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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(71)

『独立左翼論』を読む(7)


 三上さんは、さらに、『擬制の終焉』から次の文を引いている。

 ここでもつとも滑稽なのは、はじめに、安保闘争の主導的勢力に水をかけながら、運動がおわり、これらが一定の成果をおさめたとみるや、おれたちはきみたち学生運動を支持してきたのだなどとおべんちゃらを呈し、じつは、無名の無党派学生および市民大衆がじぶんの足と手でもってあがなった運動の成果をわが田にひき入れて、過去もそうであったように現在もまた『バスに乗り』はじめたものたちである。

 わたしは共同にしろ革共全国委にしろ、安保闘争を無名の学生大衆の行動過程において考察せず、自らの指導性について手前味噌な自惚れをならべたてるとき絶望をかんじないではおられない。かれらもまた、ロシア革命や中国革命を、レーニンやトロツキーや毛沢東において考察し、たおれた無数の大衆の成果について考察できない官僚主義者に転落するみちをゆくのであろうか?

 なんべんも強調しなければならないが、いかなる前期段階でも、一定の政治理論と行動方針を大衆のなかに与える指導者よりも、ひとりの肉体としてたたかう無名の大衆のほうが重要なのであり、また重たいのである。ここでは、やむをえない場合、必然的に指導者はじぶんの責任をかたるのであり、自らの指導性を手前味噌に誇張するとき、官僚主義が生まれるほかないことは、あらゆる前期段階の歴史があきらかにしている。


 これを受けて、三上さんは第一次ブントが果たした歴史的意義を次のように論じている。

 安保闘争は政治集団の政治戦略のいかんというよりも、大衆が主体として闘争を主導していったということにこそ歴史的な意味があった。吉本がここでいうひとりの肉体としてたたかう無名の大衆たちの集合的な力の上にこの闘争は成立したのである。それは前衛党主体の大衆運動を打ち破りつつ実現した。これは政治的意志の登場の仕方の新しい歴史的形態だった。

 ブントはそれを代表しえた限りにおいて、政治指導の機能を果たせたのである。ブントの政治戦略も情勢分析も実際にはさしたる意味を持たなかった。そういう実態だったのである。大衆が主体となる独立左翼的な運動を実現したことにブントの秘密はあったのだ。もし、この内在的な過程の考察から6月15日の意味と限界を考察しえていたら、東大細胞の意見書もなかったであろうし、それに振り回される形でのブントの解体もなかったはずである。

 東大細胞の意見書は党(政治集団)が主体としてあり、大衆的運動を主導しているという伝統的左翼の思考に支配されていたし、ブントもまたそれから自由ではなかったのである。



 さらに、伝統的な左翼思想が「一定の政治理論と政治行動を大衆の中に与える指導者よりも、ひとりの肉体として闘う大衆のほうが重いし、重要である」ことを認識できないのはなぜか、と問う。そして、「マルクス主義の思想の中で意志論(幻想論)が欠落していることが根本的な理由であるように思える」と指摘し、その観点から「エンゲルスからレーニンにいたる」マルクス主義の革命論の欠陥を論じた上で、次のように続けている。

 よく知られているように、有名な階級意識の外部注入論がある。階級意識(意志)は、外部から注入される。注入する階級意識(共同意志)を形成するのは誰か。意志の実態をなす、諸個人の外部に存在する前衛という政治集団である。

 この政治集団は意志の表現であるという本質論をもたないため、先験的に設定される。別のいい方をすれば、超越的なものとして設定される。意志の所有者の外部に存在する。共同意志を階級意識とするなら、それは個々人の中にあるのではなく、先験的な前衛集団(党)の中にある。真理は教祖や宗教的な集団にあらかじめあるというのと同じである。マルクス主義の政治集団が必然のように宗派的(宗教的)になっていくのは、真理(階級意識)が実存する意識(意志)から超越した、先験的なものとしてあるからだ。これは外部注入論と不可欠な関係である。

 レーニン的な前衛論(マルクス主義) では、肉体としてたちあらわれてくる政治的行動者には、彼自身が政治意志の主体として評価される場所はない。それはこの政治的な行動者が大衆であっても、知識人であっても同じである。個的な意志という意志の実態として評価されることも、位置づけられる場所もないのである。

 「ひとり肉体としてたたかう無名の大衆」とは個的に政治意志を発現する存在である。その総和が共同意志をなすのであるから、これこそが本来的な存在である。政治集団の超越性は革命集団という先験性(ようするに思い込み)にしか根拠はないのである。なぜ、それが前衛という幻想を生むのか。知識人の思い込みに過ぎないのである。

 レーニン主義と呼ばれる伝統左翼の思想はなぜ、我が国の知識人たちをとらえ、そして深く呪縛してきたのであろうか。そこにはロシア革命や中国革命が与えた世界史的な影響がある。しかしそれ以上に、支配共同体と生活共同体の間の意志(言葉)と隔絶してあるほかなかったからだ。つまり知識人は大衆の生活的な共同体の外部にあり、国家に依存する存在だった。国家が国民の生活共同体に対して、超越的に存在してきたように、超越的だったのである。

 とりわけ政治的な知識人はそうだった。この国家の超越性が解体し、共同意志(幻想)が大衆の意志に転換していくところに近代の革命があった。共同意志(幻想)の超越的形態の転換こそが近代革命だった。

 国民国家の形成という、大衆の共同性が国家に登場し、専制権力を制限し、限定づける立憲主義(近代国家)も、我が国の場合にはこの溝を解体させなかった。むしろ、この溝を全体とし(袋のように)包み込むものとして、近代国家はできたのである。

(中略)

 政治的な共同性が反体制や左翼というイデオロギーをもち、その内部の構成員が、内部で観念的に〈階級移行〉を繰り返しても、国家に依存し、その枠組みから自由になれないのはここに根拠があった。政治集団や知識人が転向を繰り返すという我が国の政治的伝統は、ここに歴史的基盤をもっていたのである。



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