2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第670回 2006/11/30(木)

唯物史観と国家論の方法(1)
国家論の現状


 これまでに取り上げてきた「滝村国家論」のうち、<近代国家>を直接対象にした記事 は次の通りです。これはを改めて読み返してみたら、前回抽出した諸問題はあらかた論じ つくされている。興味ある方は目を通してみてください。

第93回 2004/11/15:滝村隆一の国家論
第291回 2006/06/04:統治形態論・「民主主義」とは何か(3)「民主主義」と「専制」
第292回 2006/06/05:統治形態論・「民主主義」とは何か(4)議会制民主主義とブルジョア独裁の仕組み
第293回 2006/06/06:統治形態論・「民主主義」とは何か(5)統治権力としての官僚
第653回 11月10日:国家の起源とその本質(13):<世界史的>国家と<近代国家>(1)
第654回 11月11日:国家の起源とその本質(14):<世界史的>国家と<近代国家>(2)

 柄谷さんの国家論が、諸説を切り貼りするものに始終するほかない理由の一つは、 文献の渉猟というアカデミシャンの悪癖もさることながら、確固とした方法論の欠如に あると思う。その根源はマルクスを誤読(だと、私は思う。)して、「史的唯物論」を 否定し去ったことに求められる。(「第640回 2006/10/22」参照)

 一方、滝村さんの国家論が見事なのは確固とした方法論のもとで理論を構築しているからに ほかならない。その方法論とは、ほかでもない、唯物史観における<世界史>の発展史観である。 今回の国家論はこの方法論に焦点をしぼってみたい。教科書は『国家の本質と起源』の 序論「唯物史観と国家論の方法」です。

 さて、他の社会科学同様、国家論においても真に目指されるべきは厳正な本質論の確定と その科学的理論としての体系的具体化である。つまり、<科学的>でなければならない。 しかし、国家論の現状は次のようである。


 <国家の本質は~である>といった類いのごく抽象的な本質論だけなら、古典的大家の 見地や先行諸説を適当に借用したり、批判的に検討することによって、たんなる言葉のう えだけのもっともらしい説明を与えることができるかもしれない。たとえ彼らが、歴史 的・現実的な国家的支配と正面から向い合うことなく、もっぱら空虚に抽象化された他人 の学説のなかに、不完全でおぼろげな表象として、歴史的・現実的国家支配を想像して いるにすぎないとしてもである。

 ところが国家的支配のより具体的な諸形態・諸属性、すなわち<政治的>と<社会・経 済的>とに区別される国家的諸活動や、それらを直接的に担掌する国家的諸機関の一般的 かつ特殊的な組織的・制度的構成に関わる諸事象としての、統治形態や<中央-地方的> 組織形態の問題、そして後者に関わる各地方的行政区画と領域・領土の問題、またかかる 国家的支配の全領域を法的形式において直接規定する法制的な分化的発展形態と様式、 及びそれに直接まつわる政治的思想・イデオロギー等を、それぞれ一つ一つとりあげて、 理論的に検討しなければならなくなれば、本質論を論じているときのような、抽象論 レヴェルでの思弁的論理によるとまかしは、一切利かなくなる。

(中略)

 ここで社会科学の歴史的発展を簡単にふり返ってみよう。
 19世紀後半期は、社会的諸学の発展的分化と個別科学としての確立期といわれる。 確かに形式的にみればその通りであるが、それは今日的意味においてではない。

 というのは、マルクスやエンゲルスが活躍した19世紀後半期には、自然的諸学と社会 的諸学との大きな学的・方法的分化と発展が、ようやく定着しつつも、政治学と経済学を 軸とした社会的諸学は、政治経済学としての内的実質を把持したまま、はじまったばかり の個別歴史的研究の諸成果を当然の素材的前提として組み込んでいたからである。

 社会的諸学における原理的ないし一般理論的解明が、個別歴史的研究からたんに 形式的ばかりか内容的にも完全に分離する一方、後者かもっぱら個別実証史学という形態 をとって独立化したのは、実は20世紀に入ってから、とくに第一次大戦後のことといって よい。

 ところが、かかる社会的諸学が個別実証史学と大きく切り離されるとともに、 個別科学としての形式的分化と独立を完成させるや、どうしたわけか、一様に著しい 原理的後退と理論的混迷がはじまり、今日に到っている。

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第669回 2006/11/28(火)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(20)
国家の本質


 「1章 3」以降は<近代的国家>を対象にした国家論を展開している。そこでは 西洋の哲学者や政治学者や経済学者の学説を引き合いに出して論を進めている。 論述を追いながら問題点を取り出してみる。

『国家というものは何よりも、他の国家に対して存在しています。だからこそ、国家は 内部から見たものとは違ってくるのです。市民革命以後に主流になった社会契約論の見 方によれば、国家の意志とは国民の意志であり、選挙を通して政府によってそれが実行 されると考えられています。ところが、国家は政府とは別のものであり、国民の意志か ら独立した意志をもっていると考えるべきです。』

 では「国家意志」とは何か。それを解明することが肝要なのだが、これ以上の論述 はない。

『国家が存在するということを人が如実に感じるのは、戦争においてです。つまり、他の 国家との戦争において、国家の本質が出てくるのです。』

 私は「国家の存在」を日々如実に感じている。「国家の本質」が「他の国家との戦争におい て」出てくるということは、国家の本質は「暴力」といいたいのだろうか。<歴史的国家> から<近代国家>への発展おいて「官僚機構と常備軍」は必須の要件だった。しかし、それ は近代国家という構成体の一部ではあっても「本質」ではない。

 このあとホッブスの「社会契約による国家論」を「暴力」をてこにした「服従と保護」と いう「交換」の観点からまとめている。しかし、後で

『社会契約の考えによれば、国家は人民による意志決定にもとづくものです。それ は国家を政府と同一視することになります。一方、マルクス主義者は、国家を経 済的な階級(ブルジョアジー)が支配するための手段として見てきました。それは、 国家の自立性を認めないという点では、社会契約論者と同じです。』

と、俗流マルクス主義国家論とともに切って捨てている。なぜホッブスを持ち出したのか 、理解に苦しむ。
 つぎにヘーゲルを下敷きにして、「官僚と議会」について論じる。

『議会制民主主義が発達したはずの今日の先進国において、官僚制の支配はますます 強まっています。ただ、そのように見えないようになっているのです。議会制民主主 義とは、実質的に、官僚あるいはそれに類する者たちが立案したことを、国民が自 分で決めたかのように思いこむようにする、手の込んだ手続きです。』

 ここでも肝心なのは「手の込んだ手続き」の解明なのだが、それは放置される。
 つぎは国家が行う「社会福祉や労働政策・教育政策」を取り上げるが、今度は ウエーバーの「家父長的家産制」を持ち出して、 『それは、国家を略取-再分配という交換様式において見るならば、べつに驚くべきこ とではありません。』と済ましてしまう。
 しかしここでも肝心なのは、「社会福祉や労働政策・教育政策」のような国家意志が どのようにして形成されるのかということの解明でなければならない。
 最後にマルクスを用いて、フランス革命において「議会・官僚・常備軍」という国家 機構が自立していく過程を論じている。

『そもそも議会制を無視して、近代国家を考えることはできません。1848年における フランスの革命がもたらしたのは、普通選挙です。そして、その後の事態はすべて、こ の議会(代表制)の中において生じたのです。』

 この「議会」と「官僚」・「政府」との関係を構造的立体的に解明することを 期待したいのだが、この期待もかなえられえない。

『国家機構の自立は、ボナパルトが議会をこえた皇帝として自立することによってのみ 可能だったのです。たとえば、マルクスは、ルイ・ボナパルトがあらゆる階級に対して 気前よく「増与」することによって権威を得ていく過程を描いています。《ボナパルト はあらゆる階級に対して家父長的な役を演じたいと思う。しかし、彼は、他の階級から 取ってこないことには、どの階級にも何もやれない》(『ルイ・ボナパルトのプリュメール十八 日のクーデター』)。ボナパルトは略取したものを再分配しているだけなのに、それが「贈与」 として受けとめられている。そのため、彼はすべての階級に贈与するような超越者、すな わち皇帝として表象されます。しかし、この過程は、国家機構による略取-再分配という メカニズムが、贈与-返礼という互酬の表象の下で機能するようになることを意味してい るのです。』

 しかし、ルイ・ボナパルトの登場は、滝村さんが「例外的」統治形態と呼んでいるもの であり、『「例外的」及び「ファシズム的」統治形態といえども、ブルジョアジーが経済 的に君臨する近代的市民社会を現実的土台としており、従って、近代的<私法>を全的に 継承する近代的第三権力としての本質を把持している。しかしそれは、あくまで専制的 統治権カが政治的に君臨する<公法>的秩序の第一義性を大前提としたうえでのことで あってブルジョアジーの意のままになりえない危機に瀕した「ブルジョア独裁」であり、 「ブルジョア独裁」それ自体の存亡に関わる「例外的」形態に他ならない。』

 ここまでの論述で柄谷さんが取り出してきた哲学者や政治学者や経済学者を列挙すると、 ホッブス、ロック、グラシム、フーコー、ヘーゲル、ケインズ、ウエーバー、マルクス。 この博覧強記がかえってマイナスになっている。<国家>の周りをあれこれとなでまわ しているが、いっこうに<国家>の本質には届かない。

 やはり、国家論に関しては「滝村国家論」にしくはない。次回からまた横道に入り、 上にあげた問題点について、「滝村国家論」を読むことにする。
第668回 2006/11/26(日)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(19)
絶対主義国家の誕生


 今回から「第Ⅲ部 世界経済」の「1章 国家」を読みます。

 その前に第Ⅲ部の構成を確認しておく。第Ⅲ部は

1章 国家
2章 産業資本主義
3章 ネーション
4章 アソシエーショニズム

という構成になっている。つまり、<図5>の四区分を(B)(C)(A)(D)の順序 で論じている。このうち、「国家」についての論述にはやはり少なからず不満があるので、 適時「滝村国家論」で補足する。

 さて、世界帝国から世界経済へと世界の世紀的経済的形態が変転し成立したのは 15・16世紀であった。つまり、15世紀にバルト海地域と地中海地域の国際的経済が連結さ れたときに、さらに、16世紀にヨーロッパとアメリカ、アジアをつなぐ「大航海」時代が 始まったときに成立した。

 それは西ヨーロッパにおける絶対主義国家の誕生と軌を一にする。絶対主義国家の誕生 について、柄谷さんは次のように述べている。

西ヨーロッパと商品交換
 世界帝国では商業や交易が発展したのですが、それは帝国によって管理され独占 されたものです。そこでは、商品交換の原理は他の交換様式を上回ることができない。 だから、商品交換の原理が他の交換様式に優越するような事態は、帝国が一元的な集 権性をもたないような地域、つまり、封建的であった西ヨーロッパにだけおこったの です。そこでは、東ヨーロッパやイスラーム園と違って、教会と帝国の二元性が残った。 さらに、帝国の中では、王と封建諸侯が乱立していた。それらの対立を利用して、 自由都市が成立したのです。つまり、都市も小さな国家として、王や封建諸侯に並 び立つものでした。

絶対主義の条件
 このような状態は、東ローマ帝国(ビザンツ)をふくむ集権的な国家(帝国)から 見れば、まだ国家とはいえないようなものです。西ヨーロッパにおいて集権的な国家 がはじまるのは、絶対主義王権国家によってです。それは、王が、これまで王と並び 立っていた多数の封建諸侯を制圧し、また教会の支配権を奪うことによって成立しま す。

 このことが可能だったのは、つぎの理由からです。一つには破壊力をもった火器の 発明です。火器は旧来の戦力を無効にし、貴族=戦士の身分を無意味にしてしまった。 このことは、国家が暴力の独占に存するという意味で、重要です。

 もう一つは、商品経済の浸透です。王は都市の商工業者と結託しつつ、封建諸侯の 地租や諸特権を廃止し、地租を独占し、さらに、関税や所得税を得るために、貿易を 推進した。権力を奪われた封建諸侯は、国家が得る租税から配分される宮廷貴族とな りました。

 ゆえに、絶対主義王権が、商品交換の原理を全面的に受け入れ、それに立脚してい ることは明らかです。だが、他方で、国家機構のなかに旧来の支配階級が変形されて 残っていることも明らかです。それゆえに、絶対主義王権は、封建社会と資本制社会 の間の過渡的な段階でしかないと考えられがちです。しかし、絶対主義王権には、 けっして過渡的ではないような、国家の本質が示されています。ここにみられる国家 の本質は、市民(ブルジョア)革命ののちにはかえって見えにくくなるのです。

集権的国家の成立
絶対主義国家は、資本制経済の成立に向かう過程としてではなく、集権的な国家の 形成に向かう過程として見るべきなのです。そこで注目すべきなのは、絶対主義国 家において膨大な官僚組織と常備軍が形成されたということです。これは市民革命 以後にもなくならないどころか、いっそう拡大します。このような官僚組織と常備軍 は、つとにアジア的な官僚的専制国家において実現されていたものです。実際、フラ ンスの絶対王政は中国の官僚制システムを取り入れています。むろん、中国の国家が 賦役貢納制にもとづいていたのに対して、絶対主義国家は商品交換の原理に従うもの です。しかし、あとでのべるように、そこには、差異以上に、類似性があるのです。


 ここで柄谷さんが「西ヨーロッパにおいて集権的な国家がはじまるのは、絶対主義王 権国家によってです。」といっていることをもっと明瞭に言い直すと、<中世的国家> においてはいまだ外的国家構成上の名目的形式的なものであった<第三権力>が内的実 質性をともなった集権的で強大なものに発展した、ということになる。つまり、そうい う意味で「絶対主義国家」を、完成した<近代的国家>への過程として位置づけること ができる。

 なお滝村さんは 「絶対主義国家」を『典型的な世界史的国家としての<中世的国家>と <近代的国家>を生み落した西欧諸国において、前者から後者への一大過渡期に個別歴 史上共通にみられた統治形態上の歴史的事象というべきで、厳密には独立的な<世界史 的>社会構成に対応した<世界史的国家>ではない。』(『アジア的国家と革命』より) として「絶対主義国家」という呼称は用いず、一貫して<絶対王政>と表記している。 さらに

