2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《『羽仁五郎の大予言』を読む》(8)

世界同時ファシズムの脅威(4)

ファシズム化の契機(3)


 もちろんのこと、羽仁さんは
「ファシズムの下で生きる」
道ではなく
「独占資本を倒す」
方向を考えている。まず、スタフグレーションを打開しようとするときに、独占資本(財閥)の傀儡政権が陥るジレンマを分析している。

 現実には、田中首相も「所得政策はやらない」といっているが、やるといったら、それだけで大騒ぎになっちゃうから、不意打ちでやるより他に方法はない。イギリスの保守党が、所得政策をやろうといったとたんに、選挙で敗けてしまった。イギリスの『エコノミスト』が、物価の騰貴が20パーセントといった状態がある程度まで長引けば、そこからは必然的にファシスト政権ができてしまうだろうと、これこそ本当の警告をしている。しかし、国民も、労働党にインフレを解決する力がないことぐらい知っているから、圧倒的支持にはならなかった。

 労働党の組閣をみると、非常な左翼を入れている。フッ卜という労働組合の最左翼を入閣させた。蔓延しているゼネストを解決しようというハラだが、これによって労働組合の要求はいれる。しかし、イギリスにも独占資本はあるんだから、そっちの要求もいれなくてはならない。労働党が、このジレンマに立ってる限りインフレは解決できない。

 日本に引きうつしていえば、総評が、春闘によって賃上げをやれば、インフレ促進という批難を受けかねない。そこで、インフレと闘う国民春闘というところへもってきたわけだが、イギリスの労働党のジレンマに、どうしても似てくる。

 スタフグレーションに対する有効な経済政策は行われぬままオイルショックによりスタフグレーションは激化していった。そしてバブル景気・バブル崩壊を経て平成デフレ不況へと突入し、現在に至っている。

 いまアベコベ政権がやっていることは<国家を開く>方向とは全く正反対の方向を目指している。ファシズム的愚政策のオンパレードである。国民をないがしろにして国家をますますがっちりと閉ざし、国際国家としても他国と敵対する方向に向かって孤立を深めようとしている。羽仁さん・大内さんや吉本さんが指摘した危惧が今になってとうとう信憑性を帯びてきた。

 さて、スタフグレーションの打開策として、羽仁さんはまず独占資本の不当な内部保留をはき出させる必要を説いている。

 国民春闘が具体的な意味を持つとすれば、賃上げはやらなければならん。物価が騰貴しているのだから当然だ。だが賃上げをまかなう資金というものを考えねばならない。

 大企業の去年の下半期における決算は、前年度に較べてかなりのボロ儲けになっている。それを吐き出させる以外に、賃上げを解決する意味はないんだ。これをやらなくては、いくら国民春闘といっても、左手で賃上げ、右手でインフレ抑止という、両頭の蛇を抑えようとするナンセンスな結果になりかねない。インフレに対して賃上げをやっていくと同時に財政的な基礎というのを大企業、具体的にいえば法人税なり、不当利益の没収などによって蓄積しなければならない。政治献金する金があったら、物価の高騰で困っている国民の生活を救うために吐き出させなくては国民春闘の意味はなくなってしまう。

 しかし、当時の総評にはそのような力はなかった。ましてや、独占資本と癒着した労働貴族が牛耳る現在の連合には全く期待はできない。

 政府もダメ、組合もダメ。ではどうしたら<国家を開く>ことができるのか。もちろん、暴力革命は論外である。確かな正しい理念なき革命は別種の<閉じた国家>を生み出すだけに終わるだろう。すでに歴史がそれを証明している。それではどのような道が残されているだろうか。羽仁さんは「自治闘争」に期待を寄せている。

 それと物価対策は地方自治体が積極的に取り組むべき問題なんだよ。市民運動というのも、東京で大がかりにやるんじゃなくて、市町村単位でコツコツやるのが最も効果的なんだ。わずか人口1万人の能勢町が、防衛庁を向こうに回して闘って、ついにナイキ基地をあきらめさせた。在日朝鮮人の問題にしても国家では国籍の自由選択を認めないが、方々の町や村の自治体では保証している。長沼判決の自衛隊違憲にしても、中央では無視されても、多くの自治体がちゃんと生かしている。つまり、市町村で自衛隊の委託業務を断るという、現実の闘争をやっているんだ。

 自治闘争がかなり大事になってくる。したがってまったく自治のない筑波大学なんて粉砕しなけりゃならん。それが長期の展望なんだ。国家の一員には違いないが、それ以前に市民なり、町民なり、村民なりの立場に立って、身近なところから生活を守っていく。一番具体的な問題は身近なところにあると思うんだよ。自治体で物価を変える、大企業の不当利益を没収する、法人税を条例で取り立てることができるんだ。

