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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第687回 2006/12/21(木)

唯物史観と国家論の方法(9)
革命と反革命のアジア的形態(2)



 かかる革命的政治権力形成の圧倒的立ち遅れを裏返していえば、支配階級の総体的強靭 さであり、さらにそれを可能としたアジア的構造の頑強さを意味している。実際、支配階 級にとって、国民を各地方的統治権力(小デスポッ卜)傘下の農村共同体に相互的連絡を 欠如させて分断・閉塞せしめ、それによって彼らを古い伝統的な地方的利害と偏見・精 神・信仰にしばりつけておくためには、アジア的構造程、恰好の道具は他にあるまい。

 しかし「革命的少数派」が、「古い民衆信仰の国民的偏見」を、一掃・克服するための 思想的・イデオロギー的闘争と大衆教育を放棄したとなれば、新しい<中央的-地方的> 統治機構の中枢に、それまで冷飯を喰わされていた旧支配階級内部の人々が、他ならぬ人 民自身によって選出されるという形態をとって登場・進出したり、従来のオリエント風の 儀礼が新たな中央官制の一環として採用・継承されたり、「王室会議」の如き旧国家機構 の名目的最高機関が、形式上「中央会議」と対峙する最高中央官制として復古的に継承さ れても、一向に不思議ではない。むしろ不可避的でさえあったろう。因みにマルクスは、 これらの点についても、実に周到な報告と観察を提示している。実にすばらしい記述でも あるので、そのいちいちを紹介しておきたい。


 「会議(「州会議」のこと……註)は普通選挙によって選ばれた。しかし、『下層階級 の熱意そのものは、服従というかたちで発現した』。彼らは、ふつう彼らより生まれつき 身分の上の者たち、すなわち聖職者とごくわずかな中間階級の名士がそのあとにつづいて いる、州の貴族と準貴族だけを選んだ。人民は、侵入者にたいする抵抗の指導に参加しよ うとせず、むりやり上流階級をその抵抗に引きいれるということにだけ彼らの創意をかた むけた。それほど、彼らは自分たち自身の弱さを知っていたのである。……こうして、 会議は、従前の地位のために選出された、革命的指導者とはおよそかけはなれた人々で、 いっぱいになった。
 他方、人民は、これら官庁機関を任命するとき、その権限を制限することも、その任期 を一定にすることも考えなかった。」

 「これらの州会議…‥は、このたびは、革命で頭角を現わした者のかわりに、スペイン の大公、高僧、カスティリャの称号保持者、元大臣、文武の高官を『中央』会議に送った。 スペイン革命は、その手はじめにおいて、適法でありりっぱな身分でありつづけようと努 力したことによって、失敗したのである。」


 「これらの会議(「州会議」のこと……註)がそれぞれに発した人民への呼びかけは、 長い昏睡状態から突如としてゆり起こされて電撃によって熱病的活動状態に高められた 一国民の英雄的な勇気をあますところなく示しているが、同時に、シスモンディをして スペイン文学に東洋的(オリエンタル)という形容詞をつけさせたような、あの仰々しい 大言壮語、あの道化と高言とのまざりあった文体やあの大げさな誇張につきまとわれてい た。それらは、また、スペイン気質の子供じみた虚栄心をも見せていた。たとえは、会議 の議員は殿下という称号を用い、きらびやかな制服をまとっていたのである。」

 「因襲的な名望と真の偉大さとを混同し、いつも自分の肩書をだらだらと数えたてて 名乗りでる、カルデロンの戯曲にでてくる傲慢な主人公たちと同じように、会議 (「中央会読」のこと……註)はまず第一に、彼らの高くなった地位にふさわしい名誉と 勲章を法令で定める仕事にとりかかった。彼らの議長は『殿下』、他の議員は『閣下』 という尊称を受け、会議総体には『陛下』という敬称が定められた。議員たちは、将軍の 制服に似た滑稽な制服を採用し、胸に二つの世界(新旧両世界)をあらわす徽章をかざ り、お手盛りで一二万レアルの年俸を可決した。」


 「有害なスペインの官僚位階制度の頂点には、カスティリャの王室会議があった。 それは、ドン・ファン家とエンリケ家との騒乱時代に出現し、フェリぺ二世により宗教 裁判所のすぐれた補足物と認められて強化されたが、災厄の多かったその時勢とその 後無力な国王がつづいたことによって力を増し、まったく不相応な権限を強奪して手中に 集め、最高法廷としてそれがもつ諸権能に、スペイン全王国の立法者および行政長官の 諸機能をつけくわえるにいたった。
……そのためそれは、革命にとってはけっして妥協 できない、革命のほうがそれによって一掃される羽目にならぬよう革命の側が一掃しな ければならない権力であった。
……しかし中央会議は、その結成の日にまことにばかなことをした。それは、王室会議 に成立を通告し、それにたいする王室会議の忠誠宣誓を要求し、さらにそれを受け取った あとで同じ形式の宣誓を王国内の他の政治機関すべてに発送するであろうと通告したので あった。
……中央会議は、その最初の大失策にもあきたらず、合同会議 ― 王室会議と、昔 あった王直属の諸参議会のその他の残骸一切とを合同させたもの ― を創設して王 室会議を復活させるほど暗愚であった。こうして中央会議は、反革命のためにみずから すすんで一つの中央権力を創設した。」

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