2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
詩をどうぞ

分割されたショパン


 「権力と反権力の現在」でポーランド「連帯」運動の記事を書いているとき、いつも頭の片隅に詩「ショパン」のことが思い浮かんでいた。  「詩をどうぞ(23)」 で、岩田宏さんの詩を2編(「動物の受難」と「住所とギョウザ」)紹介しましたが、「ショパン」はその岩田宏さん作の長詩です。

 ポーランドは10世紀後半に国家(ピヤスト朝)として歴史に初めて登場した。そのあとのヤギェウォ朝時代(1386~1572)は中世の大国として黄金時代が約200年続いたが、ヤギェウォ朝の断絶以後は、幾たびも大国に翻弄されて、悲劇的な歴史を歩むこととなった。周知のように、第2次世界大戦の時には、ナチスドイツによる虐殺と徹底的な破壊に見舞われている。また、ドイツに替わってポーランドを占領したソ連によっても多くのポーランド人が虐殺されている。カチンの森事件は、スターリンの命令でポーランド人が8千人も虐殺された事件である。そしてその先に「連帯」運動があった。「連帯」運動はポーランドの、いや人類の希望を担っていた。

 詩「ショパン」は、ポーランドの長い悲劇的な歴史と、ショパンの故国ポーランドへの望郷の思いを重ねて描いたものである。ショパンは1810年に生まれ、1849年に亡くなっている。いわゆるワルシャワ蜂起は1830年・1846年・1848年・1863年と繰り返し続いたが、いずれも大国ロシアの干渉により失敗し、ポーランドはロシアの強い支配下に置かれた。ショパンの 「革命のエチュード」 は1830年の蜂起失敗の報に接したとき時に作曲されたと言われている。シューマンがショパンの音楽を「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」と評したと伝えられているが、「革命のエチュード」はまさにその評を思い出させる典型的な作品だと思う。



ショパン  岩田 宏


第一部

1 ふえる岩

ひとつの
巨大な岩が
すこしずつこわれて
たくさんのちいさな岩がうまれた
どの岩にもひとつの顔が描いてある
ひとみを守るために垂れ下ったまぶた
充分に空気を吸いこむための二つの鼻の穴
噛みくだくための歯 聴くための耳
割るための額
これはだれだろう
これはどこの人だろう
焼き払われた初めての森に
初めての麦のたねをそっと埋めた
これはひとりの農民の顔だ
かれには名前がない かれには妻がない
かれには鋤も鎌もない かれにはたべものがない
かれはただの顔だ 岩のなかの顔だ
この岩は雲母のように剥がれる
方解石のように割れる ふしぎなふえる岩だ
けれども朝から昼まで 昼から夕暮まで
あなたがその岩のかたわらにうずくまっても
岩はそのままだ 変化なし 異常なし
あなたが監視に疲れてうつらうつらする
岩はもうふえている! 初めに女の顔
それから子供の顔 それから犬の顔
羊や牛はもう岩のなかで啼いている
岩のなかから牛乳の汗が滲み出てくる
やがてあなたはだしぬけに肩を叩かれ
おどろいてふりかえる
とりいれをすませた農民が
酒を一ばいあなたに差し出す
かれの顔は焚火よりも赤い
岩には踊りの絵が刻まれた
ふとかれがゆびさす
遠くに雲が見える
かれのゆびがふるえる
遠くの雲がひろがる
雲ではない 埃
埃ではない ときの声
ときの声ではない 蹄
四つの蹄 八つの蹄 四八・三十二の蹄
四百の 四千の 四万の蹄
蹄には罪がない 罪は乗り手にある
乗り手は蹄の四分の一 蹄は乗り手の四倍
それでも馬は走らねばならない
罪がない罪がないとつぶやきながら
美しい畑を踏みにじらねばならない
もうあたまの上はどこまでも馬の腹だ
そして乗り手のよごれた足の裏
意味の分らぬことばの鞭

蹄たちが通りすぎると
農民はのろのろ起きあがった
女は恐ろしさに鬼子を生んだ
それでもあしたは結婚記念日だ
何はともあれ踊りをおどろう
あさっては子供の誕生日だ
何はともあれ踊りをおどろう
子供に名前をつけるように
ここの土地にも名前をつけよう
蹄と年貢に荒された農民の土地に
ポーランドと名前をつけよう
ほとんど無意味なこの名前も
とりいれと踊りが度重なるにつれて
馬の腹の下で意味を獲得するだろう



2 オイコフの洞窟

ワルシャワの南南西二五〇キロ
古い都クラカウ
そこから程遠からぬオイコフには
無数の洞窟がある
十八才のフレデリック・ショパンは
三人の友人と連れ立って
岩壁と
岩壁のあいだを
馬車で進んだ ところが
馭者は道をまちがえたらしい
どこまで進んでも両側は岩壁
足もとには銀色の川が流れる
どこまで進んでもこだまと川ばかり
向うからふらふらやってくるのは
あれは二人の森の精ではないのか
「ちょっとお頼み申しますが
わたしたちの行く所はどこでしょう」
「おめえさん方 ワルシャワの人だな
こっちだ こっちだ ついて来なせえ」
馬車は川の浅瀬を渡り
ショパンの腰まで水が来た
目指す別荘はすぐに見つかり
玄関まで女あるじが迎え出た
童話作家の
クレメンチナ・タンスカ女史
指輪をはめたほそい指で
葡萄酒のグラスをもてあそび
赤い火の燃えるストーブの前
青い青い目でわらつて語る
「お若いあなた方
ポーランドとは一体何なのか
あなた方は御存知ですか
もっともっとポーランドを
愛して下さい学んで下さい
それがあなた方を倖せにする
ただひとつの路」

次の日は朝早くから
洞窟を探険した
さまざまなかたちの水成岩を
ローソクの光は照らし出した
ウサギがいる
トカゲがいる
花が咲いている
蛇が眠っている
巨人が立っている
パンの神が倒れている
そして曲り角をまわったとき
仲間にはぐれたショパンの肩を
ひとつの冷たい手が軽く叩いた
「あなたはどなたですか」
「わたしは十三世紀の王ロキエーテックだ
よく来たね フレデリック・ショパン!
わたしの先祖が蒙古人に襲われたときも
これほどの苦労はしなかっただろうよ
だがプロシアの騎士どもも
よもやここまでは来られまい
このあたりには岩塩が豊富なので
人はずいぶん長生きできる
この骨を知っているかい?
有史以前のマンモスだぞ」
くらいくらい洞窟のなか
ショパンはしずかに王と語る



3 ふつうの食パン

ひとつの国があり
ひとりの芸術家がいる
その国は分割された
一七七二年
ロシア オーストリア プロシア
による第一次の分割
一七九三年
ロシア プロシア
による第二次の分割
一八〇七年
ロシア オーストリア プロシア
による第三次の分割
その国の王様は
いつもほかの国と兼任の王様だった
あるときはハンガリーの
あるときはフランスの
あるときほスエーデンの王様が
まるで出張でもするように
お供をつれて ラッパを吹いて
ポーランドの玉座へ行進した
背のひくい男が
王様の耳に口を寄せて
ポーランド語を通訳した
「ふむ……ふむ……」
と王様はうなずいた

その芸術家は分割された
ちょうど人間が二つの性にわけられるように
夢みるショパンと 怒るショパン
恍惚たるショパンと 憤然たるショパン
銀色のショパンと 鋼いろのショパン
小春日和のショパンと 嵐のショパン
客間のショパンと 軍隊のショパン
ウエファスのショパンと 乾パンのショパン
まるでショパンはふつうの食パンを
一度もたべたことがないみたいだ

ポーランドに出張した王様たちにとって
ポーランドはいわば本社にたいする支店であり
ポーランドという名前なぞどうでもよかった
ショパンを心から愛していない人にとって
ショパンという名前なぞどうでもいいのだ
ショパンは一人で手紙を書いている
一八三〇年九月四日付
友人ティッスへの手紙から
「ああ!
生れた土地以外の場所で死ぬことは
どんなに辛いだろう
ぼくの臨終の床のまわりに
愛する家族の顔ではなくて
事務的な医者や
金で雇われた召使の顔を見るとしたら
ぼくはとうてい我慢できないだろう……」



4 さようならのバラード

さようなら ポーランドの地主よ
あなたは買い上げる 小麦を 大麦を
ライ麦を ハダカ麦を カラス麦を

さようなら ポーランドのユダヤ人よ
あなたは売りに行く 小麦を 大麦を
ライ麦を ハダカ麦を カラス麦を

さようなら ポーランドの商人よ
あなたは売りに出る 広場へ 横丁へ
市場へ 交差点へ 袋小路へ

さようなら ポーランドのおかみさんよ
あなたは買いに出る 広場へ 横丁へ
市場へ 交差点へ 袋小路へ

さようなら ポーランドのインテリよ
あなたは食事する 食堂で 二階で
レストランで ビヤホールで一膳めし屋で

さようなら ポーランドの若い娘よ
あなたは給仕する 食堂で 二階で
レストランで ビヤホールで一膳めし屋で

さようなら ポーランドの兵隊よ
あなたは恋をする 納屋で 兵営で
公園で 河のほとりで 営倉で

さようなら ポーランドの将校よ
あなたは唾を吐く 納屋で 兵営で
公園で 河のほとりで 営倉で
さようなら ポーランドの政治家よ
あなたは演説する 議会で 劇場で
音楽会で 市役所で 夢のなかで

さようなら ポーランドの俗物よ
あなたはあくびする 議会で 劇場で
音楽会で 市役所で 夢のなかで

さようなら ポーランドの
そのほかのすべての人たちよ
あなた方は踊る 復活祭に メーデーに
クリスマスに 新年に あなた方の
生れた日と 死んだ日に。



第二部

5 北の国

ショパンは一生のあいだ
イタリアを夢みていた
そこではオリーブの木と
オレンジの木のあいだで
人々が唄うかもしれない
そこには火を噴く山があり
おだやかな地中海があり
人々はマカロニをたべるかもしれない
けれどもショパンは遂に
イタリアへ行けなかった
おなじオレンジの木が育つ
マジョルカ島へ行った
そこには修道院があり
山があり 沢があり
悲しげな民謡が歌われた
ジョルジュ・サンドは長靴をはき
こどもの手を引いて
沢から沢へ渡り歩いた
留守居するショパンの
ピアノの蓋の上を
悪魔が通りすぎた
ショパンは目を見ひらいて
悪魔に語りかけた
「きみたちの手から
人間はただ一つの方法で
逃れる それは音楽だ
まずわたしはテーマを発見する
テーマはどこにでもある
早い話が きみでもいい
百の悪魔から百のプレリュードを
わたしは時間と健康にさからい
創り出してみせよう テーマだ
次にこのテーマをどうするか
わたしはここでイタリアの歌い手たちに
学びたい かれらの装飾音
微妙な節まわし 変奏と
即興の能力をきみはどう見るか
わたしは決してテーマを展開しない
人間は繰返すことしかできないが
繰返しの限りない豊かさと
エネルギーをわたしは信じたい」
すると悪魔は
たいそう悪魔的な微笑を浮かべて
ただひとこと
「北の国」と言った
北の国がどうしたのだ
かれはショパンの未来を
予言するつもりなのか
一八四八年 死の一年前に
ショパンはイギリスへ行くだろう
ロンドンからスコットランドへ
そこには郵便もなければ鉄道もない
馬車もなければ舟もない
道を行く人もない
犬一匹通らない
すべては冷えたスープの霧に包まれて
その霧の未来のなかから
背の高い 足の長い
イギリスの女たちがあらわれるだろう
とても親切な公爵夫人や伯爵夫人
だがショパンは手紙に書くだろう
「わたしはポーランド語を忘れかけている
イギリス人のようにフランス語を話し
スコットランド人のように英語を喋る
わたしは生きているのではない
居食いしているのだ」
悪魔はここでふたたび微笑を浮かべ
泣き出したショパンにかがみこみ
きわめて悪魔的な声で語った
「きみはここにいない
イタリアにもいない
スコットランドにもいない
ましてパリにも マジョルカにも
きみはポーランドに帰れない」



6 鋼鉄の編針

パリの
貴族の屋敷の
客間の敷居をまたいで
若いショパンはおどろいた おおぜいの貴婦人が
光る巨大な鋼鉄の編針を動かしている!
あれに襲われたら一たまりもないな
紳士の武器はせいぜい鼻眼鏡だな
ぼくはポーランドをなくしそうだな

パリの
若者が巧みなテクニックで
ショパンのポロネーズを弾き終えた
ショパン先生はひどく口早に言った
「非常に上手だ しかしポーランド人の本質を
ポーランド人の情熱を全然つかんでいない
この批評をわたしは断乎として適用したい
マズルカやポロネーズだけではなく
コンチェルト ノクターン
バラード エチュードにも」

わたしはポーランドをなくしそうだ
それをなくすまいとショパンは書きつづけ
どの曲にもポーランドをすこしずつ籠めた
だからショパンのなかのふるさとは確実に
すこしずつ減っていった そして死ぬとき
「とても痛い」とショパンはつぶやいた



7 革命

一八三〇年
十一月二十九日
ワルシャワは武器を取った
ロシアではツァーリと呼ばれ
ドイツではカイゼルと呼ばれる
冠や椅子に挟まれた権力が
武器を取ったワルシャワを締め殺した
こときれる瞬間ワルシャワは思い出した
三回の分割を 貴族たちの裏切りを
三十六年前のプラガ大虐殺を
ひとりの口髭の濃い軍人が
目を吊りあげて命令を下したのだ
プラガを殺せ!
プラガをみなごろしにしろ!
おれには罪がない罪がないとつぶやきながら
兵士たちはおのれのつぶやきに逆上して
男を
女を
老人を
少女を
こどもを殺した
生き残ったカラスどもはそのするどいくちばしで
一万二千の死者をかぞえた
裏切った貴族と
逼迫した王様は
なにがしかの年金をもらって
敵の都にほそぼそと余生を楽しむだろう
一八三〇年 十一月 十二月
ワルシャワの武器は破壊された 義勇軍は解散だ
大学も中学も閉鎖だ 難民は扉を叩く
あけてくれ! あけてくれ!
フランスの国境よ!
イギリスの国境よ! あけてくれ!
その自由平等博愛を そのマグナカルタを
ほんのすこしでも隙間からこぼしてくれ
そして一八三一年元旦
ショパンは友人に手紙を書く
「ぼくにとっては
なんという悲しい年の初めだろう!
ぼくはきみたちを熱愛している
きみはバリケードをつくったか
ぼくの両親はどうしている
ぼくの友だちはどうしている
きみたちの誰かのためにぼくは死にたい
何の因果でこんなところに
ぼくは一人ばっちでいるのだろう
これほど恐ろしい時勢でも
一緒にいるきみたちは慰め合える
きみのフリュートは涙を流せるか
ぼくのピアノは思うぞんぶん泣いている!」
やさしい目をしたフランス人が
遠慮がちにショパンの肩を叩いた
「芸術家はいわば世界人です ですから
芸術家の祖国は全世界であるべきです」

「ほんとうに
ゆりかごのなかから死ぬときまで
わたしは芸術家であり しかも
ありふれたただの人間です ありふれたただの!
ごらんなさい フランスもイギリスも
わたしの祖国に力を貸そうとはしない
ワルシャワの革命家たちは国のなかでも
国の外でも死ぬでしょう 孤独にさいなまれて
わたしはもう信じません 貴族たちのまつりごとを
わたしは死者をとむらいます 不信と絶望をこめて」