『<絶対王政>という統治形態上の規定は、あくまで中世的国家体制としての<封建王 政>との、国家的支配における構造的対比において把握さるべきである。従って、封建 王政の統治形態論的解明を媒介的前提とすることなく、絶対王政の特質を把握すること はできない。』

とも述べているが、この点については今は深入りしない。
第667回 2006/11/25(土)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(18)
普遍宗教が開示したもの


 普遍宗教が開示した第四の空間(D)という理念はどのような歴史的変遷をたどったか。

(1)
 商人資本主義・共同体・国家に対抗し、互酬的(相互的)な共同体(アソシエーション) を志向するものとしてあらわれた普遍宗教は、
(2)
現実に拡大し定着するようになると、国家あるいは共同体の宗教となり、共同体の互酬 や国家による再分配に対応する機能を果たすようになる。

(3)
 しかし、ふたたび普遍宗教が開示した空間(D)を復興しようとする運動が起こる。 それは宗教改革として起こったが、社会運動あるいは農民運動として発展する。
(4)
特に、イギリスのピューリタン革命は、近代社会主義つながるものとして大きな役割を 果たしている。

(1)~(4)について、柄谷さんの論述を抄出する。

(1)

《私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがいさせるためである。そ して、家の者が、その人の敵となるであろう。私よりも父または母を愛する者は私にふさわし くない》(「マタイによる福音書」)。

《天にいます私の父のみこころを行う者は誰でも私の兄弟、また姉妹、また母なのである》(同前)。

イエスはこうして旧来の家族・共同体を斥けると同時に、都市(商業社会)がもたらす 富の不平等に抗議します。

《もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい 人々に施しなさい。そうすれば、天に宝をもつようになろう》(同前)。

 このように、普遍宗教は、商人資本主義・共同体・国家に対抗し、互酬的(相互的) な共同体、つまり、アソシエーションを志向するものとしてあらわれたのです。
 
(2)

 たとえば、ローマ帝国は、コンスタンティヌス皇帝以来、キリスト教を国教として公認 しました。以後、東ローマ帝国では、教会は皇帝に対して従属的であり、国家機構の一部 となった。皇帝は一種の宗教君主的な性格をもつようになりました。

 それに対して、西ヨーロッパでは、帝国に中央集権的な力がなく、各地で封建的な領主 が割拠するという状態のなかで、西ローマ教会が相対的に強く、それに庇護されたかたち で、自治都市が各地にできた。その意味で、自治都市(コムーネ)は、普遍宗教が開示し た空間によってもたらされたといってもよいのです。


 
(3)

 西ヨーロッパの都市から、さまざまな宗教改革が起こってきました。それらは普遍宗教の、 新たな文脈での回復です。しかし、それはたんに「原典に帰れ」という次元にとどまるもので はなかった。それは、社会運動として広がったのです。というよりも、近代にいたるまで、社 会連動はつねにこのような宗教的復興の形態をとってあらわれたのです。特に、ヨーロッパに おいて重要なのは、「千年王国」という観念でした。それらは各地で民衆運動を作り出した。 その例としては、ドイツの農民運動を率いたトーマス・ミュンツァーをあげてもよいでしょ う。

 これはキリスト教に限るものではありません。仏教にも「千年王国」に似た「末世」的 なヴィジョンがありました。たとえば、一五世紀から一六世紀にかけての日本では、一向 宗(浄土真宗)や法華宗が、農民戦争をもたらし、加賀のような民衆国家、さらに、堺や 京都などの自治都市をもたらしたのです。


 
(4)

特に近代社会主義につながるものとして注目すべきなのは、イギリスのピュ ーリタン革命(1642年)にあらわれた運動です。

 中でも重要なのは、水平派(Levellers)と呼ばれる党派です。彼らは資本主義的 経済の拡大の中で、没落しつつあった独立小商品生産者の階級を代表していました。 その点で、一九世紀のアナキストと似たところがあります。

 さらに、開拓派(Diggers)となると、農村のプロレタリアを代表して、明瞭に 共産主義的でした。ただし、彼らの主張は「千年王国」という宗教理念として語 られたのです。

 このような急進的な党派は、絶対主義王政を倒す過程までは大きな役割を果た したが、新たな政権によって排除されてしまいます。ピューリタン革命は1660年の 王政復古によって終わりました。もちろん、この王政復古は絶対主義王政への復帰 ではありません。それは立憲君主制に近いものであり、いわゆる名誉革命(1688年) はそれを決定的に確立したのです。

   その時点で、イギリスのブルジョア革命は完結したといってよいでしょう。しかし、 重要なのは、ブルジョア革命が、ブルジョアではない階層による社会運動として、 しかも、宗教的な運動として開始され、最後にそれらが排除された時点で成就したと いうことです。
 
第666回 2006/11/24(金)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(17)
呪術から普遍宗教へ


 宗教の前段階である呪術とは何か。それは超感性的な何かに贈与する(供犠を与える) ことによって、それに負い目を与えて人の思う通りにすること、すなわち超越的・超感 性的な何かへの互酬的な関係といえる。その呪術的な関係は宗教へと発展した段階でも なお生き残っている。祈願、供犠、崇拝などの宗教的な形態は呪術に由来する。柄谷さんは ウェーバーを引用している。


 宗教的行為は「神礼拝」ではなくて、「神強制」であり、神への呼びかけは、祈りで はなくて呪文である。

 すなわち、「与えられんがために、われ与う」(Du ut des)というのが、広くゆきわ たっているその根本的特質である。このような性格は、あらゆる時代とあらゆる民族の 日常的宗教性ならびに大衆的宗教性にのみならず、あらゆる宗教にもそなわっている。 「此岸的な」外面的災禍を避け、また「此岸的な」外面的利益に心を傾けること、こう いったことが、もっとも彼岸的な諸宗教においてさえも、あらゆる通常の「祈り」の内容 をなしているのである。(「宗教社会学」、武藤一雄ほか訳)


 「呪術から宗教へ」あるいは「呪術師から祭司階級へ」の変化は、社会的には、共同体 から国家への移行に対応する。読み書きに堪能な祭司階級が官僚体制と接合し、祭司階 級は支配階級の一環を担うようになる。

 古代国家において、宗教は国家の「イデオロギー装置」としての役を担っている。 しかし、これは他の国家との関係においては通用しない。神に祈ろうと、国家が戦争に 敗れれば、それは神が敗れたことになる。神の力は国家の力に比例する。つまり、宗教の 普遍化は、国家の普遍化=世界帝国の形成に随伴する現象だということができる。  ローマ帝国からアラビア・モンゴルなど、どの世界帝国も普遍的な神性を必要とした。 つまり、のちにあらわれた普遁宗教も、現実には世界帝国の支配の手段となった。従って その影響力もまた、その領土の範囲を超えることはなかった。

 司祭者宗教から預言者宗教への発展は呪術の廃棄を意味する。
 ユダヤ一神教は、多数の部族の「盟約共同体」に起源をもつ。つまり、それは「エホバ との契約」として表象された。しかし、この契約はもともと互酬的な関係で、神もまた 約束を守らなければならなかった。
 神が約束を守らない場合でも、すなわち、民が敗北や捕囚の身におかれた場合でも、 神がその責任を問われないどころか、逆に、民が約束を守ることのみが求められるように なったのは、バビロン捕囚期以後のことで、ここに、ユダヤにおける預言者の特質がある。 預言者は、呪術師や占い師とは違って、神と人との互酬的な関係つまり呪術を廃棄した。

 この預言者の役割は、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教といったユダヤ教の系譜に 限定されるものではない。

   ウェーバーは、預言者を倫理的預言者と模範的預言者の二つに区別しています。
 前者の場合、預言者は旧約聖書の預言者・イエス・マホメットのように、神の委託を 受けてその意志を告知する道具となり、この委託にもとづく倫理的義務として服従を要 求する。
 後者の場合、預言者は模範的な人間であり、仏陀のように、みずからの範例を通して他 の人々に宗教的な救いへの道を指し示す。だが、いずれの場合でも、預言者が出現したこ とには、共通した点があります。

 彼らはカリスマ的な個人です。それは次のことを意味します。第一に、彼らは祭司階 級に属さないがゆえに、国家機構に対立するということ。第二に、彼らが都市に基盤を もち、かつまたそこでのみ広がったということ。普遍宗教が、農業共同体ではなく、 都市に始まるということは重要です。ウエーバーもそれを指摘しています。

《農民こそは神意にかなった敬虔な人間の特殊な典型であるとみなされるのは、一般的にはまった く近代的な現象である》(「宗教社会学」)。

 ユダヤ教やイスラーム教はいうまでもありませんが、仏教でも、農民は布教の対象とみ なされなかった。仏教はもっぱら都市の商人階級に広がったのです。キリスト教でも、 農民に価値がおかれるようになったのは、ルター派やロシア正教の近代版においてにすぎ ません。

 ここから見ると、普遍宗教が存在した位相が見えてきます。最初に述べたように、 それは第三象限(C)の都市空間に出現し、かつ、そこから、第四象限の空間を「開示」 (預言)したものなのです。それは、共同体と国家を拒否するものです。だから、それ は商品交換=市場経済の空間にしか出現しない。と同時に、それを否定するものです。 つまり、第四象限あるいは新たな交換様式(D)を開示するものです。

第665回 2006/11/23(木)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(16)
社会主義の出自


 今回から「第Ⅱ部 第3章 普遍宗教」を読みます。前にも指摘したように、柄谷さんのいう 「普遍宗教」は「世界宗教」という意味です。

 この章では第4の交換様式がテーマです。本論に入る前に第4の交換様式の特徴を確認 しておく。

 まず、<図3>「四つの交換」と<図4>「資本制社会構成体の構図」を<図5>として一つの図に まとめておく。

<図5>
B 国家

再配分
(略取と再配分)
A ネーション

互酬
(贈与と返礼)
C 資本

商品交換
(貨幣と商品)
D アソシエーション

 「X」

















 交換様式「X」は、他の三つの交換様式とそれらの接合によって成り立つ社会構成体に 対抗するものとして位置づけられる。そしてその特質は


 第一に、この自発的で自立した相互的交換のネットワークは、政治的国家組織を斥けるもの であり、国家の原理とは対極的です。 だが、それは個々人が共同体の拘束から解放され ているという点で、市場的な社会に似ているし、同時に、市場経済の競争や階級分解に対 して互酬的(相互扶助的)な交換 ― 資本の蓄積が発生しないような市場経済 ― を 目指すという点で、共同体と似ています。いいかえれば、それは第三象限の市場経済(C) の上で、第一象限の互酬的な共同体(A)を回復しょうとするものなのです。

 さらに、これが他の三つの交換様式と異なるのは、これが理念であって現実に存在しな いということです。事実、それは歴史的には、普遍宗教(世界宗教)というかたちであら われました。宗教史の観点からいえば、普遍宗教は、共同体の宗教や国家の宗教ではなく、古代の 都市において出現した宗教です。ところが、社会主義の歴史という観点から見れば、そ のことは、社会主義がまず宗教という形態で出現したということを意味するのです。

 しかし、私がそういうのは、社会主義が宗教から離れて「科学的」にならなければなら ないという意味ではありません。その逆に、社会主義は、普遍宗教として開示されたもの を失ってはならないということです。普遍宗教が開示したのは、国家や共同体にないよう な「倫理」なのですが、それは新たな交換様式(アソシエーション)にほかならないので す。


 最後の段落について、私は次のように修正したい。

 社会主義は宗教から離れて「科学的」にならなければならない。と同時に、宗教が開示 してきた「倫理」を継承し、新たに高度なものに再構成しながら繰り込んでいかなければ ならない。そのためにこそ、宗教の批判が必要不可欠となる。

 以下、「宗教史や宗教社会学において語られてきた問題を、交換様式からとらえなおす こと」によって、第4の交換様式の内実が明らかにされていく。
第664回 2006/11/22(水)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(15)
国家と資本の接合


 補足を二つ。
   前々回の『互酬のハウとは異なる、貨幣のもつ社会的な強制力の秘密があります。』という 文中の「ハウ」というのは、未開社会で信じられている魔力のことです。贈り物を与えた り返礼したりする互酬を怠ると「ハウ」の祟りがあると信じられている。「マナ」と呼ん でいる種族もある。

 「貨幣が通用したのは国家権力によってではない。」の例として柄谷さんはソ連邦の 末期には、その強力な国家権力にもかかわらず、国内でルーブルが通用しなかったことを あげている。
 私が思い出したのは日本の古代の例です。大和朝廷が唐にならって鋳造した「和銅開珎」 は、「蓄銭叙位令」(銭を貯めた者に位を授ける)を発したり、「季禄(きろく)」を 銭貨で払ったり、「調」を銭納させたり、政府があの手この手を用いてその普及に努めた が、ついに畿外にまで流通することはなかった。一般には相変わらず、稲や布帛(ふはく) が「等価物」(貨幣)として用いられた。

 さて、資本制以前の社会構成体において商業が最も発達したのは、アラビア地域のような 半乾燥地域の諸国家であった。砂漠や海を渡る遠隔地交易は、バグダードなどの巨大な 都市を形成した。しかし、こうした都市は、世界的経済の動向によって交易コースが変わ ると、一挙に崩壊してしまうほかなかった。西ヨーロッパにあったような自立都市では なく、政治的に形成された都市だった。


 都市が自立して商業が発展したのは、文明の周辺にあり集権的な国家をもてなかった 西ヨーロッパの封建制においてです。

 ここでもやはり商業が見下されていたことに変わりはない。たとえば、キリスト教会に よって、利子(高利)が禁止されていました。にもかかわらず、都市が王や封建諸侯から 自立することができたのは、国家に対抗する教会の力を利用したからです。

 しかし、都市の自立とは、国家や教会の権力とは異質な力が自立したということです。 それは、共同体や国家を超えて通用する貨幣の力だといってよいでしょう。そして、それ が拡大してくるにつれて、封建制は崩壊します。その結果、出てきたのが絶対主義王権 国家です。

