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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(64)

「死者の視野にあるもの」(5)


〈暴力学生〉
 この無規定な罵言
 2年前(1968年・・・管理人注)、日大、東大に端を発した学園闘争のさなかに、従来の教師と学生といった取り澄ました関係においてではなく、人間として私は多くの若い人々と接触し、互いの存在をぶっつけ合う関係をもつたが、そのうちから得た実感の一つは、多くの樺美智子、多くの奥浩平、多くの山崎博昭が何処にもいるということだった。

 〈暴力学生〉なる汚名にもかかわらず、また確かに孤立しており悩んでおり、ある場合は打ちのめされて意気銷沈していても、その人たちは、誇張ではなく日本の最良の息子たちなのだと思う。

 マス・メディアがどんなに事実を歪曲しようと、事実を知っている人は知っており、〈専門バカ〉と罵られた教授たちのうちにすら、たとえば卒論を例にとれば、全共闘、ノンセクト・ラディカルスの人々のそれが、秀れた問題意識、みずみずしい感受性、豊かな 可能性をはらんでいることを、認めざるをえなかったのである。

〈暴力学生〉の汚名のゆえに遣家族のなかには息子のことに触れられたがらない場合があることを伝記の執筆者は伝えている。たとえば和井田史朗の伝を担当した穂坂久仁雄は死者の死因を明快に判断するデータのすでに失われたことを歎きつつ、「そつとしておいてほしい」という和井田家の意向と、学生側の真相追及の不熱心さが、この事件を闇から闇へと葬り去ったようである」としるしている。

 〈暴力学生〉という無規定な罵言が、あたかも戦争中の〈非国民〉という言葉のような作用をもち、社会から家族をも疎外するに至っている。庶民は常にそのように悲しく隠忍し、最も甚だしい被害、理不尽な被害を受けたものが、かえってすみませんとあやまるのである。

 かつて一教師だった者として、そうではないのだ、あなたの息子はまつとうだったのだ、と伝えたい気持を抑え得ないが、しかし為すべきことは、最大の被害者がかえって謝罪してしまう精神構造を、その根底から思想的に顚倒することであるかもしれない。



死者の眼の中の残像は・・・
 くだくだしい解説は、これ以上必要ないが、ただもう一つ、注意をうながしておくべきことがある。それは、この10人の伝記のうち、その死が現在に近い人ほど、日記やメモの中に、死についての省察の占める比重が大きくなり、デモへの参加が謂わば決死の覚悟のもとになされるようになっている事実である。

 69年9月、京大闘争に参加し、大学近くの街路に幻想の砦を築こうとする闘争のさなか、火焔瓶の焔をあびて死んだ関大生津本忠雄は、そのノートの中に、こうしるしている。
「私には許されない、最後に人知れずほほえむことを

〈私はどこで死ぬのだろうか?〉
どこで……
病院のベット
道路の上
戦場のザンゴウの中……
私は恐ろしい死が、死のもたらすものが

〈私は自分の道を行く〉 私は……」



 こうした、後になってみれば自己の運命を予見したような死にまつわる想念の述懐は、青年らしい思念の極限化や、個人的な感受性の繊細さにのみ帰せられるべきものではない。本当に、一つの労学蹶起集会、一つの反戦デモに参加することすらが、その参加者に決死の覚悟を要請するような状態になっているのであり、また覚悟しての参加者でなくとも、1968年4月、王子の米軍の野戦病院設置反対闘争の際にまきこまれて死んだ榎本重之の場合が象徴するように、傍観者すらが容赦なく殺されているのである。

 言うまでもなくデモは表現の自由のうちに属する基本的権利の一つであるが、それが徹底的に規制され、機動隊にサンドウィッチのように挟まれてしかなしえない現実は、一見放任されているように見える他の表現、たとえば文章表現においても、やがて同じ運命がおとずれるだろうことを物語っている。

 いつの時代にも既成事実を巧みに理論づけ、いつの世にも権力に媚びて自己を権威づける道化師はいるものだが、そういう表現の横行を、言論の自由と称するのであるか。そうした大人は、いま、経済の成長を謳歌し、消費欲の充足を讃美している。しかし、他者の自由の抑圧を見すごすことは、ただちに自己の自由の制限につらなることをやがて思い知るであろう。

 榎本重之の場合だけではなく、べ平連が主催した幾度かの新宿集会においても、通行人であって機動隊の規制で負傷させられ不当逮捕された人が少なからず出ている。そのうちの幾つかの事件は裁判にもちこまれて争われており、「私はデモとは無関係であったのに……」という形の弁護弁論が行なわれているようだが、そうした主張の仕方は間違っている。なぜならデモの中にいたら、機動隊に負傷させられてもいいというわけではないからである。

 また、その人が殴られた理由は、その人の行動の如何にかかわらず、その人がまさしく群衆の一員だったからであり、国会周辺にせよ、都市のターミナルにせよ、群衆の結集自体が一つの抗議として権力者に嫌悪されるのであってみれば、具体的に負傷するか否かは、たまたま機動隊員の目についたか否かによってきまるにすぎないのである。

 路傍に打ちすてられ絶命していった人々の眼球には、いまは、機動隊員の靴底が、決して消えることのない怨みとともに刻印されているが、このままうちすごされれば、やがては、次々と斃れる犠牲者の最後の視野の中に、にんまりと笑い、邪悪な瞳を光らせている共犯者の顔、―そう、あなたの顔が映ることにならないとは限らないのである。

 かつて魯迅が言った「いま住んでいる場所が人間の世でないことを感ずる」というその非人問の世界とは、そういう世界のことを言うのだと私は思う。




地の中に眼がある
拒むこと以外に 死を
死に続けるすべをもたない移しい屍体の。
腐蝕し土と化した肢体の痛みを
一点に凝縮して腐蝕を拒み
あらゆるモニュメントを拒み
歴史へのいかなる記載をも拒み
数であることを拒み
大きく見ひらかれたまま
閉じることを拒み
無駄死を強い続ける卑小な生者のための
奈落への心やさしい道づくり。
数千年の眼孔の堆積は巨大な穴となり
ふるさとの墳墓
あるいは忿怒は増殖する。

〈ふるさともとめて 花一匁〉


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