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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
国家の起源とその本質(3)
「共同体―即―国家」


   <共同体-即-国家>という概念は<広義の国家>の外的な側面を指している。 それは、最も発展的に完成された典型的な社会構成を想定すれば次のようです。

 その共同体の<政治的社会的構成>は<第三権力>を中心にして内的な政治体制を つくっている。しかし、この内的な政治的・国家的構成とは一応別に、他の社会構成と 直接切り結びせめぎ合うような対外的諸関係のレヴェルでの<政治的社会的構成> が考えられる。それは否応なしに<外的国家意志>によって直接、擬制的な<幻想的 共同体>として組織された<外的国家>として構成されざるをえない。

 すなわち、社会構成の対外諸関係のレヴェルでは、その社会構成は、その独立性 と自立性を守るためには、否応なしに<外的国家>として構成されることによって、 必ず、他の<共同体>に対して抑圧性・排他性というのを持たざるを得ない。 言い換えると<共同体-間-第三権力>性というものを持たざるを得ない。 そのことを<共同体-即-国家>という概念であらわしている。

 ところで言うまでもなく、どんな共同体もが<国家>になるわけではない。 では改めて<国家>になりうる<共同体>とは如何なる<共同体>か。あるいは、<国家>の現実的な基盤と なる<共同体>というものは、どのような性格をもっているのか、という問題を考える。

 その答は一般的に言えば<協同社会性の最大かつ最高の範囲である>ということになる。 <協同社会性の最大かつ最高の範囲>というのは、<共同体>の最高のレヴェルである、 といってもよい。しかしそれは何ら絶対的な尺度というものはない。つまり、それは、 実体的な範囲としては、原始末期、あるいは<アジア的>、あるいは<古代的>、あるい は<封建的>、あるいは<近代的>と、そういう<世界史的>なレヴェルにおいて、全部 違ってくる。

 具体的にいえば、<原始>末期だとある種の氏族的な共同体が、<氏族-即-国家>と いうことになる場合がある。
 <アジア>の場合だと<アジア的大家族>みたいなものが、他の<共同体>と一応隔絶 していて、それが協同社会性の最大の範囲である、つまり、生活的な実体として最高であ る、ということになる。その場合には<アジア的大家族>というのは、<国家>になりう る条件を充分にもっている。
 中世の場合には封建領主権力を戴く<農村共同体>が、また、近代以降においては <国民>ないし<民族>が、<協同社会性の最大かつ最高の範囲>であるといえる。

もちろんそれらの場合、<共同体>と<共同体>との直接的な関係が全くないという わけではないけれども、少なくとも生活している人間にとっての最高の範囲というも のが、<共同体-即-国家>になりうる現実的な基盤である、ということになる。
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