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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史拾遺編》(117) 東京新聞連載
「東アジア流2」をネタに(10)


王維の詩『送晁監帰日本』について(1)


 王さんの論文は次のように続く。

 唐の詩人王維は古今絶唱といわれる二首の送別詩を世にのこしている。西域に遣わされる友人の元二に対して「君に勧む更に尽せ一杯の酒、西のかた陽関を出づれば故人無からん」と惜別し、阿倍仲麻呂に向かっては「聖人の訓えに服し、君子の風あり。正朔は夏時に本づき、衣裳は漢制に同じなり」と日本を謳歌する。シルクロードとブックロードの景観をありありと描きわけている。書物の伝える文明の遺伝子は、共通の心象風景を織り成し、心通ずる文化共同体をつよく支える。

 王さんのこの論文には、「小野妹子は遣隋使」という日本の学者の間違った「定説」を鵜呑みにしたりなど、部分的に瑕疵があるが、全体の論旨には異論はない。相変わらず中国や朝鮮を蔑視したり、敵視したりする偏頗なナショナリストが後を絶たない中で、「書物の伝える文明の遺伝子は、共通の心象風景を織り成し、心通ずる文化共同体をつよく支える。」という認識はとても重要だと思う。

 さて、今回は王維の詩がテーマである。王さんは送別の詩2編をあげている。それぞれ「送元二使安西(元二の安西に使いするを送る)」・「送晁監帰日本(晁監の日本に帰るを送る)」と題されている。

 前者はどなたにもおなじみの詩でしょう。私は高校生のときにこの詩を習った。ご多分にもれず、暗唱した。もちろん今でもそらんじることができる。ついでなのでその詩を掲載しておこう。

渭城の朝雨 軽塵を浥す
客舎 青青 柳色新たなり
君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
西のかた陽関を出づれば故人無からん


 閑話休題。
 テーマは二つ目の詩である。753年、仲麻呂は唐からの使者という名目で、遣唐使としてやって来ていた藤原清河と同船して故国への帰国の途についた。その時の送別の宴で王維が仲麻呂に贈った詩である。

 ちなみに、仲麻呂の乗った船は難破して、安南(ベトナム)に漂着し、仲麻呂は帰国を果たせなかった。755年に藤原清河とともに長安に戻ってきた仲麻呂は再び唐に仕えることになり、ついに帰国することはなかった。最後は潞州大都督(従2品)という高官にまで上りつめている。なお、仲麻呂の唐での名前は「晁衡」という。詩の題名中の「晁監」は「晁長官」という意である。

 さて、問題の詩は次の通りである。



送晁監帰日本 晁監の日本に帰るを送る

積水不可極 積水きわむべからず
安知愴海東 いずくんぞ愴海の東を知らん
九州何処所 九州いずれか所せし
萬里若乗空 万里、空に乗ずるがごとし
向国唯看日 国に向かいて、ただ日を看
帰帆但信風 帰帆ただ風にまかす
鰲身暎天黒 鰲身(ごうしん)、天に暎じて黒く
魚眼射波紅 魚眼、波を射て紅なり
郷樹扶桑外 郷樹 扶桑の外
主人孤島中 主人 孤島の中
別離方異域 別離 まさに異域
音信若為適 音信 いかんか通ぜん


 上の掲載した詩文は古田さんの講演録『古代史再発見 独創古代』から転載したもので、一般に流布されているものと異なるところが2ヵ所ある。表題と第3句で、一般にはそれぞれ次のようになっている。(以下、上記の講演録が教科書です。)

送秘書晁監還日本(秘書晁監の日本国に還るを送る)

九州何処(九州 いずれの処か遠き)

 古田さんが用いている底本は姚合(ようごう)という詩人の選した「汲古閣刊本 極玄集巻之上」である。上記のような違いが出てきた経緯を古田さんは次のように解説している。

『極玄集』。一番古い詩集である。これは9世紀、阿倍仲麻呂や王維がなくなってから百年も経っていない時期に、姚合(ようごう)によって編集された詩集である。彼自身は詩人でもあり、『唐詩選』の中に、彼の詩も二・三詩はある。その詩人の姚合が、八世紀以前の、七世紀ぐらいからの唐の初期の詩人の詩を編集したのが『極玄集』である。非常に古い。

 その他の詩集たとえば『唐詩選』。明代の偽作というか、現代中国では相手にされていない詩集です。商人が学生に頼んで編集した詩集、それは悪くはないのですが、明代の有名な大家の編集と偽って、「売らんかな。」で売り出した。後の人が調べてみると明代の大家の研究の記録が残っているが、全く『唐詩選』に関係した記録がない。それで中国では相手にされていない詩集です。

 ところが日本では荻生狙徠という江戸時代の有名な大学者が注目して、中国の詩をまとめてあって便利だということで大いに推奨したので有名になった。敗戦後はご存知の吉川幸次郎さんが名訳の岩波新書の『新唐詩選』を出されて、更に人気が高まった。その『唐詩選』では、「所」が「遠」になっている。

 では『極玄集』から直したのは、『唐詩選』が初めてかというと、そうではなくて南宋あたりに直されている。南宋の最後『須渓先生校本・唐王右丞集』という版本では「遠」に直されている。須渓先生(劉辰翁)というのはすごい先生で、自分で自分のことを「須渓先生」という朱子学の学者である。…朱子学、これは現在でいえば中華思想原理主義みたいなもの、中国は一番偉い。…そういうイデオロギーを強烈に主張する。その立場で校本を作る。それに反するものは書き直す。ひどいんですけれども。

 いま手元にある松枝茂雄編『中国名詩選』(岩波文庫)と赤井益久著『唐詩講義』(息子が大学で使っていた教科書)を調べたが、両者とも「遠」であった。

 『中国名詩選』は出典を明らかにしていない。『唐詩講義』は

『唐詩選』4、『全唐詩』127、『須渓先生校本唐王右丞集』5、『趙殿成注王右丞集箋注』12、など。

と記している。『全唐詩』・『趙殿成注王右丞集箋注』は清時代の編著だ。上で明記されている四つの詩選集では、たぶん全部「遠」なのだろう。

 ネットで調べたら、全部「遠」。「邪馬壹国ではなく邪馬台国」・「小野妹子は遣隋使」・「倭王武は雄略天皇」等々と同様に、間違いの方が大きな顔をしている。いやはや!!
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