FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(57)

60年安保闘争の評価(3)
田中清玄問題(2)


『日高六郎から田口富久治にいたる「知識人」の発言』の根拠を、吉本さんは次のように分析している。

 かれら、古典的「進歩」主義者は、田中清玄→武装共産党 の指導者→転向→反共右翼→悪玉→恐怖(陰謀)というように理解の矢を結びつける、いやしがたい心的な傷痕と、古典性を刻印されている。それから逃れることはできないのである。

(中略)

 悪玉? 陰謀家? 恐怖? もし、今日の田中清玄からそんな像をみちびくとすれば、かれら進歩的「知識人」のなかに、戦争期にうけたインフェリオリティ・コンプレックスと、古典進歩主義の「理念」との結合が、ひとつの「宗教」的固定概念として存在しているからである。



 また、日本共産党と田中清玄との確執については、次のように切って捨てる。

 日本共産党と、その離脱者としての田中清玄のあいだの「私恨」などに何の意味があろうか。それらは、古典的円環、スターリニズム→アナキズム→ファシズムのなかの相互の「鏡」の対立にすぎないからである。また、古典マルクス主義の同伴者が、「右翼」 にいだく伝染性の「悪玉」感や「恐怖」感などにも何の意味もない。それは、古典マルクス主義の終焉とともに終焉するものにすぎないからである。



 田中清玄については、「今回の反安保闘争の一連のカンパニヤに登場したかぎりについていえば、」という条件付きで、次のようにその人物像を描き、「知識人」たちの「悪玉」・「陰謀家」感の対極感を示している。

 その言動・挙措は、ただ、お人好しの下らぬ人物にしかすぎないとおもう。ハシタ金を全学連にカンパし、それを契機に、接触の機会をもった安保闘争時の全学連の若干部分の幹部に、昔の自慢話をしてきかせ、かれらの闘争ぶりに感激したあまり、街頭デモを見物に出かけ、無智な出しゃばりの口を出し、それくらいで、自己が安保闘争の主導勢力に影響を与えたかのように錯覚している、ただの好々爺の像しかそこには存在しないのである。そして三年後にかれらの若干に職をあたえたことを自慢にしている中小企業のおやじがいるだけではないか。



 「反安保闘争の一連のカンパニヤに登場したかぎり」という制約で描いた田中清玄像であるが、「自己が安保闘争の主導勢力に影響を与えたかのように錯覚している、ただの好々爺の像」という一面は的確に捉えている。しかし、田中清玄は一筋縄ではいかない人物のようだ。私は田中清玄にたいへん興味がわいて、「田中清玄自伝」(ちくま文庫)を購入してきた。とりあえず、拾い読みをしてみた。田中清玄ご本人について、深く立ち入るつもりはなかったのだが、ちょっと、横道に入る。

 「田中清玄自伝」は毎日新聞社の大須賀瑞夫記者が田中清玄にインタビューしたものをまとめた本である。大須賀さんは「解題」で、田中清玄の通俗像にない「一つの特徴」を取り上げ、次のように述べている。

 田中清玄のもう一つの特徴は、それだけ行動的でありながら、その一方でまるで思想家のような発言と人脈づくりを行ってきたことである。例えばノーベル経済学賞を受賞したことで知られるフリードリヒ・ハイエクとの親交がそうであり、また京都学派の中心的学者といわれた今西錦司との交遊もそうであった。しかも重要なことは、田中が彼等の学問の今日的、かつ将来的意義を正確に見抜いた上で、付き合いを深めていることである。単なる儀礼的付き合いなら、ハイエクのノーベル賞受賞のパーティで、メインテーブルに座るただ一人の日本人には選ばれなかっただろうし、今西との対談のために、ハイエクが三回も日本に足を運ぶこともなかったに違いない。



 さて、全学連との関係を、田中清玄自身はどのように述べているだろうか。「田中清玄自伝」から抜き書きしておこう。

―田中さんといえば、60年安保で全学連幹部に資金提供をしていた印象が強烈です。その理由を話してください。

 当時の左翼勢力をぶち割ってやれと思った。あの学生のエネルギーが、共産党の下へまとまったら、えらいことになりますからね。一番手っとり早いのは、内部対立ですよ。マルクス主義の矛盾はみんな感じていましたから。

 ロシアの威光をかさにきてやる者、それから共産主義の欠陥をくみ取れない連中、進歩的文化心ではやりの馬に乗った人間、彼等にはそういういろんな雑多な要素があるんです。

 しかも反代々木(反日共)で反モスクワである点が重要だ。彼等を一人前にしてやれと考えた。反モスクワ、反代々木の勢力として結集できる者は結集し、何名か指導者を教育してやろうというので、全学連主流派への接触を始めた。  もう一つは、岸内閣をぶっ潰さなければならないと思った。


―しかし、全学連指導部の意識は日本の革命だし、立場は正反対だったのではありませんか。


 革命運動はいいんだ。帝国主義反対というのが、全学連のスローガンだった。しかし、帝国主義打倒というのを、アメリカにだけぶっつけるのは、片手落ちじゃないかと僕は言った。「ソ連のスターリン大帝国主義、専制政治はどうしたんだ」とね。そうしたら、そうだと。それで、これは脈があるなと思って、資金も提供し、話もした。

 私のところにきたのは、島成郎です。最初、子分をよこしました。いま中曾根君の平和研究所にいる小島弘君とかね。東原吉伸、篠原浩一郎もだ。島にあってくれということなんですね。

