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ミニ経済学史(10)

新古典派の時代(3):限界革命トリオ

 前回の二番目の引用文に「メンガー・ジェボンズ・ワルラス」という三名の人名が挙げられていた。彼らのフルネームと生没年月日・出生国は次のようである。

ウィリアム・スタンレー・ジェボンズ(1835-1882 イギリス)
カール・メンガー(1840-1921 オーストリア)
レオン・ワルラス(1834-1910 フランス)

 さて彼らは互いに独立に「限界……」と呼ばれている概念の基礎理論を提出したので「限界革命トリオ」と呼ばれている。その基礎理論の内容は具体的には次のような理論である。

『消費者が自分の満足を最大にするように各財の消費量を決める決め方を検討することによって、「商品の価格の比は限界効用の比に等しくなる」ということを示した。』

 つまり、古典派が労働価値説や費用価値説など、価格を決めるもとになるものは客観的な生産条件だと考えたのに対して、彼らは各自の主観的な満足度が価格を決めるもとになっていると主張した。これがやがて経済学の全体系を作り直すことにつながっていった。この三人を源流とする経済学の潮流は次のように呼ばれている。

ジェボンズ …………………………―――→ケンブリッジ学派
メンガー  → オーストリア学派   ↑
            |          |
            | → スウェーデン学派
            |
ワルラス → ローザンヌ学派

 この学派のおおよその流れは次のようである。

 ジェボンズの後を「……」としているのは、彼は後継者になる弟子を作ることができなかったからである。ただ、彼の本を読んだウィックスティードという人が啓蒙書を書いて、「限界革命」の経済理論を普及させたという。

 メンガーは労働価値説や費用価値説に対抗して、価格を決めるもとは効用だと主張して、「効用価値説」あるいは「主観価値説」と呼ばれる立場をことさら強調した。メンガーの考えは、同じウィーン大学のベーム・バヴェルク、ウィーザー、シュンペーター、ミーゼス、ハイエクといった人々に受け継がれた。この流れが「オーストリア学派」と呼ばれている。この学派はメンガーの考えを徹底して、生産手段の価格も、最終消費財の限界効用からさかのぼって帰属させていく考え方をとった。そこで、最終消費財を生産するまでに何段階も時間をかけることの意味を考えるようになり、「資本理論」とか「利子論」とか言われる問題に取り組むことになった。

 ワルラスは、スイスのローザンヌ大学の教授だったが、後継者はイタリア出身の学者で占められている。この流れは「ローザンヌ学派」と呼ばれている。ワルラスは、「一般均衡論」を確立したことで有名である。「一般均衡論」とは「流通している商品全部の市場の間の影響関係を考える手法」のことである。その手法は、数学的には、商品すべての需要と供給が均衡する連立方程式を立てて、それらの式が全部イコールで成り立つように、いろいろな商品の価格が決まると考えた。この意味ではリカードもマルクスも一般均衡論の立場に立っていることになるが、ワルラスの場合、財への需要を効用最大化から導き出している点においてその理論の深化を遂げている。

 その後、ウィクセル(1851-1926 スウェーデン)が「限界革命」の最適化の考え方とオーストリア学派の資本理論とワルラスの一般均衡論を取り入れた経済学大系を作り上げた。この流れが、カッセル、リンダール、ミュルダールと続き、「スウェーデン学派」と呼ばれている。

 以上のような発展を踏まえ、新古典派の教科書大系(今日「ミクロ経済学」の教科書に見られる基礎)を確立したのがマーシャル(1842-1924 イギリス)である。彼は「限界……」という概念の意味を深く吟味した末、実はそれはリカードたちの古典派理論を否定するものではないことを見いだした。それ故に、自分の理論をリカードたち古典派を引き継ぐものと考えて、「限界革命」以後の経済学の体系の中に古典派経済学も位置づけて総合したのであった。これ以降、マーシャル経済学は、押しも押されもせぬ経済学の王道となった。この中から、弟子のピグーをはじめとする人材が輩出され、「ケンブリッジ学派」と呼ばれるようになった。新古典派を打ち倒して全く新しい経済理論を打ち立てることになるケインズも、この流れから出てきた学者である。

 さて、このように多くの流れをもった新古典派だがその主張するところの主要点は
『その市場がスムーズに自動均衡するとみて、「小さな政府」を唱えた。』
ということのようだ。もう少し詳しくは次のように解説されている。

 自由競争のもとでは価格メカニズムが働いて、必要なものが必要なだけ作られる均衡が自動的にもたらされる。しかも、その均衡のもとでは社会全体のトクの合計は最大になっている。おまけに、各自はその価格のもとで、効用を最大にしたり、利潤を最大にしたりしているわけだから、市場均衡においては、もうこれ以上みんなの境遇を良くすることはできない。誰かをもっと良くしようと思ったら、誰か別の人を犠牲にしなければならない。そういう意味で、ムダのない効率的な状態に至っている。

 これは要するにアダム・スミスの市場観と同じである。新古典派はそれを数学的に厳密に正当化したというわけである。従って当然のこと、政府は余計な介入をしてはならないってことになる。政府は、人々の個々におかれている状況などを全部把握することは到底不可能なのだから、均衡状態を設計することなんかできない。だから政府が生産や販売のあり方に口を出すとろくなことにならない。従って、政府は「小さな政府」でいい。

 市場均衡についてのイメージとしては、スミス以来の古典派の場合は、最終的には実際に均衡に落ち着いて動かなくなるというわけではなく、均衡に向かう力が常に働いているが短期的に見ればいつも変動している、というようであった。これに対して、新古典派の場合は、本当に市場均衡にスムーズに落ち着いていくというイメージが強くなっている。こういうこともあって、新古典派は、現実の資本主義経済の擁護論として使われてきたと言う言説もあるようだ。これは当時の政治状況と関係することだろう。

