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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第636回 2006/10/15(日)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(3)
国家の四つのタイプ



 近代の国民国家(ネーション=ステート 以下ネーションと呼ぶ。)は 資本主義の世界的な拡大(グローバリゼーション)の過程で生まれ変化し 成長してきた。

 当然、各国家は国家の内部だけに閉じては存続できない。他の国家や資本と の相互関係の中で影響しあっている。一国内に閉じようとすれば、かっての 大日本帝国や現在の北朝鮮のように、世界の孤児となり、経済的にも困窮 きたす。

 しかし、世界に開かれているとしても資本主義の市場経済がもたらす諸矛盾や 階級対立は必然であり、その矛盾の緩和あるいは解決がネーションの最重要の課 題となる。


 資本制経済は、放っておけば、必ず経済的格差と対立に帰結する。だが、ネー ションは共同性と平等性を志向するものであるから、資本制がもたらす格差を解 決するように要求する。そして、国家はそれをさまざまな規制や税の再配分に よって実現する。資本制経済もネーションも国家もそれぞれ異なる原理なのです が、ここでは、それらが互いに補うように接合されています。私はそれを、 「資本=ネーション=国家」と呼びたいと思います。

 柄谷さんは国民国家をネーションと呼び、それとは別に「国家」という言葉を 使っている。この「国家」についての説明は何もなく自明のように使っているので 「資本=ネーション=国家」という規定がいまいち不明瞭です。上の引用文の文脈 から、ここでいう「国家」は「国家権力」のことと思われる。滝村国家論では「第三 権力」と呼んでいる。以下柄谷さんの「国家」をこのように理解して読んでいく。

 国家は資本主義的矛盾を「共同性と平等性を志向」して解決を図るが、その 「共同性と平等性」は、ブルジョア民主主義国家では見せ掛けに過ぎない。 国家意志が経済的支配階級(ブルジョアジー)の階級的特殊利害にもとづく 意志・要求に大きく規制されている。(「第93回 滝村隆一の国家論 2004年11月15日」、 シリーズ「民主主義とは何か」を参照してください。)

 さて、共産主義革命による「国家社会主義」国家の出現が先進資本主義国家に 与えた危機感が社会主義への対抗政策として選んだ道の一つが「福祉国家」だった。 そして「福祉国家」は民衆の社会的自由や経済的解放において「国家社会主義」 国家を凌駕した。言い換えると国家社会主義が資本主義に敗北した。その結果が ソ連の消滅だった。


 資本、ネーション、国家の接合は、危ういバランスによって存在する ものです。それは一国の内部だけで考えることはできません。たとえば、福祉 国家を例にとってみます。

 そこでは、資本=ネーション=国家という三位一体が最もうまく機能してい るようにみえます。しかし、これは20世紀後半、いわゆる「社会主義」に対す る危機感から、先進資本主義国家がとった形態です。だから、1990年以後、 「社会主義」圏が消滅すると、福祉国家への動機がなくなります。その結果、 「安い政府」が主張されるようになりました。資本が海外に出て行って、自国の 労働者が失業しても構わない、それより、資本の利潤を優先すべきだ、結局、 それが国民の利益にかなうことになる、という主張が、まかりとおるように なったのです。

 そのような新自由主義に対する反対は各地にありますが、おおむね排外的 ナショナリズムか文化的・宗教的な原理主義になってしまい、それらを超え る普遍的な理念をもちえないでいます。
 資本主義の負の部分ばかりを肥大させた新自由主義という安直な思想が世界的 な規模でどれだけの災厄や悲惨をもたらしていることか。そういう事実にも かかわらず新自由主義者たちは自らの無知無謀を恬として恥じない。新自由 主義に対峙し、それを超える「普遍的な理念」の構築が急がれる。