―当時の報道ではかなりの資金が渡されたといわれていますが。

 機会あるたびに、財布をはたいてやっていました。いろんなルートで。まあいいじゃないですか。それはそれで。

―唐牛健太郎が函館出身だったというのも、付き合いができた理由ですか。

 それが一番大きい。知らなかった、唐牛というのは。島が唐牛に全学連の委員長をやらそうと思うが、どうだろうかって。「あなたと同じ函館の高校で、今は北大だ」と言ってきた。それで僕は「君がいいと思ったら、やったらいいじゃないか」と答えた。島の決断です。私に接近してきたのも、彼の決断だった。島がいなかったら、私と全学連の関係はできなかったでしょう。

 本当は全学連委員長というのは、東大に決まっているんですよ。それを破って、京大でもない、北大の、しかも理論家でもない行動派の唐牛を持ってきた。唐牛は直感力では、天才ですね。しかし、組織力ということなら島です。先見性もね。決して彼はスターリンや宮本顕治のような独裁者にはならない男です。

 一つの運動が終わると去っていって、また次の運動を組織していく、そういう点で天性のものを持っている。沖縄での精神病院での地域医療活動だってそうでしょう。まさに社会的実践そのものです。彼はいい男ですよ。時々ここへもポカッ、ポカッと来ますよ。去る者は追わず、来るものは拒まずです。

―具体的にはどんな事をされたのですか。

 全学連といったって、最初はただわあーと集まってくるだけで、戦い方を知らん。それでこっちは空手の連中を集めて、突き、蹴るの基本から訓練だ。僕の秘書だった藤本勇君が日大の空手部のキャプテンで、何度も全国制覇を成し遂げた実績を持っていた。彼をボスにして軽井沢あたりで訓練をさせたんだ。藤本君がデモに行くと、一人で十人ぐらい軽く投げ飛ばしてしまう。

 「お前は右翼のくせに左翼に荷担してなんだ」なんて、だいぶ言われていたけど、「なにを言ってやがる。貴様らは岸や児玉の手先じゃねえか」って言ってね。デモをやると右翼が暴れ込んでくるんだ。それを死なない程度に痛めつけろ、殺すまではするなと。それでしまいには右翼の連中も、あいつらにはかなわんということになった。

 ― 60安保のデモ隊から岸首相を守るため、自民党の福田篤泰代議士の選挙区の三多摩地方から、威勢のいい青年たちを動員したと聞いたことがありますが。

 そんなもの来たってちっとも怖いことなどなかった。しかし、こっちは反帝国主義、反米だけではどうしても今一つ盛り上がらない。それて取り上げたのが反岸だった。それをやったのは島です。

 全学連の内部では、「国内問題に矮小化しすぎる」「国際性がない」「革命性が失われる」などと小理屈をこねるのもいたが、困るのは自民党、岸一派だけだ。遠慮しないでやれと言ってやった。

 水道橋の宿屋で待機していて、田舎から送られてくる部隊を集めては、左翼と一緒に戦えと話してやった。彼等は「なんだ、今まで仲間だったのと戦うのか」っていうから、「そうだ、極右である岸・児玉一派と戦うんだ。大義、親を滅ぼした」なんて言ってね。

 あのエネルギーを爆発させることができたのは、何といっても戦いに反岸を盛り込んだことだし、それをやり切ったのは島や唐牛でした。彼等がいなければ、警視庁だけでは、岸・児玉一派にやられてしまっていたでしょう。原文兵衛警視総監が一番理解してくれた。

 ― あの時、岸首相は自衛隊を出動させようとしましたよね。

 それをきっぱりと断ったのが赤城防衛庁長官と杉田一次陸上幕僚長だった。えらかったねえ。岸がうるさく迫ったんだが、二人ともはねつけた。杉田陸幕長は戦前、東久邇宮付きの武官で、米国留学の経験もあり、あんなことで兵を出したらどんな事になるか、よく分かっていた。

 ― なぜ黒幕なんて言われたんでしょうか。

 さあ、私には分かりませんが、マスコミが流したことは確かです。戦後ある時期まで、新聞紙はもちろん、出版社などにもずいぶん日本共産党の秘密党員やシンパがおりましたからね。それから私は岸信介や児玉誉士夫らと徹底的に戦いましたが、かれらもまたマスコミにはかなりの影響力をもっていました。彼等の双方から挟撃され、意図的にそのような情報が流されたということじゃないでしょうか。



 児玉誉士夫のような典型的な「権力の寄生虫」的右翼とは一線を画する人物だし、情勢に対する見識もあると思う。しかし、「好々爺」の自慢話というニュアンスを強く感じ、ちょっと辟易とさせられる面がある。次の吉本さんの見解が正鵠を得ていると思う。

 激化した大衆闘争のなかで、ひとりの個人の、あるいは少数のグループの演じうる指導的役割は、たかがしれているとおもう。たとえどのような陰謀家を想定してみたところで田中清玄の恣意によって、安保闘争の主導的なたたかいが嚮導されたというようなことはあり得ないのである。

 それは、大衆闘争そのものを愚弄することであるし、そこに参加した、諸個人と諸組織を愚弄する言いがかりにすぎない。そして、何よりも組織的壊滅をかけてたたかつた、全学連と共産主義者同盟の諸君に対する愚弄である。安保闘争を主導的にたたかった学生、労働者、市民知識人は、こういう愚劣なカンパニヤを許している「情況」そのものを、それぞれの場所から粉砕すべき課題を担っている。



スポンサーサイト