FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史」拾遺編》(90)

地名奪還大作戦(18):天香具山=大分県鶴見岳(5)


 最後の問題。定説では「八間跡」を「やまと」と訓じているが、いままでの議論でこれがご都合主義訓読であることがはっきりした。では、これの正しい訓読は? 古田さんは、疑問符つきながら、一応「はまと」という訓読を提案していた。はたして「はまと」と呼ばれる国があるのだろうか。
 仕事で実家のある別府に移動された静岡古代史研究会の上条さんに、車で案内していただきました。それが良かった。それで二つある「登り立」、いずれも「登り立(のぼりたて)」が正しいということが分かったのですが、二つある中で現在別府市の天間区の「登り立」、湯布院よりの所。ここは界わいは見晴らしがよいが別府湾は見えない。もう一つの「登り立」、これは別府市浜脇区、そこに「登り立」がある。国東半島の反対側の宮崎県よりの所で大分市に近い、お猿さんで有名な高崎山の近く。海岸寄りを登っていくと、そこに工藤さんという自治会長さんのお宅がある。そこが「登り立」である。しかも後ろに崖がある。登っていくと、関西弁で「どんつき」・突き当たりとなり、そこを「登り立(のぼりたて)」と言っているみたいだ。別府湾全体を見下ろせる。そこはせいぜい海抜150メートルぐらいではないか。ここのように低い方がよい。

 なぜかというと、高くて見晴らしの良いところはたくさんある。この前行きました十文字高原は、別府湾を一望でき、百万ドルの夜景で見事なものです。また鉄輪(かんなわ)温泉の鉄輪山も高さも300メートルぐらい有り別府湾を一望できるということです。鉄輪山は上条さんに確認をお願いしています。そういう所は別府湾は見えるが鴎まではマークしにくい。高さも300メートルぐらい有れば海岸から離れすぎている。

 別府市浜脇区の「登り立」は150メートル位、そこまで行かなくとも良い。浜脇(温泉)から上がって行きますと「川内(こうち)」というバス停があって海抜100メートルぐらいではないか。そこから上がって行き、振り返ってみると、国東半島まで見下ろせ、別府市内は一望できる。脇の方の妨げがないから、ここだったら鴎は大丈夫である。「登り立(のぼりたて)」の方向へ100メートル位、歩いて上がれば見事な光景である。こちらなら鴎(かもめ)が見える。「登り立」でも工藤さんは鴎が見ることが出来ると言っていた。尤もその時は「登り立」には鴎はいなかった。

 しかし少し降りてお猿さんで有名な高崎山の駐車場に行った。そのファミリーレストランの近くに寄ると、鴎がいるわ、いるわ、乱舞している。夢中で写真を撮りまくった。かもめは雑食性で残飯等が餌になる。子供がポテトチップスなどやっていることもあるようだ。みんなそこへ群がっていた。「登り立」から横に直線距離100メートル位だから、みんなそっちに吸い寄せられていた。「登り立て」でも時間帯によって見える。以上で「海原は鴎立ちたつ」もここは問題なし。

 私は知らなかったが、鴎は渡り鳥です。11月始めから来て、2月一杯ぐらいでシベリアへ帰って行く。

 「別府市浜脇区」と言ったでしょう。そこでピンときた。そして調べてもらったら、万葉で「八 はち」は「八 や」とも読みますが、「八 は」とも読む例が結構少なくない。たくさんあるが今は例を一つだけ示せば、「吾八 我れは(われは) 歌3306」だって、主格の「我れは」を「八 は」を使っている例など結構ある。その他にもいっぱいある。(追加例 歌1113 八信井 走井)

 「は」と読む万葉仮名は次の通りで、「八」も含まれている。
「波 破 婆 八 半 方 房 防 播 幡 皤 薄 泊 巴 簸 伴 絆 泮 ・ 羽 葉 歯 者

 ちなみに、1113番歌と3306番歌の原文とその訓読は次の通りです。

1113
此小川 白氣結 瀧至 八信井上尓 事上不為友
(この小川霧ぞ結べるたぎちゆく走井の上に言挙げせねども)

