2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(159)



「古代の推定人口」異論(1)


 『「倭人伝」の戸数問題(6)』で、
『「戸数=人口」という仮説を検討してみようと思う。なにか進展があれば次回に。』
と書いたまま、『「倭人伝」の戸数問題』を中途半端な形で放置して、二ヶ月ほども経ってしまった。

 さて、ずいぶん色々と考えてみたが、一大国と不弥国の戸数が3000許家・1000余家と「家」が用いられていて「戸」と「家」がはっきりと使い分けられている。「戸数=人口」という仮説には、このこととの整合性がなく、受け入れ難いと思うにいたった。もう一度、古田氏が言う「はじめから終わりまで陳寿を信じ切ったらどうなるか」という原点に立ちかえってみようと思う。つまり、種々流布されている「古代の推定人口」を疑うことになる。(以下は網野善彦著①『日本の歴史をよみなおす』、②『「日本」とは何か』を教科書にしている。直接の引用文には①・②記号を付してその出典を示すことにする。)

 「水呑百姓」という言葉がある。「広辞苑」に
「田畑を所有しない貧しい小作または日雇いの農民。無高(むたか)百姓。水呑み。⇔本(ほん)百姓」
とある通り、私はずっとそのような意の言葉と理解してきた。『古事記』『日本書紀』『風土記』では「百姓」は「おおみたから」と訓まれていて一般人民を指しているが、何時からか「百姓=農民」という通念が出来上がっていて、私もその疑いもなく受け入れていたのだった。しかし「水呑百姓=貧農」というのはとんでもない誤解であることを知った。

 「水呑」という呼称は江戸時代に天領(幕府の直轄地)で用いられた呼称であり、それが一般化されたが、実際には地域によって異なる呼称が用いられていた。例えば
前田藩
 加賀・能登・越中…頭振(あたまふり)
 越前…雑家(ぞうけ)
萩藩…門男(亡土 もうと)
伊豆…無田
隠岐…間脇(まわき)
 これらの呼称について網野氏は次のように解説している(②)。

隠岐では「間脇」といわれたが、「間人(もうと)」は中世では新たに移住してきたものをさす語、「脇」は「本」に対して下位の存在、「雑」も同じく消極的な意味を持っている。「無田」は無高を直截に表現しているが、「水呑」「頭振」の語義はいまのところあきらかでない。これらの言葉については今後さらに各地域に即して蒐集につとめ、語義を考えてみる必要があるが、いずれにせよこれらの語がマイナス評価を含んでいることは間違いなく、そこに江戸時代の石高中心の制度「農本主義」が作用していることは明白といってよかろう。

 この江戸時代に顕著な「農本主義」は、言うまでもなく、8世紀の「班田収授法」から連綿と引き継がれてきたものである。

 さて、「水呑」である。網野氏は、時国家に残された文書の検討を通して、これまで流布されていた「時国家」観がまったくの間違いだと言うことを思い知らされる。(②)

 われわれは、これまで中世的・後進的の典型とされてきた百姓時国家が、すでに元和4(1618)年に松前まで行って昆布を買い付け、京都・大坂に運んで売却する廻船交易を行う一方、広大な塩浜を経営して製塩を手広く行い、これを能代などの北方に運び交易していたことを文書を通して知り、さらにやはり元和のころ、同家が鉛山の開発を前田家に申請している文書を上時国家で新たに見出した。それまでの「豪農」時国家のイメージは音をたてて崩れ、新たに日本海交易に積極的に乗り出す多角的企業家時国家の姿が浮び上ってきたのである。

 しかも本来の時国家は現在の上下両家のように、山を背にして前に田地のある家ではなく、町野川の川沿いに、恐らく中世後期以来の270平方間、間口約50メートルといわれるほどの巨大な家屋と多くの蔵を持ち、町野川の水運とその河口の潟湖を通じて、日本海交通と深く関わっていたこともあきらかになってきた。

 さらに同じ時期に、そうした巨大な時国家の負った借金百両の返済を援助するほどに富裕であり、柴草屋という屋号を持ち、港に根拠を持つ廻船商人が、なんと「頭振」 ― 前田領における無高民、「水呑」に位置づけられていることを文書によって確認したとき、われわれは文字通り、目を見はり、驚愕した。泉雅博氏はこれにつづいて万治2(1659)年の文書に名前を連ねた「頭振」たちの中に、やはり京屋弥五兵衛と吉兵衛という廻船人のいたことを明らかにしており(「能登と廻船交易」『海と列島文化1 日本海と北国文化』小学館、1990年)、「頭振」「水呑」はけっしてそのすべてが貧しい農民などではなく、その中には田畑をまったく持つ必要のないきわめて裕福な商人、職人、廻船人も少なからずいたことを、われわれはこのときはじめて明確に知ったのである。


(次の引用文は①からです。)

その後(時国家の文書検討後)、意識的に、豊かな「水呑」、非農業民の百姓を追究してみようということになり、一緒に時国家の調査をしている跡見学園女子大学の泉雅博さんは、享保20年(1735)の鳳至(ふげし)・珠洲(すず)両郡の前田家領の村々について、百姓と頭振(水呑)の家数、村高、税率を全部書き上げたおもしろい史料によって、両郡の村ごとの頭振の全戸数にたいする比率を調査されました(「近世北陸における無高民の存在形態―頭振について―」「史学雑誌」101編1号)。

 その結果、奥能登最大の都市、輪島(河井町・鳳至町村)は、総戸数621軒で、おそらく人口は数千人の大きな都市ですが、その家数の71%が頭振だったという興味深い事実が明らかになりました。そして残りの29%の百姓の平均持高は、田畑4.5反ほどに相当する4.5石でしかないこともわかりました。

 また時国家が船入りと屋敷を持っていた内浦の宇出津も大きな都市で、総戸数433軒におよぶのですが、頭振(水呑)は、76%という非常な高率をしめていることもわかったのです。

能登の頭振
(②より転載した。)

 このように、輪島や宇出津のような海辺の都市のほか、飯田、甲(かぶと)、波並(はなみ)のような多くの家が集中している都市的な集落も、頭振の比率がきわめて高いことが統計的にもはっきりと確認できました。もしも、百姓は農民、水呑は貧農というこれまでの常識に従いますと、輪島は極度に貧しい村になってしまいます。4.5反ぐらいしか土地を持だない百姓が29%、水呑百姓が71%もいるのですから。宇出津の場合はもっと貧しいことになりますが、この常識がまったく間違いであることは、事実そのものが明白に証明してくれました。

 輪島の71%の頭振(水呑)の中には、漆器職人、素麺職人、さらにそれらの販売にたずさわる大商人、あるいは北前船を持つ廻船人などがたくさんいたことは間違いないところですし、百姓の中にも、輪島の有力な商人がいたことも明らかなのです。先ほどもふれましたように、輪島の頭振(水呑)の中には、土地を持てない人ではなくて、土地を持つ必要のない人がたくさんいたことは明白といってよいのです。とすると、百姓を農民、水呑を貧農と思いこんだために、われわれはこれまで深刻な誤りをおかしてきたことになります。

 このような事例は決して能登だけのものではない。網野氏は他の例も取り上げているが、ここでは割愛する。

 「百姓=農民」という通念は日本の歴史学全体を呪縛しているようだ。網野氏は「百姓=農民」という通念にとらわれている従来の歴史像の再考を提言している(①)。

 これまでの歴史研究者は百姓を農民と思いこんで史料を読んでいましたので、歴史家が世の中に提供していた歴史像が、非常にゆがんだものになってしまっていたことは、疑いありません。これは江戸時代だけでなく中世でも同じですし、古代にさかのぼってもまったく同様です。百姓は決して農民と同じ意味ではなく、農業以外の生業を主として営む人々 ― 非農業民を非常に数多くふくんでいることを、われわれはまず確認した上で、日本の社会をもう一度考えなおさなくてはならないと思います。

 網野氏は「古代にさかのぼってもまったく同様」と述べている。次回は、引き続き網野氏の著書を頼りに、縄文時代から奈良時代までの社会像を再検討してみよう。
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今日の話題



アベコベミクス政権と待機児童問題


 前回、現政権をアベコベミクス政権と命名したが、そのアベコベ政策を、私たちの生活に直結する経済・労働問題にしぼって具体的にまとめておこう。(「五十嵐仁の転成仁語」の論攷「総選挙後の政治情勢をどうみるか-その3」)が大変分かりやすく分析しているので、これを利用させていただく。)

 五十嵐氏は現政権の本質を次のように厳しく批判している。

 第2次安倍政権の主要幹部は、いずれも失敗した人たちばかりである。安倍首相は前回、任期途中で政権を投げ出した。副総理の麻生太郎元首相は総選挙で惨敗して民主党に政権を譲った。法相になった谷垣禎一前総裁は総裁選挙に立候補できずにその座を追われた。いずれも挫折した人々であり、「敗残者の群れ」が第2次安倍政権なのである。

 しかも、このような失敗の背景には政策的な行き詰まりがあった。それにもかかわらず、過去の政策に対する反省もなければ発展もない。官僚主導型利益誘導政治という古い自民党の失敗と、その自民党をぶっ壊すとした新自由主義的「構造改革」という新しい自民党の失敗を重ね合わせた「ワーストミックス」が安倍新政権の政策的骨格となっている。全く整合性のないこのような政策では成功するはずがない。

 以下、アベコベ振りを列挙しよう。

 家計消費支出が08年から4年連続のマイナスになっている。これを改善する施策は全く出てこない。アベコベに消費税率を引き上げようとしているのである。これでは消費支出が増えるはずがない。それどころか、次のような弊害が出てくるだろう。(「田中龍作ジャーナル」の「消費税増税にNO 「自殺者5万人に増える」指摘も」より引用)

