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第740回 2007/02/28(水)

《吉本ファシズム論より》:庶民の戦争責任・第2部(1)



 前回で「社会ファシズム」は一応終了して、《滝村国家論より》に 戻ろうと考えていましたが、もう少し《吉本ファシズム論より》を続 けます。

 『日本ファシストの原像』には東方会(中野正剛)のイデオロギーの 分析に続いて「庶民の戦争責任」の問題が取り上げられています。 続けてそれを読みます。

 民衆の戦争責任 は、2年ほど前に一度取り上げたテーマです。その時の「庶民」は どちらかというと権力の尻馬に乗って町会や隣組レヴェルで小権力を 振るった人たちに焦点を当てていました。私は次のように書いています。

『ともあれ上記の投書者たちのように狂気を積極的に担った者の多く はやはり「神官、僧侶、予備・退役軍人(在郷軍人)、町内会・青壮 年団等各種報国団体役員・国民学校教師たち」だったのではないかと 推測します。そしてこれらの人たちがいわゆる知識人たちの言説の 影響を受けて、それをさらに過激な言説にして「忠誠競争」に奔走し ているのだと思います。』

 また、次のようにも書きました。

『「政府のPR誌」など読まないし、自分の考えを文章にすること もない圧倒的多数の一般的な大衆がこれほど狂っていたとは思えま せん。自らの無関心が凶暴な圧制を許し、その圧制に正面切った抵 抗はせず、首をすくめて嵐が通り過ぎるのを待つほか術をもたない 人たちです。しかし、例えば「第 67回」(2004年10月20日)「第78回」(2004年10月31日) で紹介したような生活思想がその 一般的な大衆の本音ではないでしょうか。この面従腹背への批判は 今はおきます。ただし、私も大衆の一人ですし、単純に非難・裁断 すれば済む問題ではないとだけは言っておきたいと思います。』

 ここで保留しておいた問題を検討することになります。

 杞憂に帰することを願っていますが、現在の諸情勢を勘案すると 私(たち) が戦争への直接の加担を強いられる状況に立たされる日が、近い将来 にやってくる可能性が多分にあります。そのとき私(たち)はどう いう行動を決断すべきでしょうか。「自らの無関心が凶暴な圧制を 許し、その圧制に正面切った抵抗はせず、首をすくめて嵐が通り過 ぎるのを待つほか術をもたない」ような庶民から、私(たち)は 脱しなければならない。大日本帝国下の庶民の敗北を検討する 所以です。

 「庶民の戦争責任」についての吉本さんの基本姿勢は次のようです。


 わたしのかんがえでは、戦争中、日本ファシズムのイデオロギー的 な支配下にあった大衆運動や軍隊のなかの、個々の農民や労働者や 兵士は、戦争にたいして社会的な責任をもつものではない。組織の なかの個々の農民や労働者や兵士は、それぞれの戦争体験のなかで 個別的に検討すべき思想的な課題を担っているにすぎない。

 しかし、大衆運動としての戦時下の労働運動や農民運動や軍隊は、 組織的な責任を戦争と戦後にたいしてもつものである。このように、 個個の成員としての労働者や農民や兵士は、個人的に社会的な責任を もたないにもかかわらず、組織としての大衆運動や軍隊は、あきらか に社会的な責任をもっているという矛盾した二重性によって、大衆 運動や軍隊の戦争責任は、主としてイデオロギー的に検討されなけれ ばならないはずである。実際におこなわれた残虐的な行為や、戦力 増強のための生産行為は、戦争権力の責任に集中されるべきである。


 ここで私は『今日の話題』の方で問題提起した「凡庸の悪」を思い起 こしています。吉本さんの考えをその問題に敷衍すると、「凡庸の悪」 の問題は組織が担うべき課題であり、組織の個々の成員には「凡庸の 悪」に対する社会的な責任はない。 しかし.「凡庸の悪」と対峙するべき「個別的に検討すべき思想的な 課題を担っている」ということでしょうか。「組織の課題」としての テーマは、「いかに組織を開くか」という点に集約されるでしょう。

 さてこのようなスタンスから、吉本さんは庶民の戦争責任を庶民の 「思想的な課題」を、次の三つに分けて検討をしています。

(1)日本の庶民社会における人間的係の特殊性にもとづく体験と責任の問題

(2)庶民のイデオロギー的な戦争責任の問題

(3)庶民の異質のイデオロギー間の葛藤の体験と責任の問題


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第739回 2007/02/27(火)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(7)


 中野が「国家改造計画綱領」を書いたのは1933(昭和8)年だった。 その後、大日本帝国は戦争拡大の方向に大きく傾斜していき、農本 ファシズムのイデオロギーが大勢を制していった。東方会も その大勢に追従して、ブルジョワ独裁論から農本ファシズムの戯画的 な部分と大差のないイデオロギーを奉じたファシスト政党へと 逸脱していった。その戯画的なイデオロギーは1939 (昭和14)年、 に発表された『仝体主義政策綱領』(中野正剛、杉森孝次郎編著) に盛り込まれることになる。

東方会綱領

一、正義国際の建設により国民生活の活路を開拓すべし。
一、国際非常時の克服に傾注し、全国民均等の努力と犠牲とに愬ふ べし。
一、政治によりて広義国防を担任し、軍部をして安んじて狭義国防 に専念せしむべし。
一、生産力の急速なる拡大強化を目標として統制経済の動向を是正 すべし。
一、全体主義に則り、階級的特権と階級闘争とを排除すべし。
一、農民、労働者、中小商工業者、俸給勤務者の生活を保障し、国 家活力の源泉を涵養すべし。


 ここで、中野正剛の国家統制を基本とするブルジョワ独裁論は、 政治的イデオロギーとしての全体主義に統一された。

 東方会における全体主義イデオロギーの根底は、北一輝の改造法 案とおなじように低俗化された社会有機体説であり、国家を全体と すれば、人民はその分肢であるから、国家の発展は分肢の発展であ り、分肢の発展は国家の発展であり、しかるがゆえに公益と私益と は矛盾するものではないという論理によって国家全体主義の合理化 が行われた。

 国家そのものにたいする科学的な省察はすこしも行われず、アプリ オリに至上権があたえられたばかりか、全体と分肢というかたちで、 幻想的な共同性は、個人をその歯車のひとつの位置におきかえたと いうことができる。

 戦後、全体ということばが組織ということばにかわって、組織と 個人とは矛盾するものではないとか、組織という観点なしには批評 は成り立たないなどという論理が展開されたことがあるが、もとよ り社会ファシズム理論の焼き直しにしかすぎない。そこでは、個的 な意志の共通性として、組織ははじめて意味をもつにいたるという 観点は、まったく存在せず、典型的なファシズム組織論、国家論が 行われているのである。


 昨今の保守反動政治家・幇間評論家や御用学者の言行の其処此処に、 このような未熟なイデオロギーの残滓が露呈している。 彼らにとって個人は国家の歯車に過ぎない。ただし、彼ら自身は その「歯車」の中に含まれていない。

 さらに東方会ファシズムは、上記のような国家全体説を情勢的 に意味づけるため、日本を特殊的全体的国家と規定する。

A、 土地を要件とする。膨脹はよいが縮小はゆるされない。八紘一宇 の大精神であり、建国以来の信念である。
B、 臣民を要件とする。減少をゆるさない。生成発展、弥栄え行く は、日本民族の信念である。
C 万世一系である。絶対である。
D 目的は八紘一宇。変更あるなし。


 すでに、理念としての東方会イデオロギーは、昭和8年の中野の ブルジョワ独裁論をさえ逸脱し、ほとんど農本ファシズムの戯画的 な部分とのイデオロギー的な差別はなくなってしまっている。

 このようなブルジョワ独裁論からの退化は、東方会の農民連動方針 と労働政策方針のなかに、いちじるしくあらわれた。

 東方会の農民運動は、建国の精神に基づき、民族の伝統に則っ て、共産主義、社会主義、自由主義的農民運動を排撃し、全体主義 的共同社会を建設することを目標とするというように、中野の綱領 は改変され、天皇制の絶対不可侵が主張されるとともに、中野の国 家統制によるブルジョワ独裁論は、

「高天ヶ原の神話社会を二一十世紀に於て現代の工業文明を内包し たまま再現することである。我々は資本主義の欠点を攻撃するが、 決してその長所を否定するものではない」(稲村隆ー)

というような、文化ファシストのユートピア論をうらづけるにふさ わしい方針におきかえられたのである。


 東方会文化ファシストたちは戦後も生き残り、「われわれは戦時 下も農民運動をつづけ、労働者の体位、健康の保全を主張すること によって抵抗した」などという詭弁をまき散らして抵抗者面をして 居直った。

 例えば、「全体主義労働政策並びに運動方針大綱」(1939 (昭和14)年) のなかの次のような項目をアリバイに掲げる。

一、労働者の体位を低下し、健康を損傷し、労働力を減耗し、労働力 の再生産を妨ぐる労働強化に反対し、労働時間を合理的に制限するこ と。
一、物価の変動を考慮に入れた弾力性のある最低最高貸金の制定。
一、失業及失業不安に対し、労働需給の強制統制、合理的失業保険の 実施。「臨時工及人夫制の廃絶。
一、出征軍人遺家族援護の制度化。
一、労働技術養成機関の普及。
一、地域的に労働大衆の修養・娯楽機関の設置。
一、労働者住宅医療機関の常備。
一、労働紛争議調停最高機関としての労働裁判所の設置。
一、労働団体の法認。


 この擬似ナチズム的な項目のいずれも、それ自体として不都合を 含むものではないが、これらはいずれも労働着の階級的な観点から 主張されているのでもなく、ヒューマニズムの立場からの方針でも ない。全体が発展するためには、分肢の労働力を保全し、労働力の 再生産プールを健全に保たねばならないという倒錯したニヒリズム の観点によって主張されているにすぎず、実質的には、ブルジョワ独 裁を強化発展させるために、労働力の保全を強調しているにす ぎない。

 ここに、東方会ファシズムによって戦時下主張された、資本制生 産の枠内におけるユートピア確立論の本性があつたということがで きる。

第738回 2007/02/26(月)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(6)


「国家改造計画綱領 第八、労働の国家統制」
一、統制経済下に於ける労働者及び農民は、腐朽せる自由主義下の 偏見を清算し、国家的見地に立てる新指導精神を確立し、以て綜合 的国力増進の中枢機能たる真使命に邁進すべし。

二、国家は国民的利益の見地より労働者及び農民の生活向上を保証 し、適切なる社会的施設を断行するの責務を負ふも、同時に、労働 者や農民の行動に対して公的統制を加ふべし。

三、統制経済下に於ける労働者及勤労階級は、各々その業種別組合 を組織して、国家の公認を受け企業家と団体交渉をなし、其の正当 なる階級利益を擁護し、進んで生産協働体なる使命を発揚すべし。 雇傭主は使用者が公認組合に加入せる故を以て、その雇傭を拒否す るを得ず。

四、国家は生産力の破壊と停頓とを来すが如き一切の私的闘争は 厳格に之を禁止する。国家はその最高至正の立場に居りて、凡て の労使内の紛争を調停裁断し、いやしくも背反するを許さない。


 ここに社会ファシストとしての中野のぎまんがもっとも鋭く象徴 されている。

 中野がしきりにかいている<国家>とか<国家的見地>とかいうも のは、もともと実体のない観念にすぎず、 国家権力にたいする科学的な省察がない 点は、北の場合とかわりがない。

 しかし北が国家的というばあい、民族的な共同体の伝統的構成を 意味しているが、中野が国家的見地というばあいに、ブルジョワ国 家機構そのものを意味していることは、あきらかである。また、 佐野、鍋山的な転向者は、ほとんど中野と逆立した地点から中野と の同一点に結合するものであった。

 中野はブルジョワ・イデオローグとして、資本主義の危機をきり ぬけるために、国家を<最高至正>のものとして設定し、これに よってブルジョワジーと労働者、農民との階級的な対立を、折衷 しようとし、そのことによって資本制生産の永続化をはかったの である。

 佐野、銅山は労働者、農民の階級的観点にたちながら、日本の 社会構成と権力の特殊性を科学的にとらえることができず、それ を、民族的特殊性と伝統性の問題のなかに解消せしめた。ここに おいて民族社会主義への転向が生じ、それは、特異的に国家社会 主義へと移行していったのである。

