2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
ミニ経済学史(21)

新しい古典派の時代(4):その功績


 「新しい古典派の時代(1)」で触れたように新しい古典派には大きく三つの学派があった。教科書④はそれぞれの学派の功績を以下のようにまとめている。

フリードマン(マネタリスト)

 フリードマンは労働市場の需給一致を頭から想定している。つまり、労働供給が労働需要を超過して、働きたいのに働けない状態にある失業者(非自発的失業者)がでる事態は最初から想定していない。これは非現実的な想定であり受け入れ難いが、ケインジアンの「貨幣賃金率の硬直性」という前提を問い直したことが功績として認められる。詳しく説明すると次のようになる。

 ケインジアンは貨幣賃金率は上がるとしても、物価ほどスムーズには上がらないと考えていた。その前提が「総需要拡大政策をとって物価を上げることによって実質賃金率を下げて、労働需要を増やすことができる」という理論を生んだ。しかし、実際には「労働者達は物価の上昇を直ちに認識して、実質賃金率が下がらないように、貨幣賃金率の賃上げを要求し闘い取っていった。そうすると、総需要拡大政策をとって物価が上がっても、スムーズに貨幣賃金率が上昇して、実質賃金率は簡単に下がらないことになるから、労働需要は増えないことになる。これがスタフグレーションの原因であるという分析から、「価格伸縮性」を前提としたフリードマンの現実を反映した理論が生まれた。

サプライ・サイド派

 サプライ・サイドは「供給側の活動を重視」するという意味だろう。その対抗軸はデマンド・サイト(需要側)である。日本語では前者は「有効供給の原理」(古典派のセイ法則)、後者は「有効需要の原理」(ケインジアンのワルラス法則)と表記しているようだ。これまでの学習から、どうやら、経済学は大きくはこの二つの立場のどれに依拠するかによって二つの学派に分けられるようだ。新しい古典派は古典派理論に回帰したのだから、その中に供給側の活動を重視するサプライ・サイド派があるのは当然なことだろう。教科書④はこのサプライ・サイド派の功績について次のように述べている。

 サプライ・サイド派はケインジアンの見方が短期的であるという弱点を突いたことがその功績である。ケインジアンは消費が増えて貯蓄が減ることは需要が増えることだからいいこと考えた。これに対してサプライ・サイド派は、ケインジアン説は短期でのことであり、長期的には貯蓄率が高いほうが投資増につながり、生産力(供給)が上がることになり好ましいと考えた。

 サプライ・サイド派の説はあくまでも完全雇用が維持されながら成長する長期的な経済状態における主張である。この点を無視して、需要不足で不況の真っ最中の経済をどう引き上げるかという課題に直面しているときに、「反経済学的発想」の安直な産業強化策を取ってはならないと言い、その悪例としてあのレーガンの軍事産業強化策を挙げている。


合理的期待形成学派


 合理的期待形成学派は現在の学界の主流に直接つながっている。その成果は「新しい古典派の時代(2)」で「新しい古典派の特徴の一つに挙げた「(4)' ミクロ的基礎付け(方法論的個人主義)」である。それはフリードマンのあとシカゴ大学のトップスターになっているロバート・ルーカスやロバート・ジョセフ・バローなどが始めたもので、
「いろいろなマクロ経済の関数は、個々の家計や企業が、各自自分にとって一番良いとなるよう手段を選んでいく仕方から導き出さなければならない。」
という主張である。この合理的期待形成学派の主張をもう少し詳しく解説すると次のようである。

 人々は自分の経済的動向を計画するときには、いま得られる情報を最大限に使って将来の価格などを合理的に予想して振る舞う、と合理的期待形成学派は考えた。これを「合理的期待」と呼んでいる。このことを前提に考えると、どのような経済政策をとってもそれは無効になるという結論になった。フリードマンの考えでは、短期的には政策効果があるけど長期的には無効、ということだった。それに対して合理的期待形成学派は、短期的にも無効だと主張したことになる。

 ルーカスはまず金融緩和政策を例に取り、次のように主張した。
 その政策を知った人々がその政策の結果起こるインフレを平均的にせよ予想できるならば、物価が上がるだけで事態はなにも変わらない。
 それを引き継いだ形で、バローが財政政策について次のように同じようなことを主張した。
 国債発行して赤字財政政策をとったとき、将来国は利子をつけて返さなければならない。それに対して人々は将来その分の増税を予想して、それに備えて貯蓄を増やして消費を減らす。つまり、政府が消費需要の増加を見込んで財政支出を増やしても消費需要の増加にはつながらない。もし減税した場合はそもそも赤字財政政策の効果もなくなってしまう。
 これは実はリカードが同じことを言っていたという。そこで、この理屈はいま「リカードの中立命題」と呼ばれている。

 上のような議論が何故合理的期待形成学派の功績として取り上げられているのだろうか。実はこれはケインジアン派に対する重要は批判になっているという。

 ケインジアン派に「ハーベイロードの前提」という命題がある。ケインズが生まれ育ったハーベイロード街はイギリスの知識エリートが集まる町であった。その地名を使って、弟子のハロットが名付けたという。ケインジアン派の次のような姿勢を意味しているという。