 王は、それまで同格で並んでいた多数の封建的諸侯を制圧し集権的な体制を築いたの ですがその際、都市ブルジョアジーと結託し、封建的諸特権を廃棄しました。このとき はじめて、商品交換=貨幣経済の原理が国家によって承認されたわけです。いいかえれ ば、経済外的な強制力が介入できないような「経済」の自律性が認められた。しかし、 忘れてはならないのは、このとき、西ヨーロッパにおいてはじめて、常備軍と官僚・警 察機構をそなえた強力な国家が成立したということです。

 このように、それぞれ異なる交換様式BとCに根ざした、国家と資本の相互依存的な接合 がなされたのです。

第663回 2006/11/21(火)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(14)
貨幣の資本への転化


非対称な関係

 商品交換あるいは市場の世界は、合意にもとづく対等な世界です。それは、これま で論じてきた交換様式AやBとは異なる。ところが、マルクスの価値形態論が示すのは、 貨幣による交換は自由で対等な関係をもたらすが、同時に、それは等価形態と相対的 価値形態、すなわち貨幣と商品という非対称的な関係を伴うということなのです。

 貨幣には購買力(直接的交換可能性の権利)があります。それが貨幣をもつ者と商品 をもつ者との関係を非対称にするのです。商品交換というとき、あるいは、市場というと き、ひとは市場における対等な取引を思い浮かべます。しかし、貨幣をもつ者と商品を もつ者は対等ではありません。商品は売れなければ価値がない。しかるに、貨幣をもつ 者はいつでも商品と交換できる。すなわち、貨幣をもつことは、いつどこでもいかなる ものとも直接的に交換しうるという「社会的質権」(マルクス)をもつことなのです。

 であれば、人が貨幣を欲するのは当然です。そこから、貨幣を貯め込む倒錯が生じま す。それは、財貨(使用価値)を貯め込むこととは区別されなければなりません。


蓄蔵者から資本家へ

 その点で、マルクスが、「貨幣から資本への転化」について述べたとき、先ず守 銭奴(貨幣蓄蔵者)に言及したことが重要です。


 貨幣蓄蔵者は、黄金物神のために自分の欲情を犠牲にする。彼は禁欲の福音に忠実 なのだ。

 他方で、彼が流通から貨幣として引き上げることのできるものは、彼が商品として 流通に投じたものでしかない。彼は、生産すればするほど、多く売ることができるわ けだ。だから、勤勉、節約、そして食欲が、彼の主徳をなし、多くを売って少なく買 うことが、彼の経済学のすべてをなす。(「資本論」第一巻)


 貨幣蓄蔵者とは、この「質権」を蓄積するために、実際の使用価値を断念する者のこ とです。「黄金欲」や「致富衝動」は、けっして物(使用価値)に対する必要や欲望か らくるのではない。守銭奴は、皮肉なことに、物質的に無欲なのです。ちょうど「天国 に宝を積む」ために、この世において無欲な信仰者のように。

 それに対して、商人資本は、貨幣→商品→貨幣+α、つまりM-C-M'(M+⊿M)とい う過程を通した、貨幣の自己増殖(蓄積)の運動です。


こういう絶対的な致富衝動、こういう情熱的な価値追求は、資本家にも貨幣蓄蔵者にも 共通のものであるが、しかし貨幣蓄蔵者が狂気の資本家でしかないのに対して、資本家 のほうは合理的な貨幣蓄蔵者である。貨幣蓄蔵者は、価値の休みなき増殖を、貨幣を流 通から救い出そうとすることによって追求するが、より賢明な資本家は、貨幣をつねに 新たな流通にゆだねることによって達成するわけである。(「資本論」第一巻)


 資本家は合理的な守銭奴である。つまり、商人資本の運動を動機づけているものは、 守銭奴の蓄積衝動(貨幣フェティシズム)と同じです。「合理的な守銭奴」としての 資本家は、資本を増殖するために、あえて流通の中に跳びこみます。


等価交換と剰余価値

では、剰余価値⊿Mはいかにして可能なのでしょうか。それは、安く買って高く売 ることによってです。しかし、それは不等価交換であり、詐欺ではないでしょうか。 産業資本主義に立脚したスミスのような経済学者は、商人資本をそのようにみなして 非難しました。実は、このような非難は、昔からあります。というより、商人資本は 古来つねに非難され、軽蔑され、卑しめられてきたのです。

 しかし、ここで貨幣が「商品世界の共同事業」としてあるというマルクスの考えにも どって考えてみる必要があります。いいかえれば、貨幣は、それ自体をふくむ全商品の 等置関係(価値関係)の体系において存在するのです。これは、ある商品の価格は、そ れと貨幣(商品)の等置にもとづくだけでなく、それを通じて関係するすべての他の商 品との関係によって決まるということです。端的にいえば、それは、同じ商品であっても、価値体系が異なるところにある と、別の価格をもつということを意味します。

 たとえば、ヨーロッパで茶や香料を作ることはできない。それがヨーロッパでもつ価格 がインドでもつ価格より高いのは当然です。商人資本はたしかに、安く買って高く売るの ですが、それぞれの地域では、交易は等価交換としてなされているのであって、別に詐欺 をしているわけでないのです。


「命がけの飛躍」と信用

ところで、貨幣には商品と交換する権利があるが、商品には貨幣と交換する権 利がない。しかも、商品は売れなければ(貨幣と交換されなければ)、交換価値 をもたないだけでなく、使用価値ももたないのです。それはたんに廃棄されてし まう。だから、マルクスは、商品が貨幣と交換されるかどうかを「命がけの飛躍」 と呼んでいます。

ところで、合理的な守銭奴である資本家は、貨幣→商品→貨幣(M-C-M')という過程 を通じて貨幣を増殖させようとするのですが、そのとき商品→貨幣(C-M')という 「命がけの飛躍」を経なければならないのです。

 この危険をさしあたり回避するのが「信用」です。それは、マルクスの言い方によれ ば、売りC-M'を「観念的に先取りする」ことです。すなわち、それはいわば約束手形を 発行し、あとで決済するという形をとります。このとき、売買の関係は、債権・債務の 関係となります。

制度としての「信用」は、流通の拡大とともに「自然成長的」に生じ、かつそれが流通 を拡大する、とマルクスはいっています。信用制度は資本の運動の回転を加速しかつ 永続化する。M-C-M'という過程の終わりまで待つ必要がないので、資本家は新たな 投資を行うことができるからです。

また、投資によって利潤が得られるなら、金を借りてでもそうするでしょう。その場合、 金を貸す者には利子が払われる。そこに、金貸し資本(M-M'-M"……)が成立し ます。そして、これは古代バビロニアやエジプトの時代には存在しています。

 近代の産業資本主義がはじまった時点では、信用制度も株式会社制度もすでに確立され ていました。資本主義について考えるためには、その萌芽形態である商人資本と金貸し資 本から考える必要があるのです。

第662回 2006/11/20(月)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(13)
貨幣の起源


 『資本論』を読もうかとけなげな志を立てて本を購入したけど、今のところ積読中です。

 ところで、『世界共和国へ』の議論はその資本論を直接検討する部分に入ってきました。 柄谷さんは、『資本論』の価値形態論・貨幣形態・資本への転化を論じた第一巻の 第一編・第二編を要約しています。これ幸いと、その要約を全文そのまま読むことにしま す。

貨幣がもつ力

 通常、貨幣は国家によって発行されるために、それが通用する力は国家にもとづく と考えられます。しかし、貨幣が国際的に通用するカは、国家に由来するものでは ありません。たとえば、バビロニアのような帝国は初めてコインを鋳造したのです が、それが通用したのは国家権力によってではない。もともと銀が貨幣として間共 同体的に使われていたからです。国家が与えたのは、コインにふくまれる金属の比 率への保証にすぎません。それは流通において非常に重要です。そのつど金銀の量 をはからなければならないようでは、使い物にならないからです。

 しかし、そのことは、貨幣の流通する力を国家が与えるということを意味しません。 また、国家は勝手に作った貨幣の使用を強制することはできません。貨幣は、他の国家 との交易において通用するものでなければならないのです。

 貨幣は国家を超えて通用するような力をもつ。では、その力は何によるでしょうか。


マルクスとマルクス以前

 経済人類学や経済史の知見によって、これを説明することはできません。それ を考えるのにも「抽象力」が必要です。この点にかんして、私は、マルクスが 「資本論』 の冒頭で書いた価値形態論以上のものを知りません。

 一般に、マルクスは、スミスやリカードら古典派経済学の労働価値説を継承し、 そこから剰余価値論を引き出したと考えられています。しかし、そのような仕事を したのは、マルクスに先行するイギリスのリカード派社会主義者です。一方、マル クスが初期から惹きつけられていた問題は、貨幣がもつカ、あるいは、その宗教的な 転倒や自己疎外でした。

 古典派にとって、貨幣には何の謎もありません。貨幣は、各商品に投じられた労働 価値を表示したものにすぎない。ここから、オーウェンをふくむリカード派社会主義 者は、貨幣を廃止して労働時間を示す労働証票を使うことを考えたのです。むしろそ のような考えの安易さを批判したのがマルクスです。彼らは貨幣を否定するが、実は 暗黙裏に貨幣を前提しているのです。

 アダム・スミスは、商品には使用価値と交換価値があると考えました。交換価値と は他の商品を購買する能力です。それは、各商品はそれぞれ貨幣だということです。 しかし、そのようなことはありえない。それは売買(貨幣との交換)がなされたのち にいえることで、生産物は売れなければ、いかにその生産のために労働が費やされて いても、交換価値をもたないだけでなく、使用価値さえもちません。つまり、たんに 廃棄されるほかない。商品は、他の商品と等置されることによって、はじめてその価 値をもつのです。


マルクスの価値形態論

 したがって、商品は使用価値と交換価値をもつ、というのは正しくない。商品の 価値は、他の商品の使用価値で表現されるというべきです。つまり、一商品の価 値は、他の商品との等置形態、いいかえれば、「価値形態」において生じるので す。たとえば、商品aの価値は商品bの使用価値によって表示される。マルクスは これを「単純な価値形態」と呼びました。マルクスの言葉では、このとき、商品aは 相対的価値形態、商品bは等価形態におかれる。いいかえると、商品bは、事実上、 貨幣(等価物)なのです。

 しかし、このような「単純な価値形態」では、逆に、商品aで商品bを買った、 つまり、商品aこそ貨幣(等価物)だということもできます。つまり、どの商品も 自ら貨幣であると主張できる。とすると、貨幣が出現するためには、商品bだけが 等価形態にあるのでなければならない。

 マルクスは、こうした「単純な価値形態」からはじめて、「拡大された価値形態」、 さらに「一般的な価値形態」、そして「貨幣形態」に発展することを論理的に示した のですが、貨幣は、いわば商品bが、他のすべての商品に対して排他的に等価形態に おかれるようになるときに、つまり一商品のみが他のすべての商品と交換可能となる とき出現するわけです。たとえば、金や銀が一般的な等価形態の位置を占め、他の すべての物は相対的価値形態におかれるとき、金や銀は貨幣です。

 ところが、ここで転倒が生じます。金や銀がそこに位置するから貨幣であるのでは なく、それらが特別だから貨幣であると考えられるようになるのです。マルクスは次 のようにいいます。


 一商品は、他の諸商品が自分らの価値を全面的にこの一商品で表わすがゆえに、 はじめて貨幣になるとは見えないで、逆に、この一商品が貨幣であるがゆえに、他の 諸商品が自分らの価値を一般的にこの一商品で表わす、というように見えるのだ。 過程を媒介する運動は、運動そのものの結果のなかに消えさっていて、何らの痕跡もと どめていないのだ。諸商品は、自分では何もしていないのに、自分自身の価値の姿が、 自分の外に、自分と並んで存在する商品体として、完成されているのを見いだすわけ である。この物は、金や銀は、地球の奥底から出てきたままで、同時にあらゆる人間 労働の直接の化身なのである。だからこそ、貨幣の魔術が生ずるのだ。 (『資本論』第一巻、鈴木鴻一郎ほか訳)


商品たちの社会契約

 マルクスの言い方でいえば、貨幣の生成は「商品世界の共同作業」です。ホッブ ズは、国家主権者の生成を、万人が一人に主権を譲渡する「社会契約」から説明 しました。同様に、貨幣は商品たちの「社会契約」によって成立するものです。

 では、なぜ、商品たちであって、人間たちではないのか。もちろん、そのような社会 契約を行うのは、商品ではなくて人間です。ただし、それは、商品の所有者としての人間、 商品の担い手としての人間です。ゆえに、人間の意志よりも、「商品世界」のほうが優位 にあるのです。たとえば、人は、商品をもっているときと貨幣をもっているときで、立場 が違ってきます。貨幣をもっていれば、ものを買い人を雇うことができる。その逆に、 商品(労働力商品をふくむ)をもつ者は、弱い立場にある。こうして、商品交換がつくる 「世界」は、人間の同意にもとづきながら、なお人間の意志を超えた客観性をもつようになる のです。ここに、互酬のハウとは異なる、貨幣のもつ社会的な強制力の秘密があります。

第661回 2006/11/19(日)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(12)
商品交換の始まり


 第Ⅱ部 世界帝国」の「第2章 貨幣と市場」を要約していきます。

 歴史的国家のおける支配的な交換様式は(B)「略取―再配分」だったが、 (A)「互酬」という交換様式も存続してきた。では第三の交換様式(C) 「商品交換」は何時からどのような形で始まったのか。

 商品交換が生成発展していく過程を歴史的・実証的に示すことはできない。 その問題は理論的に解明していくほかない。そのときマルクスの論考が、やはり 第一級の典拠となる。次の2文は『資本論 第一巻』からの引用です。


 商品交換は、共同体の終わるところで、共同体が他の共同体またはその成員と 接触する地点で始まるのだ。しかし物は、ひとたび共同体の対外生活において商品 となれば、たちまち反作用的に共同体の対内生活でも商品となる。