 公安条例という悪い条例があるが、あれは国の政府では憲法違反になるから、都市自治体でやらせている。だから、それを逆手にとって、地方自治体がどんどん良い条例を作るんだ。物価やインフレを阻止するような条例を作り、大企業から税金を市町村単位で取り立てていく。独占資本の支配下にあって、この方法は革命的意味すら持っている。

 しかも、これは資本主義国だけでなく、社会主義国においても同じ意味を持つんだ。ソルジェニツィンの場合でいったように、官僚化、中央集権化はソビエトにもある。中国がいっているように、ソビエトが帝国主義、または新しいファシズムになりつつあるかどうかはともかくとして、官僚主義的な独裁が発生しつつあることは事実だ。中国にしても、その危険性は充分ある。

 だから、独裁、ことにファシズム独裁を阻止する手段としての自治が大切なんだ。大内力君のように、世界同時ファシズム、ああそうなりますか、というわけにはいかん。

 <国家を開く>という観点からは、スタフグレーションに対してもデフレ不況に対しても、その方策に違いはない。40年ほど前の羽仁さんの提言は現在でも通用する。ただ、市民運動については国会を包囲するような大がかりな運動も必要だ。それと地方の運動が連動すれば傀儡政権を揺さぶる強力な力となるだろう。現在の反原発運動がとても頼もしい。

 さらに今、アベコベ政権の集団的自衛権容認という姑息な解釈改憲に対して、多くの地方議会が反対の決議を挙げている。また、さまざまな団体が反対の声明や決議を挙げている。さらにまた頼もしいことに、大学生たちも集団的自衛権反対のシンポジウムやデモをを行っている。その背景には圧倒的な反対世論の高まりがある。新聞の論調も、産経・読売・日経などの御用新聞以外は、「解釈改憲」反対の論陣を張っている。東京・日刊ゲンダイを始め、地方紙は軒並みに自民・公明の見え透いたインチキ議論を鋭く批判している(ちなみに地方紙の社説はサイト「NPJ」で読むことができます)。

 現在の日本、いや全てのいわゆる先進国は真の民主主義国家ではない。今ではほとんど使われなくなってしまったが、紛れもなく1%が支配するブルジョア民主主義国である。
(「統治形態論・「民主主義」とは何か」
「日本の支配者は誰か」
を参照して下さい)。

 私はこのことをしっかりと認識することが重要だと考えている。<国家を開く>とは、言い換えれば<真の民主主義を確立する>ことである。その道は、労働運動も市民運動も、そして地方議会も、さらにそして私たちの日常生活においても、この観点から独占資本の傀儡政府を監視し、異議を唱え続けるほかにはないと思う。

 日本には、天皇条項という重大な瑕疵があるが、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を謳う世界に冠たる憲法がある。この憲法を無視して、アベコベ傀儡政権は暴走をしている。全くの視野狭窄に陥っているアベコベ傀儡政権は7月1日にも集団的自衛権行使容認の閣議決定を強行しようとしている。私たちの闘いは厳しく長くなりそうだ。
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《『羽仁五郎の大予言』を読む》(7)

世界同時ファシズムの脅威(3)

ファシズム化の契機(2)


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 読みたい本がたまっていたため、長らくご無沙汰をしてしまいました。
 《『羽仁五郎の大予言』を読む》(6)で、私の経済学についての知識不足のため羽仁さんの論旨がうまく理解できない部分があったので経済学の学習をしようと横道に入ったのでしたが、ずいぶん長い横道になってしまいました。今回から《『羽仁五郎の大予言』を読む》に戻ります。もう1年近くの空白があったので、はじめにこれまでの記事を紹介しておきます。

これまでの記事
第1788回 06月29日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(1):羽仁五郎とは何者か―生誕から敗戦時までの履歴

第1789回 07月04日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(2):チリのクーデター(1):革命前夜

第1790回 07月07日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(3):チリのクーデター(2):無血革命

第1791回 07月10日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(4):チリのクーデター(3):チリの9・11

第1792回 07月19日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(5):世界同時ファシズムの脅威(1):アジェンデの立往生

第1793回 07月28日:《『羽仁五郎の大予言』を読む》(6):世界同時ファシズムの脅威(2):ファシズム化の契機(1)


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 まず、前回の記事の時代的背景を確認しておこう。

 矢崎さんによる聞き書き「世界同時ファシズムの脅威」は1974年に行われている。この時期は資本主義がこれまでに例のなかった初めての世界的な不況に落ちいていった時期であった。いわゆる「スタグフレーション」であり、1974年はスタグフレーションが激化した年に当たる。この時の政府は田中内閣である。この不況には、それまで成功を収めていたケインジアン学派の経済政策では全く対処できなくなっていた(「ミニ経済学史(18):新しい古典派の時代(1):スタグフレーション」を参照して下さい)。