 人々の意識から独立したマクロ経済の法則が客観的にあり、人々はその法則に知らず知らずのうちに盲目的に突き動かされて行動している。頭が良くて公平無私なケインジアンの政策エリートは、経済の外に立って、あたかも物理学者が物質を分析対象とするように経済を対象として扱い、その中に法則を見いだして、無知な大衆のために正しい政策を立案実行してやっているのだ。

 経済社会の渦中にいる主体である大衆は無知であり、理論を組み立てている自分たちだけが合理的である、と思い込んでいる。ケインジアンは多かれ少なかれこの前提を共有していたという。(今でもこのような上から目線の思い上がった学者が多い。これは管理人の感想)。

 合理的期待形成学派は上述のようなケインジアンの根本的な姿勢の問題点を突いたのだった。教科書④は次のように締めくくっている。

 頭のいいケインジアンが理論を作って政策判断したならば、それが本当に正しい役に立つ理論だったら、経済の中で生きている企業の人や消費者でも勉強して身につけることができるだろう。そして、人々はみなケインジアンのエリートに負けないくらい将来を予想するようになるし、どんな政策がとられるかを先読みして先手を打つようになるだろう。そうなれば、政策効果は無効になってしまうという結論がでる場合があってもおかしくはない。逆に、政策エリートのほうも、学問の世界だけに埋没している仙人のような者ではなく、実経済の中に生きている存在だ。だから彼らも、企業の人や消費者に負けず劣らずに自己利益を追って行動している。学者はそういう大衆と同じ目線を前提にして理論を作るべきである。

 さて最後に、以上の「反ケインズ革命」によるケインジアンの方法論への批判をまとめておこう。

 それまでのケインジアンは計量経済学の手法で見つけてきた式を、あたかも不変の法則のようにみなして組み合わせて、景気予想や政策効果の予想をしていが、実際には実社会の変動に従って式の内容も変化していく。だから政策効果の予想もはずれることになる。どのように式が変化すのかを考えるためには、ミクロ的基礎付けと予想形成を考えなければならない。

 まず、調整にかかる時間については多少意見が分かれるが、価格や賃金は硬直的でなくて、需要供給の具合に応じて上がり下がりするものとして扱うこと。さらに、短期のことだけ考えないで、経済が長い目でみて動いていく先も考えないといけない。そして、人々が行う各自の最適計画から積み上げて、マクロ法則を導き出すこと(ミクロ的基礎付け)。その際の将来予想は、手持ちの情報から合理的に形成しなければならない。そうすると、人々の予想によりその最適計画が変わるのだから、そこから導かれるマクロ法則も変わることになる。それに気づいた最初の一例がフィリップス曲線のシフトだった。

 ちなみに、上述のような立場からできた新しい古典派のマクロ経済モデルの一つの「ひな形」になったものに、キッドランドとプレスコットの『リアル・ビジネス・サイクル』理論がある。ここでの「リアル」の意味は、「現実」という意ではなく、「貨幣的な要因がない」という意味である。つまり、貨幣や金融ではなく、自動車や鉄などのような財やサービスの「実物」という意味である。貨幣的な要因がないとは、総需要側の要因が一切ないということであり、ひたすら供給側の生産性の予想されざるショックだけで景気循環が発生するという理論である(サプライ・サイドですね)。

 この理論では、やはり、最初から労働の需要供給は一致していて、終始失業の生じる余地はないこと、もちろんのことさらに、政策が介入する余地も必要もなにもないことが前提とされている。これではまったく非「リアル(現実的)」な景気循環理論と言うほかない。上の世代の学者達の中には、このへんでつまらなくなって、理論経済学研究をやめてしまった人も多いという。

 しかし、実はこれは出発点だった。これを踏み台にして、その後の理論が発展していくことなった。「全市場完全均衡」だとか「政策無効ゆえやる必要なし」といったような新しい古典派的常識を乗り越える研究が、ここから生み出され始めたのだった。次回から、いよいよ最近の経済学の動きを見ていくことになる。
スポンサーサイト
ミニ経済学史(20)

新しい古典派の時代(3):フリードマン(2)


 フリードマンは、インフレの原因が労働組合(賃上げ)や企業(恣意的な値上げ)にあるという俗説をはっきり批判していた。彼は価格も賃金も当事者の意図で動くのは結果にすぎず、本当は人間の意思を離れた市場の圧力で決まると考えていた。従って、価格や賃金を無理矢理下げるような統制政策は、インフレ抑制のための愚策であると断じている。

 フリードマンのインフレ抑制対策は「貨幣供給量の削減」である。この政策によって、一時的に失業が高くなる副作用はあるが、インフレは落ち着くと主張している。落ち着くという状態は失業率が自然失業率に戻るということであり、ゆっくりでいいから、恐れずブレず、金融引締めをすればいいと言う。さらに、財政支出削減を主張する。財政赤字が問題なのなら増税して赤字を減らせばいいが、財政問題の核心は財政赤字にあるのではなく、財政支出が大きいこと自体にある。従って、政治家が真剣になって財政削減をするようにするため、かえって減税して財政赤字を増やしたほうがいい、とまで言う。また、フリードマンは1930年代の大不況の場合は逆に金融緩和をすることが必要と言っている。つまり、フリードマンは全て市場メカニズムに任せればよいなどという単純な主張をしているわけではない。またフリードマンは、金融引締めにしろ金融緩和にしろ「恐れずブレず」遂行すればよいと言っているが、その具体的な遂行方法は次のようである。