 消費税の特質は冒頭でも述べたように貧乏人ほど重くのしかかってくることだ。反貧困ネットワーク代表理事の宇都宮健児弁護士が指摘する―

「消費税は貧困と格差を拡大する。消費税よりも金持ち層への増税で所得を再分配すること。消費税増税は低所得者に2重苦、3重苦を強いる」。

 ジャーナリストの斎藤貴男さんは「今は3万人を割っているが、消費税が増税されたら自殺者は5万人になるだろう」とみる。食べて行けなくなり、生活保護も受給できなくなったら、人間は死ぬしかないのである。

 デフレ脱却には、収入が増えて義務的な支出が減るような施策が必要である。可処分所得が増え、内需が拡大すれば景気は良くなるだろう。これとはアベコベに、アベコベ政権はデフレからの脱却と称して金融緩和という紙幣の増刷をしようとしている。景気が良くなるとはしゃいでいるのは投資家だけである。この施策は、むしろ、実体経済を壊滅的に弱体化するリスクがある。

 このことに関して、地球座というサイトでブダペスト在住の経済学者・盛田常夫氏の論文「目先の損得に一喜一憂する愚かさ」に出会った。経済には(にも、と言うべきか)全く疎い私にもとても役に立つ論理明晰な論文だ。そこから引用しよう。

 経済記事や株式・為替相場で良く使う言葉に、「市場が反応する」という表現がある。あたかも日本経済の市場全体が、ひとまとめに反応しているような表現だが、この「市場」は「金融市場」のこと。しかし、金融市場だけで国民経済が動いているわけではない。実物経済市場は金融市場とはまったく別のメカニズムで動いている。実物経済の一面は金融市場に反映されるにしても、ほんの一部にすぎない。なぜなら、金融市場で日常的に動いているお金は余剰資金や「あぶく銭」で、しかも巨額の「あぶく銭」の動向が証券や為替の相場に影響を与えているが、「あぶく銭」は実物経済とはほとんど無関係に動いているからだ。

(中略)

 円安の進行や株式市場の上昇を見て、「やはり経済は期待で動く」と主流派経済学の正しさを主張するエコノミストは多いが、それは金融市場だけに通用する話。製造業や消費者が「将来期待」で動くと想定するのは現実を無視した分析。金融市場の論理を国民経済全体のメカニズムにまで普遍化して、「期待」で経済行動を説明するのは間違い。だから、専門外の学者に、「経済学はニュートン力学以前」と軽んじられる。製造業の実態も知らないで、目に見える金融市場の動きだけを見て国民経済全体を語る経済学者は「群盲象」の類だ。これこそ主流派経済学が現実経済の分析に無力な理由だ。実物経済は金融経済の論理で動く世界ではない。製造業復活の戦略もないのに、通貨量だけを増やせば、悪性インフレになるだけだ。

 以上のようなアベコベ政策を阻止するには次の参議院選で鉄槌を下すしかないだろう。五十嵐氏は次のようにまとめている。

 生活苦の増大→消費の減少→国内市場の縮小→景気悪化→生活苦の増大というデフレスパイラルを逆転させることが喫緊の課題になっている。それによって、積極的な雇用創出→賃上げ・時短→可処分所得・自由時間の増大→消費の増大→景気の拡大という「天国の循環」を実現しなければならない。

 せっかくの総選挙であったにもかかわらず、生活を守れるような政権を実現できなかった。その課題を自ら引き受け、自衛するしかない。さし当たり、春闘での賃金引き上げ、消費税増税の阻止、福祉・雇用の安定と働くルールの確立と順守をめざすべきであろう。

 ところで、3月から4月にかけて東京新聞が待機児童問題を精力的に取り上げていた。私の身近にも待機児童問題を背負っている若い夫婦がいるので、他人事ならぬ思いで記事を読んだ。

 政治家は少子化問題を憂えてみせるけど、何ら有効な政策も打ち出せないでいる。結婚もできないような低賃金の歯止めや企業の一方的な解雇の禁止などとともに育児支援の充実こそが少子化問題解決の要である。ところが前回に触れたように、アベコベに産業競争力会議・規制改革会議が、サラリーマン全員をアルバイトにするような首切り法案を画策しているという。

 育児支援については保育所の充実のほかに、希望者には3歳まで育児休業を認める制度が必要だと考えていた。ただし、1年で職場復帰したら、居場所がなくなっていたとか、さまざまなパワハラを受けて退職に追い込まれたといった報道を度々目にする。不良企業の体質が変わらなければ新たな問題を引き起こしかねない。私は常々このように考えていたところ、なんとアベコベ首相が「3年間の育児休業」を主張し始めた。東京新聞(18日付夕刊)から転載する。

首相「育休3歳まで延長」
 待機児童5年でゼロに

 安倍晋三首相は18日午前の民放番組で、女性の雇用環境を改善するため、育児休業が取得できる期間を現行の育児・介護休業法が定める最長1歳6ヵ月までから3歳までに延長する考えを明らかにした。

 首相は、女性が働きやすい環境の整備を「成長戦略の中心的な柱だ」と強調。育休については「3年間は子どもを抱っこし放題してもらい、3年後からはちゃんと会社に戻れるように支援したい」と延長の必要性を強調した。保育所の待機児童数についても「5年間でゼロを目指していきたい」と指摘。具体的な対策として、全国ワーストの待機児童数を3年で解消した横浜市の手法を全国で生かすことを挙げた。

 この言や良し、といいたい所だが、果して実行できるかが問題だ。11年度の都知事選で東京新聞が候補者へのアンケートを行っている。
「共働き世帯の増加で保育園の待機児童が増えるなど、子育て環境の充実が求められている。子育て支援にどう取り組むか。」
という問に対して石原は次のように回答をしている。
『待機児童の解消、新生児集中治療室(NICU)の増床など、「少子化打破緊急3か年事業」を強力に前進させる。妊娠・出産・小児医療をさらに充実させるとともに、すべての子育て家庭のニーズにサービス選択で応える「ベビー東京・キッズ東京」を創設し、子育て世代を強力にバックアップしていく。』
 虚言もいいとこ、ほとんど何もやらずに任期半ばで職務を放り出した。東京は相変わらず待機児童がわんさかいる。オリンピック招致に使った税金を子育て支援に使っていれば待機児童問題はとうに解決しているはずだ。

 また、首相は横浜市の成功例を取り上げているが、今横浜市は保育所は充実したけれども、保育士不足で悩んでいる。仕事の重要さに見合った待遇(勤務条件や賃金)が行われていないからだ。この面の改善施策も同時に行われなければならない。『保育士確保厳しく 「認可園」拡充したけど』(東京新聞4月3日付け朝刊)から引用しよう。

 待機児童の多い自治体を対象に、厚生労働省が行った2011年度の調査では、8割が「保育士不足」と答えている。保育ニーズの高まりに逆行して、保育士不足に拍車をかけている背景には待遇の悪さがある。

 民間の認可保育所の場合、国や自治体から支出される運営費に、保育士の人件費も含まれている。だが、国の基準に基づく給与水準は十分とは言い難い。12年の国の賃金構造基本統計調査によると、民間保育士の平均給与は月約21万円。全業種平均の約33万円を大きく下回る。

 待遇面から長続きしない人も多く、保育の質にかかわってくる。

 国は今月から、待遇改善策として民間保育所に勤める保育士の給与を引き上げる。試算では最大月8000円程度の上積みとなる。

 全国福祉保育労働組合(東京)の澤村直(ただし)副委員長は「待遇改善は前進したとはいえ、金額的、制度的にまだ不十分。今の労働条件のままなら、いくら器を増やしても保育士は増えない」と指摘する。

 今日の東京新聞朝刊に「3年間の育児体業」に対する読者の声が報道されていた。

 安倍晋三首相が19日、経済団体に要請した「3年間の育児体業」。選択肢の一つとして評価する声がある一方「長い育休より、復帰後の細やかな支援を」との意見も多い。

 横浜市の教員女性(40)は、次女(二つ)出産の際、2年間育児休業を取った。「たっぷり一緒にいられて良かった。3年取りたい人が取れるようにするのは賛成」と話す。

 6歳になる双子の男児を出産し、2年半休業した東京都世田谷区の看護師女性(43)は「勘を取り戻すのに苦労した」。会社員女性(35)も「IT系は3年もブランクがあるとついていけなくなるし、収入が減って家計も困る」と話す。

 男児2人を育てる横浜市の派遣社員女性(36)は「育休を延ばすより、時短勤務を小学6年まで使えるようにしたり、学童保育を増やしたりしてほしい」と訴える。

 「堂々と育休を取りやすいのは正規職員。雇用形態による格差を解消することも必要」と指摘するのは、さいたま市の専門職女性(41)だ。

 企業は新たな課題を突き付けられた。大手の多くでは休業関連の整備が一段落し、子育て中の女性を戦力化する施策が最近の課題だ。あるメーカーの人事担当者は「今はどうしたら早く復職してもらえるかを議論しているのに」と当惑する。

 首相は、女性の役員登用も経済界に要請したが、大手商社の人事担当者は「休業が長いと戦力に復帰しづらくなり、女性役員の育成と矛盾している」と指摘した。

 母子保健の現状に詳しい助産師の吉田敦子さん(52)は「今の子育て世代は、インターネットに依存し地域とのつながりが薄く、長い育休をとっても親子だけで孤立しがちだ。育児が楽しめる人ばかりではない。『三年間抱っこし放題』より、いろんな人に抱っこされる環境が必要では」と話している。