8 モスクワの雪とエジプトの砂

どんなにあなたが絶望をかさねても
どんなに尨大な希望がきらめいても
死んだ人は生き返らない 死んだ人は……
どんな小鳥が どんなトカゲや鳩が
廃墟にささやかな住居をつくっても
どんな旗が俄かに高々とひるがえっても
死んだ人は生き返らない 死んだ人は…・・・
あやまちを物指としてあやまちを測る
それが人間ひとりひとりの あなたの智恵だ
モスクワには雪がふる エジプトの砂が焼ける
港を出る船はふたたび港に入るだろうか
船は積荷をおろす ボーキサイトを
硫黄を ウラニウムを ミサイルを
仲仕たちは風の匂いと貸金を受け取る
港から空へ 空から山へ 地下鉄へ 湖へ
生き残った人たちの悲しい報告が伝わる
死んだ人は生き返らない 死んだ人は!
ふたたび戦争 かさねて戦争 又しても戦争
この火事と憲法 拡声器と権力の長さを
あなたはどんな方法で測るのですか
銀行家は分厚い刷りもののページを繰る
経営者はふるえる指で電話のダイヤルをまわす
警官はやにわに駆け寄り棍棒をふりおろす
政治家は車を下りて灰皿に灰をおとす
そのときあなたは裏町を歩いているだろう
天気はきのうのつづき あなたの心もきのうそのまま
俄かに晴れもせず 雨もふらないだろう
恋人たちは相変らず人目を避け
白い商売人や黒い野心家が
せわしげに行き来するだろう
そのときピアノの
音が流れてくるのを
あなたはふしぎに思いますか
裏庭の
瓦礫のなかに
だれかが捨てていったピアノ
そのまわりをかこむ若者たち
かれらの髪はよごれ 頬骨は高く
肘には擦り傷 靴には泥
わずかに耳だけが寒さに赤い
あなたはかれらに近寄り
とつぜん親しい顔を見分けるだろう
死んだ人は生き返らない 死んだ人は
けれどもかれらが耳かたむける音楽は
百五十年の昔に生れた男がつくった
その男同様 かれらの血管には紛れもない血が流れ
モスクワの雪と
エジプトの砂が
かれらの夢なのだ そしてほかならぬその夢のために
かれらは不信と絶望と倦怠の世界をこわそうとする
してみればあなたはかれらの友だちではないのですか
街角を誰かが走って行く
いちばん若い伝令がわたしたちに伝える
この世界はすこしもすこしも変っていないと
だが
みじかい音楽のために
わたしたちの心は鼓動をとりもどすと
この地球では
足よりも手よりも先に
心が踊り始めるのがならわしだ
伝令は走り去った
過去の軍勢が押し寄せてくる
いっぽんの
攻撃の指が
ピアノの鍵盤にふれ
あなたはピアノを囲む円陣に加わる。



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権力と反権力の現在(12)

「連帯」運動が孕んでいた矛盾


 このシリーズでは「真の社会主義」あるいは「理想の社会主義」という言葉を使ってきたが、この言葉で指し示す概念は、これまで私が様々な記事で言及してきた「リバータリアン社会主義」にほかならない。「Anarchist FAQ」は「リバータリアン社会主義」を『自由な意志による思考と行動の自由を尊重し、生産者が政治権力と生産手段・流通手段の両方を所有する社会システムを目指す思想』と定義している。

(「リバータリアン社会主義」については 「アナーキズムについて」 を参照してださい。)

 さて、ポーランドの労働者・市民・大衆は「理想の社会主義」への道ではなく、「西欧資本主義の政治形態に逆もどり」し、議会制民主主義と市場経済への道を選ぶことになったわけだが、そのことを、1981年の段階で、吉本さんは洞察していた。

 〈連帯〉は、はじめの基本的なモチーフであった統一労働者党、国家権力、企業管理者、労働組合員といった生産社会機構をつらぬく専制体制とは独立に、自主的な労働組合を結成し、労働者組織の次元で、国家官僚による専制にストップをかけたあと、企業、地域、全国のレベルでつぎつぎに連合体をひろげていった。この〈連帯〉の全国的な連合体は、生産の直接の場である企業内で、たしかに国家や統一労働者党による専制を切断して、その地平で地域、全国へとひろがる折り目をつけることに成功した。しかしこれは、労働者や市民や大衆の情念の噴出という意義をのぞけば、実質上は生産機構の現場である企業レベルで、労働者の自主組織のベルトを全国的に敷きつめたという意味しかもってない。当然そのあとで〈連帯〉の運動を、組合運動の外部でどの方向にすすめるかが問われることになる。

 ワレサのような考え方と構想をとれば、生産の直接現場である企業内で、党と国家権力の意志に左右されない労働組合をつくり、それをもとにした連合組織の次元で、労働者の利益と権利をまもるための守備線をつくりあげ、そのほかの社会的、政治的な課題については、組織的な圧力団体という役割以上のことは、かんがえないということになる。

 アツエク・クーロンのような〈連帯〉の理論家の構想にしたがえば、企業内において労働組合がじかに掌握するか、企業の外部で経済社会権力となるかはべつとして、自主管理組織をつくって、これを企業、地域、全国へと拡大して、生産社会機構としての管理組織を〈連帯〉労働者の連合体によって確立してゆく方向を目指すことになる。

 グダニスク科学アカデミー付属技術研究所イェジ・ミレフスキは、いままであった「労働者評議会」を連合体に組織して「ネットワーク」をつくり、自主管理体制の推進母体として、企業、地域、全国の労働組合連合体としての〈連帯〉の、外部に組織づけるという構想を語っている。そしてこの評議会は、グダニスクのレーニン造船所とゼシューブ市の輸送器機製造工場からはじまって、17の大企業労組から集まった全国組織にまで拡大したと日本の新聞記者に語っている。ミレフスキによって語られているかぎりでは、この「ネットワーク」は党国家と、それと独立な労働組合〈連帯〉の労働者とが、生産社会機構としての国家を、協議によって管理するものとして構想されている。これは生産社会機構としての国家を〈連帯〉が掌握するという意味とはまったくちがうものであった。

 またヘンリク、シュライフェルのような理論家の構想では、全国的に〈連帯〉労働者によって自主管理組織が確立したあと、それをもとに、なおすすんで生産社会機構としての国家を〈連帯〉が掌握する方向へむかうことになり、これは当然、政治的な国家や社会的な国家をも、〈連帯〉が掌握するという方向にひろがる可能性を孕むものであった。

 わたしたちの視力に映るかぎりでいえば〈連帯〉の運動は、はじめから勢いと機会に即応する力量としては、ワレサの語ったように政治的な国家の掌握にまでいたる可能性をはらんでいた。だが一方、実質的な基盤と運動の意志水準でいえば、国家官僚から自立した企業労働組合の連合体の地平を、それほどでるものではなかった。生産社会機構の梯子を登りつめて、社会経済的な国家の地平にでるためには、労働組合連合の水準から、中間にいくつもの段階を踏まなくてはならないはずである。これをべつの言葉でいえば、社会革命の階程を国家にまではせ登るには、あまりに媒介になる段階の構想を欠いていたとみることができる。極端にいえば企業労働組合のレベルと、生産社会機構としての国家とがいきなりむき出しに対峙しているといった平板な画像が描かれている。そうかといって〈連帯〉が一挙に政治的国家を掌握してから、生産社会機構の改革をおもむろにはかってゆくという構想は、〈連帯〉のどんな指導者もが夢にももたなかったのである。そこで勢いと機会に即応する〈連帯〉の力量は、政治的モチーフの拡大をもとめたが、実質的な運動の意志水準は自主的な企業労働組合の連合体のレベルに留まるという矛盾に、いつもさらされながら流動することになった。

 1981年12月11日から開かれていた〈連帯〉の全国委員会では、国家機関、党、軍を掌握したヤルゼルスキイ政権の信任投票を要求する決議が採択された。ヤルゼルスキイ政権は、統一労働者党(ポーランド共産党)官僚のいわば最終的な切り札であり、これが国民投票で不信任であるばあい、かりにソ連軍が介入しなければ〈連帯〉が、不用意なまま国家を担当することを、この決議は意味している。

 現存する国家権力の崩壊の瀬戸際にたったヤルゼルスキイ政権は、13日に「国家非常事態」を宣言して「救国軍事評議会」を設置し、軍事独裁体制をととのえると〈連帯〉の弾圧に乗りだしたのである。レーニン以後はじめての労働者、市民、大衆による本格的な社会主義の構想は、官僚専制権力の武装力のまえに挫礁を余儀なくされた。だが史上いちばん遠くまでいったかれらの構想はわたしたちの心臓にしっかりと刻みこまれる。



権力と反権力の現在(11)

「連帯」の構想・まとめ


 前回までで明らかにされた「連帯」の構想を、社会的国家あるいは政治的国家の権力掌握を構想の中に含む度合いに焦点を当ててまとめると次のようになる。

1 ワレサの構想
 〈連帯〉の運動を国家、党、企業管理者から独立した労働組合運動の連合体に限定し、政治的にはもちろん、生産社会機構としての国家の権力を掌握しようとする意図はまったくない。

2 クーロンの構想
 〈連帯〉の運動を、労働、社会、文化の総合的な領域で国家、党、管理者層と独立に、これと対抗しうる権力、あるいは共同管理形式の対立する一方の勢力たらしめるための機構の創設を目指そうとしている。

3 ビピフとシュライフェルの構想
 〈連帯〉の運動に組織された労働者層を、国家権力の所有者にまで普遍化しようとする政治革命の構想をもっていた。

 これらの構想はさまざまの差異をはらみながら、不安定な流動のうちに均衡を求めつつあったといえよう。

 1981年年10月7日に採択された〈連帯〉の綱領のなかでは、自主管理労働組合である〈連帯〉は、1980年のストライキ運動のなかから生れたポーランド史上初の大衆運動で、30年のあいだに経験した人権、市民権に対する侵害、イデオロギー上の差別、経済的搾取にたいする怒りから生まれ、現存権力形態への抵抗だと規定している。それと同時に広義の〈連帯〉の概念も同在していて〈連帯〉は学生、青年、労働者の人間性をもとめる戦いのなかから生まれた労働組合と、社会運動とを統合する組織で、ポーランド再生の推進力であり、多くの社会的傾向、政治的信条の結合でもある、とも述べられている。〈連帯〉が行動方針として綱領のなかでうちだした項目のうち、とくに大切なのはつぎのいくつかであった。

1  すべての企業で労働者による自主管理と民主的改革を求める。

 危機打開と経済改革は、社会の管理下で実行されなければならない。

 法的、組織的、財政的に独立した地方自治団体が、地域住民の其の代表とならなければならない。

 自主管理と自治の発展は、社会、経済を担当する国会第二院の設立を要求する。

 これらはどれも〈連帯〉指導者や理論家たちが、運動の初期に語った構想のどれかに含まれる。それをよりあいまいな表現で述べているだけだといっていい。むしろ逆にいえば、ビピフとシュライフェルによって語られた、労働者が国家の所有者だといった政治革命の色調はここでは却けられている。

 〈連帯〉の綱領をみると、30年のあいだ半ばはソ連の従属下で、統一労働者党の失政を耐えつづけてきたポーランドの労働者と大衆、市民の企業現場の次元から掘りかえされた鬱積の流出といった側面におおくの意味が与えられている。生産社会機構の現場からはじまって国家そのものにまで及ぶ自主管理方式の貫徹というモチーフは、むしろ「社会、経済を担当する国会第二院の設定」といった間接的な表現のうちにこめられた。生産社会面で労働者の意志の反映をはかる場所を獲取するというモチーフが、足が地についた最大限の要求だったとみることができよう。

 私見をいわせてもらえば、どうやって国家を〈開かれた〉状態におくかという、現在の〈社会主義〉国に共通した最大の課題にたいする回答はここでは示されていない。この回答を欠けば、どんな生産社会機構の形式を案出しても、国家官僚専制の社会主義(ファシズム)形態が、悪代官によって実施されるか、慈悲深い代官によって執行されるかという差異にしかならず、その本質が国家社会主義あるいは、国家専制資本主義にしか収斂しないことははっきりしている。ただこんどは別の新しい「ノメンクラトゥラ」が形成されてゆくだけだ。たとえ〈連帯〉に結集した労働者や左翼反対派的な理論家たちが、綱領の次元を超えて政治的国家を掌握したとしても、担当者が交替しただけの官僚専制が実現し、生産社会機構を貫いてゆくほかない。そして官僚専制下の国家社会主義の欠陥に飽きあきした〈連帯〉運動の出発時のモチーフを実現したければ、まだしもクーロンのいうように、国家のソ連出先型官僚による支配を蹴って「民族独立と議会制民主主義」を最終目標に設定するほかなくなってしまう。ここまで循環してはじめて、一見すると西欧資本主義の政治形態に逆もどりしたいモチーフのようにみえるポーランド労働者、市民、大衆の希求は、本来的な意味を把握できるものとなった。



 後に、結局ポーランドは「理想の社会主義」への道ではなく、「西欧資本主義の政治形態に逆もどり」する道を選ぶことになる。

権力と反権力の現在(10)

「連帯」の理論家による構想


 ワレサが描いた構想のほかに、理論家が描いた構想として、ヤツェク・クーロン「どのように進めるべきか」とヘンリク・シュライフェル「いかなる統一、いかなる共同管理か」、ボイチェフ・ビピフ/ヘンリク・シュライフエル「自主管理社会の展望」が取り上げられている。吉本さんは「これで〈連帯〉の指導者と理論家たちが描いたポーランドの国家と社会の構想は、たぶんすべて尽すことができる。」と言っている。

クーロンの構想の要約

 議会制民主主義と民族独立がポーランドのいちばん基本的な最終の願いである。

 「連帯」の自主的な労働組合の連合体は、労働者の利益を防衛するという本来の範囲を逸脱すべきではない。

 労働組合運動の外部に、経済をはじめとする各種の自主管理組織を創設すべきだ。
 ィ
  「労働者小議会」をつくり、共同管理者の資格で、労働者議員は政府側議員と交渉し、決定の責任は政府側が負う機構とする。
 ロ
  現在ある「工場評議会を労働者の真の代表機関とする」。評議会は労働組合から独立に、全従業員から選ばれて、社会基金、融資、相互扶助基金の管理と運用にあたる。
 ハ
  「経済改革のための運動体」を創設する。 ニ
  「社会生活のあらゆる領域での自主的な活動を組織する」。科学、文化、経済、教育、司法権、裁判権など。

 クーロンはたぶん〈連帯〉のいちばん優れた理論家であった。彼によっていちばん具体的な構想が提起された。だが素直にわたしの印象をいえば、生産社会機構の側面から、国家と社会の全体像が、あまりに短絡的に描かれている。そのために、国家と社会の平板な接合像が、すみずみまで組織化されたシステムとして浮び上ってくる。実際のポーランド国家と社会の全体像が、こんな平板ですみずみまで組織化された画像で、つかまえられるはずがないとおもえる。いっさいの政治的な変動にも不活性(イナート)な貯水池みたいな外部社会を包括していない全体像は、わたしには無効なようにおもわれてならない。その意味ではすべて左翼反対派的な理念を出るものではなかった。だがクーロンは社会主義の具体的な構想としては、史上はじめての場所に到達したといってよかった。



 次は「唯一の政治革命構想」ということで、ヘンリク・シュライフエルとボイチェフ・ビピフの著書が選ばれている。吉本さんは「ビピフとシュライフェルの構想だけが労働者が担当する政治革命の課題に接触していた。またそれだけに〈連帯〉の運動の意識と力量からは現実離れしているともいえた」と言っているが、それは次ような構想であった。