 「限界革命」の時期はちょうど、基幹産業が軽工業から重化学工業へと変わるとともに成年男子の労働力が資本のもとに包摂されるようになったり、初めて労働階級がひとつの階級として確立され時期であった。つまり、資本主義の害悪に反対する社会主義運動が大きく盛り上がってきた時期であった。1860年代後半には、マルクスもリーダーの一人だった「第一インターナショナル」という国際組織ができて、8時間労働とか賃上げとかを求めて、世界中でストライキを伴う労働運動が盛んになった。そしてその頂点の1871年、フランスのパリで民衆が蜂起して、普通選挙による自治政府を樹立した。世界初の社会主義政権「パリ・コンミューン」である。しかし、パリ・コンミューンは支配階級の軍隊によって弾圧され消滅する。ジェボンズとメンガーの「限界革命」の本が出だのが、折しもその1871年であった。この偶然の符合について、松尾さんは次のように論評している。

『気の早い人は、社会主義の脅威への対抗のために「限界革命」が起こったと言い出すが、これ自体は何の関係もない偶然だと思う。ただ、こういった理論が世間に受け入れられていく過程では、支配階級側から歓迎された側面はもちろんあったと思う。マルクス経済学とか社会主義運動に対抗して、現存経済体制を擁護する理屈として使える理論だったから。しかし、新古典派の経済理論そのものが本当にそういう体制擁護論なのかどうか。それはよく検討して判断すべき問題だろう。』

 さて、教科書④は続けて限界革命トリオの学説の解説を行っているが、それは必要が出てきたら取り上げることにして、いまは割愛する。次回は古典派と新古典派の総合者であるマーシャルの学説を学習を予定している。
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ミニ経済学史(9)

新古典派の時代(2):「限界革命」って何?

 新古典派の時代(1870年代~1930年代半)の始まりは「限界革命」と呼ばれている、ということだった。この「限界革命」とはどういう意味だろうか。このような言い方で私がすぐに思い付くのは「限界集落」であるが、この言葉の意味は、共同体が共同体としての機能をかろうじて保持している過疎化した集落、ということだろう。この場合の「限界」は「ぎりぎりの」といった意味になる。「限界革命」とは「ぎりぎりの革命」?。何のことだかさっぱり分からない。教科書④の説明を読んでみよう。

 新古典派以降の経済学では、「限界効用」「限界代替率」「限界費用」「限界生産力」などなど、「限界何々」という用語がたいへん多く使われている。この中で、例えば「限界生産力」の「限界」を通常の意味で解釈すれば
「これ以上は生産できない最大限ぎりぎりの生産力」
という意味になろう。しかし、さにあらずと言う。

 念のため「限界生産力」を英語では何というのか調べてみた。「marginal productivity」(研究社版和英辞典)だった。次ぎに和英辞典で「marginal」を調べたら、経済学用語の意味として「かろうじて収支の償う」とあり、項目「marginal」内での熟語例として「marginal sales=収支とんとんの販売」「marginal profits=損をしない程度のもうけ」とあった。何のことはない。「限界」を通常の意味で解釈している。ところが独立した項目として次のような例があった。
「marginal land =(耕作の)限界地《収益がかろうじて費用を償うような生産力の低い土地》」
「marginal revenue=限界収入《産出物を1単追加供給するときの総収入の増加額》」
「marginai utilit=限界効用《ある財・サービスの消費を1単位増す時に得られる満足の増加量》」

第一の例は「限界」を通常の意味に使っているが、この場合はこのような意味でしか有り得ないだろう。後の二例は「限界」の通常の意味とはまったく異なるが、いかにも経済学っぽい。教科書④に戻ろう。

 経済学では「限界何々」という場合、後の二例のような意味である。教科書④は「こんな誤解を招く言葉遣いは、本当はやめた方がいい。しかし仕方ない。いまさら変えたら経済学の世界全体の言葉遣いを書き換えなければならない。こっちが慣れるしかない。」と言っている。原文がいけないのか、翻訳がいけないのか、どちらか分からないが私のような門外漢にとっては迷惑なことではある。ともあれ、教科書④は「限界」の意味を次のように説明している。

 「限界何々」とは『別の何かを1単位増やしたときの、「何々の増加分」』という意味である。例えば
「限界効用」は
 「消費を1単位増やしたときの効用の増加分」
「限界費用」は
 「生産量を1単位増やしたときの費用の増加分」
「限界生産力」は
 例えば労働の場合で言えば、
 「労働投入を1単位増やしたときの生産の増加分」
「限界消費性向」は
「所得が1単位増えたときの消費の増加分」ということである。

 教科書④は「これは、数学的には微分のこと」だと言っているが、ここまでの説明では除法の意味の一つである「1当たり量」に過ぎなく、微分ではないのだけどなあ。でも、本論では「微分積分一切なしで話を進める」と言っているので、「微分係数」の代用として「1当たり量」を用いていると理解して先に進もうと思うが、一応上に挙げた例を「微分」を用いて言いかえて置こう。

「限界効用」=「効用を消費量で微分したもの」
「限界費用」=「費用を生産量で微分したもの」
「限界生産力」(例えば労働の場合で言えば)=「生産量を労働投入量で微分したもの」
「限界消費性向」=「消費を所得で微分したもの」

 また、新古典派の学者たちが微分を使い始めた理由は次のように説明されている。

 彼らは「最適化」(人はみな、自分にとって一番トクになるような行動をする)という概念を導入した。これは初めは、
「消費者が自分の満足度を一番大きくする消費の組み合わせを決める決め方」
を考えることから始まり、
「企業が自らの利潤を一番大きくする生産量を決める決め方」
にも応用されるようになった。(「満足度」や「利潤」の最大値は、グラフで言うと微分係数が「=0」の点を求めることになる。つまり微分だ、ということらしい。)