 前回取り上げられていた大内論文「インフレの第三期症状・国家独占資本主義の帰結」はこうした状況下で書かれた論文であった。その論文の中で大内さんは、もともと「国家独占資本主義」はスタグフレーションからの脱出ができない体制であって、スタグフレーションから脱出する方策は
「所得政策を中心に、経済に対するあらゆる権力的統制を強めていくことであり、また、それに耐え得るような、多かれ少なかれ、独裁的権力を確立すること」
しかないと述べている。この大内説を受けて、羽仁さんがまとめた論評は
「独占資本にとっては、インフレーションが唯一の政策なんだよ。大内力君の結論を、もっと早くいってしまうと、独占資本がインフレをやめることができるはずがない。もしやめるならば、非常な無理がでてくる。それがファシズムの独裁なんだ。」
であった。

 ここに出てきた「所得政策」とはどういう政策なのだろうか。矢崎さんが次のように解説している。
「所得政策とは、国民の所得を抑え、いわゆるコスト高の物価を凍結することにある。衣食住にわたって生活は貧しくなるが、インフレの抑止には、きわめて効果的である。ただしこの状態が長引けば、配給制度など物価の統制が厳しくなり、不平不満は増大する。結果的には強い権力によって、弾圧する必要が必然的に生じる。」

 ここで思い出したことがある。吉本隆明さんが大内さんと同じようなことを説いていた(「権力と反権力の現在(6):社会主義とは何か」より転載する)。

 現在の世界で、社会主義の理念と現実にとって、なにがいちばん緊急で大切な課題かと問うたとしよう。どんな反対に出あっても、わたしだったら国家を〈開くこと〉だと答える。国家が〈開かれる〉装置がない〈社会主義〉は、社会ファシズムあるいは国家全面管理の資本主義以外のものに収斂しない。また国家が〈開かれる〉装置をかんがえない資本主義は、永続的なスタグフレーションか、国家社会主義かへ収斂するほかないとおもえる。

 「国家を開く」という概念は吉本国家論の重要なキーワードの一つである。現在「国家が〈開かれる〉装置」を持つ国家は皆無である。では「国家を開く」とは具体的にどういうことなのか。『「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(3)』より転載する。

 国内的にいえば、国家つまり政府をつくっている者にたいするリコール権、いいかえれば無記名の直接投票で、多数を占めればいつでも政府をリコールできるようにしておくことです。代議員をとおしてではなく、民衆の無記名直接投票で過半数が現行の政府を否認したら、政府は代わらなければならないという法律を一項目もっていれば、たぶん国家は民衆にたいして開くことができるとおもいます。国家が開かれていれば、民衆が直接、政府を代えることができます。それは労働者がかりに直接政府のなかに参与していかなくても、労働者が解放されている国家といっていいんじゃないかとおもいます。

 また、国家間国家といいますか、国際国家のあいだでは国家を閉じないということです。いつでも開いていて、国家が存続していても、絶えず外の国家と交流できることです。たとえば現在、日本とロシアのあいだに北方領土問題がおこっているでしょう。具体的にいえば、これをおれのところへ返せとか、いや、おまえのところに返さないとかというのが、いまのロシアと日本の現状なわけです。国家を開くという観点がそこにあれば、北方領土だけは両方の国民がいつでも自由に出入りしたり、住んだりできるようにしようじゃないか、そこだけは国境なしにしようじゃないか、そしてそこでの行政的なことは日本とロシアと両方から委員を出して、四島の行政機能を行うという解決の仕方ができます。そういうことが国家を開く、国際間で開くということです。

 国内で開くということは、政府はいつでも、民衆が否認するという意志を示したらやめなければならないという法が制定されていれば、その国家は民衆にたいして開かれているということになります。それは口で言うのはやさしいですが、実現するのはなかなかむずかしいことです。いつかはそうしなければならないことですし、そうなるでしょう。しかしそれを言いだす政府も政党もいまのところないわけです。いってみれば国家社会主義(ファシズム)か社会国家主義(ロシア・マルクス主義)かのちがいで、国家ということがついて回って、すこしも開かれていないことが問題なんです。

 吉本さんが北方領土について述べていることは尖閣諸島についての敷衍できる。それは国家のものではなく、地域住民のものである。その周辺を漁場としている地域住民たちの自己管理に任せればよい。これまでの「棚上げ」という暗黙の合意をそこまで深めることが最も重要な課題だと思う。

 さて、羽仁さんは
「だから独占資本を倒すという考えに立たない限り、ファシズムの下で生きなくてはならなくなる。どちらを選ぶか。それほど、むつかしい選択ではないと思うが……。」
と述べていたが、それでは羽仁さん自身はスタフグレーションの打開策についてどう考えているのだろうか。(次回へ)
ミニ経済学史(48)

