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622 シモーヌ・ヴェイユの神(12)
最後のヴェイユ・「労働」と「死」
2006年9月30日(土)


 ヴェイユは最後まで「労働(肉体労働)」という概念を突き詰めて考えていた。 それは初期からの概念つまりマルクスの考え方の拡張だった。

 マルクスの「労働」概念のおさらい

 マルクスは、じぶん以外の対象にたいする働きかけをひろい意味での労働と かんがえる。その労働は対象の方から、働きかけた人間の方へも、反作用とし て働きかけがある。
 たとえば、その人が肉体的に働きかけていくとその人は機械とおなじ、つま り生きていない無生物とおなじようにただ相手に働きかける作業だけの人間に その瞬間はなっているとかんがえていい。そういう相互作用がある。

 さらにマルクスは、労働は働きかけた対象を価値物に転化すると考える。 狭い概念でいえば、「こういうものを作ったらこ れは価値ある商品になる」ということだ。ひろい意味でとれば、人間が 人間以外の対象物に働きかけた瞬間から、働きかけた対象物はすべて 価値物に転化するということになる。マルクスの考え方でいちばん重要な点だ。

 マルクスの「労働」についてのこの考えは徹底している。

家事労働とはなにか。
 家族の働き手が、あしたも今日とおなじように職場に行って働いて不都合が ないというそういう栄養物を補給するのがいい家庭ということになる。その ために主婦がものを作るということはけっして無価値でもないし、奴隷労働 でもない。働き手の価値増殖に寄与していることになり、それは価値労働 だと言う。

消費とはなにか。
 消費とは遅延された生産であるというのがマルクスの考え方になる。 つまり、いまこれを作ったのだが、これが回り回ってどこかで売られて、それ をまた買って役立てることによって、またあした仕事するという、そういうこ とでいえば、消費とは遅れた生産ということになる。



 さて、晩年のヴェイユは「労働」について次のように述べている。


 人間は服従のそとに出てしまった。神は刑罰として労働と死を選んだ。した がって労働と死は、人間が同意によってそれを受け容れるとき、神への服従と いう最高善のなかに移行することを意味する。

 天上において死の神秘的な意味がいかなるものであれ、この世における死 は、わななく肉体と思念とからなる存在、のぞみ、憎み、希望し、怖れ、欲し、 拒否する存在が、物質の小さな堆積に変貌することである。
 この変貌への同意は、人間にとって完全なる服従の至高の行為である。

 しかし死への同意は、死がそこに存在するときにしか完全に現実のものにな ることはできない。それはまた、死が近くにあるときにしか完全さに近づくこ とはできない。死の可能性が抽象的なかたちで遠くにあるとき、同意もまた 抽象的である。
 肉体労働は毎日の死である。

 死と労働は必然に属する事象であって、選択に属する事象ではない。 宇宙が人間に糧として与えろれるのは、その人間が労力として宇宙におのれを 与えるときのみである。しかしながら、死と労働とは反抗のうちに受け容れら れることもあれば、同意のうちに受け容れられることもある。その赤裸々な真 実のうちに受け容れられることもあれば、虚言に包まれたかたちで受け容れら れることもある。

 よく秩序立てられた社会生活のなかで肉体労働が占めるべき位置を決定する ことは容易である。肉体労働は社会生活の霊的中心でなければならない。


(以上、ヴェイユ『根をもつこと』山崎庸一郎訳)

 ヴェイユは「神」や「死」を語り、それをじぶんの思想の根においた。それ はふるめかしいカトリック僧院の僧侶の像に似ていないでもない。でもヴェイ ユは僧院とは別のところにいる。たとえばヴェイユは「労働」という概念に、 最後まで固執している。ヴェイユのいう「労働」はあくまでも貸労働のこと で、僧院のなかの無償の奉仕の労働や、福祉としてのボランティアの労働では ない。これは大切なことだ。

 言葉にあらわしていないが、いちばんはじめに人間が神にたいする服従の そとにでられることをしめして人間的な倫理の矛盾を武器に神に抗弁し、神 の不公正をなじってみせた旧約の偉大な受難者は『ヨブ記』のヨブだった。 この個所にはヴェイユのヨブにたいする深い共感がかくされている。

 ヴェイユによって賃労働が「死」の自己同等として導き入れられている。 『ヨブ記』のヨブによって神への服従のそとにでてしまった人間が、神と 和解し、服従できるのは労働と死のほかにないからだ。それがヴェイユの真意 とおもえる。

 するとヴェイユの神学は、にわかに天上との対話の意味から地 上の社会生活のなかにおりてくる姿がみえる。ほんとはそれといっしょに 賃労働の意味が、ほんのすこしばかり変貌して、対象への人間の普遍的な行為 という意味をおびてくるというべきだ。それはマルクスの賃労働が、哲学の 概念としてあらわれるとき、対象にたいする行為一般の貌をおびてくるのと、 とてもよく似ている。

 なぜそうなるかといえば人間の対象にたいする行為は、 同時に対象からじぶんの意識が規定をうけとる行為であるか、じぶんの意 識が対象に規定を与える行為であるか、そのどちらかを含むものだからだ。 そこで特殊な具体的な行為(賃労働)といえども普遍的な行為という内面を あらわさざるをえない。

 ヴェイユもマルクスとおなじように、人間の特殊な具体的な行為にすぎな い<賃>労働のなかに、人間が「意志」してせざるをえない行為をみようと した。そしてこの「意志」をヴェイユは、人間としては刑罰であり、天上的 には「神への服従」(摂理への服従)とみなそうとした。

 ヴェイユはそれを「最高善」という倒錯した概念であらわしているが、わ たしたちがそれを「最高悪」と読みかえても、すこしも訂正はいらないよう にできている。つまりヴェイユのなかにはその両義性がひそんでいる。

 ほんとに「死と労働とは反抗のうちに受け容れられることもあれば、同意の うちに受け容れられることもある」が、それは「死」と「労働」そのものに 第一原因があるので、人間の行為のなかに原因があるのではない。

 ヴェイユは「肉体労働は毎日の死である」といっている。だが厳密にはそ うではなさそうだ。「死」と「労働」とが関連をうけとるのは、人間がそれ を自己(内)対象にしたときだ。じぶんの対象としての「死」は、じぶんの 消滅としてあらわれるが、じぶんの対象としての「労働」は極限まで消費さ れたじぶんの消耗、つまり疲労としてあらわれるまでだ。このふたつはおな じではない。肉体労働が死であるばあい、それは一日だけでおわってしまい 「毎日」繰返されることはいらない。

 もちろんヴェイユは「死」という言葉を比喩としてつかっているのではな い。まったく肉体的な死をさしているのだ。それは「わななく肉体と思念と からなる存在」「のぞみ、憎み、希望し、怖れ、欲し、拒否する存在」が 「物質の小さな堆積」に変貌することが「死」だといっていることからもわ かる。

 この変貌に同意することは、ヴェイユによれば摂理としての自然(「神」) のうけいれ(「服従」)であり、「至高の行為」だとのべている。だがここで も「最低の行為」だといっても文脈はひとつもうごかす必要がないように語ら れている。これがヴェイユの「神」の両義性だった。



 わたしたちはヴェイユの興味ぶかい表現にぶつかる。「宇宙が人間に糧と して与えられるのは、その人間が労力として宇宙におのれを与えるときのみ である。」というのがそれだ。

 ヴェイユのかつての思想的なちかくにいて、すれちがってしまったバタ イユは、たしか『呪われた部分』で逆のことをいっている。この宇宙で地球 上の生体にエネルギーを与えているのは太陽だけであり、地上の生命も人間 の生産も、そのための労働も、結果である商品も、すべての消費とおなじよ うに、ただ太陽エネルギーを消費する行為だ、というように。

 ヴェイユは神学であり、バタイユは普遍経済学であり、ふたつはただ思惟 の方向だけがちがっている。
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621 シモーヌ・ヴェイユの神(11)
ヴェイユの触神・見神体験(3)
2006年9月29日(金)


 ヴェイユが、繰り返し襲う激痛(頭痛)を軸に神を語るとき、それは私に日常に埋没して すっかり忘れているいるシビアな倫理の問題を思い出させる。


神への愛と不幸

 不幸は生命が根こそぎにされることであり、多少とも軽減された死に等しいものであ り、肉体の苦痛に触れるか、直接それを恐れるかによって、どうしても魂に現存する ものとなる。

 肉体の苦痛が全然なければ、魂の不幸はない。なぜなら思考がどんな対 象にでも向って行くからだ。思考は動物が死から逃げるのと同じように速く、同じよ うにおさえがたく、不幸から逃げる。この世で思考をつなぎとめることができるのは 肉体の苦痛だけで、ほかにはない。ただしこの場合、記述がむずかしいけれど、肉体 の苦痛と厳密に同等ないくつかの現象は、肉体の苦痛の中に入れて考えている。肉体 の苦痛に対する恐れはそういうものの一つである。

 思考が肉体の苦痛にしいられて、その苦痛は軽いものであっても、それによって不 幸の現在をみとめるときには、死刑囚が自分の首を切るギロチンを何時間もながめる ことを強いられているのと同じようにひどい状態になる。人間はこのひどい状態で二 十年も、五十年も生きることができる。ほかの人はそれと気づかずに、不幸な人々の そばを通っている。キリスト自身がだれかの目を通してそれを見るのでなければ、だ れが不幸な人々を識別できよう。ただ、彼らがときどきへんな素振りをすることが あって、人はそういう素振りを非難している。

 ある生命をとらえて根こそぎにしたできごとが、直接にか、社会的、真理的、肉体的、 にその生命のすべての部分に達していなければ、本当の不幸はない。社会的な因子は 本質的なものだ。何かの形で社会的な堕落かその心配がなければ、本当の不幸はない。



 不幸におちいると、キリストも免れることを願い、人々の間になぐさめを求め、父 なる神に棄てられたと信じないではいられなかった。不幸におちいると、義人も神に 反抗の叫びをあげないではいられなかった。ヨブは単なる人性にともなうかぎりもっ とも完全な義人であり、歴史的な人物であるよりもキリストのかたどりであるとすれ ば、それ以上に完全な義人なのだ。

 「彼は罪のない人々の不幸を笑う。」これは冒涜で はない。これは苦痛からしぼり出された本当の叫びなのだ。「ヨブ記」ははじめから 終りまで真実と真正の純粋な素晴しさである。このモデルからはなれた不幸について の言葉は、すべて多少ともうそで汚れている。

  (シモーヌ・ヴェイユ『神を待ちのぞむ』渡辺秀訳)


 慰めのない<不幸>とか、絶対的な<絶望>をとおして しか人間は神に近づけないのだ、それ以外の近づき方をしようとしたり、 したつもりになっているのは全部うそだ、それは<うそ>の感情と<うそ>の信仰、<うそ>の 神なんだとヴエイユは言っている。ここで私(たち)は、肉体的な苦痛に限らず、あらゆる人間的な 苦痛や不幸や悪やさらには死の問題に対峙させられている。私(たち)は私(たち)の苦痛や不幸 や悪や死とどのように立ち向かい、どのように対処すべきなのか、あるいはその問題には どのような解決があり得るのか。

 人間の重力(*注)の圏外にある神あるいは神の恩寵は善なるものにきまっているから、善な るものに接近するには、人間が<悪>であるばあい以外、あるいは<悪>の報いであるところの 不幸とか死とか苦痛とか以外に近づく術がないんだ、そういうところに神は存在しているという のがヴェイユ独特の考え方であるし、ものすごく徹底した考え方だといえます。

 このへんまでくると、ヴェイユの考え方は日本の中世の浄土系の宗教家の考えに著しく似て きます。たとえば親鸞が、「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」と言います。善人 が浄土に往けるというんだから、悪人ならなおさら往けるんだ、という言い方を親鸞はしてい ますが、ヴェイユの考えはそれに近づいている。

 不幸とか、死とかに関連していえば、あらゆる現世にたいする執着を断ち切ってしまわなけれ ば、絶対に神あるいは神の恩寵には到達しないという考え方をヴェイユは述べています。現世に ある執着を全部取っ払ってみずから慰めようのない不幸といいましょうか苦痛にじぶんをおくと、 はじめて筆舌に尽くしがたい慰めが、つまり恩寵の慰めが向こうからやってくるということがあり うるという言い方をしています。この考え方は法然、親鸞じゃなくて一遍の考えに著しく近いとい えます。

 ヴェイユの神学、神の考え方は、ぼくにはある意味でわかりやすい考え方に近いですし、 神学的にいうとあらゆるキリスト教的な信仰にたいして全部アンチテーゼである。そういうところ からいきおい人間の根源の倫理といいましょうか、原則が出てくるのですが、ヴェイユが強調して やまないところは、じぶんがそうと思わないことは絶対にするなということです。じぶんがそうと 思える範囲内でしか行為をすべきでなく、もしこれを超えて行為するとかならずまちがえるから、 人間の必然的にそうだと思える範囲内にじぶんの行為を留めおくべきだ。それを留めないで、 なにかちがうものをもって、それ以上のことをしようと思ったり、しようとしたらかならずまち がった神に到達してしまうという言い方をしています。人間の倫理をつくるのは必然の行為だ けであって、必然性のない行為は人間の行為の倫理的基準にならないというのが、ヴェイユの 倫理にたいするいちばん根本的な考え方だとおもいます。


(*注)ヴェイユ神学における「重力」について
 一般的に物というものは重力の作用を受けている。人間の肉体も重力の作用を受けている。それ とおなじように、人間の精神も重力の作用を受けているとヴェイユは言う。

 人間の精神も重力の作用を受けているので、人間の精神作用は人間相互のあいだでも、じぶん 個人としても、どんどん下の方つまり低俗な方へ低俗な方へいくようにできている。

 それでは、重力の作用を受けない精神作用はあるのか。ただひとつだけある。それは神の「恩寵」 だ。神の恩寵だけが重力の作用を受けていない。たとえて言えば、重力に対応してそれは光であり、 それだけが人間の精神作用とちがって重力の作用の圏外にある、とヴェイユは考えている。
620 再びイシハラ批判
2006年9月28日(木)


 私のホームページは、生半可な知識で試行錯誤しながら作っているので よく失態をおかす。また、注意力がないくせに点検をめんどぐさがる悪い 性癖のために、誤字・脱字・消し忘れなども多い。

 ここ数日間の記事ではタグの誤使用で、行が重なって全く読めない部分を作って しまった。昨日はその修復工事をしました。ついでなので、過去ファイルの処置の仕方を 改善することにして、その作業も始めました。これは、他の人たちのホームページから ヒントを得て思いついた。全ファイルの処置にはかなりの時間がかかりそうだが、 ボチボチやていくことにします。

 そんなこんなで、昨日は記事を書く時間を逸してしまった。また 本題の「ほんとうの考え・うその考え」がとびとびになっていますが、 今日は取り上げたい新聞記事があるので、「ほんとうの考え・うその考え」は またお休みをして、そのことを書きます。

 マスコミ(といっても私が触れるのはほとんど新聞だけ)がイシハラをキチンと 批判するのを聴いたり読んだりしたことがない。9月26日の朝日新聞で初めてまともな イシハラ批判に出会った。しかしそれは新聞社の論説ではなく、投稿記事です。「私の視点」 というコラムで、投稿者は明治大学講師(憲法学)の清水雅彦氏。拍手。
 ネットで検索したら、憲法の理念の下にいろいろとご活躍されていることを 知りました。この記事で、たぶんいろいろ嫌がらせや圧力を受けるでしょう が、そんなことでたじろぐような方ではないでしょう。

石原知事発言 黙認する社会の危うさ

 公開中の米国映画「X-MEN」はバトル系の娯楽作品だが、マジョリティー (人類)とマイノリティー(ミュータント)の共生を問う作品でもある。 アルジェリア系移民2世でサッカー選手のジダン氏らは02年の仏大統領選で、 極右のルペン候補の落選を呼びかけた。

 このように欧米では、社会に根強い人種差別や排外主義を娯楽映画でも 題材として扱い、有名人も積極的に発言するなど、問題解決に向けての営み がある。

 アジアの「先進国」日本は、どうであろうか。最近でも、首都東京の石原 慎太郎知事の差別発言が相変わらず続いている。

 8月には五輪の国内立候補都市が決まった後の祝賀会で、在日韓国人2世の姜 尚中・東大教授を「怪しげな外国人」と表現した。9月には危機管理をテーマと するシンポジウムで、またも治安対策と絡ませて「三国人」発言を行った。

 このような差別発言を「石原氏だから仕方ない」というあきらめから黙認す ることは、国際的には大変恥ずかしいことである。

 00年に石原氏が行った「三国人」発言には、国連の人種差別撤廃委員会が01 年に懸念を表明した。「高い地位にある公務員」(石原氏のこと)の差別発言 を野放しにする日本政府を批判したものだ。日本は世界に人権「後進国」ぶり を露呈してしまったのである。

 国際社会では、石原知事の発言はルペン氏やオーストリアのハイダー氏にも 通じる排外主義的なものと認識される。そのことを、日本国民は知る必要があ る。

 知事の発言は国内法的にも問題がある。99年の重度心身障がい者に対する 「人格あるのかね」発言、閉経後も長生きする女性を「有害」とした01年の 「ババア」発言など一連の差別発言は、法の下の平等を保障した憲法14条の 精神に反する。

 さらに、憲法前文がうたう国際協調主義の姿勢がなく、憲法否定宣言まで 行う石原知事は、憲法99条の公務員の憲法尊重擁護義務を果たさない人物で あり、知事失格である

 ただし、知事個人への批判だけで終わってはいけない。石原氏のキャラク ターを利用する人々と、利用の結果生じることをも警戒する必要があるから である。

 石原知事の差別主義は、外国人を「治安の対象」 とみなしたい警視庁に よって利用されている。この「異端者」対策は社会全体に、監視と治安の強化 をもたらしつつある。

 2期目の知事選で石原氏は308万票を集めた。新自由主義的な改革によって 格差社会化が進む中で、「勝ち組」側の都民はもちろん、鬱屈した不満を抱え る側の都民もまた石原知事を支持したからである。

 石原知事の特徴は歴史認識の欠落、アジア蔑視、差別主義であると私は見る が、最近は日本社会全体でも、国民の中に同じ意識や思想が広まりつつあるよ うだ。

 社会の空気をマイノリティーの排斥に向かわせないため、私たち国民の姿勢 がまず問われている。

 すこし私の意見を付け加えたい。

 『「先進国」日本』。先進国に括弧をつけているのは、もちろん皮肉っている のです。9月25日:世界の国々での学 校における国旗・国家の扱いでも確認したとおり学校で国旗国歌を強制する先進国は 皆無です。イシハラの知性は一世紀遅れている。そして、その政治思想は北朝鮮の独裁者と 同類です。イシハラが北朝鮮を罵倒するのは近親憎悪というやつでしょう。

 イシハラと警視庁の関係は、確証があるわけではないけど、ツーカーの関係 で共犯者だと私は推測しています。

 つい先日、イシハラはまたしても、今度は都議会でむき出しの差別意識を さらけ出している。共産党議員の質問に対して「あの判決に喜んでいるのは 多分、共産党と、いまやたそがれてきた日教組の残党と、当の裁判官くらい ではありませんでしょうか。」と言ったという。「共産党」や「日教組」に 敵対し、こき下ろせば、愚民たちの支持を取り込めるという大衆迎合の 卑しい精神がまるみえです。いまイシハラとよく闘っているほとんどの人たちは 共産党とも日教組とも関係ありません。むしろ日教組などはその人たちの 闘いの足をひっぱていると言ってもよい。しかもさらにイシハラは、場違いにも そこに裁判官を並べている。この論理的混乱は漫画だね。よっぽど今度の判決を 出した裁判官に腹が煮えくり返っているのでしょう。

 イシハラは先進国では排外主義者と看做されているだけではなく、極右政治 家と看做されている。しかも憲法尊重擁護義務を果たさない人物です。 先進国でなら、もうとうに政治生命を失っていてしかるべき人物です。そんな 人物がのうのうと知事を務めているとは、まったくこの国の後進性はなんとも 立派なものです。

 この歯切れのよいコラムと同じページの「声」欄に、なんとも情けなくもバカバカしい 投書があった。私は2ヵ所でつい噴出してしまった。

 信じられない「君が代」判決
   中高教員 堀内 不二夫(埼玉県所沢市 58歳)

 国旗、国歌に敬意を払うことは人としての当然の姿勢である。そのことを 教えるのに、学校の果たす役割は大きい。

 教育に携わる者に要求される必須の要件の一つは、率先垂範する姿勢であ る。もし教員が「私は日の丸も君が代も認めないが、君たちは国旗国歌に敬 意を払いなさい」という指導をしたとしたら、生徒は混乱するだろう。

 スポーツの国際試合で、多くの日の丸が振られているのを見る。国技館では 国歌斉唱、甲子園の高校野球でも日の丸が掲揚されている。日の丸も君が代も 大多数の国民の間に定着していると言っていいだろう。

 22日の朝日新聞社説は、都教委の通達後の卒業式が「ぎすぎすした」状態 だったとしているが、私には、そうとは到底思えない。

 21日の東京地裁判決は都教委の指導について、一方的に一定の理念を教員に 強制したから「不当な支配」に相当すると断じた。しかし同じ論理を使えば、 今回の判決は、一方的に裁判官の思想信条を判決の形で強制したとも言えない か。

 非常に問題のある判決だ。

 担当者はこんな噴飯ものの投書を何故採用したのだろうか。社の社説と異なる意見 も採用する度量を示したかったのか。あるいは世論を配慮してのバランス感覚からか。 と、はじめは考えていたのですが、もしかするとばかばかしい論説だからこそ採用 したとも考えられる。9・21難波判決を非難する連中の理論はこんな程度ですよ、 とそのお粗末さを明らかにしたかった。なんてうがったことも考えましたが、 こんなこはどうでもよいことでした。

 この種の人たちの思考の特長は、「国旗、国歌に敬意を払うことは人とし ての当然の姿勢」というように何の論拠論証なしに通俗的な「常識」の範囲 内でものごとを考えている、いやなにも考えていないのです。「国家とは 何か」などこれっぽちも考えたこともないのでしょう。そして必ず、 日の丸・君が代がスポーツで使われていることを論拠にする。「スポーツと 日の丸・君が代」については「第30. 2004年9月13日」で論じたのでここでは繰り返さない。 しかし一つ付け加えると、一時、自民党がやっきになって運動したにもかかわらず、祭日や 皇室の慶弔時に日の丸を掲げる一般家庭はほんのちらほらで、ちっとも定着していません。

 またもう一つの特徴は「私には、そうとは到底思えない。」というように、 感情・感覚だけで結論づけることです。このような発言は、完全に行政権力 に制覇されている状況、教師は教育委員会から強制され、それを生徒に強制するという構図に 狎れてしまったために出てくるのでしょう。私がつい噴き出してしまった くだりですが、その狎れが「私は日の丸も君が代も認めないが、君たちは 国旗国歌に敬意を払いなさい」というような、トンチンカンな発想になるのでしょう。 「日の丸・君が代の強制」と闘っている人たちは自分たちは強制されたくないし、生徒にも 強制できないと訴えているのです。「教育に携わる者」が「率先垂範」すべきは、 上意下達の不当な命令を生徒に強制することではなく、自らの頭で考え判断する姿勢でしょう。

 もう一ヶ所噴き出してしまったのが「今回の判決は、一方的に裁判官の思想 信条を判決の形で強制したとも言えないか。」というくだり。このひとの意識の中にも 憲法や教育基本法がすっぽり落ちているのですね。裁判官が憲法や教育基本法 をもとに判決を下しているのに、裁判官個人の思想信条で裁いていると思い込んでいる。 もっともそうとしか思えないような憲法を無視した反動的な(この人にとってはまともな) 判決が多いので、この人はついそういう感覚になっているのかもしれません。しかし、 逆の判決が出たとしても、裁判官個人の思想信条ではなく憲法や教育基本法と照らして 不当であると、私(たち)は主張するでしょう。

