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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第668回 2006/11/26(日)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(19)
絶対主義国家の誕生


 今回から「第Ⅲ部 世界経済」の「1章 国家」を読みます。

 その前に第Ⅲ部の構成を確認しておく。第Ⅲ部は

1章 国家
2章 産業資本主義
3章 ネーション
4章 アソシエーショニズム

という構成になっている。つまり、<図5>の四区分を(B)(C)(A)(D)の順序 で論じている。このうち、「国家」についての論述にはやはり少なからず不満があるので、 適時「滝村国家論」で補足する。

 さて、世界帝国から世界経済へと世界の世紀的経済的形態が変転し成立したのは 15・16世紀であった。つまり、15世紀にバルト海地域と地中海地域の国際的経済が連結さ れたときに、さらに、16世紀にヨーロッパとアメリカ、アジアをつなぐ「大航海」時代が 始まったときに成立した。

 それは西ヨーロッパにおける絶対主義国家の誕生と軌を一にする。絶対主義国家の誕生 について、柄谷さんは次のように述べている。

西ヨーロッパと商品交換
 世界帝国では商業や交易が発展したのですが、それは帝国によって管理され独占 されたものです。そこでは、商品交換の原理は他の交換様式を上回ることができない。 だから、商品交換の原理が他の交換様式に優越するような事態は、帝国が一元的な集 権性をもたないような地域、つまり、封建的であった西ヨーロッパにだけおこったの です。そこでは、東ヨーロッパやイスラーム園と違って、教会と帝国の二元性が残った。 さらに、帝国の中では、王と封建諸侯が乱立していた。それらの対立を利用して、 自由都市が成立したのです。つまり、都市も小さな国家として、王や封建諸侯に並 び立つものでした。

絶対主義の条件
 このような状態は、東ローマ帝国(ビザンツ)をふくむ集権的な国家(帝国)から 見れば、まだ国家とはいえないようなものです。西ヨーロッパにおいて集権的な国家 がはじまるのは、絶対主義王権国家によってです。それは、王が、これまで王と並び 立っていた多数の封建諸侯を制圧し、また教会の支配権を奪うことによって成立しま す。

 このことが可能だったのは、つぎの理由からです。一つには破壊力をもった火器の 発明です。火器は旧来の戦力を無効にし、貴族=戦士の身分を無意味にしてしまった。 このことは、国家が暴力の独占に存するという意味で、重要です。

 もう一つは、商品経済の浸透です。王は都市の商工業者と結託しつつ、封建諸侯の 地租や諸特権を廃止し、地租を独占し、さらに、関税や所得税を得るために、貿易を 推進した。権力を奪われた封建諸侯は、国家が得る租税から配分される宮廷貴族とな りました。

 ゆえに、絶対主義王権が、商品交換の原理を全面的に受け入れ、それに立脚してい ることは明らかです。だが、他方で、国家機構のなかに旧来の支配階級が変形されて 残っていることも明らかです。それゆえに、絶対主義王権は、封建社会と資本制社会 の間の過渡的な段階でしかないと考えられがちです。しかし、絶対主義王権には、 けっして過渡的ではないような、国家の本質が示されています。ここにみられる国家 の本質は、市民(ブルジョア)革命ののちにはかえって見えにくくなるのです。

集権的国家の成立
絶対主義国家は、資本制経済の成立に向かう過程としてではなく、集権的な国家の 形成に向かう過程として見るべきなのです。そこで注目すべきなのは、絶対主義国 家において膨大な官僚組織と常備軍が形成されたということです。これは市民革命 以後にもなくならないどころか、いっそう拡大します。このような官僚組織と常備軍 は、つとにアジア的な官僚的専制国家において実現されていたものです。実際、フラ ンスの絶対王政は中国の官僚制システムを取り入れています。むろん、中国の国家が 賦役貢納制にもとづいていたのに対して、絶対主義国家は商品交換の原理に従うもの です。しかし、あとでのべるように、そこには、差異以上に、類似性があるのです。


 ここで柄谷さんが「西ヨーロッパにおいて集権的な国家がはじまるのは、絶対主義王 権国家によってです。」といっていることをもっと明瞭に言い直すと、<中世的国家> においてはいまだ外的国家構成上の名目的形式的なものであった<第三権力>が内的実 質性をともなった集権的で強大なものに発展した、ということになる。つまり、そうい う意味で「絶対主義国家」を、完成した<近代的国家>への過程として位置づけること ができる。

 なお滝村さんは 「絶対主義国家」を『典型的な世界史的国家としての<中世的国家>と <近代的国家>を生み落した西欧諸国において、前者から後者への一大過渡期に個別歴 史上共通にみられた統治形態上の歴史的事象というべきで、厳密には独立的な<世界史 的>社会構成に対応した<世界史的国家>ではない。』(『アジア的国家と革命』より) として「絶対主義国家」という呼称は用いず、一貫して<絶対王政>と表記している。 さらに

『<絶対王政>という統治形態上の規定は、あくまで中世的国家体制としての<封建王 政>との、国家的支配における構造的対比において把握さるべきである。従って、封建 王政の統治形態論的解明を媒介的前提とすることなく、絶対王政の特質を把握すること はできない。』

とも述べているが、この点については今は深入りしない。
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