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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
ちょっと横道へ。
文章作法あるいは思考方法について


「隠居」さんから、私の文章作成や資料の扱い方について、いくつかご注意をいただきました。いまテーマにしている《真説古代史・近畿王朝草創期編》の記事だけではなく、いままで書きためてきた全ての記事に関わる問題でもあります。もしかすると多くの方が同じような感想をお持ちかもしれません。この機会にお答えしようと思います。連載から外して書き留めることにします。

 まず、次のご指摘にお答えします。(おおよそ四点ありますが、投稿文とは順序を変えています。)

(1)
・さらに気になったのは,他者の言説よりの引用の仕方です。
貴兄の場合,時にこの主張は誰のものなのか不明なことがあり,引用箇所には鉤括弧「」を付けるとかなさらないと,“自他”が大変まぎらわしいです。

 私は他者の文章を引用する時、短い場合は「 」を付けて引用しています。また段落を必要としたり、長い文章の場合は、上のように「BLOCKQUOTE」というタグを使っています。また直接の引用ではなく要約したものを書く場合は、「要約すると」とか「以下は…の要約です。」というような断り書きをしているはずです。ただし、議論の前提になる資料や事実で、私が共有できていると判断したものは引用符なしで本文中に置いています。

 他の人の理論を取り上げるとき、上記のように十分気を配っているつもりですが、もしも「“自他”が大変まぎらわしい」部分があるとしたら、私の手落ちです。具体的な指摘があれば訂正するのにやぶさかではありません。

(2)
・古田説を奉じていらっしゃる方々は,氏の著作は一通りお持ちで,氏の言説の大事な部分(初期のもの)はおおよそ理解していらっしゃるものと思って,記事を拝見しておりましたが,そうではないという意外な言葉に接し,驚いています。

 驚かせて、いや落胆させて済みません。ご指摘の通りです。私は古田さんの著書の一部しか持っておりません。相当数の著作のうち、一応通読したものは数冊でしょうか。その数冊から、古田さんの学問に対する姿勢の誠実さと論証の堅固さや、今まで疑問に思っていたことが次々と解明されていくスリルに魅せられて古田説を紹介し始めました。そして時々白状していますが、まだ知らなかったことについては、その都度図書館から本を借りて来て、必要な部分を拾い読みしています。

 とくに現在のテーマの場合、古田説に全て通暁した上で全体の考えを確定し文章化したものを発表しているのではなく、考えている経過をそのまま書いています。ですからご覧のように、時にはあっちへ行ったりこっちへ来たり、もたもたしています。こういうやり方も面白いのではと思っているのですが…。

 理論的なテーマの場合、私自身が第一資料に当たって独自の論説を創造したなどという部分はほとんどありません。私が書く記事は、それぞれのテーマについて、私が論理的に納得できた理論や著者の立ち位置に共感した文章を紹介することを旨としています。つまり私には何かを研究しているという意識はありません。そのことを折に触れて何度か書いていますが、最も早い時期の記事を再掲載します。「日本のナショナリズム(1)」の冒頭の文です。
 前回引用した戸井さんの文章に次の一節があった。
 「どうしてそういう世の中になってしまったのです、してしまったのです」 ―ここのところがむずかしくて、わたしにもよくわからないのだが、ぼくの生まれるずっと前から、長い年月かけて代々の大人たちがそういう世の中をつくってきたことだけは確かだ。そこがおそろしいのだが、そのへんを、もっと勉強するしかないと思う。

 このホームページで私はもっぱら他人のことばの受け売りをやっている。それは私に人に語るべきほどの蓄積がないからだ。つまり私はこのホームページで戸井さんが言うところの「勉強」をしているつもりなのだ。そして「もっと勉強するしかない」と思っている。

 私のブログは一貫して「興味のある方、一緒に勉強しませんか」という趣旨のブログと心得ています。古田古代史についても私は勉強途上者です。

(3)
・後,古田説を信奉なさる以上,貴兄の説が,古田氏の説を金科玉条と考えて,それに沿ったものになるのは仕方のないことだと思われます。

・しかしながら,既にお気付きの事と思いますが,氏の説は“証明”されたものでなく,言わば“仮説”に過ぎません。

・したがって,時に訂正や旧説撤回が見られます。しかし,そのことが,どこまで及ぶのか,古田氏自身においても“後始末”が十分ではないのです。

・あくまでも,研究において大事なことは,ご自分の頭で考えることです。あまりに盲信なさると,真実を見誤ってしまいます。

 当然のスタンスですが、古田さんの論考にかぎらずどのテーマの場合も、論理的に反論の余地がない説については受け入れますが、論理的に納得のできない説は受け入れなせん。「古田古代史の会」のHP「新古代学の扉」に公開されている研究成果を利用させてもらっていますが、全ての論文に賛同しているわけではありません。当然のことですが、自分なりの基準で取捨選択をしています。

 古田さんの言説は、部分的には疑問を感じることもありますが、おおかたは論理的に反論の余地がない説と思っています。しかし決して「信奉」はいていません。その学問への誠実な姿勢や堅固な論理を「信頼」しているだけです。「金科玉条」にもしていないし、「盲信」もしていません。だからこそ、古田説の中の矛盾にであうとあれこれ考え込んでしまいます。そのような時は該当部分を納得できるまで繰り返し読んでいます。他者の文章を読むとき、まずはそれをつとめて理解しようという姿勢で読むことが読む側の持つべきスタンスだと心得ています。それでも納得できなければ異説を出すことになるでしょう。古田説に異論を出したこともあります。例えば「大嘗祭」に関する事柄で古田説に異を唱えています。

