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ミニ経済学史(25)

現在の経済学は?(4):イザナミ景気(2)


 松尾さんは人々のインフレ予想を誘引した要因として日本銀行の「大幅な金融緩和政策」と「巨額の円売り介入」をあげている。

日銀の大幅な金融緩和政策

 念のため、金融緩和政策と何か。
 日銀はいわゆる「中央銀行」である。銀行券(通貨・紙幣)の発行、市中銀行への資金の貸し出し、国債の売買による国への資金提供、などを主な業務としている。特に、景気が悪化したときに景気の回復を図ることがその本来の役目である。

 さて、イザナミ景気前後の日銀の経済政策の変遷をたどってみよう。
1999年2月
 デフレ・スパイラルの懸念が深まる。その対策として、空前の金融緩和策である「ゼロ金利政策」を開始した。
2000年8月
 景気が回復したとの判断で、ゼロ金利政策を解除した。
2001年3月
 ところが再び不況。ゼロ金利よりも徹底した金融緩和である「量的緩和」という金融緩和政策を始めた。銀行間の金利は再びゼロになる。

 「量的緩和」とは、日銀にある市中銀行の当座預金口座に目標とする額の預金量が常に入っているように、日銀がおカネを出していくことである。この量的緩和政策は特に、2003年福井俊彦が日銀の総裁に就任されて以降、本格化した。

2003年10月
 日銀当座預金27~32兆円誘導。
 このころの日銀か出したおカネの量(「マネタリーベース」とか「ベースマネー」と呼ばれる)の伸び率は、1973年のオイルショックのころ以来の高い伸び率になっていた。

巨額の円売り介入

 円売り介入は2003年と2004年に行われている。2004年の場合については、ウィキペディアのお世話になろう。
「2004年はじめ行われた大規模な市場介入がある。前年の8月頃から、イラク情勢などの影響により投機筋は大幅な円高になると見込んでいた。このため投資ファンドは世界中から巨額の資金を集めて円買いを進め、1ドル117円前後で安定していた円相場は105円台に迫るまで跳ね上がっており、すぐに100円を切るとの観測もされていた。これに対抗するため、日本銀行は1日1兆円規模の円売り介入を継続的に実施した。」


 円売り介入は国際的な市場における政策だから、当然のことながら、アメリカの経済政策の帰趨が大いに関係している。

 前回、純輸出の寄与度が2002年が0.7%、2003年は0.8%と、かなりの比重で景気回復に貢献していることにふれたが、これは2000年頃に始まったアメリカでの不況回復の過程と連動している。その頃、FRB(米連邦準備制度理事会 アメリカの中央銀行)も景気回復のためにさかんに金融緩和政策を実行していた。それによる景気回復のおかげで日本の純輸出も増えたというわけだった。そして、FRBは日銀よりも大胆な行動を行い、もうだいぶ景気が拡大した03年になってもなお金融緩和を続けて、ついに利子率は歴史的な低水準に下がっていった。

 そうなると、資金運用はアメリカより日本で行う方が有利となるので、運用先をアメリカから日本に切り替えようとする動きが出てくる。運用先を日本に切り替えるためには、ドルを円に換えなければならないので、そのような動きが盛んになると、円はドルに対して高くなってしまう。いわゆる「円高」である。

 円高は日本経済にどのような影響を及ぼすだろうか。円高とは、円で見たら何も変わらないのに、ドルで測ると実質的に値上げすることと同じとなる。これは輸出産業の場合、売上げが落ちることになる。ドルで値上がりしないようにドル価格を維持すると、今度は円で測った収入か減ってしまう。どちらにしても、景気回復を支え始めたばかりの純輸出が落ちてしまうわけで、そうなれば、再び不況の底に逆戻りしてしまう。

 こうなるのを阻止するために、財務省は巨額の円を売ってドルなどの外貨を買い、円の価値が上がるのを食い止めたのだった。2003年に20兆円あまり、2004年には14兆8000億円の円売り介入をしている。この円売りが金融緩和政策と同じ効果を果たしたと、松尾さんは言う。次のような理屈である。

