FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(43)

《激動の1960年》4・26統一行動


3・16
 第15回全学連臨時大会、共産党系、革共同系排除、4・26ゼネスト決定

 全学連は第15回大会を開催して4-5月闘争の方針を決定したが、大会開会に先立って、主流・反主流派が会場入口で衝突をくりかえし、関西派、日共派は大会をボイコットして独自集会をもった。全学連の組織分裂は決定的になった。


4・2
 ブント第4回大会、1月逮捕者釈放、出席

4・20
 東大教官有志374人、安保反対声明

4・25
 全学連反主流派、都自治会連絡会議結成

 日共系の「東京都自治会連絡会議」(都自連)の結成は、分裂への第一歩であった。都自連は、羽田闘争以後の情勢の下降過程で、完全に日共中央の支配下に入っていった。

 都自連は「全民主勢力による統一戦線形成の有力な一翼をめざして闘う」(都自連通達)と主張し、国民会議の忠実な随伴者となり、その平和的カンパニア路線によって量的拡大をはかった。そして、6・15闘争直前までは、主流派と肩を並べるほどの動員数を獲得していった。

 また、革共同関西派は、全学連の闘争を政治主義的極左行動、極左盲動主義、小ブル的極左冒険主義、一揆主義的玉砕主義と批判した。また、羽田闘争を「反労働者的ペテン師の策動」と決めつけた。方針としては、一月末を期して無期限ストに突入した炭労三池闘争との結合を主張したが、大きく後退していった。

 一方、革共同全国委は、四月に「マルクス主義学生同盟」(マル学同)を結成して、学生戦線での組織強化にのりだした。4-5月闘争でも全学連主流派の闘争に参加し、関西派、構改派(都自連)に対する批判を展開した。

 学生運動は、以上のような分裂・再編を経ながら、60年安保闘争の最終局面に突入していくことになり、共産同=全学連は独力で闘争を組織していつた。

4・26 国民会議第15次統一行動

 全学連は、この第15次統一行動では全国ゼネストをもって決起した。全国82大学、25万名が参加し、警職法闘争を上まわる高揚を実現した。

 東京では、国民会議のデモを「お焼香デモ」と批判し、10000名の学生が「国会正門前大抗議集会」を決行した。そのうち3000名がチャペルセンター前の装甲車を乗り越えて国会正門に突進した。これに対して、機動隊数千名と右翼団体数百名が共同戦線を組んで学生たちを阻んだ。唐牛委員長ら17人が逮捕されている。

 都自連は、清水谷公園に11000名を結集し、国民会議の請願に合流した。旗やプラカードを捨て、20名一組に分散させられて行進した。文字通りの「お焼香デモ」であった。

 「この日の全学連の闘争も、敵味方の十字砲火のなかで戦取された」と言い、蔵田さんはその「十字砲火」を次のように列挙している。


 国民会議は闘争に先立つ一週間前に「重大な決定違反」という非難声明を発表。


 同じ日社会党も、全学連書記局にたいして「国民会議の方針に従うよう」要請書を出し、22日にも、同主旨の声明を発表。


 日共は20日「全国の学生諸君に訴える」長文のアピールを出す。


東京青学共闘会議も非難決議を強行。


 総評は「メーデーには全学連専用のデモコースを決めてもらいたい……」と警視庁に申し入れる。


 総評弁護団有志からなる「羽田事件弁護団」はすでに解散。


 警視庁は「厳重警告」を通告……。

スポンサーサイト