 それぞれもっともな意見だと思う。こうした当事者たちの声に応える柔軟で真に「人にやさしい」政策を立て実行するのは、不良企業が不良のままでは難しいだろう。そして、不良企業の優良企業化は不可能だろう。アベコベミクス政権は「人にやさしい」とはアベコベで「財界にやさしい」のだから。
企業経営の社会主義化・日本編(9)



「はじめに」と「プロローグ」から


 最後にまとめとして『日本でいちばん大切にしたい会社3』の「はじめに」と「プロローグ」の文章を紹介しよう。

 坂本氏は「はじめに」で「企業関係者がとりわけ大切にしなければならない」例の5人の人を指摘して、次のように続けている。

 ところが現実には、多くの経営者が、業績重視・成長重視・シェア重視・ランキング重視といった、間違った経営をしているようにみえます。業績や成長は正しい経営を行っているかどうかの結果の現象であり、目的にしてはならないのです。

 結果の現象を目的にする結果、前述の五人を、特に一人目から四人目の人々を苦しめてしまっているのが、今という時代です。このことは、うつ病等の精神障がい者の激増や、自殺者の増加、離職者の増加などを見てもよくわかります。

 そのように多くの企業が業績や成長を追い求めている一方で、赤字企業比率は年々増加し、実に三社に二社が赤字に陥ってしまっています。このことからさらなる景気対策を求める声が高まっていますが、私はそうした見方・考え方には賛同できません。本質的な問題は、別のところにあるからです。

 私はこれまでおよそ40年間、全国各地の約6500社の中小企業を訪問し、その経営の現場をただひたすら見てきました。そしてそのうちのおよそ一割の企業は、好不況にかかわらず、その業績がほとんどぶれていないことに気がつきました。それも、売上高対経常利益率で見ると、長期にわたって5パーセント前後以上を持続しているのです。なかには50年以上連続増収増益で売上高経常利益率は10パーセント以上という企業や、40年間、売上高経常利益率が20パーセント以上といった驚くべき企業もありました。それらの企業は、景気を超越し、景気を創造していたのです。つまり、景気は関係なかったのです。

 そこで、こうした企業をハード面・ソフト面から詳細に調査研究してみると、いくつかの共通する特長があることがわかります。その最たる共通項とは、「人間尊重経営」「人本経営」、つまり人を大切にする、人のしあわせを念じた経営が貫かれていることでした。これらの企業は、社員へのリストラはもとより、仕入先・外注企業などに理不尽なコストダウン要求をしたことが一度もありません。顧客のリピーター率もきわめて高く、お客が全国各地からわざわざ追いかけてくる状態です。また、障がい者や高齢者も多数雇用し、彼ら、彼女らが、健常者と一緒に元気に働いている企業でした。

 これらの企業は、人間尊重の経営、どこまでも人を大切にする経営を追求してきた結果として、高い、ぶれない利益を生み出してきていたのです。

 坂本氏の著作に学んで氏に感謝の手紙を届ける人がたくさんいるそうだ。氏は「プロローグ」でそのうちの3通を紹介している。その1通目の「日本の大手メーカーのアメリカの生産子会社の社長さんからのもの」が大変感動的なので、その感動を是非多くの人と共有したくなった。少し長いが全文転載しよう。

 私はアメリカ・インディアナ州在住の○○と申します。日本の惨状を拝見し、何もできない自分に歯がゆさを覚えながら、一方で着々と進む復興に日本の底力を感じております。
 さて、大変ぶしつけでありますが、日経新聞等で先生の記事を拝読し、メールさせていただきました。
 実は昨年11月末にビザの更新で帰国した際に、書店で先生の著書『日本でいちばん大切にしたい会社』や『経営者の手帳』を買い求めました。私が実践したかったことが本の中に凝縮されており、常に私のデスクに置いて、日々の会社運営の参考にしております。

 弊社はアメリカ○○州にある日系の鋳物製造会社です。従業員数は現在400名です。昨年一月までは日本の別会社がオーナーでしたが、そこの伝統で「従業員は使用人。代わりはいくらでもいる」という考えが根底にありました。
 私が昨年一月末に再建社長として単身派遣されたときには、従業員の心は荒れ果て、毎日のようにケガが起こり、スクラップは5パ-セント、生産性も上がらす、当然赤字垂れ流しの状態でした。さらに離職率は実に40パ-セントを超えており、5人に2人が辞めていくありさまでした。
 赴任初日に全員を前にあいさつしようとしたとき、床に座った従業員たちの上目づかいで刺すような視線を感じ、正直頭の中が真っ白になりました。「生産は続ける。安全と品質に留意し、協力してほしい」と私なりに精いっぱいの英語でスピーチする、全員が立ち上がり、それまでの厳しい視線から一転、歓迎ムードになりました。
 彼らは、自分たちは全員解雇されるものと考えていたことを後から聞きました。そのとき、「この人たちと家族をなんとしてもしあわせにしたい」と心から思ったのです。
 それから、まずはアメリカ人の人事部長と徹底的に話をし、日本でいう長期雇用をめざした労務政策を打ちたいことを理解してもらいました。そして従業員との対話、それも現場の管理職との昼食懇談から始めました。
 出て来る、出て来る、不満や不安の大爆発です。日本でいう「3K職場」、こちらでは「4D職場」(Dangerous,Dirty,Difficult,Dark)と私は名づけました。危険だし、汚いし、大変な作業だし、暗いし、これで不満なく働けというのが無理な職場でした。それに対して、これまでの経営陣は「儲かっていない」ことを理由に、いっさい環境対策をしてこなかったのです。
 私はすぐに天井に大型のファンを、また溶解炉近くにはスポットクーラーを設置、さらに、各職場に冷水器も導入しました。
 またある日、週一回の全体ミーティングで調査をしました。「今朝、食事をしてきた人、手を上げて!」と私は質問しました。手が上がったのはわずか6、7人でした。
 実は、会社内で弁当が盗まれる事件が続出していました。そこで、「もしかすると、この人たちは朝食をとっていないのかもしれない」と思ったのです。
 弊社のある街は人□が5000人、これといった産業があるわけでもなく、働ける人はまだよいほうで、生活水準がきわめて低いのです。
 弊社の従業員の7割は地元の住民ですが、住む家はトレーラーハウス、車もドアやフェンダーの色が違ったりバンパーがなかったりなどの古いもので、大変貧しいのです。
 そこで私は少しでも従業員のお腹を満たしてあげたいと思い、人事部長に「就業前や休憩時間にサッと食べることができて、栄養のあるものはないか?」と尋ねました。人事部長は「バナナだ」と答えてくれました。
 私は人事部長にお願いをし、試しに食堂に無料でバナナを置いてみました。
 案の定、すぐになくなりました。
 そこで私は人事部長に、「箱ごと置けばいい」と提案したのですが、「持ち帰る人がいるので、それはやめたほうがいい」と反対されました。私は「それでもいいから、まずは出してくれ」と頼みました。
 次の日の夕方、食堂近くを通りかかると、何人かがバナナをポケットに入れているのを目にしました。「人事部長が言った通りか……」と裏切られた思いになりました。
 しかし、何の気なしに、部屋の窓から外を見ると、駐車場に彼らを迎えに来ている家族の車の中から子どもが出てきて、お父さんと「ハグ」、そしてその子どもに何か言いながら、ポケットのバナナを渡している光景を見たのです。私は、その睦まじい光景を見て、バナナを出してよかったと心が満たされました。
 次の日の夕方、人事部長を誘い、食堂の近くで、帰宅する従業員の様子を見ていました。従業員がポケットにバナナを入れる光景を見た人事部長は、私に「ミスター○○、私が言った通りだろう」と勝ち誇ったように言いました。
 私は人事部長を窓際に連れて行き、「まあ、もう少し見ていてごらん……」と言いました。そして前の日と同じ光景を見たのです。
 人事部長の目には涙があふれ、そして一言、「ミスター○○の言っていることの意味がよくわかった。明日からバナナだけではなく、リンゴとオレンジも出していいか……」とまで言ってくれたのです。
 次の日からは、リンゴとオレンジも、カゴに入れて置かれるようになりました。それ以降、弁当が盗まれることもなくなりましたし、倒れる人も激減しました。
 それからしばらくして、トマトとキュウリが食堂のテーブルの上に置かれているのを見ました。不思議に思って、人事部長に「メニュー増やしたの?」と聞きました。すると人事部長が「あれは従業員の○○が家で採れたのを持ってきたんだ……」と言うのです。
 私は何だかうれしくなって、すぐに現場へ行き、持ってきてくれた○○と握手をしました。そのとき彼は、「われわれは、あなたが、自分たち家族のことを考えていろいろやってくれていることに感謝している。あなたは最高のボスた……」と言ってくれました。私は涙があふれ出てきました。
 私のつたないブロークン・イングリッシユたけでは十分真意が伝わりにくいので、毎週「社長メッセージ」という形で、従業員に発信を続けています。その内容は先生の著書からキ-ワードをかなり拝借しております。おかげさまで、業績も夏から黒字に転換、利益を還元すべく、従業員の給料も10パ-セント程度上げ、年末には少しでしたがボーナスも出すことができました。
 10月以降は離職率がなんと2パーセントに激減、そうなると品質、生産性ともに上昇し、利益体質に転換することができたのです。

