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539 新新宗教批判(6)
道徳宗教
2006年6月30日(金)


 宗教の信仰者たちは私にはバカバカしいとしか思えないような教祖の描く 世界図式や天地創造説を本当に信じているのだろうか、多くの信者はその 辺のことは本当はどうでもよいよ思っているのではないかという疑問がいつも 残る。
 天理教の場合、その教義のキーワード「陽気ぐらし」「出直し」「いんねん」 「もらいうけ」などに信者一人一人がそれぞれの人生に裏打ちされた違った思 い込みをこめることによってその信仰が成り立っているのではないか。そして 実際の生活おいては次のような通俗的な道徳説教をよりどころにしているだけ のように思える。

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 人は、何事も自分の勝手になるものと思い、とかく、自分一人の苦楽や利害に とらわれがちになります。このような自己中心的な心づかいは本人にとっては都 合がいいかもしれませんが、まわりの人々、また世の中の迷惑、苦悩の原因とな ります。人間は、兄弟のように仲良く助け合って暮らすのが本来の姿ですから、 私たちお互いは自己中心的な心づかいを慎むようにしなくてはなりません。親神 は、このような心づかいを、「ほこり」にたとえて諭されています。

 「ほこり」は、吹けば飛ぶほど些細なものです。早めに掃除さえすれば、たや すくキレイに払えますが、油断をすれば、いつしか、うずだかく積りかさなり、 遂には、シミのようにこびりつき、掃いても拭いても、取り除きにくくなるもの でもあります。  心づかいも同じです。ちょっとちょっとの「ほこり」の心づかいが知らない 間に心の習慣、つまりくせ、性分になってしまうのです。こうなる前に日頃から 慎んだ心づかいを心掛けることが大切なのです。

 「ほこり」の心づかいを反省する目安として、をしい、ほしい、にくい、かわ い、うらみ、はらだち、よく、こうまんの八種を挙げられています。又、うそと ついしよ(心にもないおべっかいをつかうこと)も「ほこり」になります。

おしい
人のために心をつかったり、体を使うこと惜しむ心づかい。物を貸したり、お金 を払うことを惜しいと思い、また、手助けをするための労を惜しむなど、すべて に出し惜しみ、骨惜しみすること。
ほしい
必要なものは与えられているのに、満足しないで、もっとほしいと思う心づか い。人が持っているものを見てはほしいと思い、働かないのに見返りをもとめ たがり、むやみにほしがること。
にくい
理由もないのに、自分の気に入らないからといって人を嫌ったり、相手に過ち があった、失礼だといっては人をにくんだり、すべてに自分のわがまま・気ま まから人をにくむ心づかい。
かわい
かたよった愛情をもったり、自分さえよければ他人はどうでもよいと思う心づ かい。分けへだてをして、特別 な人だけに親切にしたり、自分やわが子、わが 家のことばかり考える利己心。
うらみ
じゃまされたといって人をうらみ、不親切だといって人をうらむ。自分の努力 が足らないことを反省しないで相手をうらむこと。また、他人の幸福をねたむ 心づかい。
はらだち
人が、気に入らぬことを言ったといって腹を立て、おもしろくないからといっ て、つまらないことに腹を立てる心づかい。広く大きな心をもたず、人を許せ ることのない気短な心。
よく
自分中心で、なんでも自分のものとしようとする心づかい。人の目をだまして も、取れるだけ取りたい、無理なもうけを得たいなどと、あるが上にもいくら でも取りこむような心づかい。
こうまん
知らないことも知っているふりをしたり、自分は人よりも偉いいとうぬ ぼれ たり、自分の意見はどんなことがあっても通すが人の意見はきかず、人の欠点 をあばこうとしたりする心づかい。

その他に 「うそ」と「ついしょ」というほこりの心づかいがあります。とも に慎まなければなりません。
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 だれもが実生活のさまざまな場面において心の中で決断したり恥じたり居直ったり しながら格闘している徳目ではある。しかし、現実の悲惨な生活に目をつぶる ことによって「陽気暮らし」が呼び寄せられたように、現実の社会的経済的諸 関係のまがまがしい実態に目をつぶることによってしかこのような徳目の ご託宣はなしえない。
 このような宗教を「道徳宗教」と呼ぶとすれば、もう一つの典型的なタイプ は「世直し宗教」と言えよう。

 論考「新興宗教について」の結語部分で、吉本さん次のように書いている。

 新興宗教(土俗宗教)とよびうるものは、じつさいに教祖の数だけある。別言 すれば、入眠体験を宗教化しえた<女性>の数だけあるはずだが、そこにおのず から教義としての高低と強弱があるのは、その教祖たる<女性>の入眠体験に、 どれだけの生活思想的な根拠が存在するかに左右されるといってよい。これは、 あらゆる宗教が、教祖の創りあげた馬鹿らしい神話と教義に理論的な意味をあた えたにすぎないか、あるいは大和教(天皇制)のように現実社会の政治的支配 に乗りだして成功したかに依存しているとしても、それとは無関係な本質的な 問題であるといっていい。

(中略)

 あらゆる宗教ははじめに荒唐無稽である。あらゆる国家が、はじめに荒唐無稽 であるように。しかしこの荒唐無稽さは、いつも信仰者の恣意 的な解釈をゆるすようなあいまい(ヽヽヽヽ)さと多 義性をもっている。そしてこのあいまい(ヽヽヽヽ) さと多義性によって、宗教や国家はいつも知的な理念を附与することができる 伸縮自在な容器に転化するといっていい。大はヘーゲルのような優れた哲学者か ら、小はどこにでもころがっている亜インテリにいたるまで、この容器にいわば 美酒を盛りこもうと志向することができることは確かである。しかし、宗教や国 家はヘーゲルが試みたように、一般理念のひとつの形態というところまで普遍化 して理解しえないかぎり、いつも猛毒と蒙昧を含むよりほかない。このばあいに は、宗教や国家はその創始者(たち)の生活思想の質と、現実の政治的あるいは 制度的権力としての質が問われる。教祖や創始者たちの生理学的な病状よりも、 思想としての本質がものを言うのはこのかぎりにおいてである。

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538 新新宗教批判(5)
天地創造説の比較・天理教と記紀
2006年6月29日(木)


 古事記を原文(古語)で読むとなにやら神秘めいた雰囲気になるが、口語に 翻訳すれば天理教の教義と同じレベルで見比べられる。と思ったからかどうか 分からないが、吉本さんは古事記の天地創造説を武田祐吉訳から引用している。

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 皆、この世界の一番始めの時に、天で御出現になった神様は、お名をアメノミ ナカヌシの神といいました。次の神様はヌカミムスビの神、次の神様はカムムス ビの神、この御三方は皆お独で御出現になって、やがて形をお隠しなさいまし た。

 次に国ができたてで水に浮いた脂のようであり、水母のようにふわふわ漂って いる時に、沢の中から葦が芽を出して来るような勢いの物によって御出現になっ た神様は、ウマシアシカビヒコヂの神といい、次にアメノトコタチの神といいま した。この方々も皆お独で御出現になって形をお隠しになりました。

 以上の五神は、特別の天の神様です。

(中略)

 そこで天の神様の仰せで、イザナギの命、イザナミの命御二方に、「この漂っ ている国を整えてしっかりと作り固めよ」とて、りっばな矛をお授けになって仰 せつけられました。そこでこの御二方の神様は天からの階段にお立ちになって、 その矛をさしおろして下の世界をかき廻され、海水を音を立ててかき過して引き あげられた時に、矛の先から滴る海水が、積って島となりました。これがオノコ ロ島です。その島にお降りになって、大きな柱を立て、大きな御殿をお建てにな りました。
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 チョッと横道に入る。前回、「記紀の天地創造説から縄文国家から弥生国家への 歴史的推移の反映を抽出できる」と書いた。これは古田武彦さんの神話読解を念 頭に置いたことだった。そのあらましは次のようである。

出雲風土記の「国引き神話」
『童女(おとめ)の胸すき取らして、大魚のきだ衝き別けて、はたすすき穂振り 別けて、三身(みつみ)の綱うち挂(か)けて、霜黒葛(しもつづら)くるやく るやに、河船のもそろもそろに、国来々々(くにこくにこ)と引き来(き)縫へ る国は……』(「すき」は「金+且」という漢字)

 記紀の「矛」(金属製)を用いた「国生み神話」と出雲風土記の「すき(木製) と綱」を用いた「国引き神話」を比べると、後者は縄文時代の神話で前者は弥生 時代の新作神話であることは明らかだ。この二つの国生み神話を結びつける神話が 「国ゆずり」神話である。ただし実際は「譲渡」ではなく「強奪」だったことを 論証した上で古田さんは次のように述べる。

 最初の記紀神話の聴衆、それは筑紫の弥生期中葉の人々だったであろう。彼等 にとっての常識は、〝出雲大神中心の神話″だった。これに対して〝天照大神 は、配下の一神″これもまた常識だったのである(もちろん、当時これを 「神話」と呼んではいなかったであろう。叙事詩であり、「語り」であったであ ろう)。

 この常識に対して、「新作」の神話が説かれた。―記紀神話だ。
 〝今まではそうだった。しかし、これからはちがう。これまで家来だった天照 大神は、主人になったのだ。最高神の位置にとって代ったのだ。その証拠に「国 ゆずり」を大国主たちは承知した。そして現に「天孫」の子孫たるわたしたち が、お前たちを支配しているではないか″と。

 武力による権力奪取という既成事実を、「神話」(語りごと)の形で合理化し、 民衆説得の用具とする。然り、神話は筑紫の弥生権力者たちにとって、〝権力 正統化のために不可欠なP・Rの手段″として、まさに創作されたのであった。 (「風土記にいた卑弥呼」より)


 以上は「372 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(26)「神代紀」の解 読(3) ― 「大八州」はどこか 2005年8月25日(木)」の補足でした。

 さて、中山みきの「天地創造説」と古事記の「天地創造説」を比べて吉本さ んは次のように論述している。

 もっとも興味深いこの二つの創造神話の差異は、天理教の創造神話が<人間 創造>神話であるのに、大和教(天皇制)の創造神話が<国土創造>神話であ ることである。またもうひとつの差異は、天理教の創造神話が、なぜか中山み きによって魚類(水棲類)の比喩によって貫徹されていることである。もちろ ん、天理教の神話から後世の垂加的な神道の影響と、『古事記』のような制度 的な支配の行為がなされていないという点を捨象することを前提としたうえの ことである。

 「どぢよ」という中山みきの比喩は、田圃に生棲し、おそらく古くから食用 に供されたにちがいないことから、その必然性を了解することができるが、そ れからあと芋づる式に魚類(水棲類)の比喩ばかりがやってくるのは、天理 教の発生が奈良盆地の山辺郡というもともと海にそれほどかかわりない大和王 朝の地盤にあることをかんがえると不可解な気がする。中山みきには個人とし て特殊にそういう嗜向があったのかもしれない。これを天理教神話が<性神> 信仰の段階にあることとかんがえあわせると、教義的な時間性がしめしている ものは、大和教(天皇制)よりも古く、また土俗的であることが了解される。

 そして、また、天理教にとって<国生み>の神話は無意味であった。かれら にはもともと国土支配の現実的な意企はなく、<性>信仰に基盤をおいて、農 耕社会の貧困な人間の心的な世界を救済しようとする意企しかなかったからで ある。中山みきにとってもっとも重要な緊急な問題(急き込み)は、天理神の 概念に包摂され、現実的な無一物の状態でもなお成立する<陽気ぐらし>、い いかえれば宗教的な解放天国(法悦)の生活であった。そのための条件として 宗教的な奉仕と一定の勤行が要求される。信仰の対象となる神は人間の<性> (生殖)そのものであり、この<性>(生殖)の意味は農耕とも結びつけられ、 また、つねに宗教的対象(神)とそれを具体的に実現するものとしての人間と のあいだの<架橋>物としての宗教的な意味があたえられる。

 大和教(天皇制)が現実的な勢力をもちえたのは、それが制度的なものと結 びつけられ、政治的な権力への<架橋>がいつもかなり具体的にかんがえられ たためである。しかし天理教が現実に大きな宗教として発展した理由はまった くちがっている。この宗教には本質的な意味での政治的権力への志向はないと いっていい。ただ教祖中山みきには、かなり高度で深刻な生活思想があり、そ の発言(おふでさき)に普遍的な思想体験としての一般的な真理が、かなり高 度に存在している。いいかえれば、中山みきの発言は無智な農家の主婦によく あるよたよたした方言と神憑り的な韻文によってなされてはいるが、生活思想 としてはかなり高度なものがあり、しかも、その発言が、常人ではとても及ば ない無鉄砲な徹底した自己放棄と生活放棄に実践的に裏付けられているため、 おおきな影響力をもっているといっていい。


 数日前に我が家の郵便受けに天理教の「教祖120年祭 こどもおじばがえり」 というチラシが入っていた。幼児が喜びそうなかわいいイラスト入りのきれい なチラシだ。「こどもおじばがえり」という行事は毎年行われており、対象は 幼児から中学生までで、毎回約30万人の子どもが参加しているという。正面切った 宗教教育をしているわけではなさそうだが、幼児期から宗教を身近なものに して、物心つく頃に違和なく宗教に入っていける素地を作っておこうというわ けだろう。
 幼稚園から大学まで宗教団体を母体とする教育施設は相当の数になる。 教育基本法改悪を目論む連中が宗教教育の項目を盛り込むことも企てているが、 もう十分宗教教育は盛んじゃないか。
 いや、公立学校では天皇教教育をしようというのが連中の意図なのだった。 しかしそのもくろみが私立校に及ばない保証はない。そのとき各宗教は「天皇教」 にどう対処するだろうか。折り合うのか、抵抗するのか。大日本帝国時代と同 じ問題がむしかえされることになる。ここでも「2度目は喜劇」という悲劇が 演ぜられることが危惧される。
537 新新宗教批判(4)
天理教の教義
2006年6月28日(水)


 天理教の教祖中山みきが神憑りになったのは天保9年41歳のときであった。 そのときの入眠幻聴は教義書の記載では「我は元の神、実の神である。この 屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みき を神のやしろに貰い受けたい。」というものであった。もちろん、これはとと のえられた表現で、じつさいは土俗宗教に特有な<女性>の降神体験の幻聴の、 しどろもどろな表現であったにちがいない。
中山みきの入眠体験から演繹された宗教的な本質とその段階は、みきが<親神> とした天理神の性格づけと、天地創造神話によってとらえることができる。