 種々の家族、部族、共同体が接触する地点に、生産物交換が発生する。文化の初期に あっては、独立して相対するのは、私個人ではなく、家族、部族等だからである。異な る共同体は、それらの自然環境のうちに、異なる生産手段と生活手段を見いだす。


 

 柄谷さんはこれを受けて『原始段階においても、自らの環境において生産できな いもの(塩や道具など)を、どうしても他の共同体から得る必要があるのです。しか し、このような交換では互酬原理が働きません。』と述べている。ここで私は次のことを 思い出した。

 ヤポネシア列島においても、商品交換の痕跡は縄文時代にまでさかのぼることができる。 例えば、糸魚川産の翡翠が沖縄から北海道まで列島全域から出土しているという。また、 やじりや刃物の素材として貴重品だった黒曜石も広く取引されていた。諏訪地方 の黒曜石も有名だが、伊豆諸島の神津島の黒曜石が茨城県から愛知県にわって出土して いるというから驚きだ。さらに、接着剤として重宝されていた秋田・山形・新潟産の天然 アスファルトが太平洋沿岸の縄文遺跡から出土している。

   さて、(C)について二つの点に留意しなければならない。
 第一点は、マルクスが言うように、それは共同体と共同体の間で始まるのであって、 一つの共同体内部で始まることはない。共同体の内部での交換は互酬交換になり、決 して商品交換にはならない。しかし、共同体間で商品交換が直ちに共同体内に反映されるとが は限らない。現在でも商品交換(貨幣経済)が浸透していない地域共同体は数多くある。

 第二点は、国家成立後の社会構成体において共同体間で商品交換が始まるためには、 国家を生み出した略取という交換様式を禁じる国家的強制力が必要となる。つまり、商品 交換は自由な合意にもとづく交換だが、国家による支配の下でしか成り立たない。その条 件を欠くときは、略取が横行することになる。実際、アジア的国家の場合、遠隔地交易を 行ったのは国家自身であり、また、商業的な都市は国家に直属するものだった。

   しかし歴史的国家においては、商品交換は強い力をもったにもかかわらず、 交換様式(A)と(B)の下で従属的・補足的な地位にとどまっていた。国家が商品交換 の原理を取り込み、それが支配的な交換様式となるのは、近代国家と市場経済が確立し てのちのことである。

 以上まとめると、国家と商品交換は、共同体と共同体の間で、並行的に成立する。 すなわち、一つの共同体による他の多数の共同体の支配が強固で安定したものになると き、多数の共同体の間での生産物交換が無事に行われるようにある。その意味で、「政治」と「経済」は相 補的な関係にある。
第660回 2006/11/18(土)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(11)
存続し続ける互酬原理


 柄谷さんはアジア的国家について次のように述べている。


 アジア的な国家の場合、専制的な皇帝と官僚機構・常備軍の存在によって、支配者 の共同体は消えてしまいます。中央集権化が可能だったのはそのためです。ところが、 被支配者の共同体はそのまま残る。したがって、支配者(国家)は、共同体全体を上 から支配するのです。マルクスはこれを「全般的隷従制」と呼んだのですが、彼らは 奴隷でも農奴でもない。賦役頁納をのぞけば、国家が共同体に干渉することはなかった からです。この形態では、支配関係は、氏族的(家族的)な擬制によって安定化され ます。その最上位に帝国がある。共同体全体の上に支配者がいるが、 共同体とその互酬 原理は無傷のままに残っている。これがいわゆる「東洋的専制国家」です。


 アジア的国家について滝村国家論で補足すると、アジア的国家はその形成段階によって 二つに大別される。

(1) 支配共同体が従属共同体の支配者を安堵的王侯として地方的統治権力とし、 従属共同体を束ねていく国家で、それは多分にルーズでラフな<祭祀・貢納・軍役>体制 である。ここでは支配共同体が<共同体―間―第三権力>を任じている。

(2)国家形成が完成的に発展した段階ではじめて、専制的な皇帝と官僚機構・常備軍を 備えた支配階級、言い換えると一般的統治・軍事・徴税(財政)の三権を掌握した第三 権力が形成される。

 <オリエント的国家>は世界史的国家としては(1)の段階のアジア的国家であり、 中国の特に隋・唐以降の歴代王朝が(2)の段階のアジア的国家の典型である。

 国家は外的国家が先行的に発展していったので、その始原から「略取―再配分」を 支配的な交換様式としている。しかし、アジア的国家に見られるように、国家以前の 共同体において支配的であった互酬原理は支配共同体内においても被支配共同体内に おいても、あるいは諸共同体間においても、依然として存続し続ける。

 さらに互酬原理が存続していく例として、アテネの民主主義、ローマ帝国の共和制、 封建制の主従の間の双務的な契約関係、西ヨーロッパの自由都市などをあげて詳述して いるが、ここではそれらは割愛して次に進みたい。
第659回 2006/11/17(金)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』
(休みます。)




今日の話題

軍隊を持たない「美しい国」コスタリカ

 このホームページで軍隊を持たない国コスタリカに初めて触れたのはもう2年前 (第31回 2004年9月14日)のことです。そのときは、見事に機能しているコスタリカ の三権分立のことが話題でした。再録すると

『コスタリカでは最高裁判所が国家権力の憲法違反を裁きました。そして国家権力はその 判決に従った行動をとっています。すごい国です。それに引き換え、日本の裁判所は憲法 の番人ではなく、権力の番犬になってしまったのでしょうか。「いまの憲法を認めない」 といってはばからない奴を、都知事に選び、憲法がそいつを守るおかしな国。』

というのでした。

 今朝、この「美しい国」コスタリカがますます輝いている様子を伝える 素敵な文章に出会いました。

コスタリカのリタさんと富山(きくちゆみのブログ)

 以下に、この場でも直接読めるように(と同時に、後に私自身が必要とするようにな りそうなので)全文転載しておきます。(きくちゆみさん、無断転載をお許しください。)


 (コスタリカの)リタ・マリエ・ジョンソンさんはアメリカ人ですが、コスタリカの 国連平和大学で教鞭を執ったあと、安定した給料と職を辞して自ら「ラスール財団」を設立しました。ラスールというのは、コスタ リカの詩人が書いた物語にでてくる平和の偉大な師(子どもたちを導き守る神の使い) の名前です。ある日、コスタリカにやってきたラスールは山に子どもたちを集めて、 1週間平和のトレーニングをします。「空の稲妻をコントロールしようと思う前に、 まず自分の心の中の嵐を鎮めなさい」と教えます。

 こうして子どもたちはピースメーカーに生まれ変わって両親の元に戻ります。両親は 子どもたちの影響を受け、ピースメーカーになり、やがて、村全体が平和になり、豊か に、創造性に溢れた場所へと変身します。

 この物語が発表されたのは1946年で、その2年後になんとコスタリカはこのラスールの 物語が予言したかのように、軍隊を完全に廃止するのです。それまでコスタリカは内戦 状態で、中米の中で一番貧しい国だったことが信じられません。

 リタさんはこのラスールの物語に感銘を受け、財団を「ラスール財団」と命名し、夫と 2人でコスタリカ平和部隊というプロジェクトを始めます。平和部隊は平和の技術を授け るトレーニングプログラムであり、コスタリカの全ての人をピースメーカーにするべく 活動していますが、今は学校の先生をターゲットにしています。そして先生から子ども たちにその技術を伝えてもらっています。

 平和の技術とは何でしょう?まず心に平和を感じること(これを実現する最新テクノ ロジーを使った道具があるのです。EM Waveというのですが、心の状態、ストレスの度合 いがすぐにわかる道具です)と、平和を語ること(非暴力コミュニケーション術)の2 つが柱です。平和な心のときには、思考も明晰で建設的な判断ができます。ストレスに さらされているときは、逆の結果になります。

 彼女の話しをすべてここには再現しませんが、訳していて思ったのは、コスタリカの 国民がいかに平和を現実のものにするために不断の努力をしているか、ということです。 日本はどうでしょうか。平和憲法があるのに、どんどん戦争への道を許してこなかった でしょうか。いつの間にか日本の自衛隊は世界有数の軍隊(軍事費では2位から4位の 間)になっているのは、どうしてでしょうか。

 教育基本法を変えて、お国のためにいのちを投げ出す子どもを育てよう、という方向 に今、日本は向かっています。コスタリカでは平和教育法があって、すべての学校、す べてのクラスで非暴力で争い(喧嘩)を解決する方法が教えられ、子どもたちは地球市 民となるよう教育されているというのに。なんという違いでしょう!

 憲法をもっているだけでは平和は実現しません、とリタさんははっきりいいました。毎 日、毎瞬を平和の実現の選択をし続ける、そのためにアイデアを出し合い、トレーニング を受け、一人一人がピースメーカーになる努力をして初めて、平和が現実のものになって いくのです。

 そして1国では平和はできない、とも。実際コスタリカは紛争を抱えた国に囲まれて います。しかし、例えばニカラグアの紛争が激しかった1980年代も、アメリカからの強 い圧力と、タダで強い軍隊を持てるという誘惑に負けず、軍隊を持ちませんでした (アメリカは費用は全部出すから軍隊を作れ、と迫っていたのです)。その代わり、 大統領が周りの紛争国すべてに出かけていって、双方のリーダー(政府と反政府)に 「戦車よりもトラクターを」「兵士の数より教師の数を増やそう」と説得し続け、 ついに中米全体の争いを終わらせたのです。この功績によりノーベル平和賞を受賞した のがオスカー・アリエス大統領です。

 今年の5月に彼がまた大統領に再選されました。実はこのときコスタリカでも改憲を したのです。しかしそれは彼を再選するための憲法改正でした。ノーベル平和賞を受賞 したオスカーをもう一度大統領にするために(コスタリカの憲法では大統領の再選は許 されていませんでした)。日本が憲法9条を捨てようとしているのと、何と大きな違い なのでしょう!

 そして、今、彼女の発案で平和省設立法案(実際には法務平和省という名前になる) が11月7日に正式に提出され、議会での審議を経た後、おそらく来年中頃には成立する 可能性が高いそうです。現在世界で市民が平和省の設立に尽力している国は日本を含め 24カ国ありますが、おそらくコスタリカが最初に実現しそうです(平和省運動がもっと も盛んなのは、なんとアメリカです)。

 彼女の話しは私たちに平和は現実的であり、可能であること、そして戦争よりもずっと 安上がりで、真の繁栄をもたらすことを教えてくれ、大いに勇気づけられました。


 この文章からは、殺人、格差、自殺、いじめなどなど、殺伐とした「醜い国」日本の 現在の状況を克服するための示唆がたくさん読み取れます。コスタリカは人類の「希望の 星」と言っても良いのではないでしょうか。

 柄谷さんは「一国の中だけで、国家を揚棄するということは不可能」という認識のも とに「世界共和国」を構想していきます。なぜそれが不可能なのか。国家の 本質からして「国家間の自然状態(敵対状態)が解消されることはありえない」からだ としています。その意味で「ソビエット連邦」という壮大にして悲劇的な実験の失敗は 必然だったと柄谷さんは考えています。

 柄谷さんの論考があり得べき世界を目指す一つの思考実験だとすれば、コスタリカの 試みは「国家間の自然状態(敵対状態)」を解消しながら理想の世界を目指す新たな現実 での実験と言うべきでしょうか。その実験の一番の障碍は、たぶん、ならず者国家・アメリ カです。

 日本は今コスタリカとは正反対の方向に暴走し始めています。この勢いを今すぐ止められな いとしても、あるいは私(たち)の闘いが今は必敗の闘いであるとしても、私(たち)の 闘いには孫の世代に「希望の芽」を残す役割があります。現在のこの国の支配層(財界・ 政治家・官僚)やマスコミの志の低劣さ、さらに加えて民度の低さを考えると、そのぐら いのスパンをもって闘い続けなければならないと、思ったことでした。
第658回 2006/11/16(木)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(10)
国家の誕生


 柄谷さんは第Ⅱ部を「世界帝国」、第Ⅲ部を「世界経済」と題している。 「世界帝国」とは資本制以前の世界、「世界経済」は資本制以後の世界を指している。 より詳しく次のよう述べている。

 世界帝国とは、古代から世界各地にあった国家です。それは交易圏として、文明として、 あるいは世界宗教として一つのまとまりをなします。古代の国家や部族社会は孤立して 存在していたのではなく、こうした帝国と関係しつつ、その周辺や亜周辺に位置してきた のです。

 15・16世紀に成立した世界市場の下で、それまで切り離されていた多数の世界帝国が 相互につながれ、また、その内部で多数の主権国家に分解されるようになります。その ように成立した「世界」が世界経済と呼ばれるわけです。その世界経済の中で、旧来の 多数の世界帝国は解体され、発展した中枢部と未開発の周縁部というふうに再組織され るようになります。


 四つの交換様式の連関を「世界帝国」と「世界経済」に分けて論じていこうというわけ です。

 第Ⅱ部「世界帝国」は、まず国家の起源から説き始め、互酬的な交換様式を主とする 共同体が国家として転成する契機を次のように述べている。


 生産物交換が共同体と共同体の間に始まるのと同様に、国家は共同体と共同体 の間に発生するのです。しかも、これらは別々の事柄ではありません。共同体 と共同体の間での交換は、共同体の中での互酬とは別のものです。共同体の内 部では、互酬にもとづく規範(掟)があります。しかし、共同体と共同体の間に はそれがない。そこではむしろ、交換がなされる前に、略奪がなされる可能性があ る。交換は、むしろ暴力的略奪が断念されたときに生じるというべきです。共同体 間の生産物交換は、一つの共同体が他の諸共同体を支配し、それ以外の暴力を禁じ ること、いいかえれば、国家と法が成立することによって可能になります。

(中略)

 国家は共同体と共同体の間にはじまるのであって、共同体の内 部からはじまるのではありません。共同体の内部から国家が出てくることはあ りえない。共同体の互酬原理がそれを妨げるからです。

 たとえば、未開社会にも首長はあるが、その互酬原理が、首長に固定的な権力を 与えることを斥けます。互酬的共同体の中では、富を得た者は、それを贈与によって 消費するように強いられる。一人の人間が贈与によって勢威を得ることはあるとして も、そのために富を失うので、もとの状態にもどってしまいます。

