時期に教員の思想調査事件が相ついで発生した。

 山口日記事件については、私はほとんど知らないので、もう少し追うことにする。教科書Cが山口日記事件を詳しく記録しているので、それを用いる。

岩国市教育委員会は「日記の欄外記事には明らかに政治的偏向がみられ、次のような内容を含んでいる」として取り上げたのは次の6項目である。

1 再軍備反対(保安隊及び警備隊反対)
「再軍備反対の声が強いのはなぜか」(小学生日記31頁)「平和憲法」(同3頁)

2 講和条約の批判
「日印平和条約」(同26頁)

 「日印平和条約」がなぜ「講和条約の批判」になるのか。調べてみた。ウィキペディアから引用する。

「インドはサンフランシスコ講和会議に招請を受けたが、1951年8月23日に会議への参加と条約への調印は拒否した。表向きの理由は日本の主権が制限されていること(特に占領下での日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約締結の合法性の問題)、沖縄、小笠原諸島のアメリカ合衆国による信託統治への反対であった。また、日本に対しても東側諸国の講和会議参加への障害となっているとして千島列島と樺太全域のソビエト連邦への編入を認めるように主張した。ただし、日本との関係回復を否定する立場にはないして、日本国との平和条約調印当日になって日本側に対して個別に平和条約を結ぶ意思があることを通告した。


3 軍事基地反対
「死んだ海」(同15頁)「再軍備と戸じまり」(同59頁)

4 朝鮮動乱の批判
「気の毒な朝鮮」(同35頁)

5 対中国貿易再開
「ポツダム宣言」(同53頁)「日本の貿易」(同12-13頁)

6 反資本主義・社会主義讃美
 「ソ連とはどんな国か」(同51頁)

 教科書Cは「再軍備と戸じまり」と「再軍備反対の声が強いのはなぜか」を全文記録している。次のようである。

〈再軍備と戸じまり〉

 日本人の中には『泥棒が家にはいるのをふせぐために、戸じまりをよくし、錠前をかけねばならない』といってソ連を泥棒にたとえ、戸じまりは再軍備と同じだという人がいます。これは正しい話でしょうか。

 表の錠前を大きくばかりしていて裏の戸をあけっぱなしにしているので、立派な紳士が、どろ靴で上って家の中の大事な品物を806個も取っていってしまいました。それでも日本人は気がつきません。とられた品物は何かよくみると、それが日本の軍事基地だったのです。一体どちらが本当の泥棒かわからなくなってしまいますね。

〈再軍備反対の声が強いのはなぜか〉

 再軍備について討論の代表的なものを六つばかりあげてみます。学級の問題としてどれが正しいか考えましょう。


 日本にしっかりした軍隊がなければ、いつソ連や中共がせめてくるかもしれない。

 強い軍隊があれば外国からせめてこない。

 いまの世界のありさまから見てソ連や中共は日本へせめてくるはずがない。だから軍隊をつくる必要がない。

 今、軍隊をつくればアメリカに利用される。アメリカについて戦争をすれば、日本はまためちゃくちゃにされてしまう。だから軍隊はない方がよい。

 軍隊をつくるには多くの費用がかかる。軍隊をつくる金があれば貧乏で困っている国民の生活をよくするのにまわした方がよい。

 国と国との間の問題は戦争で解決しようとせずに、どこまでも話しあい(外交)で解決することができるはずだ。

 などですが、あなたはどれとどれに賛成しますか。

 〈再軍備と戸じまり〉は「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」(ダレス)という米国の一方的な基地占有を寓話風に語っている。自民党政府にはおおいに腹立たしいことだろうが、間違ったことは言っていない。

 〈再軍備反対の声が強いのはなぜか〉はとても良くできていると思う。現在、集団的自衛権を巡って行われている議論と同じではないか。丸暗記を強いる御仕着せの授業ではなく、さまざまな意見をめぐって子供たちが自ら考え討論する。こんな授業ができたら、楽しくもすばらしい授業だ。