現在の経済学は?(26):欠けている視点(12)


吉本隆明の「歴史的産業構造の転換」論(10)

まず、リストラ回避のために大企業の首脳部の分不相応な退職金や報酬を使えと言っている。

 景気浮揚のためにはちょっと変わったことをやってみるべきです。たとえば大企業の首脳部の退職金をいじるとどうなるか。仮に退職金が一億円として、これを首脳部が返上したら、リストラされる員数は何人助かるか。ひと月の給料を40万円としたら、ボーナスなしの年収は480万円です。退職金の一億円を480万円で割れば約20ですから、まあ20人の雇用が確保されます。一度もらった退職金を返せというわけにはいかないでしょうから、はじめからすこし削っておく。それなら納得する人も多いのではないでしょうか。リストラが一年延びれば次の仕事だって見つけやすくなります。不況感はずいぶん緩和されるとおもいます。

 1989年にアメリカがS&L(貯蓄貸付組合)を清算したときは1775人が経営責任を問われて告訴され、1369人が有罪、1013人が刑務所入りです。それをかんがえれば、日本でも公的資金を投入された大銀行なんか、経営陣は責任をとって辞職すべきです。それを機に経営陣を半分にしたらいい。役員の年収が三千万円として、経営陣を10人減らすとすれば三億円。年収480万円の従業員だったら60人救えます。大企業がそろって経営陣の削減をしたらリストラ問題などたちまちのうちに解消できます。

 こんなふうにでもいわないと見晴らしがききません。それが「現在」という情況です。

 すでに膨大な資産をため込んでいるのに、さらに過大な報酬(労働者たちからの搾取)を求めて止まない強欲守銭奴たちがこのような提言を受け入れるわけがない。ほとんど実現不可能な提案である。もちろん、そんなことは吉本さんも百も承知のことである。この提言についても
「そんなこと、夢のようなことだといわれるかもしれない。でも、夢みたいなことでもいいからいってみることがたいせつです。」
ということだ。

 吉本さんは労働組合に対してはリストラされた労働者たちへの支援を提案している。

 労働組合はいまや、「もういらないよ、あんなの」といわれるような存在です。中小企業というより小企業の場合は別でしょうが、ふつうはいまのように労働条件も改善され、保養所などの施設も備わってしまうと、労働組合の存在意義はほとんどなくなってしまっています。そのとき、組合にもまだ有効性があるんだといいたいならば、救世軍のように慈善鍋をやって集めた募金をリストラされた人や本当に困っている人の手に渡るようにすることです。時間がある組合員を街頭に出して、奉仕的な募金活動をさせればいいとおもいます。

(中略)

 企業という枠を取り払って「連合」なら「連合」として、1日2時間か3時間、そうした募金活動を行なえばいい。どうせそんなに忙しいわけではないのだから、組合員がそれくらいの時間を使ったところで企業側もたいした痛痒を感じない。募金活動する時間をくれという交渉をすれば、それくらいのことは可能だとおもいます。

 いまのような不況の時期に労働組合が意味をもつとしたら、そうした活動をすることです。「いまや宗教団体ではなく労働組合の出番だ」といって街頭に出るのです。阪神・淡路大震災のとき、労働組合はダイエーのような企業体やボランティアの人たちに比べてほとんど活躍することがなかったように記憶しています。いまのこの不況こそ、そうした汚名をそそぐときではないでしょうか。

 現在、就労意欲はあるし、技能も時間もあるのだけれども職についていない人は2003年6月時点で361万人に上っています。そういう人たちのために街頭へ出るのです。じぶんたちだって給料は上がらないし、ボーナスは減る一方かもしれませんが、しかしすくなくとも職はあるわけですから、リストラされた人たちのために募金活動をするのは有効だとおもいます。もちろん街頭募金ぐらいではたいした金が集まるわけではありませんけれども、問題は辛抱強さです。募金活動が長期化すればするほど集まる額は多くなるし、活動に賛成してくれる人の数も多くなるはずです。そうなれば消費を刺激する運動としてかなりの影響を及ぼせるかもしれません。一般庶民、大衆の個人消費を押し上げることに一役買える可能性も出てこようというものです。

 小泉政権に期待ができないとすれば、われわれ国民一般の側からそうした動きをはしめるべきなのです。それは無言のうちに現在の政府をリコールすることでもあるといえます。

 この提言はまったく「夢のようなこと」ことではないと思う。労働組合がその気になれば実行可能だろう。しかし、現在の労働貴族が牛耳っている「連合」では「夢のようなこと」に終わるほかないだろう。次の記事はもう10年も前のものだが、「連合」のこうした体質は今も変わっていないようだ。2003年7月24日付の【共同通信】『「正社員の利益だけ代弁」 識者から厳しい連合批判』を引用する。