 金融引締めにしろ金融緩和にしろ、経済状況を見定めて行う裁量的政策はその時期や加減など適時適切に行うことは難しく、これまでの政策は実際に市場を混乱させるだけだった。そこでフリーマンは、あらかじめ2%なら2%というふうに貨幣供給量の増加率を決めておいて、何があろうともその一定の率での貨幣供給を増やし続けていくという方式を提唱している。長期的にはこの方法が経済を安定させる最善の方法だと言う。この方式は「フリードマンのx%ルール」と呼ばれている。その理屈はおおよそ次のようである。

 貨幣供給量とは世の中に出回ってるおカネの量のことである。だから、貨幣供給量は、中央銀行が発行したおカネの量が変わらなくても、市中銀行(民間の銀行)がたくさん貸し出しすれば大きくなり、あまり貸し出ししなければ少なくなる。従って、成り行きに任せておけば、貨幣供給量は景気のいいときには膨らむし、不況のときにはしぼむものである。常にx%を守り抜くことは、景気のいいときは金融引締めとなり、不況のときは金融緩和することと同じになり、長期的には景気は安定する。

 意外なことに、フリードマンは徴兵制や「赤狩り」にも反対していたという。徴兵制については政府の諮問委員会で激しく将軍とやりあって、徴兵制の廃止に貢献したという。「赤狩り」については、フリードマンは共産主義には反対の立場であったが、共産主義を信じる自由は守るべきだと考えていた。当時アメリカでは共産党員には、薬剤師・教師・調律師・獣医師などの免許がでない制度があったが、それも批判していた。また、全ての所得に一定の割合を課税し同時に全員に一律のおカネを給付するというベーシックインカム(基礎所得制度)と同じような考えを「負の所得税」と名付けて提案しているという。フリードマンは「自由な競争」を主張したが、決して自由放任主義者ではなかった。フリードマンの「自由な競争」を曲解して新自由主義が生まれたそうだが、フリードマンの「自由な競争」とは本来次のようなものであった。

 フリードマンが言う「競争」とは張り合って人を出し抜くとか出し抜かれるというような弱肉強食の競争ではない。人為的な思惑や作為が通用しない匿名多数の合成結果に合わせるほかなくなるのが本当の「競争」だと言っている。つまり、社会全体でいろいろな欲求の大小に合わせて各産業に労働がうまく配分されている状態が「効率的」な状態であり、自由な労働移動を通じてこの状態をもたらすものこそが「競争」だと言う。従って、報酬を得るのは結果として自分の所有するなにかが他人の役に立ったからであり、たまたま結果として役に立てず報酬が得られなかったとしても、それが人間的に劣っているわけではないということになる。

 上述のことは、自然失業という失業は世の中に必要なものであって減らすわけにいかないというフリードマンの主張の論拠と通じる。社会を構成する人々の欲求がいろいろ変わるのに合わせて、社会全体の労働の配分も変わっていかなければならない。人々の欲求の減った部門で人手が余り、別の人々の欲求が増えた部門で人手が足らなくなる。その両者の間の移動の途中で失業している状態というのがでてくる。それが自然失業であり、そのような」失業者は「脱落者」でも「負け犬」でもないということになる。

 以上のように、フリードマンは「自由」を最高の価値としているが、「平等」も決して軽視していないという。現実に見られる不平等の大半は、市場が不完全だから起こっていると言う。しかもその不完全性の大半は、政府が行う誤った政策が引き起こしているのであって、政府が余分なことをせずに、自由な競争が実現できたら、不平等の多くがなくなると主張する。「小さな政府」論である。そして、実際に資本主義が発達している国ほど人々の平等が実現できている、と資本主義を礼賛している。

 以上のようなフリードマン理論を実践したとされているサッチャー・レーガン・中曽根・小泉等がしでかした成果をみれば、とても手放しで資本主義を礼賛するわけにはいかない。教科書④はレーガン政権の政策について言及している。それによると、1980年代初頭にレーガンはフリードマンの提言を忠実に実行したという。その政策の結果インフレはある程度は収まったのに、その後、レーガンはソ連との対抗のために大軍拡を行い、財政支出を際限なく膨らませて全てを元の木阿弥としてしまった。教科書④は
「結局振り返ってみれば、フリードマンの言う通りに貫徹できたことと言えば、富裕層中心の減税と、福祉・医療・教育予算の大幅削減と、労働組合攻撃ぐらい」
と、手厳しい。ちなみに、「富裕層中心の減税」という項目が入っているが、フリードマンは累進課税反対論者である。累進課税は「税負担能力を基礎においた応能負担原則」によるものであり、私は公平な税制だと考えている。(『「財源=税」問題を考える』を参照してください。)

h  ところで、レーガンが行った政策の結果はどうだったのだろうか。『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』から引用しよう。