 財務省が外国為替市場で円売り介入をするとき、その円はどこから持ってくるのだろうか。2000年4月から、為替介入に必要な円は、日銀が融通するのではなく、民間から借りなければならなくなっている。そうすると、いくら円売り介入をしても、もともと民間にあった資金を民間に戻すだけなのだから、それだけでは何の金融緩和効果もない。ところが、このときは日銀が財務省の巨額の円売り介入と歩調を合わせて金融緩和を拡大した。だから結果的に、日銀が作ったおカネで円売り介入をして、世の中に「円」を出回らせるのと似たようなことになったのだった。

 では、以上のような量的緩和・円売り介入という政策の効果はどうだったのだろうか。松尾さんは次のようにまとめている。原文のまま引用しよう。

 いくら日銀がおカネをたくさん出しても、民間の銀行はそれを貯め込むだけで貸し出しに全然まわさなかった。だから世の中に出回るおカネの量は、あまり増えなかった。それは、よく指摘されている通りです。ですから、物価もデフレのままでした。基本的に消費者物価指数は2006年ごろまで、下がり続けました。

 さらに言えば2003年、2004年の巨額の円売り介入は、円高を阻止することはできたものの、円安に動かすことはできませんでした。このことによって、世の中に出回るおカネの量が特に増えたわけでもありません。

 家計も銀行もみんな、おカネが入っても貸付や債券や株などにまわさずに、全部おカネのまま持ってしまうという状況のことを、「流動性のわな」と言います。こんな状態に陥ると、人々は不況の下でいくら支出を減らしてどれだけおカネを残しても、それを他人に貸さないので利子率は下がりません。ですから、設備投資やローンでの買物なども冷え込んだままです。いつまでたってもモノが売れない状況か続きます。90年代の終わり頃から日本経済は、この流動性のわなの状態にあると言われました。

 そうであれば、日銀がいくらおカネを増やしても、それが貯め込まれて世の中に出回らないのも当然です。

 この時の量的緩和・円売り介入という政策には景気を好転させる効力はなかったと判断している。しかし、前回では松尾さんは
『2003年頃からの景気「回復」をもたらしたのは企業の設備投資の増加であり、これは、人々のデフレ予想が解消され、逆にインフレが予想されるようになったために生じた』
という判断をしていた。そして今回は、そのインフレ予想を誘引した要因を考察してきたのだった。量的緩和・円売り介入にはその効果はなかったというのなら、人々のインフレ予想の要因は一体何だったのだろうか。松尾さんはインフレ予想を誘引したは、量的緩和・円売り介入そのものではなく、その政策を施行する日銀の「本気」度にあったと言う。次のようである。

 では、日銀の大規模な金融緩和は無駄なことだったのでしょうか。そうじゃありません。たしかに現実に出回るおカネの量は増えなかった。現実の物価も上がらなかった。けれども、人々の予想は変わったのです。

 量的緩和を導入するにあたって、日銀はこれを、
「消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率か安定的にゼロパーセント以上となるまで継続する」
と明確に約束しました。特に、2003年3月に福井さんが日銀総裁に就任してからは、市場に出すおカネの量の目標値を引き上げていきましたが、同年10月には、約束したインフレ率が「安定的にゼロパーセント以上」であるとはどういうことか明確化しています。それによると、数ヵ月平均してデフレになっていないこと、政策委員の多くが先行きデフレにならないと予想をすることです。しかもそれが満たされたとしても、
「経済・物価情勢によっては、量的緩和政策を継続することが適当であると判断する場合も考えられる」
と念を押しています。

 そして、このような決定をしているまさにそのとき、日銀は財務省の大規模な円売り介入を援護するような追加緩和を行ったのでした。

 デフレ解消にかけるこのような断固たる姿勢を見て人々は、日銀の「本気」を悟ったのだと思います。この調子でこのままおカネが延々と大量に出続けるなら、どこかでデフレは止まる。そしてインフレになっていくだろう。そう予想するのはとても合理的です。「ブレーク・イーブン・インフレ率」(前回の図)の動きはこのことを表しています。

 こうして、足下ではまだデフレか続いているにもかかわらず、人々はいずれデフレか解消し、インフレヘと反転していくことを予想するようになったのです。かくして実質利子率か低下し、設備投資の増加がもたらされたわけです。

