2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
第646回 2006/10/28(土)

国家の起源とその本質(6)
「部族国家」:ギリシャ・ローマの場合




 今回から、「世界共和国へ」の「第Ⅱ部 世界帝国」の内容と関連する事項になります。

 この<部族国家>段階を脱却してどのようにしてどのような<世界史的国家>を形成 していくのは共同体によって大きく異なる。大きく三つの典型がある。
(1)高度な定着的牧畜・農耕様式を生み出したギリシャ・ローマの場合
(2)相次ぐ戦争と征服のまっ只中から<国家>を形成した古代オリエントやゲルマン人の場合
(3)多くのアジア的諸民族の場合

 まずギリシャ・ローマの場合を見ていく。

 ギリシャ・ローマでは、<部族国家>段階へ突き進んだと思われる諸部族の「集住」が、 特殊な生産様式と結合して独自の地域的共同体を創出した。そして、その内部的な社 会的分業の進展が<部族的>共同体の階級・階層的分解をもたらした。その過程において、一度は<共同体-内- <部族的・王>を中心とする「貴族層」が自立的な<共同体-内-第三権力>を形成して<部族国家> の段階を超えるかにみえたところで、下層の「平民層」の抵抗と闘争によって<貴族層>は 引きずり降され、<共同体-内-第三権力>という意味での<国家>は形成されなかった。 比較的階級・階層的落差の小さい「自由平等な私的所有者」としての<市民>による <都市共同体>を生み出した。すなわち外部的には<支配共同体>としての <都市国家>、内部的には自身の<法>と<共同機関>を把持した<古典古代的> な<都市共同体>へと発展的に転成するに到る。
 この経緯をもう少し詳しくたどってみる。

 前8世紀後半までには完成されたといわれるギリシャ(特にアテナイ)における <都市>への「集住」=「シュノイキスモス」は、<部族国家>の段階にあったと 思われる四つの同系(イオニア系)異部族の連合という形式をとっていたが、 実質的には「貴族層」の主導による「貴族共同体」としての<政治的統一>であった とされている。

 そこでの当初における政治的形態は、<部族的・王>及び<首長>を中心とする 長老層が経済的富裕化によって原初的な「貴族層」へと転化するという共同体内部 の変化に基礎づけられている。つまり、それは数個の異部族からの<部族王>の中 から選ばれた第一人者としての<王>を中心とする<王政>ないし<貴族政>であった。 しかしながら、この「王政」はあくまでも<部族国家>的な<王>によるものである。 <王>は何よりも<軍事的指揮者>であり、内部的には<祭祀長>であり、さらに 裁判に際しては<民会>での決定(つまり共通の一般的意志)によって根本的に 制約された<裁判長>であり、<部族国家的・王>の域を少しも出るものではなかった。

 以上のことは、滝村さんによる『起源』からの引用文を読むと<部族国家>について さらに確かなイメージ得られる。

 「ホメロスの詩ではギリシアの諸部族はおおむねすでに小さい民属集団に結合 しているが、しかしその内部で、氏族、フラトリア、部族がなおその自主性を完全 に保持しているのか見られる。それらは、すでに城壁でかためた都市に住んでいた。 畜群や畑地耕作が拡大し、手工業の端緒が生まれると共に、人口は増大した。それと 共に富の差が増大し、それに伴なって古い原生的な民主主義の内部に貴族的な要素 が成長した。各個の小成属は、一番よい地帯を占居するため、またもちろん戦利品 を得るため、絶え間ない戦を行なった。捕虜の奴隷制はすでに公認の制度であった」

 「元来はおそらく氏族の首長たちから構成されたのであろうが、後にこれらの首長の 数が多くなりすぎてからは、そのうちから選抜された人々で構成され、これが貴族的 要素の形成と強化との機会を与えた。実際、ディオニュシオスも、英雄時代の評議会は 貴人から構成されていた、とはっきり述べている(『ローマ古代』〕。評議会は或要 事件にかんして最終の決定を行なった」

 「英雄時代のギリシア人と同じに、いわゆる王の時代のローマ人も、氏族、フラト リア、種族を基礎とし、それから発展してきた軍事的民主制のもとに生活していた。 たとえクリアと種族はなかば人為的な構成物であったにしても、それらは純粋の、 原生的な社会の原型にのっとって形づくられたものであって、この社会からうまれ、 そしてあらゆる面でまだこの社会にとりかこまれていた。
 原生的なパトリキ貴族がすでに地歩を占めていたにせよ、またレックスがしだいに その権能をひろげようとこころみていたにせよ - そのことは、制度の本来の根本 性格をかえるものではない。そして、問題はただこの根本性格だけにあるのである。」

 「……最後に、元老院および民会とならんで、レックスがいたが、これはギリシァの バシレウスにそっくり対応するもので、モムゼンがえがきあらわしているような、 ほとんど絶対的な王ではけっしてなかった。彼もまた軍隊指揮者であり、司祭長で あり、また若干の裁判所における裁判長であった。軍隊指揮者としての懲戒権、 または裁判長としての判決執行権に発するものでないかぎり、市民の生命、自由・財産 に関する民事行政上の権能あるいは権力を、全くもっていなかった。
 レックスの職務は世襲ではなかった。反対に、おそらくそれは前任者の提案にもと づいて連合クリア会議でまず選挙され、ついで第二回目の会議で公式に任命されたも のであろう。これを罷免することもできたことは、タルクィニウス・スペルブスの運 命が証明している。」
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第645回 2006/10/27(金)

国家の起源とその本質(5)
<部族国家>とは何か。


 <共同体-即-国家>形成が<共同体-内-国家>形成に先行することを 歴史的=論題的に証示する第二の事例として、滝村さんは『広く個別歴史的国家形成に おいて一般的に現出した<部族国家>』を取り上げている。

 <部族国家>は完成された<国家>ではなく、<外的国家>形成の一定の進展段階 において、<共同体-内-第三権力>の萌芽的形態がようやく生み落された過渡的段階 を指している。

 それを一般的に定義すると、<部族的>共同体が<外的国家>として一定の進展を すると、<軍事的指揮者>に共同体内部における祭祀的・政治的・経済的な第一人者 的地位を付与されて<部族的・王>となり、<共同体-内-第三権力>へと転成する。  つまり、<外的国家>の侵略・支配の膨張的拡大発展が、極限的には<王国>を登 場せしめる。しかしこの場合も、いぜん根強い<部族制>的制約を保持している。

 以上のことをより詳しく、滝村さんは次のように論している。


 <原始的>共同体においては、殺人・傷害・姦通・窃盗等の成員相互間のもめごと の出来に際して、慣習的な<共同体的規範>に従った、形式的かつ名目的な祭祀的主 催者たることによって、同じく形式的かつ名目的な調停・勧告者として<首長>ない し<長老>が登場し、共同体全体に関わる他共同体との紛争とりわけ戦争に際しては、 右の平時<首長>とは別に、形式的かつ名目的な軍事指揮者がその都度選出された。 かかる事情をふまえるならば、軍事的指揮者であると同時に祭祀的主催者としても 現出する<部族国家的・王>は、当初の単なる<軍事的指揮者>から、戦争による 他共同体の掠奪・支配によって獲得した食糧・家畜・財貨・奴隷等が否応なしに齎す 物質的な富裕を、いわば唯物論なバネとして、やがて必然的に、共同体にかかる大き な利益を約束する<軍事的指揮者>たることによって、<首長>の地位を獲得し、 そのことによって同時に<祭祀的>主催者としても登場することになったものと 思われる。

 これを権力論的にいうならば、他共同体との掠奪・支配をめぐっての抗争とりわ けときに部族全体の存亡・興廃を賭けた<戦争>が、主要とはいわないまでも極め て重要な協同社会的活動としての位置を占めることによって、<部族的共同体>の政 治的かつ軍事的性格、正確には<共同体(部族)-即-国家>としての<外的国家> 構成は力強く進展し、軍事指導者すなわち戦争遂行における指導者の、<外的国家> 構成における当初は名目的かつ形式的な第一人者的地位が、対内的立場すなわち祭 司的・政治的(正確には共同体的公務への関わり)かつ経済的地位における第一人 者的立場へと、徐々にだが確実に.転化しつつある、<国家>形成の過渡的段階で ある。

 

 このような<部族国家>は<国家>形成の一定の進展段階であり、前<アジア的>・ <古代的>・<中世的>な<世界史的国家>の段階の個別歴史的国家の形成において 一般的にみられるものです。さらにこれを共同体の構造的特質という面から見ると、 次のようになる。


 <氏族-部族的>共同体構成に比しての<部族国家>的構成体の構造的特質は、 共同体内・外における交通関係と社会的分業の相互にからみ合った一定の進展が、 多くの場合ときに移動を伴なった定着的牧畜・農耕様式へと突き進み、以前とは 異なった一定の生産力水準を獲得することたよって、内部的には、上層のいわゆる 「貴族層」すなわち<王>及び<首長>・<長老>層と、それ以外の一般成員及 び奴隷とのいまだ僅少な階級・階層的落差を生み出したにもかかわらず、外部に 向っては、他と区別される<協同社会性の最大の範囲>としての<政治的・社会的・ 経済的・文化的>な関係が、いぜんとして<部族的>ないし同系諸部族連合的結合 体(構成体)として押し出され、したがって他のそれとの支配=従属の権力関係に おいては、<共同体(部族)-即-国家>としての<部族国家>として構成されざ るをえない、過渡的な段階たる点にある。

国家の起源とその本質(4)
<外的国家>の形成


 これまで「国家論におけるマルクス主義と国家社会主義」の前半分の「国家論」 を要約してきました。今回からは、柄谷さんの「原始社会(部族的共同体)においては、 そもそも国家がなく、…」という記述部分で疑問に思ったことを考えたい。

 「原始社会(部族的共同体)においては、そもそも国家がな」いという主張は、 言い換えると<部族国家>という概念を否定する立場です。これはエンゲルス の『家族・私有財産及び国家の起源』(以下単に『起源』とする。)に対する レーニン解釈を神格化し信奉している「正当マルクス者」たちの主張するところ です。滝村さんはこれを実証的にも論証的にも批判して国家論を展開しています。 今度の問題についてもやはり滝村さんの論文を教科書とします。まず『国家の本質と起源』( 勁草書房)所収の「歴史的国家の形成 第一章<部族国家>とは何か?1原始的共同体 と部族国家」を読みます。以下はその要約です。

 一般論として、歴史的にも論理的にも<共同体-即-国家>の形成が <共同体-内-国家>の形成に先行する。その概略は次のようです。

 <氏族>的構成を日常生活上の基本とし、<部族>的あるいは連合部族的結合 を他の共同体と区別される<協同社会性の最大の範囲>の上限とする<原始的>共同体を 考察の対象とする。

 <原始的>共同体は<共同体-間-交通関係>にもとづく<共同体-間-社会分業> という段階にまで進展したとき、地域的かつ文化的な小世界圏を生み出す。  この段階での共同体は内的には<原始的>構成体の本質をいぜん堅持したまま、 同時に外部的には他共同体を半ば恒常的に支配・隷属させ、<共同体-即-国家>形成 への第一歩を開始する。その事例として『起源』から次の文が引用されている。


 大多数のアメリカ・インディアンは、種族への結合以上にはすすまなかった。 小人数の種族をなし、広い境界地帯でたがいに分離され、不断の戦争のためによ わまっていた彼らは、少数の人間で広大な領域を占領していた。そこここで、 一時の危急に応じて、親縁諸種族間の連合がつくられ、その危急の情勢が去る とくずれた。しかし、個々の地方では、もともと親縁関係にあった諸種族が 分裂状態を脱し、ふたたび結合して永続的な連合をつくり、こうして民族(Nation) 形成への第一歩をふみだしていた。

 合衆国では、イロクォイ人のあいだに、このような連合のもっとも発達した形態が 見いだされる。彼らは、ミシシッピ河西部のその居住地 ― そこでは彼らはおそら く大ダコ族の一支族をなしていたと思われる ― を去って長い漂泊をつづけたのち、 セネカ、ケユーガ、オノンダガ、オネイダ、モホークの五種族にわかれて、現在の ニューヨーク州に定着した。彼らは、魚肉や野獣肉や粗放な園圃耕作で生活し、たい てい柵でまもられた村落に住んでいた。

 人口はかつて二万人をこえたことがなく、五種族のすべてにわたっていくつかの 共通の氏族をもち、同ー言語の、たがいに近い親縁関係にある諸方言をはなし、 いまや一つながりの領域を占居してそれを五種族のあいだに分割していた。

 これはあらたに征服した領域であったから、駆遂した相手に対抗してこれらの種族 が慣習的に協力したのは自然であり、これが発展して、おそくも15世紀初頭には本 格的な『永久的連合』、連盟(Eidgenossenschaft)になった。

 連盟はまたじきに自分の新しいカを感じて攻撃的性格をおびるようになり、その 勢力(Macht)の絶頂期である1675年ごろには、周囲の広大な地域を征服して、その 住民をなかば駆逐しなかば朝貢させていた。

 イロクォイ人連合は、未開の低段階をふみこえない範囲内で(したがってメキシコ 人、ニュー・メキシコ人をのぞく)インディアンの達成した、もっともすすんだ社会 組織であった。


 滝村さんはここで<朝貢>という事実に着目する。


 いうまでもなく<朝貢>という事実は、それだけですでに<共同体>が他共同体に 対して<支配共同体>として君臨すること、もう少し正確にいえば、共同体の <外的意志>が他共同体に<貢納>を強制する内容をもつことによって、他共同体 を支配・抑圧する<外的国家意志>の最も素朴な形態へと転化し、そのことによって <外的国家>形成への第一歩が踏み出されたことを意味している。
 

国家の起源とその本質(3)
「共同体―即―国家」


   <共同体-即-国家>という概念は<広義の国家>の外的な側面を指している。 それは、最も発展的に完成された典型的な社会構成を想定すれば次のようです。

 その共同体の<政治的社会的構成>は<第三権力>を中心にして内的な政治体制を つくっている。しかし、この内的な政治的・国家的構成とは一応別に、他の社会構成と 直接切り結びせめぎ合うような対外的諸関係のレヴェルでの<政治的社会的構成> が考えられる。それは否応なしに<外的国家意志>によって直接、擬制的な<幻想的 共同体>として組織された<外的国家>として構成されざるをえない。