 微分によって得た各消費者にとっての最適な消費量を、各財ごとに、社会全体の全消費者について合計すれば、各財の需要量が求まる。さらに、各企業にとっての最適な生産量を、各財ごとに、社会全体の全企業について合計すれば、各財の供給量が求まる。その需要量と供給量が市場メカニズムによってちょうどつり合うところで均衡の価格が決まる。こういう理屈の構造を作り上げたのが新古典派だそうだ。

 ところで、「リベラル21」というサイトに、盛田常夫(在ブダペスト、経済学者)さんによる「地獄への道は善意で敷き詰められている」という記事(2013.09.21付)がアップされていた。その記事の書き出しの文章に、私の経済学に対する不信感の核心がズバリと指摘されていた。次のようである。

 いったい経済学は科学かそれともイデオロギーか。これは古くて新しい問題。一昔前、マルクス経済学はイデオロギーで、「近代経済学」は科学と断言する学者が多かったが、何のことはない、マルクス経済学が姿を消したら、「近代経済学」のイデオロギー性も明々白々になってしまった。経済学の理論分析は現実分析からかけ離れた「頭の体操」の域を出るものではなく、ほとんどの理論が経済政策にまったく役立たない。だから、多くの政治家は経済学を勉強しなくても、GDP成長率を語り、専門家のように経済政策を語る。経済学など学ばなくても、経験だけで政策を語ることができる。

 経済学の現状がこうだから、政治家に助言しているという「学者」も、理論的分析に裏付けられた政策を提言しているわけではなく、たんなる「勘」で話を作っている。ところがその「勘」も当てにならない。会社勤めの経験もない学者の「勘」など、現実の経済運営にあまり役立たない。会社経営者の方がよほど気の利いた提言ができる。経済学が扱っている理論と現実政策との間には埋めることのできない距離があるから、政策の正当性を理論的に評価することすら難しい。金融政策効果をめぐって経済学世界が二分されている現状はそのことを物語っている。経済学がまだ科学のレベルに達していない証左であることは確かである。金融緩和政策の評価すら明確にできない学問が、「科学」の冠をいだく資格はない。

 これは今日の経済学会に対する批判である。では、経済学に微分を導入しただけの新古典派の理論が「革命」と呼ばれるほど科学的だろうか。いま学習を始めたばかりの私にこの問題について何かを判断する資格はない。いまはただ学習を続けるばかりだが、「限界革命」でネット検索していたら、永井俊哉さんの「限界革命はどこが革命なのか」という記事に出合った。この記事の初めの一節を引用しよう。

 1870年代に、メンガー・ジェボンズ・ワルラスの三人が、独立に限界原理を提唱した。彼らの仕事は、当初は異端として無視されたが、その後、経済学の主流となる近代経済学の出発点として位置付けられ、限界革命と呼ばれている。では、限界革命は、どこが革命的だったのか。

1. 限界革命とは何か

 経済学における「限界 marginal」という形容詞は、哲学における「超越論的」という形容詞と同様に、難解な合成語を作る元凶と一般に思われているが、限界原理は、それほど難しい概念ではない。限界値とは、消費量をもう少し増やした時に得られる追加的な効用や資本をもう少し増やした時に得られる追加的な生産物などを表すのに用いられる。限界原理によれば、消費量や生産量はこうした限界値によって決定される。

 ジェボンズは、「限界効用」という言葉は使わず、「最終的効用度 final degree of utility」という言葉を使っていた。しかし、後世の経済学者たちは、「最終」ではなく、「限界」なる語を使うようになった。その理由は不明だが、「限界」という言葉の方が微分学と親和性が高いことを理由として挙げることができるのではないだろうか。ドイツ語では、「限界効用」は"Grenznutzen"、「極限値」は"Grenzwert"というように、同じ"Grenze"という語を用いる。微分学における極限値とは、"関数の変化量/変数の変化量"で表される変化率が、変数の変化量が限りなくゼロになる時に、限りなく近づく値のことで、微分係数とも言われる。限界値は、代数学的に言えば微分係数であり、幾何学的に言えば曲線の傾きである。

 限界革命により、経済分析に微積分が使われるようになり、経済学は、少なくとも外見上は、科学的になった。現在の職業的経済学者たちは、高等数学を駆使することにより、自分たちの仕事が科学的であるという印象を周囲に与え、政府から補助金をもらうことに成功している。彼らが、自分たちの飯の種を作ってくれた変革に敬意を表して、限界革命を「革命」と呼びたくなる気持ちはよくわかる。しかし、たんに既に自然科学で使われていた微積分を導入したというだけなら、それは一種の技術革新であって、革命とは言えない。限界革命には、思想的なパラダイム転換としての側面はなかったのだろうか。

 「革命」ではなく「一種の技術革新」と判断している。そして、次の節以降で「思想的なパラダイム転換としての側面」の検討を行っている。

 今回紹介した二論文はともになかなか面白い。必要が出てきたらお世話になろうと思っているが、いまは基礎学習をしているところである。教科書④に戻ろう。
ミニ経済学史(8)

新古典派の時代(1):「労働力の包摂」から見た時代の変化

(「ミニ経済学史」は「『羽仁五郎の大予言』を読む」の中で「番外編」として扱ってきましたが、かなり長くなりそうなので独立させました。なんだか「ミニ」ではなくなってくるようです。)