 この人、定年間近のようですが、一体今までどのような教育をしてきたのでしょう。 教育界の実態はこのようなレベルの教師が多数派なのです。情けないことです。

 そういえば産経新聞の論調がこの人と同じレベルでした。新聞記者というのは 頭のいい人だと思っていましたが、イデオロギーにがんじがらめになってしまっては 全くのかたなしの愚者です。「常識のない裁判官にかかれば、白も黒になる。」(産経抄)と、 これもまたトンチンカンなことを書いている。

 産経の「常識」は一歩外に出れば国際社会の「非常識」。それは井の中の 蛙の常識に過ぎない。そして何よりも、何度でも繰り返すが、裁判官は「常識」などという あいまいな基準で判決をすべきではなく、あくまでも憲法や教育基本法をもとに判決をすべきな のです。

 ちなみに産経の社説を読んでみました。やはり論拠は「学習指導要領」だけで 憲法も教育基本法もすっぽりと落ちている。そして「自民党新総裁に選ばれた安倍晋三氏は 「公教育の再生」を憲法改正と並ぶ大きな目標に掲げている。そのような時期に、 それに水を差す判決が出されたことは残念である。」とポロリと本音を出していた。 つまり今回のようなまともな判決が出てくる憲法・教育基本法を抹殺したくて仕方がないの でしょう。また「一部の過激な教師」という全く実体のない無意味な言葉を使っている。 この一言で善良な愚民読者の多くの賛同が得られると思っているのでしょう。イシハラと 同じポピュリスムの手法です。
619 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(10)
ヴェイユの触神・見神体験(2)
2006年9月26日(火)


 ヴェイユの触神・見神体験では持病の頭痛の発作が重要な契機になってい る。そして、この<慢性の肉体的苦痛>がヴェイユの神学の独自性の根源になって いる。

 <慢性の肉体的苦痛>は、たんにその都度の肉体の苦痛とまったくちが う、とヴェイユはいっている。それは根源的な不幸のひとつなのだ。ヴェイユ の言葉でいえば、<生命が根こぎにされる不幸>にほかならない。そして <生命が根こぎにされる不幸>は、不幸という概念をテコに、肉体的なところ からはじまって「精神にも、社会にもおしひろげられ、徹底してゆく。不幸な 魂の状態によって、人間のかんがえはピンでとめられて、遠くまで行けなく なってしまう。逆にいえば、生命が根こぎにされることの根源的な不幸にふ れえないような不幸は、ほんとの不幸とはいえないというかんがえにヴェイユ はたどりつく。

(中略)

 キリストもまた十字架にかけられ、苦しみにさらされ、不幸におちいったと き「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わたしの神よ、わたしの神よ、どうし てわたしを見棄てたのか)と神を呪う言葉を発せずにはおられないほどだっ た。不幸におちいったときはだれでも神に反抗の叫びをあげないではいられな いものだ、とヴェイユはいう。

 だがヴェイユの神学はここからすべての神学とちがっていく。彼女は 『ヨブ記』のヨブの言葉を掘りおこしている。


   わたしの方が正しくてもわたしには答えられない。わたしはわたしの審判者 に懇願するほかにない。そしてわたしが彼(神)を求めたのに彼が応えてく れるとしても、わたしの声を聴きとどけたのだとは、わたしは信じない。 彼は嵐のようにわたしを襲い、理由もなくわたしに沢山の傷を負わせ、わ たしに息つくゆとりさえあたえず、過酷さをくわえて飽くことを知らない。

 腕力に訴えるのか。それならかれは全能だ。裁きをか。誰かわたしを出頭 させることができようか。たとえわたしが正しくても、わたしの口はじぷん を咎めるだろう。たとえわたしが潔白だとしても、わたしはじぷんを罪あり とみなすだろう。

 潔白! わたしはそれを追いもとめる。だがわたしは生命に執着しない。 わたしはじぷんの存在を侮蔑する。ようするにどうでもいいのか? なぜか ならわたしは敢えてかれに言う。かれ(神)は潔白な者も罪ある者も等しな みに打ち砕いてしまう。災禍がやってきて突然死をもたらしても彼(神)は 潔白な者の受難を笑っている。(『ヨブ記』9の15-23)

 ヴェイユによれば、『ヨブ記』のヨプが、キリストよりまえの、より偉大な 義の人の原型だとすれば、苦痛や不幸におちこんだときに彼(神)にむかっ て、なぜわたしを見棄てるのかと嘆かずに、彼(神)が「潔白な者」も「罪あ る者」も、ひとしなみに滅ぼしてしまうし、潔白な者が苦痛(不幸)におち いっても、笑っている本質を、よく熟知しているからだ。そして嘆くまえに ヨブは神の不公正に肉迫しようとして知らずしらず人間を至上とする倫理の 地平から神にたいし抗弁につとめている。これが旧約の神をやぶる最初の人 間的な異議の声であり、ヨプはその象徴になる。

  「苦痛」、「苦難」、「不幸」のおかれた苛酷な位置をわきまえないよう な「不幸」についての言説はうそだ。うその「不幸」に根拠をおいた神学も またまやかしだ。ヴェイユが肉体の苦痛(繰返しおそってくる頭痛)の直接 体験から導きだしたかぎりでの、これが神学的な理念のようにみえる。

  ヴェイユはここで旧約的な「神」を「自然」と同義に改めている。 神にか わる「自然」は不幸なものも、そうでないものも、ひとしなみに危難にさら し、うちのめすことがある。そういっても、ヴェイユののべているところは かわらない。そして「自然」は人間によってさまざまな綾をつけられ、飾られ、また 勝手におもいこまれる。そこではじめて「潔白な者」と「罪ある者」という 概念が問題になってくる。ヨプのような「潔白な者」もなお「罪ある者」と ひとしなみに「自然」は容赦なく打ちのめす。そうだとすればこの「自然」 は意志をもった「自然」とかんがえられるべきではないのか。ヴェイユが 「神」というとき、この意志をもった「自然」にはなはだ近いものをさし ている。

 だがここからがヴェイユの「神」の特異 さになってゆく。もっと意志のある「自然」は肉体のかたちをもち、人格を えて、感覚によってふれられるものになり、そのはてに性を与えられたと ころに、ヴェイユの「神」はじっさいにヴェイユの眼前に姿をあらわしたと いえばよいとおもえる。

 私はここでまた「第542回 2006年7月3日」で考えたことを思い出す。 そこで私は次のように書いた。

 大川隆法の神(仏)観の「神」を「自然」と置き換えて少し言い直してみる。

「自然とは、私たち以外の別のところにある他者ではなく、私たちを存在せしめ ているところのひとつの高次の摂理なのです」

「私たちは、自分自身が自然の一部であり、自然の自己表現の一端をになってい ることに、生き方や思想の根拠を置くべきなのです」

 これはもう宗教的な理念ではなく科学的な理念だ。全ての宗教を包含する「普遍 宗教」というものがあるとすれば、その宗教の神は自然にほかならないのではない か。地上から浮遊してさまよい続けた挙句、霊(こころ)は本来のあるべきとこ ろ、この地上に戻ってくる。神秘めかした言説を一片なりとも必要としない。



 ヴェイユの「神」が「自然」と同義だとしても、ヴェイユの神学の根底には自ら の触神・見神体験が厳としてあるから、その自然は「意志をもった自然」であり、「肉体の かたちをもち、人格をえて、感覚によってふれられるものになり、そのはてに 性を与えられた」神として結実していった。つまり『頭痛のきわみで体験した 心の肉体離脱や触神・見神のような入眠体験を神への信にまで煮詰め、理念づ けた結果』がヴェイユの「神=意志をもった自然だった。
618 世界の国々での学校における国旗・国歌の扱い
2006年9月25日(月)


 「日の丸・君が代の強制」擁護論批判 の中の「2004年9月6日」付記事の一節を再録します。

(1)
 日本は卒業式や入学式のシーズンになると、国旗掲揚や国歌斉唱の是非が 議論される不思議な国である。諸外国の学校で、国旗や国歌に抵抗して、起 立しないことがあるだろうか。植民地であれば統治国に反抗する意図は理解 できるが、独立国であるのに、なぜ、国旗と国歌を無視できるのであろう。


(この意見に対して、私は次のように書きました。)

 Kさん、あなたは、まず最初に事実誤認をなさっています。日本は「卒業式 や入学式のシーズンになると、国旗掲揚や国歌斉唱の是非が議論される」から 不思議な国なのではなく、「卒業式や入学式に国旗掲揚や国歌斉唱を強制す る」から、不思議な国なのです。不思議と言うよりばかばかしい国なのです。
 日本は民主主義国家あるいは自由主義国家を自称しているようですから、 あなたが比較する諸外国も民主主義国家あるいは自由主義国家に限りましょう。
 諸外国の学校では国旗掲揚や国歌斉唱などやらないのです。私にはいま 直接調べることができませんので、信用できる人の証言を信じることにします。



 この後、高橋哲哉さんの文章を引用して、「イギリスやドイツヤフランスの学校行事で国 旗国歌が強制されるということ」が全くないを指摘しました。さらに後の方の記事で デンマークの小学校の 入学日の「儀式」の全くない素敵な行事を紹介してます。そのとき、もっと他の国々ではどうなっているのか、知りたいと思っていましたが、 そのまま調べる機会を逸していました。

  ところで昨日、はからずも阿修羅というサイトの 掲示板(政治部門)でその資料に出会いました。それを紹介します。

阿修羅アニメバナーGIFご尊顔

 出典は『内閣総理大臣官房審議室、および外務大臣官房儀典官室による1985年 資料「諸外国における国旗国歌について」』です。なんと政府がきちんと 調査していたのですね。


1)学校教育での国旗国歌の取扱い(主要40ケ国在外公館調査)

a.ヨーロッパの立憲君主国では学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすること が殆ど無い。

イギリス:
 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。

オランダ:
  特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。

ベルギー:
  国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。

スペイン:
  学校での規定はない。

デンマーク:
  特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。

ノールウエー:
 特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。

スウエーデン:
 教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。

b.ヨーロッパの共和国ではむしろ革命をおぼえて( ママ)国旗国歌を強調する。 しかし、例外がいくつもある。次のとおりである。

ギリシャ:
 学校での規定はない。

イタリア:
 教科書には書かれず、それによる儀式は行われない。

スイス:
  学校内で実際に国歌を歌う事は殆ど無い。

ドイツ:
 各州の権限で決められる。

オーストリア:
 国旗は学校で特に扱われない。

ハンガリー:
 教科書では取り扱われていない。

旧ユーゴ:
 強制はない。教科書での取扱いも学校行事での使用もなかった。

c.アジア・アフリカ地区では、学校での 教育を求めている事が多い。

d.米州・オセアニア各国での例

カナダ:
  国旗も国歌も学校と特定の関係が見られ無い。

アメリカ:
 国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係が無い。

キューバ:
 国歌は学校での規定はない。

オーストラリア:
 国旗を政府が提供。掲揚も国歌も各学校に委ねられている。

ニュージーランド:
 学校のための統一された規準はない。

2)国歌を国民の慣習に任せ、政府が追認指示するの みで、正式の法律・勅令・大統領決定・最高議会決定で制定していないおもな 国

大韓民国・インドネシア・タイ・イスラエル・エチオピア・エジプト・ イギリス・オランダ・イタリア・スイス・デンマーク・ノールウエー・ スエーデン・フィンランド・オーストリア・ハンガリー・ブルガリア・ キューバ・ニュージーランド旧チェコ・旧ルーマニア
(40ケ国中21ケ国:1975年調査を1985年修正)



 日本の学校教育での「日の丸・君が代の強制」がたいへん異常であることが 浮かび上がってきます。「アジア・アフリカ地区では、学校での教育を求めて いる事が多い。」とありますが、おそらくはいまだ政情不安定な所謂「発展途 上国」でのことでしょう。日本では為政者たちの意識がいまだ「発展途上国」 並なのでしょう。

 ブッシュ父子が政権を担当して以来、アメリカの民主主義があやしげに なってきているが、過去の国旗や国歌に関するアメリカでの判例はさすがです。 これも資料「諸外国における国旗国歌について」からの引用です。


■アメリカでの判例

1943年 バーネット事件 連邦最高裁判決
 「国旗に対する敬礼および宣誓を強制する場合、その地方教育当局の行 為は、自らの限界を超えるものである。しかも、あらゆる公の統制から留 保されることが憲法修正第1条の目的であるところの、知性および精神の 領域を侵犯するものである」(ウエスト・バージニア州 vs エホバの証人)

1970年 バンクス事件 フロリダ地裁判決
 「国旗への宣誓式での起立拒否は、合衆国憲法で保障された権利」

1977年 マサチューセッツ州最高裁
 「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子 どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の 権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用さ れる。教師は、信仰と表現の自由に基づき、宣誓に対して沈黙する権利を 有する。」

1977年 ニューヨーク連邦地裁
 「国歌吹奏の中で、星条旗が掲揚されるとき、立とうが座っていようが、 個人の自由である」

1989年 最高裁判決(国旗焼却事件)
 「我々は国旗への冒涜行為を罰することによって、国旗を聖化するものでは ない。これを罰することは、この大切な象徴が表すところの自由を損なうこと になる」

1989年 最高裁判決
 上院で可決された国旗規制法を却下。「国旗を床に敷いたり、踏みつけるこ とも、表現の自由として保護されるものであり、国旗の上を歩く自由も保証さ れる」

1990年 最高裁判決
 「連邦議会が、89年秋に成立させた、国旗を焼いたりする行為を処罰する 国旗法は言論の自由を定めた憲法修正1条に違反する。」



 今回の9.21難波判決を非難・指弾する論調が多いが、その論者たちが偏頗な ナショナリズムという「井の中」で騒いでいる「蛙」であることが如実に示さ れています。
617  9.21判決:イシハラの反応
2006年9月24日(日)


 難波名判決に対するイシハラの談話は次のようでした。 (私の知る範囲では「ライブドア・ニュース」が一番詳しかったのでそれを 用います。)


 この日の会見で石原知事は開口一番、「当然控訴します」と発言。

 ごく平均的な高校を生徒に分からない形で2回視察したという知事は、 「あの裁判官は、東京の都立高校の実態を見ているのかどうか。全部が 全部とは言わないが、乱れに乱れていて先生の言うことを全然聞かない。 授業を受けているのは前列の2列か3列だけ。あとはワイワイ弁当食った り、勝手なことをしていたよ」と自らの体験を披露した。

 その上で、「そういうものの規律を取り戻すために、ある種の一つ の統一行動は必要だ。その一つが式典に応じての国歌・国旗に対する 敬意だと思う」との考えを示し、「指導要領でこういうことをしなさ いといわれている限り、教師としての義務が生じる。教師というのは 子どもに範をたれるのだから、俺はこれは気に入らないでは済まない。 指導要領で要求されていることを行わなかったら、教師の義務を怠った ことになり、処分を受けるのは当然だ」と語った。

 「当然無視します。」と言ってほしかったなあ。控訴はせず判決を無視して、教育支配の目論みを完成すべく悪政を 押し通したならイシハラは首尾一貫した立派なファシストだと、少しは 見直そうかと思っていたのですが、何のことはない、控訴だってさ。「命がけで 憲法を破る」という勇ましさは影を潜めて、その「醜悪だ」と蛇蝎のごと く嫌っている「憲法」を頂点とする法体系に救済を求めてきました。しかし、 あいかわらず法的論拠は文部科学省の告示に過ぎない「学習指導要領」 だけで、憲法や教育基本法といった最高法規を全く無視していますね。

 教育行政の言いなりになるのではなく、「思想と良心の自由」に 基づいて不当な支配とは闘うことを教えるのが民主主義国家の 教師の務めだよ。教育行政に唯々諾々と従う方こそ「義務を怠った」こと になるのですよ。

 控訴する関係上、憲法や教育基本法や難波裁判長をこき下ろし口汚く ののしるのはまずいと悟ったか、今回はただ一つだけ、難波裁判長に 対して「あの裁判官は、東京の都立高校の実態を見ているのかどうか。」 と、トンチンカンな不満を述べているだけでした。

 何がトンチンカンかというと、まず第一に、今回の裁判の争点には「都立高校 の実態」は全く関係ない。教育の完全支配を目論むイシハラのファッショ的 な教育行政が問われているのですよ。これは、コイズミまがいの「問題の すり替え」という詭弁ですね。一番の狙いは 教師を従順な手先にすることでしょう。

 この裁判では裁判官が知るべき実態は、都教委のロボットとなった校長の 独裁が物言わぬ教師を作り、職員会議が単なる上意下達の場となり、 生徒・教師の創意工夫による生きた教育を壊し、学校が硬直した管理飼育の 場になってしまったことです。そしてその実態は、原告の教師たちの生々しい 証言により、つぶさに裁判官の知るところとなったのす。その結果の 判決です。憲法や教育基本法を無視して、イシハライデオロギー を押し頂いてきた教育庁のロボット連中が1パーセントも考えていなかったと、 難波判決に驚きあわてたのは当然のことでした。

 でもせっかくイシハラが「乱れに乱れていて」る高校の実態にどう対応すべくかという 問題提起をしていますから、少し付き合いましょう。

 この問題を解決 するために、「日の丸・君が代の強制」のような「考えるな!服従せよ!」 といった「統一行動」が必要だと考えているようですが、これがまたトン チンカンなのですね。
 まず何よりもそれは教育ではない。管理・飼育です。そして現在の教育の 混迷は、点数という学力の一側面だけで生徒を分断し、教育ではな く管理・飼育をしてきた自民党の文部政策の失敗の結果なのです。「乱れ に乱れて」いる教室は、小学校以来劣等性の烙印を押し続けられてきた生 徒の叛乱なのですよ。子供の夢や希望を根こそぎにしてきた結果なのですよ。


再チャレンジだって?成蹊小→中→高→大、君に言われてもなぁアニメGIFバナー

( このアニメバナーは雑談 日記より拝借しました。)

 もちろん、年間自殺者3万人が象徴する殺伐とした格差社会の状況も影響し ています。家庭の問題もあります。その家庭の問題の根源には、親子で過ご す時間を奪っている過酷な労働条件の問題もあります。全て自民党の失政の 結果です。憲法や教育基本法のせいでは断じてありません。

 さらにもっといろいろなものが複雑に絡んでいると思いますが、さしあ たって学校教育という点に限って考えましょう。当然、イシハラの皮相な 教育理念で何とかなる問題ではありません。イシハラなどの日本新ファシスト の教育理念は教育課程審議会会長だった三浦朱門があからさまに語ってい ます。


「できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限り なくなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を 引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神 だけを養っておいてもらえばいいのです。」


 進学重点校、中高一貫校、エンカレッジ校などという、分断をさらに拡大 固定化するようなイシハラの教育施策ではさらに困難校が増えることは火を見るより 明らかなのです。で、それを糊塗するために「日の丸・君が代の強制」とか 「奉仕活動」とか、なのですね。

 では、どうすればいいのでしょうか。私に処方箋が創れるわけはありません。 でも問題の掘り下げはしています。興味がある方は読んでみてください。

教育について

教師とは何か

ブログ版では「イシハラの教育支配の実態」と「教育とは何か」が該当します。

616 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(9)
ヴェイユの触神・見神体験(1)
2006年9月23日(土)


(テーマ「ほんとうの考え・うその考え」に戻ります。)

 ヴェイユが晩年、キリスト教神学の思想に近づいていくことになる伏線は工場体験の中にもあったが、 工場体験で健康を害して休職していた時に行った旅行における各地での見聞もその一つだった。
 小さな漁村に行ったとき、灯りを持った敬虔な漁師の女たちが小舟を取り囲んでお祈りをしている光景に 出会った。それは土着的な宗教のようにも思えるし、キリスト教の信仰そのも ののようにも思えた。 ヴェイユはその漁師の女たちの祈りを見て、キリスト教は奴隷の宗教ではな いか、虐げられた者の宗教ではないかとあらためて感じたりしている。

 キリスト教神学に近づく決定的な触神体験・見神体験が聖フランチェスコゆかりのソレムの修道院の小さな聖堂 に行ったときに起こった。そこでの祈りに形だけの参加をしているとき、頭が猛烈に痛くなり、それを 我慢しているうちに頭が痛い自分が自分から遊離していって、朦朧とした状態 になる。その朦朧状態 のなかで、ヴェイユはキリストが自分のところに来て自分に触れたという 体験をする。

 ヴェイユは科学的な思考の訓練をつんでいる人だから、そういう体験には懐疑的だし、聖女たちのそういう 伝説にも疑いをもっていたが、じぶんで予期しなかった触神と見神を体験したとき、その如実感と存在感 だけはすこしも疑えない心の「事実」だと思った。しかし、こういった体験に対する慎重な態度 が全くなくなってしまったわけではない。

 たとえば、キリストは自身よりも人間が真理の方を選ぶのをが好むから、人間が 真理の方へゆくことでキリストをそれてしまうことがあっても、「長く行かな いうちにキリストの御手にいだかれるでしょう」と述べている。つまり、 信仰は迂回路をとって結果的にやってくるものだと、生涯にわたって考えてい た。あるいはまた、カトリックの神父からの入信の勧めにたいしても、じぶん がどこかの教会に属したほうがいいんだという考え方を示唆されたり、啓示さ れたりしたことはないから、教会の外にいたほうがいいんだといって入信を断 りつづけている。
 ヴェイユはそのような立場を貫きながら、じぶん独特の神学を形成していった。

 (ヴェイユは信仰について)群れに囲まれて外濠をうめてしまえば、ひとりでにその状態が自然のよう におもえるものだ、というかんがえにとりこまれていない。これはヴェイユの思想のうちでとても重要な ものだ。

  信仰者やイデオロジストの群れにいるものが、「信」を「不信」よりも上位なものとおもいちがえて、 知らずしらず創造や懐疑の努力を一切すてて、じぶんは何者でもないのに、ひとをみくだした与太話に ふけりはじめる。その瞬間から一切の「信」は滅亡にむかう。ヴェイユほこの「信」と「不信」の弁証法 を徹底してつきつめている。宗教や理念では「信」は「不信」よりも下位にあるものだとしらない「信」 は、すべて無意義か、無意味にむかっているのだ。ヴェイユは、それをまぬがれるまでつきつめている。

 この触神・見神体験でヴェイユが決定的に変貌していったことも 事実であり、それはヴェイユの専門的な知識の理解の仕方の上にも現れている。

 ところでこの触神と見神の体験で、ヴェイユが決定的に変貌したこともたしかだっ た。それをヴェイユ自身のいうところにそっていってみれば、プラトンは神秘家(キ リスト教的な)になり、『イーリアス』は全体がキリスト教的な叙事詩としてみえ、 ディオニュソスはキリスト自身であると感ずるようになる。ヴェイユは専門的な知識 として肉化していたギリシャ神話や、哲学や、叙事詩の登場人物や、作者や、物語を、 ことごとくじぶんのキリストとの接触感覚や見神感覚に融けこませて、 キリスト教的なプラズマ状態にしてしまったことになる。
615 陰謀史観について
オコチャマランチ狆ゾウの陰謀
2006年9月22日(金)


米国債購入で貢ぎ、今度は傭兵で上納ってかバナー

このアニメバナーは雑談日記より拝借しました。

 陰謀史観というのはなんら根拠のない妄想のようなものと、歯牙にもかけら れないのが一般です。確かに何でもかんでも陰謀で説明しようとして、根拠のない 説を説く人たちがいる。しかし、だからといって裏づけのはっきりとした陰謀 まで否定しては誤謬におちいる踏み外しです。