 すなわち、社会構成の対外諸関係のレヴェルでは、その社会構成は、その独立性 と自立性を守るためには、否応なしに<外的国家>として構成されることによって、 必ず、他の<共同体>に対して抑圧性・排他性というのを持たざるを得ない。 言い換えると<共同体-間-第三権力>性というものを持たざるを得ない。 そのことを<共同体-即-国家>という概念であらわしている。

 ところで言うまでもなく、どんな共同体もが<国家>になるわけではない。 では改めて<国家>になりうる<共同体>とは如何なる<共同体>か。あるいは、<国家>の現実的な基盤と なる<共同体>というものは、どのような性格をもっているのか、という問題を考える。

 その答は一般的に言えば<協同社会性の最大かつ最高の範囲である>ということになる。 <協同社会性の最大かつ最高の範囲>というのは、<共同体>の最高のレヴェルである、 といってもよい。しかしそれは何ら絶対的な尺度というものはない。つまり、それは、 実体的な範囲としては、原始末期、あるいは<アジア的>、あるいは<古代的>、あるい は<封建的>、あるいは<近代的>と、そういう<世界史的>なレヴェルにおいて、全部 違ってくる。

 具体的にいえば、<原始>末期だとある種の氏族的な共同体が、<氏族-即-国家>と いうことになる場合がある。
 <アジア>の場合だと<アジア的大家族>みたいなものが、他の<共同体>と一応隔絶 していて、それが協同社会性の最大の範囲である、つまり、生活的な実体として最高であ る、ということになる。その場合には<アジア的大家族>というのは、<国家>になりう る条件を充分にもっている。
 中世の場合には封建領主権力を戴く<農村共同体>が、また、近代以降においては <国民>ないし<民族>が、<協同社会性の最大かつ最高の範囲>であるといえる。

もちろんそれらの場合、<共同体>と<共同体>との直接的な関係が全くないという わけではないけれども、少なくとも生活している人間にとっての最高の範囲というも のが、<共同体-即-国家>になりうる現実的な基盤である、ということになる。
第642回 2006/10/24(火)

国家の起源とその本質(2)
「共同体―内―国家」


 共産主義的内部構成をもった原始的な共同体においては、生産力の増大・分 業の発展などの変化にともない、その共産主義的構成の崩壊が始まる。その 崩壊は極限的には<階層・階級分裂>をもたらす。

 その新たな形態で形成・発展しつつある社会構成の共同体においても、 協同社会的な利害を管理しなければならないという現実的な必要性から、 <協同社会的な>形式的秩序は絶えず維持していかなければならない。 そこに半ば自然性的にイデオロギー的な<第三権力>、つまり <共同体―内―国家>が生起する契機がある。

 国家をイデオロギー的な<第三権カ>と規定する理由は次のようです。
 共産主義的構成の崩壊が始まった共同体を協同社会的に維持していくため には、支配階級と被支配階級という二つの階級権力を軸として展開される 諸階級・階層間の対立・抗争・闘争を、非敵対的な協同社会的秩序のもとに 包括しなければならない。それはつまり<幻想上の協同社会性>という イデオロギーのもとに統御することです。そして、二大階級権力の上に 立つ<第三権力>として国家のみがこれを遂行できる。

 従って、<第三権カ>としての<国家権力>の支配は、その本質において、 <階級性>があたかも<協同社会性>であるかの如く貫徹されるところにある。 この意味で、<第三権力>としての<国家権力>の本質が<階級性>にあると いう場合、何よりも以上のような過程的構造上の特質を考えてのことです。

 第三権力により統御された協同社会性が<幻想上の協同社会性>であるという 点が重要です。


 しかし考えてみれば、社会の共同体的(協同社会的)な形式的秩序を特殊 に問題としなければならないこと自体、いいかえれば、社会の内部共同体的 (協同社会的)構成と切り離された形式的秩序のみを維持しなければならな いということ自体、すでにそれが形骸化されたところの<協同社会性>、 すなわち<幻想上の協同社会性>に他ならないことを意味しているわけです。 この点を充分に理解していないと、かつての「構造改革派」の理論家のよ うに、とりわけ「現代国家」において社会的なまた経済的な機能として 開花・展開した各種の<協同社会的機能>を、純粋な<協同社会的利害>の 遂行と過大評価する愚を犯すことになってしまいます。


 さて、この<第三権力>のより具体的なあり方、つまりその<実存>形態 を考えるとき、<政治的国家>と<社会的国家>という概念が必要となる。


 <政治的国家>というのは、要するにより<幻想的な協同社会性>というも の、そのあらわれであり、これに比すれば<社会的国家>の方は、より<直 接的な協同社会性>を体現しているのだ、そう了解して欲しいわけです。

 つまり、<政治的国家>は、より直接の<政治的・イデオロギー的>な支配の 体系を指しているわけです。

 これにひきかえ<社会的国家>の場合には、社会的・経済的な問題とりわけ <階級社会>における<協同社会的な利害>に関わる側面から<国家>支配の 体系を把えたということです、その意味でこれは、より<直接的な協同社 会性>を意味すると考えてよいわけです。

 しかしにもかかわらず、この<社会的国家>というものも、<国家意志>が 背後に存在するという点において、それ自体がより直接の<階級性>から侵害 を受けて非常に形骸化してしまっていることとは別に、本質的には <第三権カ>の構造の中で根柢的に規定され、<第三権力>としてのみ <実存> しうるというふうに、立体的に把える必要があるわけです。

第641回 2006/10/23(月)

国家の起源とその本質(1)
国家論における二つの位相


 と、いうわけで国家について勉強しなおすことにした。このホームページでは 三回目の国家論ということになります。その後で「世界共和国へ」に戻ります。

 目標は、もちろん、科学的な国家論でなければならない。教材として、 とりあえず滝村隆一著『「アジア的国家と革命」第二部「国家の原理と 政治の論理」』所収の「国家論におけるマルクス主義と国家社会主義」 を選んだ。

 動物を逸脱してしまった人類(私はチョッとふざけて「ドウツブ」と 命名した。)は共同体を形成して生きるほかにこの地球という環境を生きぬくことができなかった。しかし、相互扶助を旨とした 共生のための共同体がいつしか国家という巨大な怪物に変貌してしまった。 人類を自然の脅威から解放するはずのものが自らの存続を脅かす脅威・桎梏 となってしまった。このドウツブが陥ってしまった陥穽、あるいは宿痾とも 言うべき巨大な怪物から人類が解放されることは、はたしてあるのだろうか。

 この巨大な怪物は一筋縄では捕捉できないしろものです。いきおい、 その怪物の解明は多面にわたり難解にならざるを得ない。
 滝村さんの論文は私にはとても難解です。白状すると私は滝村さん の労作を、必要に応じて拾い読みをしてきただけで、きちんと読んでいな い。しかも、手元にある本も20~30年ほど前に出版された3冊だけ。そのよう な事情の下での選択だから、今回選んだ論文が目下の目的にかなった適切な ものかどうか心もとない。途中で他の論文を追加したり、他の論文に鞍替えし たりするかもしれないが、ともかく読み始めます。(なお、これから 読む論文は講演録です。)

 滝村さんは国家を<共同体―内―国家>と<共同体―即―国家>という二つの 位相に分けて論じている。その二つの位相は言い方で<狭義の国家><広義の 国家>とも言っている。この二つの概念がどういう意味なのか、とりあえず 私の理解を述べておきます。論文を読み進めるうちにより詳しくはっきりとし てくるはずですが、あるいはその過程で訂正を要するかもしれない。

 <共同体―内―国家>あるいは<狭義の国家>とは一つの共同体の内部において 機能している国家、つまり<国家権力>のことです。
 <共同体―即―国家>あるいは<広義の国家>とは他の国家との関係において、 つまり国際社会の中で機能する国家のことです。

 次回に詳論します。
第640回 2006/10/22(日)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(6)
「史的唯物論への疑問」への疑問



 「世界共和国へ」を通読したとき、いくつかの疑問点はありながら全体して 共感したし新たな認識も多々得るところがあったので、精読してみようと思 いたってシリーズのテーマとして取り上げることにした。そのとき、 そのいくつかの疑問点はとりあえずおいておいて、横道に入ることを避けるつもりだった。 そうしても全体を読みすすめるのに支障はないと思っていた。

 例えば、前々回(10月16日)の「19世紀の構図」でアソシエーショ二ズム(D) にマルクスを入れていることに疑問があったが、柄谷さんがその理由を述べてい る部分をあえて取り上げなかった。そこで引用した文に『初期マルクスや プルードンを復活させる運動、つまり「リバタリアン社会主義」が出てきた』と あったので、ここでは「マルクス=初期マルクス」ということで納得することに した。

 さて、前回で「序」が終わり、今回から「第Ⅰ部 交換様式」に入るわけですが、 その入り口ではたと立ち止まってしまった。今度の疑問点はよく吟味しておかなけ れば、これからの読解に混乱が起きそうに思える。詳しく検討しなければならな いようです。「第Ⅰ部」の冒頭の一節を全文引用する。


史的唯物論への疑問

 資本とネーションと国家について考えるとき、 私が参照したいのはマルクスで す。というのは、マルクスだけがそれらに関して、包括的な把握を示したからで す。しかし、すでに述べたように、そこには国家やネーションに関する認識上の 欠落があります。たとえば、マルクスはつぎのように書いています。


 わたくしの研究にとって導きの糸として役立った一般的結論は、簡単につぎの ように公式化することができる。人間は、その生活の社会的生産において、一定 の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生 産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくつており、これ が現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造 がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応してい る。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。(『経済学批判』序言、武田隆夫 ほか訳)


 このような見方は、のちにエンゲルス以下のマルクス主義者によって 「史的唯物論」と呼ばれています。ここで問題がある のは、国家を、文学や哲学その他と同じようなもので あるかのように「上部構造」においたこと です。しかし、国家が経済的な下部構造の上にある上部構造 だというような見方は、近代資本主義国家以後にしか成立しません。それ以前に おいては、国家(政治)と経済とに、はっきりした区別はありえないのです。

 たとえば、原始社会(部族的共同体)においては、 そもそも国家がなく、 したがって、経済的な構造と政治的な構造の区別はありません。また、「東 洋的国家」においても、国家装置(軍・官僚・警察機構など)は、経済的な 意味での支配階級の上にあるものではない。皇帝・王とそれを支える官僚層 全体が、まさに経済的な意味での支配階級なのです。


 このくだりでは強調文字(赤字)のところが疑問点です。

 「資本=ネーション=国家」という概念が提出されたとき、ここでいう「国家」 を「国家権力」と解釈して読み進んできた。ところがここでは 文脈から明らかに「法律的、政治的上部構造」を「国家」としている。さらにその後では 「国家(政府)」と国家を「政治権力の執行機関」という意味で使っている。 これでは、当然「法律的、政治的上部構造」というマルクスの考えが問題になってしまう。 私は「共同幻想としての国家」あるいは「政治的国家」は「文学や哲学その他」と同じ 「上部構造」と考えるので、「法律的、政治的上部構造」という言葉に何の違和ももた ない。

 したがって、「法律的、政治的上部構造」が「近代資本主義国家以後にしか成立しない」 ということにも、その後の近代資本主義国家以前の国家(国家の起源の問題も含めて)に ついての説明にも、私は納得できない。

 上に見たような「国家」という概念についての混乱を放置したままではこれ以上 「世界共和国へ」を読みすすめることはできないと判断した。国家についてはすでに「国家について」と「統治形態論 民主主義とは何か」と 2回テーマにしている。しかし、今度はもっと総括的な国家論を勉強しておかな くてはならないようだ。
第639回 2006/10/21(土)



今日の話題

マスゴミと狆ゾウ

 もう大方の方がご存知のことでしょうが、おそまきながらこのホームページにも 記録をとどめておきたいことがある。ハイ、ますます使い物にならなくなって きたゴミ、マスゴミと、スキャンダルまみれのオコチャマランチ狆ゾウのことです。 ゴミはゴミをもって集まるとか…

 植草一秀さんの痴漢容疑はコイズミ・ポチ政権による口封じのための冤罪 (国策逮捕)だということは、もうほとんど確かです。じつは、国策による口封 じ事件がもう一つあった。

 イーホームズの藤田東吾社長は耐震偽装事件で世間が大きく揺れているときに、 架空増資という微罪で別件逮捕された。これは明らかに耐震偽装事件の 真相を隠蔽するための国策逮捕です。藤田さんの口を封じたかった。

 しかし、藤田さんは命を懸けて封を解いた。架空増資事件について有罪の判 決を受けた直後に行われた司法記者クラブの会見で、藤田さんはアパグループ というマンション販売企業の耐震偽装を告発した。当日この会見にはほとんどの 新聞社・テレビ局の記者が出席していたが、その告発の内容を報道したのは 東京新聞だけだった。他の新聞と全てのテレビはこの重要な告発を完全に無視 している。何故でしょう?

