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第852回 2007/08/17(金)

今日の話題

大日本帝国皇軍の惨状

 昨日の記事で私は、大日本帝国の軍隊を「奴隷縦 社会」といった。そう言って誤りでないと言える 事例にはこと欠かない。たくさんの証言に出会って きている。今朝の東京新聞の読者投稿欄に槙原幸成 (81)という方の次のような投稿があった。


軍隊のしごき二度といやだ

 渋谷の映画館で、新藤兼人氏原作・脚本の「陸 に上った軍艦」を見た。95歳の氏自身が、32歳で 海軍に召集されて二等水兵だった時の物語である。

 年下の古年兵に一年間みっちり殴られ、精神棒 でたたかれる。悲愴な姿をリアルに描いた、すご い内容で、尻は紫に腫れ上がり、水の中、火の中 へ、上官の命令のまま飛び込んでゆく兵隊物語 だ。33歳で上等兵になり、敗戦を迎えるまでの軍 隊生活。見ていた私も「よく作ってくれた、全く その通りだ」と感動した。

 かくいう私は終戦三ヵ月前の5月22日、19歳で当 時の満州(中国東北部)に召集。ソ連国境近くの牡 丹江重砲兵連隊で、一日だけお客さん扱い。その後 は毎日、古年兵にしごかれ、古い革靴で作ったスリ ッパで血が出るほどたたかれた。同年兵の不始末の 共同責任で、兵舎内を犬になってはわせられ、上か ら棒でたたかれた。古年兵、上官が憎たらしかった。

 ソ連軍が8月9日早朝から攻撃を開始し、1199人中、 約800人が戦死した。

 このような軍隊のしごきが、団結力になることは ない。敗戦から62年、シベリア抑留4年のおまけ付 きで81歳で生き残っていることが奇跡である。もう 絶対「戦争」だけは起こしてくれるなと祈る毎日で ある。

 軍隊の一般兵士が奴隷であることを私がはじめて 知ったのは、ずいぶん昔、「真空地帯」という映画でであった。 上の投稿文にあるのと同じように、20歳そこそこの 人から、家に帰れば子供もいそうな年配に人たちま で、犬のまねをさせられたり、スリッパで殴られ たりする場面が強く印象に残っている。特に、両手 両足を使って柱にかじりつかせて「ミーン、ミーン」 とせみの鳴きまねをさせる場面では、大きな怒りで 震え、その屈辱を思ってはつい落涙してしまった。

 丁度ニ年前(2004年8月20日) 『石原が恋い焦がれている「国家」』 で引用した『1984年』からの一文を思い出した。

「われわれわれは、君が後へ引き返しょうもない点ま で叩きのめしてやる。たとえ君が千年生きられたと しても、元の状態には戻れない程のことが君の身に 起こる。君は二度と再び普通の人間らしい感情を持 てなくなるだろう。君の心の中にあるものはすべて 死滅してしまうだろう。君ほ二度と再び人を愛し、 友情を温め、生きる喜びを味わうことも出来まい、 笑ったり、好奇心を抱いたり、あるいは勇気を奮い 起こしたり、誠実であろうとすることも出来まい。 君は抜け殻になってしまうのだ。空っぽになるまで 君を絞り上げてやる、それからわれわれを、その 跡に充填するのだ」 (ジョージ・オーウェル「1984年」より)

 「飢餓の果て人が壊れる」が、繰り返し繰り返し 行われる心身への拷問による屈辱も人を壊す。壊れ て空っぽになった心に充填されるのは天皇のため国 家のためにいともたやすく命を差し出す「忠誠心」 だ。 「命は鴻毛よりも軽し」。自分が死ぬことにも敵の 兵士や民衆を殺すことにも平気になることが称揚さ れる。

 このようにして作られた皇軍兵士の残虐ぶりで 私が思い出すのが「三光作戦」である。 この言葉を始めて知ったのもずいぶん昔だ。雑誌名 は忘れたが、ある雑誌が「三光作戦」を特集した。 かなり詳細な記事だった。倫理のかけらのないその あまりにもの残虐さに、私はそれをにわかには信じられなかった。 しかし、それを実行させられた兵士たちと被害者 (中国人)たちの多くの証言があった。