 長々と雑駁なメールになってしまいましたが、私が一番申し上げたかったことは、先生のお考えは日本だけでなく、アメリカでも通用する、いやむしろ義理人情に厚いアメリカでこそ、成果が上がるのではないかということです。
 これからも先生のお考えをベースに、この会社の従業員と家族のしあわせを追求していきたいと思っております。
 日本で被災された人々の心が癒されること、そして一日も早い復興がなされることを、遠いアメリカから、心から祈念しています。時節柄どうかご自愛のほどを。
 一足早い、満開の桜の写真を添付いたします。

 「人を大切にする」経営理念をもつ社長を得て、社員たちは生き返ったようだ。それにしてもそれ以前の労働条件のひどいこと。1%の貪欲を満たすために奴隷並みの扱いを受けている99%を象徴するような有様だった。

 これは他人事ではない。小泉・竹中が導入したアメリカ式新自由主義が日本の労働者をもとんでもない状況に追い込んでいる。厚生労働省の発表(2011年)によると、1800万人(全労働者の3割)が有期契約労働者だという。そして、彼らの74%は年収200万円以下なのだ。

 言うことやること全てアベコベミクス政権はこのような悪政を改めるどころか、産業競争力会議とか規制改革会議などという経団連の代弁者で構成される会議が労働者搾取をさらに過酷にするようなことを議論しているという。日刊ゲンダイが「サラリーマンは全員アルバイトになる 首切り法案 戦慄の中身と進行状況」という記事(4月16日付)で取り上げている。その中から、山井和則衆院議員(民主党)のコメントを転載しておこう。

「結局、この内閣は大企業のための内閣なのですよ。産業競争力会議に入っているのは経営者だけですからね。甘利大臣は労働問題を話し合うときは労働者の代表を入れるべきだ、と言っていましたが、だったら、すぐにやって欲しい。それをやらずに解雇のルールづくりを話し合っている。いまは慎重答弁ですが、参院選が終わったら、首切り自由な国になってしまう可能性があります」
企業経営の社会主義化・日本編(8)



株式会社沖縄教育出版(2)


 目次に「まるで大学? 委員会&サークル活動」とあるように、この活動もじつにユニークだ。「会社をよくしていこう。活発で元気な、小学校みたいな会社をつくろう」という趣旨のもとに行われている。坂本氏は「それが社内の活発な提案や改善活動の場として、また社員同士のコミュニケーションの場として、大切な役割を果たしているのです」と絶賛している。次のような委員会・サークルがある。

●イベント委員会
 バザーや誕生日会、ビーチパーティーなどの社内イベントを考えています。

●ECO委員会
 毎月一回、企画を交えながら海でのごみ拾いなど、みんなで楽しくエコ活動を行っています。

●教養委員会
 毎月、お客様へのご挨拶文や、沖縄の情報の発信を行っています。

●TPM委員会
 社内の備品関係の定時配置を行います。どの机の中身も同じにするなど、誰でも場所がわかるしくみをつくっています。

●社内報(POCO)委員会
 社員の顔が見える社内報をテーマに、社員の家族が楽しみに待っている社内報をつくっています。

●ありがとう委員会

 社員同士の「ありがとう」を増やすための活動を行っています。ありがとうカードに日頃の「ありがとう」を書いて相手の方に贈ったり、「ありがとうマネー」という社内通貨も発行しています。

●花花委員会
 社内の花や植物の世話を行い、緑の多い職場づくりを進めています。

 以上のほかに次のような活動や制度がある。

●早朝勉強会
 毎朝、八時から九時の一時間、社員主体の勉強会が開催されています。
 地域の清掃を終えた社員が八時少し前、会場に集まってきます。テキストを使ったり、外部講師を招いたりなどで、私も二回目に訪問した折、講師を依頼されましたが、約10名くらいの若手社員が待っていてくれました。

●さん付け制度
 近年、上司を肩書きで呼ばず、「さん」で呼ばうという会社が増えています。沖縄教育出版もそれを実行しているのですが、驚くのは、それが全社員に浸透していることです。
朝礼に参加した折、ファシリデーターの方が「ヤスオさん、ひと言」と言ったのを聞いて一瞬誰かと思ってしまいました。ヤスオさんとは川畑保夫社長のことだったのです。

●一人一日一情報制度
 全社員のコミユニケーションを活発化させるとともに、全社員の心地よい居場所をつくるための制度が「一人一日一情報制度」です。これは全社員がその日一日、仕事の面、仕事外を問わず、感じたこと、思ったことを書き、その内容は全社員にフイードバックされます。
 文章好きの社員が多いこともあり、長くなってしまうため127字に制限しているそうですが、その参加率は90%以上だそうです。

●入社おめでとう制度
 入社して一年たった社員に「おめでとう制度」として、一年後に一万円を支給するそうです。この制度は、二年目、三年目も続くそうです。

●お誕生会
 毎月、その月に誕生日を迎えた社員のため、社長をはじめ幹部社員が主催し、那覇市内の高級レストランに該当社員を招待して、誕生会を開催しています。

●高齢者雇用制度
 当社には、名目の定年制度はありますが、実質定年は80歳です。現在も55歳以上の社員が46人もいます。

●インターンの受け入れ
 沖縄教育出版では、県内外の高等学校、専門学校、大学等から依頼され、インターン生の受け入れを積極的に行っています。その数はなんと50名だそうです。インターンシップに来て入社し、辞めた人はいないといいますから、定着率も実質100%だそうです。

 沖縄教育出版では、毎年4~6名くらい採用するそうですが、応募は全国から毎年600~700名くらい来るといいます。これは、川畑社長率いる沖縄教育出版の人間尊重の経営が、多くの人に知られている証明でもあります。沖縄教育出版の人間尊重経営への挑戦は、これからも続いていくことでしょう。

 さらにさらに、次のよう社会貢献も行われている。

 内戦が続いているアフリカ・ウガンダ北部のグル地区でゲリラに誘拐され、子供兵とされていた子供たちの社会復帰と自立支援にも取り組んでいます。

 特定非営利法人テラ・ルネッサンスの理事長と沖縄教育出版のスタッフが現地に行き、施設内で約一週間、子供兵だった子供たちと一緒に学んだり、遊んだり、給食を食べるなどして、交流を深めているのです。

 現在、世界には1日1ドル以下で生活している人々が10億人もおり、飢餓で毎日3万人の子供たちが亡くなっています。ウガンダの元子供兵の家族は、1日1ドルで5、6人が暮らしているといいます。

 一方、日本には餓死する人はいませんが、年に3万人の自殺者がいます。マザー・テレサが「先進国では物に飢えるより、愛に飢えるほうがもっと深刻である」と警鐘を鳴らしたように、家族や企業など、人間関係の崩壊は先進国病となっているのです。

 そうした日本での社会貢献活動で沖縄教育出版が行っているのが、就業前、全社員が交代でやっている会社周辺と近くの学校の清掃活動です。清掃の時間は朝7時から8時で、8時から9時までは社員が主体の自発的勉強会を行い、9時から朝礼というスケジュール ということになります。川畑社長は毎朝6時30分に出社し、掃除を始めます。

 この清掃活動で地域の人々とのコミュニケーションが深まるだけでなく、掃除をすることでその人自身の心が磨かれ、気づきが深まっていくそうです。

 最初のころは挨拶をしても返事もしてくれなかった学校の子供たちも、最近では挨拶をしてくれるようになったといいます。

 全社員が家族のような雰囲気の社風が彷彿として浮かんでくる。しかし、このようなさまざまな活動をしていて、一体いつ仕事をするのだろう、会社の業績は大丈夫なのだろうか、と余計な心配をしてしまうが、心配ご無用のようです。業績はすこぶる好調だという。

「ここ5、6年間の推移を見ると、売上高は14億円から18億円、経常利益は3億円から4億円です。売上高経常利益率で見ると20~30%となり、驚異的な好業績企業なのです。」

 さて、坂本氏が朝礼見学で沖縄教育出版を訪問したとき、出迎えた社員の中に障害のある方が二人いたそうだ。坂本氏はそのお二人の印象を
「その言葉、態度は自信に満ち満ちており、まったくといっていいほど障害が感じられません。」
と記録している。最後に沖縄教育出版の障害者雇用の様子を見てみよう。

 沖縄教育出版では、障害者雇用にも積極的に取り組んでいます。現在約50名いる正社員のうち、10名は障害がある社員で(知的障害者9名、聴覚障害者1名)、障害者の正社員に占める比率は16%になります。しかも、その比率も年々高まっています。

 わが国の障害者雇用促進法では、常用雇用56人以上の会社は、法定雇用率が1.8%となっていますが、日本の企業の平均は1.6%、法定雇用率以下の企業が約60%もあります。また、上場企業の障害者の最大雇用比率は8%です。このことからも、沖縄教育出版が、いかに積極的に障害者雇用に取り組んでいるかがわかります。

 沖縄教育出版の障害者雇用のきっかけは、川畑社長の幼少時代、障害のある友だちが身近にいたことも関係があるのでしょう。さらには社員の身内に障害のある人がいたことも、障害者雇用に熱心な理由だと思います。

 また、平成11(1999)年、川畑社長が大分県の福祉工場を視察した折、そこの経営者の
「障害者を受給者から納税者にしよう。自分たちは、ほとんど障害者だけでやっているが、本社が潰れても自分たちは大丈夫だ、と言えるくらいの経営をしていこう」
という言葉に深く共鳴したため、障害者雇用への強い信念をもつようになったのです。

