2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
企業経営の社会主義化・日本編(2)



株式会社ファンケルスマイル


 『日本でいちばん大切にしたい会社1』には「日本の優良会社」で紹介した日本理化学工業と伊那食品工業のほかに株式会社柳月(製菓会社)と杉山フルーツ(果物店)が取り上げられている。またコラム形式で9社が紹介されている。日本理化学工業は「社員の7割が障害者の会社」だったが、コラムで紹介されている会社の一つ「株式会社ファンケルスマイル」も障害者雇用に力を入れている会社だ。ファンケルスマイルは化粧品や健康食品などを通信販売しているファンケルの特例子会社だという。

 恥ずかしながら、私は「特例子会社」という用語を知らなかった。ウィキペディアで調べてみた。

 従業員54名以上を雇用する会社は、そのうち障害をもっている従業員を、従業員全体の1.8%以上雇用することが義務付けられている。(重度障害者の場合は2名として計算される。)

 特例として、会社の事業主が障害者のための特別な配慮をした子会社を設立し、一定の要件を満たす場合には、その子会社に雇用されている障害者を親会社や企業グループ全体で雇用されているものとして算定できる。このようにして設立、経営されている子会社が、特例子会社である。

 そしてウィキペディアは次のような問題点を指摘している。

 非正規雇用が多い。また、頭脳労働が優位の産業構造にあって、身体障害者がスキル次第で比較的採用されやすいのに対し、それ以外の知的・精神障害者を採用している特例子会社が少ないのが現状である。

 ファンケルスマイルはこの問題点をクリアしているようだ。坂本氏は親会社のファンケルも「5人に対する使命と責任」を果たそうとしている会社だと評価している。「5人に対する使命と責任」とは、再録すると

 優良会社に共通する経営理念であり、次のような順で関係する人々を大事にしている。
1 社員とその家族
2 社外社員(下請け・協力会社の社員)とその家族
3 現在顧客と未来顧客
4 地城住民、とりわけ障害者や高齢者
5 株主・出資者・関係機関
 このことを「5人に対する使命と責任」と呼んでいる。

 まず、ファンケルスマイルが設立された経緯を紹介しよう。

 親会社ファンケルが株式上場の際に
「上場できたのは地域社会のおかげ。だから、地域社会にお返しをしよう」
と、どのような貢献がよいかを全社員で話し合ったという。トップダウンではなく、全社員で話し合うということにまず拍手したい。

 そのとき多くの社員の方が「私たちのまわりには障害をもった方がいっぱいいます。その人たちを幸せにできるようなことをしたらどうでしょうか」と言ったそうです。

 こういう場合は、美術館とか公民館を建てる、イベントを開く、などのアイディアが出がちです。しかしそうではなく、障害者の雇用を通じて、彼ら、彼女らの自立化を支援しよう、これが、ファンケルスマイルの社員の方々の発想でした。「障害者を守る」のではなく、自立を支援しようということなのです。

 そして平成11年(1999)、ファンケルがバックアップしてつくった会社が、特例子会社のファンケルスマイルです。ですから、障害者の雇用率は90パ-セントです。立派なことです。そのような会社を、「日本を代表する」といわれているようなほかの企業は、果たして設立しているでしようか。

 ファンケルスマイル設立の反響はどうだっただろう。

 ファンケルスマイルには全国各地から、「ぜひうちの養護学校から採用してください」という声が届くそうです。

 「申し訳ありませんが、一人しか枠がありません」と言うと、養護学校から何人もの親御さんが来るそうです。親御さんたちは、
「なぜうちの息子を外すんですか」
「どうしてうちの娘はダメなんてすか」
と問い詰めてきます。納得できないのです。

 そこで、ファンケルスマイルでは、いつも3人くらいの生徒を受験させるのだそうです。

 あるときこんなエピソードがありました。

 養護学校のほうから、今年は「3人の生徒を派遣しますのでそちらで選んでください」と言われたそうです。A子さんは軽度の障害、B子さんは中度の障害、C子さんは重度の障害でした。当然、父母の方も、学校の先生方も、「A子さんが採用されるに決まっている」と思っていたようです。C子さんには、「どうせダメだろうけど、いちおうチャンスを与えてあげよう」という感じだったのです。

 採用する側でもそういう意見が大勢でした。
「C子さんは自閉症もあいまって無理でしょうから、軽度のA子さんを採用しましょう」
と社長が社員にはかったそうです。すると一人の社員がこう言ったそうです。
「私はC子さんを採りたい。なぜなら、A子さんやB子さんは、わが社が採用しなくても、きっとどこかの会社で採用してくれるはずです。しかし、C子さんは、わが社が今日、ここで採用しなければ、働く機会を永遠に失ってしまうかもしれません。働く喜びと、働く幸せを知らないまま、C子さんは息を引き取ってしまいます。そういう子のためにこそ、わが社は存在しているんじゃないですか……」
 その言葉にみんなわれに返り、「そうだ。それがわが社の存在する原点だ」と思い直し、そうしてC子さんが採用されたそうです。

 採用はされたけれども、重度の障害と自閉症を併せ持つC子さんのその後は並大抵のことではなかっただろうと想像できる。しかし、C子さんは自閉症を克服していく。その経緯は次のようである。

 (C子さんは)自閉症でしたから、半年間か一年間、誰ともコミユニケーションをとれないまま月日がたちました。ところがある日、仕事仲間から、
「あの子はしゃべらないけれど、いつも日記みたいな書きものをしている。われわれが行くと閉じてしまうけれど……」
という報告があったのです。そこでSさんという一人の社員が、筆談することを思い立ちました。

 最初は無視されましたが、心が通じたようで、だんだんと筆談するようになり、その頻度が非常に高まったそうです。そのうちC子さんは書くのが面倒になってきたのでしょう、自分の思いをすぐに伝えたくなったようで、ついに口を開いたのでした。

 C子さんは、今では普通に話せます。しかしそうなるまでには、何年も何年もかかったそうです。彼女の心を開いたSさんは、うれしいことに、やがてファンケルスマイルの社長さんになった方です。このSさんは、今でも三十数人の社員の方々と文通しているそうです。

 この方がいかに障害者である社員の方々に信頼されているかということは、すぐにわかりました。社長を見る障害をもった社員の方々の目の輝きが違うのです。この方は支持されている、信頼されていると、一目でわかりました。

 最後に坂本氏は次のようなエピソードを書き留めている。

 この会社のことも、ある新聞に書きました。

 新聞に書いたあと、私の教え子だったMという男性が、同じ教え子であった奥さんと二人で、何年ぶりかで正月に遊びに来たことがあります。そのとき、二人が連れていた子どもはダウン症でした。