 組合員の減少で影響力の低下が指摘される中、連合(笹森清会長)は24日、元日弁連会長の中坊公平氏らを招き「労働運動の再生への道」と題した集会を名古屋市内のホテルで開催、労組幹部ら約200人が参加した。

 外部から連合の活動を評価する連合評価委員会がまとめた中間報告は「大企業の正社員の利益だけを代弁し、労使協調路線にどっぷりつかり、緊張感が足りない」と指摘。評価委員会の座長を務める中坊氏ら同委員会のメンバーが招待された。

 中坊氏は「労働者は弱い者というのが原点。働く喜び、働きがいといった労働の本質を考えてほしい。そこから連帯も生まれてくる」と注文。

 副座長の神野直彦東大教授(財政学)は「時代の転換点にある。連合も変化を迫られている」と語った。

 「組合でも結局自分の声が届かないと聞く。組合に民主主義がない」と批判したのはタレントのイーデス・ハンソンさん。作家の吉永みち子さんは「労働運動の再生という言葉に違和感を覚える。働く人の幸福のためにではないのか」と疑問を投げ掛けた。

・・・・・・・・・・
<終わりに>

 「ミニ経済学史」と題しながらずいぶんと長くなってしまった。おかげで経済学の状況がいくらか分かるようになって、今までほとんど無頓着だった経済関係の報道に強い関心を持つようになったし、その報道の真偽を考えるようにもなってきた。そして、現在の経済学への不審は深まるばかりである。特に、何度か揶揄的に使ってきたが、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な学説への不審は募るばかりである。アベコベミクスがその典型である。

 アベコベミクスはいわゆる「リフレ策」と呼ばれている政策である。これはクルーグマンが提唱した政策であり、クルーグマンはアベコベミクスを絶賛しているという(「現在の経済学は?(2)」を参照して下さい)。

 アベコベミクスの「風」は「異次元の金融緩和」であり、「桶屋」は「景気回復(雇用回復、実質賃金の上昇)」のはずなのに、今のところ「桶屋」は「大企業と投機的投資家」どまりである。その上、現在安倍内閣は経済政策そっちのけで、「集団的自衛権」という姑息な解釈改憲を目論んで、盲目的な軍拡路線に突入しようとしている。

 「リフレ策」はもう少しさかのぼれば、「フリードマンのx%ルール」を踏襲した政策である。1980年代、レーガン大統領がフリードマン理論に基づく政策を実行したが、惨憺たる結果に終わっている。その経緯を見ると、アベコベミクスはまるでレーガノミクスの轍を踏んでいるようである(「新しい古典派の時代(3)」を参照して下さい)。

 経済学が難しい理屈をこねて作り上げた「風が吹けば桶屋が儲かる」などという迂路をとるのではなく、直接第三次産業に財政支出をしたり、「国民一般や中小企業、金融機関なら信用金庫や信用組合、それらが自由にふるまえるようにする」といった国民一般目線にかなった直截的な施策の方が、私には確実な不況脱出策だと思える。しかし私の知る限り、このような政策を提唱する経済学者いない。もしいたとしても、残念ながら、大企業の支配下にある政治家・官僚・御用学者が牛耳っている現在の政府にはこのような政策の実行はまったく期待できない。

 なんとも意気の上がらないまとめになってしまいましたが、以上で「ミニ経済学史」を終わることにします。
ミニ経済学史(47)

現在の経済学は?(25):欠けている視点(11)


吉本隆明の「歴史的産業構造の転換」論(9)

 前回、「(政府は)国民一般や中小企業、金融機関なら信用金庫や信用組合、それらが自由にふるまえるよう」な政策を、という吉本さんによる不況克服のための指針を紹介した。中小企業を元気にするためには中小企業と密接な関係にある「信用金庫や信用組合」を支援するというのは当然と読み流していたが、それだけの単純な理由だけではなさそうだ。『週間金曜日5月23日号』の記事『毒牙をあらわしたアベノミクス』の中に『「公正さ」と「資源有効な調達」が必要なインフラ資源だ』と題する安冨歩さんの談話が掲載されている。その中の一節で安冨さんは、現在メガバンクには適切な企業支援をする機能が全くなく、それができるのは信用金庫であると語っている。次のようである。

聞き手(及川健二)
 「資金の有効な調達」ですが、本当に必要な人にお金が回っていないという現実がある。それはメガバンクの与信能力欠如にあるとして、与信機能を剥奪して決済機能だけ与える「決信分離」を提案しています。