 さて、お話がここで終わっていれば、日銀はよくやった、福井さんは日本経済を不況から救った英雄だってことで、経済の歴史に記されたことだろうと思います。

 ところが残念、そうはいきませんでした。
 2007年には景気は後退、2008年にはさらに悪化し、周知のようにデフレ不況は今日まで続いている。このデフレ脱却をめぐって施行されているアベコベミクスの当否をめぐって、経済学者・経済評論家たちの言説は賛否両論入り乱れて渾沌としている。

 日本経済が今なぜ、これほどまでに厳しい不況に苦しんでいるのか。その本当の原因は、イザナミ景気がどんな特徴を持っていたのかをもう少し詳しく見ていくことによって明らかになっていくだろう。「ミニ経済学史」としては逸脱の感があるが、教科書⑥を読み続けていくことにする。
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ミニ経済学史(24)

現在の経済学は?(3):イザナミ景気(1)


 「現在の経済学は?(1)」 で掲載した経済動向年表からイザナミ景気の部分を再掲載する。

2002年 景気回復
2004年 景気回復から景気拡張へ
2005年・2006年 好景気継続(いざなみ景気)
2007年 景気後退

(以下は教科書⑥を用いています。今回の議論では国債が解説のキーに使われています。私は、経済学の学習が初めての上に、投資する資金もなければ関心もなかったので株とか国債とかについてはほとんど何も知らなかった。うまく理解出来ない事だらけです。他にいろいろの本を調べてみるが、混乱するばかりの事柄もあります。以下、教科書の文意がよく分らない部分は、私なりの解釈で書き換えたり追記したりしています。間違いがあったらごめんなさい。)

 まず、この後に出てくる経済学の用語について学習しておこう。

総需要
総需要=消費+投資+政府支出+純輸出
 ちなみに、ここで言う投資とは企業の設備投資のことである。また、純輸出は貿易収支とも言い、輸出から輸入を引いたもの。また、総需要は国内総支出とも言い、左辺をGDP(国内総生産)とすることもあるようだ。吉川洋著『現代経済学入門 マクロ経済学』(教科書⑦とします)は次ぎのように定義している。

国内総支出をY、民間消費をC、民間投資をI、政府支出をG、輸出と輸入をそれぞれX・Mとすると

Y=C+I+G+(X-M)

 なぜ「純輸出=輸出-輸入」なのかも説明されている。

「Yは日本で生み出された財・サービスに対する総需要である。輸出は外国人や外国の企業による日本の財に需要であるのに対して、輸入は日本人や日本企業による外国の財に対する需要である。したがって、輸入を国内の総需要から差し引くことにより、日本で生み出された財・サービスに対する総需要が得られる。」

実質GDP成長率
 総需要式の各需要項目の成長率にそれぞれの需要項目がGDPに占める割合をかけ算したものを「寄与度」と言う。この需要項目の寄与度をすべて足したものが実質GDP成長率である。

 この教科書④の説明を、上で設定した記号を用いて、式で表してみよう。例えば、Cの成長率は、[ΔC=(今期のC)-(前期のC)]とおくと、ΔC/(前期のC)と表される。従って、寄与度は[(ΔC/C)×(C/Y)](以下記号×を省略する)となる。従って、実質GDP成長率は次のような式で表される。

実質GDP成長率
=(ΔC/C)×(C/Y)+(ΔI/I)×(I/Y)+(ΔG/G)×(G/Y)+(Δ(X-M)/X-M)×(X-M/Y)…(1)

 ここで私の頭に素朴な疑問が湧いた。

[(ΔC/C)×(C/Y)=ΔC/Y]なのだから、
実質GDP成長率
=ΔC/Y+ΔI/Y+ΔG/Y+Δ(X-M)/Y
=[ΔC+ΔI+ΔG+Δ(X-M)]/Y=ΔY/Y…(2)
である。ならば、
「ΔY/Yを実質GDP成長率と言い、ΔC/Yを民間消費の寄与度と言う」
と定義すれば済むのになあ?