 まず第1点目の『天理神の性格づけ』をしている教義は教団では「人間を生か し育てる10の守護」と呼んでいる。教団はその意義を次のように述べている。

「この世は、親神の身体であつて、世界は、その隅々にいたるまで、親神の恵に 充ちています。そして、その恵は、有りとあらゆるものの生命の源であり、すべ ての現象の元なのです。つまり、私たちの命はいうに及ばず、天地自然の間に行 われる法則、人間社会における秩序など、ことごとく、親神の守護によるので す。その守護の理は、これに、神名を配して、説きわけられています。」

 そして親神=天理神(天理王命)の成り立ちを次のように説明している。

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[十全の守護]

くにとこたちのみこと
  北・人間身の内の目うるおい、世界では水の守護の理

をもたりのみこと
  南・人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理

くにさづちのみこと
  南東・人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理

つきよみのみこと
  北西・人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の 理

くもよみのみこと
  東・人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理

かしこねのみこと
  南西・人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理

たいしょくてんのみこと
  北東・出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では 切ること一切の守護の理

をふとのべのみこと   西・出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の 理

いざなぎのみこと
  中南・男雛形―種の理

いざなみのみこと
  中北・女雛形―苗代の理
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 これに対する吉本さんの分析を要約する

 「空間的方位概念―人間の身体性―世界の総和概念」という対応づけをしている 点は「垂加的な神道理念の影響」であるが、その点を除くと、天理神の概念は、 <性神>の概念と<農耕神>の概念とを結びつけたものである。そしてここで 示されている時間性は、農耕社会の起源の時期まで遡行できるもので、この段階 では制度的には国家以前の<国家>、いわば血族の共同性を基盤とする集落国家 しか想定することはできない。

 大和王権(天皇制)の宗教的な教義書として『古事記』を読んで比べると、 古事記には<農耕神>の概念はあるが<性神>信仰の概念は想定することがで きない。つまり時間性としては、中山みきがしめしている天理神の方が時間性と しては古い段階にある。
 従って天理教をはじめ、あらゆる新興宗教(土俗宗教の教義的な本質は大和王 権(天皇制)のもつ宗教的本質と同質であるが、ぎりぎりのところでは根本的に 対立するほかはない。一方は一方を否定することによってしか存立しえない本質 をもっているといえる。

 当然、天理教の天地創造神話は『古事記』に記載された天地創造神話と異って いる。天理教の天地創造神話はつぎのようである。

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 この世の元初まりは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気 なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと 思いつかれた。

 そこで、どろ海中を見澄されると、沢山のどぢよの中に、うをとみとが混じっ ている。夫婦の雛型にしようと、先ずこれを引き寄せ、その一すじ心なるを見澄 ました上、最初に産みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある 元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受け られた。

 続いて、乾の方からしやちを、巽の方からかめを呼び寄せ、これ又、承知をさ せて貰い受け、食べてその心味を試し、その性を見定めて、これ等を男一の道具、 及び、骨つっぱりの道具、又、女一の道具、及び、皮つなぎの道具とし、夫々を うをとみとに仕込み、男、女の雛型と定められた。
 いざなぎのみこと いざなみのみこととは、この男雛型・種、女雛型・苗代の 理に授けられた神名であり、月よみのみこと くにさづちのみこととは、夫々、 この道具の理に授けられた神名である。

 更に、東の方からうなぎを、坤の方からかれいを、西の方からくろぐつなを、 艮の方からふぐを、次々と引き寄せ、これにもまた、承知をさせて貰い受け、 食べてその心味を試された。そして夫々、飲み食い出入り、息吹き分け、引き 出し、切る道具と定め、その理に、くもよみのみこと かしこねのみこと、を ふとのべのみこと たいしょく天のみこととの神名を授けられた。

  かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなっ た。 そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、こ れを人間のたねとされた。 そして、月様は、いざなぎのみことの体内に、日様 は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の 間に、九億九万九千九百九十九人の子数を、いざなみのみことの胎内に宿し込ま れた。

 それから、いざなみのみことは、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日 かかって、子数のすべてを産みおろされた。
 最初に産みおろされたものは、一様に五分であったが、五分五分と成人して、 九十九年経って三寸になった時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみこと も、身を隠された。
 しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を 宿し込み、十月経って、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、 九十九年経って三寸五分まで成人して、皆出直した。
 そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十 九年経って四寸まで成人した。その時、母親なるいざなみのみことは、「これま でに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、にっこり笑う て身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた。

 その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆 出直し、最後にめざるが一匹だけ残った。この胎に、男五人女五人の十人ずつの 人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になった時、親神の守護に よって、どろ海の中に高低が出来かけ、一尺八寸に成人した時、海山も天地も日 月も、漸く区別 出来るように、かたまりかけてきた。

 そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人 ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようにな った。
 次いで、五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活を するようになった。
 この間、九億九万年は水中の住居、六千年は知恵の仕込み、三千九百九十九年 は文字の仕込みと仰せられる 。
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 バカバカしくて読んでいられないぜ、と言いたくなるが、信者にとっては 「真理」以外のなにものでもないのだろう。教団はこれを「この世の元初まりの真実 話」と御託宣している。
 記紀の天地創造説には縄文国家から弥生国家への歴史的推移の反映を抽出 できるという史料的意味がある。しかし史料的意味を離れれば、その天地創造 説のバカバカしさは中山みきの天地創造説となんら変わりがない。いや、どの 宗教の天地創造説も私にはバカバカしい。

536 新新宗教批判(3)
宗教的な心的体験の例・夢と入眠幻覚
2006年6月27日(火)


 吉本さんは、田中佐和という<女性>の著書『夢の事典』から、「じぶんの超能力の由来につ いて」のべている個所を引用している。新興宗教や新新宗教の教祖たちの心的体験を 読み解くための練習問題として、吉本さんの解説とともにそのまま引用する。

(夢の記述)
『 私は六歳の頃、生涯を通じて忘れることのできない夢を見ました。

 私は近くの神社の境内で、友だちと遊んでいました。
 そこへ、鼻の高い異様な服装をした人がやってきて、木の葉でつくったウチワ で私をさし招くのです。友だちはこわがって皆逃げだし、私一人がとり残されて しまいました。
 すると、その異様な人物は、つかつかと私に近づくと、『神様が呼んでいる』 というがはやいか、私を背負って、たいへんな勢いで走りだしました。
 気がつくと私は、深い山の中の大木の下に坐らせられていました。私をそこに 連れてきた怪人の姿はすでになく、大木の茂みの間に高い石段がみえます。その 石段の上には、白い衣をまとった女の人が、にこやかな笑みを浮べてたたずみ、 私を手招きしておられます。
 私がこわごわ立って、その女の人のそばへいきますと、その人は『よくきた ね』と私の頭を撫でられ、『これから五回、このお山に登ってくるのですよ』と いわれると、私の手に、金色に輝く珠をのせてくださいました。

 そこで私は目がさめたのです。さめてから後も、しばらくは自分の掌をひろげ てみつめるほど、その金色の珠の感触が、ありありと残っているのでした。

 その朝、私が父や母にその夢の話をしたところ、女の神様をお祀りしてある高い山といえば、京都の愛宕山に違 いないということになりました。
 愛宕神社の御祭神は伊邪那美命で、道案内をしてくれた怪人は、天狗さんだと いうことです。』

(入眠幻覚あるいは白日夢の記述)
『 その後、私は夢の神様の仰せに従って、小学校一年の夏休みを利用し、ある ときは父と、あるときは母と、海抜1000メートルの愛宕山へお参りしました。
 それはまったく夢でみたとおりに、大木の茂みのなかに高い石段があり、その うえに、神様がお祀りしてあるお社(やしろ)でした。  その昔、和気清麻呂が、京都御所鎮護のために造営したお宮で、火の神様とし て名高い霊場です。

 いよいよ得望の五回目の参詣のときです。母といっしょに愛宕山の麓に立った 私は、目の前に一頭の猪がいるのに気づきました。母にそのことを告げました が、その姿は母の肉眼には見えません。
 〝私だけに視える″これが私の霊視のはじまりです。
 そして、私が山を登りかけますと、猪は私のうしろにまわって、キバでぐんぐ ん押しあげてくれるのです。私は、いつもなら三時間もかかるけわしい山道を、 一と息で登ってしまいました。

 あとで聞いたことですが、その猪は、愛宕の神様のお使いでした。伊勢の神様 は鶏、春日の神様は鹿、稲荷の神様は狐というように、神々にはそれぞれのお 使いがあります。あの猪は、愛宕の神様のおいいつけによって、私の満願の日の 参詣をたすけてくれたのでしょう。
 その日を境に、私には霊能が開け、透視、霊視、霊聴などの心霊現象が始まり、 神様のお告げを受けることができるようになりました。』

 この記述について、吉本さんは次のようにコメントしている。

 これは幼なくかなり素直な記述であるが、かくべつ本人が嘘をついているわけ ではないといっていい。

 前半のこの夢の話は、巫女譚として民話や口承のなかにしきりに記録されてい るものとおなじで、かくべつ変ったところはない。そして夢にみた神社の光景が、あと でじっさいに参詣した愛宕神社の「大木の茂みのなかに高い石段があり、そのう えに、神様がお祀りしてあるお社でした」という光景と一致していたことにもか くべつの神秘性はない。もちろんこの<女性>は、両親にこの神社のことについ て知らされていたか、あるいはじぶんでは知らずに幼時に、じっさいに連れてい かれた光景を、意識せずに知っていたのである。

 後半の記述は、この女性の入眠幻覚あるいは白日夢の記述である。目の前に 一頭の猪があらわれ、その猪が山道を登るのを背後からキバで押しあげてたす けてくれる。この猪は愛宕神社の祭神の使いである。しかし、この猪は一緒 にいた母親には視えないとかいている。このとき、この女性は入眠状態あるい は白日夢の状態にあった。もちろん、そんな猪が実在しているわけではなく、 この女性の入眠幻覚のなかに形像としてあらわれたものにすぎない。そして この女性は猪を愛宕信仰の宗教的な共同幻想の表象とみなしている。

 この<女性>は、この人眠体験を契機として一種の精神病理学上の幻想や幻聴 をひんばんに獲得しうるようになった。じぶんでは「その日を境に、私には霊能 が開け、透視・霊視・霊聴」がはじまったとかいっているが、もちろんそんなこ とにはなんの意味もない。ただ、手易く病理学上の幻視や幻聴を体験するように なったというにすぎない。

 この人眠幻覚の状態は、分裂病患者の体験する症候とすこしもかわりないが、 病者としてかんがえ難いのは、この<女性>が入眠幻覚の状態で、他者の心的 状態に容易に移入しうるため、この他者体験が入眠幻覚にある客観性(普遍性) を与えることになりえているからである。それとともに、最初の入眠幻覚が、 土俗的な宗教体験としてやってきたため、自身にとってはこの心的な状態が一種 の優越感(常人以上の能力をもっているという自負)によって統御されていて、 人格的な崩壊をきたさないための支えになっていることによっている。


 新興宗教や新新宗教の教祖たちの心的状況もほとんどは分裂病患者あるいは パラノイアと同じ症候と思われる。にもかかわらず人格的崩壊にまで至らないの は『この心的な状態が一種の優越感(常人以上の能力をもっているという自負) によって統御』されているからだと指摘している。

 では同じような心的体験をしていて、それを教義化して宗教の教祖となる者と 「予知者・占い師・人生相談役」になっていく者との違いはどこにあるのだろう か。
 田中佐和という<女性>と天理教の教祖中山みきとを対比して、吉本さんは次 のように言っている。

 わたしには理由はただひとつのようにおもわれる。この<女性>は、若いため とるに足るほどの生活思想もなければ、現実的な労苦にたえて獲得した人生観も 世界観もない。この意味ではさんざん現実的な生活苦をなめて生きてきた貧農の 主婦が、更年期になってから突然入眠幻覚に没入しうる能力を獲得し、<貧困の 惨苦から逃れる>という願望を、自己の入眠幻覚とむすびつけて理念化したばあ いと異っているといっていい。こういう主婦のばあいには、現実の生活的な惨苦 から逃亡しようという機制が、病理学的な入眠幻覚の体験とある必然的な結びつ きかたをしている。彼女はじぶんの入眠幻覚の体験によって母権制時代の太古の 巫女とおなじ位相で、神から告知をうけるものとして択ばれたという優越性の意 識に保証される。また、じぶんの現実的な生活の苦しい体験を、貧困な村落人の 共同の課題に結びつけることができる。つまり、人間はいかにして現実的な生活 の惨苦から逃亡し、これを克服しうるかという課題を、じぶんの生理的な異常体 験と結合させ、これを一種の教義の形で理念化することができるといっていい。 したがって彼女は必然的に土俗宗教(新興宗教)の教祖でありうるはずである。

 しかし、すべての新興宗教のうち、あるものはとるにたらぬ蒙味な奇怪な宗教 となり、あるものはかなり優れた宗教でありうるというのはなぜであろうか?
その理由は、おそらく、あらゆる思想の優劣を問う場合とあまりちがっていな い。彼女の生活体験から獲得した思想が、体験に裏うちされて血肉化した迫真性 をもっているとすれば、彼女が農家の無智な主婦であっても、その生活思想は、 宗教体験としての入眠幻覚とむすびつけられて、かなりの普遍的な真理をもちう るはずである。


 続いて吉本さんは、分裂病的症候を宗教へと結び付けていった典型として、 天理教の教義の分析を行う。
535 新新宗教批判(2)
新興宗教と新新宗教
2006年6月26日(月)


 これまでの私の貧しい読書範囲で知った限りでは、宗教を止揚するための 徹底的な批判をしている著作者が3人いる。田川健三さんのキリスト教研究、 吉本さんと古田さんの親鸞研究がそれである。
 また、新新宗教を真正面から本格的に論じている人は吉本さん意外に知ら ない。手元にある著書から教団の教義内容の分析・解明をしている論考を 拾い出してみた。年月日は初稿発表時である。

1970年1月30日「新興宗教について」(国文社「詩的乾坤」所収)
1991年2月~1996年4月(ロッキング・オン「消費のなかの芸」所収)
    「大川隆法『太陽の法』論」
    「『原理講論』の世界」
    「『生死を超える』は面白い」
    「麻原彰晃『亡国日本の悲しみ』『日い出づる国、災い近し』」
1993年6月17日「講演録『新新宗教は明日を生き延びられるか』」
     (春秋社「親鸞復興」所収)
 オーム真理教によるサリン事件以来、オウム真理教のことばかりでなく宗教 一般についても、対談や講演で多くの発言をしている。それらも適時参考に する。

 まず「新興宗教について」を読もう。ちなみにこの論文は「オーム真理教」や「幸福 の科学」が創設される十数年前に書かれている。

 この論文では吉本さんは「新興(土俗)宗教」と「土俗」という言葉を付け 加えている。ここでいう新興(土俗)宗教の特徴を二つ挙げている。
 一つは教祖が<女性>であり、教団の管理面での実質的な長はその<女性>の夫 か兄弟か父親か親族である。
 二つ目は、宗教の普遍性は地域的にしか成立しなく、その観念的な水準も時代の 最高の水準からではなく、文化的により低い水準から教義が発生している。

