FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第695回 2006/12/30(土)

唯物史観と国家論の方法(17)
ヨーロッパ革命の本質


 以上みてきたように、スペインあるいはフランスのブルジョアジーはその 政治的未成熟ゆえに軍事的専制権力に敗北していった。マルクスはこのことをスペインあるいは フランスの特殊性として済ますのではなく、階級的権力闘争の必然的帰結という唯物史 観の一般的な歴史的論理からとらえている。

 それは1848年のフランス革命から始まる10年間の西ヨーロッパ世界において、とくに フランスのボナパルト、ドイツのビスマルクの登場にその典型が見出される。それは、1854年 以来のスペイン第四次革命においても現出した。

   このような「都市ブルジョア革命」の失敗を、マルクスは一般的な歴史論理的見地から 把握した。そのマルクスによる歴史的概観を引用しながら、滝村さんは次のように まとめている。


『一方には、近代的商工業があり、その本来の首領たち、中間階級は、軍事的専制政治を 嫌っている。他方では、彼らがまさにこの専制政治にたいする戦いを開始すると、近代的 労働組織の産物である労働者がみずから割り込んできて、勝利の成果にたいする彼らの 正当な分けまえを要求する。このように自分たちの意に反して押しつけられる同盟の諸結 果に恐れをなして、中間階級は、恐ろしい専制主義の砲列の保謹下へまたもやひっこむの である。これこそ、ヨーロッパの常備軍の秘密であり、そうでなければ常備軍なるものは 将来の歴史家にとって不可解なものとなろう。ヨーロヅパの中間階級は、このようにして 彼らの嫌う政治的権力に降服し、近代的商工業の諸利点と、それに基礎をおく社会関係と を放棄するか、それとも、社会の生産諸力の近代的組織がその初期の段階においてもっぱ ら一階級にだけ付与してきた特権を捨てるか、そのいずれかを選ばなければならないこと を、悟らされている。スベインからさえこうした教訓をあたえられるとは、瞠目すべきで あると同時に、思いがけないことであった。』

 明らかな如くマルクスは、経済的・社会的にはすでに主要かつ支配的な階級権力として 登場している商工中間階級(ブルジョアジー)が、政治的な階級権力としては、その本来 的な敵手たるプロレタリアートが恰も自己の影の如くにすでに見え隠れしている事情も あって、いぜん旧貴族階級の掌中にある統治権力やその近代社会全体に対する反動的な いし復古的再編成としての性格をもち軍事的専制権力に屈服せざるをえなかったとするの である。

 なお、かかる西ヨーロッパ世界を歴史的舞台として打ち立てられた、マルクスの<近代 国家-市民社会>形成に関わる一般的な歴史論理的解明は、その二年後の1858年11月、 エンゲルスの手になる小文「1858年におけるヨーロッパ」においても、そのまま継 承・踏襲されている。因みに曰く、

『1848年の噴火が、驚愕した自由主義的中間階級の眼前に、政治的・社会的解放のために たたかう武装した労働者階級という巨大な妖怪を突如として出現させたとき、直接的な政 治権力よりも自分たちの資本の安全な所有をはるかに重要と考える中間階級は、この権力 と、かつて自分たちがそのためにたたかったすべての自由とを、プロレタリア革命の鎮圧 を確保するために犠牲に供したのであった。中間階級は、自分は政治的未成年者で、国事 の運営には不向きであると宣言して、軍事的・官僚的専政に黙従した。』

(中略)

 さればこそマルクスは、「1812年憲法」において現出したかかる古制・旧制また古法典 の復古的援用を、一方では確かに<古法典の復製>と指摘しつつも、他方ではそれが、 現実的に形成・発展しつつある近代的市民社会の歴史的方向性に大きく規定されて、それ に上から実践的に対応すべく適応させられるという形態をとって必然化された、とする唯 物史観による方法的把握を附加しているわけである。因みに曰く、

『1812年憲法は、古法典の複製であるが、フランス革命の精神で読まれ、近代社会の要求 に適応させられたものであるというのが真実である』と。

何というすばらしい章句であろうか!


(「唯物史観と国家論の方法」を終わります。)
スポンサーサイト