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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第688回 2006/12/22(金)

唯物史観と国家論の方法(10)
スペイン革命における軍隊


 スペイン革命が結局は反革命に帰着していった大きな要因に、<軍隊>への依存という 陥穽があった。


 <国民大衆>一般から切り離された革命的都市住民、政治理念的には自由主義的ブルジ ョア諸層は、前者から見殺しにされればされる分だけ<軍隊>へ、すなわち軍の専制的支 配者(将軍)へ依拠せざるをえなくなる。これによって、元来<国民大衆>一般から遊離 していた軍隊の直接の独立性のうえに、さらに政治的主導性が客観的に附与されることに なり、その強大な政治的権力はますます強化されていく。

 しかも、かかる革命の軍事的専制の傾向は、「都市ブルジョア革命」の敗北による反革 命的旋回に伴なって、一層拍車をかけられる。因みにマルクスは、かかる傾向の必然性 を、例えば第二次革命に即して、こう解析している。

「このようにして国民大衆から切り離された革命的な都市の住民は、それゆえ、大公、 農村の聖職者、修道院権力、およびこれら社会の古くさくなった要素すべてを代表して いた王冠と闘争するにあたって、まったく軍とその指揮官たちにたよる以外になかった のである。このようにして軍が横奪した革命陣営内での立場そのものは、軍が大衆から 遊離していたこととあいまって、軍を、それを利用する人たちにとっては危険な道具、 それが撃つべき敵にたいしては危害のない道具たらしめたのである」

 そして別の小文「スペインの革命 - ギリシアとトルコ」では、一九世紀初頭以 来の一連のスペイン革命運動が、きまって右の如き直接の軍事的性格、すなわち軍部的 革命としての性格を全的に附与されて登場する他なかった原因を、実に的確に概括して いる。

「今〔一九〕世紀初頭以来のスペインの革命運動は、北部諸州を周期的に騒がせた州や 地方の特権擁護の運動を除けば、目立って似かよった様相を示している。宮廷の陰謀は すべて軍の反乱をともない、これはきまって都市のプロヌンシャミエント【革命宣言…… 註〕をひきおこしたのである。この現象には、二つの原因がある。
 第一にわれわれの知るとおり、近代的な意味で国家と呼ばれているものには、国民の 生活がまったく州別になっているために、軍隊というかたち以外に宮廷に反対して国民 を体現するものが存在しないのである。
 第二に、スペインの特殊事情と半島戦争は、スペイン民族の活力のすべてが軍隊にし か集中できない諸条件をつくりだしたのである。それで、二度しかなかった国民的な示 威運動(1912年と1822年との)は、ともに軍に端を発したのである。また、それで、国民 の活動的部分に、軍をあらゆる国民的決起の当然の道具とみなす習慣がつけられてきて いるのである。しかし、1830年から1854年までの困難な時期に、スペインの諸都市は、 軍が、国民の大業に服務しつづけるどころか、宮廷の軍事的後見をねらう野心家どもの 競争の道具に変えられたことを知るようになった」

 かくてマルクスは、後年の小文「スペインにおける革命」で、以上の歴史論的解明の すべてをふまえて、一連のスペイン革命における軍部的革命としての性格を必然たらし めた諸要因の統一的解析として、次の如き総括的見地を提示するに到る。

「なぜ軍隊がスペインの諸革命であのように顕著な役割を果たしたかという理由は、ほん の二、三のことばで語ることができる。
 軍制区制という古い制度、それは管区司令官たちをそれぞれの州のパシャとした。
 フランスにたいする独立戦争、それは軍隊を国家防衛の主要な道具としただけでなく、 スペインにおける最初の革命的組織、革命的行動の中心とした。
 1814-1819年の諸陰謀、それらはすべて軍隊に源を発した。
 1833-1840年の王朝戦争、そこでは双方ともに軍隊が決定的要因となっていた。  自由主義的ブルジョアジーの孤立、それは彼らに田舎の聖職者と農民とにたいして軍隊 の銃剣を使用せざるをえないようにした。自由主義者が農民にたいして銃剣を使ったのと 同じように、クリスティナとその宮廷党とは自由主義者にたいして銃剣を使用せざるをえ なかった。
 これらすべての前例から生じた伝統。
 以上が、スペインにおける革命に軍部革命の性格を、そして軍隊にプレトリアン的性 格(皇帝直属の親衛兵のこと……註)をおびさせた原因であった。
 1854年まで、革命はつねに軍隊に始まっており、そのときまでは、革命のさまざまな 現われには、それらを始めた軍人たちの階級の差異以外に、どのような差異のしるしも 表面に見られなかった。1954年においてさえも、最初の刺激は依然軍隊から出たのであった 」

 かかる歴史的論究をふまえるならば、第一次革命の反革命的結末が、すでに地方的小 デスボットとしての政治的・軍事的実力を確立していた、エリオ将軍をはじめとする 軍事的指揮者による、前国王カルロス四世の太子フェルナンド(七世)の国王としての 奉戴・承認として現われたこと。また、これを基礎とした1813年の総選挙での旧支配階 級・保守派の勝利によって、軍事的専制君主・フェルナンド七世による<アジア的デス ポティズム>の復古的再生と、次章でとりあげる「1812年憲法」の廃棄、革命的な政治 指導者の根こそぎ的一掃が断行されるに到った必然性も明らかとなろう。

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