 レーガンは中米やカリブ諸国に対して非道な行動を取っただけではない。自国の労働者階級や貧困層も踏みつけにした。軍隊の多くの部分を占め、緊急事態に真っ先に犠牲になるのは彼らである。しかし、〈現在の危機に関する委員会(CPD)〉のメンバーで公職に就いている人間のうち、50人以上がその事実を「良いこと」とみなしていた。

 1980年の選挙の直後、メルビン・レアード元国務長官はレーガンに対して「国防費を大幅に増やすことは、アメリカにとって最もあってはならないことだ」と警告を発している。レーガンはこの助言を聞くどころか、正反対のことをした。「アメリカの軍事力は弱体化しており、このままではソ連の攻撃に対抗できない」という作り話を根拠に、国防費増額を強く訴えたのだ。「今われわれは、真珠湾後の日々よりも大きな危険の中にいる。アメリカの軍隊はこのままでは無力で、この国をまったく守ることができない」とも言った。

 レーガンの脅しは功を奏した。国防費は、1985年にはなんと、1980年に比べ51パーセント増となったのである。それだけの費用を捻出するため、彼は自らの裁量で動かせる内政関連の政府支出を30パーセントも削減した。700億ドルもの大金を内政から軍事へと振り向けることに成功したわけだ。

 ハワード・M・メッツェンバウム上院議員は、行政管理予算局局長のデイヴィッド・ストックマンの予算削減手腕の見事さを称賛したが、同時にストックマンという人間に関し「冷酷で、非人道的で、不公正」とも言った。1983年には、48万人もの人が、児童扶養世帯扶助制度(AFDC)の支援を受けられる資格を失っている。また、給付金を減らされた人も29万9000人にのぼった。レーガンはさらに議会を促して、120億ドルだったフードスタンプ(食糧配給券)の予算を20億ドル減らし、35億ドルだった学校給食の予算も10億ドル減らした。その他、メディケイド(低所得者向け医療費補助制度)、小児栄養、住宅補助、光熱費援助などの予算も削減し、都市支援の予算はほとんど半分まで減らした。レーガンは、こうして貧しい人間に厳しくする一方で、所得税の最高税率は引き下げた。70パーセントだった最高税率は、彼が大統領を退任するころには28パーセントになっていた。

 新兵器の開発、既存兵器の改良は積極的に進められた。費用が非常に高く、大幅に遅れていたMXミサイルの開発なども進んだ。これは、位置の特定を困難にし、ソ連の先制攻撃による破壊を避けるため、ループ状の地下坑道を移動する配備方式も検討されたミサイルである(訳注 のちの《ピースメーカー》ミサイルだが、結局、移動配備方式は採用されなかった)。レーガンは、ソ連の経済が停滞していることを知っており、おそらく追随することは難しいだろうと読んでいた。

 核兵器に向ける予算は飛躍的に増加した。1981年には、いわゆる「対ソ封じ込め政策」の提唱者であるジョージ・ケナンが、レーガン政権が無分別な核兵器の増強を続けていることを批判してこう発言している。
「われわれはこれまで、次々に武器を増やしてきた。ミサイルを次々に作り、破壊力をどこまでも高めてきた。やむを得ずそうしてきたのだ。催眠術にかかったように、半ば無意識に。夢の中にいる人のように。海に向かって行進するレミング(管理人注:集団自殺をする鼠の一種)のように」。

ミニ経済学史(19)

新しい古典派の時代(2):フリードマン(1)


 ミルトン・フリードマン(1912年7月31日~2006年11月16日 アメリカ人)はケインジアン全盛の頃から激しいケインジアン批判を行っていたという。いわば新しい古典派の元祖のような学者である。後年、彼は弱肉強食のような経済政策を肯定している新自由主義の元祖のように言われることがあったが、これは大変な誤解によるものだったようだ。このような先入観は置いて、ともかく彼の主張を聞いてみよう。

 ケインジアンはスタフグレーションにうまく対処できずにその権威を失っていった。何がいけなかったのだろうか。

 ケインジアンが理論形成に用いた基本資料にフィリップス曲線と呼ばれているものがある。フィリップス(ニュージーランド人)が1958年に発表したもので、1861年から1912年までの貨幣賃金率の年上昇率と失業率の関係をプロットしたものから得た曲線である。

フィリップス曲線

 ケインジアン全盛当時、ケインジアン派はこの図の縦軸を、賃金上昇率ではなく、物価上昇率(以下、インフレ率と呼ぶことにする)とみなして利用した。賃金上昇率とインフレ率は連動しているからどちらにしても同じような曲線にあるという理屈だろうか。前期より賃金上昇率が上がっても財の需要が前期より低ければ物価は下がる、というようなこともあるのだから、この変更自体が不当なのだが、ここでは縦軸が賃金上昇率の場合もインフレ率の場合も同様の曲線が描けるという前提で読み進めることにする。

 ケインジアンはこの曲線の中でどの点を選べば失業削減とインフレ抑制のバランスが取れるかを考えた。つまり、少しばかりインフレになってもいいから失業率を減らそうという考えで、総需要拡大政策をとったのだった。その結果どうなっていっただろうか。