 「お、珍しいなあ。よく来たね」と言うと、M君は「今年のお正月は先生にどうしても会いたかった」と言うのです。
「先生が書かれた、ファンケルスマイルの記事を見て、『ああ、先生がいる』と思いました。先生、絶対長生さしてくださいね。長生さして、この子の推薦状を書いてください。将来この子が養護学校かなんかを卒業して就職するとき、この会社に推薦状を書いてください」
 と言うのです。

 その子はまだ2歳くらいでしたが、障害を抱えた子どもの親は、その子の将来が心配で心配でたまらないのです。

 そういう多くの親たちの心の支えになっているのが、ファンケルスマイルのような会社なのです。

 地域社会への貢献の仕方は、いろいろあるでしょう。しかし、このような貢献の仕方は、お金ではできません。私たちは、そういうことをしている会社をこそ評価し、応援しなければならないのだと思います。

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企業経営の社会主義化・日本編(1)



未来工業株式会社


〈初めに〉
 社会主義というと「国家社会主義」を念頭に浮かべて拒絶反応を示す人が少なくない。念のために、「国家社会主義」が「社会主義を騙る社会主義にあらざる社会主義」であることを「アナーキズムについて」で論じているので参照してください。


 坂本光司氏の著作を読んでいて、沢山の感銘を受けた。その中から、「社会主義化」という観点から、いくつかを記録しておこうと思った。

 6年ほど前に「理想の会社」という表題で、「未来工業」という会社の紹介をした。その会社が『日本でいちばん大切にしたい会社2』で取り上げられていた。

 未来工業は「劇団未来座」という劇団を立ち上げて芝居の稽古に明け暮れていた二人の若者が創業した会社で、住設部材の製造・販売を行っている。劇団名をそのまま会社名にしているわけだが、創業者は当初から自由な発想の持ち主だったようだ。この会社の紹介記事の目次は次のようになっている。(ページ数省略、番号は私の付記)

未来工業株式会社(岐阜県)
「日本でいちばん休みの多い会社」だから、不況知らずの会社になれる

①日本でいちばん休みの多い会社
②人から言われてするのがイヤで自社製品を開発
③経営理念は「常に考える 何故・ナゼ・なぜ」
④提案すると500円
⑤残業をすると罰金を取られる会社
⑥社員の要望で勤務時間が短縮された
⑦タイムレコーダーもユニフォームもなし!
⑧列ができてもコピー機を一台しか置かない理由
⑨本社機能が大きい会社は儲からない
⑩70歳までしつかリ働ける会社
⑪被災した取引先の1億6000万円の債権を放棄
⑫未来へ受け継がれるユニークな精神

 「理想の会社」で紹介した内容と重複していない項目で目に付くのは⑪だが、これは阪神淡路大震災のときのこと。凄いと思う。坂本氏は次のように賞賛している。

 社員や取引先などへの未来工業のはからいは、半端ではありません。

 平成7(1995)年に起こった阪神淡路大震災の際には、未来工業と取引のある会社も被災してしまいました。なんとそのとき、未来工業は債権を放棄してしまったのです。その額は1億6000万円にものぼります。

 返済を猶予した、半額にしたという話はたくさんありました。しかし「そんな気の毒な人たちから1億6000万円も取れません」という会社はありません。「債権を放棄した会社」としても、未来工業は有名なのです。

 「社会主義化」という私の観点から、「理想の会社」では取り上げられていなかった事柄として、⑧⑩がとてもユニークだと思う。⑧は誰でも「なぜだろう?」という疑問を持つのではないだろうか。これは全文転載しておこう。

 個性の尊重ということでは、もう一つおもしろい、制度というより慣習があります。

 社員同士、上司も部下も「さん」づけで呼び合う、いわば〝さんづけ運動″です。平社員も課長も部長も役員も、みんな「さん」づけです。さすがに現社長の瀧川克弘さんや山田相談役を「さん」づけで呼ぶ人は少ないですが、それでも社長を「さん」づけで呼ぶ社員がいるそうです。

 これは、「部長の仕事をしている社員」、「課長の仕事をしている社員」、「一般社員の仕事をしている社員」という意識で、会社として役はあるものの、個人としては平等だということなのでしょう。

 女性にお茶くみをさせないのも、「お茶は女性が出すのが当然」という性差別をさせないからです。私が訪問したときなどは、女性のスタッフがお茶を出してくれましたが、男性も含めて、だれでもすぐにお茶出しできるように、何カ所も給湯コーナーが設けられています。

 このほかにも、机も椅子も全員同じ、勤務時間中に私用電話もOK、お菓子を食べるのもOKです。コソコソされるよりはそのほうがいい、「それが仕事に影響があるのですか?」という考えなのです。

 一見、非効率に見えて、実は深い考えのもとになされていることもあります。未来工業では、780人という大所帯にもかかわらず、コピー機が一台しかないため、かつては順番を待つ列ができるような日もあったそうです。

 未来工業を見学に来た、あるコンサルタントがそれを見て、「もう二、三台入れたら、待ち時間もなくなり、本来の仕事に時間を割けるので生産性が上がりますよ。売上高も数%は上がります」とアドバイスしてくれたそうです。ところが、山田相談役はこう答えたそうです。

「コピー機がもう二、三台あれば、並ばずにすむということは重々承知しています。しかしもっと列ができたとしても、わが社はこれ以上コピー機を増やしません。ふだん部署が違うため会えない社員が、コピーするために並ぶことで、待っている間に前後の人とおしゃべりができますからね。それでいいんです」

 あえてコピー機を一台にし、全社員のコミュニケーションの場づくりをして、風通しをよくしようということだったのです。つまり、重箱の隅をつつくようにして効率を上げようとするのではなく、社員同士のコミュニケーションを高め、風通しをよくすれば生産性は黙っていても高まる。生産性を高めるのは管理ではなく、社員のモチベーションを高める環境にあるということを教えてくれる例です。

 「ホウレンソウ(報告、連絡、相談)禁止」というのも、管理をしない経営の特徴でしょう。「常に考える」ですから、「相談するな、自分で解決しろ」というわけです。

 全社員が自分の個性・才能を伸びやかに発揮して、生き生きと、和気あいあいと働いている楽しい職場風景が彷彿と目に浮かんでくる。
今日の話題



TPP参加は売国行為だ


 前回、環太平洋経済連携協定(TPP)に少し触れた。今朝の東京新聞に世論調査の結果が掲載されていたが、その中に「TPP交渉参加を評価するか」という問いがあった。その問に対して「評価する25.2%」「ある程度評価する37.5%」で、好意的な回答がなんと62.7%もあった。世論調査のいかがわしさはいろいろと取りざたされているが、それにしても呆れた数字である。真実を報道しないマスコミの世論誘導の成果である(最近、東京新聞がTPPの問題点を報道し始めている)。この世論調査結果を知って、TPPについて少し詳しく取り上げる気になった。

