FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史」拾遺編》(9)

偽装「大化の改新」(1) ― 「郡評」論争


 今朝の東京新聞に「入鹿邸の倉庫、塀跡か 蘇我氏滅亡  7世紀半ば解体 奈良で発見」という記事があった。 その書き出しは「 大化の改新(乙巳<いっし>の変、六四五年)で中大兄皇 子らに暗殺された飛鳥時代の大豪族、蘇我入鹿 ……」

 もちろん記事の内容にも興味があるが、今日私が 問題にしたいのは大化の改新の年代である。この記 事で、長らく懸案になっていたこの問題を思い出し たというわけだ。

(以下、教科書は古田武彦著『法隆寺の中の九州王朝』、 『古代史の未来』、『日本古代新史』です。)

 「大化の改新は645年」。学校でこのように教えら れた。これが定説。大化の改新を取り上げている 全ての書物・記事はこの定説に従って叙述されて きた。この定説には何の疑問もたれなかったのか。 いや、大きな問題があったのだった。

 すでに1929~1931(昭和4~6)年頃、津田左右吉 が大化の改新詔の信憑性を疑って、天智以後の手が 加わっていると主張していた。これに反応した学者 は坂本太郎一人だけだった。他の学者たちはこの 津田の研究を無視した。坂本は津田の論点の一つ一つを 批判して日本書記の無謬性を論じた。

 1951(昭和26)年、坂本の弟子の井上光貞が、論点を 「郡」問題に絞った形で「大化の改新詔の信憑性」 を再度問題提起した。その要旨は次の通りである。

 大化改新以降、次々と出された詔勅、ことに「改 新之詔」(大化2年正月)と呼ばれるものに、「郡 司」という官名が書かれている。その前後にも 「郡領」「国郡」といったように、すべて「郡」 という行政単位で詔勅が出され、記事が書かれて いる。

 しかし、実際は、金石文その他、確かな史料に よる限り、当時(七世紀後半)の行政単位は「郡」 ではなく、「評」であったことが確認される。し たがって、「大化改新詔」などは、原詔通りでは なく、後代(おそらく「大宝令」)の立場からす る改変が加えられている。よって、そのまま確実 な史料として使用することは危険である。


 もちろん、これに対して坂本が反論をしたが、今 回は多くの学者が論戦に加わり、論の精緻を競い 議論百出し、学会を二分する大論争となった。 これを「郡評論争」という。古田さんはその論戦 の論文・著書・紀要類を渉猟して、その厖大なこ とに「一驚し、三歎せざるをえなかった。」と述 べている。

 多くの学者を巻き込んでのこの大論争は、1968 (昭和43)年あっけなく幕切れとなった。藤原宮跡 から出土した木簡・浜松市伊場出土の木簡がはっ きりと「評」を記録していて、井上説に軍配を上 げた。つまり古代の行政区画制度には 「7世紀末までは評制度、8世紀初頭から郡制度」 という大変化があったことになる。

 しかし、郡評問題はまだ真に「決着」したとは 言えないと、古田さんは言う。

 しかしこれは、真の「結着」ではない、なぜな ら、次の問いが不可避だからである。

「真の行政区画は『評』であったのに、日本書紀は なぜそれを隠し、『郡』と書き変えたのか?」 (孝徳・斉明・天智・天武・持統の間)

 この問いに対し、的確に答えた研究者はいまだ 誰一人いない。これに対し、私の立場からは明快 に答え得る。

「『評』は九州王朝下の行政区画であり、八世紀 以来の新王朝(近畿天皇家)は、これを〝消し去 った″歴史を『新造』した。それが日本書紀作製 の主目的の一つである」と。

 一つの行政制度を「消す」ことは、それを発布 し、施行していた権力(王朝)の痕跡を「消す」 行為なのである。その証明をのべよう。

A 評の統率者は「評督」である。「評督」の上の 最高統率者は、「都督」である。なぜなら宋書な どのしめすところ、倭王は「都督」の称号を与え られている(五世紀)。この「都督」という用語 を原点として「評督」という称号(金石文等に出 現)が〝新造″された。そのように見なす他ない からである(「評督」は七世紀後半)。

B 「都督」の統轄する中心官庁は「都督府」であ る。

C 日本列島に「都督府」の存在した痕跡は、文献 的(日本書紀の天智紀)にも伝承的(太宰府の都 府樓跡)にも、筑紫にしかない。

D すなわち、「評制」は筑紫の都督府なる倭王 (筑紫の君)を原点として発布し、施行された行 政区画である。

従来の歴史学者は「一元主義の枠」の中に縛られ ているため、右の問題に対し、有効な対案を提出 しえないのである。したがって「応答拒否」をつ づけてきた。


 ヤマト王権一元主義に呪縛されている学会が 「応答拒否」を決め込んでも、多くの市井の研究 者たちによって「真の古代史」は発展深化続けて いる。たくさんある研究の中から、「古田史学の 会」の発起人・世話人であった中村幸雄さんの 論文集 に今懸案の問題の論考が多く納められているので、 これを教科書として追加する。中村さんは1996年に 亡くなられている。合掌。

スポンサーサイト