2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第628回 2006年10月6日(金)
「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(5)
銀河鉄道の夜
賢治の作品には宗教的とまではいかないけれどもきわめて倫理的な情操が色 濃く表されているものがある。信仰とは直接にかかわりないところで、賢治に とって倫理とはどのようなものだったのだろうか。
その倫理の問題の要は法華経20章「常不軽菩薩品」ではなかったかと思われる。
「常不軽菩薩品」は常不軽菩薩という人の次のような事蹟が書かれている。
常不軽菩薩は、悟りを開くための坐禅や修行をしないし、お経もあまり読まな い。出あった人には誰に対しても「わたしはあえてあなたがたを軽んじたりし ません。あなたがたはやがて、菩薩になられる人で、最高の悟りに達せられる 人です。だから、じぶんはあなたがたを礼拝します」と、礼拝だけしかしない。 それ以外のことはなにもしない。常不軽菩薩はそういうお坊さんです。それは 誰だったかというと、終わりの所で世尊が、それはかつての自分自身だった 、わたしはその生まれ変わりだ、と言いいます。
賢治の童話のなかには虐げられた人、差別された人、弱小な人、動物とかに たいする一種のシンパシーが流れている作品が多い。それらはごく普通のわか りやすい倫理です。しかし、賢治が描いている最高の倫理は、それほどわかり やすいものではない。それは、たとえば「銀河鉄道の夜」のなかの「烏を捕る 人」をめぐるジョバンニの心の動きの中に読み取ることができる。
「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(5)
銀河鉄道の夜
賢治の作品には宗教的とまではいかないけれどもきわめて倫理的な情操が色 濃く表されているものがある。信仰とは直接にかかわりないところで、賢治に とって倫理とはどのようなものだったのだろうか。
その倫理の問題の要は法華経20章「常不軽菩薩品」ではなかったかと思われる。
「常不軽菩薩品」は常不軽菩薩という人の次のような事蹟が書かれている。
常不軽菩薩は、悟りを開くための坐禅や修行をしないし、お経もあまり読まな い。出あった人には誰に対しても「わたしはあえてあなたがたを軽んじたりし ません。あなたがたはやがて、菩薩になられる人で、最高の悟りに達せられる 人です。だから、じぶんはあなたがたを礼拝します」と、礼拝だけしかしない。 それ以外のことはなにもしない。常不軽菩薩はそういうお坊さんです。それは 誰だったかというと、終わりの所で世尊が、それはかつての自分自身だった 、わたしはその生まれ変わりだ、と言いいます。
賢治の童話のなかには虐げられた人、差別された人、弱小な人、動物とかに たいする一種のシンパシーが流れている作品が多い。それらはごく普通のわか りやすい倫理です。しかし、賢治が描いている最高の倫理は、それほどわかり やすいものではない。それは、たとえば「銀河鉄道の夜」のなかの「烏を捕る 人」をめぐるジョバンニの心の動きの中に読み取ることができる。
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