 TPPは幕末の不平等条約(日米修好通商条約)に輪をかけたようなドンデモ条約である。TPPへの参加はアメリカの1%(支配階級)への売国行為にほかならない。このことを私が始めて知ったのは昨年9月のことであった。「マスコミに載らない海外記事」というサイトの「“グローバル経済クーデター”:密室での秘密交渉」という記事で知った。筆者はマーガレット・フラワーズ(小児科医)という方である。TPPの交渉会議は現在はシンガポールで行われているが2012年頃はアメリカで行われていた。フラワーズ氏は次のように書き始めている。

 今週、グローバル大企業による史上最大のクーデターの為の秘密「交渉」が、ヴァージニア州ランズダウンの辺ぴなリゾート地で進行中だ。それは環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)と呼ばれているが、もし読者がご存じなければ、アメリカ合州国では事実上報道管制されているのだから、読者も多数派の一員ということになる。

 氏はその交渉会場に通じる私道で「警官による暴行は覚悟の上で」自分の身体を「三本足のやぐら上に」縛りつけるという激しい抗議行動を行っていた。氏は上の記事の末尾で次のように訴えていた。

 この文章をお読みになった方全員が、家族や友人達に広めて下さるようお願いする。地元のマスコミには、TPPを報道するよう圧力をかけて頂きたい。認知度を高めるために、読者にはご自分でできる限りのことをして頂きたい。我々が暴露すれば、このグローバル大企業クーデターを止めることができる。我々自身、家族や、世界中の人々全員の健全な未来をお望みであれば、これを止めなければならない。

 では、フラワーズ氏が身体を張って抗議をし、このような悲痛な訴えをせざるをないTPPとはどんは条約なのか。

この条約は、大半大企業によって形作られている。ロン・カークが米通商代表部窓口だ。彼は大統領府の為に仕事をしているのだ。しかも600社の企業顧問が彼に協力している。これら顧問は交渉中に条約文章をリアルタイムで読むことができ、意見を言ったり、改訂を助言したりできる。ところが議員は文章へのアクセスが非常に限定されている。議員は個室の中でしか文章を読めず、しかも彼らは、携帯電話も、ペンや紙も持って入ることはできない。マスコミも国民も文章に全くアクセスできない。我々は漏洩されたものしか知らないが、その部分も実に恐ろしいものだ。

(中略)

 多くの住民が保守派である、ヴァージニア州のリースバーグさえ、私たちが出会った全員、そこで抗議行動をしている理由を説明すると、私たちの抗議行動を支持してくれた。TPPが、これまでに知る限り、以下のような結果をもたらすと思えばこそ、我々は反対しているのだ。

 もし環境や労働条件を保護する為の法律等が大企業の利益を妨げる場合、大企業が国家を訴えることを可能にする。

 裁判官の大半が顧問弁護士という私企業法廷をそうした訴訟審問の為に作り出す。

 医薬品の特許有効期間を延長し、価格を高いままにし、必要とする人が医薬品を入手できなくする。

 “バイ・アメリカン”条項を廃止し、より大規模な雇用の海外発注をもたらす。

 大手金融業の更なる規制緩和。

 インターネットの言論の自由、プライバシーや適正手続きの権利を損ない、人々の革新する力を阻害する。


 TPPは、大企業による歴史上最大の権力簒奪だ。TPPの下、多国籍大企業は、個々の国家より大きな権力を得ることになる。オバマ大統領は、アメリカ人に有利になる形で、NAFTAを再交渉すると約束した。ところが、TPPで、まさに逆のことが起きているようだ。我々は、オバマ大統領に、透明性の向上と、TPP文章の公開という大統領選挙時の約束に従って行動するよう求めているのだ。議会で、TPP採決を行う前に、民主的な審理過程をもうけることも要求している。

 これがアメリカ国内最後の交渉なので、時間が極めて重要だ。TPP交渉はブッシュ大統領の下で開始されたが、三年前まで本格的に動き出さなかった。大国がこれへの署名に関心を持っているので、ホワイト・ハウスは早い内にTPPをまとめようと狙っている。

 日本ではTPPについての報道は農業問題に限定されたような報道ばかりが目に付く。それでも、秘密交渉の内容が少しずつ明らかになってきているようだ。「五十嵐仁の転成仁語」が3月23日に『主権侵害条約「TPP」が振りまく「毒素」の怖さとは何か』と題して、フラワーズ氏が指摘した問題点をより具体的に分かりやすくまとめている。これをそのまま転載させていただこう。

 国会審議などを通じて、ようやくTPPというものの正体が分かりつつあるようです。依然としておぼろげではありますが……。

 それもそうでしょう。基本的には秘密交渉で、交渉の進展具合も、どのよう条件があるのかも、何が決まったかも、正確には分からないのですから……。

 交渉が終わってTPP条約が締結されてからも、その内容は5年間秘匿することが義務付けられているというのですから、秘密主義は決まった後でも貫かれているということでしょう。

 何があるか分からない真っ暗な部屋に入ろうとしている。そして、一度入ったら、もう出られない。それが、TPP交渉という闇の世界なのです。

 その闇の中には、危険な「罠」がいくつも隠されているのではないでしょうか。その「罠」の一つで最も良く知られているのがISD条項で、最近ではISDSと書かれることも多いものですが、TPP条約の代表的な「毒素」です。

 「ISDS条項」は投資家保護条項(Investor-State Dispute Settlement)のことで、ある国家が自国の公共の利益のために制定した政策によって、海外の投資家が不利益を被った場合、世界銀行傘下の国際投資紛争仲裁センターなどの第三者機関に提訴できるというもので、地方自治体の規制なども訴訟の対象になる可能性があります。それに「第三者機関」とはいっても、この「紛争解決センター」はワシントンにあってアメリカ支配下の世界銀行傘下で、審判はアメリカ寄りですから、アメリカの思うままです。

 現に、これまでの46件の提訴のうち31件が米国企業の原告で、米政府が負けたことは一度もないと言われています。しかも、この審理は非公開で、不服があっても上訴することができません。

