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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第692回 2006/12/27(水)

唯物史観と国家論の方法(14)
伝統的政治観念の復古的再生(2)


 このスペイン革命における「伝統的政治観念の復古的再生」を、滝村さんは「マルクス の唯物史観の方法的見地」から次のように解説している。


 新しい統治形態の確定に対する伝統的な法制(古制・旧制)またそれにまつわる古法 典や各種観念・思想・イデオロギーの直接的規定性の問題は、社会の生きた発展如何、 何よりも生産諸力の発展段階によって大きく規定された諸階級・階層的権力の社会的存 立条件が必然化せしめる、その現実的また観念的・政治的利害の上での敵対的矛盾に 立脚した諸階級・階層間の闘争の発展如何、とくにときどきの第三権力を直接巻き込 んだ政治的支配権をめぐっての政治闘争の発展形態如何との、大きな媒介的関連におい てのみ把握できる。

 すなわちかかる諸階級権力間の政治闘争の規模と徹底性の如何、とりもなおさず 支配階級・被支配階級それぞれにおける政治的権力構成の如何と、とくに被支配階級 の側におけるそれを直接規定する政治思想的・イデオロギー的自己変革の徹底性の如 何〔補註〕が、結局のところ、第三権力に結集した支配階級全体の政治的権力の伝統 的主導性の存立・興廃と、それに直接まつわる古制・旧制また各種政治・法制的観念・ 思想の復古的再生・伝統的継承か、それらすべての一挙的改廃かの如何を、大きく 決定するといってよい。


 ここの〔補註〕は、現在この国において進行中の被支配階級の際限のない政治的 な後退が一体何処に起因するのかを見極めるうえで、たいへん参考になる。これも全文 掲載する。


 ここでとくに被支配階級の側といった理由について一言しておきたい。

 支配階級内部における諸階層・諸分派は、日頃被支配階級からの各種収奪物の分配 如何をめぐってときに血みどろの抗争をくり返しているが、革命的危機に際しては、 彼らの被支配階級全体に対する共同支配体制それ自体の崩壊への危機意識と恐怖感から、 日頃の抗争を一時棚上げにして、即座に政治的権力として参集・同盟・結集する。 すなわち現実的な経済的利害に立脚した直接の政治的権力としての結集・構成という 点で、被支配階級のそれに比すれば、はるかに容易かつスムーズしかも強力に進展する。

 これにひきかえ被支配階級の諸層の場合には、生産様式の如何に、根本的な基礎をもつ 政治的・社会的抑圧体制全体を、根本的に転覆しなければ現実的に解放されないにもかか わらず、直接には、それぞれ相異なる社会的存立条件が規定する現実的利害から、階級 闘争に足を踏み出す他ないからである。従って、その政治的権 力構成の成否は、 思想的・イデオロギー的自己変革の如何と表裏をなした、ラディカルな政治的階級意識 の獲得にもとづく、統一的な政治的理念を樹立できるか否かに大きく左右される。


 私(たち)がこのホームページですすめてきている国家や市民社会についての原理的理論的把握が 「思想的・イデオロギー的自己変革」のための極めて重要な一試行であることは 言うまでもない。

 さて、上述のような「唯物史観の方法的見地」は、「明治維新」以後の「天皇制」の問題を 解明する上でも必須の方法的理論的見地であるだろう。「近代天皇制国家」を、 滝村さんはおおよそ次のように把握している。


 (「天皇制と国家の理論」を構成するにあたっての)理論的主眼は、近代天皇制国家を、アジア的デスポティズムとしての古代天皇制の統治形態と国教が、 近代社会的発展にもとづくより根本的かつ直接的な要請に対応した、近代国家的活動 (とくに社会・経済政策の遂行)の一貫した組織的遂行を可能とすべく新たな合理的 形態で復古された、近代的デスポティズムとして把握する点にある。従って帝国憲 法は、復古されたアジア的統治形態理念としての天皇制イデオロギーの根本精神から、 主にプロシャ流近代立憲的専制国家とその制度的理念を、可能な限り大々的に採用した ものであると把握していた。
 『アジア的国家と革命』には、いま読んでいる論稿の次に、「北一輝・吉野作造と 近代天皇制国家」という論稿が続いている。機会があったら、これも取り上げてみたい。



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