 中野のマルクス主義運動にたいする批判は、人民を国家観念の 外に逸脱せしめた故をもって未熟と矛盾とをはらむものであると いう点におかれた。そして、階級闘争一点張りの原理をすてて、 「国家的見地を恢復せねばならぬ」とされたのである。

「労働者と農民とは各々其の職能により、須らく綜合的国力増進 の最前線に立ちて奮闘すべきである。綜合的国力とは国家の武力、 経済的生産力、労働者、農民及び一般大衆の体力、智能力、精神 力等総てを総括するものである。此の踪合的国力増進の障害たる 限度に於て資本主義を打倒すべし、此の綜合的国力崩壊の害毒た る認識に於て共産主義を撲滅すべし」

などという卓上理論は、綜合的国力などというものがブルジョワ 独裁の固定化に直通する幻想であることを理解せずにおこなわれた、 社会ファシスト、転向者、民族的社会主義者に共通した指標にほか ならなかった。


「第九、日満統制経済の確立」

 綜合的国力の増進が、たんに日本だけの限られたはんいで労働者、 農民と資本家との統制的な協調によって成しとげえないことは、 自明であるため、中野はブロック経済論をかりて日清両国の相互 依存を正当化せざるをえなかった。

 中野がとりわけ強調したのは、日清両国の通貨本位の統一と、 日本資本団による国家的統制下における満州開発であり、いわば 実質的に金融と産業資本の投下による満州併合の政策であった。

 満州中央銀行インフレーション的方策(日本はその公債発行に応募 すべし)。
 日満合弁の満州開発金融機関建設。
 日本資本団の満州産業への直接投資。
 日本国家の保証による満州への建設用材の信用売込み。
 欧米資本の吸収(日本の仲介を要す)。

 これらの条項のことごとくが実質的に日本のブルジョワ独裁に よる帝国主義的な膨脹政策以外の何ものをも意味するものではない。

 北一輝は、すでにはやく改造法案のなかでこの間題を、

「国家内ノ階級争闘ガ此ノ劃定線ノ正義二及シタルガ為メニ争ハ ルル如ク、国際間ノ開戦ガ正義ナル場合ハ現状ノ不義ナル劃定線 ヲ変改シテ正義二劃定セントスル時ナリ」

とかいて合理化している。民族至上主義者としての北が、あくまで も心情的な基礎にたって日本の帝国主義的な膨脹の合理化をやった のに対し、中野は、ブルジョワ独裁によるブロック経済圏確立をも とめてこれを合理化したのである。

 ここに、日本の農本的ファシズムと社会ファシズムとの本質的な 差別があらわれたばかりか、社会ファシズムが天皇制のブルジョワ 支配の側面につながりながら、封建的な側面に直結した農本的ファ シズムを圧倒することができない根本的な理由があらわれていると いうことができる。



今日の話題

浅野史郎さんのハートに火をつける会

 昨日(2月25日)「いっしょに東京をつくりましょう! 浅野史郎 さんのハートに火をつける会」に参加してきました。開会まぎわに 会場(300座席)を見渡したら3分の2ほどの入りでチョッと心配しま した。開会30分後ほどに再び見渡したところ、ぎっしり満員で、 立っている人も100人ほどいました。報道関係者も50人はいたで しょうか。通路をへだてて私の隣に斉藤貴男さんがおいででした。

 参加者が「一言マニュフェスト」を訴えるプログラムに入ったところで 浅野さんが会場にやってきました。浅野さんに壇上に上がっていただいて 「一言マニュフェスト」を一緒に聞いていただきました。

 その後、浅野さんからのコメントをいただきました。前回の集会 に出られず「礼を失した」ので、今日はあくまでも礼を果たすため の来場であり「今日は何も話すつもりはありません。」とのことで したが、会場の雰囲気に「びっくりした。感激して言葉もない。」 とも言いました。

 私はナマの浅野さんに初めてお目にかかりましたが、たいへん 物静で優しさが自然とにじみ出ているとともに一本まっすぐな芯が 通っているという人柄とお見受けしました。12年間の宮城県知事と しての実績がそれを裏付けていると思います。

 会場で配布された資料のうち、私がとっても気に入った傑作パン フレットを掲載します。



 もう少しで浅野さんのハートが燃え上がると、私は期待しています。 皆さん、浅野さんに都知事選出馬要請のメールを届けませんか。もち ろん、東京在住以外の方にもお願いします。

浅野さんのホームページ専用のメールアドレス

 今度の都知事選と7月の参院選は、ファシズムへの道へと 大きく踏み外れてきたこの国の軌道を修正するための非常に需要な ターニングポイントです。その重要性を森田実さんが書いています。

森田実の時代を斬る

の『2.25森田実の言わねばならぬ[82]』です。

第737回 2007/02/25(日)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(5)


「国家改造計画綱領 第六、農業の国家統制」

 中野のブルジョワ・イデオローグとしての性格は、農業政策のなか に、さらに端的にあらわれている。

 中野の農業政策で、もっとも主要な問題点は、

「農村救済を以て、単に地主階級の救済に堕せざらしむるため、 特に耕作権の確立を急務とす」

とかいて、私有限度を超える土地と皇室の所有地を分割して、土地 をもたない農業者に給付するという、北の改造法案の条理に対応する 綱領をもうけている点である。

 この条項なしには中野の綱領はもともと軍部および農本ファシス トたちの行動的エネルギーを吸収できる代物ではないし、また、 ここに中野のブルジョワ・イデオローグとしての性格が封建的な 土地所有にたいして対立している要素があらわれているということ もできる。

 しかし、中野は、封建的な土地所有に代えるに米穀の資本独裁 的な<合理的生産計画化>を強調し、農業金融の整備を主張した にすぎなかった。

 それは、まがりなりにも皇室財産の国家下付、所有土地山林株券 の下付、皇室費の制限の問題に言及することによって、天皇制の物 質的な基礎を考慮の対象とした北一輝の改造法案とは比較すべくも なかった。それにもかかわらず、小作農に耕作権を与えるという幻 想的な綱領を提出することによって、北の法案に対抗せざるをえな かったところに、時代的な背景があらわれたのである。


「第七、財政政策の改革」

 中野の綱領がブルジョワ独裁的な本質をもつ、時代迎合的なビポ ウ策にすぎなかったのはあきらかである。一方で

「租税体系を根本的に変革し、貧者の負担軽減と、富者への重課を 断行し」

などとかきながら、当時の資本主義的危機の打開策として、

「現下の財政膨脹に応ずるため、非常時公債の増発を認むべきも、 その条件は努めて低利とすべし」

などとまったく矛盾したことをかかねはならなかった。

 北一輝が私有財産限度を壱百万円とし、超過額は無償で国家に納 付させる所以を、

「現時ノ大資本家大地主等ノ富ハ其実社会共同ノ進歩と共同ノ生産 ニヨル富ガ悪制度ノ為メ彼等少数者二停滞シ蓄積セラレタル旨二係 ハル」

としたのとは、雲泥の相違だというべきである。
第736回 2007/02/24(土)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(4)


「国家改造計画綱領 第二、政治機構の改革」
一、一切の既成政党政治と絶縁して、強力内閣を組織し、合法的 手段により、独裁的に非常時対策を断行すべし。

二、一定年限を限り、議会より非常時国策の遂行に必要なる独裁的 権限を内閣に委任せしむべし。

三、衆議院議員選挙法を改正し、職業代表に重心を置き、従来の 一般代表議員数を総議員数の一定割合に減ずべし。

四、行政機関の合理化を計り、中央各省及び地方府県の根本的廃合 を断行し、根本国策の遂行と行政事務の簡捷とを期すべし。



 もともとブルジョワ・イデオローグにすぎない中野正剛の政治方 策は、上からの行政権の掌握によるブルジョワ独裁政策の推進とい うことにつきている。これが変革論として<卓上理論>にすぎない ことは、行政権の掌握ということが、天皇制下の権力掌握とはまった く別問題であり、たんなる行政執行権を独裁化することによって、 ブルジョワ独裁化を推進する政策をおこなうというにすぎないこと でもあきらかである。

 日本型の革命思想家であった北一輝は、中野とちがって行政権を、 権力掌握と誤解するほどの愚かさはしめしていない。北は<日本改 造法案>のなかで、

「憲法停止。天皇ハ全日本国民卜共に国家改造ノ根基ヲ定メンガ為 ニ天皇大権ノ発動ニヨリテ三年間憲法ヲ停止シ両院ラ解散シ全国二 戒厳令ヲ布ク」

とかいたのである。もちろん、北は、天皇制下の絶対主義革命によっ て、資本主義そのものを解消させるかのような幻想をいだいたため、 その行動的な結末は、天皇制そのものを強化するにおわつたが、 中野ははじめからブルジョワ独裁以外のものを構想しはしなかった のである。



「第三、統制経済機構の確立」

一、国民的生産力の組織的発展をもたらし、一般国民の福利を増進 する見地に立ちて、資本主義を矯正し、強力なる統制経済機構を確 立するを急務とする。

二、国家統制経済とは個々の経済企業の国営乃至国家社会主義化に 非ず。個々の企業経営は原則として民営を許し、国衆は須らく国民 的経済力の動向に就て、計画的指導を加ふべきである。

三、統制経済実現の為には、所謂経済参謀本部を設置し、特に次の 三種機関を以て之を構成すべし。
  イ、経済国策決定機関(経済国策審議会)
  ロ、調査、立案及監督機関
  ハ、顧問機関(顧問委員会)



 経済政策の構成において、中野ははっきりと修正資本主義的な本性 をあきらかにし、また、それが国家社会主義とちがう点を強調した。

 国民的生産力の組織的発展をもたらすためには資本主義を国家独 占的に<矯正> しようとする中野にしろ、ドイツ、イタリア的な 国家社会主義にしろ、それがブルジョワ独裁にしかゆきつかないの は必然である。しかし、中野正剛は、この統制経済機構の確立とい う一点において、北一輝の改造法案と自らの綱領が異なるものであ ることを誇示したかったにちがいない。

 この根からのブルジョワ・イデオローグは、北やその影響の下に 無智のエネルギーを発揮した農本的ファシストたちの土着のエネル ギーを、こういう上からの吸盤を強化する方策によって吸収しよう とこころみたのである。心情的には曲りなりにも下からの変革をこ ころざした農本ファシストと、上からの統制を意図した東方会ファ シストの相違がここにあらわれた。


「第四、金融の国家統制」

 北一輝が、個人的な資本限度を超える資本及び私有財産限度を超え る財産を没収して、新しく設定した銀行省に集中し、それによって金 融統制を行うべきであるとしたのにたいし、中野は日本銀行の機能を、 行政的な金融統制機関の規律に従属せしめる、という全面的な資本 独裁を企図している。そして国家融資をうけた産業資本は、その経営 及び利益処分について国家独占の監督に服しなければならないと論じ た。


「第五、商工業の国家統制」

 広域経済圏論が、国家資本独裁論とむすびつけられたのは、主と して産業資本論の面においてである。

 中野は、産業政策の方向を、アジア・ブロック建設の方向におい て統制すべきであることを論じた。

「我国がアジア・ブロックの指導国たる位置に鑑み、重工業、機械 工業、及び化学工業等の振興を促進すべし」

というのが、生産力増強と合理化を主張する根拠であった。


 さらに吉本さんは田中惣五郎著『北一輝』から次の一文を引用して 論を進めている。

「国家資本と私人資本。社会と民主。社会民主主義である。この公 と私の併立はファシズム的風潮が一応日本をつつみこんだ昭和13 年(1938年)4月1日(前年7月に日華事変がはじまる)に発せられた 『国家総動員法』をテコとして、さまざまの公社、公団の形で、 国家資本と私的資本の融合併立を見るにいたったことと若干対応す るものであろう」


 この意味では、中野のブロック経済論もまた、天皇制の下での資本 の国家独占化、帝国主義的な膨脹の過程での産業政策論の側面におい て、戦時下に実現されたことと対応するものであった。

 しかし、情勢が中野の企図通りに進行しなかったのは、天皇制の もっていた双面性にもとづくものであって、天皇制が中野的ブルジ ョワ独裁制を一面においては生みながら、それと対立する絶対主義 的な官僚軍事制を残留させることを、必須の条件としたからにはか ならないといえる。

