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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(5)
1848年から1990年まで



 1848年の革命のその後についての柄谷さんの記述を要約する。

   1848年の革命でAもDも敗北した後に、こうした社会主義に対する「対 抗革命」として福祉国家資本主義(B)が台頭する。

フランス
 革命の過程で、ナポレオンの甥ルイ・ボナパルトが、あらゆる階層の支持を 得て大統領になり、さらに皇帝に就任する。ルイは社会主義者(サン・シモン 派)であり、国家による産業発展と同時に、労働者の保護や社会福祉を実現し ようとした。

ドイツ
 1848年の革命でビスマルクが登場する。ビスマルクは宰相となって、プロシャ の飛躍的な工業化を進めると同時に、社会主義的な労働者対策をとっている。

イギリス
 自由主義(C)に該当する国はイギリスだった。フランスやドイツの福祉国家資本 主義は、当時経済的・軍事的に世界を庄倒していたイギリスに対抗するための 政策でもあった。
 しかし、イギリスではリベラリズムでありながら、1848年以後、労働組合の 保護や社会福祉政策などが急速に進んで、フェビアン協会のような社会民 主主義が出現した。

 そして柄谷さんは、1870年を実質的に帝国主義時代に突入した節目の年と 位置づけている。

1870年
 この年、国家資本主義によって急激に重工業化を遂げたフランスとプロシャの 間に戦争が起こった。勝利したプロシャは、南北戦争(1865年)によって統一 を遂げたアメリカ合衆国と並んで、イギリスの自由主義的帝国に挑戦するよ うになる。さらに、明治維新(1868年)以後に、プロシャをモデルにして急 速な産業革命をとげた日本も、そこに加わった。

 一方、プロシャに敗北したフランスでは、翌年パリ・コンミューンが成立した。 これは1848年の革命の延長とみなせるものであり、リバタリアン社会主義 (アソシエーショニズム)がその最後の光芒を放つものだった。それ以後、 社会主義運動はまったく違ったものになっていく。


 どうしてそのようなことになってしまったのでしょうか。1870年以前には社会 主義運動を担った人たちは、主に職人的労働者であり、独立心が強く組織を嫌う アナキストでした。しかし、19世紀末、重工業化が進む時期には、その基盤は なくなります。それで、アナキストも労働組合に依拠するサンディカリストに 転じたのですが、一般的にいって、アナキストは革命家というよりも反抗者で す。革命騒ぎは大好きだけれども、地道な政治・経済的な問題にとりくむこと ができないタイプの人が多い。彼らは組織と権力を嫌い、国家を否定するとい う理由から現実的な改革には関与しないし、選挙にも行かない。そのような 「リバタリアン社会主義」に嫌気がさした人たちが、国家社会主義(A)や福 祉国家主義(B)に向かったとしても仕方がないといえましょう。

 実際、19九世紀末から、社会主義運動はこの二つに分かれていきます。その 一つは、エンゲルスの相続人であったベルンシュタインに代表される社会民主 主義(福祉国家主義)であり、他方は、レーニンに代表されるロシアのマルク ス主義(ボルシェヴィズム)です。

 後者は、ロシア革命の結果として絶大なる影響力をもつようになりましたが、 結局、国家社会主義(スターリン主義)に帰結し、社会主義そのものへの幻滅 をもたらすことになりました。レーニンがプロレクリア独裁のあとに死滅する と想定した国家が、官僚体制とともに、この上なく強固になっていったからで す。そして、それに対する批判として、1960年代に初期マルクスやプルー ドンを復活させる運動、つまり「リバタリアン社会主義」が出てきたという わけです。

 1848年から現在までの社会主義の命運の大筋を知ることができた。しかし 「彼らは組織と権力を嫌い、国家を否定するという理由から現実的な改革には 関与しないし、選挙にも行かない。」というアナキストに対する評言には少し 異論がある。

 アナキストは「組織と権力を嫌い、国家を否定する」のではなく「そのヒエラ ルキー」を否定しているのです。ヒエラルキーのない共同体や組織を求めている。 だから、そういう方向で、前々回記載したように、さまざまな 「現実的な改革」に関与してきた。
 また「選挙に行かな い」のは、ブルジョア民主主義というまやかしの民主主義システムでの選挙が なんら改革につながることがないからなのです。実際、選挙を重ねるごとに 状況は悪くなってきている。ここでの状況の良し悪しはリバタリアン 社会主義に近づいているか否かを基準にしての評価です。この観点からは 支配階層の被支配階層へのわずかばかりの譲歩とその後のそれを凌駕する反動 という繰り返しが選挙というセレモニーの成果でした。(シリーズ「選挙について」を参照して下さい。)

 ついでながら、「選挙について」の第一回のまくらで塩野七生さんの次の文章を引用した。

『政治家に支配されているとか搾取されているとかの被害者意識は、いい加減に捨てることです ね。それよりも、民主政治や主権在民という言葉の意味を再認識すべきです。 政治の担当者を生か すも殺すも有権者しだいと思い、その権利を活用すべきです。
 そのための手段は何かと言うと、選挙、そしてスキャンダル。選挙については説明するまでもな いでしょうが、スキャンダルも有効な手段であることに変わりはありません。』

 スキャンダルが権力者を追い落とす有効な手段だということには同意しよう。
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