 私はこのようなことに拘泥してしまうので、学習がなかなか進まない。改めて教科書⑦を見てみると、式の推移の順序が逆なのでした。教科書⑦では[Y=C+I+G+(X-M)]がスタートの式で、 Y=C+I+G+(X-M) ∴ΔY=ΔC+ΔI+ΔG+Δ(X-M)
∴(2)式
 そして(2)を(1)に変形して、次のように解説している。

「この式からわかるとおり、総支出Yの成長率は、各需要項目の成長率にその需要項目がYの内に占めるシェアを掛け、それらを足し合わせたものである。これをみることにより、われわれはそれぞれの需要項目がYの成長にどれだけ寄与したかを知ることができる。例えば(ΔC/C)×(C/Y)を消費の寄与度という。当然のことながらある需要項目が高い成長(逆に大きな落ち込み)をしても、Yに占めるシェアが小さければ寄与度は小さくなる。」

 どうやら(1)式のような変形をしたのは、ΔC/Yからは(ΔC/C)×(C/Y)という深い意味(赤字の部分のような)が読み取れるのですよ、ということを示すためだったらしい。それでも私には「ΔC/Yを寄与度という」でも一向にかまわないと思うが、これ以上こだわっても意味がないので、経済学の定義に従って先に進もう。

 さて、2002年が景気回復の年となっているが、実はこの年は不況の底の年だった。「失われた10年」(1991年~2001年)の実質GDPの成長率の平均は1%ほどであり、完全失業率は5%に近かった。この間の実質GDPは増えていない。総需要が冷え込み生産も落ち込んでいるこの時期に、小泉政権は、「構造改革」と銘打って、労働生産性を上げる政策をとった。景気の底はこの政策がもたらした当然の結果だった。実際に景気回復が見られるのは早くとも2003年からである。(ちなみに、不況の底の年を景気回復の始まりとするのは、景気拡大期の始まりは不況の底からとする決まりになっているからだそうだ。)

 2003年の実質GDP成長率は2.1%で、景気上昇の兆しが見えてきたが、各需要項目の寄与度を見てみよう。
 消費の寄与度はわずか0.4%。
 投資の寄与度はマイナス0.4%(2002年)から0.8%(2003年)に増えている。さらに、2004年・2005年も0.9%と、大きく景気を引っ張っていることが分かる。
 政府支出はは一貫してマイナスの寄与度である。公共事業を削減して財政赤字を減らすことを方針とした小泉政権だったが、この支出削減策によって景気が回復に向かったわけではない。
 純輸出の寄与度は2002年からプラス(0.7%)に転じている。2003年は0.8%。その後もかなりの比重で景気回復の貢献している。

 景気回復への転換に一番貢献したのは投資であったようだ。それでは投資の需要が増えた要因は何だったのだろうか。

 企業が設備投資を判断するときに考慮するは将来の収益率上昇と実質利子率である。2003年当時は消費が冷え込んでいて収益率上昇は期待できない。すると2003年の設備投資の伸びは実質利子率の低下、つまりインフレ率の上昇を予想していたと考えられる。では、何を根拠にそのような予想をしたのだろうか。物価連動国債がその根拠だという。

 国債はいわば国の借金証書である。普通の国債は満期になったときに返してもらえる金額が決まっているのに対して、物価連動国債は返してもらえる金額が物価に連動している。物価が上がればその分もらえる金額も上がることになる。普通の国債も物価連動国債も市場で売買されているが、そこでは結局どちらの国債も有利さが同じとみなされるように利回りが決まると考えられている。このことを式で表してみよう。

 売買時点での「普通の国債の利回り」をF、「物価連動国債のインフレ調整後利回り」をR、予想インフレ率をYとすると
F≒R+Y 従ってF-R≒Y
となるような売買が行われている。そこで、「F-R」を物価連動国債と普通の国債の利回りが等しくなる(break even)ようなインフレ率ということで、「ブレーク・イーブン・インフレ率」と呼んでいる。「物価連動国債の発行規模は小さいのでブレーク・イーブン・インフレ率を経済全体の予想を表すには不適切」とか「ブレーク・イーブン・インフレ率は真の予想インフレ率よりもやや高めに値が出るのではないか」など懸念があるが、他にもっといい方法がないので、ひとつの目安としては有用であるとして、松尾さんはブレーク・イーブン・インフレ率を用いてイザナミ景気の分析をしている。次のようである。

ブレーク・イーブン・インフレーション

 上の図によると、ブレーク・イーブン・インフレ率は、 2004年3月の物価連動債発行時点で0.1パーセント
のプラスの値をつけ、その後どんどん上昇して、
2004年8月下旬には1パーセントに迫るところまで達した。その後、
2005年半ばまで、0.8~0.9パーセントで推移していった。