 共同体から国家が形成されるように見える場合、実際は、外に国家が存在し、それに 対して周辺の共同体が防衛したり、支配から独立しようとすることによって、国家が形 成されるのです。国家は、そもそも他の国家(敵国)を想定することなしに考えること はできません。国家の自立性、つまり、国家を共同体や社会に還元できない理由はそこ にあります。

 たとえば、カール・シュミットは、道徳的なものの領域が善と悪、美的なものの領域 が美と醜、経済的なものの領域が利と害であるとしたら、政治的なものに特有の領域は 「友と敵」という区別にあるといいました。この見方は正しいと思います。ただ、 「友と敵」という区別は、さらに基礎的な交換様式B(略取-再分配)に由来するという べきでしょう。


 ここで強調されていることは外的国家(<共同体―即―国家>)構成が第三権力 (<共同体―内―国家>)の構成に先行するのであってその逆ではないということです。 滝村国家論から得た私(たち)の理解とおおよそ一致する。しかし、少し補足したい。

 近代以前の形成途上の未熟な(近代的国家から見て)国家にあっても外的 国家構成だけではなく第三権力の形成にも一定の歴史的進展がある。ただ、 外的国家支配の先行的な発展性に比べて、第三権力形成が立ち遅れていて未熟だった。

 その原因は、やはり、経済社会的基盤に求めなければならない。すなわち、局地化 された個々の各種共同体が自給自足的に完結していたために、国民的規模での 生産関係がいまだに形成されていなかったことがその原因です。つまり、その経済社会的 基盤大きく規定されて、国民的規模での一般的共通利害の遂行に任ずる第三権力の全面 的な組織的発展の必然がなかった。

 従って、そこでの国家の形成・発展は、多かれ少なかれ支配共同体が他共同体を、 平和的にあるいは武力的に、次々に束ねたり積み重ねていくように外的国家体制を 形成するほかなかった。交換様式という面で言えば、略取―再配分が支配的な形態と なった。
第657回 2006/11/15(水)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(9)
第4の交換様式「X」


 第4の交換様式「X」とは何か。

それを知るためには、前回、3種類の交換様式のそれぞれを氏族的共同体、<歴史的>諸国家(部族国家・アジア的国家・ 中世国家など)、<近代的国家>と結びつけたが、そのことを詳しく確認することが 必要です。
 この問題では、柄谷さんは国家という言葉を使わずに「社会構成体」 と言葉を使っている。これを、滝村さんのいう<協同社会性の最大かつ最高の範囲>とい う意味と解しておく。これを今までの理解と関連づけると、柄谷さんの用語では、 <近代的国家>の「社会構成体」を特にネーションと呼んでいるということになる。

氏族的な社会構成体
 互酬を支配的は交換様式とする社会構成体だが、内部において互酬が支配的である としても、部分的には、他の共同体との交通、すなわち、略取-再分配や商品交換が すでに存在していた。そして、これが他共同体への侵略・略奪を支配的な経済的手段 とする<部族国家>へと大きく転成していった。

 滝村国家論では、<部族国家>段階を脱却して<世界史的国家>を形成 していった共同体として、三つの典型があげられていた。(「第646回 2006/10/28」)

(1)高度な定着的牧畜・農耕様式を生み出したギリシャ・ローマの場合
(2)相次ぐ戦争と征服のまっ只中から<国家>を形成した古代オリエントやゲルマン人の場合
(3)多くのアジア的諸民族の場合

アジア的な社会構成体
 上記の(3)の場合で、略取(貢納賦役)-再分配という交換様式が支配的です。 しかし、それだけで成り立っているのではなく、社会構成体として束ねられている 個々の共同体は自治的であり、経済的には互酬的な交換にもとづいている。また、 アジア的な社会構成体には、交易があり都市もある。
 また、アラビア地域のように、農業共同体からの責納にもとづくのではなく、遠隔 地交易に全面的に依拠した商業的社会構成体の場合もあるが、ここでは商業や都市は 国家によって全面的に管理されていたので、これもアジア的な社会構成体に属する。 (ここで柄谷さんは「国家」という言葉を用いている。この「国家」は、文脈から 明らかなように<共同体―内―国家>です。)

古典古代的な社会構成体
 (1)と(2)の場合です。柄谷さんはギリシャを例に解説している。
 ギリシアは帝国の文明を享受しつつ、同時に、部族的な互酬性を保持していた。 アテネのように市民(共同体)の間で、徹底的な民主主義体制をとっていたが、それは 他の共同体を征服して獲得した奴隷の労働によって支えられていた。また、ここで は貨幣経済と交易が発展した。
 さらに、ギリシアもローマも、アレクサンダーやシーザーが示すように、アジア的な 帝国に向かって変容し、そして衰滅していった。

封建的な社会構成体
これは滝村国家論でいう<中世国家>です。柄谷さんの解説は次のようです。
 西ヨーロッパでは、集権的な国家をもちえないため、教皇と皇帝の抗争、領主間の 抗争の中で、都市と商業が自立するにいたった。また、農業共同体においでも、土地 の私有化と商品生産が進んだ。しかし、それがただちに封建領主制を覆すものでは なかった。したがって、封建制とは、さまざまな交換形態が共存しつつ、なお、 略取-再分配という交換様式が支配的であるような社会構成体であった。

資本主義的な社会構成体
 資本主義的な社会構成体とは、商品交換(C)が支配的であるような社会です。 ここでは、それまで支配的であった略取-再分配という交換様式(B)は消滅したかの ようにみえるが、変形されて存続している。
 西ヨーロッパでは、絶対王政において、はじめてアジア的な帝国と同様に、常備軍と 官僚機構をそなえた国家が確立されている。そこでは、封建的地代は地租(税)に 転化される。絶対君主によって封建的特権を奪われた貴族(封建領主)たちは、地租を 配分される国家官僚になる。
 また、絶対王政は税の再分配によって、一種の「福祉国家」を装うようになる。 そして、国家の実体である常備軍と官僚機構は、市民革命(ブルジョア革命)に よって人民主権が成立した後にも存続する。つまり、略取-再分配という交換様式は、 近代国家の核心において生きていることになる。

 次いで柄谷さんは、資本主義的な社会構成体における互酬的交換(A)について次の ように述べている。

 資本主義的な社会構成体において、農業共同体は商品経済の浸透によって解体されます が、べつのかたちで回復されるといってよいのです。それがネーションです。ネーション は、互酬的な関係をベースにした「想像の共同体」です。それは、資本制がもたらす階 級的な対立や諸矛盾をこえた想像的な共同性をもたらします。こうして、資本主義的な 社会構成体は、資本=ネーション=国家という結合体(環)としてあるということが できるのです。


 「ネーション」に新しい意味が付与されている。「ネーション」とは「資本主義的な社会 構成体」そのものではなく、互酬的な関係を回復しようとする「想像的な共同体」だと 言う。これは一体どういう意味だろうか。
 「資本制がもたらす階級的な対立や諸矛盾をこえた想像的な共同性」とも言ってい るので、その「共同性」を<共同体―内―第三権力>の成立基盤の一つである 『幻想的な「国民的共通利害」』のことと理解しておく。

 次に柄谷さんは第4の交換様式「X」を次のように提出する。

 しかし、そのような資本主義的な社会構成体には、逆に、そこから出ようとする運 動が生じます。それは、商品交換(C)という位相において開かれた自由な個人の上 に、互酬的交換(A)を回復しようとするものだといってよいでしょう。私はそれを アソシエーションと呼ぶことにします。社会主義とかコミュニズムとかいうと、国家 社会主義と混同されるので、それを避けるためです(図4)。

<図4> 資本制社会構成体の構図
B 国家A ネーション
C 資本D アソシエーション














 ところで、アソシエーションが交換様式A・B・Cと異なるのは、後者が実在するのに 対して、想像的なものだという点です。実際、それは歴史的には普遍宗教が説く「倫理」 としてあらわれたのです。とはいえ、それはたんに観念ではなく、現実に大きな役割を果 たしてきました。たとえば、歴史上にあらわれた社会運動は、おおむね、宗教運動とい う形態をとっています。近代の社会主義運動もまたこのDという位相においてあらわれた といえます。

 これらは、A・B・Cの結合にもとづく資本主義的な社会構成体に対して、外部から対抗 するばかりでなく、その社会構成体に内属しています。ゆえに、交換様式の諸相を考え るとき、Dの次元を省くことはできません。


 前にも述べましたが、「アソシエーション」とは、私(たち)の言葉で言えば、 リバタリアン社会主義です。
第656回 2006/11/13(月)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(8)
四つの交換様式


   前回の「下部構造」と「上部構造」の問題でいい落としたことがある。
 「上部構造は下部構造に規定される」というマルクスのテーゼに対して、吉本さんは 「上部構造は下部構造とは相対的に独立したものとして扱うことができる」として、 その前提の下に「共同幻想論」を論じている。吉本さん自身の言葉を引用すると次のよ うです。


 幻想領域を幻想領域の内部構造として扱う場合には、下部構造、経済的な諸範疇という ものは大体しりぞけることができるんだ、そういう前提があるんです。しりぞけるという ことは、無視するということではないんです。ある程度までしりぞけることができる。 しりぞけますと、ある一つの反映とか模写じゃなくてある構造を介して幻想の問題に 関係してくるというところまでしりぞけることができるという前提があるんです。(「 共同幻想論」の「序」より)


 さて、このシリーズを中断した「第640回 2006/10/22」に戻って、柄谷さんが引用していた マルクスの文章の中の次の一節から再開する。


 人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から 独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する 生産諸関係をとりむすぶ。


 ここでマルクスが「生産関係」ではなく「生産関係」と 言っていることに注意しよう。「生産諸関係」とは単に「生産様式」を指すだけではなく、 人と人あるいは共同体と共同体との交通関係、つまり「交換様式」をも含めた経済活動の 総体を指し示している。滝村さんはこれを<経済的諸形態>と呼んでいる。

 マルクスがもっぱら「生産様式」に重点を置いてたに対して、柄谷さんは「交換様式」 を取り上げる。そして、交換様式には、互酬(贈与と返礼)・再配分(略取と再配分)・ 商品交換(貨幣と商品)という三種類の形態があることに注目している。

 これらの交換様式は歴史的にはそれぞれ氏族的共同体、<歴史的>諸国家(部族国家・アジア的国家・ 中世国家など)、<近代的国家>における支配的な交換様式として考えることができる。 また、「資本=ネーション=国家」との関係で言えば、それぞれ互酬―ネーション、再配 分―国家、商品交換―資本という対応が考えられる。

 しかし、近代的国家においては実際にはこれらの交換様式が混在して機能している。 「互酬」は家族関係や友人関係の中で日常的に見られる。また、第三権力による徴税と 公共事業を通してのその支出は「再配分」にほかならない。

 これら三つの交換様式に対して、柄谷さんは第4の交換様式を理念として 設定して、それを仮に「X」と呼び、次のように図表化している。

<図3> 四つの交換
B 再配分
(略取と再配分)
A 互酬
(贈与と返礼)
C 商品交換
(貨幣と商品)
D  「X」
















第655回 2006/11/12(日)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(7)
「資本=ネーション=国家」再論


 滝村さんの国家論を踏まえて、柄谷さんのキーワード 「資本=ネーション=国家」 という概念を再検討する。

 まず「第636回 2006/10/15『「世界共和国へ」を読む』(3)」での記述を再録する。

再録------------------------------

 資本制経済は、放っておけば、必ず経済的格差と対立に帰結する。 だが、ネーションは共同性と平等性を志向するものであるから、資本制がもたらす格差を解 決するように要求する。そして、国家はそれをさまざまな規制や税の再配分に よって実現する。「資本=ネーション=国家」 資本制経済もネーションも国家もそれぞれ異なる原理なのです が、ここでは、それらが互いに補うように接合されています。私はそれを、 「資本=ネーション=国家」と呼びたいと思います。

 柄谷さんは国民国家をネーションと呼び、それとは別に「国家」という言葉を 使っている。この「国家」についての説明は何もなく自明のように使っているので 「資本=ネーション=国家」という規定がいまいち不明瞭です。上の引用文の文脈 から、ここでいう「国家」は「国家権力」のことと思われる。滝村国家論では「第三 権力」と呼んでいる。以下柄谷さんの「国家」をこのように理解して読んでいく。

-----------------------------再録ここまで

 私の読み取りは全面的に訂正しなければなりません。

 「国家はそれをさまざまな規制や税の再配分によって実現する。」と言っているので ここでいう「国家」は明らかに<共同体―内―第三権力>の意味でしょう。それでは 「ネーションは共同性と平等性を志向するものである」という、この「ネーション」と は何でしょう。明らかに「国家」とは別の意味を担わされている。「共同性と平等性 を志向するもの」とは何を意味しているのだろうか。

 ここで「第643回 2006/10/25 国家の起源とその本質(3)」で引用した滝村さんの 次の論述が参考になる。


 ところで言うまでもなく、どんな共同体もが<国家>になるわけではない。 では改めて<国家>になりうる<共同体>とは如何なる<共同体>か。あるいは、 <国家>の現実的な基盤となる<共同体>というものは、どのような性格をもって いるのか、という問題を考える。

 その答は一般的に言えば<協同社会性の最大かつ最高の範囲である>ということになる。 <協同社会性の最大かつ最高の範囲>というのは、<共同体>の最高のレヴェルである、 といってもよい。しかしそれは何ら絶対的な尺度というものはない。つまり、それは、 実体的な範囲としては、原始末期、あるいは<アジア的>、あるいは<古代的>、あるい は<封建的>、あるいは<近代的>と、そういう<世界史的>なレヴェルにおいて、全部 違ってくる。

 具体的にいえば、<原始>末期だとある種の氏族的な共同体が、<氏族-即-国家>と いうことになる場合がある。
 <アジア>の場合だと<アジア的大家族>みたいなものが、他の<共同体>と一応隔絶 していて、それが協同社会性の最大の範囲である、つまり、生活的な実体として最高であ る、ということになる。その場合には<アジア的大家族>というのは、<国家>になりう る条件を充分にもっている。
 中世の場合には封建領主権力を戴く<農村共同体>が、また、近代以降においては <国民>ないし<民族>が、<協同社会性の最大かつ最高の範囲>であるといえる。

