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第831回 2007/07/22(日)

「真説・古代史」補充編

『神武東侵』:兄宇迦斯(えうかし)を虐殺する。


 緒戦に惨敗して総帥を失った侵略軍は、イワレヒコを新たな 総帥とし、紀伊半島を大きく迂回して熊野の険路を超 えて奈良盆地に侵入した。

 紀の川や大和川をさかのぼれば容易に奈良に入ること ができるのに、なぜわざわざわざ熊野の通行困難なルー トを選んだのか。イワレヒコ侵略軍は強靭な正規軍ではなく、 いわばゲリラ軍のようなものだ。だからこそ、真正面から 激突した日下では登美毘古の正規軍に惨敗した。イワレヒコ にはゲリラ戦法しか選ぶ道はなかった。

 もう一つの理由が考えられる。熊野では高倉下 (たかくらじ)という土地の支配者の全面的な助力を 得るが、説話のこの部分には、この高倉下がイワレヒ コ一族と何らかの繋がりがあったと思われるような記 述がある。この点にはもう一度触れる機会が あるかも知れない。

神武東侵の経路2


 さて、この大迂回のこのゲリラ戦法は劇的な成功を収めて、イワレヒコ 軍団は奈良盆地への侵入を果たした。侵略軍は大和国 宇陀(うだ)郡に到着する。

 宇陀は兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし) という兄弟が治めていた。イワレヒコは使者を送って、 「汝ども仕え奉らんや。」と服従を強いたが、兄宇迦斯は それを拒み、鳴鏑(なりかぶら)で脅してその使いを追い 返した。そして侵略軍と対峙すべく軍を整えようとしたが 兵が思うように集まらないので、一計を案じた。服従する と偽って大殿に招き、そこに仕掛けた「押機(おし)」 (ネズミ捕りのような仕掛け)でイワレヒコを討とうと いう計画をした。しかし、弟宇迦斯が兄を裏切ってこの計 画を通報してしまう。

ここに大伴連等の祖、道臣命(みちのおみのみこと)、 久米直(くめのあたい)等の祖、大久米命の二人、兄宇 迦斯を召(よ)びて、罵詈(の)りて云ひけらく、「汝 が作り仕へ奉れる大殿の内には、おれまづ入りて、その 仕へ奉らむとする状(さま)を明し白(まを)せ。」と いひて、すなはち横刀(たち)の手上(たがみ)を握 (とりしば) り、矛(ほこ)ゆけ矢刺(やざ)して、追ひ入るる時、 すなはち己が作りし押(おし)に打たえて死にき。 ここにすなはち控(ひ)き出(いだ)して斬り散 (ほふ)りき。故、其地を宇陀の血原と謂ふ。然して その弟宇迦斯が献りし大饗(おほみあへ)をば、悉に その御軍に賜ひき。この時に歌ひけらく、

字陀の 高城(たかき)に 鴫罠(しぎなわ)張る
我が待つや 鴫は障(さや)らず
いすくはし くぢら障る
前妻(こなみ)が 肴(な)乞はさば
立柧稜(たちそば)の 身(み)の無けくを こきし ひゑね
後妻(うはなり)が 肴乞はさば
柃(いちさかき)身の多けくを こきだひゑね
 ええしやごしや こはいのごふぞ
 ああ しやごしや こは嘲咲(あざわら)ふぞ。

とうたいき。


 兄宇迦斯を殺したうえにその遺体を切り刻んで撒き散らした と描写している。この野蛮な侵略軍団が平和裏に暮らす 銅鐸圏の人々に与えた衝撃と恐怖ははかりしてないものがあ ったことだろう。

 ところで、「神武東侵」の説話に挿入されている歌 は、上の歌を含めて六歌ある。今までは通り一遍に扱われて あまり省みられなかったこれらの歌を分析することによっ て、イワレヒコの家系やイワレヒコの侵略軍本体の出身 地などについて新しい地平が開けてくる。まずは、上の 歌の意味を確認しておこう。

 昔々もう30年も昔のこと、万葉集とともに「古代歌謡 集」をも通読したことがある。この歌を始めて読んだと き、この歌の直前の残虐さとこのユーモラスとの落差 もあって、なんと奇妙な歌だと思った。

 詩人の故山本太郎さんは古代歌謡をこよなく愛してい て、それについての文章をいくつか残している。この歌に ついても独自の見解を示している。記紀の説話に挿入さ れている歌はそのように読むのかと、予備知識をほとんど 欠くままに 古代歌謡の中をさまよっていた私は、その読み方を教えら れた。