 中野の綱領において、北とちがっていたところは、中間層的な政 策を加味することによって、独占資本下における、ブルジョワ独裁 の方法を把握していた点であり、いわば、戦後におけるマネージメ ント資本主義論者のブルジョワ独裁論と近似する政策を示したこと である。

 その極端なあらわれは、中野が重要産業に対して、産業種別に資 本家組合のようなものを組織し、生産と販売、原料の購入、資金の 調達、会計制度及び労働条件の標準化等の合理化統制を行わせると いう構想をたて、すすんで中小企業にたいしては合理化のほかに、 健全なる中産階級支持の見地を加味しなければならないことを論じ た点である。いわば、北の改造法案を聖典とする農本主義者たちの 行動に影響されて、急進化しようとする中間層にたいする独占資本 の側からするイデオロギー的な政策は、中野の綱領においてもっと も端的にあらわれたのである。

 ここには予言的に戦後独占によって行われようとしている政策が 記述されており、文化ファシストによって考えられているブルジョ ワ民主主義革命論の原型があきらかに存在しているということがで きる。

第735回 2007/02/23(金)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(3)


 中野正剛が「国家改造計画綱領」を起草した時の時代背景を確認し ておこう。

1931(昭和6)年 柳条湖事件(満州事変)
           満州国建国宣言
1932(昭和7)年 5・15事件
1933(昭和8)年 日本、国際連盟脱退
1934(昭和9)年 満州帝政実施
1935 (昭和10)年 政府、国体明徴・天皇機関説排撃声明
1936 (昭和11)年 2・26事件
1937 (昭和12)年 盧溝橋事件・日中戦争始まる
           日独伊防共協定
           南京大虐殺
1938 (昭和13)年 国家総動員法公布
           日本軍、徐州占領
1939 (昭和14)年 ノモンハン事件
           国民徴用令公布
           米国、日米通商航海条約廃棄通告
1940 (昭和15)年 日本軍、北部仏印に進駐
           大政翼賛会発会
           大日本産業報国会創立
1941 (昭和17)年 予防拘禁制追加(改正治安維持法)
           東条内閣成立
           真珠湾奇襲攻撃・太平洋戦争始まる

 多くの人たちが、現在の日本の政治・社会状況を1930年代になぞ らえている。最近では1940年代に突入したと言う 人もいる。自民党が着々と積み重ねてきた反動的法整備は「共謀罪」 という「予防拘禁制」で完成する。憲法は既に「解釈改憲」されてい る。憲法の番人・最高裁さえ憲法違反のような判決を続々と打ち出して、 憲法遵守義務を放棄している。


 人の日常とは非日常の仮装である。日常が非日常を胚胎している のではない。おそらく逆であろう。人の非日常が日常という名の気 だるいジェリーを絶えず分泌し、それを皮膜として身にまとい、安 穏を装って災禍のもとを隠すのである。人はそうでもしなければ身 がもたないのだ。災禍のもとが日々にいつも露出しているのでは、 気の休まる暇がない。

 だから、無意識に「日常」を仮構する。「安穏」を捏造し、演出 する。その手助けをしてきたのは、いつの時代も国家に牛耳られた マスメディアであった。

 じつは「ごくありふれた普通の日」なんかないのである。あるの は、「ごくありふれた普通の日のように見える日」なのだ。昨日も そうであった。今日もそうだ。明日もまたそうであるにちがいない。 しっかりと目を凝らせば、安穏のジェリーに包まれた災厄の果実が、 ほら、もうはち切れそうなはどに膨らんでいるではないか。

 1930年代の世情に私はずっと興味を抱いてきた。より正確には、 1930年代という実時間における歴史認識について。つまり、その年代 に生きた人びとは危機を危機として感じていたのかどうかということ について。なぜなら、1931年こそが「十五年戦争」のスタートだった からである。

 満州事変、日中戦争、太平洋戦争の総称である十五年戦争とは、い うまでもなく、当時からそう呼ばれていたわけではない。戦後もだい ぶ経てからの痛苦に満ちた名称である。もしも発端の柳条湖事件で 日本の社会が十五年戦争を予感し必死で回避しようとしたならば、 十五年戦争はなかったか短縮されるかしたはずであろう。

 仮構された日常が、しかし、そうさせなかったのだ。今日は昨日 のつづき、明日は今日のつづきという「ごくありふれた普通の日」 の連なりに生きているという幻想が、途方もない楽観を生むのであ ろう。
  (辺見庸著『いま抗暴のときに』所収「日常という仮装」より)


 さて、「国家改造計画綱領 第一、非常時宣言」に曰く

『かくして、全国民は深甚切実なる不満と不安とに陥り、恐る べき社会的大動揺の兆候は歴然として眼前に顕はれて来た。かの 五・ー五事件の公判が開かるるや、都市と農村とを間はず、全国 民の熱烈なる同情は被告の志士的心事に注がれてゐるが如き、以 て人心の激変を語るものではないか。(中略)吾々は悲壮なる五・ 一五事件の被告の熱情に対し、建設的指導原理を提供し、天下に 向つて改造の指標を掲げねばならぬ』

 これを引用して、吉本さんは次のように解説している。


 軍部や農本ファシストたちに同情する擬態をしめしながら、かれら が天皇制の絶対主義的な側面に直結して、資本主義打倒を目的とする テロ行為に走ったのにたいし、中野は資本主義の無力を既成政党の 無力におきかえ、あたらしい国家統制によって、ブルジョワ独裁を 企図しようとするにほかならなかった。

 中野が<建設的指導原理>というとき、無智ながらも農本ファシ ストたちがしめした資本主義の打倒はおしとどめられ、資本主義の 国家統制による修正と永続化が目的とされた。五・一五事件の被告 のエネルギーに、建設的指導原理を提供すると称する中野の綱領は、 木に竹をつごうとするに、ひとしいものであった。そして、ある程 度意識的に、農本主義者、軍部下級将校たちがしめした行動力のエ ネルギーを、北一輝の法案の影響から、自らのブルジョワ独裁論の 方向に吸収しようと試みたということができる。

 東方会のこのような意図は、十五年戦争の会期を通じて実現され なかった。軍部や農本ファシストたちの行動力は、天皇制絶対権力 の錯綜した支配力を強化することに役立ち、中野正剛ら東方会ファ シストたちのブルジョワ独裁の企図は、ドイツ、イタリアのよう に実現せず、わずかに資本制軍需生産の合理化と金融産業資本の帝 国主義的な膨脹をたすけるだけにおわつた。この日本的ファシズム の二様の終末のなかに天皇制下の社会構成の特殊な性格が集中して あらわれたのである。



今日の話題

浅野史郎さんを都知事候補に!

 黒川紀章、沈タロウの友人を自認し、日本会議の会員らしいという いかがわしい人物が都知事候補としてしゃしゃり出てきました。私は 何よりも沈タロウの落選を願っていますが、沈タロウ以外なら誰でも というわけにはいきません。

 「出たい人より出したい人」
 いま都知事候補に「浅野史郎さんを」と立ち上がった人たちがい ます。私も賛同の署名をしました。以下に浅野さんの人となりと、 これまでの経過と次回の会合への参加呼びかけのメールを転載します。


●日時:2月18日(日)午後4時から5時半
場所:江東区東大島文化センター(03-3681-6331)
   「統一地方選挙」についての講演会 ゲスト 浅野史郎
主催:「市民の声江東の会」
アクセス:都営地下鉄新宿線東大島駅下車 徒歩 5分

●昨日の報告(渡辺みつ子より) たった二日間の呼びかけにお応え頂き、メールの転送、ご参加、 メッセージや電報などありがとうございました。今晩は参加で きなかった「気持ち応援団」にも感謝です。

手作りの横断幕やポスター、受付対応、名簿、要請文の作成など、 綿密に打ち合わせた訳でもないのに、皆がそれぞれにできることを やり遂げました。

16日午後7時から9時、都内のホテルで「浅野史郎さんを東京都 知事に出馬させる会」が開かれました。参加者200人、報道陣50人の 参加があり、150人の部屋にとても入りきれない状態でした。会場 は浅野コールの熱気で一杯。

目的はただひとつ 「浅野史郎さんのハートに火をつける」
呼びかけ人の五十嵐敬喜(弁護士、法政大学教授)、小川明雄 (元朝日新聞論説委員)、上原公子(国立市長)他から、趣旨 説明や呼びかけがあり、熊本からかけつけた細川加代子(元首相 夫人)さんも切々と呼びかけられました。川田龍平さんはじめ、 長野、沖縄、仙台からかけつけた人 (ネットの威力)、都議、 区議など会場からも次々リレーラブコール。

最後に出馬要請文を千代田区議の小枝すみ子さんが読み上げまし た。そして、手に手に浅野カラーの青い紙を掲げ、ブルーの波、 ブルーの風をパフォーマンスしました。

さあ、この風はどのくらい強くなるでしょう、この波はどこまで 広がっていくでしょうか。浅野さんの心をとりこにしてほしい。

(公開記者会見で確認したこと)
・政治と金、地方自治、都政の現状を憂える無党派市民のやむ にやまれぬ出馬要請であること
・浅野さんの、実力、功績、人柄にほれこんでの出馬要請である こと
・都民だけでなく全国からのラブコールであること
・選挙は勝手連方式をイメージしていること
・政党も、労組、教組、企業もひとつになって勝手連で後方支 援してほしいこと
・時間がないのだから、それぞれの方法で浅野さんにラブコール を送ること
・浅野さん以外への出馬要請は考えていないこと

●ラブコール企画予定 2月18日12時半から2時 新宿西口(地上)
           リレートーク、シール投票、都政クイズなど
           主催 東京。をプロヂュース2007 雨天中止

    ◎山手線の全駅で、同じ時間に浅野コールをおこそう!
      実施予定者・グループは返信メールで連絡してね。
    ◎鎌倉市前市長の竹内謙さんが「浅野史郎さんを勝手に 応援する鎌倉市民の会」をたちあげました。あなたのまちにも・・是非。
    ◎浅野さんが立候補を決意してくれた場合、
     3月9日夜、なかのZEROホールで1200人のイベントも 予定されています。

●浅野史郎さんに対する都知事選への出馬要請文
 私たちは本日ここに会合を持ち、東京の未来について話し合いま した。その結果、私たちはさまざまな立場や考えを持っていますが、 一つだけ一致点があるということがはっきりしました。それは、4 月8日に行われる東京都知事選挙での候補者としては、浅野史郎氏 の外にいない、ということです。

この熱い思いを私たちは共有し、ここに集まりました。どうか、 この選挙に立候補してください。

浅野さんは、宮城県知事を3期務め、地方分権の旗手の一人とし て全国的に知られる業績をあげられました。
 市民オンブズマン全国会議の情報公開ランキングでは、毎年日 本一。公金の不正使用禁止に、全力を挙げたことでも全国的に知ら れています。カラ出張や食糧費はもちろん、県警の報償費について は執行停止など、公正・透明な使途のために全力で闘いました。

 一般競争入札制度を導入し官製談合をなくして、落札率を70%台 に下げるなど、公共事業の透明性を高め、無駄な事業費を減らしま した。

 また、福祉分野では地域福祉の充実、知的障がい者の施設解体宣 言、インクルージョン教育などノーマライゼーション実践のさきが けとして、きめの細かい政策を進めたことでも知られています。

 選挙は100円カンパとボランティアの市民選挙でしがらみをつくり ませんでした。だから、議会とも是々非々の関係をつくることがで きました。

 浅野さんは、現在慶応義塾大学の教授ですが、まだ59歳で、 趣味のマラソンのせいか元気はつらつとしています。今度は首 都東京で、都知事になったならば、これまでの経験を思う存分発 揮し、都民の目線に立ち、一人ひとりの生活や人生を大切にする 大仕事を実行してくださると信じています。浅野さんの経歴や人 柄からそれは可能だと信じます。

 ぜひ、都知事選に立候補してください。私たちは勝手連的に立 ち上がりましたが、私たちの後ろには大勢の都民がいると強く確信 します。

 浅野さんは、今月3日のある新聞に書かれているではありませんか。 宮崎県知事選挙で東国原英夫知事が誕生してことについて、 「立候補する勇気が、有権者に選択肢を与え、選挙に関心を集める。 結果が伴えば、宮崎県のように、有権者も参画する政治改革につながっ ていく」と。

 重ねてお願いします。浅野さん、万難を排して都知事選に立候補 してください。

2007年(平成19年)2月16日
「浅野史郎さんを東京都知事に出馬させる会」一同



浅野史郎さんを都知事に

稲垣道子

皆さま
 去る2月16日夜は、急なお声がけにもかかわらず、ホテルル ポール麹町にご参集頂きありがとうございました。200人と 報道陣50人の参加がありました。

 「浅野史郎さんを東京都知事に立候補させる会」後、あちこちで 浅野コールが高まっています。東京、否日本の現状を変えるために、 59歳浅野さん、もうひとはたらきしてください。市民派、実力者は あなたしかいません。

(1)ブログを開設しました。開いて見て下さい。ワクワク情報満 載です。

浅野さんのハートに火をつけよう!