 経済学史の四つの時代区分は次のようであった。

(1) 古典派の時代
(2) 新古典派の時代
(3) ケインジアンの時代
(4) 新しい古典派の時代


 資本主義の変遷に従って経済理論もそれを組み込みながら深化発展していくのだから、とうぜん経済学史の時代区分は資本主義の変遷と密接に関係しているはずである。では、ある時代から次の時代への移行の背後にはどのような資本主義の変遷があったのだろうか。その背景を知ることで経済学史の理解をより深めることができるだろうと思った。ところが、読者が当然持っている予備知識ということで省いたのだろうか、教科書④には資本主義の変遷についての記述がほとんどない。その当然持っているはずの私の予備知識は大変貧弱なので、これも学習し直すことにした。教科書①(大内力著『国家独占資本主義・破綻の構造』)に全面的に依拠して、その部分を補充しようと思う。

 資本主義の本質を表す概念に「労働力の商品化」という言葉があるが、『資本論』では資本主義の本質を「労働の資本のもとへの包摂」という概念を使ってとらえている。教科書①は
『マルクスは「労働の包摂」という言葉を使っているが、むしろ「労働力の包摂」といったほうが正確でしょう』
と言い、「労働力の包摂」という言い方を採用している。この概念の意味を改めて説明すれば次のようである。
『資本は労働力を商品として買い入れてこれを自由に使用する。そして、それによって剰余価値を獲得する。このことなしには価値増殖はできない。従って、資本を資本たらしめる本質は、資本の循環的な運動のなかに労働力を包摂する、ということにある。』

 教科書①は資本主義の変遷をこの「労働力の包摂」という概念を基軸にしてとらえ、次のような四つの段階を提示している。

(1)' 自由主義の段階
(2)' 古典的帝国主義の段階
(3)' 国家独占資本主義の段階
(4)' スタグフレーションの時期


 これが経済学史の時代区分に対応する資本主義変遷の時代区分と考えてよいだろう。「新古典派の時代」に入る前に、(1)'から(2)'への変遷をたどっておこう。まず、(1)'段階の資本主義はどのようなものだったのだろうか。

(1)' 自由主義の段階

 資本主義は産業革命を経過して確立された。(1)'はその産業革命から19世紀末にいたるまでの時代である。この時代はスミスに代表されるように、「自由な市場は市場メカニズムの働きによって経済が自動的に調和する」と考えられていた。「自由主義の段階」という命名はそこから出たのであろうが、教科書①ではそれを、「労働力の包摂」という観点から、次のように説明している。

 この段階では基本的には労働力を資本のもとに包摂するという関係はまったく自由放任 ― いわゆるレッセ・フェア、レッセ・パッセであった。つまり資本家は労働市場においてその時々の賃銀を払えば労働者を自由に雇い入れることができる。つまり労働力を買うことができた。そして、買った労働力はある意味で完全に資本の指揮命令のもとにおかれ、やや極端にいえば資本家は自由勝手にこれを使うことができるという体制になっていた。しかし、ドイツ、フランス、アメリカなどではそれほど典型的な自由主義的関係は形成されていなかったので、もっぱらイギリスを基準にして論じることになる。

 さて、この時代を生産様式から見れば、いわゆる機械制工業が成立した段階である。しかし機械制工業と言っても、この段階では、いずれの国でも基幹的な産業となるのは繊維(綿)工業であった。

 それ以前のマニュファクチヤの段階では、すくなくとも基幹的な部分では熟練度の高い男子労働力を必要とした。また一方、この初期資本主義の段階では、資本構成の高度化をつうじて資本自体が相対的過剰人口をつくり出す、という機構が欠けていた。従って、資本の蓄積はなお外部的に与えられる労働力の供給条件に直接に制約されざるをえなかった。言い直せば、労働力はまだ資本のもとに形式的に包摂されていた段階であった。

 ところが、機械化された繊維(綿)工業が基幹的産業となった段階では大部分の作業が単純労働化され、大量の不熟練労働が使われるようになった。つまり、資本のもとに包摂される労働力が主として婦人・幼年労働者となった。男子労働力は、多くが手工業の職人的労働の分野に配置されており、そうでないものは失業ないし半失業の下層社会を形成していた。一方、イギリスは19世紀の初めまでに農業の資本主義化がかなりの程度まで達成していた。すでに19世紀の初めには農業人口比率が30%をわったといわれている。このときに土地から追い立てられた農民が潜在的・停滞的過剰人口の堆積をもたらした。さらにまた、景気変動に連動してたえず産業予備軍化する流動的過剰人口も厖大な量に達していた。これらの過剰人口は文字どおり絶対的窮乏の状態に追いやられていたのだった。この段階での労働者の惨状は、前回に引用したエンゲルスの「イギリスにおける労働者階級の状態」が語る通りであった。

 以上の経緯を学習しながら私は、紡績工場で働く女工さんの生活を克明に記録した細井和喜蔵著のルポルタージュ『女工哀史』(1925年刊)を思い出していた。また、製糸工場の女工さんだったお年寄り達からの聞き取りをもとにした書かれたルポルタ-ジュ・山本茂実著『ああ野麦峠』(1968年刊)という本もある。「野麦峠をよく知ろう」さんが後者の著作の抜粋記事を紹介している。日本資本主義下の女工さんたちの惨状の一端を知ることができる。

(2)' 古典的帝国主義の段階

 教科書④はこの時代を1870~1880年からほぼ第一次大戦に至るまでの時期としている。古典的帝国主義(以下、単に「帝国主義」と呼ぶ)の段階では、もはや単なる商品交換関係を通じてだけでは労働力の包摂ができなくなり、なんらかの政策的補強=社会政策が必要になってくる。このような状況になってくる要因はもちろん生産様式の変遷にある。