 先ほど「『罠』の一つ」と書きましたが、「毒素条項」そのものは一つではありません。以下のような「毒素条項」もあります。

 たとえば、「ラチェット条項(Ratchet条項)」は、貿易などの条件を一たん合意したら、後でどのようなことが発生してもその条件は変更できないというものです。先発国がすでに合意した条件については、後から入った国は異議を申し立てられず、ただそれを受け入れるだけというわけです。

 「NVC条項(Non-Violation Complaint条項)」というものもあります。これは「非違反提訴」のことで、米国企業が日本で期待した利益を得られなかった場合、TPPに違反していなくてもアメリカ政府が米国企業に代わって国際機関に日本を提訴できるというものです。

 さらに、「スナップバック(Snap-back)条項」はアメリカ側が相手国の違反やアメリカに深刻な影響があると判断した場合、関税撤廃を反故にできるというものです。

 「未来の最恵国待遇(Future most-favored-nation treatment)」という条項もあります。将来、日本が他の国にアメリカより条件の良い最恵国待遇を与えた場合、自動的にその待遇はアメリカにも適用されるというものです。

 このほか、「ネガティブリスト方式」というものもあります。これは、明示された「非開放分野」以外は全てが開放されるというものです。

 規制必要性の立証責任と開放の追加措置というものもあります。日本が規制の必要性を立証できない場合、市場開放のための追加措置を取る必要が生じる、例えば当初米をネガティブリストに加えていても、その規制が必要であることを立証できない場合、無条件で開放させられるというものです。

 これらの条項によって、加盟国の市場は無理やりこじ開けられることでしょう。少しでも邪魔なものがあれば次々と訴訟を起こされ、アメリカ寄り(というより多国籍企業寄り)の「第三者機関」によって莫大な賠償金を支払わされます。

 政府の試算では、関税撤廃が求められている農業分野だけしか対象になっていない点が批判されました。非関税障壁の撤廃が求められている農業以外の分野での影響と損害は、見方によっては、もっと大きなものかもしれません。

 というのは、医療の市場化が求められ、公的医療の給付範囲は縮小し、医療格差は拡大するでしょうし、国民階保険崩壊の危機が訪れることになるからです。また、知的所有権の変更によって、著作権などはアメリカ企業に有利に変えられるでしょう。

 公契約や公共事業への参入という点でも、外資が安く入札して日本の建設業者は壊滅的打撃を受ける可能性があります。地方の土建業者にとっては死活問題になります。

 外国の農業法人が進出し、遺伝子組み換え食品や今まで認められなかった農薬なども流れ込んでくるでしょう。この点では、アメリカの遺伝子組み換え食物や種子などを取り扱うモンサントと住友化学(会長は米倉経団連会長)との親密な関係も注目されます。

 遺伝子組み換え食品などの表示方法の変更や食品関連の規制撤廃によって、安い米国製品が売り込まれ、病気や病人が増大するでしょう。こうして、医療に対する需要が高まり、混合診療の解禁や新薬・高い薬の売り込みなどを通じて外国の医療ビジネスにとって大きなチャンスが生まれますが、国民にとっては医療費が増大し、自己負担が拡大することになります。

 郵政・金融・保険などの分野にも、米国企業が参入してくることになります。差し当たり、郵貯・かんぽの資金267兆円が標的となることでしょう。

 こうして、国民の健康と安全が脅かされ、日本はアメリカの医療資本や保険ビジネスの草刈場となります。「病気の沙汰も金次第」という、アメリカ映画「シッコ」のような未来が、この日本に訪れるにちがいありません。

 とはいえ、TPP条約の内容については、おぼろげにその姿が分かるだけで、すべては暗い闇に包まれたままです。世論調査ではTPPへの支持率が高いようですが、このような恐ろしい内容が知らされていないからだと思います。

 以上に見たような、主権侵害条約としてのTPPのおぞましい全貌が明らかになれば、このような世論も大きく変わることでしょう。でも、その時になってからではもう遅い、ということにならなければよいのですが……。

今日の話題



日本の不良会社


 坂本光司氏は次のような順で関係する人々を大事にするのが優良会社の経営理念であると指摘していた。

1 社員とその家族
2 社外社員(下請け・協力会社の社員)とその家族
3 現在顧客と未来顧客
4 地城住民、とりわけ障害者や高齢者
5 株主・出資者・関係機関

 マスコミを通して知る労働者の酷使(残業・リストラ・非正規社員の冷遇)や下請けいじめなどの不祥事(搾取状況)から、私はほとんどの大会社は不良会社だと判断している。先日図書館で坂本氏の著書を探していたとき、『佐高信の《辛口》100社事典』という本が目にとまり、これも借りてきて読んでいる。佐高氏は冒頭で「男女総合人気企業ランキング(08年度)」を取り上げて論評しているが、そこで氏は
「このランキングに挙っている企業は、ほとんど過労死の例がある企業ばかりである。強いて言うならば、比較的マシな会社はソニー(5位)とホンダ(22位)くらいだろうか。」
と述べている。

 不良会社の内実を数字から見てみよう。

 私は毎日必ずチェックするブログが十数もある。「五十嵐仁の転成仁語」はその一つである。昨年4月6日(金)は『「会社が儲かれば給与は上がる」というのは「都市伝説」か「神話」にすぎない』という表題で大企業の不良振りが摘発されていた。その記事で使われていた数字と五十嵐氏の解説を紹介しよう。

資本金10億円以上の企業が対象(単位は億円)。

         2010年    1998年     差
経常利益   4852      2344      508
配当      1380.1     565.9     814.2

 資本金10億円以上の企業では、1998年から2010年までの間に、経常利益は508億円増えている。配当に至っては814.2億円増大し、2倍以上になっている。しかし、給与だけは減っていた。その減収額は221億円にもなる。

 本来、労働者の給与として支払われるべき部分が、経常利益として会社の収入となり、配当金として株主の手に渡ったというべきかもしれません。もし、この給与の減少分をきちんと支払ったとしても、経常利益にしろ、配当にしろ、増え方が少なくなるだけで、マイナスになるわけではありません。

 この間には、2002~07年の戦後最長の景気回復期が含まれています。大企業は軒並み史上最高益を更新し続けました。  その反映が、経常利益の増大や配当の多さに反映されています。しかし、それは、給与には全く反映されませんでした。

 「会社が儲かれば給与は上がる」というのは、「都市伝説」か「神話」の類にすぎなかったのです。富者が豊かになれば、そのおこぼれが貧者の懐にも回ってくるというトリクルダウン理論も、真っ赤な嘘でした。