木村和穂さん(慶大FC卒、東大大学院生)担当

(2)呼びかけ人・賛同者を募っています。専用メールアドレス です。

専用メール

矢崎与志子さん(SAVE the 下北澤)担当

(3)ウェブ署名できます。アドレスはブログでご覧下さい。

(4)ラストチャンス?のプロポーズ・・・に大集合

  浅野史郎さん、ハートに火をつけて!
    -次の都知事はあなたですー

  2月25日(日)午後6時半~8時
  八重洲富士屋ホテル 2階 300人のホールです。
  チョコレートが入場券

  都民、有名人、宮城県代表など続々登場し浅野コール
  東京都の課題は? 勝利の秘策は?

  「浅野さんのハートに火をつける会」主催


第734回 2007/02/22(木)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(3)
(お休みです。)



今日の話題

<アジア的構造>:その右翼的な理想像

 一年ほど前、反権力を標榜しているあるブログに出合った。 私にとって疎い分野の情報が得られそうなので継続して読んでいたが、 その誇大妄想的な夜郎自大ぶりには辟易はしていた。のちのちの参考 にと記録しておいた記事が二つある。そのうちの一つ。

(次の引用文の「木村洋」さんは、1999年に起こった山口県光市の 母子殺害事件の遺族の方です。その事件の裁判が大詰めを迎えた頃 のことです。)


 二日間ほどマスコミが事件を集中報道して、これまでになく数多 く本村洋の発言に接することができた。顔つきが大人に変わり、 刺すように鋭かった昔の雰囲気は少し変わったが、相変わらず 言葉が素晴らしい。本村洋の言葉は本当に素晴らしい。言葉が常 に理路整然としていて、無駄がなく、分かりやすく、聴き入るた びに興奮と感動を覚えさせられる。聴きほれる。納得と共感で心 が満たされる。何もかもが絶望的なこの日本で、本村洋は私にとっ て宝石のような美しい貴重な存在であり、この若い、優秀な優秀 な優秀な優秀な男を、国会議員にしたいと希(こいねが)う。

 日本国憲法が想定する国民代表の理念型は、本村洋のような人間 的資質をこそ具体要請しているのである。できればこの男を総理 大臣にしてみたい。今すぐに日本国の運営を任せてみたい。昔、 菅直人が厚生大臣になって、薬害エイズ事件の犠牲者の遺族の前 に立ち、遺影に向かってひざまずき謝罪をしたことがあった。 「大臣、この子に謝罪して下さい」という悲痛な訴えの言葉が耳に 残っているけれど、それを見たとき、私も若かったが、「菅直人よ くやった、総理大臣にしてやるぞっ」とテレビの前で叫んだことを 覚えている。

 日本ではあまり見ることのない、感動的な政治の場面だった。 あれから十年経ち、今では菅直人を総理大臣にしてやりたいなどと は全く思わない。それっきり、総理大臣にしたい男は私の中に一人 としていなかったが、今は本村洋を内閣総理大臣にしてみたいと 願望する。憲法はきっと歓迎するだろう。憲法の心を持った天皇 陛下も歓迎するだろう。


 誇大妄想的な夜郎自大ぶりもさることながら、私がこの文を記録し ておこうと思った理由の一つは、「憲法の心を持った天皇陛下も歓 迎するだろう。」という唐突な天皇の登場であった。ここに <アジア的>心性にガンジガラメに呪縛された擬似知識人の典型を 見たのだった。

 その<アジア的>心性がさらにはっきりと露呈した次の文に あきれ果ててそのブログとは縁を切った。反権力を標榜しているが、 その底の浅さと汚さは無残だ。この文も<アジア的>心性の典型と して記録に値すると思った。


 昨夜の「報道ステーション」の中で天皇皇后両陛下の東南アジアご 訪問についての報道があり、出発前の記者会見が詳しく放送されて いた。明日からシンガポール、マレーシア、タイの三カ国をご訪問 される。昨年の同じ時期、両陛下はサイパンを訪問され、公式日程 にはない電撃訪問で韓国人慰霊塔に立ち寄り、黙祷を捧げた。その 衝撃のニュースは我々と韓国の両国民を大いに驚かせた。私は感激 し、ブログで初めて天皇陛下について書いた。私は昨年の記事を気 に入っている。訪問日程の最後の朝だったと思うが、宿舎の近くの 砂浜で、車椅子姿の元日本兵からサイパン戦の話を聞き、お二人で 言葉をかけられる映像もあった。あれから一年が経った。

 昔、丸山真男が「超国家主義の論理と心理」を書いたとき、これ は「世界」の1964年5月号に発表されたが、終戦から僅かの時間し か経っておらず、文中で天皇を天皇と呼び捨てにしていいのかど うか、いや、これからはもう構わないのだと、何度も自分に言い 聞かせながら書いたと回顧していたことがあった。私の場合は、 丸山真男とちょうど逆で、天皇を天皇陛下と呼ぶ文章を内心苦労 しながらトライした。今では何の抵抗感もない。

 日本国憲法では、象徴たる天皇の地位は国民の総意に基づくとあ る。天皇を国民が尊敬できなければ、国民は日本国を愛することは できない。また、全ての国民から尊敬される天皇でなければ、この 国は国として一つに纏まることができない。

(中略)

 天皇陛下だけが指導者として平和のために闘っておられる。右傾 化と戦時体制化への歯止めを誰もかけられない中で、天皇陛下だけ が国民に平和への希望を与えている。政権の圧力に抗して。本当に 立派だ。

 今度の東南アジア三カ国ご訪問のハイライトはシンガポールとい うことになるだろう。日本軍は戦争の初期にシンガポールとマレー シアで大量の華僑住民を虐殺していて、シンガポールの公園には 有名な「日本占領時期死難人民記念碑」がある。恐らくここを訪 れて黙祷を捧げる絵が報道されるだろう。

 天皇陛下と皇后陛下だけが日本の平和のために尽力されている。 お力になれないことが口惜しい。心だけは「大君の御盾と出で立 ち」たいのだけれど。残念ながら私には力がない。黙って見守る ことしかできない。くれぐれもお体に気をつけて。


 マスゴミも同様な天皇礼賛の幇間的言説を垂れ流しているが、 さすがここまで倒錯した言説はないだろう。天皇だけが「右傾化 と戦時体制化への歯止め」になっているなんて、この人正気かね。 天皇という存在はただ黙ってすわているだけで「右傾化」の推進 者でしかないのだ。「大君の御盾と出で立ちたい」などと時代錯 誤の大仰なもの言いは立派に右翼的真情の吐露以外のなにもので もない。この人は完全に右傾化を完了している。

 サイパンで玉砕を強いられた日本・韓国両国の犠牲者も、 「シンガポールとマレーシアで大量の華僑住民を虐殺」した兵士も 「大君の御盾と出で立」たされた民衆だぜ。

 かわいそうに、この人の頭脳は「右翼的に描かれた<アジア 的>なものの理想像」という<共同幻想>に侵食しつくされていて、 ことの本質が全く見えなくなっている。

 『「アジア」的なもの』(吉本隆明著「重層的な非決定へ」所収) より引用します。


 いままでわたしたちがみてきた「アジア的」という概念について の論議は、右翼的な不毛さと左翼的な不毛さに患わされてきた。

 右翼的な論議は、十七世紀以来、西欧の植民地として虐げられて きた「アジア」という鬱積が根柢にあるため、アジア地域での産業 の未発達と、農業の村落共同体の強固で永続的な停滞を、特殊で地 域的なものとみなさずに、美化したいモチーフをどこかにかくして きた。

 そして農業の村落共同体と、未発達でかたよった産業のうえに、 ほとんど遮蔽スクリーソなしに(なぜなら充分発達した産業組成だ けが遮蔽スクリーンだから)じかに対峙している専制的な国家を、 理想像にまで高めようとした。

 未発達な産業組成は、かえって支配者と農民とをじかに触れさせ る契機として美化され、閉じられた農業の村落共同体は相互扶助と 公共にたいする自己犠牲の倫理を保存するものとして賞揚された。 そして専制君主とそのまわりの支配共同体が<仁慈>にあふれてい れば、わずかの<貢納>物を農耕の村落共同体から召上げるだけで 苛斂誅求などどこにもない平等な理想国家の像が得られることに なる。

 中間に最小限にしか遮蔽スクリーンがないから、専制国家と 農耕共同体のあいだには透明な<意志>の疎通がおこなわれ <仁慈>がゆきわたるとみなされた。こういった制度の画像が、 右翼的に描かれた<アジア的>なものの理想像である。

 もちろんこのばあい専制君主とそれをとりまく支配共同体の像は、 時代と制度の変遷に応じてさまざまに置きかえることができる。 支配共同体が共産主義党派であっても、どんな理念的な組織であ っても差支えない。専制的な支配共同体と農業の村落共同体とが、 あたうかぎりじかに透明に対峙している画像が成立している。
第733回 2007/02/21(水)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(3)
(お休みです。)



今日の話題

<アジア的構造>という呪縛

 自民党の中川幹事長が「閣僚・官僚は総理に対し絶対的な忠誠、 自己犠牲の精神が求められている。……首相が入室したときに、 起立できない政治家、私語を慎まない政治家は、美しい国づくり 内閣にふさわしくない」などと発言したことがいろいろと取りざ たされている。

 この発言の効あってか、早速閣僚たちが起立して首相を迎えるように なったそうだ。昨日の新聞に、狆ゾウが起立している閣僚の間をふん ぞり返って歩いている写真が掲載されていた。思わず吹き出してしまっ た。

 思い出したことがある。
 まだ青年教員だった頃こと、歓送迎会の席である中年教員が「○○校 長に○年、△△校長に△年仕えていました。」と挨拶した。「校長に 仕える」などという意識は私には全くなかったので、私はまるで異星 人に出合ったかのようにびっくりしたし、吹き出すのをこらえるのに 苦労した。このお人、やがてリッパな校長に出世したようだ。

 中川幹事長の発言を批判している人たちのほとんどが北朝鮮の政治 体制を連想している。まさにこの二つの事例に共通しているのは意 識としての<アジア的構造>なのだ。近代的装いを凝らしたアジア 的デスポティズムを屋台骨とした大日本帝国は滅んでも、意識とし ての<アジア的構造>は容易には滅びない。この問題は私たちにも なお無縁ではない。

 滝村隆一さんの「アジア的国家と革命」から引用する。


 <アジア的構造>の最も本質的な特質は<個体> - つまり制度を 支える個体また制度のなかの個体 - がそれ自体として原理的に確 立していないこと、換言すれば<個体>が、したがってまた近代的な <家族>が生活的<現実的>にも思想的にも自立しえないところにあ る。

 これをさらに具体的な構造論のレヴェルで換言すれば、個別歴史レ ヴェルにおける<アジア的>な形式制度的構造の厳存は、一方におけ るワンマン的暴君ないし慈悲深い家父長君主たる<デスポット>の存 在と、他方における一般民衆の強烈な<共同体意識>が、何よりも <デスポット>を奉戴せざるをえない心情として存続していることに 象徴されるということになる。

 ここで翻って現在の「社会主義国」をみると、一方では<デスポッ ト>はいくらか形を変えて、つまり<毛沢東主席>や<金日成首相> という・人民と共に歩み人民に対して献身的な・<進歩的デスポット> として、相変らず人民の上に君臨している。他方では、アジア的人 民に特有の<共同体意識>が、強烈な<民族意識>として再生され ている。これを要するに「社会主義国」が建前上掲げている<制度 イデオロギー>としてのマルクス主義の<近代性>とは別に、そこ ではまぎれもなく<アジア的構造>が、脈々として波打っているの である。