 労働者は国家権力の所有者として、これを指導する権利をもっている。

 まず経済的な権力が企業レベルでも、地域レベルでも全国レベルでも、労働者階級の手にじかに掌握されるように、現在の〈連帯〉の運動をひろげる基本綱領をもつべきである。

 国会内に〈連帯〉の労働組合代表を参加させるような、新しい選挙法にもとづいて、国会と全国評議会の選挙をおこなう。

 「労働者院」を創設する。

 統一労働者党(ポーランド共産党)は〈連帯〉の運動に参加する過程で自己変革を遂げるべきで、行政的な手段を直接行使することは許されない。

 この最後にあげた見解と構想ではじめて、〈連帯〉の運動がひらかれる過程で、労働者を主役として現在の統一労働者党をも一構成要素として巻きこみながら、新たに国家が形成されるべきだという政治的な革命の構図が語られている。

 この最後にあげた構想は、〈連帯〉の運動が高揚してゆくなかで生みだされた唯一の政治革命の具体的な構想であった。ここには初期レーニンがつかんでいた正統的な政治革命の像が復元されているようにみえる。だが同時に、ここには情況的な配慮はまったくといっていいほど存在しなかった。なによりも国家が〈開かれる〉ためのどんな構想もかんがえられた形跡はなかった。いわば左派〈マルクス〉主義の理念領域をでるものではなく、やがてはソ連とおなじ国家社会主義ないし、国家官僚専制の資本主義に収斂するほか、ゆきつくところほないかもしれなかった。

 かってレーニンは国家の高級官吏の俸給を、一般の労働者なみにひきさげて、国家を集権的な官僚の肥大した巣窟にするのを防ぐべきだという素朴な原始的民主主義の要求を擁護して、それを嘲笑するのはおかしい、ある程度の原始的な民主主義への〈復帰〉なしには、資本主義から社会主義への移行は不可能だ、「なぜなら、もしそうでなかったならば、いったい、住民の大多数、いな全住民による国家機能の遂行へどのようにして移ってゆくのか?」(『国家と革命』宇高基輔訳)と、おおきな夢をこめて語った。〈連帯〉運動の理論家たちは、政治的な国家の行方に思いをはせたとき、きっと心のなかでこのレーニンの言葉を思い浮べていただろう。

 たしかにわたしたちは〈連帯〉の指導者や理論家たちのいだいた運動の構想を、さまざまに論評し批評することができる。現にわたし自身がそうしている。だがこれらの構想がもっている意義を無視しようとしているのではない。これらの構想は企業レベルの労働組合の地域的、全国的な連合体の運動から発祥して、社会主義の原則にのっとって生産社会機構としての国家の在り方を模索してゆくとき、どういう具体的な構想が可能かという課題にたいして、世界ではじめてもっとも遠くまで具体的な構図を描いてみせた。その意味では、画期的な意義をもつものであった。現在までのどんな社会主義の構想も〈連帯〉の労働者、知識人が到達したほどに具体的で、生きいきとした図表を描くことができなかったのである。



 ここで私は日本国家の現在を振り返えざるを得ない。日本の現在は「国家官僚専制の資本主義」とは言えないが、財界とその代理人である政治屋と、それらを実質的に下支えしている(あるいはバカにしている)国家官僚の三者による「専制」と言ってよいだろう。さらに各種政策選択にはアメリカの圧力が大きな決定要因となっている。「アメリカ従属専制資本主義」とでも呼べばよいだろうか。

 植草一秀さんは、「政」(政治屋)・「官」(官僚)・「業」(財界)・「外」(アメリカ)のほかに、政治権力によって完全支配されるようになった「電」(電波=マスメディア)を加えて、「政官業外電の悪徳ペンタゴン」と呼んでいる。そして現在の政治状況を、これら5者の利権を追求するための政治でしかないと断じている。「悪徳ペンタゴン」の強固なもたれ合いが続く限り、また現在の選挙システムが続く限り、選挙によってのみでは真の民意が政治に反映されることはありえない。

権力と反権力の現在(9)

魅力あふれる指導者・ワレサ


   吉本さんは、「われわれは臆病者ではない…」(1980年12月31日のインタビュー)、「ワレサは訴える」(加藤珪訳)から、「連帯」委員長ワレサの見解と構想のうち大切なものとして、次のような文章を引用している。


 〈連帯〉の組織は国家、党、企業管理者から独立した非政治的(ヽヽヽヽ)な労働組合連合であり、政党ではない。それぞれの労働者は政治そのほかについて自由な見解をもつ権利があるが、これは労働組合運動の外部でなされるべきものである。


 ポーランドにおける教会は、歴史的にいって、いつも圧制者に屈服しない唯一の存在であった。教会の見解は尊重されなくてはならない。


 ポーランドは強力で清潔な軍人内閣を必要としている。ヤルゼルスキイ内閣が軍人の強力な統治能力と規律と、きれいな手で強力な政策を行うべきである。ただしかれの政府が敵対行為を仕かけてくれば〈連帯〉は戦う。


 ヤルゼルスキイが失敗し、なおかつソ連がそれでも介入しなかったなら〈連帯〉は国家の政治権力を掌握する用意がある。

 続いて吉本さんは、ワレサの構想と思想、さらにその人となりを次のように描いて絶賛している。

 ワレサの発言には具体的な構想はなにも語られていない。だが基本的なモチーフは明晰に示されている。農民と急進的な知識人の早急さを批判しながら〈連帯〉の運動を労働者の利益と権利の擁護にかぎって、そこから逸脱しないというワレサの基本的な姿勢ははっきり示され、いささかのためらいもみられない。

 自主的な労働組合運動のさ中に、激動が生みだしたこの労働運動の指導者は、特異な理念をもち、本など一冊も読んだことがないと放言する素直でむき出しの資質をもっている。そしてたしかに「クーロンやシューマ、モチルスキなどよりも百倍も重要な指導者」(アントニ・マチエレビチ 「われわれは時間が必要である」)の資質を具えているようにみえる。

 ワレサの資質は、ひ乾びた左翼官僚や箸にも棒にもかからぬ政治的すれっからしのあいだからほ決して生れてはこない。いわゆる左翼的常識にあてはまっていない。

 かれはインタビュアーに「この栄光、あなたの肩にかかってきたこの力の大きさを考えると、『神よ、これは私には荷がすぎます。私には耐えられません』といいたくなることはありませんか?」と訊かれて「おおありさ。マリア様はご存知だ。私は疲れている。ひどく疲れている。体だけじゃない。私は眠れない。心臓がよくないんだ。ドキドキしたり、痛くなったりする。内面も ― 魂も疲れているんだ。こんな生活は私には向いていない。ネクタイをつけなければならないような人と会ったり、行儀よく振舞ったり、推薦のことばに耳を傾けたり。これをしてはいけない、あれをしてはいけない、笑ってください、とくる。ネクタイは首をしめつける。私はつけていられないんだ。それに、そんな気にならないのに、いったいどうして笑わなくちゃいけないんだ?」(「ワレサは訴える」)。こういうことを素直に平気で語っている。わたしたちはこういう魂の公然たる自在さを、レーニン以外の左翼からかつて聞いたことはない。



権力と反権力の現在(8)

「連帯」が目指したもの


(以下、当時のポーランドと「連帯」運動の掲げた要求について、の吉本さんの解説を少し書き換えながら転載する。)

 当時のポーランドでは、各企業レベルから農村レベルにいたるまで、生産社会機構に党と国家官僚の専制が貫かれていた。労働者・農民は、官僚専制の強固な枠の中にとじこめられ、どんな無理な要求にも批判や論議なしに服従しなければならなかった。ただ官僚が善良な好人物か有能な人材であることを期待するほかなかった。

 「連帯」運動が要求していたことは、少なくとも各企業・各農村のレベルで官僚専制を切断して、党・国家官僚を含まない自主的な労働組合や、自主的な農民組織を認めよということであった。各企業レベルで自主的な労働組合がつくられれば、このレベルで国家の要求と労働者の生活利害が矛盾するときは、国家の要求を修正したり変更させたりする権利を、労働者が確保できることになる。もうひとつはこの要求によって、各企業の労働者は、職場の利害のレベルでは、国家の官僚的な専制をチェックし、合議様式に組みかえができることになる。

 社会主義は、なによりもまず生産社会機構での賃労働者と農民の問題だから、「連帯」の要求は最低限の権利としてまったく当然のことだった。

 前回に掲載したグダンスク連合ストライキ委員会のあげた21項目要求のうち、生産社会機構の外部にある日常の消費社会の問題としてただひとつ、注目すべき条項があった。12番目の項目がそれである。党機関の官僚、警察、国家保安警察の役人たちは、一般の労働者の4~5倍の家族手当をうけ、「販売店」と呼ばれた特権的な官僚用の店で、一般には手に入れられないような消費物質を手に入れることができた。12番の項目はこの家族手当の平準化と、消費物質の特権的な分配制度の廃止を要求するものであった。

 これらの特権を与えられた階層は「ノメンタラトゥラ」と呼ばれており、当時、ソ連、東欧圏、アジアの「社会主義」諸国では普遍的な存在であった。これは「ノミネートされた人々」という意味であり、政治社会史的な概念でいえば、これらの諸国における〈支配共同体の成員〉に相当し、社会的な特権層をつくっている。

 もちろん資本主義国でも、閏閥や交際圏や相互扶助圏として「ノメンタラトゥラ」と名づけたいような、漠然とした支配共同体的な特権的意識層の枠組を想定することができる。これらは古代的またはアジア的な共同体意識の遺構のようなものの度合に依存している。ポーランドの「連帯」運動は「社会主義」国ではじめて名ざしでこの廃止を要求したのであった。

 以上のように、「連帯」の運動は個々の企業や地域の企業の労働組合連合が発端となり、生産社会機構を上から一貫してつきとおしている党・官僚の専制を、すくなくとも企業内の労働組合の共通の地平では排除し、生産機構内部での労働者の利益を防衛する自主的な組織をつくろうとする欲求からはじまっている。労働組合の中で個々の労働者が党(国家権力を掌握している統一労働者党)のメンバーであることは自由だが、労働組合を機構的に国家権力のもとに統制することを排除しようとした。

 この要求はふたつのことを意味している、と吉本さんは言っている。このくだりは、「国家を開く」という吉本さん独特の言説なのでそのまま引用する。

 ひとつは「党および雇用主から独立した自由な労働組合」をつくることによって、企業の労働組合の地平で、国家官僚の支配はハサミで切断されて、縫目をつけられることになる。すると縫目があるという意味で、国家は〈開かれる〉ことになる。だがこの〈開かれる〉というのは、国家権力が切りとられた個所に切口が開いてまた、縫いつけられるという意味であり、国家の本質が社会主義的な原則によって〈開かれる〉ということとははるかにちがっている。

 〈連帯〉のこの要求が、政府委員にしぶしぶ承諾されたあとで、すぐにつぎの問題があらわれた。〈連帯〉によって組織され、はじめて国家から自立した労働組合の連合体は、どんな機関と形式と目的意識で国家権力に対して〈開かれた截断面〉を維持しつづけるかということである。これは不安定な均衡みたいなもので、党・国家権力と〈連帯〉の労働組合の連合体の力関係によって、たえず流動することになった。勢いとして〈連帯〉による国家権力の掌握に行きつくかもしれないし、国家の弾圧によって〈連帯〉の自主性は、実質的に圧殺されるかもしれない。あるいは、調停者としてのカトリック教会が、うまくふたつの勢力の均衡を定着させるかもしれない。

 またこの均衡の自主形式と機関は、生産社会機構のすべてにわたって形成されるかもしれないし、たんに企業内の自主的な労働組合の連合体の次元にとどまるかもしれない。あるいはまた、日常の消費生活の社会、芸術、文化、宗教のすべての領域にわたるかもしれない。このことは〈連帯〉の指導者や理論家たちの構想と党・国家権力の対応によって決まるはずの問題であった。



 苦しい闘いを闘い抜いて、この7年後に「連帯」は政治的な民主化をも勝ち取り、さらに「連帯」委員長であったワレサ氏が民主化国家の第一代大統領に選ばれたことを、すでに私たちは知っている。

権力と反権力の現在(7)

官僚専制国家


 「権力と反権力の現在」と題して始めたこのシリーズは論文『権力について』を読み終わった時点で終える予定だったが、ポーランド「連帯」運動への興味が強くなり、さらに論文『ポーランドへの寄与』を読み続けることにした。

 さて、「連帯」が指し示した「本格的な社会主義の構想」を、吉本さんは「史上いちばん遠くまでいった」ものと評価している。そして「〈連帯〉の労働者、知識人、市民、学生たちの運動がどんな構想をもち、なにを実現しようとし、そして何にぶつかって大破しつつあるのかを検討することは、わたしにできる最上のかれらへの寄与のようにおもえる。」と述べている。その検討は、「連帯」が軍事政権の弾圧にさらされていた当時、ポーランドと遠く離れた国の一知識人として、せめてもの連帯を表明する意味を持っていた。論文を『ポーランドへの寄与』と題したゆえんである。

 ソ連型「社会主義」国家(官僚専制国家)は姿を消したが、どの国家も同じような人民抑圧国家に陥る可能性を持っている。ソ連型「社会主義」国家の実態を知ることは現在においても反面教師として有効だ。ソ連型「社会主義」国家の一例として、「連帯」運動時のポーランドの実態を覗いてみよう。もって「他山の石」とすべきだろう。

 また、「連帯」が提示した「本格的な社会主義の構想」を知ることも理想の社会主義のイメージを明瞭にするのに役立つだろう。理想の社会主義を実現するには「現在の世界の二つの体制はあらぬ方向へ、あまりに踏みこみすぎ」てしまっているとしても、理想は継承されねばならない。

「もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、できもしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。「その通りだ」と。(チェ・ゲバラ)」

 「連帯」運動で中心的な役割を果たしたグダンスク企業連合ストライキ委員会(MKS)が、政府委員会に突きつけた21項目の要求は、社会主義の原則に照合できる水準をもつものであった。「すくなくともつぎに示すいくつかの項目が、社会主義の方向へポーランド国家の軌道をおき直そうとするモチーフを含んでいた。そこまでは云えないばあいでも無意識のうちに、社会主義に接近しようとする労働者、市民、知識人の運動のモチーフを潜在させたものに相違なかった。」と言い、吉本さんは次の項目を抜き出している。


 党および雇用主から独立した自由な労働組合の承認。同組合は、ポーランドが批准したILO(国際労働機関)第87号条約に基くものとする。

 ストライキの権利およびストライキ参加者全員と支援者の安全の保証。

 ポーランド憲法に保証された言論、出版の自由を尊重し、独立出版物の弾圧を中止し、すべての宗教の代表者にマス・メディアを利用する権利を与えること。

 マス・メディアを通じてMKSの存在を報道させ、その要求を公表すること。
6のb
 すべての社会集団に対し、改革計画の討議に参加する可能性を与えること。
12
 党員であるか否かではなく、能力に基いて管理職に選抜すること。党機関、警察(MO)、国家保安警察(SB) の一切の特権を次の方法によって廃止すること。
  -家族手当の平準化。
  -消費財の排他的分配制度の廃止。

 要求内容から、このような要求が出てくる社会背景のおおよそは想像できるが、吉本さんの説明を読んでみよう。

 ポーランドでは、それぞれの企業レベルの労働組合には、工場の副長と管理責任者は加入することになっている。また労働組合の指導者は無記名の投票で選ばれるが、組合役員は候補者リストを提案する権限をもっており、それを通じて党支配をおしつけることができる。

 工場の機構についていえば、工場長、工場長補佐、班長、建設作業の組長、倉庫長、職長、建設技師などの任命には、党の執行委員会の承認がいる。そのほかの任命については、企業の党執行委員会の承認がいる。