 ちなみに、アパグループの会長・元谷外志雄は狆ゾウの後援会「安晋会」の 副会長です。

ほとんどのマスゴミがスルー、アパの元谷が安晋会副会長だから?地震がおきて犠牲者が出たらどうするの?それじゃあ「憎いし苦痛じゃん」バナー ほとんどのマスゴミがスルー、アパの元谷が安晋会副会長だから?地震がおきて犠牲者が出たらどうするの?それじゃあ「憎いし苦痛じゃん」バナー

おなじみ雑談日記さんのアニメバナーです。

 藤田さんは、金儲けのために国民の命を食い物にしているアパグループをこの まま野放しにできないと、この件に命を懸けているようです。マスゴミが無視し たので狆ゾウに直訴することにした。逃げばかりをうっている自称「戦う政治 家」は、今度も姑息な対応に始終しているようです。これは現在進行中です。

 以上の詳しいいきさつは、きっこの日記 の10月15日以降の記事で知ることができます。

 マスゴミのゴミ振りをもう一つ。

 佐高信さんはマスコミの政治関係報道のあり方について、与党と野党の報道量 の比率は3:7ぐらいで丁度バランスが取れた報道になる、と言っている。しかし、 マスゴミはこの逆を行なっている。もっとひどい比率かもしれない。しかも 与党についての報道は破廉恥なほどのヨイショ振りに対して、わずかな野党につ いての報道では必ずマイナスイメージを織り込む。このマスゴミの退廃ぶりを 如実に示している例を森田実さんのホームページ が報じている(10月17日の記事)

 10月14・15日、国民新党が結党後初の全国研修会を開いた。これをマスゴミはどのように 報道したか。


 (1)正確な報道=東京新聞、(2)ねじまげ報道=毎日新聞、(3)無視=朝日、読売、 日経、産経の4紙。

 まず、正確に報道した10月15日付東京新聞朝刊2面の記事を紹介する。

《参院選で躍進/政界再編狙う/国民新党・綿貫氏
 国民新党は14日、埼玉県江南町で、結党後初の全国研修会を開いた。冒頭、綿 貫民輔代表は「郵政民営化は大失政だった」などと小泉前政権を批判。その上で 来年夏の参院選について「一つでも多くの議席を獲得し、それを起爆剤に政界再 編につなげたい」と決意を述べた。
 また、亀井静香代表代行は「自民、公明両党を過半数割れに持っていくことが 絶対条件だ。そのためには民主党や社民党とも選挙で手を結ぶ」と表明。参院 選後の政局のキャスチングボートを握るため、野党間の選挙協力を進める考えを あらためて強調した。
 同日の研修会には国民新党所属の国会議員8人のほか、全国特定郵便局長会や 宗教団体の関係者ら支援者約500人が出席。
 亀井久興幹事長は「党員は現在10万人だが、年内に倍増させ、参院選までに 『30万-50万人』にするという目標に向け頑張る。支部もつくっていきたい」 と述べ、党員拡大と組織作りに協力を求めた。》

 次に「ねじ曲げ記事」(10月15日付毎日新聞朝刊)を紹介する。

《参院選の後に自民と連携も/国民新党・亀井氏
 国民新党の亀井静香代表代行は14日、埼玉県江南町で開いた同党研修会で 「安倍晋三首相が反省し(地方重視に)予算を見直せば、助けるという立場も 出てくる」と述べ、来夏の参院選後に自民党と連携する可能性に言及した。 参院選については民主、社民両党との選挙協力を「徹底的にやる」と強調して おり、参院選で与党を過半数割れに追い込み、キャスチングボートを握る戦略 を示したものだ。》

 私自身、亀井静香代表代行の挨拶を目の前で聞いていたが、毎日記事は亀井 演説をねじ曲げている。亀井代表代行は、演説全体を通じて自民党をきびしく 批判し、自民党と戦うことを力強く強調した演説のなかで、安倍内閣が追い詰 められ苦しくなって小泉政権の政策を反省して見直し、政策転換に踏み切り、予 算を見直せば、その動きを助けるということもあり得ないわけではないという 趣旨でほんの一言語っただけである。全体の流れは「対決」であった。

 繰り返すが、話の本筋において亀井氏は「対決」を強調し、そのなかで例外的 に柔軟な対応もないわけではないとの態度を示したのである。毎日新聞の記事は、 この一言をとらえて、亀井演説をねじ曲げたのである。おそらく、現場の記者が 送った記事をデスクが書き換えてしまったのではないか(「こういうことはよく ある」と元新聞記者の友人は言う)。いずれにせよ、大新聞のこういうやり方は よろしくない。

 しかし、最もひどいのは、1行も報道しなかった朝日、読売、日経、産経の 4紙である。国民新党は小なりとはいえ現職国会議員8名を擁し、党員10万名の 政党である。大新聞社がこれを無視するとは何事か!新聞社の社会的責任の放棄 ではないか。
 大新聞は、政治権力をもっている自民・公明連立内閣には、毎日毎日ゴマスリ 記事を書きつづけ、歯の浮くようなゴマスリをつづけている。
 ところが、地方・地域を重視する唯一の政党である野党の国民新党の重要な 会議を報道しない。無視してしまう。ひどすぎるのではないか。
 10月14、15の両日行われた国民新党研修会は、国民新党が07年参院選の台風 の目になる可能性が高いことを示した。ここには大新聞が国民に知らせるべき 大切な政治情報が数々あった。このことを私は本欄において国民の皆さんに 報告する。
 国民新党は力強く、07年参院選に向かって出発した。(つづく)
   


 またまた東京新聞が名を上げている。どうやらジャーナリズム精神を堅持し ているのは、新聞社の中では、東京新聞はじめ地方紙だけのようです。
『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(5)
1848年から1990年まで



 1848年の革命のその後についての柄谷さんの記述を要約する。

   1848年の革命でAもDも敗北した後に、こうした社会主義に対する「対 抗革命」として福祉国家資本主義(B)が台頭する。

フランス
 革命の過程で、ナポレオンの甥ルイ・ボナパルトが、あらゆる階層の支持を 得て大統領になり、さらに皇帝に就任する。ルイは社会主義者(サン・シモン 派)であり、国家による産業発展と同時に、労働者の保護や社会福祉を実現し ようとした。

ドイツ
 1848年の革命でビスマルクが登場する。ビスマルクは宰相となって、プロシャ の飛躍的な工業化を進めると同時に、社会主義的な労働者対策をとっている。

イギリス
 自由主義(C)に該当する国はイギリスだった。フランスやドイツの福祉国家資本 主義は、当時経済的・軍事的に世界を庄倒していたイギリスに対抗するための 政策でもあった。
 しかし、イギリスではリベラリズムでありながら、1848年以後、労働組合の 保護や社会福祉政策などが急速に進んで、フェビアン協会のような社会民 主主義が出現した。

 そして柄谷さんは、1870年を実質的に帝国主義時代に突入した節目の年と 位置づけている。

1870年
 この年、国家資本主義によって急激に重工業化を遂げたフランスとプロシャの 間に戦争が起こった。勝利したプロシャは、南北戦争(1865年)によって統一 を遂げたアメリカ合衆国と並んで、イギリスの自由主義的帝国に挑戦するよ うになる。さらに、明治維新(1868年)以後に、プロシャをモデルにして急 速な産業革命をとげた日本も、そこに加わった。

 一方、プロシャに敗北したフランスでは、翌年パリ・コンミューンが成立した。 これは1848年の革命の延長とみなせるものであり、リバタリアン社会主義 (アソシエーショニズム)がその最後の光芒を放つものだった。それ以後、 社会主義運動はまったく違ったものになっていく。


 どうしてそのようなことになってしまったのでしょうか。1870年以前には社会 主義運動を担った人たちは、主に職人的労働者であり、独立心が強く組織を嫌う アナキストでした。しかし、19世紀末、重工業化が進む時期には、その基盤は なくなります。それで、アナキストも労働組合に依拠するサンディカリストに 転じたのですが、一般的にいって、アナキストは革命家というよりも反抗者で す。革命騒ぎは大好きだけれども、地道な政治・経済的な問題にとりくむこと ができないタイプの人が多い。彼らは組織と権力を嫌い、国家を否定するとい う理由から現実的な改革には関与しないし、選挙にも行かない。そのような 「リバタリアン社会主義」に嫌気がさした人たちが、国家社会主義(A)や福 祉国家主義(B)に向かったとしても仕方がないといえましょう。

 実際、19九世紀末から、社会主義運動はこの二つに分かれていきます。その 一つは、エンゲルスの相続人であったベルンシュタインに代表される社会民主 主義(福祉国家主義)であり、他方は、レーニンに代表されるロシアのマルク ス主義(ボルシェヴィズム)です。

 後者は、ロシア革命の結果として絶大なる影響力をもつようになりましたが、 結局、国家社会主義(スターリン主義)に帰結し、社会主義そのものへの幻滅 をもたらすことになりました。レーニンがプロレクリア独裁のあとに死滅する と想定した国家が、官僚体制とともに、この上なく強固になっていったからで す。そして、それに対する批判として、1960年代に初期マルクスやプルー ドンを復活させる運動、つまり「リバタリアン社会主義」が出てきたという わけです。

 1848年から現在までの社会主義の命運の大筋を知ることができた。しかし 「彼らは組織と権力を嫌い、国家を否定するという理由から現実的な改革には 関与しないし、選挙にも行かない。」というアナキストに対する評言には少し 異論がある。

 アナキストは「組織と権力を嫌い、国家を否定する」のではなく「そのヒエラ ルキー」を否定しているのです。ヒエラルキーのない共同体や組織を求めている。 だから、そういう方向で、前々回記載したように、さまざまな 「現実的な改革」に関与してきた。
 また「選挙に行かな い」のは、ブルジョア民主主義というまやかしの民主主義システムでの選挙が なんら改革につながることがないからなのです。実際、選挙を重ねるごとに 状況は悪くなってきている。ここでの状況の良し悪しはリバタリアン 社会主義に近づいているか否かを基準にしての評価です。この観点からは 支配階層の被支配階層へのわずかばかりの譲歩とその後のそれを凌駕する反動 という繰り返しが選挙というセレモニーの成果でした。(シリーズ「選挙について」を参照して下さい。)

 ついでながら、「選挙について」の第一回のまくらで塩野七生さんの次の文章を引用した。

『政治家に支配されているとか搾取されているとかの被害者意識は、いい加減に捨てることです ね。それよりも、民主政治や主権在民という言葉の意味を再認識すべきです。 政治の担当者を生か すも殺すも有権者しだいと思い、その権利を活用すべきです。
 そのための手段は何かと言うと、選挙、そしてスキャンダル。選挙については説明するまでもな いでしょうが、スキャンダルも有効な手段であることに変わりはありません。』

 スキャンダルが権力者を追い落とす有効な手段だということには同意しよう。
『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(4)
1848年のヨーロッパ



 今のところ私は「リバタリアン社会主義=アナキズム」という理解している。 柄谷さんは後の方(第Ⅲ部)で次のように述べている。


 プルードンがいう「アナルシー」(アナーキー)とは、双務的=互酬的な契約 にもとづく民主主義社会のことです。アナーキーは通常、混沌や無秩序のように 思われますが、プルードンによれば、国家によらない、自己統治による秩序を 意味するのです。

 これは私のアナキズム理解と同じです。さらに言えば、現在のアナキズムは 、歴史的な教訓を踏まえて、その運動方法も非暴力直接行動を旨としている。 この点も通俗的なアナキズム理解は誤解をしている。

 柄谷さんは「リバタリアン社会主義」を「アソシエーショニズム」と言い換え ているが、それが私の理解している「リバタリアン社会主義」とどう違うのか どうかという点もこれから読書をすすめる上での一つの観点です。

 ところで、前回の四つの国家形態は「産業的先進国」をモデルにしている。では 発展途上国の現状はどうなのか。その点についての柄谷さんの分析は次のよう です。


 かつて第三世界として立場の同一性を確認しあった諸国は、グローバリ ゼーションによって両極に分解してしまった。一方では、中国やインドの ように工業化が進み、他方では、アフリカ諸国のように壊滅的な状態になっ ています。また、一部に国家社会主義(A)は残っていますが、もはや何の 牽引力もない。一般的に社会主義という理念が消えたのち、その空洞を埋 めたのは、宗教的なファンダメンタリズム(原理主義)です。これはある 意味で、資本=ネーション=国家を超えようとする運動なのですが、結局、 教会=国家、つまり、Aと似たものに帰着するほかありません。

 さて、チョムスキーの発見した「国家の四つの形態」はすでに一世紀ほど前、 1848年のヨーロッパ革命の頃に見られるとして、柄谷さんは次のようにまとめ ている。

<図1> 19世紀の構図

統制度↑・↓自由度
B 福祉国家資本主義
(ボナバルト、ビスマルク)
A 国家社会主義
(サン・シモン、ラッサール)
C 自由主義
(古典経済学)
D アソシエーショ二ズム
(プルードン、マルクス)









←不平等・平等→










 上の表の二つの社会主義(A)と(D)についての柄谷さんの解説は次のようです。


 一つは、サン・シモンやルイ・プランなどに代表されるもので、国家による産業化と 「配分的正義」 の実現をめざすものです。これは、国家社会主義(A)だ といってよいでしょう。しかし、これはフランス革命以来のジャコバン主義 (国家権力を握って改革を強行するという考え)を受け継ぐものです。

 そのようなジャコバン主義を否定した社会主義者が、プルードンです。彼の 考えでは、「配分的正義」 つまり富の再配分は、それを実行する国家 (官僚・政治家)の権力を強化する。つまり、国家権力をにぎってなされる 革命は、国家をべつのかたちで強化するだけである。それに対して、社会主義 は、国家を揚棄するものでなければならない、とプルードンは考えました。 そこで、彼は、政治的革命に反対して経済的革命を唱えた。それは、貨幣と 資本主義に対して、代替通貨、信用、そして生産-消費協同組合(アソシ エーション)の連合によって対抗するというものです。ゆえに、これを アソシエーショニズム(D)と呼んでよいでしょう。

第636回 2006/10/15(日)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(3)
国家の四つのタイプ



 近代の国民国家(ネーション=ステート 以下ネーションと呼ぶ。)は 資本主義の世界的な拡大(グローバリゼーション)の過程で生まれ変化し 成長してきた。

 当然、各国家は国家の内部だけに閉じては存続できない。他の国家や資本と の相互関係の中で影響しあっている。一国内に閉じようとすれば、かっての 大日本帝国や現在の北朝鮮のように、世界の孤児となり、経済的にも困窮 きたす。

 しかし、世界に開かれているとしても資本主義の市場経済がもたらす諸矛盾や 階級対立は必然であり、その矛盾の緩和あるいは解決がネーションの最重要の課 題となる。


 資本制経済は、放っておけば、必ず経済的格差と対立に帰結する。だが、ネー ションは共同性と平等性を志向するものであるから、資本制がもたらす格差を解 決するように要求する。そして、国家はそれをさまざまな規制や税の再配分に よって実現する。資本制経済もネーションも国家もそれぞれ異なる原理なのです が、ここでは、それらが互いに補うように接合されています。私はそれを、 「資本=ネーション=国家」と呼びたいと思います。

 柄谷さんは国民国家をネーションと呼び、それとは別に「国家」という言葉を 使っている。この「国家」についての説明は何もなく自明のように使っているので 「資本=ネーション=国家」という規定がいまいち不明瞭です。上の引用文の文脈 から、ここでいう「国家」は「国家権力」のことと思われる。滝村国家論では「第三 権力」と呼んでいる。以下柄谷さんの「国家」をこのように理解して読んでいく。

