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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『大日本帝国の痼疾』(21)

「英将秘訣」―その教養目録


 さて、「秘訣」の思想の特異性は激動の時代の 混迷した政治・社会情況の中で生じたわけだが、 では「秘訣」の作者が下敷きとした思想 は何であったか。もちろん、今までみてきたよう にすぐに指摘されるのは国学(神道)である。近 藤さんはそのほかに、 「陽明学、崎門学、朱子学、仏教、キリスト教、徂 徠学、洋学(自然科学・医学)等およそ幕末以前の あらゆる内外の学問(思想・宗教)が含まれて」 いて「その摂取のしかたが特異なのである」と言 う。これではその時代のほとんど全ての教養を身に つけていたことになる。井上清は「秘訣」の作者を 「一流の志士」と判断しているが、近藤さんもこれ に賛意を表している。

 上記のリストのうち国学の影響が最も大きいと 言えるが、陽明学と仏教について、「秘訣」は次の ような条文を残している。

一、王陽明曰く、六経は心の註也。仏者曰く、断見 と。是は見処あり。

 私には未知の事柄であり、理解できない条文だ。 これについては、近藤さんは橋川文三の解説を引用 している。

 ここでは王陽明の語も、断見という言葉も、いず れもそれぞれ異端の意味で用いられており、それを 著者はあえて『見処あり』と述べているように思わ れる。

 前者はいうまでもなく陽明学の核心を表現する標 語の一つであり、のちに左派陽明学の出発点となる ものである。

 後者は涅槃経にいわゆる『衆生起見有二種、一者 常見、二者断見、如是二見、不名中道』といわれる 妄見の一つであるが、それは、人間には現世だ けであって、前世、来世などはないという世界観を さしている。

……著者にとっては、いずれの言葉も、いかなる罪 悪感にもとらわれることなしに、ただその思うがま まを為せと述べたものとしてとらえられているよう である。つまり、私のいいたいことは、ここにあら われたものがもし日本の早い時期のニヒリズムだと すれば、その媒介者として、陽明学もしくは仏教の 一定の作用が考えられるのではないかということで ある。

 これを受けて、近藤さんは次のように続けている。

 私のせまい知見でここにつけくわえるべきことは ないが、「六経は心の註也」という言葉は陸王の学 (陽明学の先駆、陸九淵に「六経はみな我が心の注 脚」、「六経、我を注し、我、六経を注す」という 言葉がすでにみえる)いがいに、崎門学にもみられ ることを述べておきたい。

 崎門三傑の一人浅見絅斎(けいさい)は闇斎学の 大義名分論を強調し、発展させたことで知られるが、 その絅斎の語録を就学中に筆記した多田亀運の 「浅見先生学談」に、

「四書、六経ト云へドモ、タダソノ心ヲ知ランタ メノ書ナリ」

とある。これは学問とはなにか、という根源的な 問いに答えたもので、そこで絅斎は、一文字も知 らぬ者でも忠や孝を尽すのは、心は天から生まれ つきあたえられたものであって、聖人も凡人も等 しく変わりはないと、聖人信仰を否定し、 「道ハ書ニヨラズ」ということを明確に述べてい る。また、

「孔子・朱子ヲ鉄砲デウチ殺スガ、孔子・ 朱子ノヨロコビ玉フ処ゾ」

というラデイカリズムをうちだしている (この言ははっきりと思い出せないのだが、有名 な、孔孟の軍攻めて来らば孔孟の教によりてかえ せ式に似ており、闇斎か山鹿素行の言にあったよ うな気がする)。

 要するにいわゆる四書五経を頂点とした整序的 な儒教的世界大系は、すでにその内部から崩壊し ていた、ということである。

 絅斎のこの「学談」は元禄12年(1699)からそ の死の正徳元年(1711)までに成立していると推 定され、かなり早期に、朱子学内部でその解体と 日本的再編ははじまっていたといえよう。

 陽明学とはべつに反体制思想として幕末尊攘派 に影響をあたえたのが絅斎派の京都を中心とした 望楠軒の思想であった。有馬新七、梅田雲浜らは その門流であり、彼らのコーランは「靖献遺言」 (せいけんいごん)である。実践躬行を重んじた 絅斎派の思想もまた「秘訣」に吸収されているこ とは、まちがいない。

 「靖献遺言」は私には初見の書名だ。知る人ぞ知る 、幕末志士たちのバイブルとして有名らしい。その内 容は、「中国の殉教者的な8人、屈原・諸葛孔明・陶淵 明・顔真卿・文天祥・謝枋得・劉因・方孝孺らについ ての歴史的論評である。書いてあることは中国の志 士の話にすぎない。が、この1冊こそが幕末の志士 のバイブルとなったのである。どうしてか。…絅斎は 『靖献遺言』を通して、その原則通りの正統性が 実は中国の歴史にはないのではないかということを 説き、それがありうるのは日本の天皇家だけであろ うことを示唆してみせたのだ。」(松岡正剛の千夜 千冊)

 なお、興味のある方は 『靖献遺言』(読み下し版) で全文が読めます。

 さて、近藤さんは次の条文を取り上げて『「英将秘 訣」論』を閉じている。

一、学問の道他なし、只生死の情を察する而巳。

 (これが)この無名氏の座右の銘であったよう だ。だがこの境位からは思想は暗礁にのりあがる。 すべての創造性はデッドロックにあうのである。 この思想のゆくえは、やはりファシズムかもしれ ない。私はそのことを三島由紀夫に聞いてみたい のだが、それはこの20世紀未の肥大化し高度化 した管理社会スィステムというあらたな人間疎外 の情況のもとで、「英将秘訣」がもつ現代的意味 について、である。

 みずからナチ党員であり、それゆえファシズム にたいする内在的批判者たりえたヘルマン・ラウ シュニンクは次のように述べている。

「それは一つの革命であり、しかも前代未聞の破 壊衝動と流血がこの状態を特徴づける。そして、 この革命の本質を特徴づけるのがすなわち、原理 の完全な不在なのだ。それが、全体的ニヒリズム の政治行動化された表現であるということが、こ の原理なき革命の特に危険な点なのだ。その前提 喪失、窮極的目標、モティーフの欠如にこそ、時 間的無限定性の本質、全体性と永遠性の本質はあ る。方向のなさと限界のなさが、この運動の危険 性をあらわす。それはすべてのものに対立して、 しかも何ものにおいてもみたされることはない。」 (片岡啓治訳〕

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