FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史」拾遺編》(93)

地名奪還大作戦(21):飛鳥の雷岳=福岡県背振山脈の雷山(2)


 国家権力の思惑どおりに国家権力が垂れ流すウソを信じてしまう。今でもそのような人がワンサカいる。大日本帝国時代はほとんどの日本人が天皇制のウソを信じ込んでいた。ましてや、当時、古田さんはまだ十代だった。にもかかわらず、古田さんは自らに厳しく、「歴史を“足にて”知らなかった」ためだと反省する。そして、235番歌に対しても、「歴史は足にて知るべきものなり」という鉄則を貫徹する。

 古田さんは飛鳥の雷丘(いかづちのおか)を訪ねて驚いている。それは高さが十数メートルぐらいの小さい丘である。登るのに4・5分もかからないという。(以下の写真は英文解説「これらの歌は大和で天皇家に奉(たてまつ)られた歌ではない」から借用しました。)

飛鳥の雷山

「天雲の 雷の上に」なんていう表現は全く成り立たない。詞書の天皇が誰であれ、眺望を楽しむためにこの丘に登ったことがあるかも知れない。その折、丘の上に休憩所を設けたかも知れない。もしそうだとして、それを行宮(廬)とはなんと大げさな。そしてさらに、この丘に登ったからといって、天皇が生神様である証拠とは、イヤハヤというところ。折口信夫の批評が的を射ていることは明らかだ。たぶん、折口信夫の評価も実際に雷岳を見た上でのものだっただろう。

 結局、この歌の詞書も大嘘というわけだ。第一史料である歌そのものにぴったりの「雷山」を探すことになる。

 福岡県前原(まえばる)と佐賀県との間にある福岡県背振(せぶり)山脈。その第二峯が雷山(らいさん)と呼ばれている。中腹に千如(せんにょ)寺という古刹がある。このお寺には「二世紀インドから青年僧侶が船で遣ってきた。中国経由でなく直接博多湾にきて上陸して九州で仏教を広めた。」というびっくりする伝承がある。

 また雷(いかずち)神社がある。もともと上社、中社、下社とあって、上社は「天の宮(あまのみや)」、中社は「雲の宮(くものみや)」と呼ばれていた。現在の雷神社はその中社あたりにあり、千如寺と同じ高度の位置だという。「らいざん」という山名は雷神社に由来するのであろう。

 上社には、中央にニニギノミコト、左右に天神七柱と地五柱が配祠されていたという。さらに山頂近くの平坦部には三列石(巨石・山柱。中央に女陰型、左右に男根型と鏡岩型。)が屹立していて、旧石器・縄文期以来の悠久の信仰史を物語っている。

背振山脈の雷山

頂上の巨石1

頂上の巨石2

頂上の巨石3

 雷山は高さ955メートル。三方が博多湾、玄界灘、唐津湾に囲まれていて、いつも雨雲が立ちこめている。古田さんは「わたしも何回も上がりましたが、一日中まったく晴れていたのは一回だけです。」と言っている。さらに中社が「雲の宮」。「天雲の 雷の上に」という表現にぴったりである。

 またさらに、雷山は倭国(九州王朝)の代々の王者の墓地である。雷神社はそれを祀っている。

 さてここから古田さんによる歌の解釈に入る。

 「定説」では原文の「皇」を「おおきみ」と訓じている。これは「すめろぎ」と読むべきであると古田さんは言う。そして「すめろぎ」という言葉は、死後に高貴な存在としてうやまって祀られたことを意味していると言う。その裏付けを得るため、『万葉集』を調べてみた。(取りこぼしがあるかも知れません。ご容赦を。)

4089番「須賣呂伎能可未」
4094番「須賣呂伎能神」


 これは万葉仮名表記なのではっきりしている。いずれも「すめろきのかみ」と読んでいる。「すめろき」と「神」とセットになっている。(定説では「伎」は濁音ではなく「すめろき」と読んでいる。「すめろぎ」と読んでいるのは一例だけあった。後述。)

1047番「皇祖乃神」
1133番「皇祖神」
2508番「皇祖乃神」

 いずれも「すめろきのかみ」と読んでいる。字面から意味は文句なく「死後に祀られた神」だ。以上のほかに「天皇」を「すめろき」と読んでいる例がかなりある。

29番「天皇の神の命 すめろきのかみのみこと」
167番「天皇之敷座國 すめろきの敷きます國」
230番「天皇之神之御子 すめろきのかみのみこ」
3312番「吾天皇寸与 わがすめろぎよ」
4360番「天皇乃等保伎美与 皇祖(すめろき)の遠き御代

79番・543番・948番・1032番・3291番・4408番では「天皇」を「おおきみ」と読んでいる。上の「すめろき」と読んでいるケースで167番・3321番などは「死後に祀られた神」と言う意味ではなく、生身の天皇を指している。つまり定説では「すめろき」と「おおきみ」をはっきり使い分けていないようだ。

 左注に記載されている歌の訓読もおかしい。原文が「大王」なら当然「おおきみ」と読む。原文の「王」を「おおきみ」と読むのはおかしい。これはすなおに「きみ」でよい。この王という言葉の意味は、ある領域を支配する者のことで、皇子は王ではない。この歌に付けられた詞書も大ウソということになる。

きみは神にしませば雲隠る雷山に宮敷きいます
 生きている王を「生き神様」と阿諛追従して、「献(たてまつ)」った歌ではない。王が亡くなって、雷山に葬られたことを歌ったもだ。そして心の奥底では、もし生きていれば豪華な宮殿に居られただろうと追憶している。

 235番歌に戻ろう。

 235番の歌そのものは、雷岳に歴代の神になった方々が安置されているという考えに基づいています。廬(いおり)そのものは、隠者が住んでいるところの家の意味です。この歌は神の加護に敬意を込めて死者の霊を慰めることを歌ったものです。

 特に、彼女持統が丘の上に亭(小屋)を作って何をするのですか。そのような記録も伝承もない。(ここの君主が持統女帝とするのも一説にすぎない。)

 明らかに柿本人麻呂が生きている個人である天皇持統を誉め称えるために大和で作ったと考える理由はありません。

 それでこの歌は白村江の戦いの後、人麿が雷山に来てこの歌を作ったのではないかと考えている。


スポンサーサイト