 これに大企業の役員が億単位の報酬を貪っていることを付け加えておこう。下の数字は上位10位の年収額(2006年度)である。

順位 	会社名 	平均年収(万円)
1 	日産自動車 	29,623
2 	ソニー 		23,757
3 	住友商事 	13,807
4 	コマツ 		12,914
5 	マツダ 		12,666
6 	トヨタ自動車 	12,088
7 	三菱商事 	12,064
8 	ファナック 	11,880
9 	新日本製鉄 	11,168
10 	川崎汽船 	10,930

 ここには銀行が出てこないが、銀行については佐高氏が次のように酷評している。

 銀行が汚いというのは、高杉良の経済小説シリーズ『金融腐蝕列島』(角川文庫)でも、第一勧業銀行(現みずほ銀行)の総会屋事件について触れているが、銀行は総会屋やヤクザといった闇社会とつながっているというダーティーな側面がある。基本的に、総会屋は銀行が雇っている。株主総会でデタラメな融資などを株主に追及されないよう、事前に総会屋を介して株主を籠絡するなどして、揉み消している。その一方で、三菱自動車がリコール隠しでメディアに叩かれてもつぶれなかったのは、同じ三菱グループの三菱東京UFJ銀行が財政支援したからである。昔から銀行はこうした私利私欲に走ったデタラメな業務をしてきたにもかかわらず、銀行というだけでつぶされずに生き残ってこれた。

 この銀行という不良企業の会長・頭取の退職金が『100社事典』に掲載されていた。

『週刊東洋経済1996年1月27日号』
      (役職は当時 単位は億円)
日本興業銀行頭取 黒澤 洋  5.0
第一勧業銀行会長 宮崎邦次  4.2
      頭取 奥田正司  2.3
さくら銀行会長  末松謙一  5.3
     頭取  橋本俊作  3.2
三菱銀行会長   伊夫伎一雄 5.9
    頭取   若井恒雄  4.7
富士銀行頭取   橋本 徹  2.5
三和銀行会長   渡辺 滉  3.8
    頭取   佐伯尚孝  2.0
 これら大企業には優良会社の経営理念のひとかけらも見られない。

 さて、五十嵐氏は、もう一つ、外国人株主の保有比率を取り上げている。

10年度の比率
機械		27.9%
電気機械	32.5%
輸送用機械	30.9%
精密機械	29.3%
鉱業		36.3%
保険業		34.5%

 つまり、日本の企業であっても、その株の3割ほどは外国人に握られているというわけです。もちろん、企業によってはばらつきがあり、この割合がもっと高いところもあるでしょう。

 これらの数字は、日本の大企業が従業員のことを顧慮していないということ、日本の企業であっても必ずしも日本の「国益」を守るようなスタンスを取らないということを示唆しているように思われます。

 ここで環太平洋経済連携協定(TPP)などについての企業の主張や行動を見るときには、これらの数字を思い出してみることも、大いに役立つのではないでしょうか。

 外国の投資家の利益を優先している大企業の指向が自ずと浮かび上がってくる。そう、TTPはこの指向をますますグロテスクにしていくだろう。

 さて最後に、不良企業の大連合・経団連のブラックジョークのような憲章「社会の信頼と共感を得るために」を掲げよう。

 企業は、公正な競争を通じて付加価値を創出し、雇用を生み出すなど経済社会の発展を担うとともに、広く社会にとって有用な存在でなければならない。そのため企業は、次の10原則に基づき、国の内外において、人権を尊重し、関係法令、国際ルールおよびその精神を遵守しつつ、持続可能な社会の創造に向けて、高い倫理観をもって社会的責任を果たしていく。

 社会的に有用で安全な商品・サービスを開発、提供し、消費者・顧客の満足と信頼を獲得する。

 公正、透明、自由な競争ならびに適正な取引を行う。また、政治、行政との健全かつ正常な関係を保つ。

 株主はもとより、広く社会とのコミュニケーションを行い、企業情報を積極的かつ公正に開示する。また、個人情報・顧客情報をはじめとする各種情報の保護・管理を徹底する。

 従業員の多様性、人格、個性を尊重するとともに、安全で働きやすい環境を確保し、ゆとりと豊かさを実現する。

 環境問題への取り組みは人類共通の課題であり、企業の存在と活動に必須の要件として、主体的に行動する。

 「良き企業市民」として、積極的に社会貢献活動を行う。

 市民社会の秩序や安全に脅威を与える反社会的勢力および団体とは断固として対決し、関係遮断を徹底する。

 事業活動のグローバル化に対応し、各国・地域の法律の遵守、人権を含む各種の国際規範の尊重はもとより、文化や慣習、ステークホルダーの関心に配慮した経営を行い、当該国・地域の経済社会の発展に貢献する。

 経営トップは、本憲章の精神の実現が自らの役割であることを認識し、率先垂範の上、社内ならびにグループ企業にその徹底を図るとともに、取引先にも促す。また、社内外の声を常時把握し、実効ある社内体制を確立する。

 本憲章に反するような事態が発生したときには、経営トップ自らが問題解決にあたる姿勢を内外に明らかにし、原因究明、再発防止に努める。また、社会への迅速かつ的確な情報の公開と説明責任を遂行し、権限と責任を明確にした上、自らを含めて厳正な処分を行う。

 佐高氏の辛口論評。
「読んだだけで経団連傘下の多くの企業が恥ずかしくならなけれならないと思うが、……羊頭を掲げて狗肉を売るために経団連は憲章をさだめたのだろうか。」
今日の話題



日本の優良会社


 三年半ほど前に、『大搾取!』(スティーブン・グリーンハウス著/曽田和子訳 文藝春秋)という本を教科書にして、「企業経営の社会主義化」という表題でアメリカの優良企業の紹介をした。ここでいう優良企業とは「従業員を搾取することなく(=人間として大事に扱い)成功している企業」のことだった。私はこの連載を始めるに当って
「従業員を搾取することなく(=人間として大事に扱い)成功している企業は日本にもかなりあると予想しているが、私の狭い情報源には入ってこない。できれば日本の例で話を進めたいのだけれど、やむを得ない。」
と書いたが、先日、日本の優良企業を長年にわたって調査している人がいるのを知った。

 東京新聞に「あの人に迫る」という連載記事(毎週日曜)がある。3月17日(日)の記事では坂本光司(経営学者)という方を取り上げていた。この記事のあらましを紹介しよう。