 次ぎに利子率を見てみると、名目利子率(銀行が企業に融資するときの利子率)の平均は、
2003年で1.79パーセント
2004年で1.73パーセント
2005年で1.62パーセント
と、戦後最低記録を更新し続けていた。

 このブレーク・イーブン・インフレ率と名目利子率の推移をもとに、松尾さんは次のよう判断を下している。(原文をそのまま引用する)

 この(ブレーク・イーブン・インフレ率の)数字自体、景気拡大にとって十分なものかどうか分からないのですが、ともかく、この時点で市場参加者のデフレ予想が消えていたことは間違いないと思います。現実にはまだデフレが続いていたのですが、人々の将来予想としては解消されていたわけです。

 (名目利子率の上昇に関わらず)それまで加えられていたデフレ予想が消えて、かえってインフレの予想をするようになったわけですから、実質利子率は、今度こそ正真正銘の「超低金利」。設備投資が起こってくるのも当然です。

 何しろ、目の前の現実はデフレで、いろいろなモノの価格は今が底値だろうと予想されるわけです。この機を逃すと、機械も、鉄鋼も、セメントも、値段か今より上がるに違いないのです。利子率の低い今のうちに借金をして設備投資しておけば、将来自分のところの製品の売値も今より少しは上がるから、借金を返すのも楽です。まさに今しかない!

 かくして、2002年に前年比マイナス5.2パーセントという落ち込みを見せていた民間企業設備投資は、03年には4.4パーセントの増加、04年は5.6パーセント、05年は9.2パーセントと拡大し、景気回復をもたらしたのでした。

 このように、松尾さんは、ブレーク・イーブン・インフレ率を用いて、
『2003年頃からの景気「回復」をもたらしたのは企業の設備投資の増加であり、これは、人々のデフレ予想が解消され、逆にインフレが予想されるようになったために生じた』
という判断をした。では、この時期に人々のインフレ予想を誘引した要因は何だったのだろうか。
ミニ経済学史(23)

現在の経済学は?(2):ニュー・ケインジアンの理論


 以下の議論では「名目利子率」と「実質利子率」という概念が出てくる。恥ずかしながら、私はその意味を知らなかった。その意味を確認しておこう。この二つの利子率の関係は次の式で表される。

実質利子率=名目利子率-予想インフレ率

 この式の意味は具体例で説明すると次のようになる。
 例えば、100万円の資金を5%で1年間借りたとする。この5%が名目利子率である。1年後には利息5万円を加えて105万円の返済をすることになる。しかし、1年後の予想インフレ率が2%とすると、1年後には借入金100万円の実質価値はインフレ分(2万円)減って98万となる。従って、実質返済金は「98万+5万=103万」円であり、実質利子率は3%と考えることができる。
 デフレ率2%を予想した場合は「予想インフレ率=マイナス2%」ということだから、実質利子率は「5-(-2)=7」%となり、上昇する。

 さて、ニュー・ケインジアン派の理論は次のような新しい古典派の前提(①~③)の②に「流動性選好」というケインジアン派の前提を加えて構成されている。

① 価格・賃金の伸縮性
② 合理的期待の想定
③ ミクロ的基礎付け

 新しい古典派は、総需要不足で物価が下がった(デフレ)とき、人々が将来もとに戻る(インフレになる)だろうと予想して、次のように、市場は均衡すると考えた。

 将来インフレになることを予想するのだから、実質利子率は下がる。もしそうなら、消費者は将来モノを買うよりいまのうちに買っておいたほうがトクだと考えるし、企業もいま借金しても将来賃金や製品の売り値が上がって返すのが楽になると考えて、消費や設備投資が増える。つまり、総需要不足は解消される。