 「天理教」がこのような条件を満たす典型的な新興宗教といえる。前回の <表1>で女性が教祖となっているものは、教団名だけからの推測になるが、 そのほとんどは神仏混合の土俗信仰を基盤にしているようだ。

 上記の第一の条件を持たない新興宗教は本質的には「古い宗教の再興」とい える。こういう意味で鎌倉時代の新興の諸教団は「新宗教」である。「生長 の家」や「創価学会」や「立正佼成会」なども「古い宗教の再興」と考えられ るので「新新宗教」と呼ぶのがふさわしい。

(あらあためて上記の諸論文を確認したら、吉本さんは常に「新興宗教」「新宗教」 「新新宗教」を厳密に使い分けしてはいない。しかしここでは使い分けていくこと にする。)

 新興宗教は、あまり知的ではない<女性>が更年期になって神憑りの症候に なってつくりだした教義を根本原典としている。『教祖である<女性>が神憑りになったはてに、精神病理学上の症例となり、ついに人格的な崩壊に達して荒廃し てしまった』事例もあるという。
 「神憑りの症候」という要件から考えれば、新興宗教の教祖は理論的には男性 がこの<女性>の代同物となりえる。

 ところが、しばしば更年期に達しないうら<若い>女性が神憑りになり、その 神憑りの<神>が神仏混合の土俗信仰の対象であるといった事例ある。このば あいの<女性>はおおく宗教者とならずに、予知者・占い師・人生相談役に なっている。

 この種の<女性>は宗教者とおなじように信仰対象をもっているし、常人よ り過敏な<超心理学的>な能力をもっているのは確からしくおもわれるが、信 仰宗教の教祖である<女性>のように<超心理学>的な症候を、人間はいかに 生くべきかという倫理と結びつけることを知らず、<超心理学>的な能力を、 そのまま商品として売りに出す結果になっている。そして当人はいっこう自覚 していないのだが、この種の<超心理学>的な能力が、他者の心的な状態に、 容易に共鳴しうるいわば原始的心性ににた心性を、常人よりもおおく保存して いるにすぎないことは申すまでもない。つまり、他者のつきあたっている心的 な世界の内容を、あたかも、じぶんが察知しえているかのように振舞いうる能 力をさしているといっていい。

 私は見たことがないが、テレビで細木数子という女性占い師がもてはやされ ているようだ。この人などはこの事例の一つだろうか。
 吉本さんは、田中佐和という<超心理学>的な能力を商品として売っている 若い<女性>を取り上げている。
534 新新宗教批判(1)
宗教は花盛り
2006年6月25日(日)


 「現代日本の宗教社会学」(井上順孝編 世界思想社 2001年刊)は新宗教に ついて次のように述べている。
 「新宗教」という言い方は最近ようやく定着してきたが、一般には、「新興宗 教」という言い方のほうが通りがよい。実際問題として、意味の違いはさほど 大きくはないが、若干のニュアンスの差がある。マスコミ・ジヤーナリズムで は、新興宗教という表現のほうが一般的である。この場合、「新興宗教」は、 「既成の宗教に比べてやや価値的に低い宗教」という意味合いが込められること がある。次々に出現する新しい運動を、もっぱらその新奇さに注目して扱って きた、という経緯が関係している。
 これに対し、研究者は概して「新宗教」という言い方をするようになってき ている。新宗教という、近代以降に出現した新しいタイプの宗教を学術的な対 象として扱っていこうというのが、その場合の基本的立場である。したがって、 どのような運動・教団が新宗教といえるかについても、おおよその了解がある。

 では、どのような運動・教団が新宗教に含められているのであろうか。<表1>に 掲げたのは、組織の大きな新宗教、あるいは注目されることの多い新宗教であ る。これらは、数ある新宗教のうちのごく一部にすぎない。『新宗教事典』に は、300余りの新宗教教団がリスト・アップされているが、これもある程度研 究がなされつつある教団の数であり、存在さえほとんと知られていない運動や 教団がまだ数多くある。


 <表1>は教団名の「あいうえお」順で作成されているが、それを設立年代 順位並べ替えたものを掲載する。(さしあたっては不要な項目を除外した)


 <表1> 主な新宗教教団一覧      
   設立年  教団名      公称    教祖名
             信者数  
(1)1815  黒住教       30万   黒住宗忠
(2)1838  天理教       186万   中山みき
(3)1840  禊 教       10万   井上正鉄
(4)1857  本門仏立宗     53万   長松日扇
(5)1859  金光教       44万   金光大神
(6)1892  大 本       17万   出口なお
                      王仁三郎
(7)1912  中山身語正宗    38万   八坂覚恵
(8)1914  大乗教       30万   杉山辰子
(9)1919  円応教       43万   深田千代子
(10)1919  松緑神道大和山    6万   田沢清四郎
(11)1925  ほんみち      32万   大西愛治郎
(12)1928  念法真教      76万   小倉霊現
(13)1928  霊友会       321万   久保角太郎
                      小谷喜美
(14)1929  解脱会       23万   岡野聖憲
(15)1930  生長の家      85万   谷口雅春
(16)1930  創価学会    ※ 500万   牧口常三郎
(17)1935  世界救世教     84万   岡田茂吉
(18)1936  真如苑       70万   伊藤奥乗
                        友司
(19)1938  立正佼成会     647万   慮野日敬
                      長沼妙佼
(20)1945  紫光学苑     ※ 3万   川上盛山
(21)1945  天照皇大神宮教   44万   北村サヨ
(22)1946  パーフェクト
        バティー教団  125万   御木徳近
(23)1947  善隣教       51万   力久辰斎
(24)1949  霊法会      ※20万   吉岡元治部
(25)1950  仏所護念会     223万   開口嘉一
(26)1950  妙智会       99万   宮本ミツ
(27)1951  白光真宏会    ※10万   五井昌久
(28)1951  妙道会       22万   佐原忠次郎
(29)1952  弁天宗       30万   大森智弁
(30)1953  大山祇命
        神示教会     84万   稲飯定雄
(31)1954  阿含宗      ※26万   桐山靖雄
(32)1956  霊波之光教会    74万   波瀬善雄
(33)1958  天道総天壇    ※ 3万    (陳庚金)
(34)1959  世界真光文明教団  10万   岡田光玉
(35)1960  イエスの方舟   ※ 26   千石剛贅
(36)1970  神慈秀明会     44万   小山美秀子
(37)1972  いじゆん      ※1万   高安龍泉
(38)1978  崇教真光      47万   岡田光玉
(39)1984  オウム真理教     ―   麻原彰晃
(40)1986  幸福の科学  ※20~30万   大川降法

 (注)※は面談,教団資料,その他による推測であることを示す。
 それ以外の数値は「宗教年鑑」(1992年版)による。「―」は「不明」
 を表わす。

 この他に「外来の新宗教」の主なものとして以下のものをあげている。

(41)エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会) 創始者チャールズ・フッセル(1852-1916)
(42)末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教) 創始者ジョセフ・スミス(1805-1844)
(43)世界基督教統一神霊協会(統一教会) 教祖・文鮮明(1920-)
(44)ラジニーシの運動 創始者バグワン・シュリ・ラジニーシ(1931-1990)

 (41)と(42)はどちらも19世紀にアメリカで創始されたキリスト教系の宗教である。 (43)は第二次世界大戦後に韓国で創始されたキリスト教系の宗教である。 また(44)は瞑想的宗教運動で、ヒンドゥー教系の宗教で、やはり戦後に創始さた。

 ほとんどの教団が信者数を水増ししていることは容易に推察できる。上程書では 表に書かれた数の3分の1から5分の1ほどと推定、教団によっては10分の1以 下の場合もあると言っている。

 水増し信者数を割り引いても百花繚乱、宗教の花盛りという観である。
 <表1>の教団数は40だが、そのうち江戸時代末期に生まれたものが5教団、 明治から敗戦前までに生まれたものが14教団、敗戦後のものが21教団となる。 特に敗戦前後30年間に約半数の教団が誕生している。「『新宗教事典』には、 300余りの新宗教教団がリスト・アップされている」そうだが、たぶんその半数 以上は敗戦前後に創設されたものではないだろうか。
 実生活ではもちろん文化面でも精神面でも混迷を深めていく時代状況の中で、 立ちながら枯死している既成宗教にはもうすがれなくなった人たちを新宗教が 吸引していった。

 ところで「宗教社会学」では教祖の精神構造や教義内容の分析・解明まではた ち入らない。社会的な現象面だけで宗教を扱っているので、「新興宗教=新宗教」 と十把一絡げでくくってしまっている。
 古田さんの分類(「第530回」参照)は既成宗教との系列関係を基準にしてい た。それに対して同じ「第530回」で少し触れた吉本さんの分類は、さらにつっこ んで教祖の精神構造や教義内容の分析・解明を通して得たものであり、論理的 然性をもった分類だと私は思う。そこでは真の宗教批判がくりひろげられてい る。次回から吉本さんの論考を読んでいくことにする。

533 詩をどうぞ(27)
追悼・宗左近さん
2006年6月24日(土)


 宗左近さんがなくなられました。
 「第104回 2004年11月26日」で長編詩「炎える母」の中の一節 を紹介しました。最近は評論にも力を入れられていたようですが、詩作の方では 「縄文」シリーズと呼ばれている連作詩を精力的に発表されていたとのことです。 私は宗さんの最近の著作にはまったく疎く資料もありませんので、詩集「愛」 から2編選びました。この2編はぜひ対で読まれるべきものだと思います。



 ひかり

おぼえていておくれ坊や
あなたのお父さんが見つめている
ご近所のおばさんがそのおばさんのお子さんが
そして知らないおねえさんがかけよって
みんなみんな吸いこまれてのぞきこんでいる
この瞬間のひろがる明るさの波の渦
あなたから立昇る真新しい虹を
きっとおぼえていておくれ
わたしの腕のなかではじめて笑う坊や

あなたは弾む匂いです輝く息吹です坊や
あなたは膨らみやまない肉ですさわれる光です
あなたに夢を注ぐすべての視線と母乳の持ち主に
逆に夢を注ぎこむ夢の哺乳器です同時に夢です
あなたは不思議です奇蹟です生きている夢です
その頭のひよめきその瞳の灯りその頬のふくらみ
あなたはどこからきたの何を照らす光なの
この世には悪魔みたいなものはいるけれど多分
神様なんぞおいでにならないにきまっている
畏れげもなくそう思い定めてきたわたしだけれど
でも坊やこのひろがる明るさの波の渦をうむ坊や
おいでにならない神様もこの瞬間だけは特別に
おでましになっていて下さるからに違いない
みんなみんな吸いこまれてのぞきこんでいる
この不思議この奇蹟このひよめきこの灯りああ
おぼえていておくれ坊やいつまでも幻でないと

逆しまにしてのぞく望遠鏡の奥みたいな
近くて遙かなほの暗闇のなかからここだけ鮮明に
切り抜かれたわたしの心よりも小さなこの光の渦の
ああ中心の坊やあなたの目がやがてまともに
のぞくでしょう人生の望遠鏡の視野よりも近々と
しかし視野に決して入らないでしょう外側で
おぼえていておくれ坊やわたしたちみんなみんな
のぞきこんでいるのです見つめているのです
はじめて笑うあなたの瞳の奥を光らせるもの
おいでにならないかもしれないお方の涙を




 おばあさん

おばあさん
あどけなくほほえんでおいでのおばあさん
あなたのおなかから生まれでた息子や
その嫁やそこからまた生まれでた孫たちの
はじける幾つもの笑いの渦にさそわれて
曲った背中のように古い家のなかから
赤ん坊みたいに明るい笑顔をさしだして
おばあさん
冬なのにお天気でいいあんばいですね
これだけは鎖の外されない十一番目の家族
ポチもきき耳たてて縁側にやってきました
シャボンみたいな匂いをたてて泡立つ日だまり
けれどもポチの瞳は空の遠くに吸われています
そこには何がきらめいているのでしょうか
雲の頂きのくずれ落ちる雪崩でしょうか
地球の回転する眩暈の影でしょうか
いずれまぶしすぎ見えなすぎる何かだから
それを見つめて唸り声をあげようとするポチの
瞳の脅えを見つめておばあさん
あなたはゆったりほほえんでおいでですね
あなたの息子やその嫁やそこからまた生まれでた孫たちの
これだけの数の未来を生み続けてきたあとの
巨きな母胎の放つ優しい光の強いさざなみ
悲しみも悶えも疼きも底に沈めて()きとおらせて
もう生めない頃になって生まれた最後の家族
自分自身の赤ん坊であるおばあさん
人間でないポチと黙って通じあえることを
喜んでほほえんでおいでのおばあさん
宇宙船から見れば地球は青いレモンです
あなたの子供や孫であるわたしたちはまもなく
あなたとポチをこの日だまりに置去りにして
宇宙船みたいなスピードでまったく新しい天体へ
飛びさっていってしまうのでしょうけれどその時も
ポチの見つめている空の遠くよりもなお遠くで
あなたは宇宙に浮ぶ一個の石のかたまりを
あどけないほほえみのさざなみによって
夢みたいなレモンに変えてしまう光の中心なんです
おばあさん

532 「良心の自由」とは何か(26)
宗教批判の始まり(2)
2006年6月23日(金)


 「徹底的な批判を通して」「歴史的宗教の遺産」から抽出すべき真理の一つを 古田さんは「民主主義的、革命的精神をもった」宗教(第481回 参照)にあら われる「本源的自由」に求めている。そしてそれを「宗教のモルヒネ性」と呼ん でいる。

 今、その分析の概括をしますと次のようです。アへンと同根のケシから生ま れながら、モルヒネ的性状は人間への必須の薬物、魂の蘇生剤としての現実的 力を発揮します。そこでは神という絶対物を(フィクションとして)対置する ことによって、人間各自の平等性が抽出されます。そして、この、人間の完全 な平等性の認識が人間相互の自由、本源の自由を呼びさまし、あらゆる地上の 権力ともろもろのものへの恐れをうちくだきます。

 さらに、その人間相互の自由がさまたげるもののない愛を人間相互の間に産 出する― これらはいずれも人間存在の抽象ですが、抽象であるだけ、それだ け、「本質」でもあり、その抽象が現象と衝突し、矛盾し、現実への批判的化 合をはじめるような場合、当のモルヒネとしての機能が検出されるのです。

 それは、従来の歴史的宗教のような意味では「宗教」とは呼べませんが、「内 面の生きた思想」、「生の根拠」として「実践的倫理」を形成することにおいて は歴史的宗教にまさる力を有するはずです。

