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第797回 2007/05/29(火)

「真説・古代史」補充編

「神代紀」再論:天孫降臨の地


 森教授は天孫降臨の地について次のように述べている。 (第8章「海幸・山幸と隼人地域」)

 高天原勢力は、軍事力を背景に大国主命にたいして国譲り を実行させたのであるから、神話の展開では次に天孫二二ギ ノ尊が出雲へ降る話になりそうなものである。つまり、高天 原勢力がニニギノ尊を〝葦原中国の主(君主)″にしようと して、いわゆる〝天孫降臨″が実現する。であるのに、どう したわけか〝降臨″した土地が出雲ではなく南九州なのであ る。

 そればかりか、国譲り神話以後、出雲にたいしては、天皇 自らが移住した伝えがないことはもとより、訪れたという話 もまったくない。出雲は、そのような土地になるのである。

 神話の流れのなかに歴史の展開を見いだそうとすることは、 現代流の考えなのかもしれない。

 ここには四つの誤まった先入観が絡み合っている。

(1)「葦原中国(あしはらのなかつくに)」は出雲(島根県)である。
(2)「高天原」は天上にある空想上の領域であり、どこか現実の地域に比定 できない。あるいは比定する必要はない。
(3)「国譲り」(実際は武力による略取)を受けたのはヤマト王権(天皇家) である。
(4)ニニギが天下る地はヤマト王権発祥の地とされる 南九州(日向)でなければならない。

 (3)(4)はヤマト王権一元主義者の「信仰」に属する。 論証なしで固執している。いや、「記・紀」の神話からは論 証のしようがないのだ。なにせ、南九州は「記紀」神話の舞 台としては全く疎遠の地なのだから。考古学上の遺跡の貧弱 さもそれを裏付けている。それなのに「天孫降臨」だけは神 話の舞台からはほど遠い南九州で演じさせようという。単な る物語としてだっておかしな展開だ、と常識が首をかしげる。 ここで(2)が絡まってくる。天上からの天下りだからどこ にでも天下れる、常識は不要だ、と。

 誤まった先入観をもとに論じておいて、「神話の流れのなかに 歴史の展開を見いだそうとすること現代流の考えなのかもしれない。」 と、戦後歴史学会のタブーを破ってせっかく神話を取り上げ たのだが、それに懐疑的になってしまう。これは『私は「1+1=3」と信じているが、この本は 「1+1=2」と言っている。この本は信じられない。』 というのに等しい。

 これに対して私(たち)は「神話の流れのなかに歴史の 展開」が明らかに読み取れるという立場をとる。もちろん、 歴史上の個々の細部の事実がわかるということではない。 あくまでも歴史の大きな展開が読み取れるということである。

 この確信は古田さんの諸著作に出会って得られたものである。 適切な史料批判と厳密な方法論にもとづく「記紀」の読解の 結果と考古学・地質学・地理学上の事実との合致により、古田 さんの論考の妥当性は否定すべきもない。

 もとより、この古田理論への信頼が「信仰」になってしま わぬように心しなければなるまい。ヤマト一元主義の轍を踏 んではならない。そのためには古田理論を反(あるいは非) 古田理論と、直接自分で対比してみる必要がある。森教授の 著書を読み始めた理由の一つはそこにある。

 (1)と(2)について、古田さんの論考を振り返ってみ よう。

 古田さんは森教授が一顧だにしない出雲の五神を取り上げている。 その五神とは「大年神の神裔」(神代記、大国主神)とされている 次の神々である。

①大国御魂(みたま)神
②韓(から)神
③曾富理(そとり)神
④白日(しらひ)神
⑤聖(ひじり)神

 この五神の神名についての古田さんの分析は

最古の政治地図「オオクニ」(1)

で詳記した。結論だけ再録すると

① 大国(出雲)
② ①から見て北の韓国、
③④⑤ 南の博多湾岸とその周辺



 これが全体として出雲神話が描く日本列島西北部の、 その時代の「政治地図」だ。原点はオオクニで、オオクニ の勢力範囲を表している。

 そして、この「政治地図」で中央の部分の海域がスッポリ と抜け落ちているが、これがアマクニ、森教授の言う「高天原」 の勢力範囲だ。詳しくは

「アマクニ」はどこか(1)
「アマクニ」はどこか(2)

で取り上げた。

 アマクニが国譲りを迫った「葦原中国」は③④⑤であり、 ニニギはアマクニからそこに天下った。とてもリアルだ。 高天原を天上に置いたり、ニニギを南九州にまで連れて行く 必要は全くない。

 (3)(4)がとんでもない見当違いであること はもう明らかだが、この誤解にはもう一つの要因が絡み合って いる。それは

ヤマト王権一元論の迷妄の深さ

で明らかにした「国生み」神話における古事記の「誤解」を そのまま受け継いだ

(5)「筑紫島=九州全体」

という誤解である。

 森教授は冒頭に引用した文に続けて、次のように述べている。

 ニニギノ尊が高天原から降った土地は、日向の襲の高千穂 峯になっている。

 日向といえばすぐに太平洋に面した宮崎県を思い浮かべる けれども、和銅6年(713)に大隅郡・噌於(そお)郡などの 四郡を日向国から割いて大隅国ができた。それと前後して、 薩摩国が分置された。だから、8世紀以前には、日向国はそ の西部が東シナ海に面しており、南九州全体に及んでいた。 〝日向神話″というときの〝日向″は、今日の宮崎県だけ ではないのである。

 『紀』では、ニニギノ尊が地上に着いたのは日向のなかでも 襲という土地とされている。襲は曽とも書き、奈良時代になっ て地名を二字で表現すること(たとえば泉が和泉、津が摂津) が流行するにつれて、先ほどの郡名にみたような二字表記 (噌於・噌唹)になったと推定される。

 次回はこのくだりを検討してみよう。
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