 懐かしいことを思い出した。ついでなので、太郎さん の解説を探し出した。『詩のふるさと』(思潮社) 所収の「古代の詩について」より。

 古事記の多くの歌謡、なかでも須世理姫と大国主命、 美夜受比売と倭建命のまことに赤裸々な男女交歓など、 卒直な人間表現の絶唱であるが、この歌などは大らかで、 ユーモラスな古代歌謡の特色を代表している。

 一般に古代の歌謡の基本的な詩形は、前後二段の対立 様式だといわれる。例えば、

  八雲立つ 出雲八重垣
  妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

 前句が主題を提出し、句切れになり、後句はその説明 をするというのが典型である。

 前句の終末句を後句の終末に使って脚韻の統一を計る 場合や、前句の終末句を、後句の初めにもってくる尻取 り式のリズムなどが多くみうけられるが、前、後句の句 切れは、これらが問答で行われた事を示している。例示 した作品(「宇陀の高城に…」の歌)についても、同音 の繰返しによるリズムの明るい設計がみられる。日本語 の音のバランスをとる際重要な要素かもしれない。

 久米部に伝承された酒宴の歌であるが、「鯨障る」 (とんでもない大きな鯨がひっかかって仕舞ったものだ) までが一段で後の部分と唱和形式になり、更に最後の二 行がコーラスであったのではないか。鯨は鷹であるとい う説もあるが、いずれにしても、こわい本妻がきたら実 のない方をやれ、可愛いい妾がきたら「実の多けくを」 というのだから愉快である。髭面の兵士どもの素朴な合 唱がきこえてくるようだ。記紀の歌謡は万葉集よりも更 に人間臭が強く素朴である。

 太郎さんは前妻(こなみ)、後妻(うはなり)を「妻」 と「妾」としているが、このころはたぶん、一夫多妻で 前妻(こなみ)も後妻(うはなり)も同じ「妻」として 扱われていたと思われる。改めて、歌の意味をまとめて おこう。

(前段部)
 宇陀の高城で鴫を捕ろうと罠をはって待っていたら、 鴫は引っかかるかわりに、なんと、大きな鯨が引っか かってしまったぞ。

(後段部)
 こわい年上のカミさんがうまいものをほしいと言って きたら、あんまりおいしくない実のないところをくれてや れ。若くて可愛いカミさんがうまいもの欲しいと言ってき たら、実の多い上等なところをやろうや。
(コーラス部)
ええしやごしや、こはいごのふぞ、ああしやごしや、 こはあざわらふぞ

 さて、詩人・山本太郎さんは上のようにこの歌に興じ ているが、学者さんはこの歌をどのように捉えているだ ろうか。古田さんの講演録から。


 それで津田左右吉はこれをとりあげ、

「この歌はまったく意味不明だ。大和のどまん中でなん で鯨がとれる。それに後半の話は無関係の話だ。こんな でたらめな歌があることをみても、神武が架空の存在で あることは疑えない」

と主張した。ずいぶん論理としては乱暴なような気がす るんですが、津田左右吉を私は尊敬しております。 戦前、戦中にあれだけ勇敢な説を出された方として尊敬 するんですが、どうもいまのような理解の仕方はかなり 乱暴なようにみえるんです。

 支離滅裂だから、架空だというんですが、支離滅裂に しろなんにしろ、誰かがこういう歌を作ったわけですか ら、作った人には支離滅裂でもなんでもない、なにか意 味が通っていたわけで、その意味はなにかっていうのを 問うのが、文献批判とか古典探求の基本の方法だろうと 思っているんです。よくわからないからインチキだ、イ ンチキだから人物は架空だ、というのは話としちゃ簡単 だけど、ちょっと簡単すぎるんじやないか。生意気です が、私はそう考えていました。

 太郎さんの文章に「鯨は鷹であるという説もある」と あったが、これはこの歌が支離滅裂とされる一番の理由 である「大和のどまん中でなんで鯨がとれる」のか、に 対する苦肉の説である。しかし、岩波古典文学大系『古事記』 の頭注では「しっくりしない」と退けられている。『古代歌 謡集』では補注で詳論されているが、音訓の面から 「鯨→鷹」説は無理と、やはり否定されている。 今までの学者たちには解決の手立てはなく、未解決 の問題のようだ。

 では「大和のどまん中でなんで鯨がとれるの?」という 問題を古田さんはどのように説いているか。神武東侵の経路2
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