 この段階では基幹産業が軽工業から重化学工業特に鉄鋼業へと変わっていく。それは、一般的にいえば、生産力の発達を反映したものであり、次のような二点が指摘できる。

第一点
 この鉄鋼業自体が、とくに製鋼過程において従来のパドル法にもとづく手工業的生産(錬鉄の生産)の段階を脱却し、ベッセマー法・ジーメンス法等の大規模な装置工業 ― 平炉もしくは転炉を使う近代工業=装置産業 ― が確立される。人によってはこれを第二次産業革命と呼ぶほどの技術革新が起こったのだった。その技術の発達は、つまりは生産力の拡大を物語るものである。

第二点
 この技術革新を基盤として、良質・廉価の鋼材が供給されるようになり、産業機械はむろんのこと、鉄道や鋼船やもいちじるしい発達の契機を与えられた。つまりそれは全社会的な規模で生産力の拡大を実現したのであった。

 こうした産業構造の変化が資本の側にもたらした変化は、株式会社の普及であり、いわゆる金融資本的蓄積様式を確立するにいたる。そして、それが同時に独占の形成を必然化するものであった。

 この同じ産業構造の変化が労働の側にもたらした変化は、それは一言でいえば、ここまできてようやく、成年男子の労働力が資本のもとに包摂されるようになったことである。ここに初めて労働階級がひとつの階級として確立されることになった。

 この段階で成年男子の労働力が労働者の中核を占めるようになる理由は次のように説明できよう。

 重化学工業が中心になると、一方では重量物の取扱いが増加する、あるいは熱・ガス等にさらされる危険な作業が多くなるなど、労働環境のきびしさがましてきた。また、ここでは技術の水準が高まり、労働過程においても、より合理的で精密な作業が要求されるようになったことも重要である。つまりここでは、もう一度高度の技能をそなえた熟練労働者が必要になった。もちろんこの場合の熟練とは必ずしも、かつてのギルドの職人の専門的技能 ― 長期間の修練によって獲得した「腕のいい仕事をなしうる」能力 ― を備えるということではない。機械設備の発達のいかんによっては、このような「腕」が要求される部分ももちろん残るだろうが、どちらかと言えば、より高い教育を受け、近代科学の成果である技術を合理的に使いこなし、製品に要求される精密性・規格性に十分対応しうるような意識構造をそなえた労働者、つまりは技能工が必要とされる。このことの反映して、いずれの国でもこの段階になると普通教育の義務化がはかられ、しかも教育年限がしだいに延長される傾向が現われる。

 さて、この段階を「帝国主義の段階」と呼ぶ理由は次のようである。

 生産様式が巨大な設備を擁するようになればなるほど生産の弾力性が失われる。すると、企業の景気変動にたいする対応力は弱くなり、従って独占を形成しながら価格をある程度人為的に統制してゆこうとする志向が強められる。もちろん独占が成立するためには、集中された比較的少数の大資本が生産過程を掌握するという関係が前提になるが、巨大な設備投資を必要とする部門ではおのずからそのような前提は整えられてくる。また、独占により価格を維持するためにはある程度国内市場が閉鎖的にならなければならない。それは保護関税によって果される。また、対外的に市場を拡大するためには、この保護関税を利用しつつダンピングによって国際競争力を強めてゆくことになる。資本の側からいえば、こういう一連の金融資本的蓄積が積み上げられ、それが対外的な帝国主義政策へと展開してゆくのである。

 「労働力の包摂」をめぐっては資本側と労働者側との攻防、つまり労働運動の変遷の問題も重要だが、この問題は、もし必要が出てくれば、そのときに取り上げることにする。
ミニ経済学史(7)

古典派の時代(6)―K.マルクス(2)・マルクスの今日的意義

 マルクスがリカードから継承発展させた理論のもう一つが労働価値説であった。リカードの労働価値説を不徹底だった点を徹底させことによって搾取論が生まれたと言えるかもしれない。リカードの労働価値説の問題点を「リカード(1)」から転載すると次のようであった。

『このようにして決まる長期的な均衡価格を、リカードはスミスにならって「自然価格」と呼んだ。しかし、リカードの時代では自然価格と投下労働価値のズレせいぜい7%ぐらいだったという。従ってリカードは、以上の議論に関わらず、賃金問題の本質論を行う時は、投下労働価値通りの価格を想定して議論を行っている。』

 これに対して、マルクスはリカードの言う「自然価格」をキチンと計算して、それを「生産価格」と呼んだ。賃金も含む生産コストに、どこの部門でも同じくらいもうかる均等利潤率の分の利潤を足し上げて決まる価格のことである。そして、資本主義経済の市場で決まる諸事象をすべて生産価格を用いて解明していった。

 ここで一つ問題点がある。これまでの搾取論では投下労働価値価格で説明がされていた。その説明は生産価格を用いても通用するのだろうか、という問題である。この問題は「総計一致二命題」と言うそうだ。次のように説明されている。

「経済全体での全商品の総生産価格=総投下労働と、総利潤=総剰余労働とが同時に成り立つ。」

 マルクスのこの命題は成り立たないことが、1955年に置塩信雄という学者によって数学的に証明されたという。その結論は次のようである。
『価格が投下労働価値で決められても、生産価格で決められても、さらに言えば、他のどのよう根拠で決められても、利潤が出ていたらその背後に必ず労働の搾取がある。」

 これは「マルクスの基本定理」と呼ばれている。詳しく知りたいものとネット検索をしてみたら、なんと、この証明が松尾匡さんのホームページに転載されていた。線形代数の理論が用いられている。興味のある方はどうぞ。
「マルクスの基本定理」

 これによると、資本主義経済はどのように対等・公正な取引であっても必ず搾取がつきまとう、ということになる。では、搾取のない社会は可能なのだろうか。マルクスはどのように考えていたのだろうか。

