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第805回 2007/06/14(木)

「真説・古代史」補充編

「神代紀」再論:二つの「平群」


 前回は、吉武高木遺跡の宮殿群跡の史料としての重要性を 検討するための関連事項をまとてきたが、もう一つ付け加え たい。

 前回、ニニギの山陵をめぐる古田さんの文を引用したが、 その出だしはこうだった。

『「日向」は「ひなた」。高祖山連峯に日向山・日向峠があ り、日向川が東流して室見川に合流している。その合流点に 吉武高木がある。平群の地である。』

 古田さんは「吉武高木」を「平群の地」と呼んでいる。 これに対して、『エッ、「へぐり」って奈良県じゃないの?』 と疑問をもった人が多いのではないか。私も「平群」といえば 奈良県と思い浮かべるし、福岡県にも「平群」という地名が あることは思いも及ばなかった。そう、「平群」という地名で 私がすぐ思い出したのは記紀歌謡の「思邦歌(くにしのびうた)」 と薄田泣菫の詩「ああ大和にしあらましかば」だった。

 「思邦歌」は、古事記(景行記)では、ヤマトタケルが 長い東国遠征を終えて大和近く(三重県)まで帰り着いた ときに歌った歌とされている。

 それより、幸行(い)でまして、能煩野(のぼの)に到り ましし時、國を思ひて歌ひたまひしく、

 倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し うるわし

とうたひたまひき。また歌ひたまひしく、

命の 全けむ人は 畳薦(たたみこも) 平群の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うず)に 挿せその子

とうたひたまひき。この歌は國思(しの)ひ歌なり。また歌 ひたまひしく、

 愛(は)しけやし 吾家(わきえ)の方よ 雲居立ち来も

とうたひたまひき。こは片歌なり。

 ところが日本書紀(景行紀)ではオシロワケ(景行天皇)が 歌ったことになっている。熊襲討伐を終えて日向国に再度立ち 寄り、その地を日向(ヒムカ)と命名したときに歌ったとさ れている。

是の日に、野中の大石(おほかしは)に陟(のぼ)りまして、 京都(みやこ)を憶(しの)びたまひて曰(のたま)はく、

 愛しきよし 我家の方ゆ 雲居立ち来も
 倭は 國のまほらま 畳づく 青垣 山籠れる、倭し麗し
 命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の 白橿が枝を 髻華(うず)に挿せ 此の子

是を思邦歌(くにしのびうた)と謂う。


 「歌ひたまふ」とか「曰はく」と表現しているが、流行歌を 歌ったりラップしたりしたわけではなく、あくまでも歌を創作 したというように書かれている。

 真の創作者はどちらで、どちらが盗作者なのだろうか。 景行紀が筑紫の王・前つ君の遠征譚を盗作したものであることを 既に知っている人には言わずもがなの問だった。

 では前つ君の歌だとしたら、この歌はどんな意味になるのだ ろうか。その答えは次回ということにして、チョッと一息入 れます。

 私が詩に関心を持ち始めたのは晩く、22・3歳のころでした。 病床での無聊を慰めるのがきっかけでした。気に入った詩を暗 誦したものでした。薄田泣菫の「ああ大和にしあらましかば」 もそのときに覚えた詩です。しかし今ではすんなりとはでてきま せん。思いがけず思い出して懐かしかったので、本をひもとい て改めて書き留めてみました。初出は1905(明治38)年で、近 代詩草創期の傑作のひとつと言えるでしょう。

ああ大和にしあらましかば   薄田泣菫

ああ、大和にしあらましかば、
いま神無月、
うは葉散り透く神無備(かみなび)の森の小路を、
あかつき露(づゆ)に髪ぬれて往きこそかよへ、
斑鳩へ。平群(へぐり)のおほ野、高草の
黄金の海とゆらゆる日、
塵居の窓のうは白み、日ざしの淡(あは)に、
いにし代の珍(うづ)の御経(みきやう)の黄金文字、
百済緒琴(くだらをごと)に、斎(いは)ひ瓮(べ)に、彩画(だみゑ)の壁に
見ぞ恍(ほ)くる柱がくれのたたずまひ、
常花(とこばな)かざす藝の宮、斎殿深(いみどのふか)に、
焚きくゆる香ぞ、さながらの八塩折(やしほをり)
美酒(うまき)の甕(みか)のまよはしに、
さこそは酔はめ。

新墾路(にひばりみち)の切畑(きりばた)に、
赤ら橘葉がくれに、ほのめく日なか、
そことも知らぬ静歌(しづうた)の美(うま)し音色に、
目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲(きびたき)の
あり樹の枝に、矮人(ちひさご)の楽人(あそびを)めきし
戯(ざ)ればみを。尾羽身(をばみ)がろさのともすれば、
葉の漂ひとひるがへり、
籬(ませ)に、木の間に、──これやまた、野の法子児(ほふしご)の
化(け)のものか、夕寺深(ゆふでらふか)に声(こわ)ぶりの、
読経や、──今か、静(しづ)こころ
そぞろありきの在り人の
魂にしも沁み入らめ。

日は木がくれて、諸びとら
ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒(さむ)に、
そそ走(ばし)りゆく乾反葉(ひそりば)の
白膠木(ぬるで)、榎(え)、楝(あふち)、名こそあれ、葉広(はびろ)菩提樹、
道ゆきのさざめき、諳(そら)に聞きほくる
石廻廊(いしわたどの)のたたずまひ、振りさけ見れば、
高塔(あららぎ)や、九輪(くりん)の錆に入日かげ、
花に照り添ふ夕ながめ、
さながら、緇衣(しえ)の裾ながに地に曳きはへし、
そのかみの学生(がくしやう)めきし浮歩(うけあゆ)み、――
ああ大和にしあらましかば、
今日神無月、日のゆふべ、
聖(ひじり)ごころの暫しをも、
知らましを、身に。
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