 その後、この言葉「三光作戦」が耳目に入ること はほとんどなく、記憶の底に埋もれていたのが、 久しぶりに東京新聞の連載特集「鎮魂の夏2007」 で思い出すことになった。

三光作戦むごさ切々
加害証言、でっち上げ論に憤り


 今年は、日中戦争の発端となった虚構橋事件から 70年。東京都東大和市の元陸軍伍長金子安次さん (87)は、中国の戦地でのむごい体験談を今も語り 続ける。今月14日には、渋谷区で開かれる「平和の ための戦争展2007」に参加し、自分が加担した中国 共産ゲリラの抗日根拠地への「三光作戦」の実態を 証言する。

 金子さんは1940年12月、20歳で徴兵され、中国山 東省・青島に上陸。臨清など五つの街を拠点に八路 軍(共産党軍)を捜して山村を転々とした。八路 軍やゲリラの根拠地に対し「焼き尽くし(焼光)、 殺し尽くし(殺光)、奪い尽くす(搶光)」という いわゆる三光作戦を行った。

 「最初にやらされたのが、農民を銃剣で突き刺す 訓練。相手は木に縛り付けられているのに、怖くて 足がぶるぶる震える。手がすべって古い兵隊にぶっ たたかれた」。

 戦地では八路軍兵士だけでなく、女性や子どもも 殺すよう命じられた。「女は子どもを産む。子ども は大きくなったらわれわれに抵抗する、というのが 理由だった」

 八路軍が潜む集落に催涙弾を撃ち込み、飛び出し てくる村人たちに向かって機関銃の弾を浴びせた。 戦闘が終われば集落を焼き払った。米や小麦、綿 花、牛などの家畜も略奪したという。

 捕虜には大量に水を飲ませて拷問したり、よしず を巻いて火を付けたりした。
「どうせ殺すなら、風変わりな殺し方をしようと いう頭(考え)だった」。
 古参兵が農具の「押し切り」で農民の首を切るの を手伝った。

 ある集落を攻撃した時のことだ。
「古い兵隊が女の人に乱暴しようとして抵抗され、 真っ逆さまに井戸にぶち込んだ。これを見た4、5歳 の男の子が『マーマ、マーマ』と泣いて自分から井 戸に飛び込んでしまった。苦しんで死ぬのがかわい そうと思ったのか、その兵隊が『手りゅう弾をぶち 込んでやれ』というので、持っていた一個をぶち込 んだ」

 「当時はそういうことを平気でやった。同じ年ご ろの子どもを見ると胸にこたえる。ちょうど孫が同 じくらいの年ごろだよ」と金子さん。

 近年、三光作戦を「中国側のでっち上げ」として、 金子さんのような元兵士の証言を軽んじる動きが強 まっている。歴史教科書の記述の削除も目立つ。

 これに対し、金子さんは
「うそを話す理由がどこにあるのか。われわれは 学校で教えられた通りに天皇のために、お国のた めに戦った。それで中国で戦犯となった。それが 罪を犯した何よりの証拠だ」
と憤る。

「でっち上げだと言う人には、戦地に行ったことが あるのかと聞きたい。一人でも二人でも信じてくれ る人がいればという思いで、証言するしかない」

 「三光作戦」を「中国側のでっち上げ」と言う 人たち、どうしても「自慢史観」をでっち上げた い人たちの言い分の一つがふるっている。 「三光作戦」(焼き尽くし(焼光)、殺し尽くし (殺光)、奪い尽くす(搶光))は中国側が作った 言葉だというのだ。用語の問題じゃないだろう。

 この抗日ゲリラ対策として行った八路軍の根拠地 根絶作戦の日本軍側の作戦名は燼滅(じんめつ)作 戦あるいは燼滅掃討作戦と言うらしい。2004年7月 に防衛庁は戦時史料「冬季山西粛正作戦戦闘詳報」 を公開した。その中で山西省での燼滅作戦における 撒毒(毒ガスの使用)も裏付けられていると言う。

 なお、

『白泉村での出来事~「祖父たちの戦争体験」を聞く』

にも、「三光作戦」にたずさわった兵士の証言が 掲載されている。

 最後に、今日の記事のに関連した過去記事を参考 までにあげておく。

今日の話題:『どうしようもないドウツブの業』

今日の話題:『大日本帝国皇軍の体質を継ぐ自衛隊』

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