 企業管理者と労働者は、毎年9月~10月に、来年度の経済計画の大綱を協議することになっている。労働者側から計画にたいする批判や変更要求があっても、それが実行されることはすくなく、国家が批判や変更要求を拒否して、きめたままの計画が押しつけられたばあいには、受けいれるほか道はのこされていない。

 おなじことは農業でもあらわれる。

 ポーランドの自営農民は農村人口の85%を占め、国民消費の80%を供給している。これにたいし国営農業は生産物の20%を供給している。国家は自営農業を絶滅させようとして、土地所有を零細化し、自営農業の土地相続税は地価の80%にもなり、そのうえ相続者には国家試験が課されて、それに合格しなくてはならない。耕作状態が悪く収穫が不良だとみられたら、土地は国家に接収されることが法律できめられている。

 こういった権限は国家から任命された村長と村の党書記に与えられているが、村長らの悪意的な配剤を制御する手段も、上訴の方法も与えられていない。〈連帯〉運動のさ中にでた自営農民からのアピールをみると、村長と村の党書記は無制限の権力をもち、土地を取上げるために、農民の子弟たちを遠くの学校へ転校させたり、住宅建設を中止させ、子弟を国営農場で働かせるために軍隊に徴集したりする。農業資財の援助そのほかの特権は、国営農業だけに与えられ、自営農民は資財を購入するためには申請書をかき、村長の許可をうけ、認可がおりるまでまたなくてはならない。

 わたしたちがすぐに手にできる新聞、雑誌、書物の情報と知識から組立てられるポーランドの生産社会幾構としての国家は、かなりむき出しの、平板な国家官僚専制とかんがえることができる。そしてこの平板で直接的な生産社会機構としての国家の外側に、文化や芸術や消費社会としての市民や労働者の日常が営まれている。すぐにわかるように、これで官僚機構から自立した企業労働組合や、自主的管理の農民組織をつくろうとする要求が起らなかったら、よほどどうかしている。

 日常の消費社会の方では、どんなことが起っているのか、わたしたちにはよく伝わってこない。せいぜいいまの〈社会主義〉圏のなかでは、ポーランドには芸術や文化や消費社会としての市民や労働者の日常に、比較的自由な雰囲気があると常識的に伝えられているだけだ。



権力と反権力の現在(6)

社会主義とは何か


 前回掲載した『自由の新たな空間』(F・ガタリ、T・ネグリ)からの引用文を引き継いで、吉本さんは次のように述べている。

 平和への闘争が現状維持であるというよりも、現状擁護であるにすぎないソフト・スターリン左翼と市民運動の基盤と根拠は、資本主義と社会主義のゆるくあいまいな、狃れあいの同一性である。

 ところでわたしはソフト・スターリン左翼や市民主義者たちと全くちがう。わたしの怠惰はしばしば彼等の外観とちがわないようにみえるかも知れないし、事実違わない。だがわたしが現状維持や現状擁護に廻るときは、高度資本主義下における大衆の現状の維持や擁護との同一化を意味するので、資本主義と社会主義の同一性などを基盤にしているのではない。またわたしが現状を否定するときは同一化された資本主義と社会主義の両方を否定するのだ。ソフト・スターリン左翼や市民主義者のように、高度資本主義だけを否定し、現在の社会主義を肯定するのでは断じてない。

 つまりかれらは「ソフト・スターリン体制の平和」を維持し擁護するにすぎないが、わたしたちは高度資本主義下の一般的な民衆の平和を維持し擁護していることを意味している。なぜならそれが大衆にとって無意識でもあるし、どんなつまらなそうな平和でも社会主義の大衆よりも高い解放的な水準を保っているからだ、といっておこう。

 ガタリらのいうように「平和とは革命の一状態」だとしても、わたしは権力への意志を拒否するから、この場合の革命にはガタリたちのような政治的な意味をつけるよりも、社会体のいたるところを散乱して走る権力線にたいして、不断に異議申立てをすることにおいて永続する革命の意味に解するのだ。



 「同一化された資本主義と社会主義」とはどういうことだろうか。これを問うことは「資本主義と社会主義の両方を否定する」理由を問うことでもある。

 論文「ポーランドの寄与」には「レーニン以後はじめての社会主義構想」という副題がついている。本文中では「わたしの関心の中心は〈連帯〉の要求と動きのなかに、かつて初期レーニンによって固執され、すぐにこの地上から消えてしまった社会主義の理念を、はじめて復元しようとする無意識の欲求がみられた点にあった。」と述べている。「地上から消えてしまった社会主義の理念」こそ、真の社会主義であり、この真の社会主義を体現した共同体などかって一つたりともありはしない。

 私は「社会主義を体現した国家」と書かずに、「社会主義を体現した共同体」と書いた。吉本さんがたびたび言っているように、「社会主義国家」とは大変な形容矛盾なのだ。社会主義は国家が死滅した共同体にしか体現されない。

 では社会主義とは何なのか。

 もともと理念あるいは理想の原型としての社会主義は、単純で明噺な数個の概念で云い尽すことができる。これは実現がどんなに難しいかということとも、実現するには現在の世界の二つの体制はあらぬ方向へ、あまりに踏みこみすぎて、とりかえしがつかなくなっていることとも無関係に提示できるものだ。

 第一に、貨労働が存在しないことである。いいかえるとじぶんたち自身の利益に必要な社会的な控除分をべつにすれば、誰もが過剰な労働をする必要がないことである。
 第二に、労働者、大衆、市民が、じぶんたち相互の直接の合意で、じぶんたちが直接動員できないような軍隊や武装弾圧力をもたないことである。
 第三は、国家は、それがこの世界に存在しているあいだは、労働者、大衆、市民にたいしていつも開かれていることである。やさしくいいかえれば、いつでも労働者、大衆、市民の無記名の直接な投票によってリコールできる装置をもっていることである。

 これだけでも充分だが第一の項目を補なうためにつけ加えれば、

 第四に、私有していればみんなの障害になったり、不利益や不便になったりする生産の手段にかぎっては、社会的な共有にして是正することである。

 この原則に照合すればすぐわかるように、このどれかひとつの項目でも充たしている国家は、現在の世界には存在していない。いいかえれば社会主義はこの地上にはまったく存在していない。存在しそうな気配さえないといってもいい。存在するのはそのときどきに起るさまざまな国内的、国際的、社会的な問題を、最善とみなす知識と経験できり抜けながら、無意識のうちに高度になってゆく国家と、社会主義とは似てもにつかぬ方向に、意図的な官僚専制をまき散らしている国家とだけである。

 いくらか無理はともなうが、現在の世界に存在する国家は、もっと単純にいい当てることができる。国家権力によって完全に管理された生産社会機構をもった後進あるいは中進の資本制国家(いわゆる〈社会主義〉国)と、国家権力によって半分以下の産業が管理された高度な資本制国家(いわゆる資本主義国)とである。これにあてはまりにくい要素をもったアジア、オリエント、第三世界の国家は、大なり小なりこの何れかに方向づけられた生産社会機構をもとうとしている。

 こう単純化すれば資本主義国か〈社会主義〉国かの差異は、国家権力による生産社会機構の管理の度合の差異と、国家権力が世襲された単一政党であるか、いくつかの政党の交替によるかの差異に還元されてしまう。単一政党か複数の政党かというのも、さした差異ではないといえばいえよう。

 こういうと身もふたもない〈空虚〉にさらされる。だが、この単純化が真理である度合が、現在の世界がわたしたちに与えている〈空虚〉の度合だということを誰も疑うことはできない。

 しかし繰り返していえばこれは、社会主義の思想的、理念的運命とは何のかかわりもないことである。現在、生産社会機構の専門家である世界の経済学者は〈マルクス主義〉経済学者も、近代経済学者も〈国家管理社会主義〉のことを社会主義と呼んで分析したり、批判したりしているが、厳密にいえば、それは概念がちがっていて、わたしたちをはじめから納得させない。もともと社会主義は、生産手段の国有化や国家管理とは何のかかわりもないものである。

 現在の世界で、社会主義の理念と現実にとって、なにがいちばん緊急で大切な課題かと問うたとしよう。どんな反対に出あっても、わたしだったら国家を〈開くこと〉だと答える。国家が〈開かれる〉装置がない〈社会主義〉は、社会ファシズムあるいは国家全面管理の資本主義以外のものに収斂しない。また国家が〈開かれる〉装置をかんがえない資本主義は、永続的なスタグフレーションか、国家社会主義かへ収斂するほかないとおもえる。



 いまどの資本主義国家も〈社会主義〉国家も、20数年前に吉本さんが洞察していたとおり、あらぬ方向へとさらなる迷走を続けている。

権力と反権力の現在(5)

平和とは革命の一状態なり


 「同一化された資本主義と社会主義の両方を否定する」というのが、政治・社会問題に対する吉本さんの基本的なスタンスである。

 吉本さんが次いで『自由の新たな空間』(F・ガタリ、T・ネグリ 丹生谷貴志訳)から引用している次の言説は、同じスタンスから発せられている。「ガタリたちは、わたしたちが洞察していることを洞察している唯一の理念であり、親しみも覚える。・・・かれらは胸のすくようなアジテーションができる現在稀な存在だ。かれらは第三の権力が欲しいし、そうたたかいたいといっている」と、エールを送っているのもむべなるかな、と言うべきだろう。

 平和主義の帽子の下にはごろつき連中もいるが正直な者もいるなどと信ずるほどわれわれはナイーヴではないという点については賛成してもらえるはずだ! 幾つかの国々において平和闘争は道具化され〝スターリンの平和″の卑劣な時代をわれわれに思い出させるかたちにまで堕落しているのである。

 われわれは社会の中性化に基づく〝平和″を嫌悪する。それは例えばポーランド人民の決定的な抑圧に何の傷みも覚えぬ類の連中の〝平和″なのだ。われわれは、それに対して、平和への闘争をあらゆる解放闘争がそこで編まれてゆく緯糸のようなものとして理解している。つまり、われわれにとって平和への闘争は現状維持の同義語などではないということだ。死を基底に多元的に決定されている資本主義そして/あるいは社会主義的体制下の生産関係に関わるわれわれの仮説を再びここで強調しておく必要があるわけだ。平和への闘争とはデモクラシーのための闘争であり、すなわち、そこでは個人の自由が保障され、 国権による管理と経済的進歩の合目的性が共同体の中にのみその正当性を見出すはずのデモクラシーのために闘われる闘争なのだ。平和の緑は社会主義体制の赤からも資本主義体制の黒からも生まれ出はしない!

 それは貧困と抑圧が蔓延するあらゆる場所での拒否の中から生まれ、資本主義的支配による苦痛が刻まれるあらゆる場所での解放の緊急性の中から生まれるのだ。

 いたるところでわれわれが聞かされる詰問はこんな具合だ、「どちらにしろあんたがたはどちらかの収容所を選ばなくてはならないわけだ。」何人かの連中がアフガニスタン人に言う、ロシアがアフガンから出ていったとしてもその代わりにアメリカが征服しにやってくる、と。しかしだから何だというのか? 「もしアメリカがわれわれを征服しにやってきたら、とアフガニスタン人たちは件の言葉に答える、そうしたらわれわれはみなスキタイ人になるさ。」他の連中がわれわれに言う、もしアメリカの傘を拒否すればわれわれはロシアに征服されることになろう、と。しかしだから何だというのか? もしロシアがわれわれを征服しにきたら、われわれはみなポーランド人になればいい。

 われわれはこうした類のあらゆる威しにうんざりしている。われわれは核爆弾の威しも資本主義あるいは社会主義の威しもともに拒否する。平和とは革命の一状態である。



 引用文中に「ポーランド人民の決定的な抑圧に何の傷みも覚えぬ類の連中」とあるが、これは言うまでもなく1980年~1981年のポーランドにおける自主管理労働組合「連帯」の闘いに敵対的あるいは無理解であった者たちのうち、とりわけ進歩派・革新派・反体制派を自認していた者たちを指している。

 ここでまた思い出したことがある。『「反核」異論』に「ポーランドの寄与 ― レーニン以後はじめての社会主義構想」という論文が収録されている。また全く予定していなかった横道に出会ってしまった。これを教科書に加えて、しばらく横道に入ることにする。まず、ポーランド「連帯」の闘いの簡単な経緯を記録しておこう。

 当時ポーランドは、世界第10位の高度成長のかげで、不況、物価高、食塩不足と積重ねられた無能な国家官僚の失政にたいし、堪忍袋の緒をきって労働者と知識人たちが抵抗しはじめた。  1980年7月1日の食肉価格40~60%引上げに対して賃上げ要求ストがワルシャワやルブリンなどから全国に広がり,8月14日にはグダニスクの「レーニン造船所」もストに加わった。要求は賃上げから労働組合運動の自由,スト権,言論出版の自由など体制改革要求に広がった。政労交渉の結果,8月30・31日に政府代表と統一ストライキ委員会代表が合意書に調印し,自主管理労組設立やスト権,賃上げなどが認めれられた。9月22日には自主管理労組「連帯」が結成された。自主管理とは、共産党=政府の支配を受けないという意味である。これは、ソ連型共産主義の根本原理の否定であった。このときの「連帯」委員長であったレフ・ワレサは後にポーランドの大統領(1990-95)に選ばれている。

 労働者の大半が年末までに「連帯」に加盟、その網の目はさらに大学教授、教師、芸術家、医師、ジャーナリスト、職人、農民、学生にまで拡大していった。1981年9月には1千万人に及ぶ組合員が「連帯」に加わり、ポーランド社会全体が党支配の及ばない構造に組織され、その勢いを前に政権はたじたじとなった。

 知識人の「連帯」支援組織である「労働者擁護委員会」もこの年にこの運動から生まれた(翌年社会自衛委員会と改称)。

 1981年12月
 11日から開かれていた「連帯」の全国委員会で、国家機関、党、軍を掌握したヤルゼルスキイ政権の信任投票を要求する決議が採択された。ヤルゼルスキイ政権は、統一労働者党(ポーランド共産党)官僚のいわば最終的な切り札であった。

 その決議は次の三項目の是非を問う国民投票の実施であった。


 現在のヤルゼルスキイ第一書記を代表とする統一労働者党政権の信任の有無

 自由選挙の実施

 ソ連の権益保護を継続するかどうか

 この決議による国民投票が行われて、もしも統一労働者党政権が不信任になったばあい、かりにソ連軍が介入しなければ、「連帯」が不用意なままながら国家を担当することを意味した。

 現存する国家権力の崩壊の瀬戸際にたったヤルゼルスキイ政権は、13日に「国家非常事態」を宣言して「救国軍事評議会」を設置し、軍事独裁体制をととのえると〈連帯〉の弾圧に乗りだした。

 今利用している吉本さんやガタリ、ネグリの文章はこの時点(1982年頃)で書かれている。吉本さんは、このポーランドの抵抗権行使行動と日本の抵抗行動とを対比しながら、次のように思いを述べている。

 わたしたちの潜在する鬱屈が、ポーランドの労働者、知識人、市民たちの言動に共感を覚えたのもまた確かである。かつて60年安保闘争で、学生、知識人、労働者の抵抗が拡大してゆけば、機動隊の背後に武装した自衛隊が、その彼方には米駐留軍の影が想定されたように、ポーランドの労働者と知識人たちの〈連帯〉運動は、そのうしろに警察、軍隊、ソ連軍の介入が想定されるものであった。

 レーニソ以後はじめての労働者、市民、大衆による本格的な社会主義の構想は、官僚専制権力の武装力のまえに挫礁を余儀なくされた。だが史上いちばん遠くまでいったかれらの構想はわたしたちの心臓にしっかりと刻みこまれる。