 国家は資本主義的矛盾を「共同性と平等性を志向」して解決を図るが、その 「共同性と平等性」は、ブルジョア民主主義国家では見せ掛けに過ぎない。 国家意志が経済的支配階級(ブルジョアジー)の階級的特殊利害にもとづく 意志・要求に大きく規制されている。(「第93回 滝村隆一の国家論 2004年11月15日」、 シリーズ「民主主義とは何か」を参照してください。)

 さて、共産主義革命による「国家社会主義」国家の出現が先進資本主義国家に 与えた危機感が社会主義への対抗政策として選んだ道の一つが「福祉国家」だった。 そして「福祉国家」は民衆の社会的自由や経済的解放において「国家社会主義」 国家を凌駕した。言い換えると国家社会主義が資本主義に敗北した。その結果が ソ連の消滅だった。


 資本、ネーション、国家の接合は、危ういバランスによって存在する ものです。それは一国の内部だけで考えることはできません。たとえば、福祉 国家を例にとってみます。

 そこでは、資本=ネーション=国家という三位一体が最もうまく機能してい るようにみえます。しかし、これは20世紀後半、いわゆる「社会主義」に対す る危機感から、先進資本主義国家がとった形態です。だから、1990年以後、 「社会主義」圏が消滅すると、福祉国家への動機がなくなります。その結果、 「安い政府」が主張されるようになりました。資本が海外に出て行って、自国の 労働者が失業しても構わない、それより、資本の利潤を優先すべきだ、結局、 それが国民の利益にかなうことになる、という主張が、まかりとおるように なったのです。

 そのような新自由主義に対する反対は各地にありますが、おおむね排外的 ナショナリズムか文化的・宗教的な原理主義になってしまい、それらを超え る普遍的な理念をもちえないでいます。
 資本主義の負の部分ばかりを肥大させた新自由主義という安直な思想が世界的 な規模でどれだけの災厄や悲惨をもたらしていることか。そういう事実にも かかわらず新自由主義者たちは自らの無知無謀を恬として恥じない。新自由 主義に対峙し、それを超える「普遍的な理念」の構築が急がれる。

 「普遍的な理念」への道を探るために、まず国家の諸形態を俯瞰しておこう。

 柄谷さんは、言語学者ノーム・チョムスキーが提出した「産業的先進国で とりうる四つ国家の形態」(1971年)を援用して、次の<図1>のようにまとめている。

<図1> 国家の四つの形態

統制度↑・↓自由度
B 福祉国家資本主義
(社会民主主義)
A 国家社会主義
(共産主義)
C リベラリズム
(新自由主義)
D リバタリアン社会主義
(アソシューショ二ズム)








←不平等・平等→










 国家社会主義(A)とはいわゆる共産主義のことで、具体的には、ソ連のような 国を指します。この当時、ソ連は産業的先進国とみなされており、また、途上国 にとって工業化のモデルとされていました。

 つぎに、福祉国家資本主義(B)とは、ケインズ主義的・福祉国家的な体制で す。これは、社会民主主義といいかえてもよいでしょう。

 リベラリズム(C)とは、チョムスキーはフンボルトの思想を例にとって 語っていますが、むしろアダム・スミス以来の経済的自由主義だといってよい と思います。この時期では、それはハイエクに代表されます。ハイエクは、 ケインズ主義や社会民主主義を、国家社会主義(A)ではないにしても、国家を 強化し「隷属への道」につながると批判した。リベラリズム(C)は、現在も 新自由主義という名で存続しています。

 最後に、チョムスキーが最も好ましいという形態は、リバタリ アン社会主義(D)です。これは、福祉国家資本主義(B)を否定し ながら、同時に、国家社会主義(A)への道を拒否し、「リベラル な社会主義」を求めるものです。
 これがA、B、Cと異なるのは、どの国でも実際に存在したことがないという 点です。A、B、Cが資本、ネーション、国家のどれかに従属しているのに対し て、Dは、それらを出ようという志向をもっています。これはむしろ現実的に は存在しえないものです。しかし、無限に遠いものであろうと、人がそれに 近づこうと努めるような「統整的理念」(カント)として機能しつづけま す。


 柄谷さんのリバタリアン社会主義(柄谷さんの用語では「アソシエーショニズム」) についての記述は、次の「アナキズムFAQ」 がアナキズムについて述べていることと同じことを述べていると私は思う。

『アナキズムは未来社会だけに関わっているのではない、今現在生じている社会 闘争にも関わっている。アナキズムは一つの状態ではなく、 自分たちの自主活動と自己解放が創り出すプロセスである。

 「リバタリアン社会主義」国家はいまだかって存在しない。しかし リバタリアン社会主義を「自己解放が創り出すプロセス」とするなら、 「どの国でも実際に存在したことがない」という柄谷さんの判断には異議が ある。そのようなプロセスは「パリ・コミューン」や「マフノ運動」など、 事例にこと欠かない。「第498回 ロシア革命の真相(15)2006年5月11日」で 書き出したこれまでのリバタリアン社会主義運動の事例を再録する。


 マフノ運動が目指した自由社会は、所詮は実現不可能な「ユートピア」に過ぎ ないだろうか。

 「アナーキズムFAQ」は労働者による自由のために闘いを次のように 列挙している。私(たち)の知らない闘いがまだまだあるに違いない。

パリ=コミューン(1871)
ヘイマーケット事件(1886)
イギリスにおけるサンジカリスト叛乱(1910-1914)
メキシコ革命()1911-1917)
イギリスにおける職場代表制(ショップ=スチュワード)運動(1917-21)
ロシア革命(1917)
ドイツ革命(1919-21)
スペイン革命(1931)
ハンガリー動乱(1956)
キューバ革命(1959)
1960年代後半の「就労拒否」闘争(特に1969年イタリアの「熱い秋」)
ポルトガル革命(1974)
英国の炭鉱ストライキ(1984-85)
英国の人頭税反対闘争(1988-92)
フランスの1986年と1995年のストライキ
80年代と90年代のイタリアのCOBAS運動
21世紀初頭のアルゼンチン叛乱における民衆集会と自主管理型職場占拠

『革命と大衆闘争は「虐げられた者の祝祭」である。その時に、普通の人々が、 自分のために行動し始め、自分自身と世界の両方を変え始めるのだ。』

第635回 2006/10/14(土)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(2)
アソシエーショニズム


 柄谷行人著「世界共和国へ」(岩波新書)

 この本で柄谷さんは私(たち)に何を提示しようとしているのでしょうか。

 私たちが目指すべき理想の社会形態は「リバタリアン社会主義」だと、私は 常々考えてきました。柄谷さんも同じように考えています。しかし、この概念 にアナキズムや評議会コミュニズムを含めて考える人もいるし、「リバタリアン 社会主義=アナキズム」として扱う人もいる。それらの名称との混同を避け て、柄谷さんは「リバタリアン社会主義」を「アソシエーショニズム」と呼 びます。

(なお、私は今まで「リバータリアン」と「バ」伸ばした呼び方 をしてきましたが、「リバタリアン」の方が一般的なようです。この稿から改 めます。)

 現在、リバタリアン社会主義は国家社会主義(ロシアマルクス主義)の衰退と ともにも衰退してしまって元気がない。なぜそうなってしまったのかと問うて、 柄谷さんは「序」の最後の節で次のように述べます。


 リバタリアン社会主義(アソシエーショニズム)がたんなる理念であって、 現実的でないから、というだけではありません。そこに資本、ネーション、そ して国家に対する認識が欠けていたからです。それは1968年に欠けていただけ でなく、1948年においても欠けていた。

 アソシエーショニズムは、資本、ネーション、国家を拒絶します。それはい いのですが、なぜそれらが存在するのかを十分に考えていない。だから、結局、 それらに躓くことになったのです。今日、たとえリバタリアン社会主義の類が 復活したとしても、資本、ネーション、国家に対する認識がないならば、同じ 轍を踏むことになるでしょう。

 私が本書で考えたいのは、資本=ネーション=国家を超える道筋、いいかえ れば「世界共和国」に至る道筋です。しかし、そのためには、資本、ネーショ ン、国家がいかにして存在するのかを明らかにする必要があります。資本、ネ ーション、国家はそれぞれ、簡単に否定できないような根拠をもっている のです。それらを揚棄しようとするのであれば、まずそれらが何であるかを 認識しなければならない。たんにそれらを否定するだけでは、何にもなりま せん。結果的に、資本や国家の現実性を承認するほかなくなり、そのあげくに、 「理念」を嘲笑するに至るだけです。


 また「あとがき」で次のように述べています。


 私は2001年に、『トランスクリティーク ―― カントとマルクス』という著 書で、資本、国家、ネーションを三つの基礎的な交換様式から見、さらに、それ らを超える可能性を第四の交換様式(アソシエーション)に見いだすというよう な考えを提示した。

 しかし、それは萌芽的で不十分なものであったから、以来、私はそれをもっと 緻密に練り直した続編を書こうとしてきた。そして、それはほぼできあがってい る。

 ただ私の不満は、それが専門家にしか通じないような著作だという点に あった。このような仕事をするかたわら、いつも私は自分の考えの核心を、普通 の読者が読んで理解できるようなものにしたいと望んでいた。というのも、 私の考えていることは、アカデミックであるよりも、 緊急かつ切実な問題に かかわっているからだ。

 ブッシュやコイズミやアベのような想像力皆無の為政者が大きなツラを している殺伐とした状況、この理念を失った現在の状況を克服するために、 いま、その状況に対抗するさまざまな運動が行われています。しかし、そ れらの運動が指針となるべき理念を欠くなら、その運動には国家権力に対する 断固とした対峙も民衆への広範な広がりも期待できないでしょう。 過去と未来を見据えた上での確固とした理念の構築は確かに「緊急かつ切 実な問題」だと思います。柄谷さんの問題意識に私は同意します。

 ところで、上記のもの言いに引っかかったことがあります。 一言苦言を呈したい。
 「専門家にしか通じないような著作」ってなんでしょう。数学や物理など そうならざるを得ない分野もあります。しかし政治学や哲学などの分野では 「専門家にしか通じないような著作」を私は(無)駄作だと思います。 アカデミックの著作であっても「普通の読者が読んで理解できるようなも の」になるように心がけるのは学者の責務だと私は思います。 「専門家にしか通じないような著作」を読む能力のない私にはこのもの言いは とても傲慢に聞こえます。

 さて、「世界共和国へ」は次のような構成になっています。


第Ⅰ部 交換様式
第Ⅱ部 世界帝国
第Ⅲ部 世界経済
第Ⅳ部 世界共和国

 「第Ⅰ部」はいわば基礎編で「資本=ネーション=国家」の内実を 歴史的に解明しています。それをふまえて、「第Ⅱ部」以降では 「資本=ネーション=国家」という環を抜け出る方法、つまり 「アソシエーショニズム」への道筋を考えます。

 順序どおりまず「序」から丁寧に読んでいくことにします。 ここでは「資本=ネーション=国家」の意味が明らかになります。また 「1948年」と「1968年」を軸にした国家についての示唆に富んだ考察を 追体験することになります。
第634回 2006/10/13(金)

『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』(1)
「世界統一」という妄想


 「世界」の範囲は時代によって違う。そのそれぞれの「世界」で「世界」統一は古代から征服者 たちが妄想した夢だった。もちろん、その夢は全世界の住民の安寧と共生を目指すものではなく、 征服という支配と隷属の拡大に過ぎなかった。

 今は全地球を世界と呼んでいる。ブッシュの頭の中にも世界統一の妄想がある かもしれない。しかしその妄想も、手前勝手な「自由と民主」を押し売りする一種の 征服でしかない。

 その名が示すとおり統一教会もカルト宗教による世界統一を妄想している。創価学会も 同じ妄想に取り付かれている。これも一つの宗教を押し付けようとする世界征服の 野望の一種です。

 「世界は笹川一家、兄弟は皆人類」。いや違いました。「世界は一家、人類は皆兄弟」 という標語を掲げていた笹川良一が描く理想の世界は、天皇を頂点とし日本を 第一の股肱国家とするピラミッド型の世界体制であり、これも征服の思想に過ぎない。 。私は「アインシュタインの予言」(「第522回 2006年6月12日」で取り上げていま す。 )を思い出した。

 インターネットを検索してみたら、個人的な提唱から一番大きなところでは「世界連邦 運動協会」まで、「世界連邦」の花ざかり。「日本ナチ党」と名乗る得体のしてな い団体までも「世界連邦」の理想を掲げている。

 世界連邦運動協会はどういう理想を掲げているのだろうか。

 第2次世界大戦末期において成立した国際連合が戦争抑止力の低いことを痛感 した世界の科学者・文化人たちがより強力な世界連邦の形成をすすめることで、 世界から戦争を無くしていこうと決意し1946年ルクセンブルクにおいて「世界連 邦政府のための世界運動」を起こした。この運動にはバートランド・ラッセル、 アルバート・アインシュタイン、シュバイツァー、ウィンストン・チャーチル、 湯川秀樹などが賛同した。そして、現在まで名前を変えて続いている。

世界連邦運動は

1. 国連を強化して世界連邦政府に発展
2. 各国の軍備を撤廃

することを目標に活動している。
(「ウイキペディア」より)

 この協会は国際的な広がりのあるかなり大きな団体に成長している。 「日本世界連盟運動協会」は今回の北朝鮮の核実験に対し声明文を発表している。 核所有国に対する核兵器撤廃の訴えをも盛り込んだ一応まともな声明文です。

 しかし、この運動に対する大衆的な支持や盛り上がりが一向にあがらないのは 何故だろう。

 国会の中にも超党派の「世界連邦日本国会委員会」というのがある。1949年 に結成されている。かれこれ60年にもなるのにほとんど実績がない。少なくとも私たち 庶民には届いていない。
 「超党派」というのがネックなのでしょう。世界連邦の理想とは全くかけ離 れたイデオロギーの持ち主まで多数シャーシャーとして加わっている。今度の 北朝鮮に対しても先制武力攻撃を声高に主張しかねないお歴々がいる。何しろ 現在の会長が森山眞弓だそうです。とても本気の活動があるとは思えない。

 知識人・文化人と呼ばれている会員たちについても本気の活動は見られない。 国会議員の加入動機が選挙対策だとすれば、こちらの加入動機は平和主義者の免 罪符のためか。あまりにうがちすぎているだろうか。しかし、この運動がまともに 機能してきていたのなら、大日本帝国のゾンビたちに国家権力の中枢を 占拠されることはなかっただろうし、「九条の会」を立ち上げる必要も なかっただろう。

 もう一つ、この運動には重要な理論的欠陥がある。いや、「平和」「戦争反対」 をお題目にしているだけで、理論そのものがないのです。つまり、現在の国民国家や 国際関係のリアルな分析や、それをもとにした国家や国際関係の変革の道筋を示す 理論が全くない。したがって「世界連邦」を現在の国連の延長上にしか想定でき ない。この協会には社会上層部の一部の人たちの自己慰安ほどの意味しかないと言ったら 言いすぎだろうか。

 思いがけずに長くなってしまった。以上は、新シリーズ『柄谷行人著「世界共 和国へ」を読む』の序論でした。
第633回 2006/10/11(水)

区切り用模様

(連載シリーズは今充電中で、お休み中です。)

区切り用模様


今日の話題

「教育再生会議」って、何だ?