 「神のもとでの自由」から「本源的な自由」を抽出し、神が命じる「愛」を 人間の本源的自由を相互に尊重する人間の根源的倫理へと止揚していく可能 性を説いている。カントが倫理的(実践的)にのみ宗教を認めたのと同じ思想 的方向性がうかがえる。
 そういう人間達の倫理は、歪められた資本主義的現実の真只中から形づくられ て、真直ぐに未来の社会へ向かい、それを獲得しようとする強靭な倫理となるで しょう。それはあかあかと輝く太陽のもと、大地にしっかり立つ人間のいきいき した倫理です。

 ここでは古代的原始宗教(アニミズムなど)から民族的宗教へ、民族的宗教か ら世界的文化宗教(キリスト教、仏教、回教など)への諸転換に匹敵する転換が 生起するのです。今は、その前夜として、歴史的宗教の枯死が進行し、それをあ らわに証明する現象としての、倫理の荒廃、精神の退廃がはじまっているので す。

 そして、それが日本の現実において最もはやく、論理的に予感されているとい うのがこの(「信教の自由」の)批判的考察の帰結です。


 「愛」を説くだけでは人間の根源的自由は得られない。その「愛」は資本主義 社会の人間疎外と真正面から対決する戦闘的愛でなければならない。既成宗教が 致命的にだめな理由がここにある。資本主義社会の矛盾から目をそむけたままの 宗教はアヘンとしての宗教でしかない。

 最後に古田さんは日本における宗教批判(宗教の止揚)の課題を提出してこの論 考を終えている。

 ただ日本の場合、一つの実践的課題があります。それは日本における「信教 の自由」の唯一、最大の欠落(上からわく組みされた法の性格)条件に対応す る、唯一、最大の要請はこの批判、この信条と倫理をあくまで実践的に形成す ること ― 一言に言えばそれを徹底的に社会の「下から」の抵抗体として築き 上げることです。

 したがって、この帰結が日本で最も早く予感されたということは、必ずしも それが日本において最も早く実践的に形成されることを必然とはしません(前 記欠落を埋め、予感に停止することへの批判が実践化するという条件において、 その可能性はありますが、それはあくまで可能性です)。

 これに対し、実践的には他の国(たとえば中国)で最も早く形成されるとい う事態が生じることも、まことに十分の可能性をもつと、言わねばならないで しょう。


 日本の民主主義や自由が脆弱な理由も、『「下から」の抵抗体として築き 上げ』られたものではない点にある。いまその脆弱さが試練に立たされている。 しかしこれは民主主義と自由を真に自らのものとしていくチャンスでもある。 「日の丸・君が代の強制」にたいする闘いは、民主主義と自由を下から実践的に 確立していくための大きな闘いの一つである。特に処分にもひるむことなく闘って いる教師たちに改めて敬意を表したい。もちろんその闘いは「憲法改悪」 「教育基本法改悪」に対峙する闘いと不可分である。

 「信仰の自由」から「信仰からの自由」へと、自由が「神」という枠組みから 解き放たれたとき「信仰の自由」は「良心の自由」と呼ぶのがふさわしい。この とき「良心」とは「支配―被支配」という人間を貶める人間関係・社会関係を止 揚しようとする実践的倫理のことである。

531 「良心の自由」とは何か(25)
宗教批判の始まり(1)
2006年6月21日(水)


 私の高校生の頃の高校進学率は60%ぐらいだったろうか。私は全員が高校教育 を受けるような時代になれば宗教は自然に消滅するのではないかと、漠然とで はあるがそんな風に考えていたと思う。特に理数系の学習が私にそんな考えを 促したのだと思う。まだほとんど何も知らない高校生時代の単純で浅薄な考え を、いま苦笑をともなって思い出している。その苦笑の中にはその後の自らの 宗教への接近の経験が含まれている。

 私の母は信心深い人だった。家の宗教は日蓮宗だった。先祖と戦後の貧困期に失った 息子・娘たちへの供養のため定期的に坊さんを呼んでいた。仏壇のろうそく・線 香は絶えたことがなかったと思う。盆の行事もしきたり通りにきちんとやって いた。盆の行事の記憶は甘い郷愁のような思いを誘う。
 近くの神社の御札などを祭った神棚もあった。敗戦直後にはその神棚には 明治天皇から昭和天皇までのいわゆる「ご真影」も掲げられていた。それがいつ頃 撤去されたのか、私には記憶では不明だ。
 父はまったくの無神論者だったと思う。父が仏壇や神棚に手を合わせているのを見 たことがない。戦争でそれまでに築いてきた全てを灰にされてしまった所為だけでは ないだろう。私は父の系統をよく継いだようだ。世間並みのお付き合いで葬式に参 列してもありがたくお経を聞いたり焼香したりことに抵抗がある。旅行などで神社に 行っても参拝などばかばかしくてする気は全くない。

 そんな私が青年時代、精神的な行き詰まりの危機時に宗教(仏教)に出口を 求めたことが二度ある。いずれの場合も解決のてががりは何も得られず、深入り することはなかった。そのとき抱えた問題は多分何の解決もしないままに意識の底に 沈んでいったのかと思う。しかしその仏教への接近が私の高校時代の考えの単純 さ・浅薄さを身をもって証明したことは確かだ。

 神を信じるのは古代の迷信の残存でしかなく、自然科学の立場から啓蒙活動を すすめることによって一掃できると信じている無神論者・反宗教宣伝家も多い。 問題はそれほど単純ではないのである。宗教の必然性が、観念的な条件によって 与えられているときめてしまうのは正しくない。

「現実的世界の宗教的反映は、総じて、実践的な日常生活の諸関係が人びとに 対し、彼らの相互間および対自然のすきとおるような・理性的な・諸連関を日 常的に表示する場合にのみ、消滅しうるのである。」(マルクス『資本論』)

 たしかに対自然では、実践的な日常生活においてすでに自然力をその統制下に おいており、電気も風も水もそのありかたはすきとおるように理解されている。 もはやこれらは神秘的な存在でも何でもない。しかし人間相互の関係では、いま だに人間の生活条件である生産や交通をその統制下においていないし、社会主義 国家においても人間関係がすきとおるように理解されているとは限らない。ス ターリンの粛清が行われていた時代に、ソ連の国民は目に見えない暗黒な力が 動いていることを感じ、いつそれが自分や自分の家族をとらえるかと恐れてい た。このような社会においては反宗教宣伝を行っているにもかかわらず、宗教 が消滅するどころかむしろ盛んになったとしても、不思議はないのである。そ してまたこの事実は、宗教の永遠性を実証したわけでもないのである。(三浦つ とむ「認識と言語の理論」より)


 宗教が容易には消滅しない理由はもう一つある。それが「相対的誤謬」である あるからだ。つまり幾分かは真理を含んでいる。「結構良いことを言っているじ ゃない。」というわけである。それはほとんどの場合倫理的な意味での効用である。 たとえばカントは次のように、宗教の一面での有用性を認めているという。
 カントは、宗教的な主張(神や霊魂やあの世)といったものを理論的に証明 することを形而上学として論駁しました。また、現実に存在する宗教を、迷信や 蒙昧として否定しました。しかし、倫理的(実践的)にのみ、それが要請され ざるをえないことを認めたのです。もしこの世がすべてで、死ねば終わりであ るならば、ひとは倫理的であるよりは、現実の幸福を志向するでしょう。だか ら、死後の生命や審判があるという信仰は、倫理性を励ますものです。カント は、倫理的であるかぎりにおいて、宗教を認めるのです。(柄谷行人「倫理21」 より)

 さて、混迷を深める現在の宗教状況・精神状況の止揚の道を古田さんはどの ように抽出しているだろうか。古田さんのこの論考は最終章に入る。
 それは「信教の自由」の普遍的原理的徹底としての「信教の死」を回避せず、 歴史的宗教の遺産を徹底的な批判を通して継承しようとする立場です。ここで は「もはや宗教批判はおわった」のではなく、「今から其の宗教批判がはじま る」のです。
そして、その、科学的に批判され分析された結果抽出された真理が各人の内面に「の がれるところなき真理」として沈着し、現実との、社会的諸連関との化合をは じめるのです。
530 「良心の自由」とは何か(24)
「緩和剤の喪失」に対する反動
2006年6月18日(日)


 『「信仰からの自由」への徹底化』あるいは『階級対立の激化=緩和剤の 喪失』という精神状況への対応手段(反動)として予見(または既見)される現象を、 古田さんは四つあげている。
第一の道は、百教一致主義の疑似宗教の立場です。この多宗教の枯死から立ち直る一つ の論理的便法として、各宗教の各要素を分解合成して、新たな宗教を創出する 道。

 「生長の家」から「道徳科学」など幾多のものがこの傾向の典型です。あら ゆる経典が引用され、自己の教理をささえることになります。歴史的には古代 ペルシャのマニ教のタイプです。

 このタイプの宗教に次の三つの注目点があらわれます。
 一つには、多宗教を引用しつつも、「生命の実相」といった、絶対精神へ 源帰させている点、絶対性回復がその本来のねらいであることを示しています。
 二つには、自己の空中分解をふせぐため、もっぱら反「無神論」、反「無宗 教」、反「唯物論」(つまり反共精神)において熱情を示すことです。多宗教 を一丸としたために一丸の防禦に身を捧げるのです。
 三つには、その多くがしばしば天皇崇敬をうち出す傾向のあるのは、この タイプがその抽象性に耐えきれないことを示すと共に、そこから脱出しようと する衝動の一つです。

 安部晋三をはじめ多くの政治化との癒着が取りざたされているいま話題の 統一教会がこのタイプの典型だろう。統一教会の「統一」とは全世界の全宗教 の統一の事らしい。統一教会の別働隊は「勝共連合」と名乗っている。また次 のように天皇教と結び付けなければ不安で仕方のない信者の心情吐露も多い。 痴識人の統一教会礼賛のコメントを一つ紹介する。

『神武天皇が、建国に際し、橿原(かしはら)の宮で宣べ給うた言葉の中に 「八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)とせむことまたよからず や」というのがある。「あめのした」とは、地球上ということである。つまり、 この言葉の意味は、「地球上の全人類が一つの家の中に住む親子兄弟のように 仲よく暮らしてゆこうではないか」ということである。「八紘一宇」は、日本 の建国の精神であると同時に、神道の根本理念である。(中略)それは、統一教 会の創始者・文鮮明師の理想とされる世界の諸宗教の融和ないし統一とその根 底において一致するものである、と私は考える。▲小森義峯(元憲法学会理事長、元国士舘大教授、法学博士、伊勢神宮評議員) 』  興味のある方は

文鮮明師と統一運動に賛同する方々

をどうぞ。

 第二の道は、日本の古代的宗教の根につながろうとする立場です。教派神道、 あるいは、「天理教」などの新興神道がこの道をとっています。そして明治前 の多宗教混在の中を生きつづけて来た経験と結びついて、近代的「信教の自由」 の外に疑似的に身をかわして生きるのです。各神社がもっぱら儀式として人々を (祭の時だけ)集めるのもこの立場に属しています(前「信教の自由」的な、祭 礼のための氏子からの「自発的」寄附徴収!)。

 第三の道は、鎌倉仏教に見られた本源的自由の歴史を疑似的によびもどし、 もっぱら他宗教を攻撃し、自己の主体的絶対性を実践的に確保しようとする道で す。
 ヨーロッパに見られるように、他宗教攻撃、抵抗は「信教の自由」の歴史的 基礎でした。日本において純粋に発現した「信教の自由」の唯一・最大の欠落は、 それらがそういう歴史的基礎から直接にかちとられたのでなく、上から(明治政 府から、占領軍から)わくぎめされた点です。この点、この道をとる宗教のゆき 方(たとえば創価学会)が下から内面生活の空白をうずめるという、一つの本格 的運動の形態をとったところに、この宗教の花々しい行動力、効果の最大の原因 があります。
 この立場を一言で要約すれば、(枯死の)墓場において、あたかも墓場でない かのようにふるまう道です(疑似的にもせよ、一応本格的立場をとっているの に、一般の人から「異常」に見えるのも一つはそのためです)。

 第四の道は、道徳の「交通道徳」化の道です。宗教の枯死を暗黙のうちに認 め、その宗教の根から道徳を切りはなし、たとえば交通道徳において純粋化され ているように、もっぱら純功利的、能率的道徳を樹立する通です。ただし、この 道は「赤・青・黄」的の明快なシンボルの道徳となり易く、したがってレッテル 主義(たとえば〝赤″のレッテル)とも結びつきやすい要素をもつと共に、根の ないため、道徳が倫理(エトス)(生活の中に己を導く 規範)化できにくい欠陥をもちます。したがって「道徳的」でかつ「内面の空 白」な人間、エネルギーを欠いた道徳のタイプが出現することになります(戦前 にもこのタイプは一応既に出そろっています)。

 以上の他に、典型的に「外面生きて立っており、内面枯死しつつある」文化宗 教― キリスト教や仏教 ―についてはここではふれません。


 第四の例を私は思いつかない。古田さんがその他としている「文化宗教」、例えば 仏教の例をとりあげると、道路に面した目立つところに設置したお寺の掲示板に 日替わり格言のように道徳を諭し記しているのをよく目にするが、これなどは「第四の 道」をまさぐっている現象ではないかと思う。

 ここで吉本隆明さんの新興宗教の分類の仕方を紹介しておこう。
 天理教のような女性を教祖として土着の神道と結びついたものを「新興宗教」 と呼んでいる。また、親鸞、日蓮、道元などにより鎌倉期に起こされた宗教を 「新宗教」と呼んで、「統一教会」「幸福の科学」「創価学会」「オウム真理 教」などのような既成宗教を『疑似的によびもどし』ているものを「新新宗教」 と呼んでいる。この「新興宗教」と「新新宗教」の思想的精神的内実を解明し ている吉本さんの論考を次の課題にしようと思っている。

529 「良心の自由」とは何か(23)
現在の日本の精神状況(2)
2006年6月19日(月)

 次に引用する文章は、「信仰の自由」から「信仰からの自由」へと徹底化の 過程で現れる精神状況の中間的な諸特徴のを分析したものだが、これは『社会的には シュタイン氏の予見した「階級対立の激化=緩和剤の喪失」の過程』の分析でも ある。
 古田さんのこの論考が書かれたのは1964年だから、大日本帝国の敗戦後 約15年、現時点からは約40年前ということになる。この時間的パースペクティブ を念頭に置いた上で読んでいきたい。
(1)
 政治家、僧侶(牧師)、資本家(紳士)たち上流階級、指導者層は国民一般と の精神的紐帯を欠きます。国家理性と主権者(国民)との媒介者たる政治家がか えって国民から一般的に軽侮の目を以て見られるという、(世間周知の)現象 も、実はこの点に一つの基礎をもっているのです。「国会」という広大を舞台 の上に政治家個々の矮小さがバラバラに目立つことになるのです。国家理性が 両者を結びつけ、定着させる役割を十分に果たしていないのです。そのため、 政治家は国家理性との関連において自己の矮小さを救うことができないのです (この点、重大な難局に立ってしばしば「神」に呼びかけて国民に訴える西欧 政治家、「人民の意志」にかけて、国民に誓う共産圏政治家の慣例には十分の 意味が含まれているわけです)。