 インタービューアの太田鉄弥記者は坂本氏を次のように紹介している。

 全国の中小企業約七千社を訪問し、経営方針と業績を聞き取った研究結果から、「正しい経営」を提唱している法政大大学院教授、坂本光司さん(61)。その著「日本でいちばん大切にしたい会社」は根強く読まれている。日本の終身雇用制度が崩れ、リストラが当たり前となりつつあるいま、「一番大切なのは株主ではなく、社員」との訴えが注目を集める。

 坂本氏は静岡県中小企業振興公社(当時)に職を得て、中小企業を訪ねて景況調査を担当していた。そのときの体験を次のように語っている(以下の記事からの引用文は前後関係を編成し直しています)。

 当時はオイルショックや、固定相場の崩壊による円高で自動車など輸出産業が打撃を受けた。下請けは、徹底したコストダウンを求められた。手を真っ黒けにして「利益がなくても仕事があるだけいい」と話す社長さんたち。この人たちが国を支えているのに、あまりにも厳しい。社長たちの苦しみを聞き、私は経営の相談まで受けるようになった。

 助けたくて勉強した。場数を踏んで知見が増え、「それはやめた方がいい」「他の企業はこうしてうまくいった」と助言できた。私に勉強を与えてくれたのは現場です。普通は一日二軒の景況調査を私は八軒回つた。それを十五年間続けた。社員を守るために自分の給与を減らす社長もいた。そうした会社を応援したい。そのためにもっともっと多くの社長に会って学びたい。天職だと思った。

 1987年に出版した本が中小企業研究奨励賞本賞を受けた。それまでの受賞者は教授ばかりなのに40歳の公務員がです。誰よりもたくさん現場に出て、たくさん論文と本を書き、教授になった。従来の学者の鼻っ柱を折ることを言うので、嫌われたね。

 坂本氏が現場から得た知見「正しい経営」とはどういうものだろうか。氏は次のように語っている。

 会社の使命と責任は5人の幸せを実現すること。具体的には「社員とその家族」「社外社員」「顧客」「地域住民とりわけ障がい者や高齢者」「株主」です。この順番が大切で、従来の経営学とはまるっきり違う。

 一番は社員です。次に大切な社外社員とは仕入れ先や外注先、下請け先のこと。縁の下の力持ちなのに「下請けいじめ」など、現状はあまりに冷たい。最後の株主は強く意識する必要はない。意識すると、短期の業績を上げて株価を高めることに必死になり、ほかを犠牲にしてしまう。前者4人の幸せを追求すれば、自然と株主の幸せにもつながる。

 会社は資本家のため、お客さんのためにあるといわれてきた。しかし景況調査を重ねるうちに「人財」が集まる会社は景気にぶれない、という法則にたどり着いた。北海道から沖縄まで動き回るうちに、ここにも、あそこにもと、そうした会社が糸でつながり、理論に到達していった。

 人財とは会社の財産となる社員。企業の資源は人、物、カネ、技術というが、人がすべて。ほかは人間のための道具にすぎない。いい会社はリストラしないし、いい意味で年功序列で、ぬくもりがある。人と生活をとことん大切にする「人本(じんぽん)経営」を貫いている。

 坂本氏は「正しい経営」を貫いている会社を二例挙げている。

 決定的だったのは20年前に訪問した長野県伊那市の寒天メーカー、伊那食品工業。「会社を取り巻くすべての人々がいい会社だねと言ってくださる会社」を社是に、社員や地域住民を大切にしてきた結果、48年間も増収増益を続けた。社長に会って話を聞き、私は肩の荷が下りた気がした。「同志です」と握手を求めた。社長も「同じような経営をする会社がほとんどないから、自分の考え方は間違っているんじゃないかと思った」と。

 本(『日本で一番大切にしたい会社』)を書くきっかけになったのは十年前に訪れた川崎市の日本理化学工業。粉の飛ばないチョークを製造し、当時いた従業員約50人のうち7割が知的障がい者だった。障がい者を雇用し始めたのは60年前。特別支援学校の教諭が「春に卒業する二人の女の子の就職先が決まらない」と訪ねてきた。「就業体験だけでも。でないとこの子たちは働く喜び、働く幸せを知らないまま施設で暮らすことになる」と。少女たちは懸命にラベル貼りをした。一週間の体験が終わる前日、全社員が社長を囲み「二人を正社員にしてください。できないことがあれば私たちがカバーします」と頼んだという。素晴らしい話です。話を聞いている最中、初老の女性が小さな声で「コーヒーをどうぞ」と。出て行った後、社長が「いまの彼女です」と言う。私は涙をこらえられなかった。

 このくだりで私ももらい泣きをしてしまった。私は坂本氏の著作を直接読んでみたいと思った。私が利用している図書館の蔵書を検索してみたら坂本氏の著書は11冊あった。『日本でいちばん大切にしたい会社1・2・3』と『〝弱者″にやさしい会社の話』を借りてきた。



 太田記者は「インタビューを終えて」で次のように書いている。

 正しい経営って何?
 当たり前すぎる命題で考えてもみなかった。確かに「これが正しい経営です」と明記された法律はないし、社員は簡単にリストラされる。自宅には「本を読み、私の方針が間違っていたことに気付いた」と経営者からの手紙やメールが届く。ある若者は「人を大切にする会社、という物差しでもう一度、就職戦線に上がる」とつづってきたという。

 私か就職活動をした2001年当時、学生の憧れは利益一兆円のトヨタ自動車と、世界的ブランドのソニーだった。企業を測る物差しが多様になれば、この国はもっと活気づく。

 強欲資本主義と政府の誤った政策のツケで「就職氷河期」といわれる惨憺たる社会状況になって久しい。このささやかな紹介記事が、厳しい就職前線に立たされている若者たちの一人にでも出会えたらうれしいです。是非「人を大切にする会社、という物差し」で、「就職(仕事)とは何か」という問いを深められんことを願っています。
《続・「真説古代史」拾遺篇》(158)



「生口」とは何か


(「人口問題」については、一所をぐるぐる回っている感じで、これといった進展がありません。いましばらく宿題にしておきます。)

 『三国志』中の「生口」の使用例を調べてみた。全て魏志の中だけで蜀志・呉志にはなかった。14例あった。そのうち9例は「魏書にいう」「魏略にいう」など、注釈文中での使用である。意味はすべて「捕虜」である。本文中の使用例は「濊伝」に1例と「倭人伝」に4例あるだけだった。「濊伝」の例は
其邑落相侵犯,輙相罰責生口牛馬,名之為責禍
で、筑摩書房版『三国志』では
「邑落のあいだで侵犯があったときには、罰として奴隷や牛馬を取り立てることになっている。この制度を責禍と呼ぶ。」
と訳している。「倭人伝」中の4例もすべて「奴隷」と訳している。倭国の場合は『後漢書 倭伝』にも1例ある。それも含めて全5例を転載しておこう。