安冨
 もともとは大阪大学の尾崎雅彦さんが唱えられた考え方です。金はただ刷ったってしょうがない。能力・意欲・条件が揃っているところに回さないといけない。しかし、メガバンクはそれを審査する能力を欠いている。なぜか。事業活動の芽を見出してそこに資金を供給する役目のバンカーが、自分の立場を守ることしか考えないからです。私は銀行員でしたので業界に知人が多いのですが、某メガバンクの本店営業部で行なわれる最重の業務は、冠婚葬祭、とりわけ、お葬式のチェックだというのです。プロジェクト・ファイナンスの審査についてきかれたメガバンクの担当者が「私ら、忙しくて、審査なんかできませんよ」と答えたというくらいです。与信能力があるのは信用金庫です。ここにお金が集まるようにする必要があるのです。

 ついでなので、これまでに私が接したことのない切口でアベノミクスを批判しているので、それも紹介しておこう。
聞き手
 アベノミクスの一番の問題点は何ですか。構造的な転換を図らず、いまの体制でやっていけるかのような幻想を国民に抱かせていることですか。

安冨
 その幻想は国民が望んでいることです。安倍政権が国民の希望を打ち砕いているというのは間違いで、国民の希望を反映する政策を打ち出すから国民が支持しているのです。つまり、国民の望みが間違っているということです。宮澤内閣のとき、円高で企業が倒れるのを阻止するため金融を劇的に緩和し、バブルがおきました。当時の見積もりで、戦後補償は3~10兆でした。あのときの金で祖先が引き起こした愚かな戦争の償いをして、排外主義的な制度を立て直し、東アジアの知識・金融・科学技術のセンターとしてアジアの発展を支える機能を果たしていたら……と思います。あのときの円高の本当の意味は、それをすることにあったのではないか。しかし、そのことに直面する勇気を私たちはもたなかったばかりか、逆の方向に走り出してしまった。いままた同じように、アベノミクスで暴走を続けてしまっているのです。

 さて、次に吉本さんは、国民一般が置かれている重要な問題として、年金・産休問題を取り上げている。

 当初やることは、分け隔てがないようにすることです。できれば、危なっかしいというか、力の弱い中小企業や国民一般を支えるようにしたほうがいい。そしてやがて、そこにいる人たちが利益を得られるようにすることです。大枠でいうなら、そういう考え方ができればいいんです。

 「そんなこと、夢みたいなことだといわれるかもしれない。でも、夢みたいなことでもいいからいってみることがたいせつです。

 いまはどうかといえば、失業者は多くなるし、保険・年金の受給額はすくなくなる。それなのに医療費は高くなる一方です。レントゲンー枚撮れば、その代金もちゃんととられるようになった。前は薬代だけで診察・診療はただ同然だったから、こりゃいいやとおもっていたのが、最近は逆で、桁ちがいに高くなっています。

 医療費が高くなる一方、もらえる年金や保険はだんだん下がってきて、おまけにリストラは多くなった。そんななかで企業の業績がすこしよくなったなんていわれても、これはちょっと聞けない話です。とんでもない、何やってるんだといいたくなります。企業が多少うまく運営できるようになったといったって、老人の医療費がべらぼうに高くなったり、年金の額を減らされたりしたんじや、シャレにもならない。ふつうの人はいいませんけれども、ぼくはそうおもっています。

 医療費、保険、年金は本当にひどい情況になっています。いま企業の業績が多少なりとも上向いたとしても、では何が企業の赤字を解消したんだといったら、要するにそういうところに皺寄せが行ったにすぎません。あまりにもひどいことは真っ当にいっておいたほうがいいとおもいます。いったからといって別にどうにもならないかもしれませんが、いっておいたほうがいいのです。

 介護保険料は年金をもらっている老人からもとっています。ぼくもとられている。そこでおもうわけですが、社会の問題を突き詰めていくと、究極は老齢年金と女性の産休のテーマに行きつくのではないでしょうか。

 働いている女性が妊娠して出産して赤ちゃんを育てるまでの二年間くらい、これは有給休暇にして、それからまた働きたいなら復帰してもいっこうにさしつかえないよという会社にすることがたいせつです。

 ところがいまは産休を終えてもとの職場へ復帰するのはなかなかむずかしくなっているようです。何か文句をつけたり、手続き上の制約があったりして、なかなか復帰させてもらえないらしい。そんなふうに会社が復帰に前向きでないと、周りのもとの同僚も手助けはしてくれません。一年も休んで、なんだ遊んでただけじゃないかと冷たい目で見るそうです。企業がそうでなくなれば、まわりの人も変わるんでしょうが、そこまではとてもいっていないようです。

 そして、お年寄りの問題はいちばん最後にやってくるわけですが、お年寄りがゆったり暮らせるような社会ができたら、一国の問題としては、政治の役目は終わりだよといっていいとおもいます。しかし、これもまったくできていない。