 北朝鮮の核実験ではしゃぎすぎのマスゴミが「不安だ!脅威だ!制裁 だ!」と相変わらず愚民を煽っている。私にはアメリカ(10300)やロシア(16000)を はじめ中国(410)・フランス(350)・イギリス(200)・イスラエル (100~170)・インド(75~110)・パキスタン(50~110)の核保有国の方が はるかに脅威です(括弧内の数字は保有核弾頭数)。これらの国が率先して核放棄をすることが まず肝要だろう。こんな分かりきったことを言うマスゴミはない。これら既成の膨大な 核弾頭に比べたら北朝鮮の核実験など線香花火のたぐいだろう。マスゴミはやはりゴミ です。
 もちろん、北朝鮮だけでなく、これ以上核保有国など増えてほしくない。

 この北朝鮮の愚行報道に隠れてしまった小さな報道のほうに、むしろ私の関心 は向いている。それは、オコチャマランチ狆ゾウ内閣が最重要課題としている「教育」政策の 露払いの役割を演じる「教育再生会議」の有識者委員の正式発表です。

 小谷実可子とか義家弘介とか陰山英男とか大衆受けを狙った人選もあり、 雑炊委員会です。私は見たことがないが、「女王の教室」というテレビドラマで 鬼教師役を演じた女優の天海祐希も候補に挙がっていたらしい。現実とフィクション の区別ができないのですね。天海さんは辞退したそうです。賢明な人です。

 委員会は雑炊で一向にかまわない。なぜなら、何回か会議を開いたうえで、政 府の顔色をキチンと読みとった提言をまとめて、マスゴミのフラッシュを受けな がら、仰々しく委員長から首相にその報告書を手渡す儀式をして幕となる、のだから。報告内容ははなから決まっている。 今までの全ての政府が設置した有識者会議のステレオタイプパターンです。

 でも曲がりなりにも会議は開く。その会議で賢い有識者と呼ばれる賢男賢女諸君は どんな議論をするのだろうか。「教育再生会議」の議論を予想することはできな いが、すでに幕を閉じた「教育改革国民会議」における賢男賢女諸君の発言が公 表されている。そこからおよその推測はできる。それを見てみよう。

 ほんの少しだけいい発言もあるが、「呆れ蛙」のオンパレードです。思い付き ばかりで、教育の理念も理論もない。知性と見識のほどがにじみ出ていて、とて も笑える。ご本人たちは大真面目なのでしょうね。

 赤字は私が笑ったところ。青字はなんて単細胞なんだろうなどと 批判的になったところ。何故笑ったり批判的になったかはご推察にまかせます。

* 一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要)

1.子どもへの方策

対象者 主体
家庭が行うこと
[教育の原点で何をなすべきか]
学校が行うこと
[IT時代の学校と教員の在り方 -たかがIT、されどIT-]
地域が行うこと
[子どものしつけは親がする、 大人のしつけは誰がする]
幼児 ~高校生 共通
  • 挨拶をしっかりする
  • 各家庭に 「心の庭」(会話と笑いの場) をつくる
  • 「しつけ3原則」の提唱・実施
     甘えるな
      他人に迷惑をかけるな 生かされて生きることを自覚せよ
  • 団地、 マンション等に「床の間」を作る
  • 挨拶をしっかりする
  • 教師一人一人が信念を示す
  • 教壇を復活させることなどにより、教師の人格的権威の確立させること
  • 倫理、情操教育を行う
  • 歴史教育を重視する
  • 国語における古典の重視
  • 敬語を使う時間を作る
  • 体育活動、文化活動を教育の柱にすえる
  • スポーツを通じて人間性を育む
  • 夏休みなど長期休暇のあり方の見直し
  • 自然体験、社会体験等の体験学習の 義務化
  • 青少年施設、自治公民館等での合宿
  • 遠足でバスを使わせない、お寺で3~5時間座らせる等の「我慢の教育」をする
  • 地域の偉人の副読本を作成・配布する
  • 学校に畳の部屋を作る
  • 学校に教育機関としてのシンボルを設ける
  • 挨拶をしっかりする
  • 「しつけ3原則」の提唱・実施
  • 他人の子どもも誉めよう、叱ろう運動を国民的な運動として行う
  • 通学合宿の実施
  • 有害情報、玩具等へのNPOなどによる チェック、法令による規制
  • 小学生 <小学校高学年>
  • 教育の責任は当人50%、親25%、教師12.5%、一般社会12.5% であることを自覚させる
  • <小学生>
  • 小学校の学習内容を、知識半分、人格形成半分 にし、特に人格教育を重視する
  • 基本的な 言葉(読む、書く、語る)、社会人が持つべき最低限の算数や理科の知識を 教える
  • 簡素な宿舎で約2週間共同生活を行い肉体労働をする
  •  
    中学生   <中学生>
  • 簡素な宿舎で約2週間共同生活を行い肉体労働 をする
  •  
    高校生   <高校生>
  • 満18歳で全ての国民に1年ないし2年間の 奉仕活動を義務づける
  •  

    2.大人や行政が主体となって家庭、学校、地域で取り組むべきこと

    場所 主体
    家庭(保護者) 学校 地域
    大人、企業
  • 大人自身が反省する
  • 親の責任の自覚
  • 親子関係は鑑 と鏡の関係
  • 家庭教育にもっと父親が参加する
  • 親が人生の目的を持つ
  • 「しつけ3原則」の提唱・実施
  • 地域の大人が道徳の授業をする
  • 有識者ボランティアによる講演活動
  • 企業は1年間に5日程度父親が教育に関われるよう休暇を作る
  • 企業は従業員に対して子育てやボランティアのための休暇を認める
  • 企業は教育に関する書籍や地域の歴史文化に関する書籍を備えた父親文庫 を設置する
  • 各分野のプロが当該分野のノウハウを地域へ提供する
  • 名刺に信念を書くなど、大人一人一人が座右の銘、信念を明示する 
  • 行政
  • 子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民に アピールして覚悟してもらう
  • 「ここで時代が変わった」 「変わらないと日本が滅びる」というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う
  • 国民会議の提言を広く国民に知らせるための積極的な活動
  • 家庭教育について対話できる土壌をつくるため、企業やテレビと協力して 古来の諺などを呼びかける
  • 子育てにおいて必要な事項を決めた育児憲章を作る
  • 家庭教育手帳の年度毎の更新、配布
  • 義務教育年限の子どもの扶養控除額を 100万円に引き上げる
  • 出産後の親業教育の義務化
  • バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキ リと言う
  • 芸術、宗教、文化の領域にかかわる教育を (科学技術と社会科学に次ぐ)第3の教育軸として位置づけ、教育システムの 抜本的な再編成を早急に行う
  • 義務教育を大幅に見直し、多様化を図る
  • 一定レベルの家庭教育がなされていない子どもの就学 を保留扱いする
  • 他の子どもの学習する権利を妨げる子どもを排除する 権限と義務を学校に付与する
  • 問題を抱える学校に指導主事のチームを常駐さ せる
  • トラブルの処理は学校だけでは無理であり、教育委員会が第3者機関を 作り、そこで引き受ける
  • 警察OBを学校に常駐させる
  • ・ 子どもが生き生きと過ごしている学校の分析・検討と情報の提供
  • 部活などが体験学習の妨げにならないよう、曜日時間を限定する
  • 文部省、マスコミが1、2週間程度学校で過ごす
  • 「ここで時代が変わった」「変わらないと日本が滅びる」という ようなことをアナウンスし、ショック療法を行う
  • 教育基本法を改正を提起し、従来の惰性的気風を打ち破るための社会的ショック 療法とする
  • スローガン、目標を作り大人一人一人の生涯徳育を助長する
  • マスコミと協力したキャンペーンを行う
  • 改革を受け入れる基本的土壌を つくる
  • 中央からの文書は、簡潔・明瞭で官庁用語を使わず解りやすい言葉で 住民一人一人に伝わるよう工夫をする
  • 社会教育委員会の開催頻度を増やす とともに、青壮年の男女をバランスよく任命し、地域の教育力を回復する
  • 自治公民館の機能の活性化
  • 第628回 2006/10/10(火)

    (連載シリーズは今充電中で、今日はお休みです。)

    区切り用模様


    今日の話題

    言葉の詐術

     このコーナーでは時々古い切り抜きを利用します。日付が不明になっているものもあります。 でも、今日的な問題からずれてはいません。

     詩人のアーサー・ビナードさんが朝日新聞にコラムを書いていました。 実に達者な日本語で感心します。私の日本語が恥ずかしくなるくらいです。 その内容も卓越しています。アーサーさんのコラムは私の楽しみの一つで した。

     今日紹介するのは「ぼくらも仲間?」という表題です。


     アメリカでロックバンドのドラムを叩いている友人に、久しぶりに電話を かけた。ツアーで回っていないとき、彼はレストランで働いて生計をたてて いるが、「ウエーターの仕事はどう?」と聞くと、「オレはもうウエーター なんかじゃなくてアソシエートなんだ。アソシエートと呼んでくれよな」 ―電話口から、彼の苦々しい諦めの表情が、伝わってきたのだった。

     友人いわく、そのレストランチェーンでは数年前に、まずwaiterとwai tressの呼称が廃止され、どちらもserverと呼ばれるようになった。そし て今度はserverがassociateに改められた。

     「サーバーには男女の区別がないので、言い換えの意義が分かりやすいけ ど、アソシエートっていうやつはもっと手の込んだ心理作戦だ。時給が上が るわけでもなければ、残業手当がもらえるわけでもなく、劣悪な労働条件が 何一つ改善されないまま、気分だけは栄転さ。言葉ってロハだからね、企業 にとっては」

     英語のassociateは漠然としているが、「共同経営者」とか「提携者」 「同人」といった、仲間意識が内在する呼び名だ。ただ、組織の一員であ りながらも対等ではなく、「準同人」 r準会員」のような、決定権のな い立場を表す。場合によって、人をその気にさせるのに重宝する。きっと 広告代理店の発案だったろうと、電話を切ってからしばらく思いを巡らし、 はっと日本語の「郵政民営化」が頭に浮かんだ。考えれば、これも手の込 んだ見事なすり替えネーミングだ。


     アメリカの労働者諸君も新自由主義という新しい資本主義システムの下で 過酷な搾取に苦しんでいるのですね。アメリカは新自由主義の大元締めです から、当然でした。

     男女差別解消のためという理由での言い換えは日本でも盛んです。「看護婦」を 「看護師」と言い換えているのを、私は先だって入院したときまで知らなかった。 だけど、男の看護師さんを一人も見かけなかったけどなあ。お年寄りや体の不自由な人の 介護をする人では男性が多いのかもしれませんね。

     「パート」という言葉の語源は「part-time jobber」です。最近は「パートナーさん」 と呼んでいるところもあるようです。「partner」は「仲間、相棒、共 同出資者、共同経営者、配偶者」などという意味であり、動詞なら「~と提携 する」です。「associate」より偉そうですが、たぶん「劣悪な労働条件」はそ のままなのでしょうね。


     なにしろ「民」といわれると、ぼくら一般市民はどこか嬉しい。自分たち のことだと思って。そして「官僚」にはまるで親しみを感じないので、 「官から民へ」と聞くと、よけい身近な感じがしてくる。ところが実際は、 郵政民営化の「民」はぼくらなんかではなく、大資本の民間企業のことを 指す。つまり「官」よりも遥かに市民から遠い、国際金融市場を支配する 巨大な「民」なのだ。

     ウォール街は、じっと待ち構えている。日本国民が、その一字を取り違え て、うっかり340兆円を落としてくれるのを。


     アーサーさんの警告にもかかわらず、日本愚国民はポチ・コイズミとその下僕の マスゴミにまんまと乗せられて、「郵政民営化」選挙を大勝させてしまった。

     ポチ・コイズミを支持した愚民たちは、相変わらずオコチャマランチ狆ゾウ にたぶらかされているようだ。救いようがないね。
    「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(8)
    宗派を超えた神


     シリーズ「ほんとうの考え・うその考え」の最終回になりました。

     ヨブが直面した「自然・宗教・倫理の対決」、シモーヌ・ヴェイユが凝視した「深淵で距てられた 匿名の領域」、そして賢治が希求した「<ほんとうの考え>と<うその考え>を見分ける実験」。 この三者が提示している問題に共通しているのは、それぞれの信仰の「流れからは み出していくもの」、つまり「宗派を超えた神」のありかです。


     これはたとえば宮沢賢治を、日蓮宗から見れば、日蓮宗信者ということに なるが、宮沢賢治自身は日蓮信仰とか法華経信仰とかでは当てはまらない部 分があります。そういう当てはまらない部分が宮沢賢治の文学のなかに流れ ているわけです。その流れていくものをつかまえて、もしそこに信仰が象徴 されているとすれば、それは法華経や大乗仏教が述べている教義をはみ出し たところで、なお宗教的なものがあると理解しないと、とても理解できない とおもいます。

