FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『続・大日本帝国の痼疾』(42)

透谷と蘇峰(1)


 「民権」という「吾国の歴史に於て空前絶 後なる一主義」は「国権」に蹂躙されて敗れ去っ たが、それは「沈静にあらずして潜伏なりき。」 と、透谷は言う。その地層深く潜伏した「国民の 元気」を掘り当てる苦闘の途次、透谷は自死する。 1894(明治27)年、透谷25歳であった。

一方、三叉竹越は「国民の元気」の潜伏を余儀な くさせていった国家権力の側に取り込まれていっ た。

 この二人とはまた違った「敗北」の道を進んだ 同世代の青年をもう一人取り上げよう。先に、徳富蘇峰の父・徳富一敬が横井小楠の弟 子であったことを指摘した。その蘇峰は「平民主 義」を旗幟に掲げて論壇に登場する。『将来之日本』、 1886(明治19)年、蘇峰24歳のときである。しかし、 小楠の衣鉢を継ぐかにみえた蘇峰は、小楠とは 正反対の所へと転回していってしまう。しばし、この 蘇峰の思想の軌跡をたどってみようと思う。

(私は蘇峰の著書も、単独に蘇峰を論じた書物 も持っていない。北川透著『北村透谷試論Ⅱ』 に透谷と対比しながら蘇峰を論じている部分がある ので、それを教科書とする。)

 透谷は『国民と思想』を次のように書き始めて いる。

 一國民の心性上の活動を支配する者三あり、 曰く過去の勢力、曰く創造的勢力、曰く交通の 勢力。

 「過去の勢力」=「国粋思想あるいは東洋思想」、 「交通の勢力」=「外来思想あるいは欧化思想」 と考えてよいだろう。「叨(みだ)りに東洋の思 想に執着するも愚なり、叨りに西洋思想に心酔す るも癡(おろか)なり」として、この二つに対して 「創造的勢力」が必須であることを説いている。しかし、 「今の思想界を見廻せば、創造的勢力は未だ其の 弦(つる)を張つて箭(や)を交ふに至らず、 却(かへ)つて過去の勢力と、外来の勢力とが、 勢を較して、陣前馬頻(しき)りに嘶(いなゝ) くの声を聞く、戦士の意気甚だ昂揚して、而して 民衆は就く所を失へるが如き観なきにあらず。」 と現状を憂えいている。

 また竹越も、維新以来、三つの思潮が「三分鼎 立」してきたと言う。そのうち二つは「国家主義」 と「平民主義」であり、第三を「精神的の進歩思 想」と呼んでいる。そして「各個思想は、その終 に至れるまで、相対峙せり。ただその一脚たる精 神的の進歩思想は、その一半平民主義によりて代 表せられたるのみにして、社会実際の生活に於て、 なおいまだ大勢力となり能わざるものあり。」と 言う。

 竹越が言う三分鼎立している三つの思潮はそれぞれ 透谷の「過去の勢力」「交通の勢力」「創造的勢 力」と対応していると考えてよいだろう。

 明治20年代の言論・思想界は大きく二つの勢力 が二分していた。

(1)「過去の勢力」、「国家主義」
 『日本人』と新聞『日本』を拠点に活躍した 三宅雪嶺、志賀重昂、陸羯南らの「政教杜」。

(2)「交通の勢力」、「平民主義」
 『国民之友』と『国民新聞』拠点に活躍した 徳富蘇峰、山路愛山らの「民友杜」。

 第三の勢力はいまだ潮流をなすほどに成長 していない。「一半平民主義によりて代表せら れ」ているが、透谷はその勢力(2)に手厳しい。 暗に(2)を念頭に置いて言う。

 國民の元気は一朝一夕に於て転移すべきもの にあらず。其の源泉は隠れて深山幽谷の中に有 り、之を索(もと)むれば更に深く地層の下に あり、砥(と)の如き山、之を穿つ可からず、安 (いづ)くんぞ国民の元気を攫取(かくしゅ)し て之を転移することを得んや。思想あり、思想 の思想あり、而して又た思想の思想を支配しつ べきものあり、一國民は必らず國民を成すべき 丈の精神を有すべきなり、之に加ふるに藪医術 を以てし、之を率ゆるに軽業師の理論を以てす るとも、国民は頑として之に従ふべからざるなり。

スポンサーサイト