 もちろんそれらの場合、<共同体>と<共同体>との直接的な関係が全くないという わけではないけれども、少なくとも生活している人間にとっての最高の範囲というも のが、<共同体-即-国家>になりうる現実的な基盤である、ということになる。


 どうやら柄谷さんの「ネーション」を<国家>の現実的な基盤となる<共同体>」 と解釈すれば、「資本=ネーション=国家」という概念を納得して受け入れるこ とができる。「ネイション」とは、いわば「国家」の現実的な社会的基盤です。

 「資本」は明らかに「国家」の現実的な経済的基盤をさしている。従って 「資本=ネーション」で「社会経済的国家」と理解して いいだろうと思う。いわゆる国家の「下部構造」を示している。

 すると「資本=ネーション=国家」の「国家」は<共同体―内―国家>と<共同体 ―即―国家>を一体とした「広義の国家」を指すと解釈せざるを得ない。つまり 「政治的国家」を指している。いわゆる国家の「上部構造」というわけです。 事実柄谷さんは、ご本人が意識的であるかどうかは別として、「国家」という言葉を <共同体―内―国家>と<共同体―即―国家>という両方の意味で使っている。

 以上のようなとらえ方が適切であるならば、「資本=ネーション=国家」が指し示す ものこそ最も広義の「国家」つまり完成的に発展した<近代的国家>、言い換えれば 「国民国家」ということになる。従って、柄谷さんが「国民国家をネーションと呼ぶ」と 言っているのは不適切だといわざるを得ない。上に再録した私の記述が混乱した原因は その辺にあったと思われる。

 もう一つ「上部構造」について確認をしておきたい。

 「第386 2005年9月21日」で次のような吉本隆明さんの論述を引用した。


 はじめに共同体はどういう段階にたっしたとき、<国家>とよばれるかを 起源にそくしてはっきりさせておかなければならない。はじめに<国家>と よびうるプリミティウな形態は、村落社会の<共同幻想>がどんな意味でも血 縁的な共同性から独立にあらわれたものをさしている。この条件がみたされる とき村落社会の<共同幻想>ははじめて家族あるいは親族体系の共同性から分 離してあらわれる。そのとき<共同幻想>は家族形態と親族体系の地平を離脱 してそれ自体で独自な水準を確定するようになる。


 共同体の形態という面で言えば、共同体が<氏族的共同体>から<部族的共 同体>へと転成したとき、その共同体は<国家>となる可能性をもつ。しかし、 社会経済的な条件だけでは<国家>を形成できない。<外部的国家>として他の <部族的共同体>を侵略・略奪する武力集団は鉛の兵隊ではない。共同体が 宗教的紐帯や社会的規範という<共同幻想>によって束ねられていることが 重要な要件となる。原初的な<国家>にも、<近代的国家>のような 完成的な<第三権力>からみればはなはだ未熟な形態ではあっても、その <共同幻想>を<法>とする<共同体―内―国家>が萌芽的にでも存在することは 自明なことだと思う。

 こういう意味では「上部構造」を「国家が経済的な下部構造の上にある上 部構造だというような見方は、近代資本主義国家以後にしか成立しません。」 という柄谷さんの論述は成り立たない。正しくは、諸階級・諸階層間を 束ねる幻想的な「共同利害」を担う「国家」、つまり完成的な <共同体―内―第三権力>は「近代資本主義国家以後にしか成立」しない、と いうべきでしょう。
第654回 2006/11/11(土)

国家の起源とその本質(14)
<世界史的>国家と<近代国家>(2)


 これまで見てきたように、<世界史的>国家はいまだ未熟な発展途上にあるとはいえ、 外的国家構成(<共同体―即―国家>)と第三権力(<共同体―内―第三権力)形成の 一定の歴史的進展を示している。

 しかし完成的に発展した国家的支配としての<近代国家>からみた場合、それは 外的国家支配の強烈な先行性に比して第三権力形成が圧倒的に立ち遅れているという 共通の歴史的特質をもっている。

 その原因は、各種の単位的共同体(村落ないし都市)を軸とした地域的社会のもつ 自給自足的な小宇宙的完結性にある。つまり、社会的分業と交通関係の多様でかつ 全面的発展にもとづく一般的共通利害が形成されていなかった。したがって、 近代的な「一元的行政組織と一般法の原則」(マルクス)を生み出すべくもなかった。

 もう少し詳しく言えば、単位的共同体を軸とした内部的には比較的密な各地域的社会 間の交通関係がきわめてゆるい形での連関にとどまっている歴史的段階であることを示 している。階級・階層的分化と形成という面でみれば、単位的共同体の内・外で形成さ れ進展しつつあった階級・階層的差異・対立が、地域的統治権カとして構成される各地 域的社会の形式的独立性のなかに分断され閉塞させられ、統一社会的規模における国民 的諸階級・階層として形成され、登場するまでには到らないことを示している。

 これに対して<近代>市民社会においては、特定地域の産業が、その業種・部門にかか わらず全て、統一社会的規模での網の目の如き交通関係に幾重にも媒介されて、客観的 に国民的産業として編成される。

 統一社会的・国民的規模での社会的分業と交通関係の多様な構造的進展は、国民的緒 階級・階層の分化を必然化する。そしてそれに伴なう国民的<共通利害>と階級・階層 的<特殊利害>との構造的分裂が第三権力を必然化する。つまり、直接現実的な <共通利害>と、階級・階層的<特殊利害>の幻想的な「国民的共通利害」との 保護・統制に任ずる国家権力を完成的に発展せしめた。

 このように、<近代的>国家権力は、外見上は、国民的諸階級・階層とくに支配階級と被支配 階級の二大階級権力の上に立つ階級的社会の<政治的>・<社会・経済的>な体制的 秩序維持に任ずる第三権力として君臨することになる。そして、対外的諸関係をも 含めた高度の統一国家的レヴェルでは、諸階級・階層を抽象的な「国民」として束ねる、 <国民国家>の組織者という幻想的形態をとることになる。

 以上のまとめにあたる記述を引用する。

 歴史的<国家>形成の理論的検討において最も肝要な点は、完成的国家支配を歴史的に 現出せしめた現実的基礎としての<近代的>市民社会が、実は戦争と交易を不断に錯綜さ せた共同体間交通諸関係の長い<世界史的>発展過程を通じてはじめて形成されたことを、 しかと確認することにある。

 かかる<近代的>市民社会形成の<世界史的>過程において、ときどきの歴史的 <国家>形成に直接焦点を合わせるならば、つねに支配共同体ないし共同体支配者形態を とった支配的階級権力が、直接に未熟な第三権力を構成し、支配共同体が他共同体、正確 には独立的な地域的統治権力形態をとった地域的社会を直接かつ個別に束ねる、直接に 内的国家体制としての性格をもった外的国家体制の外延的拡大として現出する他なかった ことを、容易に看取できる。

 因みに<アジア的>ないし<オリエント的>国家形成に象徴される如く、かかる歴史的 構造下での国家的支配の極限的発展は、たかだか<祭祀的・軍役的・貢納的>支配を実質 とした支配共同体による外的国家支配のための、軍事的・行政的(つまり徴税・財政及び 裁判)官僚機構と帝国的刑法・行政的諸法を、偏奇的かつ体系的に肥大させたにすぎな かったからである。


 まだまだ知るべき事柄を多く残しています(とくに<アジア的国家>について)が、 とりあえず、このシリーズはここで終わりにして「世界共和国へ」に戻ります。 国家論については必要に応じて補足していくことにします。
第653回 2006/11/10(金)

国家の起源とその本質(13)
<歴史的>国家と<近代国家>(1)


(1)
 国家の本質と起源に関する理論的解明というとき、それはあくまでも<近代国家> という完成的国家支配の形成が問題であり、<近代国家>を正面にすえて論じなけ ればいけない。この場合は唯物史観の発展史観が方法的前提となる。

(2)
 これに対して、<近代>以前の未熟な歴史的<国家>、つまり<アジア的>・ <古代的>・<中世的>等の<世界史的>国家の歴史的形成と起源を直接に 問題とする場合はおのずとその方法をことにする。

 この二つの位相の違いをふまえて<征服>の問題を考えれば、
 (1)の場合、<征服>の問題が国家の起源・形成論を直接左右することはありえな い。<国家>の本質的形成を直接に<征服>の所産に求める「征服国家論」は、根本的 な方法的錯誤の上に成り立っている。
 (2)の場合、<征服>の問題は歴史的<国家>形成に直接まつわる歴史的事象として 取り上げなければならない。

(1)について
 発展史観を方法的前提として取り込めないブルジョア政治学者の通俗的発想による 国家理論や、それを鵜呑みにした民族学者・人類学者などの実証史家による国家理論 では、国家本質論と体系的論理的関連をもつ次のような国家的支配の組織・形態を 中心とした具体的な諸問題を正当に位置付けることができない。

① 国家支配における<政治的国家>と<社会・経済的国家>との構造的二重化の問題。 法制的にいえば<公法>と<私法>との分化的発展、直接現実的には<政治政策>と <社会・経済政策>との分化の問題。従って当然<租税>・<軍制>・<公教育>等の 問題も含む。
② 第三権力の一般的な制度・組織に関わる問題、とくに統治形態ないし政治形態の問題。
③ 第三権力の特殊な制度・組織に関わる問題。とくに中央集権と地方分権また連邦制の 問題を含む<中央-地方的>組織形態の問題。
④ 国家的支配の直接の場所的実存形態に関わる領域・領土の問題。

 ①や②の問題についてはシリーズ「国家について」や「統治形態論・民主主義とは 何か」で取り上げた。③や④についてもいずれ取り上げたいと思っています。

(2)については滝村さんの論述をそのまま引用する。

 <征服>とは、戦争・交易・外交等を不断かつ相互に錯綜させた交通諸関係のなかで、 支配共同体が他共同体、正確には単位的共同体を軸とした独立的な地方的社会を、より 暴力的・速成的か、より平和的・緩慢的かの如何を問わず、直接かつ個別に束ねること によって、直接に内的国家体制としての性格をもったその外的国家体制を次々に外延的 に拡張していく、政治的歴史過程の総体を呼称するものとすれば、凡そ歴史的国家 <形成>は、<征服>を無視して語ることはできない。

 しかし一般に「征服」という場合には、その歴史的<国家>形成における意義を過大 視する者も全的に否認する者も、もっぱらその暴力的・速成的形態のみを把えているに すぎないのである。それ故、国家の本質論的解明に直接関わる国家の形成・起源論と方 法的に区別される、歴史的<国家>形成の追究において、共同体の内的分解にもとづく 「社会」の内的発展を根本的原動力としたり、<征服>の問題を例外的ないし特殊的 事象として片づける発想は、方法的には国家の本質論的解明の特質を全く看取しえな かった致命的謬論であり、理論的には<近代的>市民社会が<アジア的>・<古代的> ・<中世的>な<世界史的>発展過程を通じてのみ歴史的に形成されたことを忘れ、 <近代>以前の単位的共同体を暗黙のうちに<近代社会>と混同した根本的錯誤のうえ に成り立っているわけである。

第652回 2006/11/09(木)

国家の起源とその本質(12)
<アジア的>国家の形成(2)


 このエンゲルスの論述を滝村さんは次のようにまとめている。


 エンゲルスは、主に古代オリエント的諸域の歴史的事例を念頭におきながら、階級形 成の第一の道として、政治的階級形成の形態が、<アジア的>国家形成に直接先導され たものであることを主張している。従ってこれを<アジア的>国家形成の問題に即して とりあげるならは、エンゲルスは、共同体間諸関係の発展に伴ない、諸共同体を貫く 「紛争の裁決」・「個々人の越権行為の抑圧」・「水利の管理」・「宗教的機能」等の 共通利害の形成を土台として、かかる宗教的・裁判的・社会的職務遂行のための特定個人 より成る公的機関が、社会的分業の所産として創設され、やがて<アジア的>デスポット の如き形態へと独自化していったと説いている。


 しかし、エンゲルスはこの<アジア的>国家の形成という理論を、『起源』では すっかりと放棄している。そうせざるを得なかった理論的必然性を滝村さんは次の ように指摘している。

 ここでとくに問題となるのは、右にいう共同体間諸関係の発展が、かかる<アジア的> 世界において一体如何なる諸形態をとって進展していったか・否いかざるをえなかった かを、エンゲルスが全く考察しようとはしていない点である。換言すればエンゲルスは、 完成的に<帝国>的規模で束ねられた単位的共同体の束ねられる歴史的過程と形態を全 く無視し、「これらの共同体があつまってより大きな全体をつくるようになると」とい う具合に、束ねられた結果のみをとりあげて、やがて専制的国家形態へと大きく転成し ていく公的機関の存立を、かかる諸共同体を貫く現実的共通利害形成からの根本的規定 性において把握するにとどまっている。一言でいえばエンゲルスは、諸共同体を大 きく束ねる際に最も一般的であった歴史的形態としての<征服>の問題を、いわば病的 な慎重さと巧妙さによって回避しようとしている。


 滝村さんは、エンゲルスが<征服>という事実を回避した問題を、国家の起源と 本質を理論的に解明するための方法論という観点から論述している。滝村さんが国家論 の中で<征服>をどう位置づけているのか、それをこれからたどっていくことになるが、 その論述は今まで取り上げてきた諸問題の「まとめ」という意味合いがあるので、その 点に重点をおいてまとめてみようと思う。
第651回 2006/11/08(水)

国家の起源とその本質(11)
<アジア的>国家の形成(1)


 エンゲルスは『反デューリング論』の「第2編 4暴力論(結び)」で、<アジア的> 国家の歴史的形成を支配・被支配階級(支配=隷属関係)の発生という観点から取り上げ ている。まず、それを読んでみる。(村田陽一訳 国民文庫版)