     良寛にも同様のことがいえます。良寛は十年間修行して曹洞宗の師家の印 可をうけている人だったわけです。しかし曹洞禅の流れのなかに良寛をいれ ようとしてもはみ出してしまうものがあります。宮沢賢治が倫理ではみ出した とおなじように、「常不軽菩薩品」のいうところの個所で、はみ出してしまう わけです。良寛は誰に会っても、子どもにも村の人にも礼拝するの です。そういう仕方のところで良寛は曹洞禅をはみ出してしまったわけです。 当然師匠の死後、 寺を継ぐべき資格がある人だったが、本山から住職が来て、じぶんは寺を出て、 修行しながら郷里の越後へ帰って、隠遁生活をすることになるわけです。そこ で、はみ出したものは文学のかたちをとるわけです。


     三者の信仰はそのはみ出したところから「宗派を超えた神」への道筋を突き 詰めようと自らを追い詰めていった。賢治についての論述を、吉本さんは次の ように締めくくっている。


     宮沢賢治の作品を読むと、その宗教とは、日蓮信仰だとか法華経信仰、あるい は仏教とか限定できないもっとちがう宗教なんだという気がします。その間題が 宮沢賢治が文学と宗教の問題でかんがえた最終的な問題であり、特異な問題で あるような気がします。

     「マリヴロンと少女」でいえば、マリヴロンと少女がおなじように、「あなた は芸術家」で「わたしは生活者」とか、「あなたは宗教家」で「わたしはそう じゃない」というふうに、マリヴロンの見え方と少女の見え方とは、おなじもの を見ながら、その見え方がどうしてもちがっちゃうことはありうるとおもいま す。

     これは宮沢賢治が 「銀河鉄道の夜」のなかでさかんにジョバンニに言 わしているところです。それは「神と名づけるかどうかはべつとして、それぞ れの人はそれぞれの神をもっている」わけです。青年とかほるの姉弟はキリス ト教の信仰をもっている。ジョバンニはそうは言っていないが(たぶん宮沢 賢治は法華経の信仰の切符をもっているんだと言わせたかった)、そういう 信仰をもっている。それぞれの人はそれぞれの神をもち、おまえの神が<ほ んとう>なのか、おれの神が<ほんとう>なのか、なかなか解決がつかない。 神が宗派の信仰であるかぎりは解決がつくわけがない。もちろん宗派という 観点は宗教だけにかぎらない。あらゆる理念にまで拡張して、理念の宗派、 あるいは思想の宗派でもおなじなんですが、そういうことをかんがえて争って も、解決はつきません。

     現在のところできる可能なことはなんだろうかとかんがえてみますと、宮沢 賢治は、「宗派の神を信じている人のほうが、その宗派の神を信じていない人 よりも下位にあるんだということを信じている人が保てたら、神はなんだかい まのところわからないとしでも、それができたら、たぶん一歩だけ解決に近づ くんじゃないか」とかんがえた最後のところのようにおもわれます。

     わたしたちは現実の世界ではそういう人を見つけることがなかなかできない。 思想でもおなじで、じぶんのもっている思想であれ、信じている思想であれ、 かんがえてきた思想がいいとおもっています。他の人もじぶんのそれをいいと おもっているから、そこで対立もおこるわけです。じぶんの思想をもっている 人、あるいは信仰をもっている人は、もっていない人よりも上位にあるとおも わない信仰者、思想者は誰もいないわけです。

     宮沢賢治によれば、それはちがうんで、あらゆる宗派の神を超えた神、ある いは宗派の思想を超えた思想に到達できる方法があるんじゃないかということ を説いているのです。そこが宮沢賢治の童話とか詩が文学、芸術であって宗教 じゃないといいながら、なおかつ宗教的情念として受けとることも読むことも できるところです。このことが、どこか作品のなかから宗教的なものが匂って くる理由です。そこが宮沢賢治の到達したところのような気がします。

    「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(7)
    宗教と科学


     このシリーズの序論に当たる「第600回」 で引用した「銀河鉄道の夜」の一節を再録する。


    みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれ どもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。そ れからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつか ないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんた うの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も 化学と同じやうになる。


     ブルガニロ博士は、どんな勉強が「ほんとうの勉強」なのかも「実験の方法」 とはどんな方法なのかも、何も言っていない。ここから賢治は最後の最後にひっかった 問題「宗教と科学」に入っていった。

     これ(「宗教と科学」の問題)はあまりうまく解けないままに終わったんだろ うとおもいます。

     というのは仏教、とくに日蓮なんかの古典的な仏教では、前世とそれから現在 と未来、つまり死後の世界との連続性という考え方なしには成り立たないところ があります。そこでは科学者としてその世界観じたいにたいして引っかかったと ころだろうとおもいます。その近くまでいくんですが、科学的にいって、どうし ても死んだ後の世界があって、そこに魂がいくという考え方を是認することがむ ずかしい。先ほどの言葉でいえば、もし「ほんとうの考え」と「うその考え」と を分けることができる実験の方法さえきまれば解決するでしょうが、それはどう したらいいのかわからない。ただ解けないというんじゃなくて、糸口はじぶん なりにつけてはみたんだけど、そこで完全に解けたというふうに言えないところ で終わったとおもいます。

     「その実験の方法さえきまれば」という言葉はとても重要で、それは日蓮も 言わなかったし、もちろん最澄も智も言わなかったことで、宮沢賢治だけが 言った言葉です。もちろん宮沢賢治だけが近代西欧の科学をちゃんと体験し身 につけているわけですから、その間題意識をもったのは当然なんです。しかし 宮沢賢治の宗教者としての特徴を単なる法華経信仰者あるいは日蓮宗信仰者か らはみ出させる要素があるとすれば、そこのところだとおもいます。

     それならば、その実験の方法とはなんなのか、なにを構想して言ったのかは わかりません。その言葉の経緯といいますか、文脈からいけば、ふたつしか意 味がとれないわけです。

     そういう実験ができるような装置を、機械という意味だけじゃなくて、形而 上学的な意味も含めて装置という言葉を使えば、そういう装置をつくればいい。 たとえば、これは比喩として聞いてくださったほうがいいわけですが、その装置 をつくって、そこにどんな考えもみんな入れてボタンを押したら、「おまえの 考えは三割はほんとうだけど七割はうそだ」と出てきた。そういう装置をつく ることなのか、そうじゃなければ、じぶん自身をそういう装置にしてしまう。 宮沢賢治の言葉でいえば、一心に勉強して、じぶん自身を「ほんとうの考え」 と「うその考え」を分ける装置にしてしまうか、そのどちらかしかありえない わけです。たぶんそのどちらかのイメージをもちながら、宮沢賢治はそういう 言い方をしたんだとおもいます。


     「宗教と科学」についての吉本さんの論述はここで終わっている。以下は私の 蛇足です。

     思想の体系化はそのような「装置」への誘惑なのかもしれない。また大方の思想家 ・哲学者・宗教家は自分自身がそのような「装置」だと自負しているようだ。 2流・3流のものほど自分の考えの中に「ウソの考え」があるかもしれないなどどいう 謙虚さを欠く。特に権力の御用学者(全て2流・3流のイデオローグ)は度し難い。

     もちろん、いまだかって「ほんとうの考え」と「うその考え」をきちんと分け られる「装置」はない。ただ「ほんとうの考え」と「うその考え」をある程度 分ける基準はあると思う。その基準は「あらゆる宗派・思想を超えた倫理」。 しかしこれもいまだ手探りの段階にある。

    世界がぜんたい
    幸福にならないうちは
    個人の幸福は
    あり得ない

     この賢治の詩句には嘲笑や反撥が予想される。
     嘲笑は「なんとも青臭い空想家だな」というところか。こういう手合いは 人が理想をもつことの重要さを解せない。ジョン・レノンの「イマジン」も 嘲笑するだろう。
     谷川俊太郎さんがこんなことを書いている。(「ユリイカ1977年9月号」所収 「四つのイメージ」より)


     余りにもまっとうなその言いかたに、一時期私は烈しい反撥を感じた。 それじゃ個人の幸福は永遠にあり得ないじゃないか! 世界なんて糞食 らえ、俺はひとりで幸福になってみせる!
     そうして私は「幸福な男」という詩を書いた。

     幸福な男は気障っぽい
     幸福な男には話題がない
     幸福な男は仲間はずれ
     幸福な男はひとりぽっち

     そう書いた私はしかし、やっぱり幸福だったとも思えない。


     この賢治の詩句は賢治の「最高の倫理」を表現していると思う。そしてこれ がいまだに(あるいは永久に)理想でしかないことを知るゆえに賢治は 「唾し はぎしりゆききする」修羅となる。

     
    第629回 2006年10月7日(土)



    「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(6)
    賢治の最高の倫理


     「烏を捕る人」は、途中から列車に乗り込んできて、主人公であるジョバンニと カンパネルラのそばへよってきて、いろいろ話しかけたりする。人のいい、いくぶん かは狡さをもっている商売人でもある。そういうごく普通のイメージの人です。
     この人に対して、ジョバンニとカンパネルラはやや当惑ぎみに対応している。 それが、「この人のほんとうの幸せになるなら、じぶんは天の川の河原に百年つづ けて立って、鳥を捕ってやってもいい」という気がしたときには、鳥を捕る人はふっと列車から消 えてしまっています。
     その後でジョバンニが、じぶんはあの人と話をするのを避けているような感じ をもっていた。そのなかには軽い侮りが入っていて、七面倒なことを言われて いるような感じがして、うまく応答しないでしまったが、それはまちがっていた。 もっとちゃんと親切に会話に応じていくべきだった、と突然、反省をします。


     これがたぶん「常不軽菩薩品」に該当するところです。弱小な人にたいして シンパシーをもつということは誰でもたぶん失わないでもっているものなんで すが、ただ、意識していなくて、ふっとまたつぎの瞬間には忘れちゃうんです が、なんとなくその人を侮るような感じをもちながら、その人からさり気ない 厚意を受けている。そういうことが一瞬痛みと感じたとしてもすっと忘れてし まって、もう過ぎてしまうみたいなことは、われわれは日常誰でもがよく体験 していることなんです。

     つまり弱小な人に同情するとかじゃなくて、誰でもがいつでも日常体 験していて問題にあまりしたがらないようなことでふっとかんがえると、 「おや?」っていうことがある。そのことに気がつくことが人間のもちうる 倫理として最高のものなんだとかんがえるところが宮沢賢治にはあるわけで す。

     「銀河鉄道の夜」のなかで、この「鳥を捕る人」だけが異質な人で、べつに 信仰をもっているわけでもないし、真剣にものごとをかんがえる人でもない。 ありのままの開けっぱなしで、はしゃいでみたり善意を振りまいてみたり、 またびっくりしてみたり、うずくまってみたりとか、ごく普通の人なんです。 たぶんこの登場人物の意味は、こういう人が悟りとか菩薩へ行く道の いちばんの近道にいる人なんだ。つまりそうかんがえられたときに、倫理は 最高のかたちで完成される、というふうに宮沢賢治は受けとっているのだと おもいます。

     つまり法華経の「常不軽菩薩品」を、倫理の問題として読んだというのが、 宮沢賢治のもうひとつの要めであったとおもいます。このふたつの要めで、 法華経を究極的に読んでいったとおもわれます。

     そのところで、日蓮を媒介にした法華経信仰は無形のうちに終わり、法華経 との直接対話のかたちで信仰者としてのじぶんをかんがえていきました。そう いうかたちで文学と宗教とのかかわりあいをつきつめていったとおもいます。


     ここで賢治の宗教は宗派を超えた宗教、普遍的な倫理へとつながって行く可能性 をもった。そしてその領域は、たぶん、ヴェイユの「深淵で距てられた匿名の 領域」ともつながっている。
    第628回 2006年10月6日(金)


    「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(5)
    銀河鉄道の夜


     賢治の作品には宗教的とまではいかないけれどもきわめて倫理的な情操が色 濃く表されているものがある。信仰とは直接にかかわりないところで、賢治に とって倫理とはどのようなものだったのだろうか。

     その倫理の問題の要は法華経20章「常不軽菩薩品」ではなかったかと思われる。

     「常不軽菩薩品」は常不軽菩薩という人の次のような事蹟が書かれている。
     常不軽菩薩は、悟りを開くための坐禅や修行をしないし、お経もあまり読まな い。出あった人には誰に対しても「わたしはあえてあなたがたを軽んじたりし ません。あなたがたはやがて、菩薩になられる人で、最高の悟りに達せられる 人です。だから、じぶんはあなたがたを礼拝します」と、礼拝だけしかしない。 それ以外のことはなにもしない。常不軽菩薩はそういうお坊さんです。それは 誰だったかというと、終わりの所で世尊が、それはかつての自分自身だった 、わたしはその生まれ変わりだ、と言いいます。

     賢治の童話のなかには虐げられた人、差別された人、弱小な人、動物とかに たいする一種のシンパシーが流れている作品が多い。それらはごく普通のわか りやすい倫理です。しかし、賢治が描いている最高の倫理は、それほどわかり やすいものではない。それは、たとえば「銀河鉄道の夜」のなかの「烏を捕る 人」をめぐるジョバンニの心の動きの中に読み取ることができる。


     「八 鳥を捕る人」より

     鳥捕とりとりは、二十ぴきばかり、ふくろに入れてしまうと、きゅう両手りょうてをあげて、兵隊へいたい鉄砲弾てっぽうだまにあたって、ぬときのような形をしました。と思ったら、もうそこに鳥捕とりとりの形はなくなって、かえって、
    「ああせいせいした。どうもからだにちょうど合うほどかせいでいるくらい、いいことはありませんな」というききおぼえのある声が、ジョバンニのとなりにしました。見ると鳥捕とりとりは、もうそこでとって来たさぎを、きちんとそろえて、一つずつかさなおしているのでした。
    「どうして、あすこから、いっぺんにここへ来たんですか」ジョバンニが、なんだかあたりまえのような、あたりまえでないような、おかしな気がしていました。
    「どうしてって、来ようとしたから来たんです。ぜんたいあなた方は、どちらからおいでですか」
     ジョバンニは、すぐ返事へんじをしようと思いましたけれども、さあ、ぜんたいどこから来たのか、もうどうしても考えつきませんでした。カムパネルラも、顔をまっ赤にして何か思い出そうとしているのでした。
    「ああ、遠くからですね」鳥捕とりとりは、わかったというように雑作ぞうさなくうなずきました。