 例えば最も有名なものとしてトンキン湾事件というのがある。

トンキン湾事件とは、1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の 哨戒艇がアメリカ軍駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件。これをきっ かけにアメリカは本格的にベトナム戦争に突入、北爆を開始した。アメリカ議 会は上院で88対2、下院で416対0で大統領決議を支持した。しかし、1971年6月 ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者が、7000ページに及ぶペンタ ゴン・ペーパーズと呼ばれる機密文書を入手、トンキン湾事件はアメリカが仕 組んだものだったことを暴露した。(「ウィキペディア」より)


 軍事介入するためにはまず国内の世論を味方にする必要がある。そのためには 先に攻撃されたという事実を捏造するのが最も確実で容易な方法であろう。
 陰謀は軍事介入のためとは限らない。中南米などでアメリカに不都合な政権を 転覆のためにCIAが暗躍していること周知の事実です。軍のクーデ ターによるチリのアジェンデ政権の転覆をはじめ、ニカラグア革命(1979年)、米軍の グレナダ侵攻(1983年)・パナマ侵攻(1989年)、メキシコ・サパティスタ運動(1994年~いまだ継続中) などいずれもアメリカが直接的にか間接的にか関わっている。チリのクーデ ターは30年前の9月11日に始まっている。奇しくも2001年の9・11事件と同じ 日付で記憶されているこの事件のあらましは次のようです。


 チリでは1970年の選挙で社会党のアジェンデが大統領に当選し人民連 合政権が誕生しました。アメリカのニクソン政権はこれを倒すために キッシンジャー(後に国務長官となった)を責任者とした委員会を 設置して経済制裁をはじめとさまざまな手段を使いました。

 チリの経済は攪乱されましたがしかしチリの民衆のアジェンデ政権に 対する支持は高まっていきました。ニクソンはついにチリ軍部を使って クーデターを行わせることにしました。

 そして,30年前の9月11日ニクソンの指令でクーデターが勃発しました。 軍隊が大統領官邸を取り巻く中で亡命すれば命を助けてやろうという軍部 の申し出でを拒否したアジェンデは銃をとって闘いそして死んでいきました。
土生長穂、9月の一言 より引用しました。)


 昨日の夕刊(東京新聞)にベネズエラのチャベス大統領の国連総会一般討論での演説の記事が ありました。ブッシュ大統領を名指しして8回も「悪魔」と呼ぶ激しい演説をして大きな喝采を受 けたと報じている。

チャベス大統領
チャベス大統領が提示している本は『ノーム・チョムスキーの著書
日本語版「覇権か、生存か―アメリカの世界戦略と人類の未来 (集英社新書)」


 チャベス大統領は石油の収益を国民に還元し、教育や社会保障などを無料に している。ベネズエラを国民のための国にしようしている改革者です。 それに対し、アメリカはコロンビアを介してチャベス大統領を失脚させようと 民兵を組織し、工作活動を行っている。もしかすると暗殺計画もあるかもしれ ない。しかし、チャベス大統領はもし自分がいなくなっても、第2第3のチャ ベスが登場し、改革を推進させるだろうと言っている。こうしたことが背景にあっての 国連演説です。国民のために生きようという信念をもった勇気のある人です。

 同時多発テロと呼ばれている9・11事件の真相を究明しようと している人たちをマスコミではもっぱら、陰謀史観だとバカにする論者ばかり がはびこっているよです。しかし彼等は、事件の真相を追求している人たち ( 9.11真相究明国際会議)が提示している、アメリカ政 府の発表とはまったく矛盾するさまざまな事実を説明しようとはしない。 いや、アメリカ政府の発表を前提としては説明できないのです。それらの問題 が解明されない限りアメリカ政府の発表を鵜呑みにするい われはない。

 ここまでがマクラでこの後に、一昨日受け取った きくちゆみさんのメルマガのなかのコワーイ話を紹介するつもりでした。が 、なんともうその話はインターネット中を駆けめぐっている。今日の 「きっこの日記」もそれを取り上げていた。でも、まだ未見の人のために予定どおり そのコワーイ話を紹介します。


[きくちゆみの地球平和ニュース]Global Peace News vol.037  ( 2006年9月20日 8:14)より

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 ■為政者の腹を知ろう!
 ――――――――――――
 ジニーの感想を送ってくれた方に触発されて、ヒトラーの右腕、軍事参  謀のヘルマン・ゲーリングの言葉を紹介します。まさに、現代にも通用  しますし、911事件にも当てはまります。

「もちろん人々は戦争を欲しない。しかし結局は国の指導者が政策を決 定する。そして人々をその政策に引きずりこむのは、実に簡単なことだ。 それは民主政治だろうが、ファシズム独裁政治だろうが、議会政治だろ うが、共産主義独裁政治だろうが、変わりはない。反対の声があろうが なかろうが、人々が政治指導者の望むようになる簡単な方法とは・・・。 国が攻撃された、と彼らに告げればいいだけだ。それでも戦争回避を主 張する者たちには、愛国心がないと批判すれば良い。そして国を更なる 危険にさらすこと、これだけで充分だ。」(森田ゆり著『子どもが出会う 犯罪と暴力』NHK出版、34ページより)

 同じくヒトラーの宣伝相ゲッペルズは「嘘も100回言えば本当になる」 といいました。私たちは権力者の嘘を見抜かなくてはいけません。彼ら は安全な場所で戦争をしかけ、戦争で儲け続けるのです。殺し合うのは、 何も知らない私たち一般市民です。

 これに関連して、『週刊オルタ』の西山澄夫さんのメールを。転載歓迎。

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 「速報」

 2005年10月25日、26日、ブッシュの支持基盤であるネオコン派の政 治家、知識人が集まるワシントンの政策研究所、AEI・アメリカン・エ ンタープライズ・インスティテュートが主催して、日本の国会議事堂裏 のホテル、キャピトル東急で、「政策研究集会」が開かれた。テーマは、 「日本と中国を、どのようにして戦争に突入させるか、そのプラン作り」 である。

 参加者はAEI所長クリストファー・デムス、次期総理・安倍晋三、鶴岡公 ニ(外務省、総合外交政策局審議官)、山口昇(防衛庁、防衛研究所副所長、 陸将補)、民主党・前党首・前原誠司、その他自民、民主の複数の議員。 テーマは「有事、戦争に、どう対処するか」では無く、「中国と日本を、 どのようにして戦争に持って行くか」である。

以上は裏付けが取れた正確な情報である。

 以下は裏付けの取れていない未確認情報(裏付けの取りようがない)である。

 今後2年前後に、日本海側の都市に、「米軍の」ミサイルを着弾させ死傷 者を出させ、それが北朝鮮からのものである、とマスコミ報道を行い、 一気に日本国内の世論を戦争賛成、治安維持体制に持って行く、また京 都、大阪付近で新幹線の爆破テロを起こし世論を戒厳令体制、戦争賛成 方向に誘導する(テロは米軍と自衛隊の共同作戦で実行し、イスラム原 理主義または北朝鮮のテロと報道する)。

 「京都、大阪方面」と場所が特定されている点、テロ作戦の準備を知った 軍内部からのリーク情報の可能性がある。が、真偽の確認のしようがない ので、情報の「信用度は低い」。ただし万一、本当にテロがあった場合に は、北朝鮮やイスラムのテロではなく、「戦争をするための米軍と自衛 隊の画策」である事を事前に明らかにしておくため、日本を戦争賛成の 方向に誘導させない「クサビを打ち込んでおく」ため、あえて信用度の 不確かな情報を流します。(転載ここまで)
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 うーん、不気味ですね。安部政権ってなんだか怖いぞ。臨時国会で共謀 罪や教育基本法改定案を通さないようにしないとね。

614 イシハラに鉄槌くだる
予防訴訟・全面勝訴!!
2006年9月21日(木)


 今日は予防訴訟(国歌斉唱義務不存在確認等と損害賠償を求めた訴訟)の判 決日。行ってきました。しかし残念ながら、傍聴券47枚に286人が参集、私は くじに外れて直接判決を聞くことができませんでした。裁判所の前での思 いがけない勝訴の報告を聞いてひとしきりわいた後、弁護士会館の記者会見に参加しました。

 記者会見の会場で配られた「声明」を掲載します。(読みやすいように、段落は私が設けました。)


声明

 本日、東京地方裁判所民事第36部(難波裁判長)は、都立学校の教職員らが原 告となって、東京都と都教育委員会(都教委)を被告として、国歌斉唱義務不存 在確認等と損害賠償を求めた訴訟(いわゆる「予防訴訟」)について、原告らの 訴えを全面的に認め、10・23通達を違法とし、

①原告らに卒業式等における国歌斉唱の際に、起立・斉唱・ピアノ伴奏の義務が ないこと

を確認し、

②起立・斉唱・ピアノ伴奏をしないことを理由にいかなる処分もしてはならない

とし、

③10・23通達によって原告らが被った精神的損害に対する慰謝料の支払いを命ず る、

極めて画期的な判決を言い渡した。

 本件は、都教委が2003年10月23日付けで、卒業式、入学式等の学校行事に おいて、教職員に対し「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことを命じ、 それに違反した場合は、懲戒処分を科すとした全国的にみても異常ともいえる 「国旗・国歌」を事実上強制する通達(「10・23通達」)を出したことに起因す る。原告ら教職員は、教育現場での「国旗・国歌」の一律の強制は、教職員一 人一人の思想・良心の自由、教育の自由等を侵害することになるとともに、生徒 の思想、良心の自由をも侵害することになるとの思いから提訴に至ったのであ る。

 判決は、義務不存在確認請求、処分差止請求に訴えの利益が認められることを 前提に、10・23通達の内容が、過去の歴史的事実から、国民の間にさまざまな見 解が存する「日の丸・君が代」を教職員に対して一律に職務命令や懲戒処分等の 手段をもって強制するものであって、 憲法19条の保障する思想・良心の自由を侵 害するものであると明確に判示した。

 また、都教委による10・23通達とその後の校長らに対する指導名目の締め付け が、卒業式や入学式について、各学校の現場における創造的かつ弾力的な教育の 余地を残さないものであることなどを理由に、 教育基本法10条1項で禁止される 「不当な支配」にあたるとした。さらに、判決は、都教委の「不当な支配」の下 で裁量の余地なく出された校長の職務命令は、教職員の思想・良心の自由を侵害 する「重大かつ明白な瑕疵」があり、違法なものであることを認めた。

 今回の判決は、憲法で保障された思想・良心の自由の重要性を正面からうたい あげたもので、わが国の憲法訴訟上、画期的なものである。

 また、判決は、今まさに改悪の危機にさらされている現行教育基本法の趣旨を 正しくとらえ、行政権力による教育への不当・不要な介入を厳に戒めたものであ り、教育基本法改悪の流れにも強く歯止めをかけるものといえる。

 都教委は、判決に従い、違法な10・23通達を直ちに撤回し、教育現場での 「日の丸・君が代」の強制をやめるとともに、生徒や教職員の自主性、教育の 自由を侵害するような教育政策を直ちに改めなければならない。

 この判決を機会に、われわれの訴えに対し、国民の皆様のご支援をぜひとも いただきたく、広く呼びかける次第である。

2006(平成18)年9月21日
      国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟原告団・弁護団
      「日の丸・君が代」強制反対予防訴訟をすすめる会



 イシハラの教育支配と闘っている人たちの訴訟は、これまで全部敗訴でした。 私は、この国の裁判官は法の番人ではなく権力の番犬に成り下がったのか、と なじってきました。今日も重い思いを引きずって出かけましたが、行ってよかった。 なんと、憲法の精神をしっかりとわきまえた裁判官が健在でした。全面勝訴を 聞いたときは思わず涙が出てしまいました。この国にはまだ、まやかしの 「美しい国」などではなく、まともな美しい国に成長できる確かな根が残って いた。あきらめるのは早い、とつくづく感じました。

 イシハラは、命がけで憲法を破ると嘯いているのだから、憲法違反と判決されて さぞ本望でしょう。しかし、卑怯なヤツ、例によって裁判官を口汚く貶めたりのの しったりするに違いない。そして、憲法を破っておきながら、控訴して法にお墨付 きをおねだりする矛盾を犯すだろう。あるいは今回の判決を徹底的に無視して あいかわらず憲法違反を続け、初心を貫徹するだろうか。見ものです。

 闘いはこれからです。われながら歯がゆいほどの非力ですが、闘いの末尾に くっついていこうと、改めて思っています。「9・21判決」はこの国始まって 以来の画期的な判決です。「10・23」を「9・21」で塗り換えていこう!
613 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(8)
工場体験(4)
2006年9月20日(水)


 工場体験を通してヴェイユの社会思想・革命思想は、肉体労働と頭脳労働の あいだの固定的な区別・差別が解消されないかぎりどんな社会どんな国家がで きても労働者の解放はありえないのではないかという点に集約されていった。 これに対して吉本さんは、国家のときと同様に、「開かれたシステム」という 観点を対置している。

 ぼくはヴェイユとちがった考え方をします。言うのはやさしくてほんとうは むずかしいのですが、肉体労働をしている工員さんが事務労働をしたいとお もったら、いつでも事務労働をしていいし、事務労働をしたり企画を立てたり している人のなかで、「もうこんなことばかりしていやになっちゃった。 ちょっと体を動かして働きたい」という人は自由に肉体労働で働けばいい。 もしそういうシステムがつくれれば、ある程度はヴェイユの考え方は解消する のではないかとおもいます。

 ここでも<開く>ということなんですが、事務労働は肉体労働のほうにい つでも開いているし、肉体労働はどこかに事務労働のほうへ行く道が開いて あるというシステムが、たとえば工場のなかにきちっときまっていたらある 程度、肉体労働と頭脳労働のあいだの固定的な区別、差別が解消されるので はないかとかんがえられます。

 そういうことをわかってくれる経営者はいませんし、そういうシステムを つくるためには働いている人たち同士、気心知れた雰囲気がないとつくれま せんから、むずかしいことです。原則としていえばそういうことが可能だった ら、肉体労働と頭脳労働のあいだの固定的な区別、差別というもの、あるい は支配、被支配というものは解消できるのではないかとかんがえます。

 そのあたりでヴエイユは絶望的になるんですが、一方では、工場労働者を 相手にギリシャ古典劇をやさしく翻訳したパンフレットを配ったりして、さ かんに精神性といいましょうか、そういうものにたいする一種の啓蒙をやって います。もちろんそういうことは実感としてよくわかっていたんだとおもい ます。

 少なくとも原則的にみますと、ヴエイユの革命思想は、指導する者と指導 される者、あるいは労働者の国家と称する政府と労働者とのあいだの差別が 解消されないかぎり、労働者は解放されないという考え方に収赦していきま す。

 ところで、こういうヴェイユの考え方は現代にも生きているのです。ソ連 共産党の国家は労働者民衆のリコールにあって崩壊してしまいました。崩壊 して一介の政党になって国家権力からずり落ちてしまったわけです。このこ とじたいがすでにヴェイユの考え方が妥当であったことのひとつの証拠にな るだろうとおもいます。ヴェイユの考え方は依然としてそこで生きています。





 昨日の朝日新聞に久々に吉本さんを取材した記事があった。テーマは 「老い」ですが、一見それとは関係のない最後の一節が私の関心を引いた。 私は日本ネオファシズムの動向に大きな危惧をもってきている。吉本さん もその危惧を指摘している。


 経済構造を中心にした下部構造と、精神などの領域を扱う上部構造は、相互 にはまったく関係がなく、別に扱わなければいけないというのが「共同幻想論」 をもとにした僕の考え方だ。

 そうした考えにのっとって言えば、天皇制の問題も含めて、日本の社会がこ れからどう変わっていくかという問いを立てた場合、答えは「いかようにも変 化する」になるだろうと僕は考えている。

 例えば、反動的な政治家が出てきてもう一度「神聖天皇制」を復活しようと したら、そうなる可能性があるということだ。いまの国民はその反動的な政治 家についていくのではないか。小泉ブームを見ているとその兆しを感じる。

 また、「科学技術の進歩とともに何が起きるか」ということも最近しきりに 考えている。僕の予測では、科学技術と結びつくものは権力として作用するよ うになる、もっと言えば、科学技術と結びつく限りは「文化=権力」「文明= 権力」となっていくのではないか。いまでも潜在的にはそういう傾向があるが、それがより顕在化 する時代がくる予感がする。「テクノロジーの権力化」を悪用されないために も、それをどう緩和できるかを考えなければいけない。



 「テクノロジーの権力化」について言うと、もうすでに「テレビの権力化」が顕著で す。「小泉ブーム」はその成果だった。権力化したテレビにみんながそっぽを 向いてしまえば、その権力は無化できるわけだが、圧倒的大多数がテレビ中毒 になっている現状ではそれは難しい。

 ↑アホ~ッ!!!(怒)
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 テレビ権力に対抗できるものとして、インターネットに注目したい。現在の テレビぐらいにまでインターネットが普及すれば、テレビ権力の無化は可能で はないか。そのためにはインターネットまで権力に収奪されてはならない。しかし、もうすでに反権力ブログと政治権力との攻防は始まっているようだ。その様子は、次のサイトの9月19日の記事 「薫ちゃんと愉快な仲間たち」から いろいろなサイトをたどっていくと知ることができます。
612 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(7)
工場体験(3)
2006年9月19日(火)


(4. について)

 このヴェイユの感想は、「ひとつのほほ笑み」 「一言の善意」「一瞬の人間的な接触」がつらい作業に眼も口もあかないといった労働者にとって、特権者のあいだの献身的な友情にまさる価値をもつという感想とともに、いちばん大切なものだといってよい。というのはべつなところでこんないい方もしているからだ。

 抽象の世界から脱出した「現実人」に、はじめてふれたという実感が工場体験からえられた。とくに 「善良さ」 ということはそれだけで工場労働では 「現実的な何ものか」だということがいえる。ふとしたやさしい行為、たんなる微笑、作業に手をすけてやること、こんなことが疲労や、給料へのおもわくや、圧迫や従属にうちからことをおしえてくれる。

 そんなふうにのべている。これらのことはわずかの工場体験だがヴェイユが痛ましさと一緒にうけとったものだから、見掛けのうえで、主観的な思いこみにみえればみえるほど、重大だというべきだ。ここからえた人間の社会的なあり方への認識を、かつては観念のうえでだけやってきた信条と結びつけることができるようになる。

 人間はふたつの範疇にわかれる。「何ものかである」 とみられているものと、「何ものでもない」 と評価されているもの。そしてあとの者はだんだんそれも当然のように受けいれるようになる。じぷんは 「人間を足下に踏みつける社会制度のもとで何ものかと思われているとひとりでに思ってきたが、それを恥ずかしいとおもって抵抗してきた。いまは何ものかであるともおもわないところに同一化できるようになった」 というのがヴェイユの工場体験の核心だった。

 現在のシステム下では被支配者(被管理者)が支配者(管理者)とまっとうに対峙するための必要条件は、「やさしい行為、たんなる微笑、作業に手をすけてやること」というような自然発生的な連帯や相互扶助を、システムとしての連帯と相互扶助へとの構成していくことだろう。これでまはそれを労働組合が担ってきたはずなのだが、ほとんどが御用組合に成り下がってしまった。その結果、新しい社会人たちからはそっぽを向かれてしまっている。いま大多数の労働者は孤立している。

 いくらか希望のもてる兆しがある。いろいろな集会に参加してみて、いつも千葉動労の頼もしさに目をひかれる。また、ユニオンという労働組合が元気だ。

全国ユニオン

 職場に組合がないので、ユニオンに個人で加盟する人も多い。また、ユニオンはあらたな組合の結成の支援もしている。次の今日の東京新聞の記事で組合結成を支援したという「地域労組」とは東京ユニオンだろうと推測している。

 
警備会社に初の労組
 改善求め都内で30人

 マクドナルドなどファストフード産業で初の労働組合が誕生する中、警備業界でも労組が結成されたことが十八日、分かった。連合などによると、同業界では従業員が個人で労組に加入するケースはあったが、会社に労組が誕生したのは初めて。

 労組が新たに結成されたのは、官庁や空港施設、博物館などの警備を請け負っている中堅の警備会社「ライジングサンセキュリティーサービス」(東京)。30代から60代の常勤警備員約 30人が「ライジングサン・ユニオン」 (中川善博委員長)をつくった。

 長時間拘束される上、時給換算すると千円に満たない賃金に不満を持った警備員が6月、地域労組の支援を受けて結成。八月に初の団体交渉を開いた。

 同ユニオンによると、労働時間は、宿直を伴う施設の警備員の場合、月 300~400時間程度の拘束時間があり、時間外労働が100時間を超えることも。15時間の宿直勤務に続いて24時間の勤務、そのまま9時間の昼間の勤務に入り、合計48時間、働くケースがあるという。

 長期に雇われている警備員でも正社員はいない。会社に提出した要求では、労働時間の短縮や賃上げ、社会保険の加入促進、年次有給休暇の付与、通勤交通費の支給などを掲げた。


 会社に「労働時間の短縮や賃上げ、社会保険の加入促進、年次有給休暇の付与、通勤交通費の支給」などを要求しているという。それらがいままで無視されていたということになる。奴隷的な労働条件で酷使されている一例がみられるが、これは氷山の一角に過ぎない。

 ヴェイユの工場体験にはもうひとつ別の面があらわれた。それは自身のからだのこなしの不器用さが、工場の作業場面でぶつかった負い目のようなものだ。病弱な体質、不器用な動作は、すくなくとも肉体労働の場面で屈辱的なおもいを経験する。スピードがおそい、すぐ疲れる。ひとが600個仕上げるとき500個しかできない。この体験はふたつにゆきつく。ひとつは「自然的な不平等」、いいかえればうまれながらの肉体の格差はたしかにあるが、この不平等を弱めようとするのは「よい社会組織」であり、不平等を深刻にするようなのは「悪い社会組織」だということだった。

(5.6.について)

 ヴェイユは、これとは正反対に、工場体験を経て、肉体ではなく脳髄のでくわした真理についても語っている。最後の工場体験をおわったとき、ヴェイユは知りあいにあてた手紙で「革命」について、吐きすてるような感想をのべている。まざれもなく工場体験の一部なのだ。

 革命などありうるはずがない、革命の指導者たちが無能だからだ。労働者の解放が革命の唯一のモチーフなのに、労働者の生活と、労働者の工場体験の内がわを精神のこまかい動きと身体の運動、筋肉が触知する体験としてどんなものか、かれらはしらないし、しろうともしない。またそれをしったとして、そのときでもなお声をあげて訴えるものがあるなら、訴える心がのこっていることだけが革命の名にあたいする。

 革命家とじぶんでいっている者たちと、個々の社会システムのなかの多様な労働者との距離は、政治革命のあとにも縮まるとはとうていおもえない。新しい抑圧にかわるだけだ。ロシアがいまなお体験しているように。

(中略)

 ヴェイユは<労働者になること>あるいは労働者が<労働者であること>という<体験>が「政治」や「革命」と根柢から背離をたしかにしてゆくものだ、ということを根拠にして 「政治」や「革命」を否認するようになったといってよかった。そうしてそのあとで<労働者になること>あるいは<労働者であること>を根こそぎ無価値にする場所への通路がしめされるべきだ。

 <体験>というのを、それに成りきることをやってみせる意味にとれば、このソルボンヌ出の大秀才は、若い女性の身でそれをやってのけた。そしてもし<労働者>という意味を、記号や理念ではなく、 一個の具体的な<生>が生活し、食べ、老い、死ぬ生涯という意味でうけとるなら、どんな一人の<労働者>の存在も世界とおなじ重さ、ほかのどんな生涯ともおなじ意味、そしておなじ価値をもつものだ、 ということにヴェイユははじめて気づいた。

 ヴェイユが得た『不平等を弱めようとするのは「よい社会組織」であり、不平等を深刻にするようなのは「悪い社会組織」だ』という知見は、むろん肉体的な不平等に限らない。

 イシハラの障害者に対する数々の差別言動は、これだけで彼がいかに愚劣なヤツであるかを物語っている。

 もう一つ、今日の東京新聞の<筆洗>から。


 秘書給与流用事件でバッシングを受け、“塀の中”に落ちた国会議員、山本譲司さん(43)は、よもや弁護士から「よくぞ服役してくれました」と感謝され、法務省矯正局から講師の声まで掛かる身になるとは想像もつかなかった