 「普遍的な理念」への道を探るために、まず国家の諸形態を俯瞰しておこう。

 柄谷さんは、言語学者ノーム・チョムスキーが提出した「産業的先進国で とりうる四つ国家の形態」(1971年)を援用して、次の<図1>のようにまとめている。

<図1> 国家の四つの形態

統制度↑・↓自由度
B 福祉国家資本主義
(社会民主主義)
A 国家社会主義
(共産主義)
C リベラリズム
(新自由主義)
D リバタリアン社会主義
(アソシューショ二ズム)








←不平等・平等→










 国家社会主義(A)とはいわゆる共産主義のことで、具体的には、ソ連のような 国を指します。この当時、ソ連は産業的先進国とみなされており、また、途上国 にとって工業化のモデルとされていました。

 つぎに、福祉国家資本主義(B)とは、ケインズ主義的・福祉国家的な体制で す。これは、社会民主主義といいかえてもよいでしょう。

 リベラリズム(C)とは、チョムスキーはフンボルトの思想を例にとって 語っていますが、むしろアダム・スミス以来の経済的自由主義だといってよい と思います。この時期では、それはハイエクに代表されます。ハイエクは、 ケインズ主義や社会民主主義を、国家社会主義(A)ではないにしても、国家を 強化し「隷属への道」につながると批判した。リベラリズム(C)は、現在も 新自由主義という名で存続しています。

 最後に、チョムスキーが最も好ましいという形態は、リバタリ アン社会主義(D)です。これは、福祉国家資本主義(B)を否定し ながら、同時に、国家社会主義(A)への道を拒否し、「リベラル な社会主義」を求めるものです。
 これがA、B、Cと異なるのは、どの国でも実際に存在したことがないという 点です。A、B、Cが資本、ネーション、国家のどれかに従属しているのに対し て、Dは、それらを出ようという志向をもっています。これはむしろ現実的に は存在しえないものです。しかし、無限に遠いものであろうと、人がそれに 近づこうと努めるような「統整的理念」(カント)として機能しつづけま す。


 柄谷さんのリバタリアン社会主義(柄谷さんの用語では「アソシエーショニズム」) についての記述は、次の「アナキズムFAQ」 がアナキズムについて述べていることと同じことを述べていると私は思う。

『アナキズムは未来社会だけに関わっているのではない、今現在生じている社会 闘争にも関わっている。アナキズムは一つの状態ではなく、 自分たちの自主活動と自己解放が創り出すプロセスである。

 「リバタリアン社会主義」国家はいまだかって存在しない。しかし リバタリアン社会主義を「自己解放が創り出すプロセス」とするなら、 「どの国でも実際に存在したことがない」という柄谷さんの判断には異議が ある。そのようなプロセスは「パリ・コミューン」や「マフノ運動」など、 事例にこと欠かない。「第498回 ロシア革命の真相(15)2006年5月11日」で 書き出したこれまでのリバタリアン社会主義運動の事例を再録する。


 マフノ運動が目指した自由社会は、所詮は実現不可能な「ユートピア」に過ぎ ないだろうか。

 「アナーキズムFAQ」は労働者による自由のために闘いを次のように 列挙している。私(たち)の知らない闘いがまだまだあるに違いない。

パリ=コミューン(1871)
ヘイマーケット事件(1886)
イギリスにおけるサンジカリスト叛乱(1910-1914)
メキシコ革命()1911-1917)
イギリスにおける職場代表制(ショップ=スチュワード)運動(1917-21)
ロシア革命(1917)
ドイツ革命(1919-21)
スペイン革命(1931)
ハンガリー動乱(1956)
キューバ革命(1959)
1960年代後半の「就労拒否」闘争(特に1969年イタリアの「熱い秋」)
ポルトガル革命(1974)
英国の炭鉱ストライキ(1984-85)
英国の人頭税反対闘争(1988-92)
フランスの1986年と1995年のストライキ
80年代と90年代のイタリアのCOBAS運動
21世紀初頭のアルゼンチン叛乱における民衆集会と自主管理型職場占拠

『革命と大衆闘争は「虐げられた者の祝祭」である。その時に、普通の人々が、 自分のために行動し始め、自分自身と世界の両方を変え始めるのだ。』

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