 当初はケインジアンの思惑どおりに事態が進んだ。
「インフレで物価が上がる→企業は利潤が上がるから雇用を増やす→労働需要が増えるから貨幣賃金率が上がる→失業率は下がり完全雇用に近づく。」
 例えば、上のフィリップ曲線で言えば、縦軸座標の貨幣賃金率(またはインフレ率)が0%から3%に上がると、横軸座標の失業率が5%から2%に下がるというわけだ。当初は理論通り見事にケインジアンの政策が成功したかに見えた。ところが前回に述べたように、「インフレはどんどん悪化していき、失業問題も改善されなかった」のだった。何故なのか。この現象をフリードマンは次のようにとらえた。

 まず、フリーマンはフィリップス曲線が横軸と交わる点(貨幣賃金率あるいはインフレ率0%)の失業率(上の図の場合約5~6%)のことを、「自然失業率」と呼んだ。ここで「自然失業」とは「ケインジアンの時代(4)」で取り上げた「自発的失業」と「摩擦的失業」のことであり、不況の時に起こる「非自発的失業」だけを真の失業と考えた。従って、自然失業率の状態は実は完全雇用の状態だと言える。当時のアメリカではこの自然失業率は5%くらいだったそうだ。

 さて、ケインジアンが想定した現象は総需要拡大政策を始めた当初には思惑通りに進んだように見えるが、それはいつまでもは続かなかった。なぜか。フリードマンの理論によるとおおよそ次のような理屈になる。

 労働者は、当初はまだ物価の上昇にあまり気づいてないから、貨幣賃金率が上昇したのを実質賃金率(貨幣賃金で実際に買える財の量で見た率)も上がったものと勘違いして、労働供給を増やしている。しかし、労働者もやがてインフレで物価が上がったことに気づく。実質賃金率が上がったと思っていたが、実は実質賃金率は下がっていたことを知る。その結果、労働供給は減少し、労働供給と労働需要が均衡するように雇用量が減少する。結局、元の自然失業率のところまで戻ることになる。例えば、3%のインフレがあれば、やがて労働者はそれを予想に織り込み、3%の賃上げがあって当然と思うようになる。以前はインフレ率ゼロのときにとった労働供給行動と同じ行動を、今度は3%の賃上げがあったときにとるようになる。これをフィリップス曲線で言えば、貨幣賃金率(またはインフレ率)がO%の点が3%分上にシフトすることである。これはインフレ率3%のときの失業率は自然失業率のままであるということだ。インフレ率を何パーセント上げても同じである。つまり、短期的にはフィリップス曲線は右下がりとなるが、予想が現実と一致していく長期では自然失業率のところで垂直な直線となる。ケインジアン政策は短期的には効果があるように見えるが、長期的にはインフレが高まるだけで失業を減らす効果はない。

 上のフリードマンの理屈で言う長期・短期とは新古典派(マーシャル)の言う短期・長期とは異なる。新古典派の場合は、
短期…機械や工場などの固定資本設備が一定不変の期間
長期…固定資本設備が自由に移動や増減できる期間
という意味だった。これに対してフリードマンがいう短期・長期とは
短期…経済状況の予想が変わらない期間
長期…予想が現実に合わせて調整されていく期間
ということであり、この場合の長期は1年くらいのときもあり得る。

 以上のようなフリードマンの理論とケインジアン派の理論の違いはそれぞれの理論が前提としている基本的な現実認識がまったく正反対であることから起こっている。その違いは次のようである。

ケインジアン派の特徴

(1)  価格硬直性の前提
 価格や賃金は簡単には変化しないという考え。特に、下がることはほとんどないと考えた。この価格硬直性が市場メカニズムがうまく働かず失業者が生じてしまう原因であるとみなした。
(2)  予想の非合理性
 企業も個人(家計)も将来の経済状態を合理的に予想することをしない。流動性選好を優先する。

 この前提から
「政府は、不況での失業者の増加を放置することなく、財政支出の拡大により総需要を刺激するなど、経済に積極的に介入するべきである」
と主張することになった。つまり
(3)  市場への国家介入(大きな政府論)
である。そして
「経済は全体としての構造によって決まっていき、個人はそれに規定されて振る舞う」とみなすのだから、その構築する経済学は
(4)  マクロ理論一本の方法論(方法論的全体主義)
という方法論をとることになった。

 これに対して、フリードマン(新しい古典派)の基本的な現実認識は次のようである。

新しい古典派の特徴

(1)'  価格伸縮性の前提
 価格や賃金は市場メカニズムによりスムーズに上下する。
(2)'
 合理的期待・完全予見

 企業も個人(家計)も将来の経済状態を合理的に予想して経済活動をする。おおむね完全な予見をしているものとみなしてよいとしている。

 つまり、企業経営者も消費者も市場で合理的に行動するので、価格や賃金がスムーズに動いて、市場の不均衡は自動的に解消されるという立場である。需給は市場メカニズムにより自動的に均衡するのだから、当然政府は市場への介入をすべきではない、という主張になる。
(3)'  市場の自動均衡(小さな政府論)
である。そして、企業や個人(家計)は自分に有利なことを合理的に選んで行動するという基本認識をもとにして構築する経済学は
(4)'
 ミクロ的基礎付け(方法論的個人主義)