 2001年2月、1年半の実刑判決を受けて、栃木県黒羽刑務所に収監された山本さんは、433日の獄中体験を『獄窓記』(ポプラ社、03年)にまとめる。元国会議員ならではの綿密な観察で、初めて刑務所内の障害者の処遇に光を当てたと評価され、第三回新潮ドキュメント賞を受賞した

 その後も山本さんは、福祉と矯正の谷間に忘れられた障害者受刑者の周辺を探り、裁判を傍聴、事件の現場を訪ね歩く。近作『累犯障害者-獄の中の不条理』(新潮社)は「ろうあ者だけの暴力団」「親子で売春婦の知的障害者」など、罪を犯さねば生きられない障害者の驚愕(きょうがく)の現実をあぶり出す

 東京・浅草で女子短大生を殺害したレッサーパンダ帽の男は知的障害者だった。福祉から見捨てられた男と家族の凄惨(せいさん)な生活史は哀れをとどめる

 栃木県で連続強盗容疑で誤認逮捕された知的障害者は、精神科病院から厄介払いされ、障害者年金目当ての暴力団員が囲い込んでいた一人だった

 住居侵入罪に問われた40代の知的障害者の裁判。母一人子一人で育ったその男の服役中に母は死亡、家は人手に渡っていた。家に入ろうとして男は捕まり、法廷でも事態がのみ込めない。男は「おかあたーん」と泣き叫ぶだけだった。山本さんは福祉の不在を告発している。


 山本譲司氏の人間性とイシハラの人間性とのこの落差はどうだ。

 労働者の奴隷状況や障害者への無理解などの根源にあるこの社会の醜悪なシステムを克服したとき、私は諸手を上げて「日本は美しい国だ」と自慢するだろう。

 さらに前日の<筆洗>に私の注意を引いた一文があった。ホリエモンはメディアの買収に精を出している頃、「遠いイラクやアフガニスタンのことを日本人が心配しても無駄だ」とほさいだそうだ。もちろん私(たち)一人一人だけでは何をやっても無力だ、という意ならそのとうりだ。だからといってせっせと金儲けだけにかまけているのは、イシハラと同等の愚劣漢だ。

 何よりもまず、遠い国の人たちのことを心配するのは有効とか無効とはいう効率の問題ではない。それは優れて倫理の問題なのだ。そしてそれは、無名の私たちの力をどう結集するかという行動の問題でもある。もっともっと多くの人が声を上げれば「遠いイラクやアフガニスタン」で行われている国家テロによる殺戮に、すくなくともこの国が加担することを避けることはできる。

 『ほかのどんな生涯ともおなじ意味、おなじ価値をもつ』とは、もちろん、労働者だけのことではない。戦火や劣悪な環境のもとで餓死したり、病死したり、殺戮されたりしている世界中のこどもたちにこそ、その倫理を生かせて初めて人類は存続するに値するドウツブとなる。

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611 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(6)
工場体験(2)
2006年9月18日(月)


 ヴェイユの工場体験談に対する吉本さんの論考を抜書きする。

(1.2.3.について)

 学生や教師の時期にいだいていた尊厳という感情や、自尊心がよりどころにしていた外からの理由は、まえには形而上学的な根拠があるとおもいちがえていたが、毎日つづくひどい拘束時間の労働を二、三週間体験しただけで、根こそぎくずれてしまった。
 あれはおなじような身分と知識と境遇にあるものの黙契でできあがった尊厳や自尊心にすぎない。工場の作業場にあるのはまったく逆のドレイ状態だけだ。そしてそれはスピードと命令からできている。まもれるのは生命だけだ。

 すでにのべたように、ヴェイユには労働がこまかく高度に分化している状態を肯定するか否定するかが根本にある問題のようにみえた。そこでは機械になるのが最上のしのぎ方になるから知能を働かせずに、ますますかんがえなくなるとすれば、こまかく分化された場面に密着するあまり、全体の視野は欠けおちてしまうのだ。

(中略)

 ヴェイユは泣き言をいっているだけではなくてみるべきものはみているからだ。たとえばおなじ工場でもちょっと場所がかわっただけで地獄と極楽のようにちがうことも、きちっとみているし、同僚や上司にめぐまれただけで職場が地獄と極楽ほどにもちがってしまうことも洞察している。

 こういったヴェイユの感想は新鮮だった。また逆に誰でも労働者ならやっていることなのに、学校と学問しかしらないものが、急ごしらえで工場へでてきて疲労と拘束時間のつらさと機械的な作業のぶっつづけに、ゆとりをなくして悲鳴をあげているだけだともうけとれる。支配と被支配、あるいは管理と被管理がもたらす苦痛と、人格の善や悪が人間関係にもたらす苦痛とはおなじではない。

 ヴェイユはそれをよく知っていたとおもえる。またこれを知っていることは、ヴェイユを神学に近づけた契機をはらんでいたといえなくはない。

 「ひとつのほほ笑み」「一言の善意」 「一瞬の人間的接触」が特権的な人々との献身的な友情にまさる価値をもつことがあるとヴェイユはいっている。わたしたちの感受性にはいくつかの層があって、誰もが「ひとつのほほ笑み」 「一言の善意」 「一瞬の人間的接触」 で融和する感情の層をもっている。ヴェイユにとってそれは倫理にむすびつけられるものだった。

 
何よりも低いこと‥特権のないこと、それはそのことだけで善だとみなされる。だから高い地位はものを理解するのに都合がわるい。低い地位は行動するのに都合がわるい。そんな制約は支配と被支配、管理と被管理からやってくると彼女はかんがえた。 管理ということは 「機械的な動作と仕事のテンポのスピードを予め決定されている」ことだ。これはヴェイユに恐怖を与えている。これに狎れてしまうことは、労働をデカダンスにおとしいれるだけでなく、生命をやせほそらせてしまう。

 受け身の服従という習性を労働者がもっているかぎり、労働者革命が詐称されても革命が労働者自身のものであることはありえない 。「労働者革命」「ファシズム」「国家防衛の組織化」 これを呼号する党派はどれも「隷属と依存」「戦争」をよるべき二つの因子にしている。 ヴェイユの人格的な倫理は当然のようにここにゆきついた。

 
現在進行中の日本ネオファシズムによる反動も当然ながら『「隷属と依存」「戦争」をよるべき二つの因子』としている。日の丸君が代の強制、教育基本法の改悪のいきつくところが「隷属と依存」であり、憲法改悪のいきつくところが「戦争」であることは言うまでもないだろう。

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610 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(5)
工場体験(1)
2006年9月16日(土)


1934年(25才)~1935年8月。 
  文部省に「個人的研究」のため教職の休暇申請を提出し許可される。申請理由は「重工業の基礎である現代技術と、現代文明の基本的諸相、つまり一方で現代の社会組織、他方では現代文化との関係に関する哲学の学位論文を準備したい」とあった。

 ヴェイユは一介の女子工員として工場に入り、三つの工場を転々とする。12月4日アルストン社にプレス工として入社、まもなく退職。カルノ-工場のプレス工、翌月解雇。最後はルノ-工場のフライス工。

 工場で働くことは10年ほど前から考えていたことだと、ヴェイユは友人への手紙で書いている。しかしまた、全ての革命についての思想に絶望したあげくの代償行為だったとも考えられる。たぶん、ほんとうに工場に入って工員という肉体労働をする人がどういうことになっているのか、じぶんで確かめたいというモチーフがあったと思われる。

 まず、ヴェイユが書きとめた工場体験の記録を読んでみよう。

 以下は全て『甦えるヴェイユ』からの孫引きです。また、この数年の間に私(たち)耳目に入ってきている現在の日本の労働者の状況と同じではないかと思われる部分を色文字で強調した。この国の労働条件は70年ほど前のフランス(当時の日本はもっとひどかったかもしれない)にタイムスリップしてしまったようだ。


 働きながら、きつい労働だとつくづく思いました。夕方四時に、職工長が、八百個仕上げられなければ私を解雇する、といいにきました。「あんたがいまから八百できるなら、わしもあんたを置いとくことに《たぶん、同意するだろうよ》」というのです。おわかりでしょう、われわれが働きすぎて死んでしまうかも知れないというのに、むこうは恩恵を施したつもりなのです。だから、お礼をいわなければなりません。全力をつくしても、やっと一時間六百個に漕ぎつけるのが関の山でした。 にもかかわらず、今朝も、仕事を奪われないですみました (連中は女工不足なのです。なぜなら、職場の環境が悪すぎるので就業者が安定しない事情があるのに、軍備のための緊急発注に追われているのですから)。

 私はさらに一時間、いっそう力をふり絞ってこの仕事をつづけ、六百五十個以上を仕上げました。さまざまなほかの仕事が与えられましたが、命令はいつもおなじで、つまり、フル・スピードでやれ、ということでした。

 毎日九時間のあいだ (というのは、前にあなたにいったように午後一時十五分にではなく、午後一時に〔昼食〕に帰ることになっているから
です)女工たちはこんな具合に働くのですが、文字どおり一分の猶予もありません。

 仕事を変えたり、別の工場を探してみたりしても、仕事に追いまくられることには変わりありません。

 (中略)

 昨日の夕刻、終業になると、私はあなたが想像されるような状態に落ちいりました(幸いなことに頭痛の方は小休止でした)。だから、更衣所で、女工たちがまだお喋りをする余裕をもっており、私の方は胸いっぱいの怒りに燃えているのに彼女たちにはそんな気持が心中にあるようにも見えないことに、私はびっくりさせられました。

(中略)

 逆に流れ作業のある女性は、― 私は彼女といっしょに市街電車で帰ったのですが ― 数年もすると、あるいは一年もすると、自分がいよいよ愚かになるばかりだと思いつづけることはあるが、もう苦しまないようになる、と私にいいました。私にはこれこそ堕落の最終段階であるようにおもえるのです。彼女は自分や自分の同僚たちがどのようにしてこのような隷属に甘んずるに至ったか、説明してくれました。「七〇フランもらえたら、どんなことでも引受けて、くたばっちまっていることだろうね」と。いまでも一部の女工たちは、絶対に必要だというわけでもないのに、流れ作業で時間あたり四フランと諸手当をもらってよろこんでいます。

 そのような高賃金時代に、労働運動ないしはそう自称する運動の指導者のなかでいったい誰が、労働者階級は堕落させられ、腐敗させられつつあると考えたり、いったりする勇気をもったでしょうか? たしかに労働者たちが自分たちの運命を招いたのだといえます。つまり、責任だけは集団的だが、苦しみは個人的、という風潮が生まれたことです。まともな心をもち合わせている人であれば、こんな仕組みにおちこんだら血の涙を流すにちがいありません。(ヴェイユ「ボリス・スヴァーリスへの手紙」根本長兵衛訳)


 大きな炉の前にいる私を想像してください。炉は炎と灼熱した風とを外に吐き出し、私はそれを顔いっぱいに受けるのです。火は炉の下部にある五つ六つの穴から出てきます。私はまっ正面に立って、勇敢であけっぴろげな顔をした一人のイタリア人の女工が私の横で作っている三十個ほどの大きな銅の巻き枠を、炉のなかに入れるのです。私は巻き枠が一つでも穴のどれかに落ちないように、よくよく注意しなければなりません。落ちれば溶けてしまうでしょうから。そのためには、私は炉のま
っ正面に立たねはならず、しかも顔にかかる燃え立つような風や腕にかかる火の苦しみで (私はまだその痕をとどめています)、けっしてまちがった動作をしてはならないのです。私は炉の蓋をおろし、しばらく待ち、蓋を上げ、赤くなった巻き枠を鈎で引き出すのですが、それもさっとすばやく自分の方へ引き寄せるようにし (そうしなければ、あとの方で出すものは溶けはじめるでしょう)、どんなときにも動作をあやまって巻き枠の一つを穴のどれかに落としたりしないように、前に倍する注意を払います。それからまた、おなじことがはじまります。

 私の前に、青い眼鏡をかけ、重々しい顔をした溶接工が、腰をおろして、丹念に働いています。私が苦痛に顔を歪めるたびに、彼は私に友愛のこもった共感でいっぱいの悲しげなほほ笑みを送ってよこし、それが私には言い難いよいものになるのです。向う側には、一組のボイラー製造工が大きなテーブルを並べたまわりで働いています。組みになって、心を合わせて、注意深く、せかず急がず仕上げられる仕事で、計算したり、大変複雑な図面を読んだり、画法幾何学のいろいろな概念を適用したりすることができなければならない、大変に熟練を要する仕事です。その向うでは、がっしりした体の男が、頭のわれんばかりの音をたてながら、鉄の棒を大鎚で打っています。

 これらすべては、仕事場の末端の一隅でのこと、そこで人々はわが家にいると感じています。いうなれば、ここには組長も、職工長も、けっしてやってこないのです。私はそこで四回にわたって二三時間を過ごしました (それで一時間七フランから八フランを稼いでいました ― これが大変なことです、これが、ね!)。

 初回は、一時間半たつと、熱と疲れと苦痛とで、私は自分の動作を制御できなくなりました。もう炉の蓋をおろすことができませんでした。それを見ると、すぐにボイラー製造工の一人が (みんなすてきな連中) とんできて、かわりにやってくれました。もしできることなら (少なくともまた自分に力を見つけたらすぐに)、私はあの仕事場のささやかな一隅にただちにもどることでしょう。あの頃の晩は、私は稼いだパンを食べるよろこびを感じていました。 しかし、こういうことは私の工場生活の経験中唯一のことでした。(ヴェイユ「アル ベルチーヌ・テヴノン夫人宛の手紙(三)」1935年、橋本一明訳)


 疲労。耐え難く、つらい、ときには死が願わしいばかりに苦痛にみちた疲労。だれでもがありとあらゆる境遇で疲れることの何たるかは知っているが、この疲労には特別な名前が必要だろう。男盛りの強健な男たちが、疲労のあまり地下鉄の坐席で眠りこけてしまうのだ。何かつらい仕事があったというわけではなも、平常の一日の労働が終わっただけでそうなってしまう。その一日は、明日も明後日もつねにくり返される当り前の一日であるにすぎない。終業後、地下鉄に乗ると、はげしい不安で頭がいっぱいになる。私は空席を見つけられるだろうか? 立っていなければならぬとしたら、あまりにもつらすぎることだろう。けれども、しょっちゅう立っていなければならない。その場合は過度の疲労で眠れなくならぬよう注意が肝要! 明日は、さらにもう少し頑張って働かねばならないだろうに。

 恐怖。一日のうちで心が何らかの不安で多少なりとも圧しひしがれないですむような瞬間はまれだ。朝は、これからの一日に対する不安。朝六時半、ビランクールに向かう地下鉄に乗れば、乗客の大半がこの不安にひきつった顔をしているのが目につく。遅刻しそうだとしたら、タイム・カードの不安。就業中は、達成に苦労している連中には、充分な速さで仕事が進まないという恐怖。無理して調子を上げようとして、オシャカを出すのではないかという恐怖。スピードが一種の酔い心地を産み、これが注意力をゼロにするからだ。些細な事件が起こって仕損じや道具をこわすようなことになるかもしれないという恐怖。だれもが一般にもつのは、怒鳴られはしないかという恐怖。ただ怒鳴られるのを避けるためだけに、さまざまな苦痛にも甘んじて耐えるだろう。どんなにささやかな叱責でも、口答えできないのだから、強い屈辱なのだ。ところで、叱責を喰うことになるような事態は数えきれないほどある!

 (中略)

 まだ何かあるだろうか? 直属の上司、調整工、職長、監督など、思いのままに「割のよい」あるいは「割の悪い」仕事を命じ、困難が生じた際には気ままに助けることもできれば怒鳴りつけることもできる人たちの好意や敵意が、ケタはずれな重要性をもっていること。嫌われないように永久に努める必要性。監督の言葉なら、暴言にもいささかも気を悪くせず、敬意さえ示してこたえねほならぬということ。

まだ何かあるだろうか? 計時をやりそこなった「割の悪い仕事」、それにも割のよい仕事を「逃がす」ことのないよう身を粉にして働く。仕事の速さが不足すればたちまち怒鳴りつけられてしまうからだが、そうした場合でも計時係がまちがっていたことにはけっしてならない。それどころかあまりしょっちゅうこうしたことが起こると、お払い箱になる危険さえある。そして「割の悪い仕事」であるばかりに、 へとへとになるまで働きながらほとんど収入らしいものをえられないのである。まだ何かあるだろうか? いや、これで充分だ。これまで述べてきたことで、こうした生活がどのようなものであるか、 この生活に服従するということは、ホメーロス
が奴隷についていっているように、「全くおのれの意志に反して、苛酷な必要の圧力に服する」ことである
ことが、充分明らかにされたはずである。(ヴェイユ「女子製錬工の生活とストライキ」根本長兵衛訳)


 私にとって、私だけの話ですが、工場で働くということがどんな意味をもったか、以下に記してみましょう。こんな意味だったのです。

 私の尊厳という感情や自尊心がよりどころにしていたすべての外的理由が(以前はそれらを内的と思っていたのですが)、日々のあらあらしい束縛に見舞われると、二三週間で根こそぎくずれ去 ってしまった、ということです。その結果私の心のなかに反抗の動きが起こった、などと思わないでください。そうではありません。反対に私がこの世で私自身から
もっとも予期していなかったもの ― すなおさ、が現れたのです。あきらめきった挽馬のすなおさが。私には、自分が命令を待ち、命令を受け、命令を実行するために生まれてきた ― かつてそんなことしかしてこなかった ― この先もそんなことしかないだろう、と思われました。

 
得意になってこんな告白をしているのではありません。これはどんな労働者も口にしない種類の苦しみなのです。それを思うだに、あまりにも気分が悪くなるのです。病気のため中止せざるをえなくなったとき、私
は自分がまったくだめな状態に落ちこんでいることを充分に意識し、たとえどんな生活だろうと、もう一度自分をとりもどせる日まで、この生活に耐えよう、と心に誓いました。私は誓いを守りました。徐々に、苦しみのなかで、わたしはあの奴隷状態を通じて、私の人間存在の尊厳という感性を奪回しました。このたびは外部の何ものをもよりどころとしない感情、自分は何にどんな権利もない、苦しみや屈辱をまぬがれた一瞬一瞬は、恩寵として、ただの僥倖の結果として受けとらねばならない、という意識を必ずともなった感情でした。(「アルベルチーヌ・テヴノン夫人宛の手紙(三)」1935年)
 革命なんて、ありうるはずがありません。なぜなら、革命の指導者どもが無能だからです。また、革命は、望ましいものではありません。指導者どもが裏切り者だからです。こういう愚か者に、勝利をおさめられるわけがありません。もし勝利をおきめたとしたら、かれらはまた、抑圧をはじめることでしょう。ロシアにおけるように……(クロード・ジャメール宛)
 
 ただ私には、ポルシェヴィキの領袖たちが《自由な》労働階級を創造すると主張し、しかも彼らのうち誰一人として ― トロッキーは確実、レーニンもそうだと思います ― どうやら工場に足を踏み入れたこともなく、したがって労働者の隷従か自由かを決する現実の諸条件については、世にもかすかな理念さえ抱いてはいなかった、ということを考えますと、政治というものが不吉なばか話のように見えるのです。(「アルベルチーヌ・テヴノン夫人宛の手紙(一)(1935年?)」橋本一明訳)
609 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(4)
ヴェイユのドイツ体験
2006年9月16日(土)


 ヴェイユの目がとらえた敗戦(第一次世界大戦の)ドイツの社会状況や政党の動きを、吉本さんは日本の太平洋戦争前や敗戦直後の時期と似ていると言う。私はさらに現在の状況とも似ていると思う。その観点も念頭に置きながら読んでいくことにする。
                   
 当時、ナチスが音頭をとって国家労働奉仕アルバイツデイーンストという制度ができている。自発的な労働奉仕みたいなかたちをとっていて、わずかな賃金が支給されている。でもこれは失業者の強制収容所みたいなもので、ヒトラーが政権をとれば強制的なものになるにちがいない、とヴェイユは書いている。

 若い失業者にとって、自分自身のものとして何が残っているのか? わずかばかりの自由である。しかしこの自由でさえも、若い失業者のための収容所のごときものにおいてお粗末な賃金のために軍隊式の規律のもとに行なわれる労働、勤労奉仕の制度によって脅かされている。現在までは任意的なものだが、ヒトラー主義者の圧力によりこの労働は今日明日にも強制的となるかもしれぬ。

  状況の決定的性格はこの点に存するのであって、貧困自体にあるのではない。その決定的性格は、一方ではその当否は別にして、ドイツにおいてとくに若者が恐慌の一時性を段々信じなくなってきている点にあり、また他方ではいかに精力的でいかにも聡明でも、いかなる人間も自力では恐慌のもたらす一般的困窮から逃れる望みが全くないという点にある。 (ヴェイユ「ドイツにおける状況」伊藤晃  訳)

 さらにヴェイユは次のようことを書いている。
 それぞれの家族は失業者をかかえていても、職に就いているものがひとりでもあると、手当てを支給されない。居づらくなった若い失業者は、放浪や物乞いにはしるか、失業者の強制収容所である勤労奉仕隊にはいるよりほかに仕方がない。こんなふうに家族や私生活のなかにいやおうなく浸透している社会不況と不安は若者たちに、じぶんの未来はじかに政治や社会の未来に結びついて切りはなせないと感じることを強いた。

 日本でも戦時中に学生たちは無給の勤労奉仕に駆り出されていた。イシハラ(都教委)が都立高校への導入を決めている「奉仕活動」を「いいことだ」などという者が多数派になっている。過去から何も学んでいない愚者がこの国に同じ轍を踏ませようとしている。強制的な「奉仕活動」などという発想を、私は限りなくうさんくさく思う。
 
 また私は、上記のような六十数年前のドイツの労働者の状況を現在の日本の奴隷的な条件下の労働者の状況と重ねて読んでいる。コイズミの悪政が引き起こした格差社会で「困窮から逃れる望みが全くない」若者たちが、ドイツの若者たちがナチスにからめとられたように、新たに台頭してきたこの国のファシズム勢力(以下「日本ネオファシズム」と呼ぶことにする。)にからめとられつつある状況をしんそこ危惧している。

 
もっとわかりやすく、このヴェイユの描像は改訂できるとおもう。

 ドイツの若い失業者たちは、飢える自由も、デカダンスの自由も、かるい気もちで掻っはらいまがいのことをやって暮らす自由もあった。それが嫌なら改心してナチスの動労奉仕にくわわり、青年団のような規制と訓練と建設的な正義の名目を手に入れればいいのだ。

 わたしたちの見聞ではナチスの勤労奉仕は外からみるとヴェイユが描いているよりもあかるく健康で建設的にみえた。昔もいまみたいにいい加減だった日本の識者たちは、希望にあふれ、向日的できびきびした表情をした勤労奉仕のドイツ青年たちの集団や、そのあとのヒトラーユーゲントをみて、すぐに幻惑され、日本にも輸入して模倣の集団をつくろうとしたものだ。

 くたびれたドイツの青年たちは、まだやぶれかぶれの気力がのこっていれば、昏迷のさなかでデカダンスと遊びをもっとつづけなが
ら、人間という目的に合致する道はなにかをみつけていくにちがいない。だが青年は社会の風潮に方向がなければそれほどつよくはない。正義と健康と建設の名目をつきつけられれば、ひとたまりもなくそこへなだれこんでゆく。ドイツの青年もそんな岐路に立っていた。