 しかしこれは、われわれにとってたんに彼岸の問題たることを意 味しない。わが国をも含めて中途半端に<近代化>したアジアに特 有の進歩的知識人は、多かれ少なかれ、かかるアジア的構造を直視 することを避けて、アジアがもっともっと近代化すれば、必ずやア ジア的構造が必然化しているところの一切の<アジア的悲惨>など 一挙に解消・霧散してしまうといった無知からくる底ぬけの楽観を 抱いている。全く冗談ではない、とはこのことだ! いかに実質制 度的レヴェルで様々な要素が猿真似的に導入され、<近代化>され たところで、頑強な<アジア>は形式制度的レヴェルで残存し、や がてかかる制度的な二重性が新たな<アジア的構造>として転成し かねない。

 これはわが国の政治制度、すなわち<議会制>とか<官僚制>と かいう<近代的>な制度のなかで左右の政治的利権屋や官僚どもが、 それぞれ<小・デスポット>よろしく君臨する<ボス>を頂いて対 立・抗争・癒着し、どんな陣笠代議士でも自己の周囲では<ミニ・ ボス>然と振舞っていること一つをみても明らかなはずである。

 また社会制度的レヴェルでいえば、何も<アジア的宗教>の大衆 運動形態たる新興宗教を、ことさら引き合いに出すには及ばない。 むしろかつては<天皇制の廃止>という政治的スローガンを提出し た左翼的な政治運動家やその同伴的な学者・知識人たちが、自己の 組織(つまり一般党員に対して)や大学の研究室(つまり助手・院 生・学生に対して)、また家庭(つまり妻子に対して)でいかに 振舞っているかを正視すれば足りる。

 かくの如く頑強な<アジア>は、われわれ個々人の<内>にも しっかりと根を下しているのである。それ故、彼らが欧米流の <近代>を猿真似的に借用することによって、恰も一切の <アジア的悲惨>を一掃しうるかに夢想しているのは、<アジア 的構造>の頑強さ、とりわけ彼ら自身の<内>なるアジア的醜悪 さには一向に関心を示さない・アジアに特有の進歩的知識人の救 い難い偽善を暴露しているにすぎないことになる。

 われわれが採るべき道はただ一つ、<アジア的構造>を周到に 把握して、その根柢的止揚の道を理論的にまた思想的に追究する ことである。この場合<個体>原理確立の思想と運動が、アジア 的構造止揚の有力かつ有効な方策の一つであることは疑いえない。

 しかしアジア的構造の止揚は、何よりも制度的変革つまり <制度としてのイデオロギー>の変革の問題である。この意味で 私は、何よりもまず既成の「社会主義国」や日本社会を対象にし て、アジア的な形式制度構造と近代的ないし社会主義的な実質制 度的構造との複雑にからみ合った関連が、政治・経済・社会の全 レヴェルにおいて、理論的に追究・解明されねばならないと思う。
第730回 2007/02/16(金)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(2)


 吉本さんは別の論文(「転向ファシストの詭弁」)で次のように 述べている。


 丸山真男や竹内好をはじめ、日本の進歩的な学者は、日本ファシ ズムの思想や行動を研究するばあいに、例外なく農本主義的なファ シズムだけを問題にしている。わたしは、絶対主義天皇制下のファ シズムの形態を農本的なファシズムにだけもとめるのは、一面的な 理解にすぎないとおもう。

 この農本的なファシズムは、厳密な意味では、ファシズムとはい いえないのであって、藤田省三のいうように、ある意味では変革の エネルギーが変態的に転化されたものと、いいえないことはない。 いわば、盲目的な無智であり、思想以前の問題にすぎない部分をも っている。

 しかし、丸山学派などがとりあげてこなかった日本ファシズムの 他の形態、すなわち、ソレルやベルンシュタイン流の擬制社会主義 的な言辞をろうして独占ブルジョワジイに奉仕するファシズムこそ 問題としなければならないはずである。


 農本ファシズムと社会ファシズムの違いをおさらいしておく。
 農本ファシズムは1935(昭和10)年前後から敗戦まで、変革を求める 民衆の良質な部分の心情に深い浸透力をもったイデオロギーである。 それは反資本主義の立場をとりながらも、前近代的な伝統意識につなが り、国家権力の天皇制支配の側面に結びついていった。
 一方社会ファシズムは、独占資本の戦時社会経済体制の内部矛盾 を、国家権力と一体化することによって打開しようとたもので、 危機に瀕した国家独占資本のイデオロギーにほかならない。


 日本で社会ファシズム的な政治運動を推進し、これに附随するかた ちで文化組織を小規模ながらもつくり出したのは、中野正剛一派の東 方会(1936年設立)ファシズムと、そこに寄生した文化ファシズムで あった。


 ここで言われている「文化ファシズム」とは東方会に参加して、 1940年に「文化再出発の会」(その機関紙が「文化組織」)を結 成した花田清輝、中野秀人、岡本潤らを指している。

 最近で「文化ファシズム」と呼ぶにふさわしいものとしてすぐ思い 当たるものに「日本を守る国民会議」というのがあった。この団体は 1997年に「日本を守る会」と合体していまは「日本会議」となっている。 その役員の出所は、財界人、元官僚、政治家、学者、文化人、宗教家 などほとんどの分野にわたっている。組織力・経済力ともに巨大な 勢力となっている。もちろん、あの「新しい教科書をつくる会」 もその傘下の団体である。

「日本会議」 という組織のあらましを客観的にまとめています。)


 戦争中、東方会ファシズム、文化ファシズムは、ブルジョワ・イデ オロギー的な必然と、天皇制の特殊な双面性によって支配的なカをも ちえなかった。そして主要な打撃をうけることなく戦争をくぐりぬけ ることができたのである。

 そのため、この擬近代的ファシズムが、どんなもっともらしい思想 を流布し、デマゴギーを一般化したかは、なお、検討すべき余地をの こしている。


 「天皇制の特殊な双面性」とはその「ブルジョワ地主的近代支配 と軍事的な封建支配」を指している。


 わたしの知見のはんいでは、東方会のイデオロギーは、終始、 中野正剛が昭和8年にかいた『国家改造計画綱領』をでるもので はない。ここに日本における社会ファシズムの問題は、集中 してあらわれている。

 この綱領は、軍部と民間の農本的なファシストたちによって企 てられた五・一五事件を直接の刺激として、満州事変以後の時代 的な転換を間接の契機としてかかれたものであった。いうまでも なく、当時、非合法的な形で流布されていた北一輝の<日本改造 法案>は、中野が原形として模倣したものである。

 中野は北にたいして独自な綱領を対立的に提出しようと試みた ものにほかならぬ。もともと、党人くずれのブルジョワ・イデオ ローグにすぎない中野と、本来的な土着の思想家であった北とは、 比肩しうべくもないが、中野の綱領と北の法案のあいだには、ブ ルジョワ・イデオローグが民族的な国家機構を至上化した場合 と、日本型の社会主義者が民族的な封鎖性に足をとられていった 場合とのあきらかなちがいを指摘することができる。


 以下、社会ファシズム(中野正剛)と農本ファシズム(北一輝)の 相違を論じている部分に重点を置いて読んでいくことにする。
第729回 2007/02/15(木)

《吉本ファシズム論より》:社会ファシズム(1)


 私の手元にある滝村さんの著書の中には社会ファシズムについての 論稿がないので、吉本さんの『異端と正系』(現代思潮社)所収 「日本ファシストの原像」を教科書とする。

 農本ファシズムが国家社会主義の課題として、まがりなりにも 資本制の廃絶を掲げていたのに対して、社会ファシズムの掲げた 題目は初めから修正資本主義をスローガンとするブルジョワ独裁 の変種にすぎなかった。また、大衆の心情的なレベルへの浸透度 でも社会ファシズムは農本ファシズムに大きく遅れをとっていた。

 また戦争期において、近代的デスポティズム=天皇制と直結して イデオロギー上の主導的な役割を担ったのは農本ファシズムであった。 社会ファシズムは高々、独占資本制生産の合理化と金融産業資本の 満州への侵略的な投下をイデオロギー的に推進したにすぎなかった。

 従ってまた敗戦によって、近代的デスポティズムとしての天皇 制の終焉とともに農本ファシズムも絶滅したが、独占資本そのものと 社会ファシズムは生き残った。

 吉本さんは日本のファシズム、とりわけ社会ファシズムを論究する ことの意義を次のように述べている。


 敗戦は、天皇制の絶対主義的な性格と、天皇制の封建的な側面に 直結した農本ファシズムを絶滅させた。しかし、独占資本そのもの は、不変資本を破壊されはしたが、何人によっても打ち倒されはし なかったのである。

 労働者や農民は、天皇制の封建的な組椒化の下に統合されるか、 独占支配的な側面に組織化される以外に道はなかった。そして、 思想的には、そのいずれかのイデオロギーの影響下に立ったので ある。このような情況下における敗戦は、労働者や農民を天皇制 支配から解放したが、かれらが自主的に資本主義自体を打ち倒す 思想をもちうるだけの基盤を用意することはできなかったのであ る。敗戦後の日本が当面したあらゆる困難の社会的根拠はここに あった。

 このような特殊な事情によって、天皇制権力のイデオロギー的な 戦争責任の問題は、農本ファシズムと社会ファシズムのイデオロギ ー構造によって追及されねばならず、この解明によって戦時下と戦 後をつなぐ、農民運動と労働運動の問題点を摘出する作業がつづけ られなければならない。

 組織労働者や農民や兵士のイデオロギー的な責任は、大衆組織と しての労働運動や農民運動や軍隊が、組織そのものとして日本ファ シズム・イデオローグのイデオロギーにたいして相対的な自立性を もちえなかった点にもとめられなければならないとおもう。組織と してファシズム・イデオローグを揉みこなすだけの民主制と自主性 をもちえなかつたという責任は、大衆運動と軍隊の戦争責任として 最大の要点をなしている。

 したがって、戦争中、産報や農報のさん下にあった労働運動や農 民運動が、戦後、社会主義政党のさん下に転換したということで、 戦争責任と戦後の課題は解消するものではない。やはり、そこでも、 社会主義イデオローグのイデオロギーを、揉みこなすだけの組織の 民主制と自主性を確立すべき課題がのこされており、イデオローグ のイデオロギーを組織の存在自体によって批判しかえす課題を、 大衆運動は担っているといわなければならない。

 大衆運動の担っているこのような課題は、戦争中の社会ファシズ ムや農本ファシズムのイデオロギー構成が、戦後の大衆運動のなか で、どのように浸透しているかの追及と不可分のかたちをなしてい ることはいうまでもないことである。日本ファシズムの検討が戦時 下に支配イデオロギーの役割をはたした点と、戦後大衆運動にのこ した残像との二重性によって、いまなお、とりあげられなければな らない理由はここに存在している。


 吉本さんのこの問題提起は40年も前のものである。しかし、 『イデオローグのイデオロギーを、揉みこなすだけの組織の 民主制と自主性を確立すべき課題』を、果たして私たち大衆は よく自らのものとなし得てきただろうか。狆ゾウ・沈タロウの ような亜流社会ファシストのデカイ顔をつぶせないでいる昨今、 私たち大衆は再び総敗北の坂を転げ落ちているのではないかと の思いを禁じえない。
第727回 2007/02/13(火)

《滝村国家論より》:国家社会主義(11)
北一輝・土着の革命思想(4)


 これまで見てきた北の日本国家論をまとめると つぎのようである。

 北の原理的=方法的発想は、当時の世界的に流行していた尖端の 科学生物・社会進化論であった。すべて、進化論流の<社会-即-国 家>観を直接の理論的前提として構成されている。

 日本は維新革命により、中世的君主国の階級国家から近代的国家 の段階に入ったとする。これを人類進化の第三段階としている。 その観点から、公認国体論の<アジア的絶対主義天皇制>イデオロ ギーに対して、いわば近代的な<制度としての天皇>観を対置した。

 すなわち国家を主権体とする民主政体へと移行し、これに伴い 天皇もまた中世的家長君主から国家の特権である一分子として一 国家機関へと進化したとされる。

 すなわち近代の公民国家は、社会としての広義の国民たるべき 特権的一分子としての天皇と平等なる他の一般分子とによって構成 され、天皇がさしあたり特権ある一分子とされるのは、国家に承認 され、その目的と利益のために活動する一国家機関(制度)の故で しかない。