 エンゲルスは支配=隷属関係は「二とおりの道すじから派生した」といい、次のように 述べている。

<政治的階級形成>

 人間はもともと動物界 ― 狭義の ― から出てきたものであるから、それが歴史に 足を踏みいれるときには、まだなかば動物であり、野生のままで、自然の諸力にたいして まだ無力で、自分自身の力をまだ知っていない。したがって、動物と同じように貧しく、 生産性の点で動物と大差はない。生活状態のある種の平等がおこなわれており、また家 族の長について見ても、やはり社会的地位の一種の平等がおこなわれている。 ― すく なくとも、社会階級は存在していない。

 この社会階級がないという状態は、のちの文化諸民族の、農耕をいとなむ自然生的共 同体でもなおつづく。こういう共同体のそれぞれには、最初からある種の共同の利益が 存在しており、それの保護は、たとえ全体の監督のもとでにせよ、個々人に委託されな ければならない。争訟の裁決、個々人の越権行為の抑制、水利の監視 ― とくに暑い 諸国において ―、最後に、太古の原始状態にあっては宗教的機能がそれである。

 このような職務は、あらゆる時代の原生的な共同体に、たとえばドイツの最古のマルク 共同体に見いだされ、インドでは今日でもそれが見いだされる。いうまでもないことなが ら、それらの職務はある種の全権を付与されており、国家権力の端緒である。

 しだいに生産力が増大してゆく、人口がより稠密になると、個々の共同体のあいだに、 ときには共同の、ときには相反する利害がつくりだされる。これらの共同体が一群と なってより大きな全体をつくるようになると、またもや一つの新しい分業が生まれ、共 同の利益を保護し、相反する利益を撃退するための機関がつくりだされる。これらの 機関は、群れ全体の共同の利益の代表者だというだけでも、それぞれの共同体にたいし て、ある特殊な、場合によっては対立的でさえある地位を占めるのであるが、まもなく それは、一部は職務の世襲化 ― これは、なにごとも自然生的に起こる世界では、ほ とんど自明のなりゆきである ― の結果、また一部は、他の諸群との衝突が増大する につれて、これらの機関がますます不可欠のものになってゆく結果、さらにいっそう 独自化してゆく。

 社会にたいする社会的機能のこのような独自化が、どのようにして時とともに強まっ て、社会にたいする支配となることができたか、はじめは召使であったものが、どの ようにして好機に恵まれたところでしだいに主人に転化していったか、この主人が、 どのようにしてそのときどきの事情におうじて、東洋の専制君主またはサトラッブ (太守)として、ギリシアの部族首長として、ケルト人の族長〔Clanchef]して登場し たか、この転化にさいして彼はけっきょくどの程度まで暴力をも用いたか、最後に、 個々の支配者たちがどのようにして一つの支配階級に結合したか ― そういう点に は、ここで立ちいる必要はない。ここで肝心なことは、どこでも政治的支配の基礎に は社会的な職務活動があったということ、また政治的支配は、それが自己のこういう 社会的な職務活動を果たした場合にだけ長くつづいたということを、確認することだけ である。


<経済的階級形成>

 だが、この階級形成とならんで、なおもう一つの階級形成がすすんでいった。農耕 家族の内部での自然生的な分業は、ある程度の裕福さに達したとき、一人またはそれ 以上の他人の労働力を取りいれることを可能にした。古くからの土地の共同所有がす でに解体していたか、またはすくなくとも古くからの共同耕作がそれぞれの家族によ る割当地の個別的耕作に席を譲っていた国々では、ことにそうであった。

 生産はかなりに発展していて、いまでは人間の労働力は、自分の生計を維持するだ けのために必要であるよりも多くのものを生産できるようになっていた。より多 くの労働力を給養する手段が存在していたし、これらの労働力を働かせるための手段 もやはり存在していた。労働力はある価値をもつようになった。

 しかし、自分の共同体や、この共同体が属していた連合体は、自由に使える余分な 労働力を供給してはくれなかった。他方、戦争がそれを供給した。そして、戦争は、 いくつかの共同体群が同時にならんで存在するようになったそのときから、存在していた。それまでは、 戦争の捕虜をどうしてよいかわからなかったから、捕虜はあっさり打ち殺されていた。 もっと以前には、捕虜は食われたのである。ところが、「経済状態」がいま到達した 段階では、捕虜はある価値をもつようになった。そこで、これを生かしておいて その労働を利用するようになった。

 こうして、暴力は、経済状態を支配するどころか、反対に、経済状態に強制的に奉仕 させられた。すなわち、奴隷制が発明されたのである。奴隷制は、まもなく、古い共同 体をこえて発展してきたすべての民族のあいだで支配的な生産形態になった……

第650回 2006/11/07(月)

国家の起源とその本質(10)
「アジア的」とは何か。


 今回から「アジア的国家」について考えます。教科書は滝村隆一著『アジア的国家と 革命』(三一書房)です。

 本論に入る前に今日的問題としての「アジア的」ということを確認しておきたい。 つまり「アジア的」という問題は今日においてもなお私たちの社会を強く呪縛していて、 私たちが止揚していくべき課題として存在している。「アジア的構造の把握」という 論考を読みます。

 以下<>付の個体、つまり<個体>とは「制度を支える個体また制度のなかの個体」 という意味です。<家族>もそういう意味での家族です。
 さて、<アジア的構造>の最も本質的な特質は何かというと、それは<個体>や<家族>が それ自体として原理的に確立していない、つまり生活的(現実的)にも思想的にも 自立していないという点にある。言い換えると、近代国民国家の基盤である<市民社会> がいまだ未成熟であるということです。

 このことは社会的な構造として具体的に次のような形で現存している。


 個別歴史レヴェルにおける<アジア的>な形式制度的構造の厳存は、一方における ワンマン的暴君ないし慈悲深い家父長君主たる<デスポット>の存在と、他方における 一般民衆の強烈な<共同体意識>が、何よりも<デスポット>を奉戴せざるをえない心 情として存続していることに象徴されるということになる。
 この構造はいまだに天皇を温存している日本だけの問題ではなく似非 「社会主義国」の構造でもある。


 ここで翻って現在の「社会主義国」をみると、一方では<デスポット>はいくらか形を 変えて、つまり<毛沢東主席>や<金日成首相>という・人民と共に歩み人民に対して献 身的な・<進歩的デスポット>として、相変らず人民の上に君臨している。他方では、ア ジア的人民に特有の<共同体意識>が、強烈な<民族意識>として再生されている。これ を要するに「社会主義国」が建前上掲げている<制度イデオロギー>としてのマルクス主 義の<近代性>とは別に、そこではまぎれもなく<アジア的構造>が、脈々として波打っ ているのである。


 今は毛沢東も金日成も過去の人だが、彼らを引き継いだ為政者たちは相変わらずの <アジア的構造>のもとで、人民の上に君臨している。

 この構造は国家レベルでの問題に留まらない。社会のあらゆる位相に根強く残存している。


 しかしこれは、われわれにとってたんに彼岸の問題たることを意味しない。わが国をも 含めて中途半端に<近代化>したアジアに特有の進歩的知識人は、多かれ少なかれ、かか るアジア的構造を直視することを避けて、アジアがもっともっと近代化すれば、必ずやア ジア的構造が必然化しているところの一切の<アジア的悲惨>など一挙に解消・霧散して しまうといった無知からくる底ぬけの楽観を抱いている。全く冗談ではない、とはこのこ とだ!

 いかに実質制度的レヴェルで様々な要素が猿真似的に導入され、<近代化>されたとこ ろで、頑強な<アジア>は形式制度的レヴェルで残存し、やがてかかる制度的な二重性が 新たな<アジア的構造>として転成しかねない。これはわが国の政治制度、すなわち<議 会制>とか<官僚制>とかいう<近代的>な制度のなかで左右の政治的利権屋や官僚ども が、それぞれ<小・デスポット)よろしく君臨する<ボス>を頂いて対立・抗争・癒着 し、どんな陣笠代議士でも自己の周囲では<ミニ・ボス)然と振舞っていること一つをみ ても明らかなはずである。

 また社会制度的レヴエルでいえば、何も<アジア的宗教>の大衆連動形態たる新興宗教 を、ことさら引き合いに出すには及ばない。むしろかつては<天皇制の廃止>という政治 的スローガンを提出した左翼的な政治運動家やその同伴的な学者・知識人たちが、自己の 組織(つまり一般党員に対して)や大学の研究室(つまり助手・院生・学生に対して)、 また家庭(つまり妻子に対して)でいかに振舞っているかを正視すれば足りる。

 かくの如く頑強な<アジア>は、われわれ個々人の<内>にもしっかりと根を下してい るのである。それ故、彼らが欧米流の<近代>を猿真似的に借用することによって、恰も 一切の<アジア的悲惨>を一掃しうるかに夢想しているのは、<アジア的構造>の頑強 さ、とりわけ彼ら自身の<内>なるアジア的醜悪さには一向に関心を示さない・アジアに 特有の進歩的知識人の救い難い偽善を暴露しているにすぎないことになる。


 かくも根強く残存している<アジア>の止揚は、私(たち)「自身の<内>なるアジア」 、つまり自然成長的な<日常>のありようの変革から始まる。つまり、<個体>と<家族> の原理的な確立が必要である。しかし、それだけでは十分ではない。覚悟や意志だ けでは変革の真の遂行はおぼつかない。「敵を知れば百戦危うからず」まず 敵をしっかりと知る必要もある。


   われわれが採るべき道はただ一つ、<アジア的構造>を周到に把握して、その根柢的止 揚の道を理論的にまた思想的に追究することである。この場合<個体>原理確立の思想と 運動が、アジア的構造止揚の有力かつ有効な方策の一つであることは疑いえない。しかし アジア的構造の止揚は、何よりも制度的変革つまり<制度としてのイデオロギー>の変革 の問題である。この意味で私は、何よりもまず既成の「社会主義国」や日本社会を対象に して、アジア的な形式制度構造と近代的ないし社会主義的な実質制度的構造との複雑に からみ合った関連が、政治・経済・社会の全レヴェルにおいて、理論的に追究・解明され ねばならないと思う。

第649回 2006/11/05(日)

国家の起源とその本質(9)
<部族国家>から<中世的国家>へ


 ゲルマン民族は、いわゆる民族大移動期に、掠奪・征服戦争を通じて<部族国家>の 極限的進展をはたした。そして、<部族国家>の戦争指揮者としての<部族的・王>とその直属 従士団は、王権・諸侯等の封建領主的な<共同体-内-第三権カ>へと転成していき、 <中世的国家>形成への道を進むことになる。そうした諸<王国>のうち最も強大になった フランク王国をみてみる。

 かつての<部族的・王>とその直属従士団は、飛躍的に強化した軍事的・政治的Macht を背景に大土地所有階級へと転成し、強大な政治的・軍事的・経済的Machtである「新貴 族」層となっていく。そして、実質的には隷農化した一般自由農民やコローヌスを苛酷 に抑圧・支配する<王国>を形成した。

 しかし、形式的にはいぜんとして<部族国家>的制約から脱却できず、<中世的>な <共同体-内-第三権力>=封建領主的権力へと転成するのは、ようやく九世紀初頭のカール大 帝の時代であった。

 カール帝の時代に<王権>と諸侯等の封建領主的権力の<共同体-内-第三権力> としての完成、つまり<封建王政>の完成がなされるが、その社会経済的基礎は、 一つはすでに大移動期にはじまり定着後急速に押し進められた征服した部族の公有地、 とくに森林の横奪を中心とした<王権>と直属従士層の大土地所有者化であり、 もう一つは一般自由農民の隷農ないし農奴への転落による部族的共同体の階級・階層 的分解の進行である。このようにして、すべてのゲルマン人や移住者に対する王権・諸 侯らの封建領主的支配権が西ヨーロッパ世界的規模で確立する。

 カールはどのようにして<封建王政>を完成させていったのか。滝村さんは エンゲルスの「フランク時代」(萩原直訳、『マル・エソ全集19巻』所収、大 月書店)を引用している。


 社会的および国家的秩序がこのようにまったく変化したのにたいし、全自由民の 軍役勤務 ― 彼らにとっては権利であり、また義務でもあった ― に基礎をお く古い軍制は、外面上はもとのままに残り、ただ違っているのは、新しい隷属関係 が生まれたところでは、主君が自分の従者と伯のあいだに割りこんだことだけであ った。

 しかし、一般自由民は年ごとに軍役負担を担うことがますますむずかしくなった。 軍役負担は人身的勤務だけからなっていたのでない。召集された者はまた自分でみ ずからの装備をし、また、最初の六ヵ月間は自己負担でみずからを給養しなければ ならなかった。そして、ついにカール大帝のおこなったたえまのない戦争がこれに とどめをさした。この負担が耐えられないものになったため、貧しい自由民はそれ からのがれようとして、こぞって、残っていた彼らの土地だけでなく、彼ら自身と その子孫の人格をあげて豪族、とくに教会に引き渡すことを選んだほどである。

 カールは自由で尚武の気質をもつフランク人を、彼らが出征をまぬがれるためで さえあれば隷農と農奴になるほうを選ぶというような状態におとしいれたのであった。 これは大多数の自由民がまったくあるいはほとんど所有地を失ってしまったときに、 すべての自由民の全般的かつ平等な土地保有に基礎をおく軍制の実施を、カールがな おも頑固に固執した結果だったのである。


 しかし、カールによって達成された西ヨーロッパ世界の<帝国>的構成は、もっぱら 彼一個の卓抜した軍事的才能と政治的・組織的力量によって、諸<王権>や封建領主的権 力とのレーエン制(封建制)的な君臣関係を一時的に形成したに過ぎなかった。それは 、全ヨーロッパ的規模での緊密な交通関係を現実的に必要としない農村共同体の自給自 足的な完結性というに社会経済的基底に根抵的に規定されていた。よって必然的に、 <帝国>は諸<王権>的支配圏への分解した。そして、外部に向っては、ヨーロッパ世界を 政治的に代表する<神聖ローマ皇帝権>と観念的・文化的に代表する<ローマ法王権> が登場する。つまり、ヨーロッパ世界の<中世的>な政治的・国家的構成(これを簡単に中世 国家という。)が現出することになった。
第648回 2006/11/04(土)