 ナチスがその勢力を拡大していった道筋を追ってみよう。

 
 ヴェイユがいちばん関心をもったのはナチスの動きだったと想定できる。ヴェイユの眼からみれば継ぎはぎだらけのいかがわしいナチスの理念が、たいへんな勢いでドイツの民衆をどうしてとらえていくのか、遠くからみたら不可解で仕方がなかったに違いないからだ。

 ヒトラーの率いるナチス (国家社会主義党) は、じぷんの国の資本主義を敵視するよりも、戦勝国の資本主義の圧迫で、こんな苦しい目にあっているのだというドイツ民衆の感情にあわせて国家主義的な宣伝をひろめていた。またその一方ではドイツの資本家の大部分はユダヤ人だから、ドイツ国家が失墜するかどうかよりも資本家の利益の方が大切だとかんがえている。国家はこの資本家の横暴なエゴイズムに統制を加えるべきだと信じこませ、資本主義とドイツ民族を対立項のように煽りたてた。

 日本ネオファシズムは資本家と結託しているから、資本家を対立軸にはできない。外に敵を作るほかない。中国・韓国・北朝鮮をそのターゲットにして煽り立てるのは当然の成り行きと言うべきだろう。
 

 
 ヴェィユがみたところではナチズムは一つのまとまった思想体系をもっているわけではなく、どこを向いてもいいことずくめの宣伝をやって、そのあいだにとうてい両立できそうもない矛盾があっても、一向に動じない雑炊のような政治運動とおもわれた。

 農村には農産物の高い売値を約束したかとおもうと、都市部には安く暮らせる生活を約束するといった具合で、場あたりの政策を流布している。とうていまともな理念をもつ党派としてあつかえるとはおもえなかった。

 でもドイツの民衆や労働者の現実感情をひきつける力はどの党派よりももっていた。そのいかがわしいが新鮮な力の感じは、ナチスの運動が宣伝している労働者にすこしずつの土地を所有させ、また資本家が過度にかれらを抑圧しようとすれば、国家の力でそれを制圧し、労働者や農民を資本家から保護してくれるという歯ざれのいい口約束によくあらわれていた。

 そんなことができるはずがないというためには、きちっとした理路から説明しなくてはならない。だが疲れたドイツの民衆にとっては、その場かぎりの感情の解放であってもよかったのだ。そこにナチスは喰いこんでいった。

 日本ネオファシズムも「一つのまとまった思想体系をもっているわけではなく…とうてい両立できそうもない矛盾があっても、一向に動じない雑炊のような」党派だ。「官から民」という構造改革によって少し痛みを耐えればいいことがあるというような喧伝をし、結果はごらんの通り。確かにコイズミの無内容なワンフレーズや愚行ヤスクニ参拝に対する民衆の喝采は「その場かぎりの感情の解放」であり、確かな政治理念があってのことではないだろう。

 オコチャマランチ狆ゾウにいたっては「雑炊」にさらに「ヌエ」をかき混ぜた政治姿勢で、この国はいよいよひどい状況になりそうだ。「美しい国」などという情緒的であいまいな
指針で政治をやろうとしている。昨日の新聞報道(東京新聞)によると、教育改革の主要テーマの一つは「学力世界一」だそうだ。何処までピントのずれた間抜けなんだろう。

 
 自覚した労働者がナチスの国家社会主義運動をうちやぶる手段はわずかしかない、とヴェイユはのべている。それはつぎのふたつだ。

(1)
 対立している階級を和解させて、妥協のうえに統一をはかるような国家主義的な運動はどんな希望にみちた「新体制」ももたらさないことを、一般の大衆に理解させることだ。

もうひとつは、

(2)
 ヒトラー派の力にたいして別の力、固有の組織に結集したプロレタリアートの力が存在することを大衆に知らせること。

 ヴェイユのいっていることは、いずれも言うは易く行うのは難かしいことばかりで、結局は何も語ってはいない。ようするにナチスのまえに手をこまねいているほかないということだった。ヒトラーのナチスがドイツの労働者や大衆に与えていたヌエのような得体のしれない新鮮さにたいして、共産主義者や社会民主主義者の戦術的な振舞いばかりうまくなった無力さでは、まったく歯がたたないことはよくみきわめられている。

 私(たち)も今、有効な運動を創り得ていない。私には選挙で何かが変わるなどという期待はない。いまのところ非暴力直接行動以外に有効な運動を知らない。反「日本ネオファシズム」の集会やデモに今の10倍の参加者をあれば、反動の流れを変えることができるのだがと、そのわずかな可能性に期待を寄せている。

608 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(3)
教師時代のヴェイユ
2006年9月15日(金)


 ヴェイユは、学生時代から人権問題や平和運動に関わっている。労働運動にも関わり、失業者救済運動でビラ配りなどもしている。

 1931年 22才。ル・ピュイ国立女子高等学校の哲学の先生になる。先生になったころにはもうアナーキズム系(非スターリン系)の雑誌に政治論や政治情勢論を書きはじめ、フランスにはヴェイユがいると知られるほどになっていた。


ドイツ体験
 また教師時代に政治論文を発表したり、組合運動を支援したりして忌避され、別の学校に転任させられている。前々回に掲載した略年譜には書かれていないが、その転任まで期間を利用してヴェイユはドイツに行っている。ドイツはそのころ、ヒトラーがナチス=国家社会主義党を率いて台頭してきた時期です。それがどういうことなのか自分で確かめたかったのでしょう。

 そこでヴェイユが見たいちばん重要なことは、ドイツ共産党がどんどんナチスに転向していくことだった。またドイツ共産党にたいして、ソ連共産党は応援するどころかかえって、フランスと組んでソ連にあたってくるのではないかと疑って、抑圧してしまう。ヴェイユはドイツでこういう生々しい矛盾をつぶさに見てきている。

 トロッキーとの論争
 もうひとつ教師時代に重要なことがあった。ちょうどトロッキーが第四インターナショナルをつくろうと亡命する過程でフランスに来たとき、ヴェイユはじぷんの家を宿舎に提供している。そのとき二人は議論をしている。そのときの論争の状態をヴェイユはメモに残していた。その論争を大まかにまとめると次のようであった。

ヴェイユ
「ソ連は労働者国家だというけれど、すこしも労働者国家ではないじゃないか。共産党官僚独裁国家で、労働者はぜんぜん解放されていない」

トロッキー
「きみはまったく反動的だ。労働者はじぶんが容認できるかぎりにおいて、政府を承認しているのであって、労働者が共産党国家を容認しているかぎりは、労働者の国家といっていいんだ。ようするに労働者が現行の政府を承認しているなら、それは労働者国家といえる」

ヴエイユ
「そんなばかなことはない。あれはただの官僚独裁国家にしかすぎない。もしトロッキーがいうようなことが通用するなら、どこの資本主義国家にたいしても労働者はその政府を黙認しているじやないか。黙認しているから労働者国家だなんていえない。労働者を解放していないかざり労働者国家とはいえない。労働者がイニシアチブをとる国家でなければ労働者国家といえない」

 誰でもヴエイユの考えのほうが妥当だと考えるでしょう。
 現在存続しているどこの国だって労働者は自国を承認している。しかし、承認しているだけで肯定しているわけではない。それを声を大にしていっているかどうかは別問題です。承認しているから労働者国家だなんて論理は誰が見たって詭弁です。

ヴェイユとトロッキーの論争は物別れになるんですが、この論争は重要だとおもいます。ど んな支配体制、どんな政府をつくったとしても、頭脳を働かせて指導する者と、実際に肉体を行使して肉体労働する者とのちがいは永久に解消しないのではないか、というのがヴェイユの考えが行きづまった集約点です。社会思想あるいはロシア社会主義に体現された思想にたいするヴェイユの不信感と、それとはちがうものをつくろうとかんがえた根柢はそこにあるとおもいます。 頭脳労働と肉体労働との区別が解消しないかぎりは、どんな政府をつくっても平等、あるいは労働者の解放が実現しないのではないかというのがヴェイユの社会思想、革命思想の究極的な集約点になります。

 このヴェイユの集約点は検討されなくてはいけないとおもいます。ロシア・マルクス主義思想の危ない個所をどこで超えていくのかということです。 ぼくの現在の考え方でしたら、国家を開くか開かないかというところにもっていくとおもいます。

 トロッキーの考えはだめで、スターリンはなおさらだめだとおもいます。国家が開いていればヴェイユのいう疑問点がある程度解消していくはずです。国家は内部では大衆にたいし開かれており、外部にたいしては国境が開かれていれば、ある期間国家が存続していても、労働者の解放への糸口が絶えずもちつづけられることを意味します。

 その<開く>ということは具体的にどういうことでしょうか。 国内的にいえば、国家つまり政府をつくっている者にたいするリコール権、いいかえれば無記名の直接投票で、多数を占めればいつでも政府をリコールできるようにしておくことです。代議員をとおしてではなく、民衆の無記名直接投票で過半数が現行の政府を否認したら、政府は代わらなければならないという法律を一項目もっていれば、たぶん国家は民衆にたいして開くことができるとおもいます。国家が開かれていれば、民衆が直接、政府を代えることができます。それは労働者がかりに直接政府のなかに参与していかなくても、労働者が解放されている国家といっていいんじゃないかとおもいます。

 また、国家間国家といいますか、国際国家のあいだでは国家を閉じないということです。いつでも開いていて、国家が存続していても、絶えず外の国家と交流できることです。たとえば現在、日本とロシアのあいだに北方領土問題がおこっているでしょう。具体的にいえば、これをおれのところへ返せとか、いや、おまえのところに返さないとかというのが、いまのロシアと日本の現状なわけです。国家を開くという観点がそこにあれば、北方領土だけは両方の国民がいつでも自由に出入りしたり、住んだりできるようにしようじゃないか、そこだけは国境なしにしようじゃないか、そしてそこでの行政的なことは日本とロシアと両方から委員を出して、四島の行政機能を行うという解決の仕方ができます。そういうことが国家を開く、国際間で開くということです。

 国内で開くということは、政府はいつでも、民衆が否認するという意志を示したらやめなければならないという法が制定されていれば、その国家は民衆にたいして開かれているということになります。それは口で言うのはやさしいですが、実現するのはなかなかむずかしいことです。いつかはそうしなければならないことですし、そうなるでしょう。しかしそれを言いだす政府も政党もいまのところないわけです。いってみれば国家社会主義(ファシズム)か社会国家主義(ロシア・マルクス主義)かのちがいで、国家ということがついて回って、すこしも開かれていないことが問題なんです。

 ヴェイユはそうはかんがえないで、頭脳労働する者と肉体労働する者との区別があるかぎりどんな社会がきても、どんな理想の政体をつくってもだめなんじゃないか、やはり差別はあるんじゃないかという考えにたどりつきます。そしてその考え方をもとにして工場体験に入ります。

(『ほんとうの考え・うその考え』における「ヴェイユのドイツ体験」についての記述は『甦えるヴェイユ』と比べてたいへん簡略されている。講演という限られた時間内での論述なので当然なことです。しかし、ヴェイユがドイツ体験について書き残した記述は現在のこの国に状況に重なっていて、私にはとても関心がある。少し深入りしてみようと思う。次回からしばらく『甦えるヴェイユ』を使います。)
607 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(2)
乳幼児期のヴェイユ
2006年9月14日(木)

 胎児期・乳児期における母親との関係が、生涯にわたって個人の心のありように決定的な影響を与える。そういう意味ではどんな家庭に生まれたかよりも乳児期にどのように育てられたかの方が重要です。
 
 シモーヌ・ヴェイユの略年譜によると、ヴェイユは1歳のときに重病をわずらっている。また、生涯にわたって偏頭痛に悩まされていた。ヴェイユの幼年期を少し詳しくたどってみる。

 生後6ヵ月ごろ母親が虫垂炎の発作をおこして、授乳することができなる。ヴェイユは授乳障害におちいってしまう。11ヵ月ごろ祖母の手で離乳を試みるが、それに失敗して、16ヵ月ごろまで哺乳ビンに大きな穴をあけて食べ物を母乳のように流し込まなければ食べたり飲んだりできないという障害にかかり、そのために衰弱してしまう。哺乳ビンじゃないと受けつけないということじたい何かを物語っていて、こういうことは生涯にわたってとても重要な要素になると考えられる。
 また、3歳半のとき、母親の体質が遺伝していたためか、虫垂炎にかかり、その手術の後の回復がおそく、回復不可能と医者から宣言されるほど衰弱したということが伝えられている。

 乳児期の授乳障害はヴェイユの個性的な思想に対して重要な影響を及ぼしていると考えられる。ヴェイユは晩年病気になり、拒食症的に食べ物を拒否するかたちで死んでいる。その「拒食症的な」というのは、フロイト的な言い方をすればリビドーの障害ということになるが、この障害はヴェイユの生涯のいたるところに表われる。それはたぶん授乳期あるいはもつと前の胎児期とふかい関係があると考えられる。

 もうひとつは、ヴェイユは強烈な「頭痛」に生涯悩まされている。その頭痛もヴェイユの思
想にとってふかい関係がある。ヴェイユの頭痛の原因は鼻腔にいろんな雑菌が入っておこる一種の鼻炎だといわれている。現在では簡単に治せる病気です。しかし、その当時では治療はできず、生涯激しい頭痛に悩まされることになる。ヴェイユはその痛みとキリスト教信仰がいっしょになったところで身体離脱のような聖体験をした。キリストの姿が現われてじぶんに手を触れたという見神体験で、それがヴェイユを強烈な信仰へといざなった。

 さて、なぜ現在シモーヌ・ヴェイユなのか。二つの重点が考えられる。
 ひとつは、初期から中期にかけての革命思想家としてのヴエイユです。ヴエイユのその思想は現在でも重要な問題を提起している。
 ふたつ目は、晩年になってキリスト教神学思想として特異な概念をつくり、ヴエイユ神学というべきものをつくりあげている点です。ヴェイユの神学思想のなかのキリスト教神学・キリスト教信仰を超えた部分に現在にも通ずる問題提起がある。それはすべての宗教的なもの、思想的なもの、あるいは人間的なものに共通した問題提起です。


 9・11同時多発テロはブッシュのやらせだという情報が出回っている。その情報をめぐっているうちに きくちゆみのブログとポッドキャストというサイトにであった。きくちゆみさんは「9・11事件」の真相を追究しているお一人です。そのサイトの今日の記事がすばらしいので紹介します。私は、ヨブのような過酷な運命の中で、なおどのような倫理が可能か、という問題に重ねて読みました。

 自分の愛する人が暴力的に殺されたときに、それに対して暴力で対応しないことを選択できるでしょうか?私がその立場に置かれたときに、暴力を選ばない自信があるか、と聞かれたら「わからない」としか答えられません。でも、暴力で対応することを選ばない人間になりたい、とは思います。

 今回のニューヨーク訪問ではたくさんの人に出会い、いろいろな立場のアメリカ人のお話を聞かせていただきましたが、もっとも心の奥深くに希望と愛の種を植えてくれたのは、ディビッド・ポトーティーさん(Democracy Nowの10周年パーティーでお会いしました)、コリー・ケリーさんとウィリアム・ロドリゲスさんでした。今日はコリー・ケリーさんのお話をポッドキャストでお届けします。

  コリーさんは弟のビルさんを世界貿易センタービルで亡くしました。金融機関で働いていたビルさんは、たまたまあの日、世界貿易センタービルで行われていた会議に参加していたために、911事件に巻き込まれ、帰らぬ人となりました。遺品も遺体も戻ってきませんでした。 しかし、ケリーさんとその家族は、「ビルの死を理由に報復をして、さらに悲しみを増やさないで」と声をあげたのです。アメリカ全体が熱狂して報復の戦争に向かう最中のことです。どれだけ勇気がいったことでしょう。「報復の戦争をする」という政府の方針に反対の声をあげた途端に、犠牲者に同情的だった世論がバッシングに変化します。 しかしケリーさんは静かに声をあげ続け、同じように家族や愛する人を亡くした家族で、報復を望まない人々と出会い、やがて彼らは「ピースフルトゥモローズ」というグループを立ち上げます。その声は911から5年経った今、200を越える家族に広がっています。

  対テロ戦争が始まり、アフガニスタン、イラクが攻撃されると、ピースフルトゥモローズのメンバーは現地を訪れ、米軍の攻撃で子どもを亡くした母親たちに出会い、交流をします。悲しみは国境を越えて同じなのだ、この暴力の連鎖を断ち切ることが自分たちのミッションなのだ、と想いを新たにします。 彼らはこの911の5周年に世界中のテロや戦争や原爆の犠牲になった家族を持つ同じ想いの人々と交流をし(日本からは長崎の被爆者が参加したそうです)、彼らの悲しみを平和と愛に昇華させようと努力を続けています。 こういう人たちがこの世に存在する限り、まだ世界は大丈夫、という希望と勇気をもらいました。

 ピースフルトゥモローズと、彼らのミッションに賛同して世界各地から集ったジョー・ベリー(イギリスのテロで閣僚だった父親を亡くした女性で、私の友人。偶然NYで再会した)を始めとする勇気ある人々に心から、どうもありがとうございます。

 

606 「ほんとうの考え・うその考え」―シモーヌ・ヴェイユの神(1)
ヴェイユの略歴
2006年9月13日(水)


 「ヨブ記」はすでにいろいろな人によって論んじられている。吉本さんはそのうちのキルケゴールと内村鑑三の考え方を紹介している。そして、キルケゴールの「ヨブ記」論のところでシモーヌ・ヴェイユについてふれているので、その部分を引用する。

 人間はぎりぎり追いつめられると、どこかで岐路に立つわけです。

 非日常的なきわどい、また苦悩に満ちていて、またひどい目にあうかもしれない、そういうことを重要な問題として生涯の重点におくか、それとも繰り返し反復される、いってみれば外から見るとなんら涙することのない生涯にじぶんの重点をおくか、二律背反といいましょうか、その岐路は絶えずじぶんのなかにもたざるをえないわけです。

 たいていの人はみんな無意識のうちに、あるいは意識的に、そのどちらを重点的にするか絶えずかんがえさせられます。ぎりぎりになれば人間は、どちらかをかんがえさせられながら生涯を送るのが、普通の人の生き方です。普通の人の生き方はこちらに偏ったからいいとか、こちらに偏ったから悪いとかの問題じゃなくて、絶えず人間はふたつの岐路のなかに生きているということがいえるとおもいます。

 キルケゴールは極端な人ですから、その岐路に立つことができなかったんです。そのできなかった体験を踏まえて、しかしその<反復>こそが重要な問題なんだ、それはまた信仰の問題でもあるし、生きる問題でもあるとかんがえたわけです。

 この二律背反の岐路を避けようと思った信仰者はいます。ぼくが知りえていて好きな人で、シモーヌ・ヴェイユがいます。ぼくなりの解釈で当たっているかどうか知りませんが、彼女はどうかんがえたかといいますと、偉大な嵐に耐えたヨブみたいな人であろうと、そうでない人であろうと、いってみれば、過去とか未来とか、歴史的な時間のなかでもがいたり、安心したり、楽しんだりして繰り返し反復しながら生涯を送っている、そういう人たちの精神の領域のはるか彼方に、もうひとつ別の精神の領域がある。そこは匿名の精神の領域で、第一級の偉大なものはそこに精神の場所をおくんだと、ヴエイユはかんがえたわけです。その間題は人間にとってたいへん大切な問題だとぼくはおもいます。


 「ほんとうの考え・うその考え」の第2部「シモーヌ・ヴェイユの神」の副題は「深遠で隔てられた匿名の領域」です。これから、吉本さんの論考に従って、ヴェイユの「匿名の領域」とはなにか、それをたどることにします。これは、たぶん、キルケゴールの「反復」とヴェイユの「匿名の領域」との二律背反の問題を考えることにもなる。
 なお、吉本さんの著書に「甦えるヴェイユ」という一冊がある。適時この著書も利用していきます。

まずはヴェイユの略歴を見てみます。

芥子種のことば・シモーヌ・ヴェーユ

というサイトからの転載です。



幼年時代-10代
1909  0才 ●パリ在住のユダヤ系中流家庭に生まれる。
      医師の父ベルナ-ル 、母セルマ、3才年長の
      兄アンドレとの4人家族。
1910  1才 ●重病を患い以降11ケ月にわたり闘病。
      これ以来全生涯を通じて虚弱体質に苦しむ。
1916  7才 ●古典悲劇の諳誦や韻遊びをする。
1919 10才 ●年令より2級上のフェロンヌ校のクラス編入。
      文学と数学で頭角を現すが、手先の不器用さを
      指摘される。
1920 11才 ●病弱のため休学。個人レッスンを受ける。  
1921 12才 ●ギリシャ語の学習を始める。パスカルの
      『パンセ』を愛読。
     ●偏頭痛の発作がはじまる。  
1923 14才 ●能力の凡庸さに絶望して自殺を考えるが、
      この試練をへて願望の効能を確信する。  
1925 16才 ●哲学の大学入学資格試験に合格。アンリ4世校に入学、
      アラン に師事。  
1927 18才 ●夏期休暇中はじめて畑仕事に従事。
      高等師範学校がはじめた労働者のための
      「社会教育グループ」の活動に協力。  
1928 19才 ●高等師範学校文科に入学。  

20代
1929 20才 ●人権同盟に加入。熱心に平和運動に参加。
     ●卒業論文「デカルトにおける科学と知覚」の
      執筆開始。  
1930 21才 ●偏頭痛の発作が激化する。
     ●インドシナ反乱の記事を読み、植民地の悲劇を
      はじめて理解。  
1931 22才 ●大学教授資格試験に合格。
     ●ル-ピュイの国立女子高等学校の教授に任命。
     ●革命的組合主義者のグル-プと接触。サンテ
      ティエンヌの炭坑夫のための講座を担当。  
1932 23才 ●オルセ-ルの国立女子高等学校の教授に任命。
     ●スタ-リン主義を弾劾すると同時に、フランス
      共産党からさらに遠ざかる。  
1933 24才 ●論文「われわれはプロレタリア革命に向かってい
      るのか」で、ロシア革命は失敗したと論じる。
     ●論文「戦争にかんする考察」「ソ連邦の問題」
     ●パリ自宅に数日泊まったトロッキ-と激しい議論応酬。
1934 25才 ●個人研究のための1年の休暇を申請。
     ●アルストン工場のプ レス工となる。
      労働者の不幸を体験。
      ●『工場日記』開始。  
1935 26才 ●アルストン社を退職し、失業。
     ●カルノ-工場のプレス工となるが翌月解雇。
      失業3週間目に生活費を1日3フラン50に切り詰める
      決心をする。
     ●6月 ルノ-工場のフライス工となる。奴隷の自分が
      バスに乗れるのは尋常ではない恩恵という感慨を抱く。
     ●8月工場体験を終える。
     ●9月 ポルトガルの漁村でキリスト教との第一の出会い。
      キリスト教はすぐれて奴隷の宗教」と確信。
     ●ブル-ジュの国立女子高等学校教授に任命。  
1936 27才 ●3月 シェ-ル県で農作業に従事。
     ●『ギリシャの泉』所収 の「アンチゴネ-」を
      組合機関誌に発表。
     ●社会問題を解く鍵として現代数学の研究に没頭。
     ●つねにもましてひどい頭痛と疲労とに苦しむ。
     ●チャップリンの『モダン・タイムス』を絶賛。
     ●8月 スペイン市民戦争に義勇軍兵士として参加するために
      スペ インに入国。
     ●9月 火傷を負って帰国。
     ●モンテベルディとジョットーに心酔。  
1937 28才 ●第1回イタリア旅行。宗教音楽を愛しはじめる。
     ●キリスト教との第二の出会い。
      アシジのサンタ・マリア・デリ・アンジェリ小聖堂で
      生まれてはじめてひざますく。
     ●『抑圧と自由』所収の論文「マルクス主義の矛盾について」
      「革命と進歩に関する批判的検討」執筆。  
1938 29才 ●偏頭痛悪化のため休職を願いでる。
     ●キリスト教との第三の出会い。
      ソレムのベネディクト会修道院で、偏頭痛に苦しみつつ
      復活祭の典礼をあずかるうちにキリストの受難が決定的に
      自分のなかに入ってきたと感じる。
     ●ソレムでイギリスの形而上詩人を知り、とりわけ
      ハ-バ-トの詩『愛』を愛唱するようになる。
     ●第2回イタリア旅行。キリストの親しい現存を感じる。
     ●アラビアのロレンス『知恵の7つの柱』に感動。
     ●旧約聖書や『エジププト死者の書』『アッシリア・バビロ
      ニア宗教文章選集』『マニ教講話』など宗教史関係の書物を
      多読する。  