 わたしたちはまた推測する。かれら〈連帯〉の労働者と知識人たちは、これから分裂、相互不信、反目、失意、孤立、疲労のうちに、ただ敗北のための戦い、静かな真昼のながい戦いにはいるのだろう。

 かれらは専制国家の権力である統一労働者党官僚と、かれらに同伴する知識人たちから、反社会主義、反革命、はね上り、といった聞いたふうのレッテルをはられながら挫礁し、孤立し、後退し、あるいは妥協し、あるいは市民社会のなかに復員してゆくだろう。もしかすると内ゲバ集団として孤立し、自滅してゆく者たちも、地下に潜行する者たちもあるかもしれない。だがポーランド〈連帯〉が成し遂げたことと、成しえなかったことは、しっかりとわたくしたちのなかに刻みこまれてゆくだろう。



その後、ポーランドはどうなったか。

 「連帯」は地下に潜行し、苦しい抵抗闘争を継続していく。結局、軍事政権は「連帯」運動の解体に成功せず、「連帯」の地下での抵抗闘争が、かえって軍事政権を孤立に追い込んだ。

 1988年の春から夏、ふたたび値上げ抗議の大規模なストライキ闘争が展開されると、ヤルゼルスキ政権は無力をさらけた。「連帯」は復権を獲得、翌年(1989年)春の円卓会議において、軍事政権と「連帯」との間で「自由選挙」が合意された。選挙では「連帯」勢力が圧勝し、ここにポーランドの共産党政権は最終的に崩壊した。

ご注意

 最近コメント欄に、いかがわしいコメントや英文のわけの分からないコメントが連日のように書き込まれています。気がつき次第削除していますが、それらのコメントにつられて変なサイトにアプローチしない方がよいでしょう。特に英文のものからはウイルスに感染する危険性があります。

権力と反権力の現在(4)

先進国と第三、第四国間の問題


 吉本さんは「レーニン主義的マルクス主義が振りまいた途方もない嘘」をもう一つ取り上げている。

「高度先進工業諸国における労働者の貧困からの解放の成就、労働者階級の市民社会内部への融解状況は、周縁の低工業化諸国の支配の強化、自由の低下、治安・平和の不安定、第三、第四世界の被搾取者の餓死状態などの上に築かれている。」

 このような言説はいまでもよく聞かされる。吉本さんが『権力について』を執筆した当時はガタリや浅田彰がそのような言説をふりまいていた代表選手だったようだ。吉本さんは「ガタリや浅田彰などの連中にいたるまで(もっともガタリと浅田ではまるでちがうが)無邪気に踏襲している」と、次のように批判している。

 両者にはもともと何の関係もありはしない。あったとしでもせいぜい二種の壁(ベルリンの壁のような)を介したうえでの間接的な関係でしかない。

 高度先進工業諸国であろうが、第三、第四世界諸国であろうが、それが社会主義国であつても資本主義国であつても、産業諸種の運行、工業労働の現場、それに従事する大衆の生活自由度、これらを限定し、租税域に区切り、労働、保健、分配の諸法規を支配し、管理しているのは「国家」や「国境」や「国益」である。高度先進工業諸国の、すでに貧困から離脱した労働者と、第三世界、第四世界諸国の餓死状態の被搾取大衆とを関連づけるためには、第三世界、第四世界諸国の資本主義または社会主義「国家」権力の壁と、高度先進工業国の資本主義または社会主義「国家」権力の壁の二つを、通過しなければならない。ガタリらや浅田彰みたいな連中は、とぼけているのか、またはまだレーニン・スターリン主義を解毒していない構革派にすぎないかどちらかなのだ。つまりこれらはガタリらの理念や哲学のせいではなく、無意識が欲望している党派の問題だ。ガタリや浅田のような連中は、ここが駄目だというほかいいようがない。

 先進諸国における労働の自由化は「諸共同体、人種、小社会集団等、あらゆる類の少数者の存在」「自律的表現の領域」を引き替えに「訴追」しはしない。まして〈資本〉がその引き替えの場面を関連づけて必然化しているものでもない。それは依然として資本主義および社会主義の「国家」権力、「国境」擁護勢力の問題なのだ。

 わたしたちの管見に入ってくる新聞雑誌の情報によるかぎりでいえば、第三・第四世界の解放闘争の仕方にわたしは殆んど全部否定的だ。わたしたちの社会体とそれらの地域との「距離」は、たたかいの未整備などに由来しない。現在の植民地主義に対する解放闘争、低開発状態からの解放闘争の仕方を否定できなかったならば、スターリン主義とファシズムのふたつの体制の、半世紀にわたる正義派ぶった残虐の歴史を否定しないこととおなじなのだ。



 次に、F・ガタリ、T・ネグリの次の文章を引用している。

「資本主義者そして/あるいは社会主義者たちの核装備カリブ海賊同士の水中果たし合いに備えよう! しかし、世界にたいする、C・M・I(世界化された資本主義のこと ―註)の果てし無い戦争が展開しているのは露骨に武装された地上や海、空でだけではない。それはまた、市民生活の領域で、社会の、経済の、産業の、……あらゆる領域で 展開しているのだ……。そしてさらにもっとだ、そこには、横断的に、クモの巣状に果てし無く分化したシステムの網目に沿って、大多数のものには触知できぬかたちでの権力のオペレーターが走っている。 ― 少なくとも伝統的な意味での ― 政治的あるいは労働者組合的達成の外をあるいはその中心部を様々に絡み合いごた混ぜになりながら、多国籍企業が、マフィアたちが、戦争産業複合体が、シークレット・サーヴィスどもが、さらには〝法王庁の抜け穴″までが貫いている……。あらゆる地平で、あらゆる階梯で、あらゆるやり方で - 投機、略奪、煽動、転覆、恐喝、膨大な強別収容、虐殺……。この瘴気を帯びたデカダンスのなかで、資本主義的生産の様態は往年の凶暴さを無傷のままにそっくり取り戻したかのようなのだ。」(F・ガタリ、T・ネダリ『自由の新たな空間』丹生谷貴志訳)

 これに対して吉本さんは「ガタリたちは、わたしたちが洞察していることを洞察している唯一の理念であり、親しみも覚える。・・・かれらは胸のすくようなアジテーションができる現在稀な存在だ。かれらは第三の権力が欲しいし、そうたたかいたいといっている。」と評価している。ただし、「かれらの考え方は、半分だけしかわたしたちの音叉に共鳴しない。無駄な力こぶが共鳴をさまたげている」と言い、次のように批判している。

 「多国籍企業が、マフィアたちが、戦争産業複合体が、シークレット・サーヴィスどもが、さらには〝法王庁の抜け穴″までが貫いている……。」こういう悪玉の並べ方が何はともあれ気に喰わぬ。

 「投機、略奪、煽動、転覆、恐喝、膨大な強制収容、虐殺……。」こういう悪行の挙げ方も気に入らないというべきだ。

 多国籍企業は民族あるいは国家企業に比べれば開かれた善だし、資本主義的投機と社会主義的強制収容、虐殺とはまったく質がちがう。個人の思想などが手をつけられそうもない壁、機構が、既にそこに制度やシステムが存在する限り存在してしまう、その圧倒的な重圧感と、資本制そのものに本質的に附随する投機制の問題とはまったくちがうことだ。

 また謀略部隊のゴロツキまがいの陰謀と、ソ連その他の社会主義機構に本質的につきまとう強制収容や虐殺の問題とはまったく別だ。ガタリらはスターリン主義の半世紀の歴史をひっそりと仕舞い込もうとしているために、差異こそが重要だということを水と一緒に流してしまう。

 わたしたちならば、資本主義と社会主義の国家権力どうしの謀略まがいの戦術などが、まるで無関係にしかみえない一般的な大衆の原像にすべてを置きなおし、何がどこを権力線としてかすめていったか、どうやって横にそれを超えるかを見つけようとするだろう。何をうろたえることがあろうか。先験的な理念と宗派、その対立、争闘などに、現在という巨人は何の意味づけも与えはしない。

 アメリカに主導された資本主義諸国家とソ連に主導された社会主義諸国家との東西の対立や争闘や共犯の世界史的な関係の底には、無意識の憩いの母胎もあるし、またその奥の層には輝く緑の死も存在する。この世界に誇張した色を塗ったり、歪んだ瞬間を映写すれば、おどろおどろしい像(イメージ)ができあがるだろう。だがそんなところから始まる政治的な地勢図などが、いまでも通用するなどと思っている言説をみると、いい加減にしてもらいたいといいたくなる。

 権力が強制から協調にわたる「厚さ」をもっているように、反権力も無意識の憩いの母胎をもっていれば、その奥の入眠もあるし、逆に現在の資本主義と社会主義にたいする徹底的な否認からくる孤独な、たった一人の反乱ももっている。それが現在の世界の体制がこしらえている亀裂や空隙がわたしたちに与えている「厚さ」なのだ。



権力と反権力の現在(3)

国家権力の現在


 フーコーが提起した権力論では「局所の権力以外に権力の問題はないし、局所の権力が支えになって形成される亀裂や断層」にしか意味をもとめていない。あるいは言い替えれば「現在の高度な資本主義諸社会では、国家とその下にある市民社会の対立に由来する権力の問題が、いちばん重要なものではなくなった」と言っている。

 これに対して、マルクス主義流の権力論(「国家=暴力装置論」)では「国家権力から分化して、局所の権力が上から下へ毛細管のように作用しているから、どんな社会体の局所に働く権力も収斂されれば国家権力に帰する」ということになる。(この言説を吉本さんは「マルクス主義のやりきれない宗教的な嘘」と断じている。)フ―コーはこのマルクス主義的言説をくつがえし、徹底的に解体している。

 吉本さんは、フーコーは「最初に権力について正碓なことをいい切つた」と評価している。しかし、「それにもかかわらず」と吉本さんは言う。「現在社会体の内部で散乱したベクトル方向をもつ徴局所の権力の多様性を、大局的に方向づけている上から下への傾斜は、国家の幻想(体)と現実の社会(体)とのあいだの対立から産み出されるものだ。」と。ここで吉本さんはフーコーから離れるが、ではこの吉本さんの言説はマルクス主義流の言説とどう違うのか。

 わたしはマルクス主義の国家観には未練はないが、マルクスの国家観には未練がある。

(中略)

 わたしの未練は、大局的に上から下への傾斜に方向づけられる権力線という考え方にのこされる。国家と市民社会のあいだの対立が問題なのではなく(それは先進地域では第一義的な意味を失った)、国家そのものの存在と、その持続それ自体が、現在もまだ依然として世界権力の問題だということだ。

 一方市民社会との対立においては第一義の意味を失いつつある欧米型の高度資本諸国の「国家」が、それでも依然として多国籍資本体に取囲まれながら存続をつづけている。他方では国家が存在するかぎり、マルクスやエンゲルスの学説は、まったく成立しようがない、いいかえれば社会主義とか共産主義などは、はじめから不可能だとわかっているのに、ソ連をはじめとする社会主義「国家」群が存在している。そして資本主義「国家群」と張合いながら核兵器蓄積の共存共犯関係を続けているばかりではなく、社会主義「国家」間の国境紛争を演じたり、他国への侵攻と侵略を演じたり、国境を侵犯したと称して民間旅客機を攻撃して墜ち落したりしている。国境をめぐる紛争や、国境を侵犯したなどとわめいている社会主義など形容矛盾としてしか存在しない。そしてこれらのことが頭のてっぺんから悲惨で滑稽なことだという認識など、毛のさきほどもないナショナルな社会主義者たちが、臆面もなく社会主義諸国を主導しているのだ。

  「社会主義」と「国家」とは相互否定の関係にしかないし、絶対的な矛盾である。つまり「国家」であるかぎり「社会主義」でないことは、原理的にも実際的にも、誰にでもわかる自明のことだ。でもこんなことを挙げつらったり、あらためて検討したりすればするほど馬鹿らしく胸が悪くなる。得体の知れぬ奇怪な、いったい何を考えているか、何を仕出かすのかさっぱりわからない国家群が、現在の社会主義国家群なのだ。

 国家はこのようにして現在の資本主義社会体の上部でも、社会主義社会体の上部でも、存続をつづけ、大局的な権力の上から下への傾斜を産み出す根源をなしている。これはいったいどういうことになっているのだ。第一義的な意味を失っているのに存続するもの、それが存在してはそれ自身の存在の根拠がないにもかかわらず、なお存在しているもの、それが現在の世界史上の「国家」の姿なのだ。

 現在こんなにまで存続の第一義的な意味を失い、自己矛盾の根拠であるものが、解体してゆくのは時間の問題だろうか? それとも誰か天使がやってきてこの二分割された「国家」群を解散させてくれるのだろうか? そしてこのばあい時間や天使とは何を指したらいいのか?

 わたしたち自身もまた、気分としてはナショナリティに就きながら、理念として二色に分割された「国家」群の何れかひとつの体制の存続も、両方の共同体制をも否定している。そしてこんなわたしたちの視野の外延で、第三世界や第四世界の末開発の地域では、部族連合である「国家」をはじめて造ろうとして、造山運動のようなものが頻発し、殺戮やテロが続発している。

  「国家」は縮小され、そして消滅した方がいい。それでもこの理念は、今なお第三世界や第四世界で「国家」が造成されようとしている地域にたいして、頭から否定できるような場所と根拠をもっていないこともはっきりしている。欧州共同体のように「国家」の消滅を頭の片隅におかざるをえない経済的な、軍事的な、局面をもっている地域もあれば、第三世界や第四世界のように部族連合を民族「国家」にまで統合すべき課題をもった地域もある。この円環するずれみたいなものが、現在の「国家」間と「国家」内における権力を伴った力動性の根源になっているのだ。



 『「国家」間と「国家」内における権力』とは、滝村国家論の概念で言えば、『 「共同体―即―国家」「共同体―内―国家」 の権力』ということにほかならない。

反権力の現在(2)

「善」の面をかぶった権力


 国家権力の問題(いいかえれば階級社会の問題)は、先進資本主義社会では、もはや最重要ではなくなったのか?