 そういう信念のもと、いよいよ平成12年、養護学校から生徒を一度に3人も社員として採用しました。

 当初は手探りで、何もわからない状態でスタートしたためどうしていいかわからず、出社してから砂場に出かけた新人社員と、一日中一緒にいた日もあったそうです。また、入社したばかりの障害者がほかの人に気に留めてもらいたいため、警報機の非常ベルを押してしまい、ビル全体が大騒ぎになってしまったこともあるそうです。

 しかし、「この子たちを幸せにしなければ」と、ほかの社員と一緒になり、養護学校からの人たちを生かす職場づくりをし続けてきたのです。

 多くの大企業や中小企業が障害者雇用から目をそらしています。障害者の大半は施設や自宅ではなく、どんなに辛い大変な仕事でもいいから、働く場を求めているのです。

 健常者であれ障害者であれ、「人にほめられること、人に愛されること、人の役に立つこと、人に必要とされること」という、人が得たい四つの幸せは、働くことによってしか得られないからです。

 川畑社長は「当社には健常者、障害者という区分はありません。あるのは個性だけです」と当たり前のように言います。

 沖縄教育出版で雇用されている障害のある社員の賃金ですが、最低で12~13万円の給料を保証しており、国からの支援を合わせれば月額20万円以上になっているそうです。

 労働者を搾取の対象としか扱かわず、厖大な資産をため込んでいる不良会社の経営者たちは、優良会社の経営理念とその実際を知っても、たぶん、生まれ変わることはないだろう。そう思うほど、私は彼らには絶望し、軽蔑している。
企業経営の社会主義化・日本編(7)



株式会社沖縄教育出版(1)


 沖縄教育出版はもとは『沖縄海中動物生態図鑑』『沖縄園芸植物図鑑』『沖縄の方言入門』『沖縄の歴史』など、地元・沖縄に根差した書籍を出していた会社だった。いまは、社名はそのままで、健康食品と化粧品(同社では粧品と呼んでいるそうだ。いいですね)の製造販売をしている。その事業転換の経緯は次のようである。

 (創業者の川畑保夫社長は)8年ほど勤めた出版社を29歳のときに辞めて独立、沖縄県の泊に「沖縄教育出版」という個人企業をスタートさせたのです。モーレツ社員だった川畑社長ですから、当時は「規模を大きくしたい、業績を高めたい」という思いがとりわけ強く、社員に檄を飛ばしつつ、自身も身を粉にして経営に邁進していました。

 しかし業績は思うように伸びず、社員も次々に辞めていったのです。
「これではいけない、なんとか社員の支持を得て、一丸となって仕事をしなければ」と思い、ある年、市内の飲食店を借り切り、社長のおごりで忘年会を開催しました。ところが、参加したのは30名いた社員のうち、わずか半分の15名。今さらながらの「気づき」でした。

 そんな川畑社長が、真の気づきを得たのは、病を得てからのことでした。過労とストレスで腎臓ガンになってしまった川畑社長は、昭和61(1986)年、国立がんセンターに入院し、左腎を摘出。その3ヵ月の入院の間に、川畑社長は生まれ変わったのです。

 自分のこれまでの生き方や考え方を見直し、真に世の中に役立つ事業、一人ひとりの命が輝く経営を行うことを決意し、健康食品や化粧品を扱うことにしました。

 沖縄教育出版の健康食品や化粧品などの自家商品は、信頼のおける業者に製造を委託し、県内外の顧客をターゲッ卜に通信販売で展開しています。通信販売といっても一般的な方法ではなく、通信販売とコールセンターが一体となった、インタラクティブ(双方向)コンタクトセンター事業方式です。

 3ヶ月の入院生活で生まれ変わった川畑社長の経営理念は次のようである。

「私たちは、地球上に住むすべての人々が、健康で平和に暮らせる社会をつくるため、みんなで力を合わせて、働きがいのある楽しい職場環境を創り、お役立ちの喜びを実践しています」

 そして、
「人間尊重の経営への挑戦、感謝、恩返し、そしてお役立ち」
を社是(この会社では社憲と呼んでいる)としている。

さて、この会社の紹介文の目次は次の通りである。

株式会社沖縄教育出版(沖縄県)
 本当に世の中に役立つ事業をしたい。
 一人ひとりの命が輝く会社になりたい。

①日本でいちばん長くて楽しい朝礼
②社員同士が心を共有できる朝礼
③「出版」だけれど健康食品も扱う会社
④ガンによって〝気づき″を得た社長
⑤「I am OK! You areOK! We areOK!」
⑥思わず納得の行動規範
⑦まるで大学? 委員会&サークル活動
⑧障害者を受給者から納税者に
⑨さまざまな形で社会に貢献する
⑩営業をしないコンタクトセンター
⑪ひと月に約150通届く、顧客からの感謝の手紙
⑫これからもめざす「人間尊重の経営」

 坂本氏は紹介文の序文を次のように記している。

 沖縄教育出版は、高業績企業としても有名ですが、私が当社を本書で取り上げたのは、この会社の「日本でいちばん長い、かつ楽しい朝礼」をじっくり見学させていただいたことにあります。

 この会社の社員たちは、健常者、障害者が一体となり、まるで家族のように愛し愛され、生かされていると実感したからです。

 それでは川畑社長の企業理念が生かされている社風と社員の様子を、②⑥⑦⑧⑨を中心に、詳しく見てみよう。

 大抵の会社の朝礼は、前日の業務報告・今日の予定の確認・各種事務連絡などで、多くは上意下達的なものであり、その時間もせいぜい10~15分前後のようだ。ところが沖縄教育出版の朝礼は、なんと平均1時間、最長記録は3時間だという。そのような長時間、一体何が行われているのだろうか。坂本氏は見学した時の朝礼のプログラムは次のようだった。

一、お喜びの声の紹介
二、感謝したい社員の紹介
三、わっしょい体操、ハッピー体操
四、私の小学校時代のいちばんの思い出
五、最近うれしかったこと
六、私のお得意様自慢
七、新人社員コーナー

 坂本氏はその朝礼の様子を次のように書き留めている。

 ワンフロアの事務所で、80名ほどの社員の方が立って迎えてくれましたが、周囲の壁を見て驚きました。いたるところに文字を書いたポスターやメモが貼り付けられ、小学校の教室みたいだったからです。

 そのポスターやメモには、「仕事は芸術だ」「仕事は祭りだ」「やる気が能力だ」「どんな人でも可能指数は200はある」「人間は歴史をつくるために生まれてきた」「人間は愛する人のことを学ぶために生まれてきた」などと書いてあります。

 朝礼は、「ファシリテーター」と呼ばれる二人の司会者が進行します。

 「お喜びの声の紹介」は、沖縄教育出版の社員が顧客からいただいた数々の礼状の一部を全社員の前で司会者が読み上げるもので、情報や感動の共有化をはかるために行われています。

 「感謝したい社員の紹介」は、自分が困っているとき、悩んでいるときにアドバイスをしてくれたり、聞いてくれたり、助けてくれた仲間の社員に、みんなの前でお礼をするというコーナーです。

 「わっしょい体操、ハッピー体操」はラジオ体操とは異なり、ストレッチをしたり、肩をもみ合ったりする体操です。

 「私の小学校時代のいちばんの思い出」は、自分の小学校のころのいちばん楽しかったこと、辛かったことなどを、当時を思い出しながら全員の前で紹介するコーナーです。

 「最近うれしかったこと」は、何人かが前に出て、自身が最近体験したうれしかったこと、よかったことを話します。

 「私のお得意様自慢」は、担当者が素敵だと思うお得意様のエピソードを紹介するコーナーです。

 この日の朝礼で私かとりわけ感動したのは、いつもていねいで心のこもった仕事をする若手男性社員に対し、顧客からいただいた手紙とプレゼントが渡されたときです。

 顧客の手紙を代読した先輩女性は、涙を流していました。プレゼントをいただいた若手男性社員も、「今まで人生辛かったです。でもこの会社に入れてうれしいです。みなさんやさしくしてくださってありがとうございます」と涙声で話をしていました。

 あとからこの若手社員について川畑社長に聞いたのですが、彼は施設で育ち、幼少時代に深い心の傷を受け、今もトラウマを抱えているそうです。

 また、「新人社員コーナー」では、一ヵ月前に入社したパートの女性が話をしてくれました。その内容を紹介します。

「私はこれまで五回ほど、パートとして職場を経験しました。どこの職場でもうまく溶け込めず、いつも仲間や家族、とりわけ主人や姑に当たり散らすような生き方をしていました。自分は性格が悪いと自分で思いながら、職場が辛く、自分の生活を変えることができませんでした。でも、私はこの会社に入って、家族、とりわけ主人からほめられることが多くなりました。自分でも自分が毎日変わっていくことがよくわかります。毎日この会社で働けて、楽しく生き、感謝しています」
 と、述べていました。

 この朝礼は、社員のモチベーションを高めるだけではなく、社員の居場所をつくっているのです。「あの人はこんな性格だったのか」「私と同じような子供のころの思い出があるんだ」「こういうことに感動できる人なんだ」という情報・感情・目的を共有する場でもあるのです。

 こうした一風変わった朝礼のうわさを聞きつけ、私のように朝礼を見学に来る人々が、役所や銀行、一般企業や学校の教師など、月に300人以上訪れるそうです。

 ちなみに、当時の社員構成は次のようである。

 従業員数…は158人(正社員47人、パートさん101人)
社員の出身地…が沖縄県70%、沖縄県外30%
性別…女性90%、男性10%
 なんと、圧倒的に女性中心型の企業だ。
企業経営の社会主義化・日本編(6)



株式会社樹研工業(3)