 政治家たちの矮小さを見せつけられる毎に政治家への侮蔑が高じる。これは 私の精神状況でもあり、ピタリ言い当てられてしまっていると思う。個人の精 神状況は時代の精神状況と無縁ではありえないと思い知らされる。

 また『重大な難局に立ってしばしば「神」に呼びかけて国民に訴える西欧 政治家』といえば、誰もがすぐ「テロとの戦い」を声高に叫んだときのブッシュを 思い浮かべるだろう。

(2)
 一般的な倫理の「浮遊現象」が生じます。倫理はその歴史的発生が示すよう に、「共通の宗教」「単性化された国家理性」の根から伸び立った茎です。そ の根が欠除された以上、倫理は国民一般の共有する形をとり得ません。だから、 一方の国民からは「反倫理」に見えないものが、他の国民からはまさに、「反 倫理」と見えるという現象が一般化されます。ことに老人・大人達が青年の 「遺徳的無軌道」を嘆き、指導者層が「国民道徳の退廃」への対策をヒステリ カルに痛感するという形が日常化します。しかもその際、その老人、大人、指 導者達自身、説くべき倫理(の内実)への自信喪失に満たされているのも特徴 をなしています。

 今国会での、テレビ中継がないときの「教育基本法改悪」の委員会審議では 委員たちの本音が誰はばかることなくいい気に飛び出していたと、「赤旗(日曜 版6月18日号)」が報じていた。いくつか抜粋する。

『6月2日午前、委員会に教育勅語の現代訳を配布して、質問に立ったのは民主 党の大畠章宏議員です。「いまの社会を見ると、こういう基本的な考え方がど こか薄れ始めている」。これに呼応した安倍晋三官房長官は「(教育勅語に は)大変すばらしい理念が書いてある」と答えました。』

『「敗戦後遺症というような発想を教育界から取り除いていかないと前向きの 議論ができない」と質問したのは元文科相の町村信孝議員。「愛国心」が身に つくようにと「教育である以上、教え育てる、どこかでしっかりとたたき込む という部分もなければ先に進めない」と、「たたき込む」を繰り返しました。 (5月24日)』

『民主党議員も呼応しました。「戦前から戦後にかけて『国体の護持』という 言葉がある」と質問したのは、同党の山口壮議員です(5月26日)。「日本が 日本であり続けることを『国体の護持』という。民主党の案に『日本を愛す る心』を入れたのは、まさに日本が日本であり続けること、国体の護持にある 意味でつながっていく」と。』

 このような一度死んだ時代錯誤の擬似思想にしがみついている連中を愚かと言うべきか、 あるいはこうした連中を選んでいる国民を愚かと言うべきか。いずれにせよ『説くべき倫 理(の内実)への自信喪失』の裏返された表出である。

(3)
 国民の一般感情は無宗教性となり、ことに知識階級(近代国家の中の「近代 的階級」)の中に「宗教への軽侮」は恒常化します。したがってマルクシズム なども、その「戦闘的無神論」はむしろ「常識的」なものとして受け入れられ ることになります。
したがってマルクシズムへの出入りが容易になりやすい一側面を提供していま す(戦前の「転向」の隆盛!)。
 しかし、この点はこういう「安易さ」として表われるだけでなく、支配階級 への支持の「安易さ」をも意味することになります。

 この知識人階級の軽薄さも私(たち)はこの40年間にさんざん見せつけられて きている。特にソ連の崩壊後の惨状は目を覆いたくなるほどだ。そして今、反動 化の激しい動きに対して声を上げたり、行動を起こしたりしている知識人のなん と少ないことか。権力にこびている知識人のなんと多いことか。真に「知識人」とい える人は少なく、あとはもう「痴識人」だ。
528 「良心の自由」とは何か(22)
現在の日本の精神状況(1)
2006年6月18日(日)

 近代日本のこれまでの精神状況を、「信仰の自由」を基軸にしてたどってき た。古田さんの論考は現在の日本の精神状況にたいする分析に入っていく。

 欧米での「信仰の自由」あるいは「良心の自由」とは、異端を排除し純化さ れたキリスト教の単一神の枠内でのものだった。
 それではそのような装置を持たない社会は、真の「信仰の自由」すなわち 「宗派の自由」ではなく「宗教の自由」、さらに無宗教をも含めてもっと普 遍化した「良心の自由」を確立できる可能性を持っているのではないか。それ は一度はソビエット連邦でその姿を垣間見せたが挫折している。
 古田さんはそれを可能とする社会の条件を三つあげている。

(1)
 非ヨーロッパ(アメリカ)地域であること(キリスト教単性体外であるため の条件)。
(2)
 多宗教の混在地域であること(宗派の自由でなく、宗教の自由があらわれるた めの必要条件)。
(3)
 近代国家の成熟(「信教の自由」の法が完全に設定されるための条件)。

 日本には単一キリスト教社会が形成したような都合のよい(支配者にとって) 装置はなかった。支配階層は天皇教をその代替装置としようとしたがそれは成ら なかった。
 上の3条件を満たす社会の典型はまさに現在の日本ではないか。この観点から古田 さんは日本の精神状況を分析していく。

 そこで今、ヨーロッパ(アメリカ)的舞台装置をはなれた「信教の自由」の 完璧な姿がどのような論理(ロジック)を以て、 その地域(日本)の精神状況を支配するか、その筋道を抽象したいと思います。
 その根本構造は次の通りです。

(中略)

 マルクスが北アメリカ諸州では政治的国家の無宗教性と社会成員のいきいきし た宗教心が共存している(近代資本主義社会の欠陥の反映としての宗教)と説い た時、その「無宗教性」とは実はキリスト教の単一の神を背景にした 「似而(えせ)非無宗教性」(=無宗派性)であった のは前に論証した通りです。

 ところが、ここ(日本)では、政治的国家の純粋な「無宗教化」と色あせた 宗教心とが共存することになります(近代資本主義社会の欠陥はそのままなの に)。そしてこれが「信教の自由」の真相、その論理的帰結なのです。「信教 の自由」は遂にその行く手に「信教からの自由」に至りつく運命をもたざるを 得ないのです。
 この光景を詳述すれば次のようです。

 「信教の自由」の本来の姿、「各宗教混在の自由」が第一に国家理性の原理 的無宗教性としてあらわれます。そして第二に社会自体の無宗教性を徐々に 確実に深めてゆきます。そのゆきつく先は「各宗教の各絶対者達の一般的相対 化(=絶対性喪失)」という地点です。
 しかし、相対化された絶対者とは「塩分なき塩」のことに他なりません。つ まりそれは「一般的な、信仰への〝不信″〝侮蔑″」となってあらわれます。
 さらに事態をはっきりと提示すれば、〝各宗教の枯死″=「各宗教が外から 見ると生きて立って(しばしばさかえて)いるように見え、その内 実は立ったまま(ヽヽヽヽヽ)枯れ、死に絶えてゆく こと」という終末へ時の流れと共に一歩一歩確実に近づいてゆきます。


 創価学会、統一教会、幸福の科学など各宗派はいま確かに栄えているらしい。 これら「新新宗教」(吉本隆明さんの用語。新興宗教と区別している。いずれ取り 上げる予定。)の熱心な信者には、どちらかと言うと支配層のものが多い。 最近インターネットで統一教会を礼賛する政治家・知識人などのコメント集に ぶつかった。大変な数である。中に物理学者や数学者がいるのには驚いた。科学 者が必ずしも科学的ではないことはとうに承知しているが、それにしてもその 迷妄ぶりにはあきれ返った。これももしかするとどこかで取り上げることになる かもしれない。
527 「良心の自由」とは何か(21)
思想的座標軸の欠落(2)
2006年6月17日(土)


 学校教育を通して天皇教の布教は着実に成果を上げていった。しかし『明治 の識者の中に存した、思想座標軸の欠落の自覚(あるいは潜在意識)』は埋められよ うはずはなく『「国家教」が遂に「日常化」され』ることはなかった。

 古田さんは明治、大正、昭和の識者の記した言葉をたどっている。

 1891年、教育勅語謄本に拝礼を「軽く会釈する程度の敬意」ですませた 内村鑑三の行為は「不敬」にあたると事件化され、内村は職を追われた。その 内村鑑三が、1900(明治33)年、次のように語っている。

 「神道や『国家教』なるものの、宗教としてはほとんど何らの価値なきことは、私 の申すまでもないことであります。さりとて、今の日本の上流階級の人のように、 全く無宗教なるは私のとても堪えられないところでございます。」 (「宗教座談」『内村鑑三信仰著作全集・著作篇第三巻』)

 次は芥川龍之介の「手巾」の一節、1916(大正5)年の長谷川謹造先生の所懐。

「日本の文明は最近五十年間に、物質的方面ではかなり顕著な進歩を示してい る。が、精神的には殆ど、これと云う程の進歩も認める事が出来ない。否、む しろ、或意味では、堕落している。では、現代に於ける思想家の急務として、 この堕落を救済する途を講ずるのには、どうしたらいいのであろうか。」

 次は丸山真男、1957(昭和32)年発表の「日本の思想」から。

「一言でいうと実もふたもないことになってしまうが、つまりこれはあらゆる 時代の観念や思想に否応なく相互連関性を与え、すべての思想的立場がそれと の関係で ―否定を通じてでも― 自己を歴史的に位置づけるような中核ある いは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった、ということだ。 私達はこうした自分の置かれた位置をただ悲嘆したり美化したりしないで、ま ずその現実を見すえて、そこから出発するほかはなかろう。」

 丸山氏の言う思想的座標軸とは、その最大のモデルがヨーロッパ精神史を 貫流する、キリスト教の伝統に他ならないことは、それが氏の数々の論文に 一貫した基本(或いは潜在)イメージとなっていることからも、知ることが できますし、それに対するキリスト教的座標軸の欠除態として日本思想史を 照明する時、氏の分析のメスは最も鋭く冴えわたるのですが、その基本視点 は必ずしも氏の先見・独創ではなく、大正五年、謹造先生も、基本的には、 まさに同じ発想を示すのです。

「先生は、これを日本固有の武士道による外はないと論断した。武士道なる ものは、決して偏狭なる島国民の遺徳を以て目せらるべきものでない。かえっ てその中には、欧米各国の基督教的精神と、一致すべきものさえある。」

 さすがに帝国大学法科教授謹造先生は単純に「武士道」を過去からの連続と して讃美するのでなく、かえってその断絶と空白、現代(明治~大正初期)の 思想的座標軸の欠除状態(憂うべき堕落!)が先生をして「軸の探究」の思考 にふけらせたのです。
 だから、先生の武士道提唱の背後には寛容なる大陸国民の道徳としての「基 督教的精神」の伝統が一種のあこがれ、ないしモデルとして存在し、それに比 肩すべきものとして、日本固有の「武士道」が日本思想史の倉庫から再発見さ れるのです(先生はやがて訪問婦人の挙止に、私的に連続され来たり、今も 「生きた武士道の」「現証」を見て、驚喜することになります)。


 芥川がいささか揶揄的に描いている「武士道」の『日本思想史の倉庫』から の謹造先生による再発見は、もちろん新渡戸稲造の「武士道―日本の魂」 (1899年)を下敷きにしたものだろう。

 近頃、藤原正彦先生が「武士道」を『日本思想史の倉庫』から再々発見している そうだ。この先生にも多分『明治の識者の中に存した、思想座標軸の欠落の自覚 (あるいは潜在意識)、さらに「国家教」が遂に「日常化」されなかったことの 認識が存在』しているのだろう。たとえ陳腐であっても、その苦闘の結果たどり 着いた「武士道」と、好意的に評価しようか。
 しかしこの先生のベストセラー本のせいか、サッカーの日本代表選手を 「サムライ」と呼び、中身がないままに「サムライ」が一人歩きしている軽薄さを 「武士道」の代々の発見者稲造先生、謹造先生、正彦先生はどんな顔で見ているだ ろうか。たぶん苦虫を噛み潰している。

526 「良心の自由」とは何か(20)
思想的座標軸の欠落(1)
2006年6月16日(金)


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

 福沢諭吉のこの言葉の中の「天」とは諭吉にとってなんだったのか。 古田さんはそれは『儒教風の「天」』では決してなく、明らかに『西洋の god―キリスト教の神の翻訳語』として認識されていたはずだという。その キリスト教の唯一神の前で、すべての人間が平等なものとして措定されている。
 しかもその上に、諭吉にとって『自分自身がそういう神を自分の生き方の実質 として所有』していなかったことも明らかだという。

 古田さんは『福翁自伝』の末尾の文章を引用している。

「私の生涯の中に出来して見たいと思ふ所は、……仏法にても耶蘇教にても 執れにても宜しい、之を引立てて多数の民心を和らげるやうにすること」 (『福翁自伝』岩波文庫)

 「民心を和らげる」ために「仏教でもキリスト教でも」よいから、とり入 れたいとは、あきらかに「無神論的」な発想であり、シュタインが伊藤博文 に伝授した発想ともつながる。これは日本近代精神の「思想的座標軸」の欠如 を如実に物語っている。明治の知識人たちがこぞって直面していた問題であっ た。

 この課題を明治の支配者たちは『上からの「倫理宗」的新精神の宣布という 奇抜な形でやりとげようと』した。その典型的な表現が「教育勅語」に他なら ない。

『朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此 レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ 修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開 キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無 窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス 又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所 之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々 服膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ』

 ここに露呈している精神的思想的問題点を、古田さんは次のように論述して いる。

 「我が皇祖皇宗国を肇むること宏遠に」としてもっぱらそれが日本精神史を 一貫する「思想的座標軸」であったかのように擬制され、「これを古今に通じ てもとらず、東西にほどこしてあやまらず」と、百教一致的擬制が行われます。
 こういう権力者による「倫理宗」的規範宣言は、まさにその権力者自体が明 治思想界の「空白」を深刻に意識したところに発します。

 このことは権力者はいつも自己の美化、聖化を行うものだといった類の認識 からは説明せられ得ません。それは「古今に通じて」「東西にほどこして」見 るに、こういう修身的宣言が権力者から出されるという事態はそれほど一般的 なものでなく、明治独特のあり方、つまり「座標軸なき精神の空白」時代の中 の絶対主義的(疑似ブルジョワ的)権力の対応を示しているのです。