 吉本さんは答えを二つ提出している。


 「そうだ」、国家権力の問題(いいかえれば階級社会の問題)は、先進資本主義諸社会のあいだでは、つぎつぎに第一義的意味を失いつつある。

 先進資本主義の諸社会では、やっと権力の表出力が衣裳をはいでむき出しに本質をさらすようになった。つまり、社会体のなかの個々人は、じぶんたちの皮膚にひしひしと権力の抑圧力と管理力を感ずるまでに切迫してきている。

 ②について以下のように詳論している。
 その理由はいままで述べてきた。権力のベクトルが国家という第一義的な幻想(体)の噴出エネルギー源を失って、社会体の内部の現実的な諸差異を表出源とせざるを得なくなったのだ。そこでは権力のヴェクトルは散乱し、分断された徴局所の総和をいちばん重要とするしかなくなった。そのかわりにリアルにむき出しに諸個人の皮膚感覚に感知されるまでになった。



 その証左として、次のような例を挙げている。

 悪の象徴のようにみなされるものとして
・国家の社会管埋力
・会社や工場の現場、学校制度の登り難さ
・病気管理力としての病院の息苦しさと過密度 ・医薬物の作用、副作用の体系 ・

 善の象徴とみられるものも、おおきな抑圧力となっている。例えば
・緑の政党
・自然を守る会
・反核と反原発
・嫌煙権運動、節煙、禁煙勢力の出現

 以前は、つまりまだ国家権力が第一義の意味をもち、市民社会が労働者階級を社会の下層から外にはじき出していたときは、こんな細かな項目などに権力(と反権力)は目もくれず、ある意味でおおらかで間接的だった。

 緑の好きな連中は、じぶんが田園や農村や海辺に移り住むか、住居を緑でできるかぎり取囲んで住まい、緑が嫌いな連中の住み方や遣り方をほっとくか、眼をつむるが、無関心ですましていた。だがいまでは政党として自己主張し、たたかいを仕掛ける。つまり善や正義の権力として緑を共有する党派を作るようになっている。

 以前は煙草を吸わぬ人、煙草の烟りや匂いの嫌いな人は、黙って窓を開けたり、室外へ出たり、我慢して付き合っていたものだ。いまでは団結し、嫌煙の権利を主張し、煙草を吸う者たちを部屋の外へ追い出しはじめた。いまに社会体の局所を禁止地域として法的に設定するようになるかも知れない。



 「反核と反原発」については、かなり長い論評を加えている。1981年から1982年にかけて反核運動が起こり、いわゆる進歩的知識人の圧倒的多数が賛同を表明し、マスコミも巻き込んで全国的に過熱していったが、例のごとく、あれは一体何だったの? とあきれるほどあっけなく冷えていった。この反核運動が盛んに盛り上がっていたとき、ひとり敢然と異を唱えたのが吉本さんだった。そのとき『「反核」異論』という著書を出している。ここでの論評はその著書の論旨の要約とも言える。

 反核と反原発は、いまでは資本主義は悪だが社会主義は善だとおもい込んでいる信仰者に主導された第一宗教にまで成りつつある。だが核戦争が嫌で反対なのはすべての人間であり、この連中の教義だけに独占権があるわけではない。そして現実に核爆弾を蓄積し、危険を積み上げているのは資本主義の諸国の主導権力であるアメリカと、社会主義諸国の主導権力であるソ連であることは、どんな立場のどんな人物の眼からも明瞭なことだ。

 だがこの連中はただの一度も米ソ核戦争体制反対と声をあげたことのない反核なのだ。もつとひどいことに核兵器をもっているのも、原子力発電所をもっているのも、資本主義国だけだと言わんばかりの反核運動をやってきたおなじ連中が、ソ連原発事故にたいして、一言の分析も自己批判もなしに、原子力発電の危険一般の問題に擦りかえて、原子力発電所をとり壊せなどという迷蒙な反動的な主張を、労働者の組合総組織の頓馬な指導者と口裏を合わせてやっている。

 だが原子力発電一般への異議申立は、現在の科学技術の水準で最大限可能なかぎりの、防御装置を多重に設備せよ、という主題以外には成立しない。それ以外の主題は人間の科学理性とエネルギー必然にたいする反動でしかない。

 このようにして善の象徴のようにみなされている権力もまた、ほんとは悪の象徴にしかすぎない。そしてわたしたちにのこされている権力の問題は、依然として何ひとつ改善されずにもとのままなのだ。ただ権力の諸問題がより本質的に、より膚身に迫る切迫感でむき出しになりつつあるということだけが、これらの諸象徴の取得になっている。



 国家権力による圧迫感以上に、上記のようなさまざまな散乱する小さな「権力」こそが、現在の閉塞感を形成している。

 国家権力と市民社会との対立がいちばん重要だった資本主義の興隆期には、小さな権力が集まって大きな権力へ、また大きな国家の権力が分枝してたくさんのおなじベクトルの小さな権力として局所に作用するというのが、権力の基本的な表出形式であった。

 だが現在の高度資本主義諸国では、小さな、一見すると何でもないような表出形式をもった権力問題ほど、より本質的な、より究極に近い権力の表出形式であるという逆説的な図式が成立している。そしてこの図式のなかでもう一度M・フーコーの発言の意味は蘇えってくるといえよう。

 わたしとあなたのあいだにあって、いずれか一方が権力の雰囲気をもつかに見えるとすれば、容貌のせいなのか、それとも服装のせいなのか、社会的な地位のせいなのか? それともわたしかあなたが、自分自身にたいして過剰なイメージをひそかにもっていることから発信されるのか? わたしや あなたは自己の心身の出来方たとえば虚弱、病気、心身の障害や欠損が与える、またそれから与えられる権力の雰囲気に、どこで責任をもつべきなのか、あるいはもつべきでないのか?

 こういった一見するとつまらない疑問を、わたしたちに喚起するのは、永続的な権力、どこかに発信源をもつ手ごわい権力であるような気がする。権力の由緒を追い求め、ついに権力がそう見える外観を突破して、その内在にまで踏みこんでゆくと、踏みこんだ途端から、権力は異った貌にみえてくる。それはある限度をこえたとき、その概念自体が発するものが不可避の力価に見えてしまうあるひとつの象徴なのだ。

 ここまでくれば権力はわたしとあなたのあいだ、あるいは人間と人間とのあいだの関係の絶対性のようにもおもわれてくる。無数のわたしと無数のあなたとの関係が、不平等と千の差異から出発するのは不等だし、それを到達点とするのも不等だ。だが権力とは自然力のようにさし迫ってくるものを、究極的には指しているのではないか。だから権力は皮膚に触れ、皮膚を圧してくる物質のなかに滲透して、物理的な力を加えてくるものであるかのように比喩される像(イメ―ジ)なのだ。



今日の話題

映画「実録・連合赤軍」・若松監督のメッセージ


 ゴンベイさんから次のようなコメントをいただきました。

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
 思想を論ずるという立場から離れるのでしょうが、『鈴木邦男さんの「全共闘」評』内での日本テレビのドラマ「東大陥落-40年目の真実」と同様に映画評があればお聞かせいただきたい。」

 残念ながら、この映画を私は見ておりませんので批評できません。代わりに、「この映画はどうしても撮りたかった」という若松孝二監督ご自身のコメントを紹介しようと思います。月刊誌『創』(2008年7月号)インタビュー記事「国が喜ぶような映画ばかり作るから映画界がだめになるんだ」からの抜粋です。

―連合赤軍事件をどうしても撮りたい と思ったのはどうしてですか?

 1960年代から70年代というのは一番重要な時代だと、僕は思ってるんです。みんな言いたいことが言えたし、国家に反抗もできたし、石を投げることもできましたからね。今それが何もできない時代になってしまった。しかも過去の歴史が覆い隠されようとしているでしょう。今の若者なんてその時代のことをほとんど知らないですよね。

 僕は『時効なし。』って本も出しましたけど、フィルムには時効がないんで、50年後、100年後にこの映画を観たときに「60年代、70年代というのは若者がよく頑張ったんだな」っていうことを知って欲しいんです。

 ちょうどあさま山荘事件を契機にみんな運動をやめて企業戦士になっていくわけじゃないですか。そういう人たちが年をとって、それを隠そうとする。まして、学校の教科書なんて教えるわけがない。若者がなぜあの時代にあのような価値判断を下したか、なぜあのような闘争が起きたかというのは、どうしても映像として残しておかないといけない。

 しかもそれを描くには、やっぱり60年安保から始めないといけないんですよ。ベトナム戦争、学費値上げ反対闘争、原点はそこですよ。それがどういう経緯で連合赤軍事件にまでいたるのか。前半ではニュースフィルムもたくさん使ったし、登場する活動家も全員実名で、ほぼ真実に近いところを映画に描きこんだつもりです。役者が演じてはいますが、描かれているのはほぼノンフィクションです。

 何年か前に『突入せよ! 「あさま山荘」事件』っていう、本当に腹の立っ映画がありましたが、あれは警察がどれだけ正しかったかという映画です。たてこもった若者たちを強盗犯と同じに描いている。

 僕は今回の映画では警察は描かずに、活動家たちの側から撮ろうと思ったのです。どっちの味方もしてなくて、「機動隊がいい」とも言わないし、「学生がいい」とも言ってない。

 ただ、あの時、あさま山荘の中で何が起きていたかを当事者に聞いているのは、日本の映画界では僕と足立正生しかいない。パレスチナで例えば坂東国男に、あの中でどういうことがあったか、みんなの精神状態がどうだったのかっていうことを聞いていますから。

 なぜ彼らが「総括」と称して同志で殺しあったのか。それは今度の映画を観ればわかります。私に言わせれば、あれはヤクザの世界と同じなんです。はっきり言って、深作欣二の『仁義なき戦い』ですよ。しかも幹部がいなくなってチンピラばっかり残った団体だから、そこで必ず誰か指導者が出てくる。それを守ろうとすると、それは権力になってくるんです。粛清というのは、やられた方だけじゃなくて、やった方も哀(かな)しい。だから最後の落とし前は、権力に銃口を向けるしかなかったんですよ。

 でも日本の近代史の中で、国家に銃口を向けたのはあの事件しかないですからね。2・26事件は国家に銃口を向けませんでしたから。明治維新ぐらいでしょ。だからそういう歴史的事件を誰も本格的に描こうとしないし、誰も語ろうとしないのはおかしいですよ。

 そういう映画だからこそ、文化庁は助成金をくれないんでしょうが、もっと腹が立つのは映倫ですよ。映倫は本だけ読んで「これは一般映画じゃないですね」って言ったんですよ。僕は烈火のごとく怒ったけどね。冗談じゃないよ。この映画は粛清のシーンはあるけど暴力的ではないし、テレビに出してもおかしくない映像です。



 映画『突入せよ! 「あさま山荘」事件』は、2002年に佐々淳行の著書『連合赤軍「あさま山荘」事件』をもとに作られました。佐々は東大安田講堂事件や浅間山荘事件を担当指揮した人物ですから、その著書が警察べったりの自慢話になることは容易に想像できます。そんな本を原作に作られた映画なら、そのできばえは推して知るべしでしょう。若松さんはこの映画を見て、「もう少し若かったら映画館に爆弾を投げ込んでいた」「権力側からの視点でしか、描いていない」と激怒したそうです。

権力と反権力の現在(1)

散乱する権力線ベクトル


 「昭和の抵抗権行使運動(112)」で、先進国(高度資本主義国家)では階級対立の問題は部分的(二義的)なものとなった、という時代認識のことを書いた。そのとき、この現状認識にはたぶん多くの異論があるだろうと予想し、このことはもう少し詳しく取り上げるべきだと思った。

 昨年末からアメリカの金融危機に発した世界的な経済破綻のあおりを受けて、大企業が派遣社員を切り捨て始めた。そしていまは正社員まで首切りや賃金カットの攻撃にさらされている。情況はまるで初期資本主義時代に逆戻りしそうな気配である。しかしだからといって、階級対立が第一義の課題となるような逆戻りはあり得ないだろう。依然として、生存と自由のための抵抗と不断の異議申し立てを通して、社会内部での権力関係を解体・再構成し直すことが第一義的な重要課題であろう。

 さて、「ORGAN① 現代思想批判」に吉本隆明さんの『権力について―ある孤独な反綱領』という論考がある。この論考を教科書にしよう。

 「ORGAN①」は1986年11月に出版されているから、吉本さんのこの論考もその年に書かれたと考えてよいだろう。この論考には「ソ連」や「社会主義国群」に対する論評も含まれている。ちなみにソ連が崩壊したのは1991年である。「孤独な反綱領」という副題は、この論考が当時では全くの少数意見だったことを示しているのだと思う。

『19世紀の固定観念であった悲惨と貧困の問題は、もはや今日の西洋社会にとって最も重要なものではない。反対に次の間題、私のかわりに誰が意志決定をするのか? 私にこうしてはいけない、とか、こういうことをせよと誰が禁じたり命令したりするのか? 誰が私の態度や時間の使い方をあらかじめ定めるのか? 私はある所で仕事をしているのに、誰が私に別の場所へ住むように強制するのか? 私の生活と完全につながっているこれらの意志決定は、どのようにして行われるのか? それらすべての疑問が私には今日根本的であると思われる。』(M・フーコー「権力について」田村俶訳)

 このフーコーの文章を吉本さんは次のように敷衍している。

 このなかにはいくつか暗示がある。ひとつは権力は社会体や人間関係の微局所をとってくると、ベクトルが上を向いていたり(下から上へ)、下を向いていたり(上から下へ)、平行していたり(平等)、散乱したジグザグな方向線を描いていることだ。そしてもうひとつは、局所から大局に眼を移せば、権力はおおざっぱに上から下への傾斜(志向線)を描いていると見撤される。

 ところでこの上から下への大局的な傾斜ベクトルは、いったいどう描いたら像(イメージ)と抽象度として正当なのだろうか。これが誤解と正解をわかつ最初の別れ路だとおもえる。

 フーコーのいう「19世紀の固定観念」では、権力の大局的な傾斜ベクトルの原型は、国家とその下にある社会体としての市民社会とをつなぐベクトルである。このベクトルは幻想の共同体である国家から、現実の社会体である市民社会に、上から下へ描かれる傾斜をもっている。

 それはよくわかった。だが上方にある「幻想(体)」から下方にある「現実の社会体」にたいしてどんな線を作図すればいいのか。そんな幻想から現実への線はいったい描けるのか。これはそんなに簡単ではない。比喩的には上から下へ向って直線を、国家とおなじ外延をもった領域にわたって引けばいい。でもこれでは幻想(体)から現実(体)へ引かれた線だという目印しはどこにもない。せいぜい比喩の精密度を高めて、n個の屈折をもったフラクタル線分を上方から下方へむかつで引くことで、権力のベクトル線の原型にするほかないようにみえる。

 フーコーのいってることは「悲惨と貧困の問題」がおおよそ解かれてしまった現在の西洋社会(一般的には先進社会)では、この国家と社会体のあいだに上から下へ向うベクトルと、これに原型をおく市民社会と、その下層にはみだした労働階級のあいだを、上から下に向うベクトルは、いずれも輪郭を失い、第一義的な意味をなくした。せいぜい第二義以下の問題になってしまったということだ。その結果それまでは上から下へ向いて国家と市民社会のあいだに、また市民社会とそこから疎外された社会(労働者社会)のあいだに、引かれていた第一義的な階級線は、散乱して社会体の内部に、その日常生活や、経済的生産や、消費の場面に、勝手な方向性をもって分布するまで解体してしまった。ここでいわれているのはそんなことだ。

 現在ではベクトルは大局的には上から下へ向いているが、社会体のなかの徴局所では、まったく方向が散乱している。そんな権力の線が想定される。この有様をはっきり抑えるほかに、現在の権力線をつかまえることはできない。そしてこれをつかまえることは、現在の根本的な課題だとフーコーは述べていることになる。

M・フーコ―のこの権力の把握は、とても正確だと、わたしにはおもえる。そして正確なためには、何よりも迷信や信仰から自由な理念の把握が必要だが、これ自体が現在でもどんなに難しいか測りしれない。理念的な知の課題は現在でも迷信や信仰とのたたかいに大半のエネルギ―をひきさかれる。しかもこのエネルギーはまったく無駄使いだから、消耗しても疲れた貌など見せていられないのだ。そこで自問自答になるほかない問いを発してみる。

 国家権力の問題(いいかえれば階級社会の問題)は、先進資本主義社会では、もはや最重要ではなくなったのか?