 資本主義市場経済は、長いスパン見れば、社会全体のバランスのとれた仕事の配分とか、自由・対等・公正な人間関係とか、生産力の増大とか、世界の普遍化とかをもたらしてきた。これは資本主義の功績であり、資本主義の発展は次の新しい社会の基盤を用意しているととらえることができる。しかし、短いスパンで見たときの資本主義は、不均衡な景気の波とか、不正な弱肉強食とか、そんな正反対の歪曲がいつも起こっている。そして、マルクスの時代ではこの短期的な歪曲がどんどん高じてきて、労働者の置かれた状況は悲惨なものだった。

 エンゲルスに「イギリスにおける労働者階級の状態」という著作がある。教科書④はその著作には、リバプールの労働者の平均寿命が15歳だとか、マンチェスターの労働者の子供は57%以上が5歳にならないうちに死亡するとか、……等々が書かれていると紹介している。直接読んでみたいと思い、図書館検索をしてみたら、『マルクス・エンゲルス全集2』(大月書店)に収録されているのでそれを借りてきた。短い報告論文かと思っていたが、「著者自身の観察および確実な文献による」という副題が付けられていて、二段組みで300ページ近い分量の本格的な著作であった。この著作に「大都市」という章があり、大都市の工場労働者の惨状が具体的に克明に描かれている。この章の「まとめ」を引用しておこう。

 さて、最後に、これまで述べてきた事実を、もう一度簡単に要約しよう。

 大都市にはおもに労働者が住んでいる。この大都市では、ブルジョアー人にたいして、最良の場合で労働者二人、しばしばまた三人、あちこちでは四人の割合である。これらの労働者は、自分ではまったく財産というものをもたず、きまったように手から口に消えていく労賃で生活している。文字どおりの原子に解体した社会は、労働者たちのことなど考えもせず、労働者が自分自身とその家族の面倒をみるのは、労働者にまかせておきながら、こうした面倒を、有効かつ永続的にみることのできる手段を、労働者にはあたえないのである。したがって、どの労働者も、たとえもっとも恵まれた労働者でも、たえず失業、つまり餓死の危険にさらされているのであって、そして、多くの労働者が飢餓のために死ぬのである。

 労働者の住宅は、一般に配列が悪く、建て方が悪く、修理が悪く、通風が悪く、湿気が多くて不健康である。その居住者は、極度に小さな空間に詰めこまれていて、たいていは、一つの家族が一つの部屋で寝る。住宅内の設備は貧弱で、絶対に必要不可欠な家具さえまったくないというひどいものにいたるまで、その段階はいろいろある。

 労働者の衣服も、やはり一般に貧弱で、大多数はぼろぼろである。

 食物も一般にわるく、しばしばほとんど食えないようなしろもので、多くの場合、すくなくともときどきは量も不足するので、ひどいときには餓死することもある。

 このように大都市の労働者階級は、さまざまな段階の生活状態を示している ― いちばんうまくいった場合には、一時はまあまあわるくない生活ができ、激しい労働のかわりによい賃金や、よい住宅や、けっしてわるくない食物がえられる ― もちろん、すべて労働者の立場から見て、よいのであり、わるくないのである ― 最悪の場合には目もあてられない貧困に陥り、ついには浮浪人となり、餓死することにもなる。だが、平均してみると、最善の場合よりも最悪の場合のほうにはるかに近い。そしてこの段階は、たとえば固定した階級のようなものに簡単に区分されてはいない。そこで、労働者のうちこの部分はいい暮しをしているが、あの部分はひどいとか、またこのような状態はそのままつづくし、すでに以前から存在していた、というようなことは言えない。はっきり言えることは、たとえあちこちでこのような状態が実際にあるにしても、たとえ二、三の労働部門が全体として他の労働部門より上位にあるにしても、各部門内の労働者の状態も実際はなはだしく動揺しでいるので、どんな労働者でも、比較的気楽な状態と極端な欠乏、それどころか餓死とのあいだに存在する全段階を、ひとりひとり経験するようなこともおこりうるのである ― だからまた、ほとんどひとりひとりのイギリスのプロレタリアが、いちじるしい運命の移り変わりについて物語ることができるのである。いまやわれわれは、その原因をやや詳細に考察することにしよう。(岡茂男訳)

 さて、労働者をこのような状況に追い込む資本主義の短期的な歪曲をなくすにはどうしたらよいのだろうか。

 バブーフ、サン・シモン、ブランキなどは次のように考えた。
「国家権力を奪取して、産業を国有化する。そして、エリートが上から合理的に管理して、みんなに貧困のない平等な暮らしをもたらせばよい。」

 この方法ではその社会は一部の者の独裁社会に堕落するのは目に見えている。現在の私たちはソ連という恰好の悪例を示すことができる。しかし、ソ連の崩壊をもって「マルクス主義は終わった」としたり顔で論じる評論家や学者がいるが、ソ連はマルクスが描いた未来社会とはまるで異なる。マルクスは未来社会像を「アソシエーション(協同組合的社会)」と呼んでいた。また、アソシエーションへの移行の過程では「プロレタリア独裁」が必須だとも言っているが、ここで言う「独裁」も一般に流布されている通俗的な意味の「独裁」と同意味に誤解されている。これらの問題については、私は『アナーキズムについて』『ロシア革命の真相』『吉本隆明の「ユートピア論」』『「正義論」は「現実」とどう切り結ぶか』などで取り上げてきたのでここでは繰り返さないが、教科書④がとらえている「プロレタリア独裁」の意味を紹介しておこう。