 企業の赤字を減らしたり、不良債権の処理が優先されて、肝心の国民一般の問題は置き去りにされたままです。それどころか、リストラで失業者は増える、保険・年金は支給額が減って負担が増える。これではちっともよくない。過去から未来へ進むのではなくて、未来から過去に戻っているようなぐあいです。時間の流れが逆じゃないかといいたくなります。

 国民一般が納得するような方向に議論を直すのは大変です。だから夢みたいだといわれるようなことでもいっておかなくてはいけないとおもうわけです。いまのままではお年寄りと病人と赤ちゃんが最初にまいっちゃいます。いちばん弱いところがいちばん先に被害をこうむって本当にまいってしまう。

 ところで、吉本さんは教科書(c)で、
「経営者側が、時間外の残業代はきちんと払うとか、過酷な労働条件になっていないか配慮してくれるのが一番いい。さもなければ、厚生労働省が、労働基準法に照らして、お前のところの人の使い方はおかしいと注意するか、労働組合ががんばって、労働者ひとりひとりを守ることです。でも、実際には、両方ともなっていない。労働者を助けてくれるはずの組合も十全に機能していなければ、経営者の側にも、給料を抑えたまま、余計に働かせても通るんじゃないかという感じ方が強くなっている。ましてや、派遣社員やフリーターなど、既成の組合に所属していない人の労働条件は劣悪なままでしょう。」
と、経営者(企業)・厚生労働省(政府)・労働組合の無為無策を嘆いていた。(「現在の経済学は?(21)」を参照して下さい。)

 また、企業に対しては
「リストラされる員数を減らすことが経済に対しても大きな影響があるのに、企業はそうした努力をまったくといっていいほどしていない。逆に、どんどんリストラの員数を増やしている。」
とも言っている。(「現在の経済学は?(23)」を参照して下さい。)

 政府に対する提言はこれまでにずいぶんと紹介してきたが、教科書(b)では企業や労働組合がなすべき方策についても語っている。次回はそれを読んでみよう。
ミニ経済学史(46)

現在の経済学は?(24):欠けている視点(10)


吉本隆明の「歴史的産業構造の転換」論(8)

 現在の長期不況から抜け出すもっとも手っ取り早い方法は、1930年代の世界大恐慌の時にいち早く恐慌から抜け出した日本・ドイツの恐慌対策を踏襲することである。つまり、政府による強権的な施策を押し通すことである。しかし、この施策は結局ファシズム社会を呼び寄せることになり、世界第二次大戦に突入していく道でもあった(「ミニ経済学史(14)」を参照して下さい)。このよう強権的な施策の結末はもうすでに目に見えている。吉本さんはおおよそ次のような経緯をたどるだろうと論じている。

 そのやり方というのは結局ファシズムやロシアのマルクス主義にちかいものになるとおもいます。はじめは統制を敷いて、銀行はああしろ、大企業はこうしろといって、おしまいはだれの利益に集約されるかといったら、ファシズムでは大企業や大金融機関、もう一方、ロシアでは官僚です。最終的にいい目を見るのは大企業や大銀行、高級官僚であって、いずれにしろ国民一般ではありません。ファシズムとロシア・マルクス主義は双生児ですから別にちがうものではありません。国家社会主義と一国社会主義、呼び方がちがうだけで実体はいっしょです。

 彼らがはじめにやることはおなじです。一見大衆のためになりそうなことを強引にやります。むりにでも社会を変えようとします。そしてそれが推し進められ、ふたたび正常な経済状態に戻ったとき、結局そのシステムがだれにとってよかったのかといったら、大企業や官僚です。ぼくらがかんがえることは、そうではなくて、国民一般や中小企業、金融機関なら信用金庫や信用組合、それらが自由にふるまえるようにすることです。ファシズムもロシアのマルクス主義もそういう地点に落ち着かせることはかんがえてもいない。だから途中まではよかったんだけれども、最後は国家官僚、あるいは資本家とか大企業がいちばん利益を得て一般の人はそう変わりないやと、そんなところに落ち着いてしまうわけです。

 マスゴミでは相変わらずアベコベミクスの効果を喧伝する声が大きいが、「資本家とか大企業がいちばん利益を得て一般の人はそう変わりない」というアベコベミクスの落下地点がはっきりと見え始めている。安倍は大企業に対して「賃金を上げてほしい」と懇願し、その手下どもが次のようにファシズムまがいの恫喝をした。

甘利明経済再生担当相
「政府は、復興特別法人税の減税を前倒しして、(企業に)原資を渡している。 利益があがっているのに何もしないのであれば、経済の好循環に非協力ということで、経済産業省から何らかの対応がある。」