 ここで吉本さんが「迷信や信仰」と言っているのは、「資本主義は悪だが社会主義は善だ」というような「教義」を指している。

今日の話題

「最良からしみでた最悪」


 辺見庸さんの『水の透視画法』(3月5日付「東京新聞 夕刊」に掲載)がすばらしい。ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思った。

 「最良」とは民主主義というシステムのこと。ただし辺見さんは「民主主義がわれわれの最良の選択であるなら、そして、これがいうところの真の民主主義であるならば、」と留保している。ブルジョア民主主義が「真の民主主義」であろうはずがない。( 「民主主義とは何か」 を参照してください。)

 「最悪」とはいわずとしれたオバカ総理のことだ。この脳天気男の人となりを余すところなく描ききっている。

 「最良」からにじみでる「最悪」が脳天気男に代わってファシストになる可能性も無しとしない。そして、脳天気男の不支持率がファシストの熱狂的支持率に変わる可能性も。辺見さんは「権力(ないし戦争)は、絶えず離合集散をくりかえすわれわれの無数の合意、無数の無関心、無数の断念、無数の倦怠(けんたい)、無数のシニシズム、無数の沈黙をいちばんの養分にして、ある日むくりと巨体をたちあげてくるのである。」と警鐘を鳴らしている。

 以下、全文を転載する。

『水の透視画法』

最良からしみでた最悪
  かれと私の荒んだ関係


 かれは人前に姿をあらわすと、きまっておかしな動作をする。右手指を、蜜柑(みかん)でもつかむぐあいに宙であいまいにまるめ、それをつかの間、自身の額かこめかみのあたりにもっていき、小首をほんのかすかに振るのである。軍隊の敬礼をまねているのかもしれない。しかし、手指をああまで屈曲させては、しもじもを脾睨(へいげい)する大元帥を気どっているつもりでも、なにかサルが自分の頭を掻(か)いているみたいで、滑稽(こっけい)というか奇矯の感なしとしない。

 かにかくに、おかしな人である。私はべっして関心はない。だが、みるともなくみていると、そこはかとない嫌悪というか、こちらの羞恥心(しゅうちしん)まで誘(そび)きだされてしまうのはなぜであろうか。

 よく笑う。なにが楽しいのか、真白い歯をみせて、かれはじつによく笑う。笑いながら、首をちょいと心もち横にかしげて、下手な子役か女形みたいに、さも恥ずかしそうにしてみせたりもする。あれはしかし心底恥ずかしいのでも照れているのでもなく、人目やカメラを多分に意識した、お得意の気障(きざ)な所作なのであろう。よわい七十に近いのに、ときにお稚児のような表情をしたりして、さても面妖である。さだめし普段から姿見の前に長いことたって自分にみほれたり、あれこれポーズをとったりしているのだろう。りゅうとしたスーツのズボンの裾(すそ)には、ちょっとした重しがしのばせてあるといううわさもある。しわになりにくくするためだそうだ。

 ばかばかしい。どうでもよいことだ。テレビを消せばすむことである。自己愛過剰のあの男が、よしんば今後他の者にかわったとしても、すっかりうじゃけてしまった世の中の芯がそっくりよくなるというものでもない。かりに、漢字が読め、清廉・謙虚・篤実をてらい、いかにも安い背広を着て、貧者の苦労によりそうふりをする寝業師があらわれ、改憲、核武装計画の底意をひたかくしにしたまま、国難克服、経済回復、〝日本力″再興…とかなんとかのスローガンをさけんで、不人気のかれの後を襲ったとしよう。そして一転、九〇パーセントもの熱狂的支持をえたとしよう。かえってなんだか怖くはないか。まったくありえないことではない。マスコミと民衆の見識と前歴からして、いまふたたびの〝狂躁(きょうそう)″はむしろありうべしである。

 民主主義がわれわれの最良の選択であるなら、そして、これがいうところの真の民主主義であるならば、この国では目下、〈最良のシステム〉をつうじて〈最悪のもの〉がさかんにしみだしているのにほかならない。おんば日傘でそだてられ、漢字にせよ人の世のことわりにせよ、初歩的まちがいをそれとして叱責(しつせき)もされずに生きてきたであろう、いわば「勘ちがい男」のかれをいまだにトップにいただくこの国は、ジャン・ボードリヤールふうにさらに悲観的にいうなら、すでに「幻滅と解体の永久運動にとりこま れている」(『完全犯罪』)のかもしれない。ボードリヤールによると、この種の運動は、おそらくあきらめの蔓延(まんえん)から、状況を「秩序とばかげた順応主義」に追いやりがちだが、それはかえって「もっと大きい壊滅状態」をつくりだすだろうという。同感である。

 先日、ふとおもった。派手なマフラーを巻き、珍妙な敬礼をし、だみ声で空疎なことをしゃべくるかれは、どことなく昔のバナナのたたき売りに似ている、と。いや、バナナのたたき売りや香具(やし)師ならばそれはそれ労働だし、まだ技というものがある。権力の座にただとどまりたいだけの目的で、三百代言をかさねてお金をばらまこうというかれとその仲間たちの行為は、納税者への愚弄(ぐろう)をとおりこし詐欺的ですらある。不支持率の高まりは消極的ながらせめてもの救いといえなくもない…と、この話を軽いエッセーの手法でまとめることに、しかし、私のなかにはためらうものがある。

 きょうびの権力とは、おそらく可視的な単体ではありえない。つまり、英雄気どりの勘ちがい男は、日本の腐敗した権力をかりそめに表象しているかもしれないが、いかに豪華なコートを着用していようと、権力そのもの、あるいはその全体や本質ではありえない。権力(ないし戦争)は、絶えず離合集散をくりかえすわれわれの無数の合意、無数の無関心、無数の断念、無数の倦怠(けんたい)、無数のシニシズム、無数の沈黙をいちばんの養分にして、ある日むくりと巨体をたちあげてくるのである。

 テレビを消せば、かれと私の関係は切れる。だが、私のあきらめは、権力の腐乱と増殖をしずかにささえ、ひるがえって、私自身を刻々荒(すさ)ませるのである。



昭和の抵抗権行使運動(115)

抵抗権行使運動の未来(5)


 自由は人間の尊厳を担保するための必要不可欠な権利である。いま私たちは、瑕疵のある不十分なものではあるが、自由を享受している。その自由は一身を犠牲にして闘ってきた先人たちの闘いのたまものだ。獲得された自由の根底には、るいるいと重なる先人たちの屍がつらなっている。先人たちの屍は、自由は自らの手で勝ち取るものであることを私たちに訴えている。新たな抑圧と差別を生むシステムは今なお堅固である。不断の闘いなくしては自由はたやすく奪い取られるだろう。不当な抑圧に対して、さまざまな場でさまざまな闘いが闘われている。それらが連帯して線となり、やがて面となって強く広がることを願ってやまない。

 昭和の抵抗権行使運動の最初の犠牲者、樺美智子さんの追悼40周年の集会が2000年6月15日に開かれている。そのときの島成郎さんの挨拶から主要な部分を引用して、ひとまずこのシリーズをしめたいと思う。

 すでにあの日から40年経ちます。すなわち、1960年6月15日の夜、安保闘争が最終局面に達したあの6月15日に、私たちはすべての組織をかけて闘うという決意をしておりました。

 これに対して、国家権力をはじめ、それまでの既成のいろいろな諸勢力はあらゆる妨害を加えましたけれども、それをはねのけて国会の中でわれわれの意思をはっきり表示することが必要であるということで、国会構内に突入するということを決めまして、そこで全国に呼びかけ、安保阻止の最後の闘いを行うのだという意味で国会突入の闘いを演じたわけであります。

 多くの方々がこの闘いに参加しましたが、この激闘のなかで国家権力の手によって樺さんは亡くなりました。この一人の女子学生の死、樺美智子さんの死というのはその当時の日本全国を震撼させました。この死者のほかに、負傷した者720名、逮捕された者146名、その中で起訴されたのは24名と、大きな犠牲を払ったあの6・15の闘いは、すでにその1年半前から行われていた安保反対の国民的な規模の闘いに、さらに大きなエネルギーを与えて、岸内閣への大きな怒りを呼び起こし、爆発しました。

 翌日から国会は文字通り連日、ほとんど自然発生的に民衆のデモ隊によって埋められました。そして、安保改定批准国会で自然承認される6月18日には、実に50万の大衆でもって国会の周囲を埋め尽くしました。おそらく日本の大衆政治運動史上空前絶後の闘いといっていいと思います。

 しかし、われわれは首相官邸や国会周辺に坐り込み、抗議の意思を発しながらも、ただ時が経つのを見守るばかり。その中で1960年6月19日の午前零時、安保改定は議員が一人もいない国会の中で自然承認されてしまった。その後、岸内閣は倒れ、池田内閣に代わりましたが、改定安保というのは批准され、そして安保闘争は敗北のうちに終息したわけであります。

 私たちはこの1年半前から、当時属していた日本共産党から脱し、本拠のソ連スターリン主義も弾劾し、新しい革命党をめざして共産主義者同盟(ブント)を作りました。共産党だけではなくて、あらゆる既成勢力、既成左翼、あるいはマスメディア、あるいは左翼文化人から、文字通り集中砲火を浴びながら孤立無援の闘いを行わなければならなかったわけですけれども、ちょうどそのときに戦後の日本の政治の一つの結節点とでもいうべき安保闘争に直面し、この闘いというのがおそらく日本のその後の帰趨を決める非常な結節点になるであろうという判断のもとに、まだ若い組織でありましたけれども、全組織を挙げてこの闘争に取り組むということを決定し、闘ってきました。

 安保改定阻止国民会議というかたちでできた全国民的な運動は徐々に起こりつつありましたけれども、既成の指導部の下では、これを本気になって闘うということにはならないだろうということを指摘したわれわれは、この闘いの一つ一つの場面において突破口の役割を果たすべく努力しました。

 11月27日の国会突入、1月16日の羽田闘争、4月26日の国会デモ、そして5月6月の闘いへという、その一つ一つの場面において全国の労働者とともに闘いながら、新しい局面を切り開く役割を果たしながら闘ってきたというぐあいに思います。

 樺美智子さんは、安保闘争の6月15日の最終的なデモにただ参加したということだけではなくて、この戦後の新しい運動の中で、新しい組織を作るために、その数年前から身を賭して、あるいは身をかけて闘ってきた同志。すでに東大教養学部のときから共産党の一員として活動し、そしてブント結成とともにブントの中心となっただけではなくて、まだほとんど数人しかいなかったブント本部の事務所にきて、全国の組織の中心に黙々として働いた同志。非常に口数は少なく、物静かな人でしたが、いうべきことははっきりいい、おとなしい中にも激しい情熱と意思を秘めた、非常に頼りになる同志。その基礎があって、あのブントが全国的なかたちに発展していったということを、改めてここでもう一度皆さんにご報告したいというふうに私は思います。

 そして、もちろんそのブントの組織の中枢にいただけではなくて、その後東大の文学部の自治会の副委員長として東大の全体の学生運動の指導にも、文字通りこの安保闘争の全期間大きな役割を果たしたことはご存じの通りです。先ほどいった1月16日の羽田闘争では、初めて検挙されるということにもなり、それにもめげず、ずーっと闘いをつづけてこられた、そういう同志でした。

 そのようなブントの役割を大きく担った人員でありましたけれども、このブントも60年の安保闘争の敗北とともに、あっという間に四分五裂し、崩壊しました。その日から今日まで、私たちは皆それぞれの道を遠く、遠く歩いてきたのだろうと思います。

 そして、いま2000年の6月を迎えております。現在の世界と日本というのを見るときに、60年当時、私たちが予想したものよりははるかに大規模に、はるかに大きな速度で変貌を遂げております。私たちが唱えたスターリン主義ソ連邦・東欧は瓦解しましたが、世界資本主義は厳然として存在しております。新しい段階にさえ発展している。

 日本は池田内閣以後、経済成長を遂げ、世界の先進国といわれるほどになる、サミットの一員になるまで発展しました。それだけではなくて、その社会の構造というのは、私たちの日常の生活を大きく変えるというところまで変貌しております。こうした大きな大変動のなかでは、この40年を省みまして、私たちの闘った60年の安保闘争、あるいは全学連、あるいはブントというものは、多くの人にとって、ほとんど忘却の彼方に霞んでしまったものとなっているのが実際の姿ではないか、というぐあいに私自身思います。

 しかし、同時に、いまになってこういうことをいうのは、おかしいかも知れませんけれども、その後40年の歩みの中で、私はほとんど政治的な場での活動をしない一精神科の医者としての仕事をずーっとつづけてきておりましたが、その間を考えても、そして現在のいる場を考えても、やはりあの60年の時代、ブントの時代、安保闘争の時代に青春の生命を燃やしつづけて、非常に幼かったけれども、自前でもって新しいものを創ろうとした、それにかけたその体験というのは、やはり心の中から消そうとしてもやっぱり消せないものがあるということも、これまた否定できない事実であるということを思わざるをえないわけです。

 私個人の性癖からいっても、ただ過去の闘争を懐かしむ、過去のいろいろな事象に目をやるというよりも、現在生きてる状況に立ち向かい、そしてこれから開かれるであろう未来に対してどう立ち向かうかということに、むしろ心をいつも引かれるという性向を持っているために、こういう場をつくる、あるいはこういう場に参加するということをあまりいたしませんでした。

 しかし、私自身が、昨年来生命の危険を感ずるというような状況になったこともあったのかも知れません、あるいはこの間に多くの知ってる親しい方が生命をなくして、先に逝つてしまうということにぶつかったことはあったかも知れません。

 そういうことを考えたときに、現在われわれが、あるいは皆さんがここに生きてるということは、やはり一つの偶然にしかすぎない。しかし、偶然によっても樺さんよりも40年もずーっと長く生きていて、現在の21世紀を見ようとしている、そういう立場にいるんだということをもう一度考えてみる必要はあっていいのではないかということで、敢えてこの集会を呼びかけ、そして皆さんとともに語りたいというぐあいに思って、この会を呼びかけた次第でございます。

 いろいろな思いや、いろいろな考えがあるだろうと思います。あるいはいろんな歩む道は違っているかも知れません。しかし、こうやって顔を見ていると、ほとんどやはりなにか近いところでずーっと過ごしてきた人たちが、いま現在ここに集まっているという感をさっきからずーっとしております。

 これからの生をどう生きるのか、現在の日本、世界というのをどう見つめ、どう闘って、これからの生を過ごすのかということは、それぞれ考えるべきことなのかも知れませんけれども、そういうときにあたって、あの時代の生の燃焼の根源というのをもう一度見つめながら、22歳のまま、ずーっと私たちの中で生きている樺美智子さんについて、もう一度追悼しながら考えたいというのが私の心境でございます。



昭和の抵抗権行使運動(114)

抵抗権行使運動の未来(4)


 この国が近代国家の装いを整い始めたときから今日まで、自由民権運動を皮切りに数々の抵抗権行使運動が闘われてきた。それぞれの闘いにはそれぞれの時代の政治状況や社会状況に応じた個別的な課題があったが、その共通の目標は「不当な支配や抑圧からの人間解放」と総括できよう。それは、今まで使ってきたキーワードで言えば、「国家を開く」ということと同義である。

 三上さんが自らが深く関わった沖縄闘争を経験的に振り返ることですすめてきた議論の論旨は、「国家や権力を開くというとき、その対象が重層的であれば、こちらの戦略も重層的でなければならない」ということであった。そして「この方法は包括的な政治戦略を可能にするはずである。」と言う。三上さんはこの観点から沖縄問題の捉え直しを試みている。
 それならば、僕らはアメリカ軍政からの沖縄の解放問題をどう扱えばよかったのか。これは戦争における沖縄の問題と関係するが、基本的には国家権力と地域住民の政治的関係の歴史性の問題である。沖縄の住民は日本の近代国家の下で政治的に不当な扱いを受けてきた。琉球処分というのはこういうことである。

 沖縄復帰をめぐる過程で住民の意志が無視されたことへの怒りは復帰協定への批判となったが、協定の内容、協定の仕方を含めた沖縄住民の反発は国家権力の沖縄処理への異議申し立てであった。この底に日本国家(政治的国家)の在り方への異議申し立てが強く流れていた。これは政治的国家のねじれを象徴的に現すものであった。