 『古代に真実を求めて13集』所収の古田さんの講演記録「日本の未来―日本古代史論」の末尾の文章を、自らへの戒めとしてノートに記録しておきました。心懸けているつもりです。

質問(2)
 方法論についてお答えいただきたい。

 よい質問を忘れずしていただきました。今までの学界の方法は上乗せ主義です。井上光貞氏はこのように言っている。この上に立てばこうだ。上田正昭氏はこうだ。この上に立てばこうだ。門脇禎二氏はこのように発言している。そう言えばこうだ。煉瓦の積み上げのように、近畿一元主義で組み立てている。それが今ガラガラと必然的に崩れてきている。

 その場合九州王朝論者も、同じやりかたをしてはいないか。誰かがこう言った。その上に立てばこうだ。あの人がこう言った。その立場に立てばこのようになる。それが九州王朝という違うイデオロギ一に立っているから違うと思っている人がいるが、九州王朝論者も方法としては近畿天皇家一元主義と同じやり方をしている。自分が扱おうとしている資料がどういう性質の資料かということを精密に検査する。これを抜かすと、大和朝廷中心のインチキ学問と同じ、九州王朝中心のインチキ学問になる恐れがある。それをやってはいけない。資料の性格を精密に調べて使う。この方法を絶対忘れてはいけない。言いたいことはそれだけです。

 私はこの戒めに大きく逸脱していないつもりですが、いかがでしょうか。

 「氏の説は“証明”されたものでなく,言わば“仮説”に過ぎません」というくだりについても私の考えは異なります。仮説はいつどういう条件があれば真理になったり誤謬になったりするのでしょうか。仮説は永久に仮説なのでしょうか。

 古田さんは「近畿天皇家一元主義」(私は「ヤマト王権一元主義」と呼んでいます)も「多元史観の立場」も仮説と言っていますが、私はそれは「公理」の一つと捉えています。そしてそれぞれの公理をもとに構築された理論の総体については、前者は「相対的誤謬」(「正しいものよりも、修正の余地のあるものの方がずっと多く含まれている」認識)であり後者は「相対的真理」(「正しさの中に修正の余地のある誤謬をいくらか含んでいる」認識)であると判断しています。

 最後に現在のテーマに関するご指摘。
(4)
「国,縣」の行政単位について,古田氏の下記2冊,
(1)『法隆寺の中の九州王朝』1988(朝日文庫)
(2)『よみがえる九州王朝』1983(角川選書)
を見られたのは,よろしいと思いますが,古田氏が正面切って,この問題を論じられたのは,(1)でなく,(2)なのです。

・したがって,本人が「旧稿を改めた」とか,「旧稿は廃棄する」とか断っていない限り,まず参照すべきは“初出”なのです。

・また取り上げた著作が,いつの発行なのか明示がありません。こういった事は,きちんと示す必要があります。

・なお,(1)の『法隆寺の中の九州王朝』の初出は1986年の朝日新聞社刊です。したがって,“初出”に拠られるのがよろしいかと思います。文庫版を採用される場合は,その旨断る必要がありましょう。

 (1)・(2)の扱いについては出版年は記載しませんでしたが、
(①の方が後の出版である。①は②のダイジェスト版のようだ。主に①を用い、必要があれば②を援用する。)
と断り書きをしました。私には①の方が簡潔でよいと判断したからです。①を引用する時は②の該当部分も調べて、理路に変更がないかどうか調べています。変更は確認できませんでした。もし変更があった場合は、私は後に出版された方をとるべきだと思います。また①では不十分な場合は②を用いようと思いました。「中国の行政制度の変遷」では、私自身の勉強のため、①・②両方から引用しました。このような使い方を、私は不当とは思いません。

 また発行年月日の明示については、学術論文では必須のようですね。私が書いている文章のような場合、月刊誌・週刊誌・新聞のような場合はもちろん必要ですが、単行本の場合は出版社だけで十分で、そのような厳密さは必ずしも必要ないと思っています。いま過去の記事を少し見てみたら、発行年を付記しているのもあるが、ほとんど発行年を書いていません。しかし、発行年が問題になった時は本文中で確認しています。発行年の記載は必要に応じてでいいのではないでしょうか。どうしても必要不可欠なこととは思えません。

 最近まで学術論文とはほとんど無縁で過ごしてきましたが、いわゆる評論文はかなり読んできました。ふと思いついて、文学や政治や思想などの評論本を何冊か調べてみました。引用文については書籍名・出版社名だけで、ほとんど発行年を記録していません。中には出版社名も書かない人もいる。アカデミー外では発行年を付記するというしきたりはないようです。私は一般言論界の習慣に知らず知らずのうちに染まっていたのかも知れません。

 “初出”に拠るべきかどうかも、ケースバイケースでしょう。月刊誌や週刊誌などで書きためた文章を再構成して単行本にまとめる場合、追記・訂正をするのが普通でしょう。一般的には“初出”より後の方を重んじるべきだと私は思います。
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