 これに対して、ニュー・ケインジアン派はデフレ不況を次のように説明している。

 総需要不足で物価が下がったとき、人々がこのまま将来もデフレが続くと、さらなるデフレを予想したとするとどうなるか。
 消費者にとっては、将来まで待てば今よりもっと安くなるのだから、いま買うのをやめて先延ばしをする。しかも実質利子率が上がるのに、将来も賃金は上がらず、むしろ下がるかもしれない。だから、いま借金をして買物したりすると、借金を返済するのが大変になる。特に自家用車とかマイホームとかを買うかどうかという選択をするときにはこのようなことを考えるだろう。
 企業の経営者も同じだ。機械の価格も工場の建設コストも、将来まで待てば今よりも安くなるのだから、設備投資をするのは先延ばしした方がいいと考えるだろう。いま慌てて借金して設備投資しても、自社製品の売値は将来下がるのだから、借金を返すためにはたくさん売らなければならなくなって大変なことになる。
 つまり、消費も設備投資も冷え込んでしまい、ますます総需要が減ることになる。このようになれば企業は雇用を減らすことになる。モノが売れず、失業が増えるので、物価や賃金は下がる。……ということで、当初の予想通り、ますますデフレが深刻になっていく。この悪循環が延々続くことになる。

 この新しいケインズ理論による理屈には冒頭の三つの手法が使われている。
(1)
 価格や賃金は下がらないのではなくて、需要不足や失業によって下がっていくと見なしている。
(2)
 人々が将来さらにデフレになることを予想して消費や設備投資を控える(流動性選好)ことを想定している。
(3)
 その個々の消費者や企業の決め方をふまえて、経済全体の消費や設備投資などの大きさを導いている。

 それではデフレ不況を脱却するための政策としてどのような政策が提出されているのだろうか。「リフレ政策」である。これは、広い意味でニュー・ケインジアンの一人とされているクルーグマンが主張している政策である。クルーグマンは早くから日本の長期不況をニュー・ケインジアンの理論によって分析していた。その結果得た結論だという。正しくは「インフレ目標」政策と呼ばれている。次のような理屈による。

 長期のデフレ不況は人々がさらなるデフレを予想して、将来実質利子率が上がることを見込んだために陥った「流動性のわな」が原因である。従ってデフレ脱却の政策は、人々が利子率が下がっていくことを確信するような政策を施行すればよい。名目利子率はほとんどゼロに近く下げようがない(例えば、銀行の貸し出し金利は1980年頃には8%前後だったのが現在は2パーセント弱であり、普通預金の金利は1980年頃には2~3パーセントほどだったのが現在は0.02%)。そうすると、予想インフレ率を上げるほかないことになる。そのためには、例えば2%なら2%と目標を定めて、その率のインフレを実現するまでは断固金融緩和を続けことを中央銀行が約束すればよい(アベコベミクスの「第一の矢」ですね)。中央銀行が約束したのだからそれは信頼できると、人々がそれを信じてインフレ予想をするようになれば、実質利子率が低下して消費や設備投資が増え、物価も上昇して本当に予想通りにインフレが実現する。

 予想インフレ率というような人々の頭の中にだけあり、実際には測れないものを組み込んだ理論が本当に役に立つのだろうか、と素朴な疑問が湧いてくるが、このような理論で説明できる事例があった。あのイザナミ景気である。次回はその説明を読んでみよう。
ミニ経済学史(22)

現在の経済学は?(1):スタフグレーション後の経済動向


(松尾匡著『不況は人災です』を教科書⑥として追加します。)

 ところで、スタフグレーション後の日本での経済状況の大きな変動は二つにまとめられると思う。一つは「バブル景気」であり、もうひとつはその崩壊後に陥った長期にわたる「デフレ」不況である。次のようである(主にウィキペディアの記事を利用している)。

バブル景気
1986年(昭和61年)12月~1991年(平成3年)2月
 平成景気とも呼ばれている。資産価格の上昇(主に都心)にともなって起こった好景気とそれに付随して起こった社会現象を「バブル景気」と呼んでいる。1987年には都心外での地価も高騰し始めている。1988年頃には多くの人が好景気感を持つようになっていった。しかし、この景気も1990年頃から下降し始めた。1990年には株価の下落、1991年には地価が下落し、1991年2月に経済企画庁は景気後退との判断を下した。