 樹研工業の社員たちの働きぶりを示すエピソードを拾ってみよう。

 知り合いの紹介で、モデルのように細く、非力な青年が入社してきました。彼は女性社員がいとも簡単に運んでいる25キロほどのプラスチックももち上げる力がなく、悪戦苦闘して、うんうん言いながら運ぼうとしていたそうです。たまたまそこを通りかかった松浦社長がそれを見て、
「その程度の原料がもてないとなると、わが社じゃ使いものにならないなあ、きみはクビだぞ」
と冗談を言ったそうです。

 すると午後、「話があります」と、若手社員数名が松浦社長のところにやってきました。なんだろうと思って話を聞くと、
「社長は午前中、○○くんに『クビだ』と言ったそうですが、もう少し待ってくれませんか。私たちが一人前にしますし、その間は彼の手伝いをしますから」
という直談判だったそうです。

 樹研工業の社員には、元暴走族とか登校拒否児の学校中退者といった、いわば学校教育からドロップアウトした人が少なからずいるそうです。就職しようと思っても、そんな彼らに門戸を開放している企業は多くありません。しかしそんな彼らは、同じ会社仲間のために、社長に直談判するほどやさしい気持ちの持ち主でもあるのです。

 経営理念が先着順採用が孕む危惧を吹き飛ばしている。社員を大事にする社風がやさしい人を育んでいる。

 100万分の1グラムの歯車を完成させたのと同じような時期に、多くの研究費を費やして同じような研究に取り組んでいたのが、全国の名だたる大学の教授たちです。その先生方が、新聞記事を読んで樹研工業に教わりに来たのです。工学博士の教授たちが、中途退学・元暴走族の若い社員に説明を受けている写真が新聞にも載りました。

「最近の若者は自分のことしか考えない」
「他人への思いやりに欠ける」
などと言われていますが、樹研工業の社員の言動は、正しい企業文化をもち、経営者が感動経営を実践すれば、どんな若者でもその可能性を育てられるのだということの実例だと思います。

 松浦社長は、
「社員が育つために大事なことは、経営者がチャンスを与えることです。口だけではなく実際に投資をしてやることです」
と言っている。そのよい例として次のようなエピソードがある。

 あるとき、入社2年目の3人の若手社員が、
「私たちも先輩が使っているようなCADを使いたいので一台買っていただけませんか?」
と言ってきました。

 松浦社長は「ダメだ」と言いました。ただ、その理由が変わっています。
「3人いるのに1台とは何事だ。1人1台ずつ買いなさい」
と言ったのです。そして3台買いました。

 そうすると3人の心に火がついて、猛烈に勉強を始めたそうです。

「そのときが、チャンスなのです。やる気になったときにポンと乗りかかる。そうすると彼ら、彼女らの世界がパッと広がるのです」

 この3人は、今では立派な戦力に育っているそうです。

 また、こんなことも言っていました。
「20代後半の職人が『こういう機械が必要なのです』と相談してきました。高い機種と安い機種の二つがあったのですが、私は彼が希望した3500万円の高いほうの最高速の機械を、すぐに発注しました。彼は今その機械に夢中になって没頭し、いい仕事をしていますよ……」

 さらに松浦社長は、
 「今の若者はタイミングよく心に火をつけてやれば、ガムシヤラに勉強し働くのです。彼らがそういうことを言い出すような雰囲気を用意するのが、会社の、経営者の役割でしょう。僕は誰がいつどんなことを言ってくるか、年中予測しています。〝彼はそろそろこの機械が必要だと言ってくるだろうな″と。それがわかるのは、毎日会社の現場を歩いて、みんなとの会話を楽しんでいるからです。僕も勉強して、機械技術の最先端を把握しています。職場は楽しい真剣勝負の場なのです……」
 と言います。

 一般の会社では役員会が最高意思決定機関となっている。しかし、樹研工業では重要事項は全社員が参加する全体会議で決定している。この会社もトップダウン管理から脱している。

 (全体会議は)会社が休みである土曜日の10時から15時に行われ、約90人の全員が集まります。誰でも参加していいし、強制ではありませんから不参加も自由です。しかしほとんどの社員が出席して、斬新なアイデアや発言を活発に出してくるそうです。おそらくこの会議が、情報やビジョンを共有する場になっているのでしょう。

 このような素晴らしい会社だから中途で辞める人はいなだろうと思うが、どうであろうか。

 そんな会社ですから、辞める人がほとんどいません。それどころか、「私が辞めたら子供を入れてくれ」という社員もいるくらいです。

 中小企業では経営者の世襲制が問題になっていますが、樹研工業では社員の世襲制が始まっています。息子や娘に幸せになってほしいわけですから、自分が信じている会社に入ってほしいという親の気持ちは痛いほどよくわかります。

 また樹研工業では、結婚や出産、子育てが終わった女性社員を正規、不正規を問わず積極的に雇用しています。その理由は、
「この人たちはベテランで、客先も半分以上わかっていて、何も教えなくても、その日のうちに即戦力になるからです」
と松浦社長は言っていました。

 ところが、男性社員のなかには、隣の芝がきれいに見えるのか、退社する人がときどきいるそうです。そんなときでも松浦社長は、
「もし、『やっぱり樹研工業がいい』と、帰りたくなったら遠慮なく帰ってこい。転職先で成功したんだったら、そのときも連絡をくれよ」と、温かく送り出すのです。

 実際にこうした武者修行(?)を終えて戻ってくる社員もいるといいます。出戻りOK。それが樹研工業という会社なのです。

企業経営の社会主義化・日本編(5)



株式会社樹研工業(2)


 坂本氏は氏を感動させたエピソードから書き始めている。樹研工業では三年半入院して出社できなかった社員にその間の給料・ボーナスを払い続けたというのだ。

 また、樹研工業では入社と同時に掛け金は全額会社負担で全員が1000万円の生命保険に加入する。そして、もしものときには保険の全額を家族が受け取ることになっている。松浦社長さんは言う。
「大切な人を病で失ったご家族に対して、会社ができることは、残った人たちの生活を支えてあげることくらいしかできません。社葬で大きな葬式をあげても、残った人たちのあとの生活を考えると、それは違うのではないかと考えて、私はこうしました。」

 さらに、全社員一心同体の社風を物語るすごい仕組みがある。

 100年に一度の不況といわれている昨今、トヨタやパナソニックといった大企業でも売上が大幅に減少しています。世界に一社しかない技術をもっている樹研工業といえども、仕事は減りました。

 仕事が三割、四割減れば、普通の会社であればリストラをするでしょう。しかし樹研工業では、みんなニコニコしています。

 その理由の一つは、仲間を大事にするという企業風土にあります。仕事が減ったからといって、誰かを犠牲にすることはいっさいしない。
「社員が路頭に迷うときは、私も路頭に迷います。喜びも悲しみも苦しみもみんなで分かち合うのが経営でしょう。社員を5人、10人つかまえて『いくらいくら払うからクビだ』。そんなものではない」
ということです。

 もう一つの理由は、潤沢な内部留保があるからです。
「時代は生き物ですから、好況不況は必ずある。うちは内部留保を積み立ててあります。わが社は1年や2年仕事がなくなっても、全社員に給料を払うだけの内部留保を貯めてあ りますから」
と松浦社長は言います。

 「決して社員を犠牲にしない」という松浦社長の信念は、開発力に裏打ちされて、今後も樹研工業の社風として受け継がれていくことでしょう。

 樹研工業は社員とその家族の生活のより所のような会社である。樹研工業では社員が入院した場合だけでなく、両親や子供の病気などのやむをえない事情で長期欠勤した場合でも、減給されるようなことはないという。坂本氏は次のようなエピソードも伝えている。

 ある日、59歳の社員が胃潰瘍で入院したそうです。社会的には定年間近な年齢ということもあり、弱気になっているその社員に、松浦社長は手紙を出したそうです。

「胃潰瘍くらいで会社を辞められると思ったら大間違い。早く治して出社せよ。会社は忙しい。きみがいないから会社は大混乱だ。よその会社と違って、くたばるまで辞めさせないぞ……」
という内容の手紙だそうです。

 この社員は完治して退院し、現在70歳ですが、「社長から来た手紙がいちばんうれしく、読んでいて涙が出ました」と、現在も元気で樹研工業で働いています。

この社員は70歳でも働いているという。一体、定年制や給料体系はどうなっているのだろうか。

 60歳定年でその時に退職金が全額支払われる。しかしその後、本人が希望すれば全員雇用が続く。しかも給料は続いて昇級していく。つまり60歳定年は名目上の定年なのだ。本人が辞めたいときが定年というわけだ。

 定年がない理由について、松浦社長は、
「六十歳のおめでたい還暦の歳が失業の日などという、こんなばかげた話はありません。第一そんな姿を30代、40代の社員が見ていて、自分の会社に強い愛情、帰属意識をもてるでしょうか?今の60歳や65歳は、昔と違い、精神年齢も肉体年齢も若く、仕事のノウハウが全身に詰まっている。職人たちは技が最もさえる年齢ですから、そんな人を失えません」
と語ってくれました。

 樹研工業の60歳から70歳の年収は1000万円くらいですから、70歳までの10年間働くと1億円です。80歳まで働けば2億円手に入るわけです。

「宝くじは当たるかどうかわからんけど、こっちは確実ですから、健康に気をつけなさいと社員にはやかましく言っています」
と、松浦社長は笑っていました。

 給料体系は完全な年齢序列制(「年功」ではない)だという。本給は、社の生涯賃金表にもとづいて、年齢に従って給料が上かっていくのだ。つまり、最高齢の人が最高給を受け取っていることになる。そのような給料体系になった経緯は次のようである。