     「九 ジョバンニの切符」より

     ジョバンニはなんだかわけもわからずに、にわかにとなりの鳥捕とりとりがきのどくでたまらなくなりました。さぎをつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくるつつんだり、ひとの切符きっぷをびっくりしたように横目よこめで見てあわててほめだしたり、そんなことを一々考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕とりとりのために、ジョバンニのっているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうのさいわいになるなら、自分があの光る天の川の河原かわらに立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももうだまっていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものはいったい何ですかとこうとして、それではあんまり出しけだから、どうしようかと考えてふりかえって見ましたら、そこにはもうあの鳥捕とりとりがいませんでした。網棚あみだなの上には白い荷物にもつも見えなかったのです。またまどの外で足をふんばってそらを見上げてさぎるしたくをしているのかと思って、いそいでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子すなごと白いすすきのなみばかり、あの鳥捕とりとりの広いせなかもとがった帽子ぼうしも見えませんでした。
    「あの人どこへ行ったろう」カムパネルラもぼんやりそうっていました。
    「どこへ行ったろう。いったいどこでまたあうのだろう。ぼくはどうしても少しあの人にものわなかったろう」
    「ああ、ぼくもそう思っているよ」
    ぼくはあの人が邪魔じゃまなような気がしたんだ。だからぼくはたいへんつらい」ジョバンニはこんなへんてこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今までったこともないと思いました。
    第627回 2006年10月5日(木)



    「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(4)
    芸術と宗教のはざま


     昨日掲載した「マリヴロンと少女」の青色文字で強調した部分を吉本さんは 取り上げています。

    芸術家マリヴロン
     「どんな人でもじぶんが生活してきたその後ろにはちゃんとしたひとつの世界 をもっています。その世界がその人の芸術なのです。誰でもがみんなおなじで す。だから、あなたとわたしはすこしもちがっていない

    少女ギルダ
     「あなたの輝かし方と、じぶんのぜんぜん光がさしてこない生活に埋れていく こととはまるでちがいます

     ギルダの思いや考えとマリヴロンのそれとはどうしても噛み合わない。この問題は 解決できないでいまもある普遍的な問題のように思われる。


     主観的に文学とか芸術が公開されることでうけるいろんな問題、つまり名前や栄誉や称賛や 罵倒が一種の光や闇として集約されている場所と、そういう意味の公開された光や闇なんかな にもないんだ、というところの問題とは、まるでちがうんだという少女の主張は、いまでもな かなか解決し難い問題としてあるようにおもいます。もしじぶんが公開することによってうけ る称賛とか光とか罵倒とか、そういうものにたいして本人がそれを快いものと感じたりひどい もんだと感じたりする感じ方と、そういうことのないただの生活者というところで、生活その ものにおいて誰もが芸術を創っているのだという考え方とは、どうしても質がちがうんだとい うことは、のこるとおもいます。


     この問題に対して賢治が解決を与えているところが「マリヴロンと少女」の中の次のマリヴロンの 言葉です。

     「いいえ私はどこへも行きません。いつでもあなたが考えるそこに居ります。 すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすすむ人人は、 いつでもいっしょにいるのです。

     文学・芸術の創り手と受けての間には必ずといってよいほどの壁がある。 つまり受け手は創り手のモチーフ通りにその作品を受け取るとは限らない。 受け手の生きる場や関心のありどころによって全く別の受け取り方をする こともありうる。

     芸術家がその作品によって何事かを伝えようと意図するのは、宗教の伝道に にあたる。芸術と異なり、宗教では「いっしょにすんでいっしょにすすむ人人は、 いつでもいっしょにいるのです。」という信仰なしにはその伝道は成り立たない。


     新約聖書にも同様のことがいえます。
     「伝道するときは何も持たずに、受け入れられればそこに留まれ。受け入れら れなかったら、足の塵を払って立ち去れ」と書いてあり、一種の伝道技術書みた いに読めるわけです。
     また、おまえたちが迫害を受けているときは「私の名を護持することによって、 迫害を受けるかもしれないが耐え忍べ」とあり、「耐え忍ぶ」の裏には、 無言のうちに「私はそこにちゃんといるんだよ」ということを言っているところ があります。

     親鸞にも伝説があります。
     「一人いて喜ばば二人と思え。二人いて喜ばば三人と思え。そのうちの一人は 親鸞だ」と遺言したという伝説があります。うそだとおもいますが、それはなに かといったら、「あなたたちが悩むなり、喜ぶなり、その喜んでいるときにはわ たし自身もそこにいるんだ」と思ってくれ、ということだとおもいます。それは やっぱり宗教的伝道の本質にある問題のようにおもいます。

     マリヴロンが、少女にたいして「わたしはいつでも、あなたがかんがえるそ こにおります」と言ったとき、その言葉だけで、芸術家から宗教家にパッと移って いるとおもいます。その移り方は、たぶん宮沢賢治の宗教と芸術とのかかわり方 にたいする最高の解決の仕方だったろうとおもいます。

     その移り方は一見するとなんでもないようですが、よくよくかんがえると、芸 術、文学というのは、おまえ、じぶんの作品を読んでくれたら、そこにはわたし はいつでもいるんだよ、とは絶対的に言えないわけです。文学、芸術はどう受け とられるかといったらまったく自由なわけです。マリヴロンは芸術家から宗教 家に言葉のうえで変身して少女に説いているわけですが、その変身の仕方はま さに法華経が説く「人に気づかれないように、ちゃんと万人の行ける道がつけ られなければ、(ほんとう)の悟りではない」と言っていることと、おな じことをやっていることになります。
    第626回 2006年10月4日(水)



    「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(3)
    「マリヴロンと少女」


     私は「マリヴロンと少女」という童話を知らない。手元にある宮沢賢治の本を 全て調べたが、どの本にも所収されていない。ふと思いついて 青空文庫に あたってみた。ありました。まず、初めて読む自分のために、そして私と同様に まだ読んだことのない人が多いのではないかと思い、全文転載することにしま す。

    マリヴロンと少女

    宮沢賢治




     城あとのおおばこの実は結び、赤つめ草の花はれて焦茶色こげちゃいろになって、畑のあわりとられ、畑のすみから一寸ちょっと顔を出した野鼠のねずみはびっくりしたようにまた急いで穴の中へひっこむ。
     がけやほりには、まばゆい銀のすすきのが、いちめん風に波立っている。
     その城あとのまん中の、小さなかく山の上に、めくらぶどうのやぶがあってその実がすっかり熟している。
     ひとりの少女が楽譜がくふをもってためいきしながらやぶのそばの草にすわる。
     かすかなかすかな日照り雨が降って、草はきらきら光り、向うの山は暗くなる。
     そのありなしの日照りの雨がれたので、草はあらたにきらきら光り、向うの山は明るくなって、少女はまぶしくおもてをせる。
     そっちの方から、もずが、まるで音譜をばらばらにしてふりまいたように飛んで来て、みんな一度に、銀のすすきの穂にとまる。
     めくらぶどうの藪からはきれいなしずくがぽたぽた落ちる。
     かすかなけはいが藪のかげからのぼってくる。今夜市庁のホールでうたうマリヴロン女史がライラックいろのもすそをひいてみんなをのがれて来たのである。
     いま、そのうしろ、東の灰色の山脈の上を、つめたい風がふっと通って、大きなにじが、明るいゆめの橋のようにやさしく空にあらわれる。
     少女は楽譜をもったまま化石のようにすわってしまう。マリヴロンはここにも人の居たことをむしろ意外におもいながらわずかにまなこに会釈えしゃくしてしばらく虹のそらを見る。
     そうだ。今日こそ、ただの一言でも天の才ありうるわしく尊敬されるこの人とことばをかわしたい、おかの小さなぶどうの木が、よぞらに燃えるほのおより、もっとあかるく、もっとかなしいおもいをば、はるかの美しい虹にささげると、ただこれだけを伝えたい、それからならば、それからならば、あの……〔以下数行分空白〕

    「マリヴロン先生。どうか、わたくしの尊敬をお受けくださいませ。わたくしはあすアフリカへ行く牧師のむすめでございます。」
     少女は、ふだんのきとおる声もどこかへ行って、しわがれた声を風に半分とられながらさけぶ。
     マリヴロンは、うっとり西のあおいそらをながめていた大きな碧いひとみを、そっちへ向けてすばやく楽譜に記された少女の名前を見てとった。
    「何かご用でいらっしゃいますか。あなたはギルダさんでしょう。」
     少女のギルダは、まるでぶなの木の葉のようにプリプリふるえてかがやいて、いきがせわしくて思うように物がえない。
    「先生どうか私のこころからうやまいを受けとって下さい。」
     マリヴロンはかすかにといきしたので、その胸の黄やすみれの宝石は一つずつ声をあげるように輝きました。そして云う。
    「うやまいを受けることは、あなたもおなじです。なぜそんなに陰気いんきな顔をなさるのですか。」
    「私はもう死んでもいいのでございます。」
    「どうしてそんなことを、っしゃるのです。あなたはまだまだお若いではありませんか。」
    「いいえ。私の命なんか、なんでもないのでございます。あなたが、もし、もっと立派におなりになるためなら、私なんか、百ぺんでも死にます。」
    「あなたこそそんなにお立派ではありませんか。あなたは、立派なおしごとをあちらへ行ってなさるでしょう。それはわたくしなどよりははるかに高いしごとです。私などはそれはまことにたよりないのです。ほんの十分か十五分か声のひびきのあるうちのいのちです。」
    「いいえ、ちがいます。ちがいます。先生はここの世界やみんなをもっときれいに立派になさるお方でございます。」
     マリヴロンは思わず微笑わらいました。
    「ええ、それをわたくしはのぞみます。けれどもそれはあなたはいよいよそうでしょう。正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向うの青いそらのなかを一羽のこうがとんで行きます。鳥はうしろにみなそのあとをもつのです。みんなはそれを見ないでしょうが、わたくしはそれを見るのです。おんなじようにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術です。」
    「けれども、あなたは、高く光のそらにかかります。すべて草や花や鳥は、みなあなたをほめて歌います。わたくしはたれにも知られずおおきな森のなかでちてしまうのです。」
    「それはあなたも同じです。すべて私に来て、私をかがやかすものは、あなたをもきらめかします。私にあたえられたすべてのほめことばは、そのままあなたにおくられます。」
    「私を教えて下さい。私を連れて行ってつかって下さい。私はどんなことでもいたします。」
    「いいえ私はどこへも行きません。いつでもあなたが考えるそこにります。すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすすむ人人は、いつでもいっしょにいるのです。けれども、わたくしは、もう帰らなければなりません。お日様があまり遠くなりました。もずが飛び立ちます。では。ごきげんよう。」
     停車場の方で、するどふえがピーと鳴り、もずはみな、一ぺんに飛び立って、気違きちがいになったばらばらの楽譜のように、やかましく鳴きながら、東の方へ飛んで行く。
    「先生。私をつれて行って下さい。どうか私を教えてください。」
     うつくしくけだかいマリヴロンはかすかにわらったようにも見えた。また当惑とうわくしてかしらをふったようにも見えた。
     そしてあたりはくらくなり空だけ銀の光を増せば、あんまり、もずがやかましいので、しまいのひばりも仕方なく、もいちど空へのぼって行って、少うしばかり調子はずれの歌をうたった。





    底本:「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社
       1989(平成元)年6月15日発行
       1994(平成6)年6月5日13刷
    入力:土屋隆
    校正:noriko saito
    2005年1月26日作成
    第625回 2006年10月3日(火)



    「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(2)
    宗教と文学の問題


     創価学会は日蓮にならって法華経の中の「寿量品」を最重視して教義を構成 している。(『第569 「創価学会」とは何か。(10)「生命論」批判(2)法華経・寿 量品 2006年8月4日』を参照してください。)

     日蓮はもうひとつ「勧持品」を重視している。「勧持品」には法華経の 真の護持者は<受難>するだろうが、それを耐えて護持・布教に勤めなければならない と説かれている。鎌倉幕府からの激しい弾圧が日蓮の法華経解釈に大きな自信を もたらしたことと思われる。その自信から日蓮は他の鎌倉新仏教を、全て外道だと 激しく非難した。また日蓮は、他の宗派が「衆生の救済」を中心にしているのに対して、 日蓮宗こそ国家を鎮護する真の仏教だという鎮護国家の仏教を復古させたこと でも特異な宗教家だった。

     田中智学は日蓮宗の「鎮護国家」の面を継承した宗教国家主義者だった。 その田中智学とも日蓮とも袂を分かって、賢治は独自に法華経を読み込んでいった。 では、賢治はどのようなところを中心に読んでいたのだろうか。


     国柱会の田中智学は日蓮主義者で、日蓮の「立正安国論」のように国家天 下にたいする宗教者の心構えを前面に出した人です。宮沢賢治もそこから 入っていったことは確かですが、ほんとうに法華経をじぶんなりに読むよう になってから後の宮沢賢治が、どこで法華経を読んだかを推察していきま すと、十四章の「安楽行品」を中心に読み込んでいったと推察できます。

     この「安楽行品」には法華経を護持するに際して、こういうことをしては だめだということをあげています。ひとつは、文学、芸術それから娯楽、芸 能に近づいてはいけない。もうひとつは、女性に近づいてはいけない。そし てまた権力に近づいてはいけないと言っています。

     これは法華経がきびしく要請しているところです。法華経はもともとそうい うことを書いていますが、このお経は菩薩に説かるべきお経なんだ、一般人 に説かるべきお経じゃないと述べています。ですからはじめから仏教でいう 高度な要請をきわどくやっています。とくにインドで、女性蔑視の総本 山ですから、女性を近づけないことは戒律のなかの大きなものとして入って きて、真正面から主張されています。

     もっとも賢治にとって堪え難いことだろうなとおもわれるのは、文学、芸術 とか娯楽、芸能に近づいてはいけないと言っているところです。よくよくかん がえてみますと、宮沢賢治は十七、八歳、つまり法華経を読んで感銘をうけた ときから最後の死まで、はじめは短歌でしたが、文学、つまり童話とか詩とか から遠ざかったことは一度もありません。法華経信仰と文学、芸術の創造を 終始並行してやめなかったわけです。そうしますと、法華経信者である宮沢 賢治は「安楽行品」についてじぶんなりの解決の構えをもったはずです。 文学、芸術に近づくなと言っていることと、じぷんのやっていることのあい だに離反があるわけですから、この離反について終始一貫かんがえたはずで す。そのあげくにそれでも文学、芸術を童話、詩の作品を創るかたちで終わ りまでやめなかったわけです。