茂木敏充経産相
「経団連や連合と協力して賃金の伸び率や企業収益を調査し、東証1部上場企業については企業名も含めて公表したい。」

 一昨日(5月30日)の東京新聞朝刊がその賃上げの成果を報道していた。次のようである。

夏ボーナス 伸び最高 経団連集計 大手企業8.8%増

 経団連が29日発表した大手企業の夏の賞与・一時金(ボーナス)の第一回集計によると、組合員平均の妥結額は昨年夏比で8.80%増の88,9046円と、現行方式で集計を始めた1981年以来、伸び率でバブル期の90年(8.36%)を上回って過去最高となった。

 景気の回復傾向を受けて業績が改善しており、大企業がボーナスを増やして社員への還元を強めていることを裏付けた。

 政府がデフレ脱却のため、経済界に今春闘で異例の賃上げ要請をしたことも反映したとみられる。夏場以降、消費が拡大し、景気に好影響を与える可能性がある。一方、中小企業やサービス業では、人手不足からやむを得ず賃上げを実施しているところもあり、ボーナスを含めた人件費の増加が経営の足かせになる恐れが出ている。

 夏のボーナスの増加は2年連続。妥結額は2008年(93,0329円)以来の水準だった。

 調査は東証一部上場の従業員500以上の大手企業240社を対象にし、平均の妥結額が判明した74社を集計した。

 ごらんのように大企業対象の調査に過ぎない。中小企業の場合は、ボーナス増を行ったとしても、それは苦渋の選択であることも指摘されている。

 では一般庶民はどのような恩恵を受けているのだろうか。私の実感では、恩恵どころか家計はますます逼迫され続けている。同じ日の夕刊には一面記事でその実情が報道されている。大表題は『増税 賃上げ分帳消し』である。小表題とそれぞれの記事の基礎資料を拾うと次のようである。

「消費者物価3.2%増 4月 バブル後最大」

消費税増税後の経済指標

「家計支出 大幅反動減4.6%」

消費税増税後の家計反動

 これらの記事を受けて、石川智規記者が次のような論評をしている。

給与の伸びは1%

 全国消費者物価指数(生鮮食品を除く)が大きく伸びた背景には、4月からの消費税増税分を商品価格に上乗せする「価格転嫁」が幅広い品目・サービスで実施されたことがある。1991年2月のバブル期以来という高水準の上昇だが、当時は給与が前年同月比で約5%伸びていた。今回の賃上げ率は1%程度の見込みでしかない。賃金の上昇が物価の上昇に追いつかなければ当然、個人の暮らしは苦しくなる。夏以降に消費が落ち込み、景気が再び低迷する引き金になる恐れがある。

 物価の動向は経済が活発か停滞しているのかを示す「経済の体温計」とたとえられる。今回の指数の上昇は、経済学的には日本経済を低迷させてきたデフレからの脱却に向かう光明、と見ることもできる。30日発表された有効求人倍率などの雇用関連統計も高水準を示した。経済産業省は、大手企業の43%が賃上げを実施したと発表した。

 しかし、4月の家計調査で一世帯当たりの消費支出は前年同月比で大きく減っている。3月の消費税引き上げ前の駆け込み需要の反動もあり個人の消費意欲が減退していることを示している。現在の日本経済は、輸出が想定よりも伸びない中で国内の個人消費に支えられている。消費の動向は再び景気が低迷するかどうか、重要な試金石だ。

 政府は今、法人税減税や残業代カットなどを志向し、企業重視の姿勢が色濃い。だが、家計が苦しみ消費が減れば、日本経済全体が再び低迷するおそれもある。賃金上昇を企業に継続的に促すなど家計へのしわ寄せを緩和する政策が求められる。個人と企業がともに成長できる政策運営こそ不可欠だ。(石川智規)

 現状分析にはおおむね同意できるが、政府に「賃金上昇を企業に継続的に促す」政策を提言している点はいただけない。ここで問うべきは企業首脳者たちの企業倫理だろう。企業に業績アップがあったのなら、その配分を適切に労働者にも還元するのは当然なことなのだ。現在の企業首脳や御用学者(最も典型的な御用学者は今また大きな顔をし始めた新自由主義教信奉者の竹中平蔵)の念頭にあるのは自分たちの分不相応な報酬だけで、「従業員の・・・・・・ゆとりと豊かさを実現する。」(経団連の憲章「社会の信頼と共感を得るために」の中の一文)、言い換えれば一般庶民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」に対する配慮などはみじんもない(「日本の不良会社」を参照して下さい)。

 さて、吉本さんはファシズム的な強権的政策に対して、「国民一般や中小企業、金融機関なら信用金庫や信用組合、それらが自由にふるまえるようにする」政策を提唱している。具体的にどのような政策を語っているのか、次回はそれを読んでみよう。

《追記》(6月3日)
 日刊ゲンダイも国民経済の現況について、『「経済指標」をキチンと読めば景気はこんなに悪化している』と報道しています。