のもとに全体の分析を積み上げていく方法をとることとなる。

 それでは、フリードマンはスタフグレーション克服のための政策をどのように考えたのだろうか。(次回へ)
ミニ経済学史(18)

新しい古典派の時代(1):スタグフレーション


 教科書④の四つの時代区分によるとケインジアンの時代(1930年代半~1970年代頃)の次の時代は下記のようだった。

(4) 新しい古典派の時代
 1980年代~現在
  この時代の始まりは「反ケインズ革命」と呼ばれている。

 教科書①による「労働の包摂」による区分名は「スタグフレーションの時期」である。1970年代から1980年代にかけて、世界の政治経済状況に何が起こったのか。振り返ってみよう。

 第2次大戦後、アメリカを中心とする世界資本主義社会は、ケインジアンの経済政策運営のもと、未曾有の大繁栄を遂げた。特に、アメリカでケネディ大統領が登場する1960年代、ケネディは積極的に財政支出を拡大させて経済成長を図り、完全雇用を実現しようと、「ニュー・エコノミクス」と銘打った経済政策を打ち出した。ケネディは1963年に暗殺されたが、そのあとを継いだジョンソン大統領は、「偉大な社会」というスローガンを掲げてこの路線を推進した。その結果、1960年代半ばにはほぼ完全雇用を実現することができた。しかも、あまりインフレにならずにそれができたのだった。ケインジアン経済政策の大成功例だ。このアメリカ経済の繁栄の恩恵を受けて、世界中の工業国が高成長を遂げていった。

 一番恩恵を受けたのは日本だったかも知れない。単にアメリカが旺盛な製品市場になってくれたというだけでなかった。ベトナム戦争による戦争特需により厖大なドルが日本銀行に持ち込まれた。当時は固定為替相場制だったので、そのドルは1ドル=360円で円と交換することになっていた。それは円を増刷することにほかならなず、金融緩和をしているのと同じ効果を上げて大好況をもたらした。特に、1965年11月から1970年7月まで続いたいわゆる高度経済成長時代の好景気は「いざなぎ景気」と呼ばれている。

 1960年代の終わりから70年代の初頭にかけて、世界中で超完全雇用が続いた結果、賃金上昇のペースが高まった。その上、ドルの発行しすぎのため固定為替相場制という世界システムが崩壊する。1971年8月、アメリカのドル防衛施策で株価が大暴落。日本政府は変動為替相場制を採用する。12月、10ヵ国蔵相会議で多国間通貨調整が決着する(1ドル=308円)。

 この世界規模の混乱を、各国はこれまで同様、総需要拡大政策で乗り切ろうとした。この政策で、賃金コストが上がるとともに需要が拡大することとなり、世界中でインフレが高まっていった。そして、そのインフレの最中に、あのいわゆる「オイルショック」に見舞われることになる。
1973年
 2月 ドル売り殺到で東京外国為替市場閉鎖。円は変動相場制に移行して市場再開。円は急騰する。
 10月 第1次石油危機始まる。(~74年1月、狂乱物価・異常インフレ進行)

 石油危機の直接のきっかけは第4次中東戦争だった。この時、アラブ諸国はイスラエルに味方する国には石油を売らないという「石油戦略」を決定した。その結果、原油価格が急高騰し、異常インフレが進行したのだった。ここで戦後世界資本主義の成長期が終わった。日本も高度経済成長が終わって、これ以降は低成長時代に入る。1974年にはGNPが戦後初のマイナスとなった。

 さて、インフレは好景気の時におこり、不景気の時はデフレになる、というのがこれまでの経済動向の常識だったが、上のように1970年代は大インフレなのに大変な不況になってしまった。異常インフレと呼ばれる由縁である。この異常インフレは、不況下のインフレということで、英語のスタグネーション(不況)とインフレーションを合成して「スタグフレーション」呼ばれるようになった。このスタグフレーションは資本主義社会始まって以来初めての異変現象であった。スタグフレーションに対処して、これまでのように財政拡大政策や金融緩和政策をとってもインフレはどんどん悪化していき、失業問題も改善されなかった。つまり、ケインジアン経済学の処方箋では対処することができなかったのだった。ここで「反ケインズ革命」が起こることになる。

 ケインジアン経済学批判ののろしを上げたのは、かねてからケインジアン批判をして自由競争を擁護してきたシカゴ大学のフリードマンだった。彼の率いるマネタリストの主張が、俄然学会に受け入れられるようになっていった。さらにそのあとに、ラッファーやフェルドスタインらのサプライ・サイド派、ルーカスやバローらの合理的期待形成学派が続いて登場し、ケインジアンの理論と政策を攻撃していった。これが、「反ケインズ革命」と呼ばれる学説史上の大転換になった。

 彼らはみな、広い意味で新古典派の流れを継承していて、民間のやることへの政府の介入はなるべく減らして、財政削減して「小さな政府」を目指すべきだと言った。世の中のたいていのことは、民間ビジネスの自由な市場に任せれば、市場メカニズムが働いて自動的かつスムーズに均衡するんだと主張した。1980年代にはこうした考え方が学会の主流となり、ケインジアンは敗れ去る。