(後漢書 倭伝)

安帝の永初元年、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願う。

(魏志 倭人伝)

その行来・渡海、中国に詣(いた)るには、恒に一人をして頭を梳(くしけず)らず、蟣蝨(きしつ)を去らず、衣服垢汚(こうお)し、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人の如くせしむ。之を名づけて持衰と為す。若し行く者吉善なれば、共にその生口・財物を顧し、若し疾病有り、暴害に遭えば、便ち之を殺さんと欲す。その持衰謹まず、と請えばなり。

親魏倭王卑弥呼に制詔す。帯方の太守劉夏、使を遣わし、汝の大夫難升米・次使都市牛利を送り、汝献ずる所の男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈を奉り以て到る。

其の四年、倭王、復た使大夫伊声耆・掖邪狗等八人を遣わし、生口・倭錦・絳青縑・緜衣・帛布・丹・木[犭付]・短弓矢を上献せしむ。

政等、檄を以て壹与を告喩す。壹与、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等を送りて還らしむ。因りて臺に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔・青大勾珠二牧・異文雑錦二十匹を貢す。


 『三国志』の中では中国(魏)に生口を貢献しているのは倭国だけである。では、この生口とは何なんだろうか。

下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入り、辞を伝え事を説くには、或は蹲りあるいは跪き、両手は地に拠り、之が恭敬を為す。対応の声を噫(あい)と曰う。比するに然諾の如し。

 下戸は大人に完全に隷属していた。さらに、「婢千人」が俾弥呼に仕えていたし、また俾弥呼の死に際しては「徇葬する者、奴婢百余人」とある。倭国では「大人―下戸―奴婢」という徹底した身分制度が貫かれていた。生口は、「生口」という特定の呼称で呼ばれているし、②のように特別な褒美として与えられたり、③④のように貢物として使われたりしているのだから、単なる奴隷(奴婢)ではないだろう。なにがしかの技術か芸事を身につけていた者だったのではないだろうか。後の「部民」のような存在である。

 もしそうだとしても、①⑤の例は数が多すぎてちょっと変である。②③④の場合とは異なる意味があるのかも知れない。特に⑤では、生口を「献上し」宝物を「貢す」、とその行為を示す文言を使い分けている。「献」には「上奏する」という意味もあるので、①⑤の「生口」は②③④とは異なる意味があるのかも知れない。

 実は①⑤の生口については、古田氏が『俾弥呼』で取り上げているのでそれを紹介しよう。

 古田氏は「倭人伝」冒頭の「使譯通ずる所、三十国」の「三十」と⑤の「三十」の一致に注目して、次のように論じている。

 この「三十」という数値の「一致」は偶然だろうか。

 中国の歴代の史書が〝依拠する″立場がある。それは「中華思想」だ。その要点を左に記してみよう。

第一、
 中国と周辺の国々(「夷蛮」)との関係を「上下関係」で扱う。
第二、
 したがって「中国と他国との交流」を「献上」と「下賜」の形で記載する。

 たとえば、後漢書の倭伝には、次の著名の記事がある。

(①を掲載している。略す。)

 しかし、この「訓み」は疑問だ。右のような、通例の〝訓み″に従えば、その意味は次のようになろう。

(その一)
 倭国の王、帥升自身が漢の都、洛陽へおもむいた。
(その二)
 そのさい「捕虜、百六十人」を漢の天子、安帝に献上した。

 しかし、この「理解」は疑問だ。なぜなら「捕虜百六十人」を、倭国王がみすがらひきいて、漢の都へ向かったのか。もし、そうとすれば、「百六十人」をはるかに上廻る「倭国の軍団」がこれを〝ひきいて″いなければならぬ。けれども、そのような「倭人軍団」の存在は、一切書かれていない。

 これに対し、「生口」の語は「捕虜」を指すだけではない。「牛馬」を指す用法もある。たとえば「人口」という術語も、「捕虜の人数」ではない。「生きた人間の数」だ。

 同じく、この「生口」も、〝生きた人間の数″を指しているのではあるまいか。すなわち、倭国内の各地の倭人の使者団の〝総数″である。

 この場合、倭国王自身がみずから「洛陽」へ参上する必要はない。使節団百六十人を洛陽に送り、この「百六十人」に対する、漢の天子の「請見」を求めたこととなろう。この場合はもちろん、「百六十人」以外の、そして以上の「倭軍集団」の存在など不要だ。彼等百六十人こそ、「倭国の各地からの使節団」なのであるから。

 右のような「解釈」と〝対応″し、これを裏づけているのが、先述の「三国志」の倭人伝冒頭の言葉である。

旧百余国。漢の時朝見する者あり。

 右の「百六十人」が、倭国内の各国からの一名ないし二名の「代表者」であった場合、この(百余国(=百三十~四十国)」の「朝見」と、ほぼ一致する。彼等は、中国の天子、安帝の「請見」を願って、はるばる洛陽へとおもむいたのであるから。

 この倭人伝内で、俾弥呼が大夫難升米等を京都(洛陽)へ送り、

天子に詣りて朝献せんことを求む。

と書かれているのは、この「漢代の故事」に習ったもの。その歴史的背景を、陳寿は倭人伝の冒頭に記したのではあるまいか。

 けれども、「統一されていた、漢王朝の時代」とは異なり、いち早く「親魏」の立場を鮮明にした国々は、わずか「三十国」にとどまっていたのであった。

《続・「真説古代史」拾遺篇》(157)



「倭人伝」の戸数問題(6):人口(4)


 戸数問題は前回で終わる予定だったが、書き残したことや新しく得た情報があるので、それを追記した。

 一つは、行きつけの図書館の蔵書検索をしていて、『図説検証 原像日本』(1998年刊)に小泉清隆氏のよる論文「古代の人口と寿命」があるのを知った。それを読んでみた。そこから得た情報を報告したい。

 上記論文では出挙稲と課丁数を用いた奈良時代の推定人口、郷数による奈良時代の推定人口、遺跡数を用いた縄文時代・弥生時代の推定人口を全て紹介している。そして、遺跡数を用いた推定については、特に縄文時代について問題点を三点指摘している。次のようである。(小泉氏はこの人口推定者を鬼頭宏ではなく小山修三としている。)