 これは国体論の<天皇-即-国家>観に対して、近代的な<国民 -即-国家>観に立脚した天皇機関説の公然たる提唱である。した がって彼が政体と区別して使用した「国体」とは、たんに「国家の 本体」という<社会-即-国家>観の特異な概念的表明(主権概念 上の)でしかない。万世一系の現人神たる天皇が道義的に君臨する といった通常の国体観念とは全く異なるのである。


  北が公認国体論を粉砕したにもかかわらず、なお<制度としての天皇> を認めざるを得なかった点で、それは同時に北の<社会-即-国家>観の限界 をも示していた。

 滝村さんは『彼は、進化の第三段階では天皇を国家的構成において 必須の特権ある一分子として承認しつつも、その後の第四段階では あっさり消滅させられて、文字通りの<国民-即-国家>へと進化 すると考えられていたに相違ない』と推察しているが、北の思想は 辛亥革命体験を経て『日本改造法案』へと大きく褶曲していく。

 さて、『国体論』で提示された北の思想の骨組みはおよそ次のよう であった。

日本国家論=近代的な<国民-即-国家>主義(国家と構成分子)
日本社会論=近代的な市民的社会主義(社会と個人)
世界主義論=強烈な<民族-即-国家>主義(世界共同体と民族国家)

 その日本社会論と世界主義論を滝村さんは次のように まとめている。


 次に日本社会論では、国家・社会と個人の物的富有を二つながら に実現すべく、中世の経済的貴族の如く肥大した大資本の国家的統 制と私有財産制の基本的容認を主張する。これは近代的な市民 的「社会」主義の一変種、正確には小資本中心の社会構成を巨大な 国家資本によって補強せんとした修正資本主義に他ならない。

 また、国家競争・民族競争なき世界共同体の黄金を望想する世界 主義は、あくまで進化の現段階に展開する苛酷な国家主義・民族主 義の極限的徹底の彼岸にのみ可能になるという、強烈な<民族-即 -国家>主義たる大国家主義として構成される他なかった。


 そしてこれは、『日本改造法案』にいたる北の革命思想の挫折 への道につながっていた。


 しかし『改造法案』に到ると北の近代的<国家-即-社会>主義は、 何よりも右の如き<社会-即-国家>観よりする強烈な内・外国家主 義を基軸として、やがて「国家競争」なき「世界連邦」の実現へと 突き進む、「亜細亜連盟ノ義旗ヲ翻シ」た大国家主義の徹底的推進 のためにこそ、天皇機関説と軍事的社会主義よりする民主的かつ戦 時制的な日本国家・社会の一大変革が必要であるという具合に、大 きく旋回する。

 これいみじくも私がかつて、北における外的国家論の政策論的 具体化に伴う、ルソー流の近代的な<国民-即-国家>主義思想の 挫折と呼称した所以でもある。

 だがそのことによって、内・外よりする大きな国家的危難を排し た皇国・日本を中心とする大アジア共同体創出のためにこそ、 <君側の奸)すなわち天皇輔弼体制の思い切った切除による天皇 親政実現の一大政治的変革が必要であるとした、純粋な国体論者 たる革新的青年将校との・現状認識と実践的方向性における・実践 的一致をみることになった。

 かくて北の革命思想のもつ本質的な実践的性格は、その政策論的 具体化を契機として、主に思想的敵対者による支持・共鳴・実践と いう形態をとった、直接の歴史的規定性を蒙る。それは彼自身に とっては政治的実践におけるやむをえざる妥協の問題として突き つけられたはずである。

 その実践的改革案において従来の天皇輔弼体制の大胆な切除と 一新を提案しつつも、代りに「顧問院」や「審議院」を設置せざ るをえなかったこと。また、かかる実践主体として青年将校を想 定したアジア型政治革命方式を採用せざるをえなかったこと等が それである。


 滝村さんは、北の思想的挫折の淵源を彼の生物進化論流の 原理的方法的発想に求めている。


 北の・日本国家の・近代制度論的解釈は、かかる<現実>批判の 思想論的有効性を別にすれば、当時の体制が右述した如き特異な構 造であった故に、現実解析の理論的正当性をいささかなりとも誇示 しうるものではない。全くその反対である。

 そうして重要なことは、北一流の近代制度論的解釈が必然化し たのは、……彼が明治維新とそれによって生じた日本国家の制度 論的構造を、生物進化論流の近代的かつ合理的な方法的発想で、 機械的に解釈・適用してしまったことに基因するてんである。

 すなわち、何よりも時代の先端を行く自然科学的真理を前面に押し 立てることによって、時代を先導する科学者たらんと欲した北一輝 は、ここでは現代の欧米流〝学者″と同様、一定の原理的=方法的 発想を前提とすることによって、対象を特殊性と一般性との統一に おいて把握するのではなく、〝普遍的″とされる科学的真理の機械 的適用・押しつけによって、対象の一般性のみを極めて皮相なレヴ ェルから解釈して事足れりとする、悪しき学的コスモポリタンとし て登場しているのである。


 この国では、学界でも論壇でも、今なお欧米の流行思想を追いか けているばかりの「悪しき学的コスモポリタン」がたくさんはびこっ ている。
第726回 2007/02/08(木)

《滝村国家論より》:国家社会主義(10)
北一輝・土着の革命思想(3)



 社会主義は、地理的に限定せられたる社会、即ち国家に主権の存す ることを主張する者なり。 - 即ち社会主義の法理学は国家主義 なり。

 社会主義 - 法理的に云へば国家主義は国家が目的にして利益 の帰属する権利の主体たりと云ふ思想にして主権は国家に在りと論 ずる者なり。


 これが当初からの北の<社会-即-国家>観であり、<国家主権>論 はこれを発展的に具体化していったものである。この北の国家観の問題 点を滝村さんは次のように指摘している。(滝村さんが強調文字や傍点を ふっている部分を赤字で表記する。)


 もとより「国家」と「社会」を実体的には同一物とみなし、 「国家」は「社会」の「法理」上の表現に他ならない、という北の 主張自体に誤りはない。だがこの際問題なのは、結論ではなくて、 それを論理的に導き出すに到る過程的把握にこそある。

 <政治的社会構成>と<共同体-即-国家>との統一としての <国家>とは、不断の<内的>および<外的>な関係性のなかの、 社会構成体における政治的諸関係の総体を、何よりも統一体として、 すなわち<法的共同体>として把握するとき成立する概念てあるか ら、<国家>をかかる意味あいにおいて<実体>的に把えることは 正当てある。換言すれば、厳密な科学としての国家 論において、<国家>をそういってよけれぽ<実体>視することが 許されるのは、<国家>という法的に統括された<社会>を、 <外的>および<内的>な関係性を内に含みつつも否定(すなわち 止揚)した<実体>として把握する場合たけである。

 しかるに北にあっては多くのプルジョア法学者と同様「社会」か ら独立した「法律上の人格」を有する「国家」が、「社会」の場合 と同じく、もっぱらスタティックな<実体>物としてしか把えられ ていない。それ故、「……吾人は……国家人格実在論の上に国家主 権を唱ふる者なり」という北自身の言葉は、彼の<社会-即-国家 >観における実体論的欠陥を、端的に証示したものということがて きる。


 つづめて言うと、国家は「不断の<内的>および<外的>な関係 性のなか」で構成されていく<法的共同体>つまり「幻想の共同体」 であり、「スタティックな<実体>物」というように単純化できる ものではない。

 次に滝村さんは、北独自の<天皇>観を概括するものとして、 <天皇-即-国家>という天皇制イデオロギーによる公認<国体 論>に対する北の熾烈な批判を引用している。

 日本の国体は君臣一家に非らずして堂々たる国家なり。天皇は 本家末家に非らずして国家の機関たる天皇なり。皇室費は末家に 対する本家の掠奪に非らずして国家に対する皇室の権利なり。 兵役は本家の利益の為めに未家の殺戮さるゝことに非らずして国 家に対する国民の義務なり。天皇が他の何者も比較すべからず重 大なる栄誉権を有し国民の平等なる要求を為すべからざるは国家 の利益の為めに国家の維持する制度にして、皇室の特権を無視す ることは国家の許容せざる所なり。即ち、大日本帝国は君臣一家 の妄想にあらずして実在の国家なり、天皇は国民と平等なる親籍 関係の本家に非らずして国家の利益の為めに国家に対して重大 なる特権を有する国家の一員なり。実に忠孝一致論を唱ふる者は 其の理由とする所の君臣一家論によりて国家に対する叛逆なりと すべし。


 公認<国体論>以外のいかなる天皇観も国家観も認めず、そこからの 逸脱を厳しく規制していた状況下で、公認<国体論>を「国家に対する 叛逆なり」と断罪して憚らない。なんとも大胆不敵な言説だ。思想の違 いを越えて、その強靭な精神に裏打ちされた思想家としての高邁な矜持に感服 する。後に、2・26事件に連座(実際には直接な関わりはなかったと言われて いる。)し、青年将校たちとともに銃殺に処されるが、そのときの態度も泰然自若としたものだったに違いない。 そのときの様子が彷彿として浮かんでくる。

 滝村さんはさらに「第四編 所謂国体論の復古的革命主義」の 劈頭の文章を引用している。


 政論家も是れ(つまり「国体論」のこと……滝村)あるが為めに 其の自由なる舌を縛せられて専政治下の奴隷農奴の如く、是れある が為めに新聞記者は醜怪極まる便侫阿諛の幇間的文字を羅列して恥 ぢず。是れあるが為めに大学教授より小学教師に至るまで凡ての 倫理学説と道徳論とを毀傷汚辱し、是れあるが為めに基督教も仏 教も各々堕落して偶像教となり以て交々他を国体に危険なりとして 誹謗し排撃す。

 斯くの如くなれば今日社会主義が学者と政府とよりして国体に 牴触すとして迫害さるゝは固より事の当然なるべしと雖も、只嘆 ずべきは社会主義者ともあらんものが此の羅馬法王の面前に立ちて 厳格なる答弁を為さゞることなり。少くも国体に牴触すと考ふる ならば公言の危きを避くるに沈黙の途あり、然るに弁を巧みにし て牴触せずと云ひ、甚しきは一致すと論じて逃るゝが如きは日本 に於てのみ見らるべき不面目なり。特に彼の国家社会主義を唱導 すと云ふ者の如きに至りては、却て此の『国体論』の上に社会主 義を築かんとするが如きの醜態、誠に以て社会主義の暗殺者なり とすべし。……『国体論』といふ脅迫の下に犬の如く匍匐して如何に土地資 本の公有を鳴号するも、斯る唯物的妄動のみにては社会主義は霊 魂の去れる腐屍骸骨なり。


 現在、ひたすら権力に媚を売る幇間的な学者・ジャーナリスト ・テレビタレントらが、この国のオピニオンリーダー顔して大手を 振ってのさばっている。その連中に聞かせたい言説だ。いま、公 認<国体論>のような暴虐な障碍はないにもかかわらず、彼らは 何に怯えているのだろうか。やっと手に入れた金ずるを失うまいと しているだけなのかもしれない。辺見庸さんの言い方を借りれば、 糞に群がる糞バエというところか。
第725回 2007/02/07(水)

《滝村国家論より》:国家社会主義(9)
北一輝・土着の革命思想(2)


 北の天皇機関説は憲法論のレヴェルではどのように捉えること ができるか。
 それは<統治権>の主体を「天皇」や「国民」を一分子とする 「国家」それ自体にあるとする<国家主権>論であり、天皇制イ デオロギーの憲法表出としての<天皇主権>論と真向うから対立 する。<統治権>の主体があくまで「国家」そのものにあること を、自己の方法的立場である社会有機体論によって明快に説明し ている。


……吾人は斯る根拠なき紛々たる国家主権論者を排して国家人格実 在論の上に国家主権を唱ふる者なり。

 吾人は社会主義によりて下の如く主張す - 国家の分子たる天 皇と国民とに国家の権利たる統治権が存するに非らず。分子の消滅 と共に更新する所の者は政権者にして統治権の主体にあらず。国家 の分子たる天皇が統治権の行使によりて得べき利益の帰属する主体 にあらず、又国民が国民を終局目的として統治権を行使する権利の 主体にあらず。近代国家に於ては国家の生存進化の目的と其れに応 ずる利益の帰属すべき権利の主体たることを認め、最高機関を特権 ある一分子或は平等の多くの分子或は特権ある一分子と平等の多く の分子とによりて組織し、其機関が権利の主体たらずして国家の目 的と利益との為めに国家の統治権を行使するなり。而して国家と云 ふ歴史的継続を有する人類社会は法理上消滅する者にあらず。分子 は更新すと雖も国家其者は更新する者にあらず。即ち国家が統治権 の主体たり。