 この学会の新しい主流派は、新古典派(ネオ・クラシカル)とは区別する呼び名として「新しい古典派」(ニュー・クラシカル)と呼ばれている。「現代的な新古典派」(マクロ経済学を新古典派的に扱う学派)という意味合いがあり、直接にはルーカス達の合理的期待形成学派から始まるとされている。

 この「新しい古典派」の考え方は、実際の政策にも取り入れられていく。1980年代の初めから、イギリスのサッチャー保守党政権やアメリカのレーガン共和党政権など、いわゆる保守派の政権によって、国営・公営企業の民営化とか規制緩和とか財政削減とかいった政策がとられていった。日本でもこの頃、中曽根政権が国鉄を民営化してJRにしたり、電信電話公社を民営化してNTTにしたり、専売公社を民営化して日本たばこ産業にしたりと、国営・公営企業の民営化を強行している。

 このような市場化政策の正当性を主張するイデオロギーを「新自由主義」と呼んでいる。これ以降、基本的にはこういった新自由主義路線が世界中で遂行されていく。日本では小泉政権が「構造改革」路線を掲げて、規制緩和・財政削減・道路公団や郵政事業の民営化を強行した。新自由主義こそ現在の格差社会を作った元凶である。
ミニ経済学史(17)

ケインジアンの時代(4)―ケインズ(2):「大きな政府」論

 ケインズは財と交換することができるという資産の性質を「流動性」と呼んだ。また、この流動性が一番高い資産ということで「貨幣(いつでも自由に支払いに使える資産)」という概念を導入した。そして、人々は予想外の緊急の支出に備えるため、流動性のなるべく高いものを欲しがる性質があると言う。流動性の最も高い資産は貨幣であるから、人々は必然的に貨幣を所持したがることになる。ケインズは「予想外の支出に備える」という貨幣の所持動機を「予備的動機」と呼んだ。貨幣を持ちたがる動機には債券のような資産の価値下落のリスクに備えるという動機もある。これを「投機的動機」と呼んでいる。そして、それらの動機により貨幣を欲すること(貨幣需要)を「流動性選好」と呼んだ。

 改めてケインズ法則が主張していることを簡潔にまとめると、「流動性選好のため貨幣が需要超過となるということは、有効需要(消費需要+投資需要)が不足することである。つまり、財・労働が供給超過(デフレと失業の進行)となる」となろう。流動性選好説が正しければ、不況は必然ということである。

 ここで失業とは労働市場での供給超過のために起こる失業であり、ケインズはこれを「非自発的失業」呼んでいる。新古典派は賃金などが不満で自ら退職する失業を「自発的失業」と言い、労働供給超過の職業や地域から労働需要超過の職業や地域に移動する間の一時的な失業を「摩擦的失業」と言って、失業とはそのいずれかであると考えていた。1930年代の不況下の失業は非自発的失業であり、新古典派の想定外の失業だった。従って、新古典派はこの失業を労働組合の責任とするほかなかったのだった。

では、どうすれば不況を克服したり回避したりすることができるのだろうか。この問題の解答はすでに「ケインジアンの時代(1)―「労働力の包摂」から見る」で触れていた。その部分を再引用する。

『(大恐慌の事後対策に失敗後)恐慌をなるべく起こさないようにしようという対策に変ってくる。これは、初めは恐慌に落ち込んでしまった経済をいわゆるポンプの呼び水でもって復活させるというところから始まり、やがて調整政策という形に変っていく。そのいちばん中心をなすのはフィスカルポリシーを中心とした財政金融政策である。いずれにせよ、それは恐慌にたいする予防的な措置を強め、大幅な恐慌が起こることを予防して、大量の失業者が生ずることをできるだけ回避するという狙いをもった政策と言うことができる。
(注記 広辞苑より) フィスカル‐ポリシー【fiscal policy】  財政的手段によって国民経済の動きを制御し、完全雇用と安定成長を達成しようとする政策。主にケインズ的な立場に立った財政政策をいう。』

 失業の根源的原因は流動性選考による財の需要減少と投資の供給減少であった。このため、財は売れ残る、利子率は下がらない。このようなときに設備を増やして増産しても製品が売れないし利子が高いのだから借金抱え込むだけで終わるのが目に見えている。当然企業の設備投資が停滞した。するとますます不況となり……という悪循環が大不況へと落ち込んでいく要因だった。

 この事態に対する対策として考えられるのが利子率を下げるために貨幣供給量を増やすという中央銀行による金融緩和策であった。貨幣供給量を増やせば、それが債券の供給増加を引き起こし利子率低下につながるという理屈である。いまアベコベミクスがやっている「第一の矢」である。多くの人が期待しているが、1930年代の大恐慌のときにはこの政策は破綻している。ケインズは1932年のアメリカでの例を挙げて指摘している。何が起こったのか。増加した貨幣は債券の購入に向かわず、貨幣の形態のまま保有し続けられ、利子率は下がらず、事態は何ら変わらなかったのだった。ケインズはこれを「流動性のわな」と呼んだ。