 30年ほど前までは、樹研工業も、評価をして給与に多少差をつけていました。しかしある年、みんながよく働いたのでどうしても差をつけられなかったそうです。そのときは、
『今回は評価できないけど勘弁してくれ、次はちゃんと評価するから』
と謝ったのですが、その次もやはり評価できませんでした。それで、今日に至っているのです。

「ボーナスもやはり年齢で決まるのですか?」と私が質問をすると、
「そうです。最近は、『今回のボーナスは総額でいくらですよ』と全社員にメールを送っています。そのとき、『社員が今何人いるから、一人あたりはこのくらいの額ですが、それに満たない人は評価が低いわけじゃない、足らないのは年齢だけですから、もう少々お待ちください』という、ただし書きを添えています」
と話してくれました。

「年上の人より自分のほうが仕事をしているのに、と不満を言う社員はいないんですか」と重ねて尋ねると、
「そんなやつ、おるわけないでしょ。いい仕事ができるのは40歳過ぎてからで、技術が完成される60歳以降がいちばん生産性が高い。実際うちの業績を過去に遡って調べてみたら、社員の平均年齢が高い年ほど、業績の伸びもいい。年寄りがいちばん稼いでいるんです。感覚的ですが、年寄りの生産性は新入社員の5倍くらいはあるんじゃないかな……」


「不満を言う若手などいるわけがない」という松浦社長の言葉には驚かされました。「これだけの世界的な企業が何を浪花節みたいなことを……」と思う人がいるかもしれませんが、大家族的経営を志向する社長の人柄が組織に浸透しているからこそ言える言葉なのでしょう。

 このような会社なら働き甲斐があろう。全力を尽くして仕事に打ち込めるに違いない。

 では、このような素晴らしい会社に採用されるにはなにが必要だろうか。驚くべきことに、なんと、入社希望者は先着順で採用するという。

これは創業以来だそうです。

 創業当時、新聞などに募集広告を出しても、何をやっているかわからないような小さい会社ですから、なかなか従業員が集まらなかったそうです。そんなとき、わざわざ入社したいと来てくれたありがたさを、いまだに忘れることができないからといいます。

 ですから、中卒だろうが、中途採用であろうが、日本人であろうが、外国人であろうが、男だろうが、女だろうが、いっさい問題にせず、早い者順に採用しているのです。

 早い者順で面接する際、履歴書を持参する人もいるそうですが、まったく目を通さず、たいていはもち帰ってもらっているそうです。その理由を、松浦社長はこう教えてくれました。

「今までのことより、これから一緒にやろうということが大切です。それに何より、数ある企業から当社を選んでくれたことへの感謝の気持ちが先に立ってしまう。自分もこの町の多くの人に育てられて、今日があるのですから……」

 この人間信頼の深さにも驚かされる。しかし、私の中に巣くっているステレオタイプな常識が頭をもたげてくる。
「そのような採用の仕方では、中には非常識な者もいて、社員管理が大変だろう。」


 坂本氏が優良企業として取り上げている会社はどこも社員を管理するルール・規則がない。樹研工業も例外ではなかった。

 樹研工業には出勤簿もタイムレコーダーも、出張報告書もないのです。社内会議のための面倒な資料づくりや手続きも存在しまん。私が「それでは困りませんか?」と尋ねると、松浦社長は、
「つまらない、後ろ向きな仕事はできるだけ省き、次の仕事に取りかかる。これが生産性を上げる基本です。社員はみんな仕事をしに出社してくるのです。病気で休んだとしても、常に頭のなかは自分の仕事でいっぱいでしょう。そんな社員にとって、出社したという証明である出勤簿やタイムレコーダーに、どれだけの価値があるのですか?」
と話してくれました。

 樹研工業の社員たちの働きぶりを示すエピソードを拾ってみよう。(次回へ続く)
企業経営の社会主義化・日本編(4)



株式会社樹研工業(1)


 樹研工業も実に魅力あふれる会社だ。この会社の目次は次のようになっているが、全てを記録しておきたくなるような内容だ。

株式会社樹研工業(愛知県)
社員は先着順で採用。
給料は「年齢序列」の不思議な会社

①入院した社員に三年半給料を払い続けた会社
②六坪の木造平屋工場で六大での出発
③三つの「世界最強の商品」
④国内外に850台の成形機
⑤世界一小さな歯車の開発に成功
⑥画期的な技術を開発して市場をつくっていく会社
⑦社員の採用は先着順で
⑧「私が定年になったら子供を入れてほしい」
⑨学校では問題児だった社員たちの絆
⑩職場は楽しい真剣勝負の場
⑪出張時は誰でもグリーン車で
⑫最高齢の社員が最高給の「年齢」序列
⑬辞めたいときが定年のとき
⑭「社員が路頭に迷うときは私も路頭に迷います」

 ①⑦⑨⑩⑫あたりをメインに紹介していこうと思うが、その前に樹研工業が何を作っている会社なのかを知っておこう。

 樹研工業はプラスチック加工をしている会社である。しかし、他のほとんどの同業者とはまったく異なる経営が行われている。

 プラスチック加工を行っている全国の大半の中小企業は、親会社から仕事を受注する、いわゆる下請けタイプです。このため、プラスチックを成形するための射出成形機(インジェクションマシン)はメーカーから購入しますが、要の金型は、メーカーから貸与されたり、金型メーカーにつくってもらったりする企業が大半です。その結果、プラスチック部品製造業とはいえ、そのほとんどの会社の実態は、加工業のような仕事をやることになるのです。

 しかし、樹研工業の経営スタイルはまったく違います。成形している部品は極小、かつ超精密な、非常に高い精度が要求されるものばかりなのです。しかも特定の企業の系列に属さず、国内外の一流企業と直取引です。現在取引をしている会社は国内外の大手企業約30社ですから、まさに独立独歩の道をひた走っている感があります。

 超精密な金型も、射出成形機も自製。超精密な部品も自社でしかできないという、まさに世界最強の商品を三つも擁している会社なのです。

 「超精密な部品」の一つが樹研工業を一躍有名にしたプラスチック製の極小歯車だった。

 どれくらい小さいかというと、直径0.19ミリ、重量100万分の1グラム。肉眼では歯車とはわからないほどです。この歯車の開発、量産化に成功したというニュースは世界を駆け巡りました。そのニュースを知り、私もさっそく豊橋の本社工場を訪ねて見せてもらいましたが、拡大鏡でのぞいたときの感動はいまだに忘れられません。

 肉眼では粉がばら撒いてあるような感じで視認できませんでしたが、拡大鏡で見て驚きました。
「ああ、確かに五枚の羽根がついている」
明らかに歯車なのです。

 もちろん、世界を驚かせたその歯車が、ある日突然、偶然にできあがったわけではありません。松浦社長は創業以来、「21世紀の技術はマイクロ化が一つの潮流になる」と予見し、1980年代から全社をあげてマイクロ加工に挑戦していたのです。

 さらに、景気に左右されないために、
「この世に一社しかつくれない、樹研工業しかできないという商品をつくらなければ、社員を路頭に迷わすことになってしまう」
という危機意識もあったのでしょう。

(中略)

 10万分の1グラムの極小歯車の開発は、世界の時計メーカー、自動車メーカーを驚愕させました。
「こんな小さいものができるのなら、もっと小さい時計ができる」
「自動車のパーツももっと小さくできる」
「こういう商品がほしかった」、けれど「誰もつくれなかった」ということで、世界中から注文が相次いだといいます。

 100万分の1グラムの歯車は、まだ市場に出ていません。それを活用するものが現時点では存在していないのでしょう。

 現在、樹研工業の稼ぎ頭は1000分の5グラム、1万分の5グラムの歯車だそうです。しかし、たとえば人が飲み込んで検査をする機械などは小さければ小さいほどいいわけです。だから樹研工業は、いつの日か役立つだろうということで100万分の1グラムの開発も行ったのです。

 「100万分の1グラムの歯車」は前回紹介した株式会社アールエフの「飲むカメラ」を更に小さくすることができるかも知れない。

 さて、言うまでもなく、坂本氏は以上のような素晴らしい製品開発力だけで樹研工業を優良会社として取り上げたわけではない。「社員が路頭に迷うときは私も路頭に迷います」というように、松浦社長が常に社員とともにあり、社員を大事にする経営理念を貫いているから優良会社なのだ。次回は樹研工業の社員待遇のあれこれをまとめてみよう。
企業経営の社会主義化・日本編(3)



株式会社アールエフ


  アールエフは『日本でいちばん大切にしたい会社 2』で紹介されている。「赤ちゃんや子供たちの命を救いたい」をモットーにさまざまな医療機器を開発・製造している会社だ。その製品の中で特に「Sayaka」という商品名のカプセルカメラ(飲むカメラ)について、坂本氏は「ノーベル賞級の商品ではないかと思います」と賞賛している。  アールエフ紹介記事の目次は次の通りである。

株式会社アールエフ(長野県)
 「小さな命をもっと救いたい」-
 世界が驚くカプセル内視鏡を開発。「人間の幸せ」を追い求める中小企業

①夫婦でワンルームマンションからの開業
②「病弱な母親を助けたい」という思いが原点
③「飲む内視鏡カメラ」の萌芽
④病気で苦しむ人を少しでもラクにする商品を
⑤世界の医療界が驚く快挙
⑥出会いが開発させた「口腔内カメラ」
⑦もう一つの主力商品、「フィルム不要なレントゲン」
⑧「小さな命をもっと救いたい」
⑨人命を救う機器だから特許はとらない
⑩商品には女性の名前を
⑪優秀な女性がたくさん集まる会社
⑫営業に行くのではなく、お客が足を運んでくる
⑬後身育成のためには時間も金も惜しまない

