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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
617  9.21判決:イシハラの反応
2006年9月24日(日)


 難波名判決に対するイシハラの談話は次のようでした。 (私の知る範囲では「ライブドア・ニュース」が一番詳しかったのでそれを 用います。)


 この日の会見で石原知事は開口一番、「当然控訴します」と発言。

 ごく平均的な高校を生徒に分からない形で2回視察したという知事は、 「あの裁判官は、東京の都立高校の実態を見ているのかどうか。全部が 全部とは言わないが、乱れに乱れていて先生の言うことを全然聞かない。 授業を受けているのは前列の2列か3列だけ。あとはワイワイ弁当食った り、勝手なことをしていたよ」と自らの体験を披露した。

 その上で、「そういうものの規律を取り戻すために、ある種の一つ の統一行動は必要だ。その一つが式典に応じての国歌・国旗に対する 敬意だと思う」との考えを示し、「指導要領でこういうことをしなさ いといわれている限り、教師としての義務が生じる。教師というのは 子どもに範をたれるのだから、俺はこれは気に入らないでは済まない。 指導要領で要求されていることを行わなかったら、教師の義務を怠った ことになり、処分を受けるのは当然だ」と語った。

 「当然無視します。」と言ってほしかったなあ。控訴はせず判決を無視して、教育支配の目論みを完成すべく悪政を 押し通したならイシハラは首尾一貫した立派なファシストだと、少しは 見直そうかと思っていたのですが、何のことはない、控訴だってさ。「命がけで 憲法を破る」という勇ましさは影を潜めて、その「醜悪だ」と蛇蝎のごと く嫌っている「憲法」を頂点とする法体系に救済を求めてきました。しかし、 あいかわらず法的論拠は文部科学省の告示に過ぎない「学習指導要領」 だけで、憲法や教育基本法といった最高法規を全く無視していますね。

 教育行政の言いなりになるのではなく、「思想と良心の自由」に 基づいて不当な支配とは闘うことを教えるのが民主主義国家の 教師の務めだよ。教育行政に唯々諾々と従う方こそ「義務を怠った」こと になるのですよ。

 控訴する関係上、憲法や教育基本法や難波裁判長をこき下ろし口汚く ののしるのはまずいと悟ったか、今回はただ一つだけ、難波裁判長に 対して「あの裁判官は、東京の都立高校の実態を見ているのかどうか。」 と、トンチンカンな不満を述べているだけでした。

 何がトンチンカンかというと、まず第一に、今回の裁判の争点には「都立高校 の実態」は全く関係ない。教育の完全支配を目論むイシハラのファッショ的 な教育行政が問われているのですよ。これは、コイズミまがいの「問題の すり替え」という詭弁ですね。一番の狙いは 教師を従順な手先にすることでしょう。

 この裁判では裁判官が知るべき実態は、都教委のロボットとなった校長の 独裁が物言わぬ教師を作り、職員会議が単なる上意下達の場となり、 生徒・教師の創意工夫による生きた教育を壊し、学校が硬直した管理飼育の 場になってしまったことです。そしてその実態は、原告の教師たちの生々しい 証言により、つぶさに裁判官の知るところとなったのす。その結果の 判決です。憲法や教育基本法を無視して、イシハライデオロギー を押し頂いてきた教育庁のロボット連中が1パーセントも考えていなかったと、 難波判決に驚きあわてたのは当然のことでした。

 でもせっかくイシハラが「乱れに乱れていて」る高校の実態にどう対応すべくかという 問題提起をしていますから、少し付き合いましょう。

 この問題を解決 するために、「日の丸・君が代の強制」のような「考えるな!服従せよ!」 といった「統一行動」が必要だと考えているようですが、これがまたトン チンカンなのですね。
 まず何よりもそれは教育ではない。管理・飼育です。そして現在の教育の 混迷は、点数という学力の一側面だけで生徒を分断し、教育ではな く管理・飼育をしてきた自民党の文部政策の失敗の結果なのです。「乱れ に乱れて」いる教室は、小学校以来劣等性の烙印を押し続けられてきた生 徒の叛乱なのですよ。子供の夢や希望を根こそぎにしてきた結果なのですよ。


再チャレンジだって?成蹊小→中→高→大、君に言われてもなぁアニメGIFバナー

( このアニメバナーは雑談 日記より拝借しました。)

 もちろん、年間自殺者3万人が象徴する殺伐とした格差社会の状況も影響し ています。家庭の問題もあります。その家庭の問題の根源には、親子で過ご す時間を奪っている過酷な労働条件の問題もあります。全て自民党の失政の 結果です。憲法や教育基本法のせいでは断じてありません。

 さらにもっといろいろなものが複雑に絡んでいると思いますが、さしあ たって学校教育という点に限って考えましょう。当然、イシハラの皮相な 教育理念で何とかなる問題ではありません。イシハラなどの日本新ファシスト の教育理念は教育課程審議会会長だった三浦朱門があからさまに語ってい ます。


「できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限り なくなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を 引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神 だけを養っておいてもらえばいいのです。」


 進学重点校、中高一貫校、エンカレッジ校などという、分断をさらに拡大 固定化するようなイシハラの教育施策ではさらに困難校が増えることは火を見るより 明らかなのです。で、それを糊塗するために「日の丸・君が代の強制」とか 「奉仕活動」とか、なのですね。

 では、どうすればいいのでしょうか。私に処方箋が創れるわけはありません。 でも問題の掘り下げはしています。興味がある方は読んでみてください。

教育について

教師とは何か

ブログ版では「イシハラの教育支配の実態」と「教育とは何か」が該当します。

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