7月8日
 文部省、教育の中立性維持に関し次官通達。

 この通達が出されるに至った経緯と、その後の大達文相の言動について、教科書Cから引用しよう。

 これ(山口日記事件)を知った大達文相は、事務当局に注意を与えたが、思ったように進捗しないので、都道府県知事を通じて教育委員や学校長に厳重に注意を喚起するよう命じた。しかし、出来たものが微温的なものであったので、みずから訂正加筆して、同年7月8日西崎恵事務次官名で都道府県教委・知事宛に「教育の中立性維持について」の通達を出させたのである。それは、つぎのようなものであった。

「最近山口県における『小学生日記』『中学生日記』の例に見るごとく、ややもすれば特定政党の政治的主張を移して、児童・生徒の脳裏に印しようとするがごとき事例なしとしない」から教材資料の「取捨選択にあたっては、関係者において特に細心留意すること」、また「職員の服務につき」指導を怠ることなく適切な監督を行い、「勤務不良の教職員の絶無を期せ」と命じた。

 このような一片の通達だけでは、その意図が達成できるとは、大達文相も考えていなかった。通達は、教員の政治活動規制に対する大達文相の決意表明であり、その決意を具体化するためには、それを立法化する必要があった。

 しかし、大達文相は、立法作業に着手する前に、文部省の陣容の再建をはかった。8月28日付で人事異動を行い、西崎恵事務次官と久保田藤麿調査局長に勇退を求め、次官の後任に内務省出身の初中局長田中義男、初中局長には宮崎県総務部長緒方信一を抜擢した。日教組対策を専管とする地方課長には、同課の課長補佐斉藤正を起用した。田中は大達が満州国総務長官時代の文教部次長、緒方も旧内務官僚で山形県警察部保安課長・三重県特高課長も務め、大達が昭南市長時代の軍政官だった。これは、教員の政治活動規制のための異例の文部省人事であった。

 大達文相は、8月30日、車中談の形で同行記者団に対し
「教員に政治活動を許しているために、教育の中立性がおびやかされていると判断されるならば、何らかの措置をとらざるを得ない。立法措置も中立維持対策の一つだ。教育の中立性をおびやかす一例として山口日記問題もあるが、これは明らかに組織的・計画的なものだ」
とのべ、教員の政治的活動規制の方針を明らかにしたのである。

 教員の政治活動規制の法案化には、「山口日記」だけでは不十分であると判断した文部相は、12月23日、「地方課発第九三九号」の極秘通達を全国の教育委員会に送付した。それは、「教育の中立性が保持されていない事例の調査について」と題するもので、全文はつぎのようなものであった。

「近時新聞等に、学校内において教育の中立性を阻害するがごとき事例が報ぜられているが、その実情を承知いたしたいので、貴都道府県内の公立学校等において、特定の立場に偏し た内容を有する教材資料を使用している事例、または特定の政党の政治的主張を移して、児童生徒の脳裏に印しようとしている事例、その他特定の政治的立場によって教育を利用し、歪曲している事例等、教育の中立性が保持されていない事例について至急調査の上、該当事例の有無ならびに該当事例があれば、その関係資料添付の上、できるかぎり具体的に至急報告願います」

 これは、単なる調査という域を超えて、検察官・警察官の捜査に訴える方法をも予知させるほどの要請文であった。それほど、それは、「偏向教育」の一定量の情報資料を、当局は必須としているということを窺わせるものであった。

 大達が立法化を目指した成果がいわゆる「教育二法」である(次回に取り上げる予定)。また、大達は教科書検定の強化にも手をつけ始める。

8月5日
 「学校教育法等の一部改正法」を公布。文相の教科書検定権を明示。

 つくづく思う。「政治的中立」って何だ。そんなものあるのか。それとも自民党政府を支持していれば「中立」なのか。「偏向教育」って何だ。自民党政府がお気に召すように作られた検定教科書だけの教育は「偏向教育」ではないのか(この問題も次回に取り上げる予定)。