 しかも、その喜劇性は次のような一例を見ても明らかです。「夫婦相和し」と いう言葉と、明治天皇の後宮(ハーレム)生活、明治 支配者達の花柳界への独特の「相和した」関係(それは待合政治として現在ま で継承されています)、とを対置せしめれば、まずもってその宣言の発布者自 身がその一片の紙片を信じていない、しかしそういう欠落した精神の状況だか らこそこの宣言を出さねばならない、といった自己矛盾が露呈されています。

 ここに「精神」がもっぱら「たてまえ」として、自己の生活実体、事実とは 別の「理想」として説かれるという思想状況が発生しています。これは敗戦後 の現在にも一貫した思想体制です(たとえば、「理想」はそうだが、 「現実は……」といった類の「理想」不信と現実「美化」は、常に生活実 体〈生活の中に生きて己を導く倫理(エトス)〉と 切り離された「たてまえ」として理想を考えることの反映です。したがって 「民主主義」さえ「たてまえ」として上からの規定を受け入れる形になり、封 建的、絶対主義的生活実体の其只中で、「民主主義」という「たてまえ」が尊 重されるという、思想状況を呈することになります)。

(中略)

 由来、明治・大正・昭和の識者達は、口を開けば「思想の混乱」「道徳の無秩 序」を嘆く慣習をもつことになります。戦時中の軍国精神の指導者から敗戦後の 町の識者に至るまでに共通する口吻は、ヨーロッパとも江戸時代とも異なった、 わたし達の時代の特徴 ―いかにヨーロッパから移植された「自由」が未だに重い かを示しています。


 教育勅語にも「自不信教入信」という国民を愚弄する精神構造がまる見えなのだ。

 現今ことさらに道徳の欠如や倫理の退廃を嘆く支配者たちの声がかまびす しい。その原因を戦後の民主主義教育のせいにして、教育基本法の改悪を目論ん でいる。日々絶えることなく報道される彼らの不祥事は氷山の一角でしかなく、 現在この国で最も道徳心に欠け最も倫理観が退廃しているのは誰なのかは明らかだ。もし言うほどに 社会全体が退廃していることが事実だとしたら、それはお前たちの失政と搾取 の結果だろう。自分たちをたなに上げて、庶民にお説教をたれる厚顔無恥ぶりは ほとほとあきれるばかりだ。

525 「良心の自由」とは何か(19)
近代日本での異端狩り
2006年6月15日(木)

 続けて古田さんの論述を引用する。
 こうしてみると、シュタイン氏が東洋の秀才に「神道」を「非宗教」(=諸 宗教以上の宗教)として国家精神にせよと指示した意味合いも明白です。やが て近代国家の道をたどる日本が当然赤裸々な挑戦に会う筈の、階級対立に対し、 あらかじめ強力緩和剤(=アへン)を設定せよ、というのです。決して「信教 の自由」を単なる「自由」として「過信」するなというのです。

 ここで目立っているのは、氏にとって緩和剤の役割が〝自らの信仰″とは切 りはなして完全に「醒めた」目で、分析・摘出せられていることです(それで なければ、紳士としての表面、キリスト教徒である筈の氏が、「神道」を国家 精神にせよと明快に言い放てないはずです)。

 つまり、氏自身の本質(内心)は完全に無神論者(ヽヽヽヽ) である点が重要なのです。
 だからこそ、階級対立に目覚めがちな民衆の前に、地上における絶対精神 (=国家精神)を提示せよ、目を覚まして彼等が不幸にならないように、民衆 に対して「宗教の自由」など以上の、いかにしてもそのわく(ヽヽ) から出られないような、崇拝の対象「神」(=原理としての緩和剤=アへン)を 与えてやれと、処方箋を書くのです。

 ここに統治者としての国家学の秘密、「教唆煽動家」封じ込めの秘法があり ます。一言にして言えば、「自不信教入信」(自ら信ぜずして人に信ぜしめる) の立場に尽きるのです。


 「自不信教入信」――靖国神社参拝に執拗にこだわっているコイズミ・イシハラ をはじめとする政治たちのほとんどは神道への信仰心など皆無であろう。靖国参 拝が政教分離に違反しているとの裁判所判断(2004年4月7日、福岡靖国訴訟の判 決)にチョッとひるんだのか、コイズミの昨年のおざなりな参拝(本殿に上ら ず、記帳もせず、賽銭を無造作に投げ込んでいた。)がこのことをよく物語って いる。あの姿には崇敬の念のひとかけらも見られなかった。
 さらにまた、梅原猛さんが機会あるごとに言うように、靖国神社はこの国の 縄文時代から連綿と続く伝統文化としての神道とは異質の、いわば、新興宗教 である。教祖は明治政府の為政者であり、それは信仰心なき教祖である。
 憲法で天皇を神と規定したうえで、天皇教を布教するための装置を用意して いった。教育勅語・君が代・日の丸に靖国神社を加えて天皇教布教のための 4点セットが完成した。

 その後、日本の為政者たちはキリスト教が異端狩りによってヨーロッパ社会を キリスト教単性社会に作り上げていったように、社会主義・共産主義・自由主義 などの「自由過激」な思想の苛烈な弾圧をほしいままにしていった。その第一の 大弾圧が「大逆事件」だった。この事件の位置づけを、古田さんは次のように述べ ている。

 明治という時代が無神論者(ヽヽヽヽ)にして、「自由過激」の社会運動家、幸徳秋水への 裁判(大逆事件)を以てその終幕(1911年)を飾るのは、まことにこの時代にふ さわしい幕切れと思われます。

 それは第一に、この裁判がシュタイン氏の敵視した「教唆煽動」者への 武器(ヽヽ)の批判であること。
 第二に、この裁判が(審間者自身の心の深処は別として)審問によって 「異端者達(ヽヽヽヽ)」(犠牲者)を造出して、 同じくシュタイン氏の指示に力づけられた、「国家教」たる天皇信仰を 明確(クリアー)にし、 純粋(ピユアー)にするための粛清裁判の性格を になうものに他ならなかったからです。


 明治憲法の「信仰の自由」規定はほとんど死文であった(第470回 参照)。 当然、異端狩りは宗教にも及んだ。「国家教」のわくをこえる宗教は弾圧された。 創価学会もそのひとつだった。コイズミの靖国参拝に強く反対できない公明党は いったいどういう了見なのだ。もっとも公明党も政教分離に違反している疑い があるから同罪か。






524 「良心の自由」とは何か(18)
伊藤博文の留学
2006年6月14日(水)

 1882年(明治15)、ドイツに留学した伊藤博文はシュタインに師事した。伊藤はそこで何を 学んだのか。
 伊藤はシュタイン氏に面会した翌々日(8月11日)、岩倉具視あての書信を したため、シュタイン氏の講義により、「英米仏ノ自由過激論者ノ著述」を過 信すべからずとの「道理」を教授され、「心私ニ死處ヲ得ル(ヽヽヽヽヽ) ノ心地」と異常な歓喜の情を述べました。

 さらに8月27日づけの参議山田顕義に与えた書翰では、「仏国革命の悪風に 感染してはいけない」「かの教唆煽動家の口車に乗らないこと」を教えられ、 大いに「前日の非を覚った」と告げています。

 何も伊藤が「前日」「教唆煽動」の「自由過激論者」だったわけではないの で、彼がいかに中江兆民の在野民権論者に悩まされ、やがて(この年から日本 各地で)激発する自由党左派の暴動に恐怖していたかが察せられます。

 伊藤は「教唆煽動」の「自由過激論者」封じ込めの秘法をシュタイン氏か ら授けられ、意気揚々とロンドンにわたったのが1883年の3月初めですが、そ の日の14日(伊藤の二ヵ月のロンドン滞在中)、ヨーロッパの生んだ最大の 「教唆煽動」の「自由過激論者」マルクスは同じロンドンの一角で絶命しま した。

 老教授シュタイン氏が壮年の伊藤に「教唆煽動家の口車に乗るな」と教える時、 氏の脳裏には、かつて同じ道を共に歩んだマルクス、共産党宣言を発してヨーロ ッパの社会運動に激震を加えたマルクスのことが念頭にあったのは確実と言えま しょう。


 では、伊藤はシュタインからどのような「秘法」を授けられたのか。

「神道ハ御国ニテ国体ヲ維持スルニ必要ナルヲ以テ之ヲ宗教二代用シテ自ラ宗 教ノ外二立テ、国家精神ノ帰嚮スル所ヲ指示シ、儒仏及西洋諸教等ハ人民自由 ノ思想二任セ、法律ノ範囲内二於テ之ヲ保護シ教義上固ヨリ之二干渉スベカラ ズ、而シテ国家ノ監理スベキ者三アリ、宗教ハ内政二関セズ、裁判二関セズ、 外交二関セザル等是レナリ。」 (海江田信義「須多因氏講義」)

 この講義録を初めて読んだとき、私は「靖国神社」問題の核心がすっかり分 かったと思った。
 古田さんはこの講義録を引用して次のように論述している。

 19世紀末、ドイツ国家学者シュタイン氏が伊藤博文に与えたこの訓戒は恐ろし いほどその後のわが国の(明治・大正・昭和にわたる)進路と運命を規定してい ます。氏は自らの国家学の構想、自らの研究の帰結を東方の未開・後進国の国家 構想に正確に適用したものと思われます。

 自らはその実質を知らず、おそらくは低級・野蛮の宗教として軽侮していると 思われる「神道」を近代日本の「国家精神」にせよとズバリと指示しているとこ ろに、氏の冷たい理性が見事にあらわれています。

 しかし、こういう提言の背後には、ヨーロッパ近代国家が、「信教の自由」を 表面となえつつも、その内実、国家理性として「キリスト教精神」を裏打ちして いるという、氏の国家学上の見識が横たわっていたはずです。

 その「キリスト教精神」とはこの論述で明らかにされたように、「国教化」さ れたヨーロッパ単性社会の(異端・異教排除後の)キリスト教です。しかもそれ が「新教」「旧教」という具体的宗教を超越している限りで、一種の「非宗教」 の神として、国家の法の背後に厳然と君臨していることを氏の研究は見抜いてい るようです(個々の宗教(=宗派)から離れた「神」は「信教の自由」の 上に(ヽヽ)立つ自明の存在なのです)。

523 「良心の自由」とは何か(17)
マルクスとシュタイン(2)
2006年6月13日(火)

マルクス シュタイン
1818~1883 1815~1890
ボン大学でヘーゲル法哲学を学ぶ。 キール大学でヘーゲル法哲学を学ぶ。
1840年代、フランスの社会運動・無神論を研究対象にパリで学ぶ。 同時期、マルクスと同じ研究対象でパリで学ぶ。
資本主義の病弊を論理的に解明し、人間の解放を目指すための理論を構築していく。 国家学、特に行政学者として名をなす。「行政」を「社会における階級対立を緩和するもの」と規定している。社会の矛盾の根源的な解決ではなく、矛盾を隠蔽するための統治者のための国家学を構築する。
ロンドンの陋巷で「かつてなかった困窮、救いのない悲しみ!」(妻イェンニーの手紙)」の中で生涯を閉じる。 ウイーン大学の「財政学・行政学・法哲学」担当の教授に出世している。

 氏(シュタイン)はヘーゲルの弟子(マルクスの兄弟弟子)として、国家と社会を区別し、すべての歴史および政治現象を〝人格としての国家″と〝階級的社会″との対立抗争の過程と見る立場に立っていたので、だからこそその「国家」の「行政」に、「社会における階級対立の矛盾」への緩和剤を発見していたのです。
 そしてその階級対立緩和剤(=行政)の根本原理がヘーゲル流の絶対精神を享けた国家精神、つまりヨーロッパ単性社会のキリスト教であることを氏は明確に意識していたわけです。
 ここでは単性キリスト教的国家精神を階級矛盾の、強力な観念的緩和剤と見る認識が成立しています。
 それは氏の兄弟弟子マルクスが宗教を、階級対立を観念的に忘却させ緩和させる作用をなすアへンと見なした認識と完全に合致しています。ただ差異はわずかな一点のみと言えるでしょう。曰く、「緩和させる側からリアルに見るか、緩和させられる側からリアルに見るか。」
 ――このわずかな一点がかつての両青年をウィーンの快適さとロンドンの窮乏に峻別したのです。……

522 「良心の自由」とは何か(16)
マルクスとシュタイン(1)
2006年6月12日(月)


(「神の運命」所収「近代法の論理と宗教の運命」の第4章「日本近代社会の精神状況への考察」を読んでいきます。)

 マルクスを取り上げない哲学史あるいは思想史は皆無だろう。
 シュタイン。私の貧弱な蔵書の中にはその名は探し出せなかった。ネットの世界大百科事典を調べた。


シュタイン(Lorenz von Stein 1815‐1890)
 ドイツ・オーストリアの政治学者。シュレスウィヒの貴族の家庭に生まれたが,平民の母親の不遇をみて爵位を辞したという。キール,イェーナ大学で法学,哲学を学び,ベルリン大学の法学博士号を受けた後,パリに遊学して社会主義者と交流した。 《現代フランスにおける社会主義と共産主義》 (1842) はドイツにおける社会主義文献の先駆といわれる。 1846 年キール大学教授となるが,政治活動を理由に 52 年罷免された。 55 年よりウィーン大学教授。ヘーゲルと社会主義者の影響下で,階級闘争の市民社会を階級中立的な君主が抑制し,弱者である労働者階級を保護するという社会君主制論を唱えた。経済学,行政学,財政学など広範な分野に業績を残したドイツ語圏における社会科学の先駆者の一人。 82年伊藤博文に憲法の基本原則を講じ,とくに過激自由主義の誤り,民族的伝統尊重の必要,君主権の重要性などを強調した。(長尾 竜一)



 チョッと横道に逸れるがここで思い出したことがある。6月7日の朝日新聞の記事である。


ネットで流行「アインシュタインの予言」、人違い?