 このような<国家主権>論の立場から、「近代の公民国家」に おける「君主及び国民」と「国家」との「権利義務」関係は、 まず一般論として、次のように論じられている。


……近代の公民国家に於ては如何なる君主専制国と雖も又直接立法 を有するほどの民主国と雖も、其の君主及び国民は決して主権の本 体に非らず、主権の本体は国家にして国家の独立自存の目的の為め に国家の主権を或は君主或は国民が行使するなり。従て君主及び国 民の権利義務は階級国家(近代以前とりわけ「中世の」……滝村) に於けるが如く直接の契約的対立にあらずして国家に対する権利 義務なり。

 果して然らば権利義務の帰属する主体として国家が法律上の人格 なることは当然の帰納なるべく、此の人格の生存進化の目的の為め に君主と国民とが国家の機関たることは亦当然の論理的演繹なり。

……中世の契約説時代の憲法は、君主と貴族、或は国民との条約的 性質を有したるも、今日の憲法は決して契約に非ずして君主と国民 とは憲法の訂結を以て権利義務の関係に於て相対立する二個の階級 にあらず。君主の行動の制限さるゝは国民の権利の前に自家を抑制 せざるべからざる義務の為めにあらずして、国民の義務を負担せし めらるゝは君主の要求の下に君主の権利を充さんが為めにあらず。 即ち、国民の負担する義務は国家の要求する権利にして君主の主張 する権利は国家の負担する義務なり。


 次に北は、上記のような近代の「君主及び国民」と「国家」 との「権利義務」関係一般を、「日本天皇と日本国民」と「大日本 帝国」との「権利義務」関係の問題に、そのまま適用する。


 日本国民と日本天皇とは権利義務の条約を以て対立する二つの階級 にあらず、其の権利義務は此の二つの階級が其の条約によりて直接に 負担し要求し得る権利義務に非らず。約言すれば日本天皇と日本国民 との有する権利義務は各自直接に対立する権利義務にあらずして大日 本帝国に対する権利義務なり。

 例せば日本国民が天皇の政権を無視す可からざる義務あるは天皇の 直接に国民に要求し得べき権利にあらずして、要求の権利は国家が有 し国民は国家の前に義務を負ふなり。

 日本天皇が議会の意志を外にして法律命令を発する能はざる義務あ るは国民の直接に要求し得べき権利あるが為めにあらず、要求の権利 ある者は国家にして天皇は国家より義務を負ふなり。

 今日の天皇は国家を所有して国家の外に立つ天皇に非ず、美濃部 博士が広義の国民中に包含せるが如く、日本国と云ふ有機体の空間 を隔てたる分子の人類として、即ち日本帝国の一員として特権を有 する政権者と云ふ意味の天皇なり。此の特権ある一分子と他の分子 とは決して契約的対立に非ず、故に他の凡ての権利義務が直接に要 求し負担する者に非ざる如く、信仰の自由につきて臣民の義務に 背かざる限りに於てはと云ふ前置きの義務も、決して国家の分子が 他の等しき分子たる特権者に対して負へるに非らす。即ち臣民たる 義務に背かざる限りに於てはと云ふことは、国家に対する義務の一 たる兵役を拒絶するクエーカー宗の如き宗教の除外を示す者なり。


 この北の国家論は、憲法を国家が国民に与える規制と考え、しかも 象徴天皇制を前提とする昨今の改憲論者にとって、相当に有効な理論 的武器を提供するのではないか。さらに、自然成長的通俗的な国家論 に捉われている一般民衆に対しても、今日でも相当な説得力を持って いると思われる。

 滝村さんは、この北の理論について、次のように学問的な危惧を 述べている。

『右の如く実体的には「天皇」と「国民」によって構成される 「国家」が「権利義務の帰属する主体として」「天皇」および 「国民」つまりは「社会」から独立した「法律上の人格」を有す る、という<国家主権>論を主張することは、北が原理的=方法 的に一貫して把持しているはずの<社会-即-国家>観における 実体論的一面性を実質的には補正・克服してしるのてはないかとし て、それを高く評価する者がでてくるかもしれない。』

 そして、それゆえに『簡単にても評註を加えておく必 要があろう』と論を進めている。次回はその北国家論に対する 滝村批判を検討する。


今日の話題

「凡庸な悪」について(1)

 大澤真幸(社会学者)さんの論壇時評(1月31日付東京新聞夕刊)に、 日ごろ考えていたことと共鳴する一節があった。まず、書き出しの 一文。


 現在の国際政治における困難を、あえて宗教的な語を用いて要約す るならば、「最後の審判の視点の不在」となろう。「私の今の言動が 正しいかどうかはわからない。しかし、歴史の最後の日の神の裁きが、 それが正義にかなっていたか否かを教えてくれるに違いない」。これ が、最後の審判という想定である。

 だが、われわれが今日失っているのは、この感覚つまり仮に目下の ところははっきりしていなくても、われわれの行為の規範的な価値 を正しく評価してくれる公正な視点がどこかにあるはずだという感 覚である。「正義」を呼ぶ声が論壇の世界に響くのは、「最後の審 判」を失ったことへの不安の表現にも思える。


 この問いかけは、もちろん、「現在の国際政治における困難」にとどまらない。一般的な 倫理の問題として今日的問題であり、私はそのように読んだ。そのように 読んできて、次の最後の結語に強く共鳴した。


 しかし、これは、倫理にとってほんとうに不利な状況なのだろう か。神の不在や正義の内容の不確定は倫理の崩壊を意味している と、普通は考えられている。ドストエフスキーが述べたように (「もし神がいないのであれば、すべてが許されてしまう」)。 しかし、精神分析学者ラカンは、この同じ条件が究極の倫理的な 価値をももちうると示唆している。このことは、義務の履行が 「言い訳」として機能する場合があることを考えると理解できる。

 普通、人は、義務を遂行できないときに言い訳をするが、逆に、 義務の遂行そのものが言い訳になる場合もある。アレントが 「凡庸な悪」と呼んだアイヒマンのケースがそうだ。アイヒマンは、 職位上の義務だったから、つまり命令があったからユダヤ人虐殺を 指揮しただけだ、と主張した。多くの日本兵も、同じ理由で虐殺を 行ったことだろう。

 このように、「正義」や「義務」を与える超越的な他者(神、指 導者等)がいるとき、人は、責任をその他者に転嫁できる。

 だが、もしそのような他者がいなければ、人は、自らの行為の責任 を自らで全面的に引き受けなくてはならない。そうだとすれば、 「最後の審判の視点」を失ったわれわれの時代は、倫理を根底から 復活させるためのチャンスを有するのではないか。


 「凡庸な悪」は戦時のような極限でだけ生まれるわけではない。

 私はここで、学校現場で「日の丸・君が代の強制」を直接指揮して いる学校長(特に都立高校の)に思いを馳せる。彼らが上意下達をし ているのは「日の丸・君が代の強制」だけではない。教育の自由を 圧殺し学校教育の全てを支配しようとして都教委だが次々と押し付け てくるあらゆる施策を、彼等はそのまま上意下達している。あるいは もしかして、都教委からの命令にいくらかは抵抗したり、それの骨抜 きを試みたりしている校長もいるのかもしれないが、私の耳目には 入ってこない。少なくとも降格を賭けるほどの校長は皆無だろう。もっとも 現在ではその程度の権力迎合教員しか校長になろうとはしない。
 当然といおうか、気の毒といおうか、ときに彼らはアイヒマンとか ロボットとか罵倒されている。

 「凡庸な悪」は都教委と一般教員との板ばさみになっている校長に だけにあるわけでもない。校長が下達する不条理に抵抗できない教員 もそれを共有している。

 「凡庸な悪」には、悪辣な都の教育行政に圧迫されている教員だけ が直面しているわけでもない。

 「職位上の義務」だけでなく「一般的な義務」にまで「義務」を 敷衍したとき、義務の履行を「言い訳」とする「凡庸な悪」は私 (たち)も日常的に共有している「悪」ではないか。私は自らの人 生を省みて内心忸怩たる思いを禁じえない。
第724回 2007/02/06(火)

《滝村国家論より》:国家社会主義(8)
北一輝・土着の革命思想(1)


 北一輝が代表する日本ファシズムの一典型を吉本さんは「農本ファ シズム」と名づけた。この場合の「ファシズム」はどちらかというと 「国家社会主義」という意味合いが強い。しかしもちろん、北は単なる 西洋直輸入の社会主義者でもないし、単純浅薄なファシストでのない。 桶谷秀昭さんは北を『孤立した土着の革命思想家として、日本ナシ ョナリズムの命運に殉じた』思想家と捉えている。

 ここで教科書として、『「天皇制」論集』(三一書房)所収の滝村隆一 「日本国家論」を追加する。

 この論文は、北一輝『国体論及び純正社会主義』中の核心をなす 第四編の公認「国体論」への批判を取り上げている。そのモチーフを 滝村さんは『後の「改造法案」に結晶される日本革命論の理論的前提 ともいうべき北の日本国家論を、あくまで彼自身が確立した原理的= 方法的基礎との関連において再構成することにした。』と述べている。 以下、この論文を中心に北一輝の思想を概観していく。

まず前回で検討したように公認「国体論」=「制度イデオロギー」 の核心は<天皇=現人神>観と<天皇-即-国家>観の2点に集約され る。

 一方、北が確立した原理的=方法的基礎とは進化論に依拠したもの であり、科学的発想と全てを疑う合理的精神をその根幹としている。 従って、「神」を認めることができないのはもちろん、<天皇-即 -国家>という国家観も全く首肯できるものではなかった。北に とっては「国家」とは実体的なもの、つまり「社会」そのものでな ければならない。

 また、北が方法的に一貫して援用してきた生物・社会進化論の有機 体発想は、対象を<有機体>と<器官>、<全体>と<部分>という 実体論的関連において把握するものある。北が、天皇とは国家社会 を国民とともに構成する一分子にすぎない、と考えるのは必然であった。 滝村さんが引用している北の論述を並べてみる。


……天皇と云ふ国家の部分が国家全部の利益と目的との為めに意志すと 云ふことを以て部分と全部とを同一なりと云ふ能はざるは、恰も共和 政体の国に於て議会と云ふ国家の部分が同時に共和国の全部ならざる が如し。

……博士(穂積八束のこと……滝村)の如く、国家主権論の国家観た る国家とは主権的に見れば統治権の主体なりとなし、従て其の主体た る天皇を恣に国家なりと命名するならば、日露戦争は国家の戦争にあ らずして天皇一人の戦争となり六万の死者を出したる者は万世一系の 天皇なりと論ぜざるべからず。

 吾人は固より国家有機体説を主張する者なり。……今日の天皇は 国家の特権ある一分子として国家の目的と利益との下に活動する国家 機関の一なり。


 北は、このように、<天皇>を「国家(社会)」という有機体の 象徴的な部分器官としてとらえた。つまり<天皇機関>説である。

 <天皇機関>説といえば、美濃部達吉しか思い浮かべることがで きなかった自らの不明をいま恥じている。ちなみに「ウイキペディア」から 『美濃部の天皇機関説のおおよその理論構成』を参考資料として 転載しておこう。滝村さんの論稿は、この後、北の天皇機関説を詳 述しているが、そこに美濃部博士もチョッとだけだが出てくる。


1. 国家は、一つの団体で法律上の人格を持つ。
2. 統治権は、法人たる国家に属する権利である。
3. 国家は機関によって行動し、日本の場合、その最高機関は天皇である。
4. 統治権を行う最高権限たる主権は、天皇に属する。
5. 最高機関の組織の異同によって政体の区別が生れる。

(衆議院憲法調査会・事務局作成資料「明治憲法と日本国憲法に関する基礎的資料」から引用参照)

第723回 2007/02/05(月)

《滝村国家論より》:国家社会主義(7)
大日本帝国を解剖する(2)