 マルクスが「独裁」と言ってるのは当時のイギリスの立憲政治を念頭においた上での発語である。すなわち、当時のイギリスの立憲政治と正反対のものという意味を込めている。当時のイギリス政治は、慣習法が支配していて、内閣も議会も、勝手にそれを動かすことができなかった。いわばそれはしばりであり、政府は何もしてはいけないというような国家だった。マルクスはそれと正反対に、民意を民主的に反映した上で、何でも決めて意のままに実現できる国家という意味で、『独裁』と言った。

 現在では「プロレタリア独裁」という移行過程を経ずにアソシエーションへの移行が可能であることを示す試みが多く行われている。松尾さんのホームページに「用語解説:アソシエーション論」がある。そこではアソシエーション論の今日的意義も説かれている。松尾さんはアソシエーションへの移行の可能性を示す試みとしてNPO・NGO・協同組合を挙げている。私は「企業経営の社会主義化」と「企業経営の社会主義化・日本編」で企業の中にもそのような兆候が現れていることを指摘している。

 さて、最後に松尾さんのマルクス評価を紹介して、「古典派の時代」を終わろう。

 マルクスが提出してきた諸理論は理論的に完成していない。特に経済学についてはそうである。『資本論』で主に分析されているのは、長期均衡体系で、短期的な不均衡の分析は本格的には手がけられていなかった。ましてや、両者の間の関係の分析など、全然手つかずである。そしてその問題はその後も誰もやっていない。長期均衡体系を数学的に厳密に分析した研究や短期不均衡的体系を数学的に厳密に分析した研究はたくさんあるが、短期的な不均衡の動揺を長期的に平均したら、長期均衡体系が設定できるといったことを、数学モデルで厳密に説明することは、おそらくまだ誰もやっていないようだ。でもこれができない限り、マルクスの経済学の現代化は完成しない。

 現在、資本主義が19世紀当時に先祖帰りしていて、企業の都合だけで労働者が使い捨てられてる。保障もない低賃金で苦役に耐えるワーキングプアが増えている。正社員も過労死寸前までこき使われている……。このような状況を鑑みて、「マルクスの資本主義批判の視点をもう一度」とか「マルクス復活を」というような風潮が生まれているが、このような議論は、そのような議論で終わっている限り、無意味である。その議論で現在の問題が解決できるわけがない。

 マルクスを学んで一番わかることは、彼は体制をひっくり返そうという立場にいたにもかかわらず、当時の押しも押されぬ支配体制側の主流派経済学のリカード経済学を一生懸命勉強して、それをすっかり自分のものにして議論しているということである。そして、いろいろな社会問題を究明するのに、悪者探しをして不正な企みを暴こうなどという基本姿勢はとらなかった。あくまで原則は『経済学的発想』に立って、そんな問題がもたらされる、人為を離れた客観的仕組みを分析しようとした。そして、自分に先行する他人の議論を取り入れることに貪欲だった。しかも、そこに互いに対立する潮流があったとき、対立に目を奪われて片方だけについてもう片方を切り捨てるのではなく、中途半端な折衷をするのでもなく、両方ともを徹底的に検討して、ひとつの体系の中に総合しようとした。このようにしてそのときまでの人類の英知を総合したからこそ、巨大な影響力のある学説を作り出して、この世の中が少しでもましな方向に動くために貢献したのだった。

 今、資本主義の現状を批判している人達に、往々にして一番欠けているのは、こういう姿勢だと思う。だからこそ、まさにこの点において、今マルクスを学ぶ意義がある。

 以上が松尾さんのマルクス評価である。なお、松尾さんの著作の中に『「はだかの王様」の経済学:現代人のためのマルクス再入門』があった。いずれ読んでみようと思っている。
ミニ経済学史(6)

古典派の時代(5)―K.マルクス(1)・剰余労働と搾取

 マルクスについては多くの人が論じているので、マルクスには読書を通して度々出合ってきた。マルクス自身の著作物もいくつか読んだことがあり、マルクスについてはある程度予備知識を持っている。しかし、『資本論』はちょっとだけ拾い読みをした程度なので心許ない。初心に戻って、これまで通り教科書④に沿ってまとめることにする。

 まずはマルクス経済学のキーワードの確認から。

資本主義社会

 「資本主義」という概念はマルクスが使い始めたと言われているが、正確にはマルクスは「資本主義的生産様式」と言っている。以下では、一般に流布しているように、「資本主義的生産様式」という意味で「資本主義」という言葉を用いることにする。

 では、「資本主義社会」とはどのような社会だろうか。それはまずは「商品生産社会」である。教科書④の説明はとても分かりやすい。次のように説明している。

 社会全体が分業で成り立つようになって、例えば、パンばかり作る業者・靴ばかり作る業者・鉄ばかり作る業者……とかに分かれていく。しかし、それぞれの業者は世の中全体でパンがどれだけ必要か・靴がどれだけ必要か・鉄がどれだけ必要か……を知らないで仕事している。こういう社会では、とりあえず見込みで作ったものをあとから交換することになるが、その交換がスムーズにいくためには交換の仲立ちになるものが必要である。それが「貨幣(おカネ)」である。このような仕組みになると、おカネがないと自分に必要なものが手に入らないわけだから、みんなおカネもうけを目的にして仕事をするようになる。このような社会を「商品生産社会」という。

 しかし、資本主義社会は一人一人がみんな独立の自営業者であるというだけの「単純商品生産社会」ではない。スミスは主として単純商品生産社会をイメージしていたようだが、資本主義社会は単なる商品生産社会ではなく、「階級社会」でもある。この観点を明確に打ち出したことがマルクスの理論を一際輝かしいものにしている。