 アインシュタイン博士が日本をべた褒めしたとされる「アインシュタインの予言」という文章が、ネットや一部の書籍で広まっている。だが実は、博士とはなんの関係もない言葉が孫引きで広まっただけだと、東京大学の中澤英雄教授(ドイツ文学)が主張している。調査でたどり着いたのは、シュタインという法学者の言葉とされていた文章だった。
 「神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」といったくだりがあるこの文章は、多少の相違はあるものの、1950年代から軍人や宗教家の書籍で紹介され始め、最近は日本文化を誇る「ちょっといい言葉」としてネットで引用されることも多くなった。

 だが出典が常にあいまいで、内容も博士の思想とは相いれないのではと疑問を持った中澤教授が、この言葉のルーツを追ってみた。その結果、アインシュタインの言葉として引用されている例として一番古いのは、56年の書籍であることがわかった。

 さらに戦前にさかのぼると、文意がよく似た文章が28(昭和3)年の『日本とは如何なる国ぞ』という本のなかに記されているのが確認できた。著者は、戦時中の日本の国体思想に大きな影響を与え、「八紘一宇」という言葉の提案者である宗教家の田中智学だった。

 ただし、この本では予言を語った人物はローレンツ・フォン・シュタインという明治憲法成立にも大きな影響を与えたドイツ人の法学教授だとされていた。

 中澤教授は、田中智学がこの言葉を知るもととなったシュタインの講義録などにも当たってみたが、該当する文章を見つけることはできなかったという。

 結局、起源はシュタインの言葉でもなく、田中智学が自らの思想をシュタインに寄せて語った文章の可能性が高いと中澤教授は見る。それが孫引きを繰り返されているうちに、どこかで「アイン」がついて、アインシュタインの予言だということにされてしまったらしい。

 中澤教授は「海外からみたらアインシュタインをかたってまで自国の自慢をしたいのかと、逆に日本への冷笑にもつながりかねない事態」と心配し、安易な孫引きにくぎを刺している。

 ■博士の言葉として流布「日本という尊い国に感謝」
 例えば、『世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰』(ごま書房、2005年)には、アインシュタイン博士の言葉として次のように記されている。

 「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが、今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に一カ所ぐらいなくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。そのとき人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄ではなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それには、アジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」

〈アインシュタイン研究者の板垣良一・東海大教授(物理学史)の話〉
 この言葉は、アインシュタインのものではないと断言できる。彼はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなく、「神」にこだわらない人だった。日記や文献を詳しく調べてきたが、彼が天皇制について述べた記録はない。



 この言葉がアインシュタインのものであるなどと、学者の実証を待つまでもなく、私にとっては言うも愚かなことだ。その思想内容はシュタインの思想をよく受け継いだものに他ならない。その思想の種を日本にまいたのが伊藤博文だった。
 このシュタインの思想が敗戦までの近代日本社会の精神状況にいかに大きな影響を与えてきたかを吟味するのがこれからのテーマである。上記のネット騒動はそのシュタイン思想の影響の残滓のなせる業である。

蛇足一つ。
 はじめ百科事典ではなくウエブで「シュタイン」を検索したがヒットしなかった。しかし「アインシュタインの言葉」をありがたがって舞い上がっているサイトに出会うという収穫があった。朝日新聞の記事にさっそく反論している。実証めいたことをぐちゃぐちゃ書いているが、全く実証とは程遠い。要するに、中澤英雄教授に「左翼」というレッテルを張ってイチャモンを付けているだけである。
 笑えるのは、自分を「中庸派」だといっていることだ。そして最後にこう書いている。

「私の気持ちは単純です。いい話なんだからほっとけよ。・・・です。」

 つまりウソで構築した観念世界にしがみついているだけのことなのだ。それを壊してくれるなと言っている。それが生きるうえでの欠かせない慰藉であるのなら、それはアヘンとしての宗教に他ならない。どうぞご勝手にと言うほかない。
521 詩をどうぞ(26)
追悼・清岡卓行さん
2006年6月11日(日)


 6月5日、若い頃になじんでいた詩人がまたお一人亡くなられました。清岡卓行さん、享年83歳。
 セントラルリーグの日程表作成という、詩人たちの中にあってはとてもユニークな仕事をされていたことがすぐ思い出されます。野球ファンおなじみの「猛打賞」は清岡さんのアイデアでした。
 その後、大学でフランス語の教師を勤められました。その時の作品でしょうか、チョッと長いのですが「大学の庭で」を選びました。
 「大学の庭で」は大学生に呼びかける形で書かれています。20歳前後という年齢はともすると死の方へ傾斜しがちな年頃です。私にも思い当たることがあります。清岡さんはそれに対して穏やかで端正な口調で、積極的に選び取るべき「生への意志」を対置します。それはお説教では全くありません。生命への慈しみに満ちた生の賛歌になっています。私の大学時代はもうはるか彼方の昔ですが、この詩からは今でも静かな深い感銘を受けます。


大学の庭で  清岡卓行

きみは 父や母を
また この細長い幾つかの列島に溢れて
愛着と反発をともに感じさせる
湿潤な民族や
その粘着し 屈折する
ふしぎに優しい影のような言葉を
あるいは その米と畳の生活をいろどる
四季の情緒のあわれさなどを
避けようもなく
歴史の重い歯車と歯車のきしみから
おびただしく苛酷な宿題のように
強いられたのだと
かたく信じている。

そして きみは
古代に栄えたあのオリーヴと大理石の国の
華やかな悲劇作者が歌わせた
年老いた合唱のともがらのように
この世に生を享けないことこそ
最大の幸福ではないかと
奇妙な洞窟への論理を追いながら
うつろな眼差しを
近くの親しい濠の水の上に遊ばせるのだ。

季節の移ろいははやく
濁った濠の水には
もう 桜の花びらは散らない。
なまあたたかい水の中には
おたまじゃくしなど可憐な生命がうごめき
恋人たちが戯れている 貸ボートの
忘れられた二本の櫂は
緑を増した水藻に
ねっとり捉えられたりしている。
夜がくれば その水面は
さざなみが立つ暗い鏡。
周囲のネオンサインが そこに
色とりどりに映り
その涼しい模様の上に
傍の道路を通過する自動車の群の
一様に近視のようなヘッドライトが
さびしい光の列を走らせるだろう。
ここは
思いがけなく静かな都心。
きみの人知れぬ悩みにふさわしい
繁華からは最も遠いささやかな場所だ。

ところで きみが
耐えられぬ空腹におそわれるようなとき
あるいは 抑えられぬ愛欲に盲いるようなとき
きみはやはり同じように悩むだろうか?
現実こそは残忍な教師なのだ。
きみが憎悪し軽蔑した欲望そのものの蛇に
きみは自ら知らず化身するかもしれない。
そうした仮定と推測が
今はむなしいことのように思われるとしても
きみの予想もしない地獄が どこかで
とにかくそのときは生命に
どこまでも本能的に執着させようと
きみを待伏せしているのではないかと
そのような状況の極限の可能を
まるで 他人のことのように
思い描くことはいいことなのだ。
そのように
追いつめられた生存の苦悩への敬虔な優しさを
一方において心の隅に保ちながら
次のような言葉に耳を傾けてみないか?

この祖国の土の上で
あるいは どこかの他国の空の下で
かつてどのようにも きみに
父や母は
また 民族やその慣わしは
外側だけから 力ずくで
あたえられたものではない。
むしろ こう言ったほうがいいのだ。
きみの最も遠い日に
いや 生命というものの
途絶えぬふしぎさを思うならば
どこまでも過去に溯ることができる
きみの輝やかしい
また 惨めな分身たちのうちの
誰が知っているよりも新しい日に
きみは選んだのだ
内側から ひそかに
きみ自身を。

そうでなくて どうして今
きみ自身が
太陽を受けた一枚の鏡のように
まぶしい自由でありうるだろうか?

きみはふたたび 全身のカで
しかし今は 暗く乱れ咲く 青春の
死の花々の色感のさなかで
生きることを選ぶのだ。
そして 生きるとは
屈することなく選びつづけること。
死ぬことをも含めて。

これは 論理の戯れ
抽象の言葉の遊びではない。
きみが酔い痴れた死への夢とは 遂に
世界のすべてを照しだそうとする
逆光の灯台への憧れ
よりよき生への クレシェンドの悲しみ
存在の自由の全きあかしではなかったか?
そうではないか?
きみは空気を食べて生きたいと思い
位置のない視点でありたいと望んだ。
まるで この世界への
最後の愛を告白するかのように。

そこで若し きみに
死への夢から生の建設へ向う意志が可能ならば
そして若し きみに
なんらかの好ましい学問がありうるならば
それこそは
きみの純潔を裏切ることが最も少く
世界へのより豊かな愛をいつもかたどる
試みにほかならぬのではないだろうか?
なぜなら きみの純潔は
どのような憤怒の極北にあっても
きみ自身にとって美しいものだけは
どうしても拒むことができなかったからだ。

つまり
美しいものにおいて自己を実現すること
そのきびしく結晶されるかたちこそ
学問と呼ばれるわざくれに
きみの魂の血液を
惜しみなくめぐらせることではないのか?
その拠点からきみは さらに
美しいものすべてを眺めることができる。
それはきみの微かな不死だ!
きみは選ばなければならない
きみのたどるひとつのさびしい学問を。
なかば 偶然のように。
そして なにものかに 深く羞じるように。
 (おそらく きみの見知らぬ
  この世の悲惨な現実に
  直観的に
  無意識的に羞じらって。)

他のさまざまな可能性を捨てることは
いかにもさびしいことなのだ。
きみが読みふけった
あのアカシアと社交界(サロン)の町の
病床の作家が若い頃しるしたように
どのように大きな一輪の現実の花も
空想の花束にはおよばないかもしれない。
少なくとも 無為のためには!
しかし やがて
きみの恋人の懐かしい個別性の中にしか
人類の温い深みがないように
きみの学問と創造の特殊性の中にしか
世界の美しい真実は
ありえないはずなのだ。




 第2連の古代の悲劇作者とはソポクレスです。「コロノスのオイディプス」の中のコロスの合唱に次の詩句があります。

この世に生を享けないのが、
すべてにまして、いちばんよいこと、
生まれたからには、来たところ、
そこへ速やかに赴くのが、次にいちばんよいことだ。
(筑摩書房「世界古典文学全集」 高津春繁訳)

 この詩句に共感を示してニーチェがどこかで引用していたのを覚えていました

。しかしニーチェも、このニヒリズムにもかかわらず、運命の全てを引き受けて生を選び取ることを説きます。それをニーチェは「運命愛」と呼んでいます。
 「アカシアと社交界(サロン)の町の病床の作家」も気になるのですが、私にはわかりません。どなたかご存知ありませんか。
520 認識論と矛盾論(10)
粛清の論理
2006年6月10日(土)


 実現することが同時に解決であるような矛盾が非敵対的矛盾であり、また変革し止揚することが解決であるような矛盾が敵対的矛盾である。このことは階級関係とは直接には関係しない論理である。
 また人間の認識が矛盾をふくんでいること、すなわち法則あるいは命題などは、相対的真理であり、つねに相対的誤謬へ転化する可能性がふくまれていることも、階級的矛盾と直接の関係はない。階級が消滅したのちにおいても、人間の認識を規定する本質的な矛盾として、消滅することのない矛盾である。

しかし毛沢東はそうはいわない。

「客観的矛盾が、主観の考えに反映して、概念の矛盾した運動を構成し、人びとの考えを発展させ、人びとの思想問題を絶えず解決してゆくのである。党内でも、異った見解の対立や闘争が生れる。これは社会の階級的矛盾および新しいものと古いものとの矛盾が党内に反映したものである。」
「共産党内のただしい思想とまちがった思想との矛盾は、さきにのべたように、階級が存在している場合には、階級的矛盾の党内への反映である。」

 これに対する三浦さんの論述は次の通りである。


 共産党内のまちがった思想も、人間の認識を規定する矛盾とのかかわりあいにおいて、真理から誤謬への移行において、とりあげられなければならないのだが、毛沢東は認識活動をめぐる特殊な矛盾のありかたを無視して思想の矛盾を直接に階級的矛盾にむすびつけ、その「反映」ときめてしまっている。これは、認識活動における「内的矛盾」を無視することであり、思想と現実の生活との相対的な独立を無視して「外的矛盾」をそのまま内部に「反映」させるという、機械的な反映論である。毛沢東自身のことばを借りて彼にさしむけるなら、

「わが教条主義者たちのこの問題でのあやまりは、一方では、矛盾の特殊性を研究し、それぞれの事物の特殊な本質を認識しなければならないこと……がわからない点にある。」

 認識の特殊な本質、特殊な矛盾についてのマルクス主義的な理解を欠いている点にある。それではこの思想の矛盾と階級的矛盾の直結は、実践的にどういう事態をひきおこすであろうか?いうまでもなく、誤謬が直接に階級関係とむすびつけられることになる。同志が悪い条件のもとにおかれ、能力が十分でなかったために、真理を誤謬に転化ささせてしまったり、実践で失敗してしまったりしたとき、これは敵の思想に感染したものであるとか、敵の手先になって撹乱工作を行ったのであるとか、いずれも「階級的」な外的矛盾との関係で解釈されることになる。
こうして、スターリン的な不当な汚名をきせる粛清工作の理論的な根拠となる一方では、真に「階級的」な立場に立つ者は誤謬などありえないという考えかたにもなり、革命の指導者に対する神格化はもちろんのこと、労働者階級ないし人民に対する崇拝が、大衆はつねに正しいのだという大衆追随が、否応なしに出てくるのである。さらに、党内の矛盾にしても社会主義社会の矛盾にしても、その闘争の形態が見たところ敵対的になれば、毛沢東矛盾論にもとずいて非敵対的矛盾が敵対的矛盾に転化したものであり、同志が敵になり人民が敵になったのであるという結論にいたらざるをえない。

 以上のように、矛盾における闘争は絶対的だというレーニンの行きすぎた規定は、敵対的矛盾と非敵対的矛盾との正しい区別を妨げ、思想的矛盾の敵対性を現実の生活における敵対性にもとずくものと解釈させ、ついにソ連や中国におけるスターリン的な粛清の論理に発展したのであった。

 レーニソはその遺言で、スターリンを責任ある地位からおろさないと危険であるといい、スターリン的粛清を押えるための組織的な配慮を主張したのだが、何ぞはからん、彼が自分のノートに記しておいたあやまりは、スターリン的粛清を合理化し正当づけるような理論へ成長する可能性をふくんでいたのであって、ソ連のみならず中国にまでスターリン主義をはびこらせるために役立ったわけである。

 それはレーニンにとって小さな誤謬にすぎなかったが、「小さな誤謬をどこまでも固執し、それにふかい基礎づけをあたえ、それを『究極にまでもってゆく』と、いつでもその小さな誤謬から、とてつもない大きな誤謬がつくり出されるのである!」(『共産主義の「左翼」小児病』)

 彼もおそらくあの世で苦笑いしていることであろう。



『大衆はつねに正しいのだという大衆追随』の例として、毛沢東思想が牽引した中国の文化大革命という悲劇が思い出される。

 誤謬は誤謬と知っていれば有用な認識であるが、誤謬に気づかずに放置すれば、たとえそれが小さな誤謬であっても大きな悲劇を生む原因ともなる。人類の歴史を覆いつくしている殺戮の原因は、富と権力への欲望という妖怪だけの所為にはできないだろう。そのおおもとには常に理論上の誤謬がこびりついていると思う。特に宗教がらみの殺戮を目の当たりにするとき、宗教そのものが認識論的誤謬の産物であることを指摘しないわけにはいかない。ロシア・マルクス主義のイデオロギーは一種の宗教であるとはもう言い古された言説だが、まさにその通りだと改めて思う。