 もう一つの政策が政府による財政支出の拡大である。アベコベミクスの第二の矢はこれである。政府が財やサービスの購入を増やせば、企業の生産活動が盛んになり、労働需要も増加する。企業は利潤が増加し、労働者の賃金も上がる。それは財やサービスの需要増加をもたらし、景気はさらに上向いていく。最初の政府の財政支出を大きく上回る所得増加につながるという理屈である。

 このとき、経済全体の最終生産額が政府の財政支出何倍になるかを示す割合を「乗数」と言う。(この乗数の計算式が教科書④には書かれていない。これについては教科書⑤を用いる。)
 乗数の計算式は
「乗数=1/(1-限界消費性向)」
と表される。ここで「限界消費性向」の意味は次のようである。消費や投資などの「追加」のことを、経済学では「限界」概念と呼んでいる。また「性向」とは「何かをしたいという傾向」のことであるから「限界消費性向=消費として追加したい金額の割合」といった意味になる。例えば
 賃金が10万円上がり、そのうちの8万円を消費支出分としたいとき「8/10=0.8」を限界消費性向と言う。つまり、人々が所得が増えたときそのうちどれだけを消費にまわすかという割合のことである。例えば、限界消費性向が
6割なら乗数は1/(1-0.6)で2.5倍
8割なら乗数は1/(1-0.8)で5倍
9割なら乗数は1/(1-0.9)で10倍
となる。財政支出政策によって、それぞれ最終生産額が政府の財政支出の2.5倍・5倍・10倍になったということである。実際にこの理論通りいくとしたら、「めでたしめでたし」ということになるが、はたしてどうなのだろうか。

 1930年代の大不況はこの財政支出によってある程度は克服された。これがアメリカのルーズベルト大統領によるニューディール政策である。しかし、このときのニューディール政策は少し景気が回復した段階で金融緩和策とともにこの政策を打ち切ってしまったため、再びひどい不況に逆戻りしてしまったと言う。むしろ、その当時のナチスドイツのシャハト経済大臣、あるいは日本の高橋是清大蔵大臣などは、ケインズの理論通りような政策を貫徹して立派に景気を回復させていた。教科書①を用いて、これと同じ解説を「ケインジアンの時代(1)―「労働力の包摂」から見る」において紹介している。次のようであった。

『さしあたりの恐慌対策としては、実は日本・ドイツなどの方が成功している。つまり強権的に押さえつけた方が早く恐慌からぬけ出せることになった。しかし、最終的にはそれは戦争をやらざるをえなくなる体制であり、実際に戦争へと突き進んでいった。そして、それらの国が戦争に敗れた後は、いずれの国もニューディール型の対策をとらざるをえなくなってくる。』

 さて、教科書④はケインズをどのように評価しているのだろうか。最後にそれをまとめておこう。

 ケインズは1930年代の日本・ドイツが行ったような直接命令で強制する経済政策を主張したわけではない。ケインズは経済は生き物のように自律的に動くものであることを踏まえて、不況対策という経済のコントロールについても、その中にある人為を離れた法則を見いだして、その法則を利用して動かそうとした。有効需要が少ない世界では、企業者の利益は全体としてゼロ以下になり、「特別の技能と異常な幸運」に恵まれた人が得た利益の裏には、そうでない人々の損失がある。しかし、有効需要が十分あればそのようなことにはならない。これがケインズの言わんとしたことである。教科書④は『一般理論』(塩野谷祐一訳)から、次の一節を引用している。でおおよそ次のような主張をしている。

……もし諸国民が国内政策によって完全雇用を実現できるようになるならば……、一国の利益が隣国の不利益になると考えられるような重要な経済諸力は必ずしも存在しないのである。適当な条件のもとで国際分業や国際貸付が行われる余地は依然としてある。しかし、一国が他国から買おうと欲するものに対して支払いをする必要からではなく、貿易収支を自国に有利にするように収支の均衡を覆そうとする明白な目的をもって、自国商品を他国に強制したり、隣国の売り込みを撃退しなければならない差し迫った動機はもはや存在しなくなるであろう。

 国際貿易は現在では、外国市場に対して販売を強行しながら、購入を制限することによって国内の雇用を維持しようとする必死の手段となっているが、これはたとえ成功したとしても、失業問題を競争に敗れた隣国に転嫁するにすぎない。国際貿易は現在見られるこのような姿ではなくなり、相互利益の条件のもとで喜んで行われる財貨およびサービスの自由な交換となるであろう。

 ケインズは、第一次世界大戦が終わったとき、ドイツから賠償金をむしり取ろうとする戦勝国の動向に反対していた。彼は、このような「食うか食われるか」の反経済学的図式こそが平和を壊すものとみなして、一貫して嫌悪している。「世界全体が豊かになる共存共栄の世界を実現する余地は必ずある。だからこそ政府の政策が必要なのだ。」これがケインズの考えだった。しかし、ケインズのこのような真っ当な主張は生かされることなく、世界は第二次世界大戦に突入していってしまった。

 現在、太平洋圏諸国を巻き込んで交渉中のTTPは、アメリカ合州国を牛耳っている強欲1%とそれに迎合する属国財閥の利益を最優先するとんでもない不平等条約だ。「経済学的発想」を装っているが明らかに「反経済学的発想」の牙が見え隠れしている。