30代
1939 30才 ●論文「イリアスまたは力の詩編」「ヒトラ-主義の
      起源に関する考察」執筆。
     ●バビロニアの宗教詩『ギルガメシュ』インドの
      『バガヴァッド・ギ-タ』を愛読。
     ●世界制覇の害悪を立証した論文「ヒトラ-とロ-マ帝国の
      内部崩壊」が検閲にひっかかり出版禁止。
1940 31才 ●ドイツ軍進行にともない両親とともにパリを離れ南下。
     ●唯一の劇作『救われたベネチア』の執筆開始。
      ジルベ-ル・カ-ン、ペラン師、ギュスタ-ヴ・ティボンと
      親交を結ぶ。
1941年 32才 ●『雑記帳(カイエ)』の整理開始。
       中世南仏の異端カタリ派に関心をもつ。
      ●食料切符の大半を切符の支給されない植民地労働者
       に与える。
       ティボンの農場で農作業に従事。サンスクリットを学び
       はじめる。道教、ウパニシャッド研究。
      ●生まれてはじめて祈り、「キリストの臨在」実感。
      ●『雑記帳(カイエ)』第4、5冊目をこの時期に執筆。
1942年 33才 ●洗礼の躊躇についてペラン氏に手紙を書く。
      ●『雑記帳(カイエ)』第6、7冊目執筆。
      ●5月、両親とともに兄アンドレの待つニューヨークに亡命。
      ●ハ-レムの黒人教会に出入りする。黒人霊歌、
       ネイティブアメリカンなど各国の民間伝承に関心を示す。
      ●ク-チェリ氏に手紙(『ある修道士への手紙』として公刊)
       を書く。
      ●11月、ロンドンに向けて出帆。
       ドゴ-ル将軍率いる「自由フランス」の文案起草者となす。
      ●『ロンドン論集』所収の8つの論文。
       『根をもつこと』所収の多 数の論文執筆。
1943年 34才 ●偏頭痛と疲労と栄養失調のため健康悪化。
      ●4月、意識不 明で病院に運びこまれる。
       急性肺結核の診断。療養中も食事の摂取を拒否し、
       衰弱が進む。5月、サンスクリットの学習を再開。
      ●8月、アシュフォ-ドのサナトリウムに収容され、
       1週間後の8月24日死去。
       30日 アシュフォ-ドの墓地に埋葬される。

 ぎゅっと凝縮された34年間の中身の濃い人生。畏怖すべきすごい人生だと思う。人生、長ければよいものではない。すでにヴェイユの2倍も生きている自分の人生の不甲斐なさが情けなくなってくるが、相手は非凡なる天才です。比べること自体が愚かなのです。
 日ごろ親しんでいる二人の天才の享年を改めて調べてみた。宮沢賢治37歳。モーツァルト35歳。ため息が出る。もしもこの人たちがもっと長生きしていたらと、せんかたないことまで考えてしまう。

 しかし、いたずらに卑下する必要はない。私のような凡愚の長く細い人生も一つの大事なあり方です。無数の無名の私(たち)がこの社会を支えている。まだまだ長生きして、政財官界ばかりか言論界もマスコミも大日本帝国のゾンビたちに占拠されてしまった様相のこの国の喜劇の行く末を、微力ながら抗議・抵抗をしながら、見届けてやろう。

605 「ほんとうの考え・うその考え」―ヨブの主張(5)
終曲の書き換え
2006年9月12日(火)


 前回で「ヨブ記」のあらましを読み終えた。しかし終曲は、それまで提起されてきた <倫理性>の問題を肩透かしした形で終わり、問題が宙ぶらりんの感じになっている。 このことに関して、吉本さんは何と言っているのか。
 もし「ヨブ記」の問題が行くところまでいくなら、最後のところの、神が 出てきて、「神は山を動かせるぞ、おまえにはできないだろう」みたいなこ とを言った場面から、ヨブはそれをばかにしてというんじゃなくて、「神の 言うことのなかにはすこしも倫理は含まれていないじゃないか。倫理につい てなんの示唆もないじやないか。じぶんは信仰があついにもかかわらず、こ ういう苦難を受ける理由がなにも述べられていないじゃないか」といったこ とを筋書きとして、「ヨブ記」の続編といいますか「第二のヨブ記」を、み なさんはじぶんで読んでおかしいとおもったら、書きなおしちやったほうが いいとおもいます。

 もし思うところがあったら、ここはこういう条件がなくちやいけない、こ ういう条件があるべきだということを元にして、終わりのところは取っちゃって 、じぷんでかんがえてつくつちやったほうがいいとおもいます。  最後のじぶんの倫理感が納得しなかったら、ここはちがうって言いきっち やったほうがいいとおもいます。またそういうふうにじぶんの心の振舞い方 の輪郭をきめていくのがほんとうだっていうふうにぼくにはおもえます。 それは「ヨブ記」を読むことの最後の完成だとおもいます。

 そうすると、「ヨブ記」のなかのヨブという人物は、福音書のなかのキリ スト・イエスととても似た性格が与えられていますから、なぜキリスト・イ エスが出現したかとか、なぜそういうふうに位置づけられたかということが とてもよく理解できるとおもいます。ましてじぶんならこうだなんてことを も交えて「ヨブ記」が読めたら、新約聖書の理解がとても楽になるんじゃ ないかとぼくにはおもえます。


 著書「ほんとうの考え・うその考え」は講演記録です。最後の質疑応答で、 たぶん「吉本さんならどのように書き換えますか。」というような質問があ ったのだろう。それに対する応えが<追補>という形で最後に掲載されている。 それを読んで第三部「ヨブの主張」を終わる。
 わたしが書きなおすとすれば、<自然>と<倫理>の問答をもうすこし つづけるようにします。そして神とヨブの和解が成り立っても成り立たなく てもどちらでもいいんですが、神の言葉は、天然自然の表層現象を言ってい るだけじゃなくて、だんだん<深さ>をもつようなところまで内向していき、 ヨブの言葉は、死と苦悩と、一時的な不幸からしか出てこない言葉ですが、 その普遍性のある言葉をどこまで拡大することができるか、その方向にむ かっていく。そういうところを継ぎ足したいわけです。

 それは同時にじぶんにとっていまとでも主要な問題なんです。 <普遍宗教>あるいは<普遍倫理>が出てくる段階が現在の段階だとぼくに はおもえるからです。<普遍宗教>の考え方がどういうふうに成り立つかが いまのいちばんの関心事で、そこへもっていくようになおすとおもいます。

 それには天然自然が科学的な自然観の方に行って終わってしまうところを、 天然自然観に<深さ>という概念は与えられないかという問題と、苦しみと か、虐待されたとか、貧しかったとか、物質的に不如意だったとかというと ころから生まれてきた<欠如>を基にした倫理を、もうすこし欠如がなくて も倫理が成り立つところへもっていきたいわけです。神の言葉でいえば <深さ>という概念、ヨブの言葉でいえば<広さ>という概念といったらお かしいですが、<普遍性>といったらいいでしょうか、狭い倫理から広い普 遍性のある倫理性の言葉にもっていくのがさしあたってつけ加えたいところ だとおもいます。

 みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、 けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだら う。それからぼくたちの心がいヽとかわるいとか議論するだらう。そして勝 負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃ んとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまれ ばもう信仰も化学と同じやうになる。

 宮沢賢治のこの言葉は、そういうことだとおもいます。<普遍宗教>とか <普遍倫理>というところで両者を統一的に理解できる場所へもっていける んじゃないかとおもっています。



 私ならどう書き換えるか。私がそれを言うのはまだおこがますしい。 いまだ勉学途上の身です。一つの課題として心にとめておこうと思う。

(追記)
 私がインターネットに参加してから、まだ2年しかたっていない。試行錯誤 しながらホームページの作成をしてきたが、まだ分からないことだらけで いろいろ失敗をする。

 利用の仕方をあやまれば、大きな危険もあるが、インターネットの 便利さにはほとほと感心している。今回のテーマに関連して、びっくりする サイトを発見した。聖書を丸ごと読めるのです。「ヨブ記」を丸ごと読ん でみたい方のために紹介しておきます。

旧約聖書・ヨブ記

604 「ほんとうの考え・うその考え」―ヨブの主張(4)
不可解なヨブの和解
2006年9月11日(月)


 不条理な運命に対するヨブの苦悩・悲嘆・慟哭・呪詛・抗議の言葉が、世界中に満ち満ちている。無辜の 民の命を奪い、そのささやかな資産を灰燼に帰して恥じない国家による殺戮・破壊 はいよいよ激しい。その苦悩・悲嘆・慟哭・呪詛・抗議の言葉が、明日には私(たち) の口をついて出る言葉になるかもしれない。そうならない保証は何もない。 だから、ヨブがぎりぎりの所でどう神との最後の対峙をするのかは、 私(たち)の問題でもあり、私はとても関心をもっている。



「ヨブ記」終曲(第42章)

ヨブは主に答えて言った。

あなたは全能であり 御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。

「これは何者か。知識もないのに 神の経綸を隠そうとするとは。」

そのとおりです。 わたしには理解できず、わたしの知識を超えた 驚くべき御業をあげつらっておりました。

「聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」

あなたのことを、耳にしてはおりました。 しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し 自分を退け、悔い改めます。

主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。

「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。 お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように 正しく語らなかったからだ。 しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブの ところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、 わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。 わたしはそれを受け入れる。 お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく 語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」

テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルは 行って、主が言われたことを実行した。そして、主はヨブの祈りを 受け入れられた。

ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元の境遇に戻し、 更に財産を二倍にされた。

兄弟姉妹、かつての知人たちがこぞって彼のもとを訪れ、 食事を共にし、主が下されたすべての災いについていたわり慰め、 それぞれ銀一ケシタと金の環一つを贈った。

主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。ヨブは、 羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つこ とになった。

彼はまた七人の息子と三人の娘をもうけ、 長女をエミマ、次女をケツィア、三女をケレン・プクと名付けた。

ヨブの娘たちのように美しい娘は国中どこにもいなかった。 彼女らもその兄弟と共に父の財産の分け前を受けた。

ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。

ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。



 いったいこれは、ナンジャラホイ?とつい口癖の自家コトバが出でしまう。 あまりにも陳腐な結末じゃないか。(ここまで、仁平)

 どうしてヨブが、こんなつまらないことを言われて、あっさり兜をぬい じゃったんだろうというのがよくわからないところです。いままで苦悩の ありったけを打ち出して、ありったけの呪いの言葉と抗議の言葉を神にたい して吐いていた人間が、神はこんなふうに偉いんだぞ、おまえなんかでき ないだろうと言われて、はいわかりました、と言うのはおかしいじゃない かとおもうんです。

 たぶん唯一神があらゆるものを造ったという考え方が、オリエント、西欧 にとってどのくらいの重さをもっているのか、ぼくらには頭のなかで想像は できてもよくわからないところです。その考えが人工的でないとすれば、と てもわかりにくいのです。とにかくそこで和解します。

 ぼくらもヨブのほうが友人が言っていることよりも、正しいことを言って いるとおもいます。ヨブは神を呪う言葉を言って、一見すると神を冒涜して いるようにみえますが、そうじゃない。人間の<信>と<倫理>とを最大限 に結びつけようとしている。ありきたりの宗教的理念で、神は善いことをす れば善い報いをし、悪いことをすれば悪い報いをするという友人の考え方の ほうがつまらないとおもいます。

 しかし一般的にいえばそういう考え方が多いわけです。ぼくらが知っている 日本の宗教家でいえば、親鸞が唯一ひっ繰り返した言葉で言いました。 「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」と。そういうことを言ったの は、日本では宗教家として親鸞だけです。だからどうしても、神の言葉より ヨブの言葉のほうが優れているという読み方になります。

603 「ほんとうの考え・うその考え」―ヨブの主張(3)
ヨブの絶望・呪い・抗議の言葉(2)
2006年9月10日(日)


 ところで、ヨブが信仰する神とはどんな神なのか。「ヨブ記」の最終近くで 、ヨブの絶望と呪いの言葉に対して神は次のように応じている。(第38~39章)


これは何者か。
知識もないのに、言葉を重ねて
神の経綸を暗くするとは。
 
男らしく、腰に帯をせよ。
わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。 

(以下は第38~39章の要約)

この地上に大地を据えたのはわたしだ。 朝日や曙に役割を指示したのもわたしだ。 おまえは海の湧き出るところまで行き着き、 深い縁を巡ったことがあるか。 死の門をつくったのもわたしだし、 死の闇の門を見たのもわたしだ。 光がどこにあるかを指し示せるのもわたしだ。 雪がどこから降ってくるか、 霞がどこから落ちてくるかを知っているし、 それをさせているのもわたしだ。 風がどの道を通って吹くのか、 豪雨がどういう水路をつくるか、 稲妻がどうやって落ちてくるかも わたしのなせる業だ。 すばるとかオリオンとか銀河を つくったのもわたしだ。 天の法則もわたしがつくった。 洪水をおこすのも、 烏たちを鳴せるのもわたしだ。 おまえはそういうことができるか、 できないだろう。 動物から植物まで全部、 全能者であるじぶんがこしらえたのだ。 おまえは全能者と言い争うが、 引き下がる気があるのか。 神を責め立てる者よ、答えるがいい。

 これは天然自然の動きの背後には一個の神がいて、森羅万象その意志によって おこると自然認識を示している。この認識はユダヤにおけるいちばん初期の 宗教的な自然認識で、オリエントの特徴です。もちろんヨブの信仰もこのよ うな神への<信>に支えられている。次の詩句はヨブの言葉です。


 神は山をも移される。
 怒りによって山を覆されるのだと誰が知ろう。
 神は大地をその立つ所で揺り動かし
 地の柱は揺らぐ。
 神が禁じられれば太陽は昇らず
 星もまた、封じ込められる。
 神は自ら天を広げ、海の高波を踏み砕かれる。
 神は北斗やオリオンを
  すばるや、南の星座を造られた。(9章)

 ぼくらがもし「ヨブ記」を、ヨブを中心にして読むとすれば、この神の 言葉はとてもつまらなくみえます。なにも答えていないじゃないか。じぶ んは天然自然を全部動かせる全能者だぞという自慢をしているだけで、ヨ ブの苦悩にたいしてすこしも答えていないじゃないかともおもえるわけで す。これにたいしてヨブは、人間的倫理としてはもう極度の苦悩と惨めさ のなかに陥れられ、そこからぎりぎりの言葉を神にたいして吐いています。 それは呪いになったり抗議になったりしていますが、その呪いとか抗議の もっている深い倫理性は、たいへん優れたものだと受けとれます。ヨブを 中心にして読めばそうなります。

 ヨブの言葉はだんだん切迫してきて吐く言葉がなくなってくる。


目は苦悩にかすみ
手足はどれも影のようだ。
正しい人よ、これに驚け。
罪のない人よ
神を無視する者に対して奮い立て。(17章)

それならば、知れ。
神がわたしに非道なふるまいをし
わたしの周囲に砦を巡らしていることを。(19章)

神はわたしの道をふさいで通らせず
行く手に暗黒を置かれた。(19章)

親族もわたしを見捨て
友だちもわたしを忘れた。
わたしの家に身を寄せている男や女すら
わたしをよそ者と見なし、敵視する。(19章)

憐れんでくれ、わたしを憐れんでくれ
神の手がわたしに触れたのだ。
あなたたちはわたしの友ではないか。
なぜ、あなたたちまで神と一緒になって
わたしを追い詰めるのか。
肉を打つだけでは足りないのか。(19章)

 ほとんど神にたいしても、友人にたいしても全部、抗議の言葉と呪いの 言葉を吐く以外にもう場所がないところで、ヨブは絶望の言葉を吐いてい ます。もしその絶望の言葉を深いとかんがえるなら、ヨブの絶望の言葉の ほうが神よりもずっと深いということになるとおもいます。

 これは信仰のない者とかうすい者にとっては重要な言葉だとおもいます。 信仰のある人にとっては、この絶望の言葉は、新約聖書の福音書につながっ ていくんだという理解になっていくとおもいます。あるいはそういうふうに つくられていると理解すれば、「ヨブ記」はそういうふうにつくられている とおもいます。


 新約聖書へとつながるいう観点からみれば、ヨブ記のなかの 次のようなわかりにくい詩句が重要な意味を持つようになる。


わたしはなお、あの方に言い返したい。
あの方と共に裁きの座に出ることができるなら、
あの方とわたしの間を調停してくれる者
仲裁する者がいるなら
わたしの上からあの方の杖を
取り払ってくれるものがあるなら
その時には、あの方の怒りに脅かされることなく
恐れることなくわたしは宣言するだろう
わたしは正当に扱われていない、と。(9章)

このような時にも、見よ
天にはわたしのために証人があり
高い天には
わたしを弁護してくださる方がある。
わたしのために執り成す方、わたしの友
神を仰いでわたしの目は涙を流す。
人とその友の間を裁くように
神が御自分とこの男の間を裁いてくださるように。
僅かな年月がたてば
わたしは帰らぬ旅路に就くのだから。(16章)

 神とじぶんのあいだを「調停してくれる者」、「仲裁する者」がいたら、 そしてじぶんの苦悩を背負って取り払ってくれたら、じぶんは神から正当に 扱われていないと言いたい。調停してくれる者とか仲裁する者を、じぷんが そうだと言うだけの信仰はないし、自信もないから、そうも言うことはでき ない。そうすると誰かそういう人がいてくれたら、じぶんはおおっぴらに悪 いことをしていないと神に言うことができるだろうと、ヨブは言うわけです。
 「ヨブ記」のヨブは、自然であるところの神、あるいはユダヤの神にたいし て、人間の善悪とか倫理、つまり人倫を象徴する人物をもってきて、それを 教義とすることによってユダヤ教を変えようとするところの過渡期に出てき た人物だというふうに理解できます。

 このヨブとは、人間の倫理が自然に近い神(ユダヤの神)にたいしてどこ まで関係をもてるか、あるいはユダヤ的神と人間の倫理から信仰へ到る過程 の、どういう場所で出あえばいちばんいい信仰のあり方かを象徴する最初の 人間のようにおもいます。

 たぶん「ヨブ記」のヨブをもっと見つめていきますと、新約聖書の主人公 のイエスになるとおもいます。つまり、むこうが自然神であるならば、こち らというのはおかしいですが、こちらは人間の罪とか悪とか、未来をも一人 で全部背負っちゃうという人物を一人設定すれば対抗できる。対抗できると いうのは不信心な言い方ですが、そういう「神にして人」のような人物 がやってくればユダヤ教は変えられる、というふうになります。つまり人間 の倫理のほうからユダヤの神にどういうふうに迫れるかとか、どういう仲介 っていいますか媒介ができるかということの、ひとつの象徴としてかんがえ れば、「ヨブ記」は解釈できるんじゃないかとおもいます。

 だけどこれは歴史的解釈で、この際あまりしたくありません。ここでは <信>であるか<不信>であるか、あるいは<倫理>であるか<自然>で あるかということの問題として、「ヨブ記」を理解していきたいとおもい ます。

602 「ほんとうの考え・うその考え」―ヨブの主張(2)
ヨブの絶望・呪い・抗議の言葉(1)
2006年9月9日(土)


 神が悪魔に、ヨブがいかに信仰が深いかを試させたことからこの劇詩 「ヨブ記」はできている。しかし、これを読むものには、どうしてこう いうことを神が悪魔に語らせたのか、たいへん不可解なこととして心に 引っかかる。また、神がヨブに試練を課したのだとしてもこんな酷す ぎる試練になんの意味があるのか、という疑問が当然生じてくる。

 さて、「三人の友人との議論」では、ヨブの友人とヨブの<信>の考え方の違いが クローズアップされる。

 ヨブは、「じぷんたちは信心深くやってきたし、人にたいしても慈悲を施し てきたし、どこにも悪いことをしていないのに、どうしてこんな目にあうんだ ろうか」と言う。
 これに対して三人の友人たちの信仰の仕方は、大方の宗教の一般的な信仰の仕方 と同じで、神は悪いことや罪あることをしない者にたいして、悪い報いを与え るはずがないということが信仰の大前提になっている。だから、ヨブを慰めたり はする一方、ヨブがそんな目にあったのはどこかで悪いことをしている、罪を犯 しているからだということを三人の友人は疑わない。だから、ヨブが自分の至らなさを 知って反省すれば、きっと神は不幸とか苦悩とかをヨブから取り去ってくれる だろうと、ヨブに説いて諌める。あるいはヨブの神にたいする呪いを緩和しょ うとする。

 しかし、ヨブはじぶんは絶対に悪いことをしていないということを疑わない。 あくまでもヨブはじぶんの考え方を改めないし、呪いも改めない。もしまち がっているとすれば、神のほうがまちがっていると最後まで主張してやまな い。

 二回目の議論でもやっぱりおなじことになる。友人のほうは、おまえは生 意気というか傲慢だ、神にたいして呪いとか、まちがっているとか主張する ことじたいが傲慢なんだ、と言う。つまり人間を神よりも上におこうとして いる。その傲慢をなおさないかぎりだめだということを主張して説き伏せよ うとしる。でもヨブの答えはまったく変わらない。

 このヨブの<信>のあり方が「ヨブ記」の重要な要です。三人の友人との 議論におけるヨブの言葉の中から、神とよく対峙していると思われる言葉を をいくつが抜書きしてみる。

  仮借ない苦痛の中でもだえても
  なお、わたしの慰めとなるのは
  聖なる方の仰せを覆わなかったということです。(6章)

 「覆わなかった」と言う言葉が分かりにくい。この行の文語訳版は 「こは我聖者(きよきもの)の言に悖(もと)りしことなければなり。」 です。…(仁平註)

 ヨブは、神に対して誤魔化しをかんがえたり、誤魔化しの主張をしたりしな かったと言っている。

  あなたは夢をもってわたしをおののかせ
  幻をもって脅かされる。
  わたしの魂は息を奪われることを願い
  骨にとどまるよりも死を選ぶ。
  もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。(7章)

 夢のなかでもヨブはなお神から苦しめられている。夢のなかまで、 つまり無意識のなかまで入ってきてじぶんをいじめ、虐げると言ってい る。もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。ヨブはそういう ふうに言う。

 最大限の不幸を体験した人間が、もし信仰があったらこういうふうに 呪う以外にないということを、ヨブは言っている。その言い方は人間の ぎりぎりの不幸とか苦悩とか運命のいたずらとか、そういうものに出あった 人間がどうしても吐かざるをえない言葉でしょう。そういう意味で、それは たいへん感銘ぶかいものです。

  なぜ、わたしに狙いを定められるのですか。
 なぜ、わたしを負担とされるのですか。(7章)

これはヨブが神にたいして抗弁する言葉です。ヨブの絶望、呪い、神への抗議 の言葉は人間存在の根源的なぎりぎりの認識へと向かっていく。

  わたしの方が正しくても、答えることはできず
  わたしを裁く方に憐れみを乞うだけだ。(9章)

  神は無垢な者も逆らう者も
  同じように滅ぼし尽くされる、と。(9章)

  手ずから造られたこのわたしを虐げ退けて
  あなたに背く者のたくらみには光を当てられる。
  それでいいのでしょうか。(10章)