明治維新・経済社会的レヴェルでの変革
 近代的諸階級・階層の成立と発展という急激にして速成的な近代 社会の発展は、版籍奉還・廃藩置県・地租改正・秩禄処分等による 旧封建領主的支配体制の解体と併行的に進行した。維新政府は このような経済的発展の方向性に対応した強力な保護育成のための 社会・経済政策(銀行・鉄道・文教等)を断行していった。

 近代的国民国家は資本主義的生産様式を基盤とする市民社会の 成熟を歴史的な前提とする。しかし、明治維新によって速成的に 成立・発展してきた<近代社会>に基礎づけられた近代国家的活 動の構造的進展をもって、日本の<近代国家>の成立と即断すること はできない。

 なぜなら、一連の重要国家意志の実質的決定権は、藩閥中枢から 維新官僚へと転成した元勲・元老層が独占していた。つまりここで は、<共同体-内-第三権力>は、新たな形態で復古された天皇崇 拝観念というイデオロギーの下に強固に結集した元勲・元老層を頂 点とする特権的・専制的な一大政治的支配層であった。その政治的 支配層は、近代社会の成立にともなって飛躍的に発展する第三権力 の組織を、徹底的なイデオロギー教育を媒介とした拡大再生産に より、ますます特異な性格をもったものに強大化していった。近代 的社会の形成と発展にともなう諸階級・階層間の権力的諸関係とは 相対的に独立し、最後まで国家的支配の実質的中枢を強固に掌握し つづけた。

明治維新・政治的レヴェルでの変革
 帝国憲法体制の成立において完成された近代天皇制国家は、外見 的にはプロシャ流の立憲的専政君主制を模倣したものであったが、 政治形態としては近代的形態で復古されたアジア的デスポティズム、 つまりは近代的デスポティズムであった。

 まず天皇制国家のイデオロギー的基盤として、神道と儒教とを 独自に融合した思想を創出した。
 親への孝の道徳的必要になぞらえて、最高神の天照大神の直系子 孫である天皇への忠を国民の道義的必然とした。それは、政治的・ 国家的観念と宗教的・道徳的観念とを未分化に混交させた<アジア 的国教>であり、政治思想というより天皇教イデオロギーという 性格のもであった。

 つまりそれは、たんに国家の制度的構成に関わる制度イデオロ ギーとして具体化されるばかりでなく、国民一般が遵守すべき 国家道徳・国家宗教として押し出され、それと抵触・敵対する 政治的・宗教的思想イデオロギー一切を禁圧しながら、排他独 占的に君臨する性格を本来的にもっていたのである。 (「良心の自由」とは何か Ⅲを参照してください。)

 天皇は、天皇教イデオロギーにより<現人神>として神格化さ れるとともに、政治的主権としての統治大権を直接掌握するもの とされた。つまり天皇は、復古的に再興されたデスポットとして、 あらゆる国家意志の最高的ないし最終的裁可・決定権を掌握する とされたのである。この天皇教イデオロギーにより完成された 政治形態理論は「国体論」と呼ばれている。

 法律、勅令・勅命などどのようなの形態であれ、国家 意志はすべて<天皇の意志>とされた。この天皇親裁と いう建前の下で、次のような天皇直属の諸機関が形成されていった。

国家意志の形成・支配に関わる宮中・府中の中枢的諸機関
最高的政務にのみ関わる諮問・諮詢機関としての枢密院
一般的政務の立法に関わる協讃機関としての帝国議会
一般的政務の執行に関わる内閣諸省機関
軍政・軍令機関としての陸海軍省と参謀本部・海軍軍令部

 しかしこれら国家構成上の諸機関は、天皇直属機関であるがゆえに 相互併存的に分立した形でしか存立できなかった

以上のように近代天皇制国家=大日本帝国は、アジア的統治形態の イデオロギーに、プロシャ流立憲的専政君主制を模倣・採用した ことからくる必然性として、部分的には近代的諸制度を取り入れ つつも、全体的にはデスポティズムに固有の、公・私側近体制と しての性格をもった輔弼体制の形態をとらざるを得なかった。 つまり、大日本帝国は<近代的国民国家>ではなく、<例外的国 家>として分類されることになる。
第722回 2007/02/04(日)

《滝村国家論より》:国家社会主義(6)
大日本帝国を解剖する(1)


 大日本帝国下のファシズムはどのようなものだったのか。 農本ファシズムと社会ファシズムの代表的な思想として、それぞれ 北一輝と中野正剛を取り上げてみよう。

 言うまでもなく、どの思想家の思想形成もその時代的な制約の中 で営まれ、それゆえの限界をもつ。常にそのことに留意しながら扱 うことが肝要だ。ということで、まず大日本帝国とはどのような国 家だったのか。

 この問題については
第692回 12月27日:唯物史観と国家論の方法(14)伝統的政治観念の復古的再生(2)
で、次のように書いておいた。

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 さて、上述のような「唯物史観の方法的見地」は、「明治維新」 以後の「天皇制」の問題を解明する上でも必須の方法的理論的見地 であるだろう。「近代天皇制国家」を、滝村さんはおおよそ次のよう に把握している。


 (「天皇制と国家の理論」を構成するにあたっての)理論的主眼は、 近代天皇制国家を、アジア的デスポティズムとしての古代天皇制の 統治形態と国教が、近代社会的発展にもとづくより根本的かつ直接 的な要請に対応した、近代国家的活動(とくに社会・経済政策の 遂行)の一貫した組織的遂行を可能とすべく新たな合理的形態で 復古された、近代的デスポティズムとして把握する点にある。従って 帝国憲法は、復古されたアジア的統治形態理念としての天皇制イデ オロギーの根本精神から、主にプロシャ流近代立憲的専制国家と その制度的理念を、可能な限り大々的に採用したものであると把握 していた。

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 これを詳しく論じたものとして、「北一輝・吉野作造と近代天皇 制国家」という論稿を読んでみる。

 フランス第二帝政(ボナパルティズム)は国家権力(第三権力) が経済的支配階級をも自己の支配下に屈服させたという意味で 近代的国民国家としては<例外的国家>だった。(次の記事を 参照してください。)

第693回 12月28日:唯物史観と国家論の方法(15)「ブリュメール十八日」(1)

第694回 12月29日:唯物史観と国家論の方法(16)「ブリュメール十八日」(2)

第695回 12月30日:唯物史観と国家論の方法(17)ヨーロッパ革命の本質


 そのような意味で、明治維新によって生まれた大日本帝国は <例外的>事例である。すなわち、第二帝政の「ボナパルティズ ム」に該当する統治形態として、アジア的統治形態である「デス ポティズム」に近代的装いを施した「近代的デスポティズム」を 統治形態の理念とした。

しかし、この天皇制国家の近代的デスポティズムの特質は、天皇親 裁を建前としていたにもかかわらず、実質的には名目的デスポティ ズムとして構成される他なかった点にある。

 天皇制国家が名目的デスポティズムとして構成されざるを得な かった根因は、明治維新を牽引した倒幕勢力が伝統的な宗教的 権威としての天皇を、もっぱら徳川幕藩体制に対する大義名分 として奉戴したという点に求められる。太政官政府の樹立以降の 経済社会の急速な近代的発展により、近代的国家活動に対応すべ き政治制度の創出が必須となったとき、デスポティズムの政治 的復古が必然的であった。しかし、その天皇制国家として創出さ れた国家における重要政務の実質的決定権(第三権力)は西南 雄藩出身の元老・重臣層によって掌握されていた。 元老・重臣層は、主に宮中・府中また枢密院に根拠をおきつつ、 ときには自ら内閣首脳をも務めながら、名目的デスポティズム故に生じ る諸分属機関間の利害や要求の対立・抗争を調整・仲裁・抑止に 一致協力して努め、天皇制国家としての一元的統一の分解を防禦して いった。

 次回は、この経緯を、<社会・経済的>観点と<政治的・イデオ ロギー的>観点との2点から、少し具体的に検討する。
第721回 2007/02/01(木)

《滝村国家論より》:国家社会主義(5)
国家社会主義を克服する道


 これまで見てきたように、官許マルクス主義は、その国家論の 欠陥ゆえに、理論的に国家社会主義を克服することが絶対にでき ない。

 では「マルクスその人の根本精神と方法」を忠実に継承発展させて いるという意味での厳密なマルクス主義(仮に「本来的マルクス主義」 と呼ぶ。)からは国家社会主義を克服できるのだろうか。

 これもこれなまでの見てきたように、官許マルクス主義が、 実際にはなし得なかったとしても、理論的には<共同体-内-国家> の棄揚ということを主張していたが、そこで足踏みしたままだった。 それに対して、本来的マルクス主義は<共同体-即-国家>の棄揚ま でを視野に入れることになる。それが国家社会主義を克服する理論的 支柱となる。


 しかしこのはっきりしたことが、今まで誰のロからもいわれていな いんです。それでいて、<国家社会主義>に対するばかげたアレル ギーというものは、ずっとあるんです。しかし重要なことは、今ま での〝マルクス主義″の水準では、<国家社会主義>を絶対理論的に 克服できないということです。

 しかし、戦後の日本右翼には戦前のそれに比して優れた人が出てい ませんから、<国家社会主義>といってもこれまで非常にレヴェルが 低いところでもって再構成されているわけですけれども、例えばこれ が権藤成卿・北一輝であるとか、特に権藤成卿の国家観というものが、 正確に再構成されて〝マルクス主義者″に突きつけられた場合、これ はもう全くどうしようもない、いわゆる〝マルクス主義″は雪崩を うって崩壊するんではないか、これは人数的な問題ではなく、思想的 な、最も最良の部分において崩壊する、それは、実質的な崩壊といっ てよい。ただそういう卓越した<国家社会主義者>というものは、幸 か不幸か、戦後出ていないわけです。出てない、つまりこれは、ダ メな〝右翼″と同じくダメな〝マルクス主義者″というものとが、 見事に対応しているということだと思います。


 官許マルクス主義は<共同体-内-国家>の棄揚の具体的な構造論を 提出できずに、〝国家の死滅″をお題目として唱えることに始終して しまった。このことは<共同体-即-国家>の棄揚の場合にも危惧され ることだ。

 <共同体-即-国家>の棄揚(「世界革命」といってもよいだろう。) も、その過程的構造を解明・提出し得なければ、「世界革命」を お題目として唱えるだけであり、全く意味がない。

 周知のようにわが国でいえば〝新左翼″の場合には、単純な〝世 界資本主義論″に立脚した・いわば連鎖反応的な〝世界革命″論が 支配的であり、他方〝正統マルクス主義者″つまり〝一国社会主義 者″の場合にも、〝一国社会主義革命″の漸次的な積み重ねという ものが、そのまま自動的に〝世界革命″につながるというような、 一種の待機主義的世界革命論があって、<世界革命>という言葉で 語られる<理念>の内容には違いがありますが、みな一様に〝世界 革命″をいうわけです。

 しかしながら、国家社会主義者が傲然と居直った<共同体-即-国 家>というものは、今まで<死滅>したことは一度もない、<原始社 会>以来一度もないんですよ。これを一体<死滅>させることができ るのかという、大きな、最も根本的な疑問に答えることなくして、 <世界革命>という言葉は、やはり使うべきでない。使うとすれば、 少なくともそういう問題意識をもって、非常に地味な、理論的・学問 的な研鑽ということを積み重ねていかなければならない。そうでなけ れば、雪崩をうった思想的な崩壊ということは眼にみえているという ことなのです。


 『<共同体-即-国家>というものは、今まで<死滅>したこと は一度もない、<原始社会>以来一度もない』という認識は、柄谷 さんが「世界共和国へ」の中で「国家をその内部だけで考える見方」 の弊害を繰り返し述べていたことと重なる。そして、柄谷さんの 「世界革命」が「世界共和国へ」だったということになる。

 滝村さんはここではまだ「<共同体-即-国家>の棄揚の過程 的構造」を提出していない。「非常に地味な、理論的・学問的な研鑽と いうことを積み重ねていかなければならない。」という言葉は、誰に対 してよりもまず、ご自身に向けて発せられたものだろう。

 私の手元にある滝村さんの著述は全て20~30年以上も前のものだ。 その後の滝村さんの理論的発展を知る機会を、怠惰な私(あるいは 仕事のためと言い訳もしておこう。)は持とうとしなかった。でき たら挽回したいと思っている。