国家の起源とその本質(8)
「部族国家」:ゲルマン部族の場合


   滝村さんはゲルマン部族についての資料として、紀元前50年ごろのカエサルの 「ガリア戦記」(近山金治訳、岩波書店)、 それより約150年後のタキトゥスの「ゲルマーニア」(田中秀央・泉井久之助共 訳、岩波書店)を取り上げている。

「ガリア戦記」の頃


 部族にとって、自分の周囲をできるだけ広く荒廃させて無人に して置くことは最大の名誉である。隣りが土地を逐われて去り、 近くに誰も住もうとしないのを、武勇のしるLとしている。同時 にこれで不意の侵入を受ける惧れがなくなり、一層安全と思っ ている。

 部族が戦争したり、しかけられて防いだりする場合には、戦争を 指揮して生死の権を握る首領が選ばれる。

 平和の時には一般の首領はおらず、地方やパグスの有力者がそれ ぞれの中で裁判をし、論争を静める。

 部族の領地の外で為される強奪は不名誉にならない。それは青年を 訓練し、怠惰をおさえるために行われると言われている。

 会議で有力者の中の誰かが自分が指導者となろう、賛成の者は出て くれ、という時、その目的と人物を認めれば立ち上って助力を約束し、 その人は皆の喝采をうける。従わなかったものは反逆者か裏切者とさ れ、それからは何にでも信用がなくなる。


 その政治的社会構成はいぜん<原始的>な<氏族-部族的>構成体であった。日常平時における<小事>の もめごとに関しては、単位的共同体の首長や長老等の「有力者」が、慣習的な共同体的 規範に従って調停・勧告・処理し、戦争等の<大事>に際しては、能力ある者が自薦・ 他薦によって<軍事指揮者>として選出される。このような公的制度を<原始的民主 主義>と呼んでいる。


「ゲルマーニア」の頃

 この頃にはすでに多くの部族は同系部族連合へと発展し、<外的国家>として 一定の進展をみせ、<部族国家>形成への第一歩を踏み出して、<部族的・王>をも 生み出している。

 そこでの<部族国家>形成には、①自生的・内発的なものと②外部的支配(主として ローマ帝国)への直接的対抗に発するものとの二つの形態がある。


①の形態
 いぜん<原始的>な<氏族-部族>制の根本原理が基本的に保持されてはいたが、 やがてそれを解体しその反対物へとかなりの速度をもって転生・発展しつつあった。 タキトゥスが「彼らは王を立てるにその門地をもってし、大将を選ぶにその勇気を もってする」と記した<部族国家>形成に伴なう<部族的・王>が登場する。

 もうすこし詳しい論述を要約する。
 多くの共同体は、その生産様式がいぜん粗野な原始的段階にとどまっている間は、労多 くして収穫の少ない地味な生産的活動よりも、労なくして夥しい戦利品(金銀財宝・ 家畜・食糧・奴隷等)の獲得と恒常的な貢納・徴税を可能とする他共同体への掠奪・支 配のための戦争の方を選んだ。とりわけ諸部族や強大な<帝国>的支配圏との<交通> 関係が盛んであったところでは、諸部族がこぞって掠奪・支配のための戦争を、 <部族的>共同体の主要な協同社会的活動とする傾向にあった。

 その結果、当初は何よりも祭祀主催者としての性格が強かった平時<首長>と区別され て戦時にのみ選出されたにすぎなかった<軍事指揮者>の任務と地位が、ますます重 要になり高まっていった。多くの場合、掠奪・支配を目的とする戦争が主要なものになっ た段階で、本来的には祭祀の主催者としての<首長>の地位は<軍事指揮者>に譲り渡 されていく。かくして<首長>としての<軍事指揮者>は、祭祀的主催者としての権威も あわせ持つようになる。しかも、部族をあげての戦争は、戦勝すれば莫大な戦利品を得て 裕福となるが、敗戦すれば皆殺しか奴隷へと転落し部族の滅亡となる。従って、とくに 相次ぐ戦勝と征服による戦利品の掠奪と周辺部族の支配によって政治的・経済的な発展 を遂げた部族では、それを可能とした直接の功労者としての<軍事指揮者>に対する、 制度的な固定的独立化と素朴かつ原生的な神格化が行われる。

②の形態
 ①のように内発的な下からの<部族国家的・王>の転成ではなく、支配的部族や強大 な<帝国>の外部的支配の必要から<部族国家的・王>を押しつけられるケースがある。

 多くの場合主として地理的要因のため他部族との交通関係から半ば取り残されたり、 さらに余り好戦的でないといった部族の自然的資質という要因も加味されて、いまだ 統一部族的構成あるいは連合部族的構成が実現されておらず、統一部族的<首長>も 存在しない<原始的>な段階の部族が、強大な部族や<帝国>の支配下において 支配者の<宗主権>を承認して<貢納>・<軍役>的傘下に組み入れられた場合である。

 この場合は共同体支配の統治方策として全部族的な統括者としての「首長」の選出 あるいは奉戴を強制される。もちろんこの場合、部族民の<意志>とは関係なく支配者 が自己に都合のよい人物を指定して押しつけることもある。しかしここで本質的なことは、統一的 「首長」が外部強制的に選出され、部族的な「王」または<帝国>的官制における将領級 (上級軍隊指揮者)の称号を授与されることによって半ば<部族国家的・王>としての 性格を獲得する一方、半ば強大な外部的支配力(もとよりすでに宗教的に神格化されて いる)の実存形態としての性格(部族支配の手先きないし代官としての性格)をも、付 与されたことである。

 そこで、多くの場合強圧的かつ苛酷な<貢納>・<徴税>的支配によって否応なしに 顕在化する統一部族的共同体としての独立化への欲求が急激に高まると、外部強制的 に設定された統一部族的「首長」の下に結集して一気に<部族国家>を構成し、強大 な外部的支配力へ抵抗・反抗する部族解放戦争へと突入する。(もとよりこれは、外部的支配者によって、設定された・制度としての・統一部族 的「首長」の下に結集するという意味であって、この過程において当然のことながら外部的支配者の 傀儡的「首長」は追放ないし殺害され、新たに軍事的指揮者としての<首長>が選出され る。)

 この際重要なことは、この試みが成功した場合でも失敗した場合でも、強大な外部的 支配力を駆逐・排除・粉砕するための、少なくともそれに拮抗できる、同じく強大な <外的国家>を構成したことにある。かつては外部的支配力の実存形態であった統一部族 的な「王」が、今度は自前の神的・宗教的観念によって神格化され、改めて<部族的・ 王>として定着する。

 以上のように、①と②のケースに要因の違いはあっても、統一部族的な<外的国家> 形成の急激な進展によって統一部族的<首長>から<部族的・王>への制度的な発展的 転成と定着化が進行するという点に何ら違いはない。
第647回 2006/11/03(金)

国家の起源とその本質(7)
「部族国家」:マケドニアの場合


 紀元前4世紀のマケドニアはかろうじて<部族国家>的結合をなしていた一部族 的共同体に過ぎなかったが、フィリッポス二世(在位紀元前359年 - 紀元前336年)・ アレクサンダー(在位前336年 - 前323年)という二代の傑出した政治・軍事指導者の出現 によって、またたく間に近隣周辺諸国を征服し一気に世界的大帝国を築いた。

 滝村さんは原随圏著『アレクサンドロス大王の父』(新潮社)を『厳密精緻な実証史的 考証をふまえた・実に雄大な政治史(ないし政治家)論』と絶賛している。そして、 その著書からの引用文をもとに、「フィリッボス二世登場以前→フィリッボス二世時代 →アレクサンダー大王時代」と推移していくマケドニアの<部族国家>の構成をたどって いる。


 マケドニア人はギリシア民族の最後にバルカン半島に入って来たものと思われる。 そしてその生活の様式も、ホメロスの叙事詩に伝えられる昔のギリシア人のように 諸部族に分れて各々酋長を戴いていた。そして都市国家を作るということもなかった。 あたかもアテナイの全盛時代においても、アイトリア人とかエピロス人は原始的な生活 を送っていたといわれるが、ちょうどそれに近い原始生活をしていたのである。

 彼らは家長的な王、将帥としての力をもつ王、政治的にも祭祀の上にも最高の権能を もった王を戴いていたのである。その王の点についても、ちょうどホメロスにあらわれ てくるギリシア人の姿に似たものであった。例えば軍人の会によって王が推戴されたり、 あるいは長老が王の顧問となっていた如きがそれである。ただホメロス時代には統一す るほどの大きな勢力がなかったのに対して、マケドニアにおいては、多年の武力征服に よって、上下マケドニア地方がともかく統合されて一国を形成し、被征服地方の貴族た ちは王の下に隷属していたという差違がある。またホメロス時代に仲間(ヘタイロイ) というものが、食卓仲間であり戦友であったのに対して、マケドニアにおいでは、王の 下に隷 属する武士がヘタイロイであり、その中からさらに王側近のヘタイロイが選ばれて顧問となってい たのであった。

 ホメロスの時代に『食卓の仲間』としての武士をへタイロイといった。血縁による 結束であった。マケドニアにおいてもへタイロイと呼ばれる騎士があつて会食の時に 王と同じ食卓につく名誉が与えられた。昔のような血族の集団ではないが名門のもの であった。プトレマイオス・アロリテスがテパイに人質を出した時には、自分の子供 と五十人のへタイロイを送っている。これはへタイロイが重視きれていたためである。

 軍においては、わけても戦友たちが苦楽をともにするという精神的連鎖が必要であ る。フィリッポスは、テバイにおいて『神聖隊』がつくられて、しばしば至難と思わ れる任務を果した。のみならず、ピタゴラス派の教育において団結の必要なことを十 分に教えていた。フィリッポスは従来からあったヘタイロイの制度を、もっと活用す べきだと考えた。

 そこでフィリッボスは、騎兵の数を増す方針をとるばかりでなく、常置の騎兵部隊を 作って今までの臨時編成にかえた。それを地方別に編成した。軍隊の団結をかたくする には、血縁か地縁かによるのが有利だからである。かくてイリリアと戦った時には (前358年)六百の騎兵、フォキスのオノマルコスと戦った時には(前352年)三千の騎 兵を出すことができた。

 アレクサンドロス大王の頃にはさらに発達して、ガウガメラの戦の時には(前332年)、 へタイロイは八部隊に分れており、各部隊はおよそ三百騎から編成されていた。また アルベラの戦の時には(前331年)、エリミオテス、オレスティス、リンケスティスなど の地方別に組織していたのである。その他に『王の部隊(パジリケイレ)』とよばれる 特別の部隊をつくった。騎兵の中でも一番精鋭な部隊であったといわれるが、単に王護 衛を目的としたものではなかった。

 そのほか楯をもった護衛兵として『王のピパスピテス』という歩兵があった。当時の ギリシアでは他にみられぬものであった。アレクサンドロス大王の頃には、一番美々し い、また一番よい武装をした護衛兵となっている。この他、王の帷幄(いあく)には 七名(後八名)の親衛(ソコト・ヒユノラケス)という者があった。軍の最高幹部で、 毎日、王を護衛するとともに、王の命令をうけ、王に代って指揮をとる統率者で あった。

 第一は国内問題としての豪族の制圧策である。王位継承の紛糾からみてもわかるよう に、豪族の存在はたしかに国内動乱の根本的な禍根をなしていた。旧来の土豪の勢力を 分散するために強硬な疎開方策を断行したのである。例えばオレステス、エリミオテス、 リンケスティスの如きは、アレクサンドロスの頃には、軍の単位をなす一地方と変化し ている。王室に対する国内の一敵国ではなくて、完全に一国の要素としてとけこんでい る姿ではないか。

 第二の問題は新しい貴族武士の設定である。これはフィリッポスの新しい軍制の結果、 従来のような血統による貴族とちがって、王に直属し、王と栄枯を共にすべき新しい武 士として出現した貴族である。従って伝来の土地をもっているわけではない。彼らには 武士として独立してゆけるだけの土地を与える必要があった。即ち論功行賞として新し く土地を配分して、王に服属する新貴族をつくりあげたのである。

 フィリッポスの周囲に集まって王の殊遇をうけた武士は八百人を下らなかった。その 八百人の所領からえられる収益は、これを主のギリシア諸国で、一番富裕な、また最も 広い領土をもっている人々一万人の得分にも匹敵したという。フィリッポスが旧勢力を おさえて、直接自分に奉仕する新貴族を、いかに多く集め、いかに厚く酬いたかという ことが知られる。

 もちろんぺルディッカスとかポリスペルコンなどという武将は昔の名門から出てはい る。しかしそれらも昔の名門として登用されたのではなく、新たにその力量と手腕とに よって直属の武将として用いられたのである。

            統帥部に当る『近衛の将軍(ソマトピニラケス)』は多分フィリッポスの頃に設けら れたと思われるが、アレクサンドロスの時に七人の将軍の名があげられている。その 七人はペラから四名、オセステスから一名、エオルダイアから二名である。


 滝村さんはヘタイロイの制度の変遷に注目する。それは概略次のようにまとめられる。

 いぜんとして<原始的>色彩の濃い素朴な牧畜農耕種族が、<部族国家>的段階から、 相次ぐ戦争と征服によって、政治的・国家的にも社会的・経済的にも急激な変化を遂げて いく様子が読み取れる。つまり、ギリシャ・ローマの場合とは大きく異なり、 <王>直属の軍の中核であり<親衛隊>でありさらには<側近官僚>でもある新しい 政治的・経済的支配層である「新貴族層」が形成されていき、<部族国家的・王>から <王国-内-第三権力>さらには<帝国-内-第三権力>へと急速に自立的転成を遂げ ていった。

 これは、<部族>的共同体の定着によって形成された特異な<地域共同体>的結集にも とずく社会的分業の進展の中から、経済的な支配階級が徐々に形成され、共同体的公 務の実権を徐々に獲得するに到ったものであり、ギリシャ・ローマに代表される<下 からの道>に対して、支配階級形成の<上からの道>を示すものに他ならない。