デフレ不況
1991年~現在まで
 バブル崩壊は雇用や消費に悪影響を及ぼした。1992年にはフリーターが百万人を超えている。1997年4月の消費税率引き上げを機に景気はさらに後退し、不況は長期化する。その後の景気の動向はおよそ次のようである。
1999年 不況に下げ止まり感
2000年 景気回復
2001年 再び不況
2002年 景気回復
2004年 景気回復から景気拡張へ
2005年・2006年 好景気継続(イザナミ景気)
2007年 景気後退
 7月にアメリカでサブプライムローン問題(低所得者向け住宅ローン証券焦げ付き問題)が発生。金融機関が多額の損失を被り、金融危機となり、さらに株価が下落し、深刻な不況になっていった。
2008年 景気はさらに悪化
 リーマンショック(アメリカでは金融危機の中、名門証券会社リーマンブラザースが経営破綻)が引き金となり、世界的金融不安となる。さらに世界的な株価下落、世界同時不況の深刻化へと進む。
 1990年代から2000年代初頭までの経済は「失われた10年」と呼ばれている。しかし、バブル崩壊以後、途中にいくらかの好景気があったが、経済の低迷には十分な改善は見られなかったため、イザナミ景気の期間も含め、「失われた20年」と呼ばれるようになっている。「失われた20年」での株と不動産の損失は1500兆円と言われている。

 さて、上の長期にわたるデフレ不況では、賃金や価格が下がってもまったく失業は減らずにかえって事態が悪化している。つまり、価格や賃金は下からないものだ(価格硬直性)というケインジアンの原理に反して物価も賃金も下がり、市場に任せれば価格や賃金は均衡するのだとする新しい古典派の理論にも反して不況はますますひどくなっていった。つまり、このデフレ不況はケインジアン派の理論でも新しい古典派の理論でも説明ができないのだった。この問題に経済学はどう対応したのだろうか。

 新しい古典派が席巻したスタフグレーション以後の経済学に失望して、理論経済学研究をやめてしまった人たちの失望の中身は次のようである。

 経済学会の研究報告は「どんな政策をとっても無効」というような新しい古典派の理論ばかりである。そもそもそれらの理論の前提になっている「合理的期待」とか「完全予見」などは荒唐無稽な前提である。その荒唐無稽な前提から、「市場は万能だ」という結論をだして、やりたい放題の利潤追求をさせた結果が世界サブプライム恐慌だった。そして、日本での学会の議論は、アメリカの新しい古典派学者のモデルを下敷きにして、この前提をちょっとこう変えましたみたいなことしかやっていない。全然現実の経済問題と切り結んでいなかった。

 これに対して、松尾さん(教科書④⑥の著者)は最近の経済学の状況を次のように説明している。

 現在の学会では「政策はなにしても無効」と言ったような研究はほとんどない。「市場の自由に任せれば完全均衡してパレート最適になる」という研究もほとんど見られない。一般に、合理的期待モデルの初期提唱者たち(ルーカス等)が、「合理的期待」という前提をもとに「政策無効」というような結論を出したと理解されているが、これは誤解であった。

パレート最適(管理人注)
 或る集団が資源の配分をするとき、誰かの効用(満足度)を下げなければ他の誰かの効用を高めることができないという誰もがハッピーな最適状態のこと。(パレートは限界革命トリオの一人であるワルラスの後継者)


 合理的期待を理由に政策無効だとルーカスたちは言った。批判者たちもそう思い込んで、合理的期待という前提が非現実的だと一生懸命に批判した。しかし、実はルーカスたちは合理的期待の他に政策無効になるような前提を入れていた。ルーカスたちの真の意図は、むしろ、誰が見ても絶対に政策無効になって当然の理論モデルを立てて、それでも予期されない介入があれば政策有効性が観察されることを示すことの方に力点があった。実際その後、合理的期待や完全予見を前提にしても、不均衡が累積したり、政策介入の余地があったりするという理論がだされているという。その理論の骨格は次のようである。

 新しい古典派の切り開いた方法論的前提は
「価格や賃金は需給に応じて動く。また、家計や企業は現在から将来にわたる最適な振る舞いを合理的に計画する、つまり、将来の経済変数は完全予見とか合理的期待で予測することができる」
だったが、この前提に「人々が貨幣を持ちたがるという想定(流動性選考)」を前提として加えると、デフレ不況が説明できる。つまり、デフレ不況の根本的な原因は流動性選好にある、というわけである。この理論は、手法の上では新しい古典派同じに見えるが、ある意味で「ケインズ原理主義」への回帰の側面もあると言えよう。この理論はニュー・ケインジアン理論と呼ばれている。

 では、ニュー・ケインジアンはデフレ不況をどのように説明しているのだろうか。(次回に)