     そうだとしたら、この「安楽行品」にたいするじぶんなりの一定の読み方 を、宮沢賢治は確立していたとかんがえるのがきわめて当然なような気がし ます。つまりどういうふうに解決したんだろうかとかんがえていくことで、 宮沢賢治の童話とか詩とかの世界に近づくという問題が出てくるとおもいま す。

     そうするといちばん通俗的にかんがえやすいことは、法華経信仰に人びとを 勧誘していくために童話や詩を書くんだとかんがえるなら、許されることじゃ ないかとおもえばいいわけです。たしかに宮沢賢治の童話の作品でごく少数で すけれども、人びとを法華経の信仰に組み入れるよう勧誘する意味あいを含め て書かれているといえなくもない作品があります。しかしご承知のとおり宮沢 賢治の作品ははるかにそういう領域を超えているわけです。つまりべつに人び とを信仰に引き入れるモチーフをもって書かれていようといまいと、これを読 んだ人がうける芸術的感銘は、感銘として独立しているものです。もし感銘を 通じてなにか受けとる無形のものがあるとすれば、それは宗教といえるかもし れない。そういったかたちでならば、宮沢賢治の文学は宗教的だといえるわけ です。

     そうすると、もうすこしこの間題は突っこんでいかないといけないことにな りそうです。

     この「安楽行品」の「文学、芸術に近づいてはいけない」という問題をどう 解決したかということを、高度なところでかんがえてみる必要があるとおもわ れます。「マリヴロンと少女」とか「銀河鉄道の夜」はその問題にたいする 宮沢賢治の最高の解答になっているとおもわれます。解答のために書いたわけ ではないでしょうが、結果としてそうなっているようにおもいます。

     これは高度なところで宗教と文学との問題を解こうとしていて、解いている 部分と、解けているかわからない面とが含まれています。もちろん宮沢賢治は 「農民芸術概論綱要」という文章も書いていますが、主旨はほぼおなじことだ とおもいます。ですからこのふたつを見ていけばいいだろうとおもわれます。



    『感銘を通じてなにか受けとる無形のものがあるとすれば、それは宗教といえるかもし れない。』というとき、その宗教は法華経という一宗教を超えた「普遍宗教」あるいは 「普遍的な倫理」を指し示しているだろう。
    第624回 2006年10月2日(月)


    「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(1)
    宗教家・賢治


     宮沢賢治はたいへん多角的な人です。童話作家、詩人、教師、農業改良 指導者。そしてそれら全てを法華経信仰という一本の強い糸が貫いている。

     だから、賢治の文学作品は宗教とは関係なしに読むこともできるが、 宗教作品としても論じることができる。このシリーズのテーマは 宮沢賢治の文学と宗教とのかかわりが中心となる。

     まず、賢治の略年譜から宗教にかかわる部分を中心に抜き出してみる。 (煩瑣を避けて創作活動の部分は省略する。)

    
    1896年(明治29)8月27日
     岩手県稗貫郡花巻町(現・花巻市)に質・古着商の宮澤政次郎と
    イチの長男として生まれる。
     浄土真宗門徒である父祖伝来の濃密な仏教信
    仰の中で育つ。
    
    1903年(明治36)
     花巻川口尋常高等小学校に入学。
    
    1909年(明治42)
     旧制盛岡中学(現盛岡第一高等学校)に入学、寄宿舎に入寮。
    
    1913年(大正2)
     寄宿舎の新舎監排訴の動きにより退寮となり、盛岡の寺院に下宿
    する。
      
    1914年(大正3)
     盛岡中学卒業。退院後自宅で店番などするが、その生気の無い様
    子を憂慮した両親が上級学校への進学を許可する。
     同時期に、島地大等訳『漢和対照妙法蓮華経』
    を読み、体が震えるほどの感銘を受ける。
    
    1915年(大正4)
     盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)に首席で入学。
    
    1918年(大正7)
      3月、卒業。4月、研究生となる。家族の証言等からこの年	から童話の
    創作が始まったと推定される。
    
    1919年(大正8)
     前年末に日本女子大学校生の妹トシが病気となり母とともに東
    京で看病する。トシ回復とともに岩手に戻る。
    
    1920年(大正9)
     研究生を卒業。関教授からの助教授推薦の話を辞退。
     10月国柱会に入信。自宅で店番をしながら、
    信仰や職業をめぐって父と口論する日々が続く。
    
    1921年(大正10)
     1月23日家族に無断で上京し鶯谷の国柱会館
    を訪問。本郷菊坂町に下宿する。
    学生向けの謄写版制作の職に就きながら、盛んに童話の創作をおこ
    なう。
     また、国柱会の街頭布教にも参加。
     夏にトシ発病のため岩手に帰る。
     11月、稗貫農学校(のちに花巻農学校、現花巻農業高等学校)
    教師となる。
     翌年11月にトシ病死。
    
    1923年(大正12)
     8月、教え子の就職斡旋の名目で樺太を訪問。その真の目的は妹
    トシの魂との交感を求める旅行であった。
    
    1926年(大正15)
     3月末で農学校を退職。羅須地人協会を設立し、農民芸術を説い
    た。
     タイピングやエスペラント、オルガンやセロを習う。
     またヒューマニストとして非合法共産党の影響下にあった日本
    労農党の岩手県での有力献金者であった。以降、農業指導に奔走。
    
    1927年(昭和2)
     2月、羅須地人協会の活動に関して警察の聴取を受けたことから
    協会の活動を停止。
    
    1928年(昭和3)
     6月、農業指導のため伊豆大島の伊藤七雄を訪問。
     夏、農業指導の過労から病臥し、秋に急性肺炎を発症。
    以後約2年間はほぼ実家での療養生活となる。
    
    1931年(昭和6)
     病気から回復の兆しを見せ、東山町(現在の一関市)の東北砕
    石工場技師となり石灰肥料の宣伝販売を担当。
     9月、農閑期の商品として壁材のセールスに出向いた東京で病
    に倒れ、帰郷して再び療養生活に入る。
    
    1933年(昭和8)
     9月21日に急性肺炎で死亡した。享年37。生涯、独身であった。
    


     賢治は死ぬときに臨終の床から起き上がって南無妙法蓮華経と題目をとなえ、 法華経を千部刷って、知り合いの人に分けてあげてくれ、と父親に遺言したと 伝えられている。賢治の信仰は生涯にわたって続いた。

     賢治はまず18歳のときに法華経と出会って大きな感銘を受けている。続いて 田中智学の法華経論を読んで衝撃をうけ、24歳のときに田中智学が主宰する国柱会に入信している。

     田中智学は日蓮宗の僧侶で、宗門の改革活動と布教活動を熱心に進めていた。 社会的にもおおきな影響力を持っていた。創価学会の創始者で ある牧口常三郎とともに、近代における最も独自なものをもった日蓮宗の 思想家といえる。


     宮沢賢治は田中智学の法華経論を読んで衝撃をうけ、信仰に入っていき ます。田中智学の国柱会に入って、布教しながら、童話作品を書いていこう とかんがえたわけです。

     あるところから、田中智学の考え方から離れ、日蓮の妙法蓮華経にたいする 理解の仕方をじぶんの基本に考えをすすめていきます。結局は最後のところに なりますと、日蓮からも離れます。じかに法華経との対話をとおして、じぶん の考え方をつきつめていった人だとおもいます。

     どこで日蓮と離れたかといいますと、<科学>だとおもいます。宗教と 科学、科学と日蓮<宗>でもいいですが、それがどこで結びつくのかという 問題意識は、もちろん日蓮にはありえないわけです。田中智学にもなかったわ けです。宮沢賢治だけしかその関心のもち方はできなかったのです。そこま でつきつめていったことは、じぷんの法華経理解を深めていったことを意味 するとおもいます。

     ヴェイユと同様に、賢治の宗教も既成の宗派を超えたものを目指す宿命を 担っていた。
    第623回 2006年10月1日(日)



    シモーヌ・ヴェイユの神(13)
    最後のヴェイユ・匿名の領域


     いま私(たち)の場所からは、たぶん、マルクスやヴェイユの労働概念は修正を要する。 しかし、これは稿を改める問題です。

     マルクスにしてもヴェイユにしても、その思考は一本の道をただひたすら突き詰めていき、 自分をとことんまで追い詰めている。とても真面目すぎてとても窮屈な感じがする。 吉本さんも「もうすこし柔軟で怠惰だったら、資質的に好きな思想のひとつ」という感想を 述べている。そしてその「資質的に好きな思想」の究極を、ヴェイユの「神」の最後の姿を 素描している。


     この世の外側に、つまり空間と時間の外側に、人間の精神的世界の外側に、人間 の諸能力が到達しうるあらゆる領域の外側に、ひとつの実在が存在する。

     この実在にたいして、人間の心の中心につねに位置し、この世のいかなるものも 決してその対象となることのない絶対的善を希求するあの要求が応えるのである。

     この世の中のことのみ人間がかんがえるとき、かならずつきあたる不条理、解決 不能の矛盾を通して、その実在はこの世でもはっきりとその姿を見せる。

     この世の現実が真実の唯一の基礎であるのと同じように、そのもうひとつの実在 は善の唯一の基礎である。

     この世に存在しうるあらゆる善、あらゆる心理、あらゆる正義、あらゆる合理性、 あらゆる秩序、あらゆる場合における人間の行為の義務への従属、これらのものが この世に舞いおりてくるのは、ほかでもなくその実在からなのである。

     善がその実在から舞いおりてくるための唯一の仲介物となるものは、人間の中で その実在にたいする注意力と愛とをもつ人びとである。

     その実在があらゆる人間の能力の遠く及ばないところに位置しているとはいえ、 人間は、この実在へ自己の注意力と愛を向けることができる。

     どのような人間であれ、その人にこのような力が欠けていると想定するいかなる 根拠もない。

    (以上、ヴェイユ『ロンドン論集とさいごの手紙』「人間にたいする義務宣言のための試論」 より「信仰告白」の節、杉山毅訳)

     人間だれでも、なんらかの聖なるものがある。しかし、それはその人の人格では ない。それはまた、その人の人間的固有性でもない。きわめて単純に、それは、か れ、その人なのである。

     人格の表出のさまざまの形式であるにすぎない科学、芸術、文学、哲学は、華や かな、輝かしい結果が実を結ぴ、それによっていくつかの名前が数千年にわたって 生きのびる、というある領域を構成している。しかし、この領域を越えて、はるか かなたに、この領域とはひとつの深淵でもって距てられた、もうひとつ別の領域が あり、そこには第一級のものがおかれている。それらのものは本質的に名をもたな い。

     その領域にわけ入った人びとの名前が記録されているか、それとも消失している かは偶然による。たとえ、その名前が記録されているとしても、それらの人びとは 匿名へ入りこんでしまったのである。


    (以上、ヴェイユ『ロンドン論集とさいごの手紙』「人格と聖なるもの」より、 杉山毅訳)


     もうひとつヴェイユの考え方に、いまも重要だしこれからも重要だとおもわれるところがあ ります。ヴェイユの言い方をしますと、科学とか、芸術とか、文学とか、哲学とかは全部、人 間の人格のひとつの表現のさまざまな形式をなしている。そのなかにたいへん優れた人がいて、 人類の歴史のはじまりから何千年も名前と業績が伝わっていて、光輝ある仕事だ、業績だとい われている。しかしほんとうはそうじゃないんだ。そういう輝かしい天才たちが何千年も名前 を遺すような仕事と業績の領域のもっと向こう側に、ほんとうに本質的な領域がある。歴史が かんがえてきた領域の向こう側に、ひとつの深淵で距てられた、第一級のものだけが存在する 別の領域がある。その存在する領域は偶然に名前が記録されることもあるかもしれないが、本 質において無名の領域だという言い方をしています。その無名の領域ないしは匿名の領域へ誰 が入ったのかはぜんぜんわからない、と。これは最後になったロンドンでの言葉です。そこが ヴェイユの神学の最後の到達点です。

     そこまで行きますと、ぼくらはこの領域はわからないし、そこまで到達できるとかできない とか、かんがえられるような領域ではないわけです。そこまでかんがえれば、その領域は、キ リスト教の信仰の立場からも、イデオロギーとか思想とかの立場からも、どんな立場からも見 えるんじゃないか。つまり党派の領域でも、宗教の派閥の領域でもなくて、どこからも見える ひとつの領域がかんがえられるのではないかという気がします。ヴェイユの神への考え方は画 一的ではありますが、匿名の領域、無名性の領域で、そここそが(ほんとう)の第一級の場所 なんだという言い方で指しているものは、どこからも見えるといいましょうか、そういう見え 方ができるんじゃないか。誰が集中していってもそこに集中していくということで、一種の普 遍理念とか普遍宗教という領域を、人間はかんがえることができるのではないかという希望を 抱かせます。そこへ行けるとはけっしていいませんが、そういうものが設定できるんじゃない かとおもいます。

     人間の政治社会があれば、かならずそこに対立とか争いがあるということじゃなくて、どこ から見ても、そこが普遍的真理の場所だというものを、わたしたちがかんがえている領域のは るか向こうにもうひとつ設定できるのだというヴェイユの最後の到達点は、たいへんわたした ちに希望を抱かせます。そこはどこから行ってもめざすことができる領域のようにおもえるし、 党派、宗派独特の習慣儀礼に従わなくても、ただいかに真理に近づくかという考えだけがあれ ばそこへ到達できる。不可能だとしても到達可能性がいつでもある。ヴェイユの神学思想とし て生きているほんとうの理由をそこに見たいとおもいます。

     けっしてキリスト教的でもなければ、仏教的でもない、あるいはどちらにも似ているといえ ば似ているし、イデオロギー的であるようで革命思想的でもあるように見える。つまり労働概 念などを見ていると、革命思想的でもあるように見えて、宗教的でもある。そういうことを介 してどこからでも行けるはずだという場所をとにかく指さして見せてくれたことが、ヴェイユ の宗教としての現代性のいちばん大きな場所じゃないかとかんがえます。


    つい先日、『甦るヴェイユ』の新書版(MC新書)が出版されました。