  逆らおうものなら、わたしは災いを受け
  正しくても、頭を上げることはできず
  辱めに飽き、苦しみを見ています。(10章)

 これはヨブの神にたいする抗議と、呪いの言葉です。ヨブの言うことは 全部、そういうじぶんにたいする呪いと、神にたいする抗議とに満ちみち ています。それをいろんな言葉で繰り返し言い返し、言いなおして述べ立 てています。それも言葉が不幸のぎりぎりのところから出ているものです から、たいへん感銘ぶかいのです。深みのある言葉に満ちていて、「ヨブ 記」のなかのヨブが吐いている言葉は、新約の福音書のなかのイエスが吐く 言葉ととてもよく似ています。罪と罰、善と悪のような倫理の問題のぎりぎ りのところから吐いているという意味でもとてもよく似ています。また感銘 ぶかいわけです。

 それにたいして二回日の議論で三人の友人は、神にむかってそんな言葉を 口にするとは何ごとだ、どうして人間は清くありえよう。まして人間は水を 飲むように不正を飲む者、憎むべき汚れた者なのだ。おまえはどこか汚れて いるから、どこかに罪があるから、どこかで不正をしているから、こんなに ひどい目にあっているんだ。それを悟らずに神にたいして呪いの言葉を吐い ている。それなら神と和解することはできないし、神がいつまでもおまえを 罰するだけだ、と言うわけです。

 こういうことが繰り返されていると、なんとなく、わたしたちが日常生活の なかで当面しているいろんな場面に似てきます。つまり、善いことばかり言っ てじぶんは正しいとおもっているやつは、いまでも満ちみちでいるわけです。 だけど、ほんとうに善いことだとおもっているのかを問いなおしたら、そう じゃないことはたくさんあるとおもいます。それこそが重要なことなんです。 その問いなおすことにおいて、じぶんはすこしも傷つかないで善いことばか り言っているやつにたいして、あくまでもおまえのはだめなんだと言うこと が、現在の課題でもあるわけです。

 またみなさんは大震災の影響を受けておられます。これは無差別で天然自 然ですから、もしユダヤ教やキリスト教のように、自然を背後にあって支配 する唯一神を信仰している人でも、どうして開西地区だけに大震災はおきた んだということになりますし、また自然とかんがえても、なにもなくて もひどい目にあっているのに、なおさらそのうえにひどい目にあわせるのは どうしてなんだと抗議したいところは、いまでもたくさんあるとおもいます。

 こういうふうに見ていきますと、だんだん三人の友人とヨブとの問答が現実 味をおびてくるのがわかります。だから完全に現代における倫理の問題として 読むこともできます。

601 「ほんとうの考え・うその考え」―ヨブの主張(1)
「ヨブ記」概略―「序曲」から「生まれた日への呪い」まで
2006年9月8日(金)


(以下は吉本さんの論考の要約ですが、前テーマの場合と同様に、 「吉本さんによれば…」とか「…と吉本さんは述べている。」とはいう添え 書きはしないで、まるで私自身の考えを述べるように書いていこうと思いま す。逆に私の見解を述べる場合はそのことを明記します。なお、ヨブ記から の引用は新共同訳版の「聖書」を用いています。)

 ウツの地にヨブという「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きて いた」信仰深い人がいた。七人の息子と三人の娘をもち、羊が七千匹、らくだ が三千頭、牛が五百くびき、雌ろばが五百頭、それに使用人が大勢いて、東の 国で一番の金持ちだった。ヨブの一家は息子たちが順番に家族の宴会を催し て、そのたびごとに敬虔に神に祈る習慣になっていた。

 ある日、神の前に神の使いたちが集まり、悪魔もやってきた。


神 「お前はどこから来た。」
悪魔「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」
神 「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。
   無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
悪魔「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。
   あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。
   彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に
   溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れて
   ごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
神 「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。
   ただし彼には、手を出すな。」

 悪魔は喜んで試みをはじめる。
 まず長男の家で宴会をしているときに、シュバ人が牧場に襲いかかり略奪 して、牧童たちもみんな切り殺されてしまう。
 それからすぐ、天から雷が落ちてきて、羊も羊飼いも全部焼け死んでしまう 。
 また、らくだが襲われ奪いとられ、牧童たちは切り殺されてしまう。
 それから長男の家で宴会をしているとき、大風が四方から吹きつけ、家は 倒れ、長男はじめ子どもたちはみんな死んでしまう。

 ヨブは「「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は 奪う。主の御名はほめたたえられよ。」と言って、すこしも不平を申し述べな いであつい信仰を示す。


神 「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。
   無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。
   お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとしたが、
   彼はどこまでも無垢だ。」 
悪魔「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すもの
   です。手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かって
   あなたを呪うにちがいありません。」
神 「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな。」 

 悪魔はヨブの頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせる。 ヨブは灰のなかに坐り、素焼きのかけらで身体中かきむしって、痒さを止めようと した。ヨブはたちまち見るかげもない人間になってしまう。

 ヨブの奥さんは、
「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」
と言ったが、ヨブは答えた。
「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいた のだから、不幸もいただこうではないか。」 と言ってヨブはなお耐え忍んだ。

 ヨブと親しい友人が三人、見舞い慰めようとやってくる。ヨブはそれと 見分けられないほどの姿になっていた。「嘆きの声をあげ、衣を裂き、天に 向かって塵を振りまき、頭にかぶった。」
 彼らは七日七晩、ヨブと共に地面に座っていたが、その激しい苦痛を見る と、話しかけることもできなかった。

 やがてヨブは次のようにじぶんの出生を呪う。


わたしの生まれた日は消えうせよ。
男の子をみごもったことを告げた夜も。 
その日は闇となれ。
神が上から顧みることなく
光もこれを輝かすな。 
暗黒と死の闇がその日を贖って取り戻すがよい。
密雲がその上に立ちこめ
昼の暗い影に脅かされよ。 
闇がその夜をとらえ
その夜は年の日々に加えられず
月の一日に数えられることのないように。 
その夜は、はらむことなく
喜びの声もあがるな。 
日に呪いをかける者
レビヤタンを呼び起こす力ある者が
その日を呪うがよい。 
その日には、夕べの星も光を失い
待ち望んでも光は射さず
曙のまばたきを見ることもないように。 
その日が、わたしをみごもるべき腹の戸を閉ざさず
この目から労苦を隠してくれなかったから。 
なぜ、わたしは母の胎にいるうちに
死んでしまわなかったのか。
せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。 
なぜ、膝があってわたしを抱き
乳房があって乳を飲ませたのか。 
それさえなければ、今は黙して伏し
憩いを得て眠りについていたであろうに。 
今は廃虚となった町々を築いた
地の王や参議らと共に 
金を蓄え、館を銀で満たした諸侯と共に。 
なぜわたしは、葬り去られた流産の子
光を見ない子とならなかったのか。 
そこでは神に逆らう者も暴れ回ることをやめ
疲れた者も憩いを得 
捕われ人も、共にやすらぎ
追い使う者の声はもう聞こえない。 
そこには小さい人も大きい人も共にいて
奴隷も主人から自由になる。 
なぜ、労苦する者に光を賜り
悩み嘆く者を生かしておかれるのか。 
彼らは死を待っているが、死は来ない。
地に埋もれた宝にもまさって
死を探し求めているのに。 
墓を見いだすことさえできれば
喜び躍り、歓喜するだろうに。 
行くべき道が隠されている者の前を
神はなお柵でふさがれる。 
日ごとのパンのように嘆きがわたしに巡ってくる。
湧き出る水のようにわたしの呻きはとどまらない。 
恐れていたことが起こった
危惧していたことが襲いかかった。 
静けさも、やすらぎも失い
憩うこともできず、わたしはわななく。 

 このあと物語は「三人の友人との議論」になっていく。

600 吉本隆明著「ほんとうの考え・うその考え」

2006年9月7日(木)


 「第542 2006年7月3日」に私は「普遍宗教」という副題をつけた。「普遍宗教」 という言葉を、例えば柄谷行人さんは世界に広く普及している宗教つまり「世界宗 教」という意味で使っている。(「世界共和国へ」第Ⅱ部第3章)もしかすると 多くの場合はその意味で使われいるのかもしれない。しかし、私が言う「普遍 宗教」はそういう意でない。

 宗教が人類にとって有意味な面があるとすれば、それはその中に含まれている 「倫理性」です。私が宗教を認めるのはその「倫理性」においてであり、その 「倫理性」の質がその宗教に対する私の評価の基準です。

 既存のあらゆる宗教の倫理性を包含しかつ超えている宗教があるとすれば、 それは従来の意味での宗教とはまったく異なるものになるかもしれないが、 それを「普遍宗教」と呼びたい。そして「第542回」で私は『そのとき「普遍宗教」の神は自然 にほかならないのではないか。』と述べたように、そこには従来の宗教で言うところの 神は不在になっているだろう。そういう意味では「普遍宗教」=「普遍倫理」 と言ってよい。

 吉本隆明さんの著書「ほんとうの考え・うその考え―賢治・ヴェイユ・ヨブを めぐって」の中表紙の裏に小さく一行「普遍宗教性の問題として」とあった。 この著書は私が言う意味での「普遍宗教」=「普遍倫理」の可能性についての 論考だった。

 宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」(初期形)にブルカニロ博士が語る言葉 の中に次のような一節がある。

「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれ どもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。そ れからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつか ないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんた うの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も 化学と同じやうになる。

 この一節の中の「ほんたうの考とうその考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も 化学と同じやうになる。」という一文をめぐって、吉本さんはこの著書のモチーフを次のように述べている。

 このばあいの「信仰」というのを宮沢賢治のように宗教の信心と解さずに、 それも含めてすべての種類の<信じ込むこと>の意味に解して、この言葉 を重要におもってきた。つまり<信仰>とは諸宗教や諸イデオロギーの現在ま での姿としての<宗教性>というように解してきた。宗教やイデオロギーや政 治的体制などを<信じ込むこと>の、陰惨な敵対の仕方がなければ、人間は相 互殺戮にいたるまでの憎悪や対立に踏み込むことはないだろう。それにもかか わらず、これを免れることは誰にもできない。人類はそんな場所にいまも位置 している。こうかんがえてくるとわたしには宮沢賢治の言葉がいちばん切実に 響いてくるのだった。

 このばあいわたし自身は、じぶんだけは別もので、そんな愚劣なことはした こともないし、する気づかいもないなどとかんがえたことはない。それだから もしある実験法さえ見つかって「ほんとうの考え」と「うその考え」を、敵対 も憎悪も、それがもたらす殺戮も含めた人間悪なしに(つまり科学的に)分け ることができたら、というのはわたしの思想にとっても永続的な課題のひとつ にほかならない。


 この著書は三部構成になっている。

Ⅰ 宮沢賢治の実験―宗派を超えた神
Ⅱ シモーヌ・ヴェーユ―深遠で隔てられた匿名の領域
Ⅲ ヨブの主張―自然・信仰・倫理の対決

 副題で明らかなように、それぞれ「普遍宗教」への可能性をテーマにしてい る。

 次回からこの著書を読んでいくことにする。私の勝手な思い込みから、著書の 順とは逆に、Ⅲ→Ⅱ→Ⅰの順序で読むことにします。

599 唯物論哲学 対 観念論哲学(21)
こども 対 大博士
2006年9月6日(水)


(このシリーズの最終回です。お手本は最初の ①「哲学入門」 に戻りました。)

 身近に中学生ぐらいの子どもがいたら、質問してみてください。

「君のお父さんお母さんは、君がまだ生まれない以前に、この世のなかに生き ていたでしょうか?」

 こどもは何でそんな質問をするのか、怪訝そうな顔をするにちがいない。 そしてたぶん次のように答えるのではないだろうか。

「どのお父さんお母さんだって自分のこどもがまだ生まれない以前もこ の世のなかに生きていたことなんて、あたりまえじゃん!」

 こどもにはお父さんやお母さんからおしえられたり、他人のありさまを 見て確信している認識がある。ところがこの答に異を唱える大哲学者がい た。教授とか博士とかいう立派な肩書をもったえらい大先生です。文化勲 章ももらっている。この大博士は次のように述べている。

「歴史的実在の世界というのは、我々が行為によって物を見ると共に、そこ から生れる世界、即ち行為的直観の世界である。……我々が視覚的に物と いっているものは、眼の運動によって形作られたものである。」(西田幾 多郎『哲学論文集第二』)

 つまりこの大博士は、そのこどもがが見ることによってお父さんやお母さんが 生まれたのであって、もしこどもが見なければ、お父さんお母さんのからだ は実在してはいないと言っている。

 この学説に対して、こどもが実生活から得た認識を捨てきれずになお次の ように主張する。

「お父さんお母さんはぼくが見ようと見まいと実際にいるし、ぼくが何も 知らない赤ん坊のときにも、まだ生まれない前にもいたのだ」

 すると大博士は「あなたは自分の見たままをそのままうけいれていま す。それはまちがいですよ。それは素朴実在論です。」と教えてくれるに ちがいない。西田博士は「唯物論はこどもの哲学」だと嘲笑している。

 わたしたちの父母がわたしたちの生まれる以前に存在したいう認識 にとどまっているだけなら、確かにそれは素朴実在論であり「こどもの 哲学」です。しかし、その認識には「わたしたちの精神のはたらきから独立 してこの世界がある」という「おとなの唯物論」つまり「科学的な唯物論」 につながる認識を含んでいる。西田哲学は「見ることなしには世界はない」 という逆の立場に立っている。

 わたしたちの父母がわたしたちの生まれる以前に存在したとするなら、わた したちの精神のはたらきから独立して物があることを承認するのです。夜ねて いるときでもこの世の中が存在していると考えるなら、現にわたしたちの知ら ないところでいろいろな事件が起こっていると考えるなら、やはりこの精神か ら独立した物の存在を認めるのです。

 「腹はへらないと思えば、空腹ではなくなるか?」これは「眼をつぶれば お父さんお母さんは存在しなくなるか?」という質問と共通したものを含ん でいます。「勝つ勝つと思っていれば必ず勝つ」これは「見ることによって 実在の世界が生まれる」という説と同じ立場です。哲学の本はチンプンカンの 寝言をならべているように見えますが、実にこういう身ぢかな問題やもっとも らしい主張につながっているのです。

 こういう主張を信じた日本人が、いまは(敗戦直後のこと…仁平)、着るも のもなく街路をハダカで歩いているのです。


 そうそう、西田哲学はかって「日本の天皇は人間ではない」ということを証明 していた。改めてエンゲルスの次の言葉を噛みしめておこう。

「最初の素朴なみかたは、概して後の時代の形而上学的なみかたよりもヨ リ正しい」

 そういえば、裸の王様を「裸だ!」とはっきりと指摘できたのはこども だった。「あしながおじさん」の女子大学生ジュデイ・アポットさんもこ う言っている。

「あたしたちが今習っているうちで一ばんむずかしくってイヤなのは哲学よ  ― 明日はショオペソハウエルの哲学よ。教授は、あたしたちが哲学のほ かにもいろんな学課を習っているということなんかまるっきり考えていない らしいのよ。へンテコな老いぼれのアヒルよ。雲の中へ頭をつっこんでフワ フワあるきまわって、時々かたい地面にぶつかってはビックリしたような 顔をして目をパチパチさせているのよ。……教授は教室へ出る合間には、物 質は真に存在するものであるか、あるいはまた物質が存在すると自分が考え ているにすぎないのかどうかということをしきりと考えながらくらしている のよ。
 物質が存在するかしないか、そんなことは仕立物をしているあの娘に聞け ばすぐわかるわ!物質が存在するから、苦労も心配もあるんだわねえ?」

 往々にしてひとは透きとおって底まで見える池より、底の見えない濁った池を深いと思 い違いする。観念論哲学はとっても難解で深遠なことを誇りにしているようです。 しかしそれは見せかけの深遠さです。

 私(たち)は見せかけの深遠さ、見せかけの平等、見せかけの正義、見せかけの 自由…等々を見破るためには自然成長的に身につけさせられたものから 常に脱皮し続けなければならない。最後に引用する次の文は、まともな労働組合 がほんの一握りしかないない今、その再生のための原点を示していると私は思う。 もちろん、労働組合だけの問題ではない。私は「労働者」を「被支配階級」と 読みかえて読んだ。

 いま、わたしたちの生活している世の中は、新聞雑誌ラジオ映画その他その 他、サギ師の言葉でみちみちています。「子供」たちはただでさえそれに圧倒 され、それをうけいれがちです。たとえ自分が多くのことを眼で見、その見た ままをすなおにうけいれるにしても、そこから直ちに「サギ師をつかまえる」 という実践的な結論はでてきません。「子供」にはやはり「学校」が必要で す。

 労働組合は「労働者の学校」といわれます。労働組合の一員としての実践 は、たしかに偉大な教育です。しかし、ただ自分の行動によって学ぶにとど まり、よい「教師」とよい「教科書」とをもたなければ、「かしこいがゆえ にあやまる」危険をのがれることはむずかしいでしょう。理論は実践におい てつくられるという原理を一面的に度はずれにとりあげて、先駆者が彼の 実践からうみだしてわたしたちにのこした貴重な理論的遺産から学ぶことを 忘れると、労働運動の指導者はハダカの王様になるでしょう。わたしたちの 偉大な教師はいいました。

「純労働者運動というものは、自分自身で独立したイデオロギーをつくりあ げることができるし、事実またこれをつくりあげていると思っている。そこ にこそ、深刻な誤謬がある。…… われわれの任務は、自然成長性とたたかう ことにある。 ……労働者階級は自然成長的に社会主義におもむくと、しばし ばいわれる。……もしその理論にしてこの自然成長性の前に屈服しなかった ならば、もしその理論にしてこの自然成長性を克服するならば、労働者は非 常に容易に社会主義理論を自分のものにする。……しかし、きわめて広く流 布された(そしてもっとも多種多様なかたちをとって蘇ってくるところの) ブルジョア・イデオロギーは、それにもかかわらず、自然成長的に、特に労 働者を圧倒し去るものだ。」(レーニン『何をなすべきか』)

598 唯物論哲学 対 観念論哲学(20)
自己疎外・労働と法律
2006年9月5日(火)


 ソ連を労働者の労働者による労働者のための国家と早とちりをしていた 連中がその国家社会主義の破綻と崩壊を目の当たりにして周章狼狽し、今度 はマルクス思想の最良の部分まで間違ったもの無益なものと早とちりして 捨ててしまった。

 マルクスが解明した資本主義の本質は、高度資本主義とよばれる現在の 資本主義をも貫いていることに変わりはない。現在、政府・財界・官僚の策動に よって拡大された経済的格差の底辺で何が起こっているのか、日々報道さ れる悲惨な事件がよくそれを物語っている。ようやくマスコミも拡大された 格差問題をいくらか取り上げ始めた。しかし、初期資本主義の頃よりも酷 いと思われる現在の労働者の奴隷化と労働の過酷な搾取状況をマルクス理 論の観点から批判糾弾する論者は、少なくともいわゆるマスコミに は皆無です。まるで資本主義が最善不変のシステムであるかのように扱わ れている。オコチャマ狆ゾウの「再チャレンジ」などという姑息な提言をまか り通らせてしまう素地は、マスコミに登場する識者たちの理論的退廃がつ くっている。

「疎外は、私の生活手段が他人のものであるということにも、私の欲求する ものが私の手に入らない他人の占有物であるということにも、またあらゆる 事物そのものがそれ自体とは別のものであるということにも、また私の活動 が他人のものであるということにも、最後に ―そしてこれは資本家にもあ てはまることだが― 一般に非人間的な力が支配しているということにも現 れる。」(マルクス「経済学・哲学草稿」)

 自己疎外は観念の世界だけで行われているわけではない。資本主義社会では 現実的に人間の本質が疎外される。そして、宗教の場合と同じような転倒 がおこなわれ、人間を非人間的に支配している。

 資本主義社会も、資本家は働く場所を持たぬみじめな労働者に仕事を与え、 賃金を払って、労働者の生活をささえてやり日々の幸福をつくり出す人間で あるという、非敵対的な見せかけを示している。だがその本質は、資本家の 利益は労働者の不利益、労働者に多く賃金を払うことは資本家にとって利潤 の減少を意味するという、敵対的な関係である。

 宗教では観念的に人間の本質が対象化されるのだが、資本制生産では現実的 に人間の本質が対象化される。すなわち生産における労働の対象化において、 労働者は自己の対象化した労働に支配されるのである。ここには現実の転倒が 存在している。対象化された労働は、生活をささえるだけの部分が復帰して来 るだけで、あとは少数の人びとの私有財産となって労働者の外部に存在し、資 本として自己増殖するために労働者を支配することになり、資本家はこの対象 化された労働の人格化されたものにはかならない。

 それゆえ、観念的と現実的とのちがいはあっても、宗教と資本制生産とは人 間が自己を敵対的に疎外するという点で共通した論理構造を持っているわけで ある。

 資本主義社会の経済は、絶えず人びとに脅威を与えている。激烈な競争の中 での没落や、恐慌や不景気のための破産や、職場から追われての失業に当面す るとき、人びとは外部から生活に影響をおよぼしてくる打ち勝ちえない力の 存在を感じないわけにはいかない。これを正しく理解できない人びとが、こ の力を自然力と同じように神秘化して、神の意志にむすびつけたとしても不 思議はない。


 さらにまた、法律も人間の自己疎外の所産にほかならない。このことは もちろん、ブルジョア民主主義社会に限らない普遍的な事実です。被支配者が 法律に救済を求めて訴訟を起こしても、その問題が支配システムの根幹に近 ければ近いほど敗訴は初めから目に見えている。

 法律とよばれるものは、のちに述べるように意志の一つのありかたであって、 国家によって制定されるところからこれを国家意志の表現と理解することがで きる。国家が能動的に、この意志に服従せよと国民に要求するかたちをとるの である。

 この国家意志は、国王個人から発することもあれば、議員が国民の意志にも とづいて議会で成立させることもあるが、いづれにしても人間の頭の中にしか 存在しない意志が観念的に対象化されて、すべての国民の「外部」に存在する ものとして国民を支配するのであるから、これもまた人間の自己が疎外された ものといわなければならない。

 歴史は、国王の意志が神の意志とむすびつけられて、神の意志→国王の意 志→国家意志という過程が存在するものと解釈された事実を教えているが、 これは神のありかたと国家意志のありかたとが共通点を持っていたからこそ 可能であったわけである。

 われわれが現に使っている「国家」という文字に は、「国」すなわち「家」であるという、国家のありかたを家族のありかた にたとえる発想法が明かに示されているが、国王あるいは支配者を親や父に たとえ、王妃あるいは支配者の妻を母にたとえ、国民を子にたとえる支配階 級のイデオロギ-政策は、古今東西にわたっていくらでも指摘することがで きる。

 これらにしても、家族が集団として協力し合いながら生活を向上させる ためには、秩序を維持するための何らかの掟が必要であるということから、 国家意志を合理化しようとするものである。共同体における掟は全体の利益 をはかるものであるが、階級社会における法律は支配階級の利益に重点をお いている。法律は原始共同体における掟が階級社会においてその性格を変え たものであり、形式的には全体の利益をはかるものとされてはいても内容的 にはそうではない。マルクスのことばをかりるなら、法律は「見せかけの共 同体」の掟にほかならないのである。


 かろうじて支配者に対する縛りの意味を持っている現憲法も支配者に 恣意的に解釈されたり無視され続けて、いまは破棄されようとしている。 ポチや狆ゾウに喝采している被支配者たちよ、いつ目覚めるのか。
597 唯物論哲学 対 観念論哲学(19)
芸術と宗教
2006年9月4日(月)


 観念論哲学者は、宗教も芸術と同じような空想あるいはフィクションの 世界であることを理解できずに真理のあり方だと解釈する。そして芸術も 宗教も真理であるというところに共通点をがあり、宗教のほうがより高度の 真理だというところに差異があると主張した。