3306
何為而 戀止物序 天地乃 神乎祷迹 吾八思益
(いかにして恋やむものぞ天地の神を祈れど我れは思ひ増す)

 ですから論理的には、「八間跡」は「やまと」とも「はまと」とも読める。今まで「やまと」と思っていたが「はまと」ではないか。ここ「登り立て」が浜脇区であり、浜脇区と言う言葉が出来ると言うことは、別府の中心が「浜(はま)」と呼ばれていなければ、浜脇(はまわき)という言葉が出来るはずがない。別府というのは先ほど言ったとおり官庁名で自然地名ではない。今は、北町・南町という名前が付いているが、その前は当然自然地名だった。

 推定だけではなくて、その先には、浜田・餅ヶ浜とか、いっぱい浜(はま)のある区名、地名がある。そうすると別府の中心を含んでこの海岸は浜(はま)と呼ばれていた。海岸だから、浜(はま)と呼ばれるのは当たり前ですが。そうすると、これは書き直しではなくて、

うまし国ぞ 秋津島 はまとの国は
怜〔立心偏+可〕國曾 蜻島 八間跡能国者


 という読まなければならない。これが正しい読み方である。そういうことに一昨日高田さんに言われて気がついた。

 さらに問題は進展した。『別府市誌』という本を別府市の図書館から京都府向日町の図書館へ送ってもらって、図書館でその本を見て字地名を調べたりした。(郷土資料は貸し出しできないので、図書館で閲覧した。)それで更に認識は前進した。

 「浜 はま」は海岸辺りだから当然だが、別府市の鶴見岳寄りの地名は「原(はら)」だらけ、別府の市街地を含めて、「何とか原」がいっぱい。原だけもある。南北につながっていた。そうすると私は今まで、「国原(くにばら)」という言葉をただ古典の抽象的な言葉だと思っていた。みなさんもそうでしょう。そうでなく「原 はら」という地名を背景に「国原」と言った。もうここまで来ると、この歌の原産地が別府であることは疑うことが出来なくなりました。

 この歌は別府で作られた。その別府の中心に聳(そび)えている鶴見岳を、そこから詠い初めた。そして浜脇区の「登り立て」のほうへ上って行って、そこで別府全体を見下ろせますので、そこで作った歌。そこで鴎(かもめ)もくるし、煙は、浜脇温泉自身も相当古い温泉であり、別府も温泉の煙は立ち登っていて当然見下ろせる。湯気が立ち登っているプロの方が撮った見事な写真がある。「登り立」の付近での鴎の写真もある。

(歌の読み例)
山根には 群山あれど とりよろふ 天香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ちたつ 海原は鴎立ちたつ うまし国ぞ 秋津島 浜跡の国は
(原文)
山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜〔立心偏+可〕國曽 蜻嶋八間跡能國者


 以上、この歌は大和盆地で作られた歌ではない。もちろん大和盆地で舒明天皇が作った歌でもない。要するに別府で作られた。それも国見をするのは庶民がするということはあんまり有りませんから権力者、もしかしたら筑紫からやってきた権力者、この当時だったら多利思北孤、別に彼でなくてもかまいませんが、海から別府に来た。港に来て上がって行って、「登り立(のぼりたて)」で作った歌。そういうことを疑うことは出来ない。

 このことは重大な意味を持つ。我々は万葉というものを原本で最古典と思っていますが、そうではない。その前の歌集があって、そこからの改竄(かいざん)。作者を変えて、舒明天皇のときに出来たかも知れないが。大和盆地で舒明天皇が作ったという形に書き換えて万葉を作った。そういう重大な問題を今の論証は提起させて頂だいた。これ以外にもいろいろな例にぶつかってきたわけですが、私にとって最も印象的な例を申し上げたわけで御座います。

スポンサーサイト