 この推定には、大きく分けて三つの問題点がある。

 まず第一の問題は、人口の大きさは、発見されている遺跡の数に比例するのかということである。遺跡数は調査をすれば増加する傾向にあり、調査の疎密が遺跡の疎密に比例する。西日本では遺跡発掘があまり進んでいないので、東日本に比べて人口を過小推計する傾向がある。

 第二の問題は、一遺跡当たりの人口数である。縄文時代には、移動性が高く、小さなキャンプ地のような集落を短期間のうちに数多くつくる時期もあるが、定住性が高く、大規模な集落をつくり、長期間にわたってそこに住んでいる時期もある。そのような性質の違う遺跡に、均等な人口数を割り当ててもよいのであろうか。また、各時代について推定された土師器期に対する人口の比例定数は、現実を反映している妥当なものであるのか。この比例定数が少しでも違うと、結果として出てくる人口数は大きく変わる。しかし、算出した人口数をある程度の誤差を含んだ概数とみなしておけば、これら第一、第二の問題はたいした問題ではない。

 第三の問題は、人口数の安定性についてであり、各時代の人口はその期間を通して大きな増減はなく、安定していたと仮定していることである。縄文時代の各時期を細かくみると、その時期を通じて遺跡の数は一定しているわけではない。すなわち、時期によってはその中のある一時点において、極めて遺跡数が少なくなっている場合がある。

 今村啓爾によれば、このような遺跡数の減少する現象は、関東では縄文時代の前期末の十三菩提式期(約5000年前)および後期初頭の称名寺式期(約4000年前)に起きていることが確認されている。

 また、十三菩提式末期は関東の土器型式が東北地方北部の影響を受け、称名寺式期は西日本の影響を受けているというように、これらの時期には、遺跡の減少とともに、その土器型式が他の地域の影響を受けている。このことは、人口の減少とともに、他の地域から関東地方への、少なからぬ人口流入があったことを示していると解釈でき、人口の増減は緩やかに起きているのではなく、今村の主張するように、かなり大きい幅で増減を繰り返している可能性がある。

 この第三の問題は重要で、今村の主張が正しいとすれば、遺跡数から推計した人口は、各時代のどの時点のものなのか明確ではなく、数字はその時代を通しての人口を意味しなくなる。しかしながら、そのように局所的には大きな増減があったとしても、遺跡数と人口は密接な関係にあり、縄文時代、弥生時代といった大きな時代の流れの中で類推したものとしては、小山の示した人口動態は正しい結論であるといえよう。

 これらの問題点の指摘は主として縄文時代を対象に行われている。小泉氏は「ある程度の誤差を含んだ概数」として「大きな時代の流れの中で類推したものとしては、小山の示した人口動態は正しい」と、その正当性を認めている。しかし、私は、三つの問題点は大筋として弥生時代にも適応できると思うし、これだけの問題点があればその推定人口は採用しがたいと考える。

 ところで小泉氏はさらにもう一つ、「倭人伝」の戸数をもとにした推定人口を記載している。次はその全文である。

邪馬台国の人口

 さて、奈良時代以前の人口は、いったいどうであったのであろうか。邪馬台国のあった時代の人口を知る手掛りが、中国の晋の時代に書かれた『魏志』倭人伝にある。この中には、邪馬台国のほか七つの国の戸数が出ているが、これから推定すると、これら8か国の人口は159万人となり、邪馬台国およびその属国28か国の総人口は180万人、これに、それ以外の狗奴国や『魏志』倭人伝に出ていない東日本の人口を含めれば、三世紀ころの日本の総人口は、多少不確かといわざるを得ないが、ほぼ300万人ではないかと推定されている。

 他の推定人口の場合、その推定法法をかなり詳しく解説しているが、ここにはその種の記述がない。どのような計算をしたのか、その根拠を探ってみよう。

 邪馬壹国の属国を29ヵ国ではなく28ヵ国としているのは、おそらく二つの奴国を、陳寿の誤記みなし、同一国であると考えてのことだろう(水野氏もその説を唱えている)。すると8ヵ国以外の21ヵ国の人口をおよそ1万人と推定していることになる。

 では8ヵ国の人口159万人はどのようにして計算したのだろうか。逆算してみよう。8ヵ国の総戸数は15万戸だから、「159÷15=10.6」。つまり、1戸当たりの口数を10~11人とみなしていることになる。

 ここで私が書き残した問題が浮かび上がってくる。私は、漢書などの例とそのころの生産力(とくに食料)などを勘案して、1戸当たりの口数を5人と仮定した。このとき、「倭人伝」の
「その俗、国の大人は皆四・五婦、下戸もあるいは二・三婦。」
という文が念頭に浮かんでいた。そして、もしかすると1戸当たりの口数はもっと多いのではないかとも思っていた。しかし、それでは倭国の人口はとてつもなく多くなってしまう。それで、取りあえず、口数5人で論を進めてみた次第だった。清水氏が紹介している推定人口の一戸当たりの口数10~11人は上の「倭人伝」記事を考慮しての推定だったのではないかと推測している。

 「井の中」では「邪馬台国」九州説論者は「倭人伝」に記録されている国々を全て九州内に比定しているようだ。しかし、小泉氏は「『魏志』倭人伝に出ていない東日本の人口」と言っているので「邪馬台国」大和説論者のようだ。いずれにしても、遺跡数から推定した200年の推定人口60~70万人との大きな差違を全く検討せずに二つの推定人口を併記しているが、論説者のそのような姿勢にいささかあきれている。

 「8ヵ国の人口159万人」という推定は全くお話にならないし、一戸当たり口数5人で計算した「8ヵ国の人口75万人」も多すぎる。ここで私の思考は停止していた。

 ということで前回お手上げ宣言をしたわけだったが、これについて「愛読者」さんがコメントで次のようなアイデアを提出されていた。

『倭人伝の「戸」ですが、「国の大人は皆四、五婦、下戸もあるいは二、三婦。」「下戸、大人と道路に相逢えば」の「下戸」は個人の意味ですよね。やはり倭人伝の「戸」は「口=人」の意味かも・・』

 「わっ!大胆」と思った。しかし、『諸橋大辞典』を調べたら、「戸」にはそういう意味もあるんですね。

⑧ひと。住民。人民。
〔唐書、姚崇傅〕温戸彊丁。
〔劉禹錫、洛中送崔司業使君扶持赴唐州詩〕洛苑魚書至、江村雁戸帰。
(引用例文についてはよく分らない点があるが、一応転載しておく。ちなみに、雁戸は「流亡する民」という意味の熟語のようだ。)

 「戸数=人口」という仮説を検討してみようと思う。なにか進展があれば次回に。