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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第723回 2007/02/05(月)

《滝村国家論より》:国家社会主義(7)
大日本帝国を解剖する(2)


明治維新・経済社会的レヴェルでの変革
 近代的諸階級・階層の成立と発展という急激にして速成的な近代 社会の発展は、版籍奉還・廃藩置県・地租改正・秩禄処分等による 旧封建領主的支配体制の解体と併行的に進行した。維新政府は このような経済的発展の方向性に対応した強力な保護育成のための 社会・経済政策(銀行・鉄道・文教等)を断行していった。

 近代的国民国家は資本主義的生産様式を基盤とする市民社会の 成熟を歴史的な前提とする。しかし、明治維新によって速成的に 成立・発展してきた<近代社会>に基礎づけられた近代国家的活 動の構造的進展をもって、日本の<近代国家>の成立と即断すること はできない。

 なぜなら、一連の重要国家意志の実質的決定権は、藩閥中枢から 維新官僚へと転成した元勲・元老層が独占していた。つまりここで は、<共同体-内-第三権力>は、新たな形態で復古された天皇崇 拝観念というイデオロギーの下に強固に結集した元勲・元老層を頂 点とする特権的・専制的な一大政治的支配層であった。その政治的 支配層は、近代社会の成立にともなって飛躍的に発展する第三権力 の組織を、徹底的なイデオロギー教育を媒介とした拡大再生産に より、ますます特異な性格をもったものに強大化していった。近代 的社会の形成と発展にともなう諸階級・階層間の権力的諸関係とは 相対的に独立し、最後まで国家的支配の実質的中枢を強固に掌握し つづけた。

明治維新・政治的レヴェルでの変革
 帝国憲法体制の成立において完成された近代天皇制国家は、外見 的にはプロシャ流の立憲的専政君主制を模倣したものであったが、 政治形態としては近代的形態で復古されたアジア的デスポティズム、 つまりは近代的デスポティズムであった。

 まず天皇制国家のイデオロギー的基盤として、神道と儒教とを 独自に融合した思想を創出した。
 親への孝の道徳的必要になぞらえて、最高神の天照大神の直系子 孫である天皇への忠を国民の道義的必然とした。それは、政治的・ 国家的観念と宗教的・道徳的観念とを未分化に混交させた<アジア 的国教>であり、政治思想というより天皇教イデオロギーという 性格のもであった。

 つまりそれは、たんに国家の制度的構成に関わる制度イデオロ ギーとして具体化されるばかりでなく、国民一般が遵守すべき 国家道徳・国家宗教として押し出され、それと抵触・敵対する 政治的・宗教的思想イデオロギー一切を禁圧しながら、排他独 占的に君臨する性格を本来的にもっていたのである。 (「良心の自由」とは何か Ⅲを参照してください。)

 天皇は、天皇教イデオロギーにより<現人神>として神格化さ れるとともに、政治的主権としての統治大権を直接掌握するもの とされた。つまり天皇は、復古的に再興されたデスポットとして、 あらゆる国家意志の最高的ないし最終的裁可・決定権を掌握する とされたのである。この天皇教イデオロギーにより完成された 政治形態理論は「国体論」と呼ばれている。

 法律、勅令・勅命などどのようなの形態であれ、国家 意志はすべて<天皇の意志>とされた。この天皇親裁と いう建前の下で、次のような天皇直属の諸機関が形成されていった。

国家意志の形成・支配に関わる宮中・府中の中枢的諸機関
最高的政務にのみ関わる諮問・諮詢機関としての枢密院
一般的政務の立法に関わる協讃機関としての帝国議会
一般的政務の執行に関わる内閣諸省機関
軍政・軍令機関としての陸海軍省と参謀本部・海軍軍令部

 しかしこれら国家構成上の諸機関は、天皇直属機関であるがゆえに 相互併存的に分立した形でしか存立できなかった

以上のように近代天皇制国家=大日本帝国は、アジア的統治形態の イデオロギーに、プロシャ流立憲的専政君主制を模倣・採用した ことからくる必然性として、部分的には近代的諸制度を取り入れ つつも、全体的にはデスポティズムに固有の、公・私側近体制と しての性格をもった輔弼体制の形態をとらざるを得なかった。 つまり、大日本帝国は<近代的国民国家>ではなく、<例外的国 家>として分類されることになる。
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