 ⑨⑬がすごい。強欲資本主義の対極にある快挙だ。また⑩⑪も、どうしてなのか、興味しんしんである。それらを読む前に、まずアールエフの丸山社長の経営理念を聞いてみよう。丸山氏は次のように語っている。

 近年、高度化してきた医療機器の研究は、テクノロジーのみを追求した代償として、患者さんへのやさしさや配慮を欠いた製品が多かった。大人でさえ非常な苦しさを伴う内視鏡検査など、子供に強いる苦痛ははかり知れません。

 現在の医療機器は、そのほとんどが成人向けに研究され、それが小児にも転用されています。小児専用の研究が遅れている理由は、小児科医院の経済的事情、マーケティング規模などが考えられますが、世界的な規模で考えてみれば市場は十分でしょう。むしろ、小児用に開発された機器を大人向けにデザイン変更するほうが無理がないのです。

 本来あるべきはずの医療従事者の姿は、弱者の側に立った、患者ありきの医療のはずです。ですからカプセル内視鏡カメラの発想も、実は子供の患者さんの体を痛めまい、小さな命を救いたい、そのためには、できるだけ広範囲にいきわたるように低価格な商品でなければいけない。

 世界中の病気の予供たちに、もっと医療機器を使ってもらいたい。これが私の願いなのです。

 その理念に添って開発されている製品が⑤⑥⑦などで紹介されているが、⑤の「Sayaka」がどのような製品なのか見てみよう。「Sayaka」はまだ(2009年12月現在)犬での臨床実験の段階で販売されるまでにはもう少し時間がかかると書かれているが、次のような驚くべき製品だ。

 アールエフの開発した内視鏡は、飲み込めるのです。

 当初開発した内視鏡のサイズは、直径九ミリ、長さ二三ミリと、女性の小指の先くらいでした。普通に飲む薬のカプセルより少し大き目ですが、飲めないサイズではありません。もちろんワイヤレスで、カメラ機能をもっており、薬のように飲み込むと、内臓を撮影できるものです。写した画像は体外のモニターテレビに電送され、ライブでカラー画像を見ることができます。

 さらに、このカプセル内視鏡には、全体積の約四割にあたるフリースペースがあります。この体積の余裕と電力の豊富さから、将来的にはドラッグデリバリーシステムヘの応用が期待されています。つまり、薬をカプセルカメラに搭載し、患部の近くに来たときに薬を照射できる製品になる可能性があるのです。

 さて、⑨も丸山氏の経営理念のしからしむところであろう。

 これだけすごい技術をもっている会社は、それを隠そうとするのが普通です。ばんばん特許をとるなどしてクローズしたほうが、自社が儲かるからです。しかしアールエフは、基本的にはオープンしています。企業として利益を得なければいけませんから、特許ゼロということではありませんが、ほとんど特許申請をしないそうです。

 医療器械は商品とはいえ、人の命を救う機器です。いくら儲かるからと特許をとったとしても、もし自分の会社の生産が間に合わなかったらどうなるでしょう。その機器が使えないせいで、死んでしまう人もいるかもしれません。
「わが社は〝公知″(公然と知られた状態)という手法での特許出願です。研究者と企業の良心を動かします。共感してくださった方々が長野までわざわざ来てくださり、そのいわば〝友人″の輪は海外へと広がり、アールエフを温かく、また力強くガードしてくれるのです」
「新しい技術開発には、ライバルが必要です。技術を囲い込むと短期的には利益を確保できると思いがちですが、長期的には違います。『独占』という安心感から技術開発にブレーキがかかり、新技術が生まれにくい上壌になってしまうのです。技術の公開によってライバルが出てくると、なおいっそうの緊張感をもって競い合わなければならなくなり、結果として新しい技術が出てくるのです」

 これが、丸山社長の考え方です。

 さて、アールエフ商品には女性の名前がついている。
最初のカプセル内視鏡―「NORIKA」
最新型のカプセル内視鏡―「Sayaka」
デジタルX線センサーのレントゲン―「NAOMI」
歯科業務用口腔内カメラ―「MIHARU」

 「NAOMI」は丸山社長と会社の草創期から苦楽を共にした副社長の名前からとったという。直美さんが結婚する時に、社長が「会社をこれだけよくしてくれて、ありがとうございました」という意を込めて、結婚祝いのプレゼントとして命名したのだという。
 また「Sayaka」は、「サヤカさんが一生懸命がんばってくれたおかげで、この商品を開発することができた」ということで、社員全員の投票で決めたという。

 超ハイテク産業の会社でありながら、このような商品名のつけ方をする―「小さな命をもっと救いたい」という理念から発せられるぬくもりが、会社全体にあるからなのでしょう。

 ちなみに最初の「NORIKA」は有名女優の名前をいただいたそうです。ファンだった社員がいたからだといいます。これも社員と一緒になって決めたそうですが、堅いだけではなく、そういう家族経営の町工場のような温かな茶目っ気もある会社がアールエフなのです。

 このようなところにも社員を大事にする社風がかいまみられる。

 またアールエフには、ランチミーティングというのがある。もとは昼食を摂りながら全員で行っていたようだ。現在は社員が多くなったため全員ではできいので、社長と社員、他部署の社員同士のコミユニケーションを密にするため〝くじ引きランチ″にしているという。

 社員食堂の入口に置いてある箱からくじを引いて、座る場所を決めるのです。

 ある程度会社が大きくなると、部署のなかの、またさらにそのなかの数人で昼食をとりがちです。だんだん顔ぶれが同じになって、知らない社員、あまり話をしたことのない社員も多くなってしまいますが、このくじ引きだといろいろな社員と昼食をとることになります。セクショナリズムに陥らないよう、コミユニケーションを大事にしているのです。

 アールエフの以上のような暖かみのある社風が⑪のような特徴を生む要因になっているのだろう。

 アールエフのもう一つの特徴は、女性の管理職が多いということです。営業の総責任者も開発の総責任者も女性です。

 アールエフの社員175人のうち、3分の2は男性で、3分の1が女性だそうですが、部長職は3分の2が女性で、課長職以上の管理職は半分が女性です。

 これはもちろん、女性だから優遇するという逆差別をしているのではなく、優秀な女性がたくさん集まってきているということです。

 ハイテクの分野の会社で、これほど女性を生かしきっている会社は珍しいのではないでしょうか。

 こういうアールエフですから、全国から入社希望者が殺到するそうです。メールで問い合わせがあったり直接履歴書が送られてきたりするそうですが、送られてくる履歴書の数は、月平均300通~500通だそうです。ですから年間では5000通近くになるようです。

 上場しているわけでも、広告をしているわけでもない一地方の会社に、これだけ多くの人々が入社したいと思っていることを見ても、この会社がいかに大切に思われているかがわかるのではないでしょうか。

 最後に丸山社長の夢を聴こう。

 丸山社長は後進の育成にも力を入れており、医療の大学院大学を設立したいという夢をもっています。四年制大学で電子工学などを修めた学生のための大学院大学です。

 定員は1学年15~20人ほどの少数精鋭。授業料はなんと全額無料で、さらに月20万円程度の生活補助費を支給し、卒業生には、一年以内の起業を目的に1億円まで五年間の無担保、無利息融資をするという、驚くような支援をするそうです。

 その大学院大学を卒業した人がアールエフに入社するしないは、いっさい問いません。要は、医療器械をつくる技術者を育て、医療を通じて世界中の困っている人の力になりたいのだそうです。

 それは丸山社長の、
「私たちは幸せに生きていかねばなりません。そして本来、すべての技術はそのためにのみ発展すべきものなのです。結局、最も大切となるのは技術ではなく、それを操る人間です。人々を幸せにする、そんな技術や技術者、起業家が一人でも増えるように、これからも何かできれば……」
という願いを形にしたものなのです。

 ですからその大学院では製品の開発技術のみならず医師を中心とした臨床試験や薬事法、特許法など関係法の勉強、経営マネージメント、マーケットリサーチ、販売など、製品化から企業経営に至る内容すべてを学ぶことになるそうです。

 そんな丸山社長の大学院大学設立ですが、これにはもう一つの動機があります。それは、現在アールエフで働いている社員に、学歴をプレゼントしたいということです。アールエフで身を粉にして毎日がんばっている社員のなかには、最終学歴が高校卒業、高校中退という人もいるそうです。彼らが他社や医師などから学歴について尋ねられたとき(いまだに学歴でしか人を判断できない人は残念ながら多いのです)、肩身の狭い思いをしたことがあると言うため、社員に学歴をプレゼントしたいと考えたというのです。

「当社にはかなりハイレベルな仕事をやっている社員がいます。しかし必ずしも全員が、学歴的な意味では恵まれていません。いろいろな事情で高校や専門学校しか出ていない社員がいます。実際に一線で働いて、仕事面ではまったく問題はありませんが、その社員にしてみれば寂しく思うときもあるのではないだろうか。それは仕事で人と話しているときかもしれないし、結婚するときかもしれない。その社員が、世間の価値観に触れて、『高卒や専門学校卒だから見くびられるかもしれない』と思ったとしたらかわいそうです。そんな社員にも実力相応な資格を与えてあげたい」

 丸山社長はそう言います。卒業生を中心にして、将来は長野・日本を、世界へ向けた先端医療機器の供給基地にしたい―丸山社長の夢だそうです。

 「小さな命を救いたい」―丸山社長のその夢は、確実に実現されようとしています。

 丸山社長の夢、実現するといいですね。