 言うまでもなく、資本主義社会だけが階級社会ではない。歴史上のどの国家も階級社会であった。資本主義社会は「商品生産社会」であり、かつ「階級社会」である点が際立った特徴となっている。つまり、資本主社会では資本家が支配階級であり、労働者(これも言うまでもなく、大学教授や勤務医なども労働者である)が被支配階級である。そして、どのような階級社会にも支配階級による被支配階級からの「搾取」があったように、資本主義社会にも歴然とした搾取がある。では、資本主義社会の搾取とはどういうものだろうか。

剰余労働

 商品生産社会での商品取引は建前としてはあくまでも「自由対等」である。現在のブラック企業のようなあからさまな不当搾取は置いて、資本主義社会の本質論として「搾取」をとらえると次のようになる。

 労働者は労働力を売って賃金を得る。これも一種の商品取引であり、賃金も対等公正に等価が支払われることになっている。つまり、労働の正当な見返りが賃金であり、出資の正当な見返りが企業(資本家)の利潤とみなされている。しかし、実際にはこの取引は等価交換にはなっていない。なぜか。

 労働者は食事や衣服などの生活物資を使って売るための労働力を生産している。そこで消費されている生活物資を作るのにかかった労働量と等価に賃金が払われていれば、公正な等価交換と言える。しかし、資本家に雇われて働く労働者が提供する実際の労働量はその等価交換とはまったく別ものである。労働者は労働力を作る生活物資を生産するのにかかってる労働量よりもずっと多くの労働量で働かされている。その余分に働かされた労働をマルクスは「剰余労働」と呼んでいる。資本家の利潤とは労働者から搾取した剰余労働のことである。そして、資本家はこの利潤で新しい投資をしたり、自分の贅沢を満たしたりなど、いろいろ好きに用いることができるが、本来それを生み出した労働者は、その使い道に一切口を出すことができない。これが資本主義社会における搾取の正体である。

 しかし、「搾取」は次の例のように誤解されていて、この誤解が一般に流布しているようである。

プルードン
 大資本の利潤は不等価交換でだまし取ってきたものであり、「財産は盗みだ」。
デューリング
 この世の不正の基本は、強者が弱者を力で食い物にするモデルで説明できる。資本主義の利潤も、買い手の足下を見て供給を抑えて値段をつり上げることから生まれる。

 このような見解は現実から拾い集めた断片を本質と誤解したものである。だまし取るような詐欺的取引も、価格つり上げも、弱肉強食もいっぱいあり、いつも誰かが必ずやっていることかもしれないが、一時的な現象であり長続きはしない。市場経済においては競争が働く以上、長い目で見れば、特別にトクする者もいないしソンする者もいない。結局、対等公正な取引が残る。使用価値で見れば、取引当事者双方ともにトクをする。

 マルクスの搾取論はひとつの会社のなかで利潤と賃金の取り合いをするとか、自営業の職人が大企業に製品を買いたたかれるとか、そんなレベルの議論をしているのではない。稼働している社会全体の労働のうち、どれだけの割合が労働者向けの商品の生産に関わり、どれだけの割合が資本家向けの商品の生産に関わっているのか、その割合がどう変化するかという問題を論じている。これを考えるには、リカードの古典派経済学の考え方を踏襲しなければならない。マルクスはリカードを徹底的に勉強して、それを引き継ぎ、その矛盾した所を正して筋を通して完成させたのだった。

 「ミニ経済学史(1)」ではリカードを「市場肯定派」に、マルクスを「市場批判派」に分類したが、マルクスは長期的なスパンではスミスやリカードと同じく市場メカニズムの働きを認めている。では、リカードとマルクスの違いは何処にあるのだろうか。市場メカニズムとはおおよそ次のような仕組みのことである。

 資本主義市場経済では、あるときは景気が過熱して全般的に需要超過(品不足)となったり、別のときには恐慌の落ち込んで供給超過(売れ残り)になったり、あるいはあるときにはある業界が儲かるけど別のときにはまた別の業界が儲かる、というような変動を延々繰り返している。しかし、長期的なスパンでは、売れ残りも品不足も相殺されて、部門ごとの儲かりかたの違いも相殺されて、世の中の欲求と生産がつりあった均衡が実現されることになる。

 しかし、この均衡はあくまでも変動の平均であり、ある時点でスムーズに落ち着いた先というわけではない。現実にはどの瞬間にも均衡していることなどない。永遠に均衡に落ち着くことはない。マルクスは、長いスパンで見た均衡ではなく、現実の好不況の変動場面を研究対象にしている。この場合は、スミスやリカードの経済学は無力である。

(ここで私の感想。私は度々、スミスやリカードが用いている論理のことを「風が吹けば桶屋が儲かる」的理屈と書いたが、このことが念頭にあって出てきた言葉だった。)

 さて、「搾取」に戻ろう。
 恐ろしいことに、資本主義社会は対等公正な取引において誰の悪意でもない搾取が生まれるシステムなのだ。誰の悪意でも陰謀でもなくて、いつの間にか物価が上がって搾取が高まっているということもある。例えば、資本家がみんな慈悲深くなって、費用を除いた収入をみんな賃金にして労働者に分配したとしよう。つまり、搾取をゼロにした。その状況で資本家達が銀行から借金して新しい工場を建て始めたとする。機械や工場を作る労働者が増えるのだから、彼らの食べる消費財の分をなんとかしなければならなくなる。そのためには、消費財を作っている労働者が余計に働くことになるか、労働者各自が自らが手にする消費財の量を減らすか、そのどちらかを選ぶことになる。なんのことはない、労働者みんなに搾取が発生してしまう。別に、賃金をケチるだけが搾取なのではない。

(「対等公正な取引において誰の悪意でもない搾取が生まれる」例として、実は私は上の例の論理を納得していない。もっと適切な説明がないものだろうか。)