 科学的な唯物論では、芸術も宗教も認識のありかたであり、芸術のフィク ションも宗教のフィクションもフィクションであるというところに共通点 を認める。しかしそのありかたには、高度とか低級とかいうようなランクの違いで はなく、本質的に大きな違いがある。

 例えば小説の登場人物も宗教の神も、現実に存在しない空想の産物だとい う点では変りがない。けれども芸術のフィクションはフィクションであること を自覚して創造する。この創造は表現のための創造であるから、創造した 世界が表現に定着すればもはや用ずみとなる。消滅してさしつかえない。 これは鑑賞者の方も同じです。作品を鑑賞しているときはそのフィ クションの世界をある程度具体的に記憶していなければならないし、事件の 過程や登場人物の動きなどについて忘れたときには前のページをめくってみたり するが、鑑賞が終れはもう用ずみであって、消滅してもさしつかえない。 さらに鑑賞者はフィクションの世界から自由にぬけ出して現実的な自己の立場から そのフィクションの世界をとりあげることもできる。

 これに対して宗教は、そのフィクションをあくまでも「真理」として提出す るのであり、信者もまたこれを真理として受けとり、神が現に存在して自分の運命 を規定しているものと思っている。その「真理」を消滅させるのは「真理」 を放棄することであり許されない。だから信者はフィクションの世界へ入りこみっぱ なしなる。現実的な自己の立場での現実の世界のありかたと観念的な自己の 立場でのフィクションの世界のありかたとを二重化したままつなぎ合せ、つまり自己 を疎外し、この現実の世界の向う側に天国や地獄や神や悪魔が実在するもの、 現実の世界での毎日の生活はそのフィクションの世界とむすびつき相互に規定 されているものと信じている。

 宗教では現実の世界とフィクションの世界とがむすびつけられ、現実の世 界での真理や教訓や社会観や人生観もフィクションの世界のありかたとむす びつけてとりあげられるために、そこにさまざまな逸脱が生れてくる。

 人間がつくり出した道徳や掟も、神にむすびつけられて神の与えた道徳や 掟となり、同じく人間がつくり出した言語表現のための規範も、神にむすび つけられて神の与えた表現能力と解釈されることになる。しかも神という 観念的な創造の対象化は、芸術の場合とちがって、人間から引き裂き取り上 げるかたちで対象化されるから、人間はもはやそれらを失った存在に なってしまう。神が智慧であり道徳であり愛であり、人間はそれらを持たな い存在である。現に人間が持っている智慧や道徳や愛は人間自身がつくり出 したものではなく、神によって与えられたものにすぎない。つまり、神が 万能になるに従って人間は無能になっていく。神が偉大になるに従って人間 はみじめな貧弱なものになっていく。

 反対に人間持っている創造力や精神力を人間そのものに由来するものと 認めれば認めるほど、神の能力は制限されないわけにはいかない。神と人間 とは、この意味で敵対的な関係におかれているといわなければならない。

 芸術における作者の創造した人物が作者の統制の下にあるのとは逆に、宗教 における人間の創造した神は人間をその統制の下におく。人間は自己の観念的 に創造して対象化した存在に支配されるという転倒が行われている。

596 唯物論哲学 対 観念論哲学(18)
宗教的自己疎外
2006年9月3日(日)


 宗教的自己疎外についての詳しい論述を読んでみたい。

(ということで、今回のお手本は『認識と言語の理論第一部・第2章 7「宗教的自己疎外」』です。)

 まず、人類が創り出してきた神々を概観して、自己疎外と言う言葉の理解を 深めておきたい。

 人類がまだ原始的な生活をいとなんでいた頃、自然についての認識には多く の空想が入りこんでいた。そのために太陽・月・火・風・雨などの自然 の事物にはそれぞれをつかさどる神がいると考えた。そして火山・雪崩・洪 水・落雷などの自然力の作用も、超自然的な存在である神の怒りのあらわれで あり、神の意志によって起ったのだと神秘的に解釈された。人間の外部 から人間の生活に影響を及ぼしてくるさまざまな自然の存在を認めながらも、 それらを人間のありかたに擬して、それらの活動を人格化して解釈した。

 生命は神によって授かるのであり、死は死神の訪れによって起るのだという 説明や、男と女とがむすばれるのは縁むすびの神のひき合せによるのだという 説明や、さらには貧しくて不幸な状態や富んで幸福な状態も神の意志によるの だという説明も、ひろく信じられるようになった。

 この自然の事物の擬人化と平行して、人間自身もまた神となっていった。人 間の脳の機能である表象や思惟なども「霊魂」よいう体の中に存在している 特殊な実体の機能と解釈された。そして、人間が死ぬときにはこの「霊魂」が 人間の身体から出ていくと説明された。

 また、夢の中で人びとの姿をながめ、その人びとが生きていたときと同じよ うに行動したり語りかけて来たりするのは、その身体から出ていった「霊魂」 にわれわれの夢の中に入ってくる能力があってわれわれに働きかけてくるから だと説明された。

 そうすると身体から出ていった「霊魂」には、身体の中に存在しているとき よりもさらに神秘的な能力があるということになる。生きているときに偉大な 才能を発揮した人びとの「霊魂」はこの意味で絶大な能力を持つものと考えな ければならなくなる。この人間の外部から人間の生活に影響をおよぼしてくる 人間よりも優越した存在が、神となっていった。

 自然の事物を擬人化するということにしても、これは自然の事物が感情や意 志を持つものすなわち「霊魂」を持っているものとして扱うことにはかならな い。この自然の「霊魂」は人間とのコミュニケーションを可能ならしめるわけ であり、人間の願いを聞いて雨を降らしたり風を止めたりすることができるの だと解釈されたのである。自然の「霊魂」も人間の身体から出ていった「霊 魂」も、このようにしてさまざまな神々となっていった。

 日本の風神や雷神も、ギリシァ神話の神々も、あるいはヨーロッパの伝説に 出てくる木の精や山の精も、すべて人間と同じような外貌を持ち同じような 服装をつけて登場してくる。そしてこれらが「霊魂」のありかたであり、また 人間の身体からも「霊魂」が出ていってこれらと同じ神々になるということ を、ひっくるめて人間の宗教的自己疎外という。それは人間の持っている本 質や機能やすがたかたちが頭の中で観念的に人間からひきさかれ、これらが 空想的に人間の「外部」に持ち出されたということです。

 いまでは風神や雷神を信じる人は皆無だと思う(もしかしているかも?)。 にもかかわらず、同じ自己疎外の産物である「貧しくて不幸な状態や富んで 幸福な状態」を左右する神や仏、あるいは時空を自由自在に行き来する超能 力的「霊魂」を信じる人はいまだに多い。ただただあきれるほかない。

区切り線

 さて、自然宗教から一神教へと宗教が変貌していく筋道を考えてみよう。

 自然の事物を擬人化して創り出された自然宗教の神々はそれぞれ自然の事物 のありかたに規定されて、それぞれ限界を持つことになる。神々はいわばそれ ぞれの縄張りがあって自己の縄張りを超えて能力を発揮するわけにはいかな い。火の神と水の神とは、自然の事物のありかたに規定されて、対立を押しつ けられることにもなる。死神に生命を誕生させる能力はない。

 この自然の事物の擬人化も、個人的なかたちを与えられるだけでなくさらに 社会的なかたちをとり、人間の集団のありかたを空想的に神のありかたに持ち こむことも行われていく。雷神にもやはり女房があり子どももいるというよう に家族のありかたが持ちこまれる。神々に対してそれを支配するもっとも偉大 な大神が存在しているというように、人間の社会の権力者のありかたも持ちこ まれる。

 そして、縄張りに固定されて能力を制限されている多くの神々から、 縄張りを超えて無限の能力を持つ神へと抽象化がすすんでいくと、結局のと ころ宇宙全体を支配下におくところの万能の神という考えかたに落ちつくわ けです。いわゆる一神教です。

 キリスト教この段階の一神教です。しかしこの万能の神にしても、決して孤 独な存在ではない。神の原型である人間が孤独な存在ではなくすべて家族の 一人として存在しているという人間のあり方が、神のありかたにも空想的に 反映する。つまりそこには聖家族が存在する。「三位一体」とよばれる父・ 子・精霊の関係が説かれる。さらに聖母マリアすなわち母が加えられること にもなった。

区切り線

 いまだに生き残っているさまざまな宗教がある。それを信じている人たちの それぞれの宗教との関わり方も一様ではない。宗教に入り込むとき、イデオロギー的に入りこんでそこから生活全体を規定 させていく場合と、生活的・儀式的に入りこんでイデオロギー的にはそれほど 深い関心を持たない場合とがある。

 前者が正しい意味の信者です。しかし、この場合は一つの宗教を信じることが他 の宗教を拒否する方向へとすすんでいく。キリスト教の神を信じるとすれば、 天皇を神として認めよといわれても拒否しなければならない。ある万能の神を 信じる以上、それと異った万能の神の存在を主張する宗教に対しては、イデオ ロギー的に敵対する立場に立つからであり、それは邪教だということになるか らである。

 後者の場合には、儀式に熱心に参加するところからかたちの上では熱烈な信 者に見えても、イデオロギー的に入りこんでいないために、その宗教の教理に 忠実に行動するとは限らない。また、他の宗教を特別に邪教だとも思わない。 家では毎朝仏壇をおがみ、自家用車には成田山のお札をはって交通事故の起ら ぬよう祈りながら、結婚式のときは教会でキリスト教の神の前に誓いを立て、 新婚旅行では神宮に参拝するというような宗教生活も、現実に行われている。 教理的に相いれない二種類以上の神々を、事実上認めているわけである。日本 人の宗教生活は、このような重層信仰において特徴的である。

595 唯物論哲学 対 観念論哲学(17)
観念論哲学と宗教の共通性
2006年9月2日(土)


俗流唯物論の認識論がカント主義の認識論にとって代わられた後、ヘーゲルが カントの認識論を鋭く批判しる。

 『大論理学』は、概念について次のように述べている。

「むしろ抽象する思惟は、単なる現象としての感性的素材を本質的なものに 止揚し還元するものであり、本質的なものは概念のうちでのみ自己を顕現す るのである。」

 ヘーゲルは観念論者だけれども、この論述はむしろ唯物論の認識論に近い。 ヘーゲルはさらに「判断における繋辞の本性」について、「主語について、 個別的なものは同様にまた個別的なものではなくて普遍的なものであると陳述 する」と述べている。三浦さんはヘーゲルのこの論述を次のように解説して いる。

 たとえば、「富士は山である」というときに、「富士」とよばれるのはそれ 自体個別的な存在であると同時に個別的ではなく普遍的な「山」とよばれる種 類の存在の一つでもあるということを、「である」という判断において表現し ているのである。

 言語はこのように、対象の事物の構造についての概念と判断を示すもので あって、言語が現実の世界を形成し言語が現象の性質をつくり出しているの ではない。ヘーゲルはさすがに唯名論的な発想にふみはずした現代の言語学 者のようなオッチョコチョイとちがって、さまざまな分野でその偉大な思想 家であることを示していた。


 18世紀の俗流唯物論の立場からする宗教批判はいわば「神などを認めるのは ナンセソスだ」というような宗教否認であった。これは結論としては正当で あっても宗教の形成される過程をなんら明かにすることがなく、真の宗教批判 とはなり得なかった。

 宗教的な精神活動のさまざまなあらわれを理論的に克服する論考は19世紀 の唯物論哲学者フォイエルバッハによってなされた。フォイエルバッハの宗教 批判は、宗教を形成する人間の能動的な精神活動に立入って検討している。 宗教批判は新しい段階へと進展した。

 フォイエルバッハは、思惟、表象、想像の中にのみ存在するものを 観念的に分離し対象化して、思惟、表象、想像の外に存在するものとして扱 うことができるという人間の能動的な精神活動すなわち自己疎外の過程を 解明した。

 彼(フォイエルバッハ)は『キリスト教の本質』と『哲学的改革のための 予備的テーゼ』において、神の木質を明かにするとともに神学とヘーゲル哲 学の共通性を指摘するのである。

「人間は自己の本質を対象化し、そしてつぎにふたたび自己を、このように 主体や人格へと転化され対象化された本質の対象とする。これが宗教の秘密 である。」

「神とは人間のもっとも主体的でもっとも固有の本質が分離され抽出された ものである。したがって人間は自分自身からは行為しえない。したがって、 すべての善は神から来る。神が主体的・人間的であればあるほど、人間はそ れだけますます多く自分の主体性と人間性とを外化する。なぜならば、神 そのものは人間の自己が疎外されたものだからである。」

「神学における本質は、超越的な、人間の外部に定立された人間の本質であ る。ヘーゲル論理学の本質は、超越的な、人間の外部に定立された人間の思 惟である。」

 フォイエルバッハはこのように、唯物論の立場に立って人間の能動的な精神 活動をとりあげ、神学およびヘーゲル哲学の論理構造を解明したのであるか ら、精神のちからによって現実の世界が形成されたとする観念論者に対して も、それならば無から世界が創造されたことになると嘲笑する。

「なぜなら、精神は無より以外のどこから物質的、物体的素材をとってくるの か?」

というわけである。そして、

「事物はそれが存在するから思惟されるのではなくて、思惟されるから存在す るのだと主張することを恥としないならば、……事物が存在するから言語があ るのではなくて、事物は言語のゆえにのみ存在するのだと主張することをも恥 としてはならない。」(『宗教の本質に関する講義』)

と観念論者の言語論をも嘲笑する。


 フォイエルバッハをうけてさらにマルクスは、宗教の批判を「一切の批判の 第一の条件」であるとした。

 現実の社会、現実の国家は、逆立ちした世界であるために、逆立ちした世界 意識である宗教はその道徳的承認でありその補完物として、維持され再生産さ れている。宗教の批判は現実の世界の批判・変革につながる。

「キリスト教は、ユダヤ教の崇高な思想であり、ユダヤ教はキリスト教の卑俗 な適用である。しかし、この適用が一般的なものとなることができたのは、た だ、キリスト教が完成した宗教として、自分自身および自然からの人間の自己 疎外を理論的に完成してしまってからのことであった。そうなってはじめて、 ユダヤ教は一般的支配の地位に達し、そして外化された人間と外化された自然 とを、譲渡しうる・売却しうる・商品、利己的な欲求に屈従し・きたない商売 の食いものになる・商品にすることができたのである。」(『ユダヤ人問題に ついて』)

 宗教と同じ観念的な自己疎外が法律その他のイデオロギーにおいて、さらに は現実的な自己疎外が経済生活において存在している。宗教の論理はこれらに 通じる。

「宗教の批判は、したがって、宗教を後光とするこの苦界の批判をはらんでい る。……宗教の批判は、人間の迷いをさまさせるが、それは、人間が目覚め た・正気にもどった・人間として、思惟し、行動し、自己の現実を形成する ためである。」(『ヘーゲル法哲学批判序説』)

 われわれが言語をめぐって論争している学者に向って、「一切の批判の第一 の条件」は宗教の批判なのだがあなたには宗教を正しく批判する能力がある か、と質問したなら、おそらくけげんな顔をされることであろう。マルクス 主義者と名のっている学者にしても、おそらく同じであろう。けれども多くの マルクス主義者が、言語についての科学的な理論をつくり出すことのできな かった重要な原因の一つは、ここにあったのである。

 宗教の幻想と芸術言語の幻想とが、法律とよばれる規範と言語における規 範とが、人間を支配し疎外をおしすすめているか人間の支配下にあるかのち がいはあっても、同じく能動的な精神活動の所産でありそれなりに共通した 構造を持っていることを予想して、フォイエルバッハからマルクスへの理論 の発展を理解しながら、それをふまえて解明をすすめようとはしなかったの である。

594 唯物論哲学 対 観念論哲学(16)
宗教論と言語論(3)
2006年9月1日(金)


 科学的な唯物論にもとづいた言語論に対して観念論にもとづいた言語論では 概念を対象の反映と理解することを拒否している。しかし、人間が概念を持つ という事実は否定しない。では概念が現実の世界の反映として成立することを 認めないならば、一体概念はどこから生まれてくるのか。何か別の説明を必 要となるが、観念論ではどう説明するのだろうか。

 人間が生れつき持っている能力の発動によって頭の中に出現してくるのだと か、宇宙のどこかに存在する概念が何らかの経過をとって人間の頭の中にしの びこんでくるのだとか、このような見解になるほかない。

 例えばカント主義者のカッシラー『言語と神話』より。

「ものを心に描いてみる機能つまり概念的な開化の夜明けというものは、現実 的にはけっして事物そのものからは引き出されるものではないし、またその客 観的内容上の性質を通して理解されうるものでもない。」

 「……知的形式の内容、意味およびその真実性を、そのなかに再現されると 想定される、その本質とは無関係なものによって評価するのでなくて、われわ れはそうした形式そのもののなかに、その真実性と内在的意味とについての評 価と規準とを見出さなければならないのだ。われわれはそうした形式を、なに か別のものの単なる模写と考えるののでなくて、そうした精神的形式のひとつ ひとつのなかに自発的な発生法則を見てとらなければならない。つまり最初は 実在的なものの固定的なカテゴリーのなかに与えられたものの単なる記録とい ったもの以上の、独創的方法と傾向とをもった表現形式をみてとらなければな らない。この観点からみれば、神話と芸術と言語および科学とは、シンボルに なってくる。しかもそれは、暗示および比喩的な表現手段によって、ある与え られた現実に関連するたんなる表象としての意味ではなく、そのひとつひとつ が固有の世界を形成し位置づける精神的なちからという意味においてである。 これら一連の領域において人間の精神は、いかなる『現実』もいかなる有機的 で明確な存在もまさにそれによってのみ存在しているあの内的に決定されてゆ く弁証法のなかに、はっきりと自らを提示しているのだ。したがってこの特殊 の象徴形式は、現実の模倣ではなくて、その器官なのだ。なぜなら、いかなる 現実的なものも知的理解の対象となり、われわれにとってはっきり目に見える ようなものになるのは、まさにそうした形式のちからによる以外にはないから である。どのような現実がこのような形式から分離しており、またその固有の 属性がどんなものであるかという問題は、いまここでは関係のない議論である。 人間の精神にとって、はっきりした形式をもっているもののみが目に見えるも のであるが、実在のあらゆる形式の根元は、その独特のものの観方、ある知的 な公式化と意味の直観に根ざしている。」

 現にカッシラーにしても、人間の精神活動のありかたについてはカントの解 釈に依存しながら、彼のいうところの「象徴形式」それ自体を世界の創造者だ と解釈するところに進んだのであった。

 神話の世界が「精神的なちから」によって形成されたということは、「キン グコング」や「ゴジラ」の活躍する世界が映画脚本家の「精神的なちから」に よって形成されたのと同じように、よろこんで承認しよう。しかしわれわれ は、ここから現実にアフリカに生きている「ゴリラ」や南氷洋で泳いでいる 「クジラ」などを、同じように誰かの「精神的なちから」によって形成された とは考えない。

 神話もルポルタージュも科学も同じように言語で表現されるという、表現形 式の共通性から、これらをすべて同じような性質の世界を扱っているものと解 釈し、「実在のあらゆる形式の根元」を「精神的形式」の中の「発生法則」か らひき出そうとするところに、カッシラーの特徴がある。「どの象徴形式も、 最初から分離し独立して認められるような形式として生じるのではなく、その ひとつひとつが最初が神話という共通の母体から発生しているにちがいないの だ」と、形式上の連続性からすべてをいっしょくたにし、共通した「本質的に その進化に関係を持っている一つの法則」の存在をでっちあげるところに、カ ッシラーの形式主義の特徴がある。


 宗教と哲学を調和させたり、神話と科学をいっしょくたに扱ったりするのは、 観念論に共通した発想です。
 観念論の言語論はカッシラーにみられるような形式主義的な発想ばかりでは ない。神話も科学も人間の頭脳の機能を媒介として成立し、これらは一つの世 界として扱われ役立てられる機能を持っているが、この機能における共通点か ら本質的に共通した存在と見る発想もある。それは機能を本質と混同する機能 主義です。

 さらに、言語それ自体に、「固有の世界を形成し位置づける精神的なちか ら」が存在するものと考えるならば、それは日本でも古代からとなえられて 来た言霊(ことだま)説と本質的に同一の発想である。すなわち言語の物神 化である。

 宗教が神をつくり出すときは、それに命名することを必要とするけれども、 この神の概念を表現する言語もこれまた物神化されてしまって、この言語表 現には神と同じような能力があるかのように解釈されたのである。日本でも、 いまもって、神の名を記した紙切れを持っていれば、身を保護し災厄を防ぐ ことができるという、「おまもりふだ」がつくられている。この「おまもり ふだ」は神聖なもので、粗末に扱ったり汚したりすれば罰を受けるといわ れて来た。

 忌詞(いみことば)といわれるものは、不吉なことを口にするならばその 言語の霊力によってそれが実現するという、言霊説にもとづいて忌避されそ れに代えて用いられた表現である。これもいまもって水商売に従事する人び との一部に信じられていて、「すりばち」と表現すると「する」すなわち損 失をまねくことになるから、反対に「当る」すなわち利益をもたらす意味の 「当りばち」と表現する。結婚の式場では、「帰る」といわないで「お開 き」というのも同じである。しかしながら、一般の人びとはもはや言語の霊 力に対する信仰を持たなくなっていて、忌詞も合理的に扱われている。結婚 式では「帰る」のような不吉なことばを口にすると、関係者たちが不吉なこ とを連想して不愉快になるから、そうした失礼のないようにエチケットとし て口にすることを避けようという発想に変っている。

 神話も芸術も科学も言語も、その創造に共通しているのは何かといえば、 それは人間の能動的な精神活動である。これらの解明にはこの精神活動の解 明が不可欠である。われわれが現実の世界について、知るだけでなく理解し ようと欲するならば、能動的な精神活動をしなければならないし、そこから 神話や芸術や科学や言語を創造する能力も育てられるのであって、生れつき の能力ではない。

 毎朝東から大陽が昇って夕方西に沈んでいくことは、誰でも知っているが、 それが毎日別のものが昇ってくるのかそれとも同じものが昇ってくるのか、 同じものだとするならどのようにして西から東へ移動していくのか、これら を理解するには直接目に見えない太陽系のありかたを頭の中に能動的に描きあ げる必要がある。そして太陽をわれわれに光と熱を与えてくれる神の化身だと か、神が動かしているのだと解釈するなら、そこに神話が誕生してくる。

 雨が降ったり晴天になったりすることは、誰でも知っているが、晴天だったのが 空が曇ってそれから雨が降りだしてくるのはどうしてかを理解するには、や はり直接見ることのできない雨のしずくの成長過程を頭の中に能動的に描き あげる必要がある。雲の上に神が存在して、その活動で雨が降ったり止んだ りするのだと解釈するならば、晴天が続いて農作物が枯れかかっているの で何としても雨が欲しいという場合にも、神に雨を降らせてくれるよう祈 願することになる。

 何かわからない原因で疫病が流行し、多くの人びとが死ぬようなときにも、 なぜそんなことが起るのかその原因を頭の中に能動的に描きあげ、それが悪 魔のしわざだと解釈するならば、その悪魔を追払って疫病の原因を除いてく れるように神に祈祷することにもなろう。

 人間は生活の実践の必要から、現実の世界をひろく深く理解するための能 動的な精神活動を行わなければならないし、そこから宗教的幻想を正しい認識 と思いこむことも起れば、科学的理論をつくりあげることもできるわけであっ て、現実の世界に対する人間の認識の関係、その客観的な矛盾の発展のなかで 能動的な精神活動の所産をとりあげることが求められている。

 それにもかかわらず俗流唯物論の模写説すなわち俗流反映論は、この能動的 な精神活動を正しく説明できなかったことから、カント主義すなわちアプリオ リに能動的な精神活動の所産を解釈する哲学がそれに代ってもてはやされるこ とにもなった。