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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

五木の子守唄(2)


 「五木の子守歌」の祖型がいつ頃成ったのかは 分からないが、その祖型に後代だんだんと新しい 歌詞が付け加えられていったと考えられる。祖型 と思われる歌詞を取り出してみる。

(1)
おどま盆ぎり盆ぎり盆から先ぁ、おらんと
盆が早よ来りゃ早よ戻る。

(2)
おどま、かんじんかんじん、あん人たちぁ、
よか衆、よか衆よか帯、よか着物。

(3)
おどま、かんじん、かんじん、ぐわんがら打ってさろこ、
ちょかで飲炊(ち)ぁてどうにねる。

(4)
おどんがおればこそ世ん中もめる。
おどんがはってけば、花が咲く。

(5)
花は咲いたてちゃ毒な花咲かん。
手足かゝじるいげの花。

(6)
おどんがとっちゃんなあ、あの山おらす、
おらすと思えば行こごたる。


(蛇足の注)
 歌詞に頻繁に出てくる人称代名詞について、 試みに『全国方言辞典』を調べた。「おどん」= 「私」とあって、これは問題ないが、「おどま」 という言葉はなかった。「おども」=「己ら、我々」 というのがあったが、これのなまりか。


 歌詞の意味から言えば、これらは明らかに 「守り子唄」ではない。特に(3)~(5)はまったく 意味不明の歌詞になってしまう。だからか、 これらの歌詞は一般に流布されているものからは 取りこぼされている。ほとんど埋もれてしまって いると言ってよい。

 (6)は「五木村ホームページ」に掲載されている。

おどんがお父っつあんは あん山(やみゃ)おらす
 おらすともえば いこごたる

 「おどん」を「子守娘」として「私の父は遠く に見えるあの山で仕事をしているだろう。又あの 山の裾に古里があり早く帰りたい気持ちが増々大 きくなる。」と解釈している。この解釈も無理が ある。歌詞を「忠実に咀嚼」すれば、「おどん」 が「いこごたる」と痛切な望郷の念を差し向けて いるのは「山の裾」ではなく、あくまでの「山」 である。「お父っつあん」が「おらす」のもあくま でも「山」である。この歌詞もやはり、あまり意味 がはっきりしない。

 「五木村ホームページ」がほかに掲載している 歌詞は次のようである。

(7)
おどんが打っ死(ち)んだちゅうて だいが泣いてくりゅうか うらの松山蝉が鳴く
(8)
おどんが打っ死(ち)んだら 住環(みち) ばちゃ 埋(い)けろ 通るひと毎(ご)ち 花あぐる

(9)
花はなんの花 ツンツン椿 水は天からもらい水

(10)
おどまいやいや 泣く子の守にゃ 泣くと言われて憎まれる

(11)
ねんねした子の 可愛さむぞさ  おきて泣く子のつらにくさ

 (10)、(11)は典型的な「守り子唄」であるが、全体 から見ると、この歌詞のほうこそ異質である。 また、(11)の「おきて泣く子のつらにくさ」などは 「中国地方の子守唄」の盗用ではないだろうか。 あるいは逆かな。いずれにしても、後代に付け加え られたものと考えられる。ちなみに、 私はこの歌詞を初めて知った。

 「ひろげよう人権」サイトが掲載している (1)~(11)以外の歌詞は次の通りである。

(12)
蝉じゃござらぬ 妹でござる 妹なくなよ 気にかかる

 (7)―(12)、(8)―(9)は同じ系統の歌詞だ。これらは 一番愛唱されている歌詞ではないだろうか。 私もよく知っていた。意味に不明な点 はない。「五木村ホームページ」も 「ひろげよう人権」サイトも、「おどん」を「身寄 りといえば妹だけの貧しく哀れな守り子娘」という 設定で解釈している。それでも不都合はないが、 逆に「おどん」が「守り子娘」でなくとも不都合 はない。

 さて、それでは本来「五木の子守歌」は何の歌だったのだろ うか。(1)~(6)を祖型と考えて、米村さんの読みを 紹介しよう。

 ここからは、いわば『続・大日本帝国の痼疾』 (23)~(27)の補足ないし補充に当たります。 予備知識として以下の記事を参考にしてください。

「毛坊主」とは何か。(1)

「毛坊主」とは何か。(2)

「毛坊主」とは何か。(3)

毛坊主・山田伝助

毛坊主・高沢徳右衛門


 さて、毛坊主・伝助のなまえである。 伝とは、移ろう、転ずる、という意 味である。伝助とは遊行漂泊者つまり神人・ヒジリ を意味している。その伝助が遊行漂泊する山々の中に 「五 木の子守唄」の里がある。米村さんは「本来、 この唄は飢えと流浪の絡みのなかで、御霊信仰を 背負うた遊行神人の宗教歌である」と言う。 以下(1)~(6)の歌詞の米村さんによる分析をたどっ てみよう。

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