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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(51)

〔ドキュメント〕6・15国会流血事件(6)


16日 0時~4時35分
国会正面から官邸方面周辺


 藤巻記者は国会正面に行き、正門へ向かって左手、朝日新聞ラジオ・カーの近くにいた。学生は大部分がチャペルセンターの前に集まり、300~400人ぐらいが恩給局の曲がり角、100人近くは正門の土手近くにいた。

 16日0時、藤巻記者は正門前にならんだ警官輸送車が引き出されて放火されていくのを見た。すでに二、三台がダラダラ坂を中央に引き出されて燃えていた。

 放火を行なっている者の数はやはりここでも少数だった。火は手順よくつけられた。まず二、三人が運転台に飛び乗る。運転台のシートをあげて、重油タンクを金具でコンコンとたたく音が聞こえた。次にポッと火が出た。放火者は飛び降り、加勢を得て車を中央に押し降ろし、ワッショイと横転する。火は激しく燃え上がって、あたりを照らし出した。

 藤巻記者は、その手際がじつに鮮かなのに驚いた。そして放火者は、暗ヤミで、互いに名前を呼び合っていた。よく知り合っている仲間だナ、と藤巻記者は感じたという。

 警官は正門の中から三台の放水車を使って消火しようとした。効果なし。この時、南通用門から第四機動隊が、アメリカ大使館から第五機動隊が正門へかけつけていた。

 チャペルセンター前の学生は輸送車が燃えるごとにワーツとかん声をあげた。リーダーは学生群の中でアジ演説を行なっていた。

 朝日新聞の相田記者はチャペルセンターの向かいにとめたラジオカーの中でアジ演説を聞いた。そこでは「われわれはあすの11時までここにすわりこもう。11時には国民会議の労組員が応援にくる。われわれはこれに合流する」というアジが主だった。

 また東大のある課長は次のように聞いた ― 「正門前でトラックを燃やしているが、こういうやり方には賛成できない。正門前には右翼や警官が結集している。これ以上ケガするのは無意味だ。トラックの周囲にいる学友をよびもどそう」。そして、学生たちは、学校ごとに点検を行ない、数人が正門へ出て正門前にいた学生を連れもどすのを同課長は見たという。

 1時10分、藤巻記者は、燃え残りのトラックが二台しかないことを認めた(撃視庁発表は全焼16、半焼2)。

 その時、突然パンパンと二発のサク裂音を聞いた。次の瞬間、「麹町署長です。学生諸君が立ち退かぬので催涙弾を使用します」という拡声器による警告を聞き、たちまち、数十発の催涙弾が発射されて爆発した。パッと明るくなった。藤巻記者は目をやられて朝日新聞のラジオカーに逃げ込んだ。

 藤巻記者は、前の二発は無警告投弾だと思った。東大の内藤君はこの時、チャペルの向かい側にいた。内藤君は、燃えるトラックのタイヤの破裂音と催涙弾の発射音が酷似していて、無警告かどうか分からなかったという(警視庁は照明弾だといっている)。

 山下肇・東大助教授の担任する某学生は、びっくりして逃げ出したが、後ろから催涙弾の直撃を左ホオに受けた。左耳のコマクが破れ、顔面、肩、胸部に火傷を負って入院した(警察は、この後、学生を追って、1時32分に逃げまどって警視庁のボイラー室に入った三十数人の学生にも催涙弾を使用した =警視庁警備課情報)。

 1時20分、催涙弾発射と同時に、学生は大部分がチャペルセンターから警視庁方面へ逃げ出し、一部は恩給局のヘィに沿って地下鉄の国会議事堂前駅の方向へかけ出した。

 間髪を入れず、正門の左側の垣を越えて、防毒面着装の警官を先頭に、警官隊がヤミの中に躍り出た。一部は南通用門よりの垣を越え、土手から道路にとび降りて学生を追った。警官の大部分はチャペルセンターへ押しよせた。

 警官は警棒をふりかざし、カン声をあげて学生に躍りかかった。恩給局の塀寄りのドブに落ちて這い上がろうとする学生がなぐられるのを、ラジオカーの中に待避していたソノラマの藤巻記者は見た。

 ラジオカーの内部も苦しくなったので、車を平河町方面に向けて移そうとした時、毎日新聞のカメラマンが「朝日さん、KRが二人負傷した、救急車を呼んでくれ」と声をあげて叫んだ。

 東大の内藤君らは、国会図書館別館の植え込み内に逃げ込み、様子を見た。

 警官は電車通りを越えて学生を追った。電車通りを越えて学生を堀端近くまで追う警官を、負傷した清水・東大助手は病院へ行く途中で目撃した。

 学生を追った警官は引き揚げながら、植え込みをはい出したバラバラの学生を「早くいけいけ」と警棒でコヅいた。学生は恐ろしさにふるえ上がった(内藤東大生談)。

 朝日新聞の一柳、大西両記者は、催涙弾の音を聞いて、国会記者会館を出て南通用門をさがり、議員会館へ折れる三差路の近くまできた。この時、道幅いっぱ いに広がった警官隊が、トキの声をあげながら真っ黒になって、すごい速度でかけ上がってきた。その前を学生が逃げまどい、転倒した学生へ警棒が鳴った。

 一柳記者は驚いて逃げ出したが、逃げながら警官隊の中から「事態はソウジョウ(騒擾)である。全員手錠をかけて逮捕せよ」という指揮者の声をはっきりと聞きとった。

 このとき、南通用門の向かい側道路にいた約300人(もっと少なかつたともいわれるが、人数は確認できない)の大学・研究所のグループが襲われた。

 この学者グループへの暴行の有様を見た報道陣はこく少数であり、また、ほとんどまったく報道されてなかったという。「記録」は、このとき学者グループの先頭にいた「大学・研究所・研究団体集会」の実行委員(匿名希望)の話と、同集会が6月20日に明大教授・篠崎武氏、東大助教授・五十嵐顕氏の責任において公表した真相報告、東大原子核研究所職員組合の報告、法政大教授団の報告、および当夜いあわせた教授・研究者の体験をもとに、そのときの事件のあらましを、次のように再現している。(次回に続く)

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