2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(9)

裁判は階級的である(1)

過去の判例二つ


今回から「第二章 裁判は階級的である」を読むことにする。

 「裁判が階級的」であるのは、裁判官が第三権力の一角を担う官僚なのだから、ブルジョア民主主義国家では当然のことである。特に行政訴訟において公正な裁判など期待できない。憲法を無視した判決のオンパレードである。ほとんどの裁判官がヒラメなのだ。それでも、わずかながらも憲法に則った判決を心がけるまともな裁判官がいる。二例だけ挙げてみる。

 まずは、アベコベ政権が集団的自衛権容認は憲法違反ではないという詭弁の論拠にしようと取り上げた砂川事件の判決。その判決の経緯はおおよそ次のようである(「昭和の抵抗権行使運動(40):第二次砂川闘争」から転載する)。

 第一次砂川闘争は「勝利」を勝ち取ったが、これで終わったわけではなかった。翌年1957年6月から7月にかけて、占領時代に接収された基地内の土地について軍用地料を確定するための測量が計画され、反対同盟と支援者による阻止闘争が組まれた。このときフェンスを越えて基地内に立ち入った労働者・学生が事後逮捕を受け、安保条約に基づく刑事特別法違反で訴追された。この裁判の第一審で下されたのが有名な「伊達判決」である。
1959年3月
 東京地裁は安保条約を「違憲」とし、違憲な条約に基づく刑事特別法違反の行為は罪を構成しないとし、被告に無罪を宣告した。

 しかし、折からの新安保条約国会審議への影響を恐れた検察側は最高裁に飛躍上告、原判決は破棄されて被告は有罪となった。最高裁が法に基づいた判断を放棄し、臆面もなく政治的な判決を下すのは今に始まったことではなかった。日本には真の三権分立など、あったためしがない。

 アベコベ政権が最高裁による飛躍上告の判決文を取り上げたおかげで、その判決の裏情報を多くの人が知ることとなった(今まで私も知らなかった)。例えば、東京新聞(2014年6月18日 朝刊)の『砂川事件 再審請求 元被告ら「公平な裁判侵害」』という記事の中に次のような記述があった。

『再審請求書によると、逆転有罪を決定づけた59年12月の最高裁大法廷判決をめぐり、田中長官は事前に駐日米大使らと非公式に三度面会。一審無罪判決を破棄する見通しや審理日程、判事15人の全会一致を導く意向などを伝えていた。』

 少し詳しく知りたいと思いウィキペディアを読んでみた。ウィキペディアによると、これは機密指定を解除されたアメリカ側公文書を用いて、2008年から2013年にかけて明らかにされた事実だという。その中の一節を転載する。

『ジャーナリストの末浪靖司がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書分析をして得た結論によれば、この田中判決はジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、日本国憲法第9条の範囲内であって、日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”という理論により導き出されたものだという。当該文書によれば、田中は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに対し、「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をした。田中は砂川事件上告審判決において、「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べている。古川純専修大学名誉教授は、田中の上記補足意見に対して、「このような現実政治追随的見解は論外」と断じており、また、憲法学者で早稲田大学教授の水島朝穂は、判決が既定の方針だったことや日程が漏らされていたことに「司法権の独立を揺るがすもの。ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」とコメントしている。』

 伊達判決は1959年3月30日。最高裁判決は同じ年の12月16日。宗主国さまの意向に沿うべくまともな議論抜きで超スピードの逆転判決。属国の最高裁の面目躍如といったところ。

 さて、砂川事件の一審判決は安保条約、つまりは米軍基地の存在を違憲とする判決だったが、自衛隊を違憲とした裁判もあった。1973年の長沼ナイキ基地訴訟である。この訴訟のあらましは次のようである。

 北海道夕張郡長沼町に航空自衛隊の「ナイキ地対空ミサイル基地」を建設するに当たって、農林大臣が森林法に基づき国有保安林の指定を解除する通達を出した(1969年)。これに対し反対住民が基地には公益性ないとして保安林指定解除の取消しを求めて起こした行政訴訟である。一審の福島重雄裁判長は「自衛隊は憲法第9条が禁ずる陸海空軍に該当し違憲である」とし、「保安林指定解除」は無効と判決した。この判決の根幹は「平和的生存権」であった。これに対して、二審の札幌高裁は「統治行為論」を盾にして一審判決を破棄した。原告は上告したが、最高裁は違憲問題は棚上げして「原告に適格がない」として上告を棄却した。

 砂川事件の一審の伊達秋雄裁判長は、冷遇されたためか、あるいは司法府の体質に愛想を尽かしたためか、定かではないが、1961年に退官して弁護士を開業した。「外務省機密漏えい事件(西山事件)」の弁護団長を務めている。後に法政大学の法学部教授となり、法学部長を勤めている。

 長沼ナイキ基地訴訟の一審の福島重雄裁判長は東京地方裁判所、福島家庭裁判所、福井家庭裁判所と左遷され続け、1989年8月31日定年前に退官している。

 ここで思い出したことがある。ヒラメでないと出世できないのは裁判官だけではない。「「大化改新」の真相(3)」で書いた一文を再掲載しておこう。

 「若い諸君」の中から気骨ある真の学者が出てくることを期待したいがどうだろうか。難しいだろう。学会とは徒弟制度の社会のようだ。指導教授の学説に反する研究を発表すると、その学者は将来出世できないといわれている。古代史学会だけの話ではない。

 水俣病を告発し、問題を社会に知らしめる発端を作った宇井純さんはついに「万年助手」に据え置かれたままだった。早くから原発の危険性を強く指摘し続けていた京都大の今中哲二さんは研究費でも差別を受け、助教授止まりでそれ以上の出世を阻まれているという。

 大学だけのことではない。「君が代・日の丸強制」反対裁判に見るように、憲法判断を要する裁判では、ほとんどの裁判官が最高裁判例追認の判決しか出せない。その最高裁判例が行政追随・憲法無視の判決なのだ。それに逆らうまともな判決をすると、地方に飛ばされたりして、将来も出世はできないようだ。「予防訴訟」裁判であの画期的なすばらしい判決を出した難波裁判官はその後どうなっただろうか。ネットで調べたら「熊本地方裁判所長、熊本簡易裁判所判事」とあった。

 マスコミの世界もそうだ。経営者の意向に反する作品や記事は没にされてしまう。御用記者がはびこり、まともなジャーナリストは少ない。

 いたるところに根を張っている旧態然とした社会システムの根本的な変革がないかぎり、本当の学問・言論・思想の自由は絵に描いた餅でしかない。暗澹とした気分になる。

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