 地域住民と政治国家の問題は現在的には地方分権の問題としてあるが、沖縄はその象徴的位置を占めている。沖縄は日米安保、つまり安全保障問題が国家権力と地域住民の問題として集中的に出ている。現在的にいえば有事法制の課題である。第二次世界大戦の中で、軍隊と住民の関係を最も鋭く経験した沖縄は、官僚的な軍隊と名目的な国民の軍隊との矛盾をかいまみた。自衛隊と国民との関係の未来を歴史的に経験したといえるのである。

 北朝鮮への不信や不安は閉じられた官僚制からくる。何をやるかわからないという不安は民主制や自由の欠如からくる、アジア的官僚制は国家が閉じていく傾向をもつが、この不安と沖縄住民の歴史的経験は通底している。

 僕らが直接民主主義という言葉で変えようとしてきたのは、政治国家の構造や構成である。民主制といわれる政治国家の在り方がねじれている問題である。この領域の闘いが沖縄闘争に収斂されて行ったことは象徴的なのであるが、それは官僚制との闘争を沖縄住民は最も深く経験してきたからである。



 「国家を開く」という課題は、現時点では「官僚制との闘争」、言い替えれば「官僚制を開く」という課題に集約されると言う。この問題は、最近の闘いでは、アメリカ軍の再配置問題の一環である普天間基地の辺野古への移設問題や岩国の基地拡張問題に表徴的に現れている。政府は相変わらず地域住民をないがしろにして、見せ金と恫喝という官僚的な手法で解決を図ろうとしている。

 戦前の日本では統治形態は天皇専制であり、天皇の官僚が統治の実際を担当した。議会は天皇の補助機構であった。戦後に民主制国家になっても、立憲政党や政治家は立法能力をかって天皇の下にあった官僚に依存してきた。立法能力に長けていた田中角栄があれほど評価されたことは逆にいえば、日本の政党や政治家のその領域での貧しさを現している。

 官僚ではなく、それに対抗して制度的言葉を作れる専門家が必要である。これはフーコーのいう専門領域の知識人、特殊領域の知識人のことになるのだろうか。かって、全共闘運動はこの日本の官僚制を対象とする闘争を展開したといってよいのだが、生活や日常から表出される政治意識(構成する力)を制度的な言葉の構成に転化するためには、特殊な領域の知識人の存在が必要なのだ。ここには国家を開いていくために、専制下で機能してきた官僚制との闘いが不可避である。

 ごく最近の個人情報保護法案、有事法制案など重要な法案が次々に法制化された。これらに対する反対の動きを見ていて、制度的な言葉で対抗する力の不在を実感した。

 日本の官僚制はアジア的官僚制とよんでもいいのだが、専制下で統治の実際を握ってきた。また、官僚は制度的言葉の独占者であった。日本で、制度的言葉と日常的な言葉が現在のような断層や乖離を抱え込んできたのは、制度的言葉が官僚に独占され、知識人はそれに随伴する存在だったことに起因する。制度的な言葉の官僚の独占を突き崩し、国家や権力を開いていくには、自由や抵抗を言葉にする存在を必要とする。

 民主制の機能を官僚の支配力によるねじれから解放していくには、政治家を変える道が一つある。官僚は現在では天皇ではなく、議会や内閣に根拠がある。政治家を変えることはその一つであるがそれだけではどうしようもない。官僚に対抗できる知識人や集団などが、自立した存在としてなければならない。

 僕らが日本の中で抱えていることは中国や韓国なども抱えている課題であり、そう遠くない日にアジア的な官僚制との闘いが共通の課題として浮上することになるのではないか。官僚制と闘うためには、初めの方で述べたように運動が必要である。政治的な表出意識を発現するという運動や抵抗が、制度的言葉を独占する官僚と闘うには不可欠だ。しかし、同時に制度的言葉を生み出す部分を作り出すしかない。立法化する力、それを生み出す力を市民社会の中で用意する基盤は情報の高度化で強くなる。過大評価はしていないが、そこが一つの可能性を用意しているように見える。



昭和の抵抗権行使運動(113)

抵抗権行使運動の未来(3)


 記紀が描く擬装古代史の真相を究明することは天皇制の呪縛を解くための重要な要件の一つである。それが私が古田史学を紹介してきたモチーフであった。吉本さんの共同幻想論や南島論はヤポネシア列島の文化の古層を発掘すること(琉球やアイヌや東北などの文化を読み解くこと)によって、文化としての天皇制を相対化あるいは無化する道筋を示している。このテーマは以前に『日本とは何か』で取り上げた。 『日本とは何か(19)』 から吉本さんの発言を再録する。


 制度的というか、政治的というか、そういうところから考えると、日本人の歴史と、日本国家、つまり初期の大和朝廷成立以降の国家らしい国家が農耕を基礎にしてできあがったことは同じではありません。つまり日本国の歴史と日本人の歴史は違って日本人の歴史の方がずっと古いわけです。それこそ縄文早期、あるいはもっと前から始まっているかもしれませんから。日本人の歴史と日本国の歴史――もっといえば天皇家の歴史とを全部同じものとして見るのは不当ではないかという感じ方はあったのです。

 だから、天皇家の始まりが日本国の始まりというのはまだいいとしても、天皇家の始まりが日本人の始まりだ、というのは少なくとも違うから、日本人の歴史というところを掘り起こしていけば、天皇家を中心にしてできた日本国家の歴史のあり方を相対化することができるのではないかということが問題意識の一番初めにあったわけです。



 ここで吉本さんが「日本人の歴史」と言っているのは「ヤポネシアの歴史」と言い替えてよいだろう。(ヤポネシアについては 『日本とは何か(9)』 を参照してください。)

 それでは現在の問題として、制度としての天皇制を無化していく道筋(政治戦略)はあるのだろうか。天皇制が法制の中枢を占めてはいない現在、「政治的な反天皇制という運動は無意味」だと、三上さんは言う。

 例えば、政治的に反天皇制を掲げる運動がある。この政治的な反天皇制運動は、天皇制が国家の法制の中心にある場合は意味をもつ。天皇制を法制の中枢にもつ宗教的な国家であれば、それを中枢から排除するという政治運動は意味をもつのである。しかし、天皇制が法制の中枢から排除されていれば、この政治的な反天皇制という運動は無意味になる。天皇制が法的な中枢から排除され、文化概念として存続するとき、左翼的な反天皇制というイデオロギーは政治戦略にはならない。文化概念としての天皇制に向き合う政治戦略にはならないからである。別のことが考えられなければならない。

 天皇制は共同幻想としてあるが、法制の中枢ではないということはどう理解したらよいのか。それは政治国家領域の政治的課題ではなく、幻想国家の領域の課題となる。政治国家的な領域ではなく、幻想的な国家領域の政治戦略として出てくる。



 現在では天皇制の制度的な課題は憲法から天皇条項を削除することにつきるが、それがなったとしても、それは天皇制の無化に直ちにつながるわけではない。天皇制は制度の問題ではなく、すぐれて文化の問題なのだ。だから逆に、文化としての天皇制が無化されたとき、制度としての天皇制は自然消滅するだろう。


 日本文化という概念は日本列島の住民の文化という意味であり、個別的で、雑多な存在をそのまま認めればよい。それはエスニシティーとよばれる伝統的な文化的・宗教的共同意識を評価することであり、天皇という包括的言葉(民族的文化としての天皇という概念)で包括する必要はない。天皇に帰一するというのではなく、文化を生の根拠としている人に帰一すればよい。こうした包括概念として日本文化という概念を解体し、排除していけばよい。それは文化概念を基盤とするナショナリズムの解体である。

(管理人注)
エスニシティー(ethnicity 民族性、民族的背景、文化圏)
 共通の出自・慣習・言語・地域・宗教・身体特徴などによって個人が特定の集団に帰属していること。


 ナショナリズムは対抗的な関係のなかで形成されるが、民族的な対立意識の根底には文化の制度化(民族化)がある。中華思想にしても、朝鮮半島の住民の自尊心(恨の思想)にしても、また日本の国学的な思想も地域文化としてあるものを制度化し、包括化したものだ。それは近代国家によって対抗的に組織されてきた。

 日本は第二次世界大戦にいたる近代の過程で展開した中国や韓国などへの振る舞いは、処理してクリアしていかなければならない問題だが、文化とナショナリズムの問題はもつと長い歴史的なスパンをもつ問題である。この文化とナショナリズムの問題は、日本の韓国や中国への差別意識に還元されてはならない。これらは第二次世界大戦や近代化の過程での日本のナシヨナリズムが、中国や朝鮮半島の住民への対応として出てきた範囲の問題であるに過ぎないからだ。中国も韓国も北朝鮮も国民国家化した段階で、ナショナリズムと文化のことを考えるならば、もつと長い射程として考える必要があるのだ。

 かつての日本帝国主義の振る舞いということの批判もその中に含まれるが、文化を基盤にしたナショナリズムの対立を超えて行くのは単なる差別主義批判では不可能である。それぞれ国民国家化した段階でのナショナリズム解体論は、帝国主義と植民地主義という思想的枠組みを超えて可能となる。

 文化は人々の生を根拠づけるものであり、価値観である。それは文化を生きる人々の実存そのものにあり、個別的なものだ。そして文化は個別的なままに、国家を超え横に広がる。民族文化という包括的概念はいらない。ナショナリズムにとってそれは必要なだけだ。

 これに対抗するのはインターナショナリズムということではない。住民の文化が、民族的な文化概念で切断されることなく、その個別的なまま横に超えて交流していけばよいのだ。そのときこれはナショナリズムへの強力な抑止力となる。政治的なナショナリズム批判はさして力にならないが、この文化の広がりはナショナリズムの抑止力として働く。近代国家とは逆のイメージを、文化にたいする政治戦略として考えれはよいのだ。中国大陸や朝鮮半島、日本列島の中での文化がナショナリズムへ転化されることを防ぐ戦略はここにしかない。そのとき中国・韓国・北朝鮮・日本のナショナリズムを媒介にした政治的対立は機能しなくなる。

 歴史的に中華思想、恨の思想、天皇という思想で相互対立を生み出してきた歴史関係を、国民国家という段階を経て解体していく戦略がここにはある。南島論で吉本が提起したものはそこまで広げられる。

 沖縄問題についてネット検索していたら、次のような文章に出会った。三上さんと同じ論旨である。(執筆者が記録されていないが、たぶん谷川健一さん?)

 日本にあってしかもインターナショナルな視点をとることが可能なのは、外国直輸入の思想を手段とすることによってではない。ナショナルなもののなかにナショナリズムを破裂させる因子を発見することである。それはどうして可能か。日本列島社会に対する認識を、同質均等の歴史的空間である日本から、異質不均等の歴史空間であるヤポネシアへの転換させることによって、つまり『日本』をヤポネシア化することで、それは可能なのだ。(「日本読書新聞」1970年1月1日号)



今日の話題

教育行政の惨状


 「都教委包囲首都圏ネットワーク」の渡部さんから、日教組全国教研の続報メールが送られてきました。転載します。教育行政の右傾化がますます熾烈になってきている様子がわかります。それを司法(裁判所)が後押ししています。しかし、ひるむことなく、力強く闘っている教師たちが全国にいます。

<転送歓迎>(重複ご容赦)
・「都教委包囲首都圏ネットワーク」・「千葉高教組」・「新芽ML」の渡部です。

 日教組全国教研の続き(最終報告)です。

 2月21日夜、<自主教研「日の丸・君が代」問題交流会>が開かれました。参加者は35名でした。

 最初に今回の全国教研の異常な状態について、「全体会」や各「分科会」に参加した人々から、報告がありました。

 その後、呼びかけ人代表挨拶として、北村小夜さん(1925年生まれ)が、さかのぼれば1970年代の伝習館闘争の時から続く<自主教研>の歩みについて説明(一時中断、金沢教研から再開したので今回は10回目)、このところ「日の丸・君が代」関連裁判が次々と敗訴することに対し憂慮の念を表明、「本来なら今頃自分はゆっくり休むことができるだろうと考えていたが、時代がそうはさせてくれない。」と述べました。

 この北村さんは、最近(2008年9月)、『戦争は教室から始まる』(「日の丸・君が代」強制に反対する神奈川の会編。現代書館。1700円+税)という本を出しました。この本は、史料を豊富に提示しながら、明治時代から現在までの、日本政府の教育政策を具体的に暴露し、現在私たちはどのような時代に生きているかを、極めてわかりやすく述べています。是非多くの人(とくに教職員)に読んでもらいたい本です。

 この後、河原井さん、根津さん、菊岡さんをはじめ、北海道、宮城、東京(ピースリボン裁判)、大阪、広島、福岡などから発言がありました。そのうちここでは、・北海道、・東京(ピースリボン裁判)、・大阪、・広島、からの報告を紹介します。

<北海道・釧路>
 「日の丸・君が代」に関しては、いろいろな段階で闘いが取り組まれている。しかし、今年度、道教委は、これまで組合と結んでいた協定書を全面的に破棄し、査定昇給や教職員評価がスタートした。すると、<「日の丸・君が代」に反対するのは評価にひびく>などと言い出す校長たちが出てきた。いまのところ処分はないが、今後はわからない。

<東京・ピースリボン裁判>
 2000年の国立二小でリボン着用で文書訓告になった。理由は<精神的職務専念義務違反>というもの。これでは、精神の中まで職務専念義務ということになる。敗訴したが、判決では「考えを表に出すことなく式に参加することは、公務員の役目>と言っている。これでは、<心と体を峻別して子どものまえに立て!>というものだ。ロボットのような教師として子どもの前に立つということだ。そして、<世情としてはその方(起立斉唱)が多い>と言っている。しかし、これは法律に基づかない裁判だ。法律無視の国や裁判所。私たちはますますこれらと闘わなければならないと思うようになった。

<大阪>
 橋下の支持率が高い。そうした中で賃金カット、非常勤職員の削減などが強行されている。彼は11月、<「日の丸・君が代」を考えるのは大人になってからでいい>などと述べている。昨日(2月20日)、門真市の中学校の昨年の卒業式に関して、生徒達が着席したことをめぐり、<文書訓告1名><厳重注意8名>の処分か出された。サンケイ新聞は、「大阪市では33校が望ましい形になっていない」などというキャンペーンを張っていいる。それに市教委は屈する形で指導を強めようとしている。(否、市教委もサンケイ新聞と同じ体質になっている?)

<広島・養護教諭>
 自分はこれまで18回戒告処分を受けている。自分は職員会議で、大きな声で、「これは憲法違反だ。戦争への道だ。皆さん、そうは思いませんか?!」と述べたところ、後で多くの人から賛同してくれた。自己申告も出していない。何度も校長室で強要された。しかし、おかしいと思うから出していない。このままでは言いたいことが言えなくなり、戦争になる。一人一人が生き生きと、意気揚々と闘って行きましょう。

<広島>
 1998年度の是正指導以降、広島の教育は大きく様変わりした。その結果、毎年、現職死亡が出るようになった。しかし、それは「個人責任」とされ、問題になっていない。自分はこれまで16回の戒告処分を受けている。地域からも自宅に数回嫌がらせの電話があった。管理職は自分を担任にさせない。にもかかわらず、産休補助などにはあてる。「日・君」は人間関係を破壊する大きな要因になっている。広島教組の闘いからの「撤退」もそうした状況を許している。

 以上で全国教研の報告を終わりますが、教育現場での闘いの火は決して消えていません。むしろ、職場には確実に不満が蓄積されつつあります。これは全国のどこかで吹き出すでしょう。

全国の皆さん!
「待て、しかして希望せよ!」(『モンテ・クリスト伯』より)、です。

(追)
東京の高校では明日(3月1日)から卒業式が始まります。

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「都教委包囲首都圏ネットワーク」

「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」