(論文「レーニンから疑え」はこのあと「国家論」の誤謬、社会主義における「賃金問題」と続きますが、それらはこのシリーズのテーマをこえる問題なので、ここでこのシリーズを終わることにします。次回から中断していた『「良心の自由」とは何か』に戻る予定です。)
519 認識論と矛盾論(9)
毛沢東矛盾論はさらに後退する
2006年6月9日(金)


 矛盾における闘争は絶対的だというレーニンの規定はスターリン、毛沢東へと受けつがれていった。
スターリン
「それらの対立物間の闘争、古いものと新しいものとのあいだの闘争、死滅してゆくものと生れ出るものとのあいだの闘争、生命を終りつつあるものと発展しつつあるものとのあいだの闘争が、発展過程の内的内容、量的変化の質的変化への転化の内的内容をなすものである。」

 このスターリンの言説を三浦さんは、馬蹄形磁石をとりあげて、次のように揶揄している。
『なるほどプラスとマイナスの二つの極が統一されているなと思う人もあるであろう。しかしつぎの瞬間には、この二つの極がいったいどこで闘争しているのが、二つの極のどちらが新しくどちらが古いのかと、首をひねる人もいるにちがいない。』

毛沢東
「戦争における攻守、進退、勝敗はみんな矛盾した現象である。その一方がなくなれば他方もなくなる。」

 三浦さんは言う。
『戦争は、敵との間に行われる。いうまでもなくこれは敵対的矛盾であり、そこには生命をかけての闘争が展開する。しかし旅行者が航空機で飛ぶときにも、大阪へ進み大阪へ近づくことは同時に東京から退き東京から遠ざかることであって、これも一つの矛盾である。この矛盾のどこに闘争があるのであろうか。ここで進むと退くのとどちららが新しくどちらが古いのであろうか。レーニンのノートはもちろんであるが、スターリンも毛沢東もソ連の学者たちも、このような問題には触れようとしない。』

 レーニンが「同一」という概念を「おそらく、より正しくいえば『統一』か?」と、おぼろげながらその相違を感じていた正しい弁証法への糸口はあとかたもなくなっている。

毛沢東
「同一性、統一性、一致性、相互浸透、相互貫通、相互依拠(あるいは依存)、相互連関もしくは相互作用というこれらのことばは、すべて同じことを意味している」
「すべての矛盾する諸側面は、みな、一定の条件によって、不同一性をそなえているので、矛盾とよばれる。しかし、また同一性をもそなえているので、たがいにつながりあっている。レーニンが、弁証法とは『対立物がいかにして同一でありうるのか』を研究することだといったのは、このような状態をさしているのである。どうして同一でありうるのか? たがいに存在の条件をなしているからである。これが同一性のもつ第一の意味である。」

 真理が誤謬となり、誤謬が真理となる相互転換は「認識の限界」を逸脱することによって起こる。レーニン→スターリン→毛沢東と受け継がれた矛盾論の誤りは非敵対的矛盾と敵対的矛盾の違いを無視していっしょくたに扱ってしまったところにある。
 いいかえると

対立物の統一

 ① 直接的統一(同一)
 ② 媒介的統一(不可離)

 という「統一」の構造を理解せず、「同一」が常識的な意味の差別(不同一)に対する「同一」という意味に解釈されてしまったところにある。

 「同一」と「不可離」の違いを分かりやすく説明している文章を引用する。チョッと長いです。


 弁証法における同一性とは、毛沢東のいうような「ブルジョアジーがなければプロレタリアートがない。プロレタリアートがなければブルジョアジーもない。」というような、「たがいに存在の条件をなしている」むすびつきをさすのではない。これは対立物の不可離性である。マルクスもいうようにこの不可離的な統一の媒介運動が直接的同一性をつくり出すのであって、たとえばプロレタリアートがプロレタリアートとしての立場を椎持しながらも、銀行に預金したり株を買ったりして利子や配当という形態で剰余価値の分配にあづかり、ブルブョアジーとしての萌芽を自分自身に持つことが、プロレタリアートであると同時にブルジョアジーであるという矛盾を自分自身に負うことが、対立物の直接的統一すなわち同一性なのである。これがさらにすすんで、工場で働くのをやめ、自分の財産を預金や株のかたちで金融資本や産業資本に提供し、利子や配当だけで生活するようになれば、完全に労働者の搾取に生活を依存する小ブルジョアへの転化が完了したわけである。

 毛沢東はつづけていう。
「事柄は、矛盾の双方がたがいに依存しあっているだけに終るのではない。もっと重要な点は、やはり、矛盾している事物がたがいに転化しあうという点にある。これは、事物の内部にある矛盾の二つの側面が、一定の条件のために、それぞれ自己と反対の側に転化し、自己と対立する側面のしめている地位に転化してゆくことを意味する。これが矛盾の同一性のもつ第二の意味である。」

 こうして毛沢東は、矛盾の単なる一形態でしかない同一性に、相互転化を押しこむだけでなく、さらに地位の転化をさえ押しこんでしまう。正しい意味での同一性における相互転化は、いまみたようなプロレタリアートがブルジョアジーになったり、あるいは反対に競争の結果苦しくなった小工場の持ち主が自分も大工場へ働きに出かけるというかたちでプロレタリアートとしての萌芽を自分自身に持ち、やがて小工場がつぶれて完全にプロレタリアートへの転化が完了するという、それだけのことである。

 毛沢東のいう「被支配者であったプロレタリアートが、革命を通じて支配者に転化し、もともと支配者であったブルジョアジーが、被支配者に転化し、たがいに相手が元来しめていた地位に転化してゆく」問題は、権力の獲得という、上部構造をめぐる複雑な媒介関係において展開するものであって、正しい意味での同一性における相互転化とは別の問題である。

 正しい意味での同一性を理解するならば、敵との対立における媒介関係が、直接的統一として「敵であると同時に同志でもある」ような人間をつくり出すことも、理解できるわけである。警察や裁判所や諸官庁にいる革命政党の党員は、敵に奉仕しながら革命運動のために働いているという、同一性をそなえている。ブルジョア出版社が『資本論』を出版することは、革命運動にとって大きな利益であると同時に、その出版社に利潤をもたらす意味で資本家にとっての利益でもあるという、同一性をつくり出す。

 敵かそれとも同志かという、あれかこれかの形而上学で割り切ることはできないということを、現実の対立物の相互浸透が、同一性がわれわれに教えてくれるのである。正しい意味での同一性の無理解は、敵かそれとも同志かという形而上学におちいりやすいこと、同一性の成立を直ちに反対物への転化と解釈しやすいことに注意しなければならない。



 間違った矛盾論が「粛清の論理」へとつながっていく論理的構造が見えてきた。
518 認識論と矛盾論(8)
レーニン矛盾論の欠陥
2006年6月7日(水)


 レーニン矛盾論の問題点がこのシリーズの中心テーマなので、この部分については下手な要約はせずに、三浦さんの論述をそのまま紹介しよう。
 三浦さんはレーニンの「哲学ノート」の記述を検討しながら次のように述べている。


 レーニンは、「媒介と同時に直接性をふくんでいないものは、天にも、自然にも、精神にも、どこにも存在しない。」というヘーゲルのことばを抜き書きしていながら、対立物の統一もまた媒介と同時に直接性をふくんでいること、直接的統一こそ「同一」であることの理解にまですすむことができなかった。そのために、彼は対立物の「相互浸透」という概念に到達することができず、エンゲルスの理解に追いつくことができずに終ったのである。
 このレーニンの「同一」の理解の弱点は、『弁証法の問題によせて』における混乱となってあらわれた。彼はまず、矛盾を「対立物の同一性」と規定したが、すぐこう附け加えている。

「おそらく、より正しくいえば『統一』か? もっとも同一性という用語と統一という用語の差異はここで特に本質的なものではない。ある意味では両方とも正しい。」

 つまり、「統一」と「同一」との論理的な関係を正しく理解してはいなかったにしても、ヘーゲル論理学全体に目をとおしただけあって、「統一」のほうが正しいのではないかとおぼろげながら感じてはいたわけである。そしてこの曖昧だったことが、つぎのように矛盾の規定に大きな影響をおよぼすことになった。

「対立物の統一(合一、同一性、均衡)は条件付、一時的、過渡的、相対的である。相互に排撃する対立物の闘争は、発展、運動が絶対的であるのと同様に絶対的である。」

 このような、相対性は統一の部分に、絶対性は闘争の部分にという発想は、私が「ふりわけ論」とよぶ一種の形而上学的な思考で、弁証法的思考でも何でもない。レーニンが「合一、同一性、均衡」などを、すべて「統一」の特殊な形態であると明確に区別してつかんでいたならば、これらの形態はいろいろ変化ししたがって相対的であるが、それらが「統一」であることに変りはなく、したがってこの点では絶対的であると理解できたであろう。それでは対立物の闘争はどうであろうか。そこには何ら相対性はないのであろうか。

(中略)

 矛盾を関係としてとらえた場合、上と下であるとか、右と左であるとかいう関係は、直接的な同一性として、上は同時に下であるとか、右は同時に左でもあるとかいうような矛盾として存在している。有限は同時に無限であるとか、有は同時に無でもあるとかいうような、矛盾をとりあげることもできる。これらはたがいに相いれない両面の統一であるが、ここに果して闘争が存在するであろうか。飛ぶ矢が空間の一点に存在すると同時に存在しないという、運動の矛盾をとりあげて、存在する矢と存在しない矢との「闘争Jを論じることができるであろうか。

 マルクスが問題にしている「総じて、現実の諸矛盾がもって自らを解決する方法」は、いわゆる非敵対的矛盾の解決方法であるが、このような解決方法についてはレーニンは何ら考慮を払っていないのである。

 階級的矛盾その他、いわゆる敵対的矛盾にあっては、相いれない両面が闘争している。すなわち対立物の闘争は絶対的である。だが力学的運動にしても有機体としての運動にしても、いわゆる非敵対的矛盾にあっては、相いれない両面が闘争するのではなく、遠心力と求心力との調和や同化と排除との調和など、調和を正しく維持することによって矛盾が存在するのである。
 したがって、矛盾全体として見るなら、対立物の闘争は相対的なのである。この点でもレーニンの規定はあやまりだということになる。

 ミーチンその他ソ連の哲学者たちは、レーニンがマルクス主義の矛盾論をこのようにゆがめたことに気づかないばかりか、反対にこれをマルクス=エンゲルスを発展させて新しい段階に高めたものだと思いこみ、礼拝したのであった。
 彼らはエンゲルスのあげた三大法則の一つである「対立物の相互浸透の法則」を、対立物の統一にまで還元してしまったばかりでなく、レーニンが絶対的だというので闘争をもそこにつけ加え、「対立物の統一と闘争の法則」に修正した。そして、レーニンが闘争を加えたことは、帝国主義の時代の階級闘争の激化に照応して弁証法を発展させたものであり、エンゲルスをさらに深めたものであると、まことしやかにコジつけたのであった。

517 認識論と矛盾論(7)
矛盾論
2006年6月6日(火)


 これまでの議論をまとめると、認識論の要の一つは「真理と誤謬の相互関係と発展」を正しくとらえて構造的に体系化することであった。
 ところで、ある認識が相対的真理であるとは「いくらかの誤謬を含んだ真理」のことであり、相対的誤謬とは「いくらかの真理を含んだ誤謬」のことである。ここには「真理であるとともに誤謬」であるという矛盾が存在する。認識論を科学として確立するためには、こうした矛盾の存在に心を配り、矛盾の展開・発展を正しくとらえることがもう一つの要となる。

 矛盾という言葉の由来はもうほとんどの人が知るところだろう。私は高校の漢文の授業で知ったと思う。「どんな盾をも貫く矛」と「どんな矛をも通さない盾」を誇示して矛と盾を商っている商人が「その矛でその盾を突けばどうなるか」と問われ反答に窮したという話だった。
 この中国故事のように、一般には矛盾とは「不合理な認識のありかた」をさしている。しかしどんな矛盾にしても、それが生れるだけの合理性があるからこそ存在する。だから、解消しなければならない望ましくない矛盾だけではなく、のぞましいものとして維持したり創造したりすることが必要な矛盾もある。このことを三浦さんは次のように説明している。


 われわれ人間をもふくめたあらゆる生物は、どの瞬間においても、同一のものでありかつ同一のものではない。個体として同一でありながらそのありかたは異っている。どの瞬間においても、それは外からもたらされた物質をとりいれ、別の物質を排泄している。これは絶えず自己を定立しかつ解決しつつある一つの矛盾であって、この矛盾がやめば直ちに生命もやみ死がはじまるから、生きていくためにはこの矛盾を維持していく必要があり、とりいれる面と排泄する面との調和に努力する必要がある。


 このような矛盾を『非敵対的矛盾』という。精神の成長=認識の発展においても同じである。冒頭で述べたように、真理はすべて相対的真理であるという認識の本質的なあり方がすでに一つの非敵対的矛盾の例であった。


 現実の世界は時間的にも空間的にもまたその多様性においても無限であるにかかわらず、その現実の世界の一部分であるわれわれの頭脳への現実の世界の反映は、われわれの歴史的なありかたと個人の肉体的・精神的なありかたから規定されて、時間的にも空間的にもまたその多様性においても有限でしかありえない、という矛盾である。この矛盾は人間の認識にとって本質的なものであって、人類が消滅しないかぎり消滅しないのである。

(中略)

 現実の世界が無限であるのに対して、われわれ個人の認識に限界があるとしても、われわれは他の人間の認識を受けついでそれを補う方法を現に実践している。これは実際上限りなく継続していく人間の世代の認識を系列化することであり、個人が他の人間とむすびついてつぎからつぎへと認識を受けついでいく認識それ自体の交通・運動形態を創造することである。この無限の継続が、現実の世界の無限のありかたと正しく照応し調和するように定立させられるのであるから、これは非敵対的矛盾を実現しかつ解決することなのである。



 「非敵対的矛盾を実現しかつ解決する」ということを「対立物の統一」という。この統一のあり方は2通りある。その一つは「対立物が相互に転化し同一となる」あり方で「直接的統一(同一)」という。これを、『反デューリング論』でエンゲルスは「運動」を例に次のように述べている。

『すでに単純な力学的な場所の移動ですら、一つの物体が同一の瞬間にある場所にありながら同時に他の場所にあること、すなわち同一の場所にあるとともにそこにないということがなければ、行われえない。』

 ここで注意を要することは、「同一」とは、『対立した両者がむすぴつくことではなく、一者が同時にその対立物であるという論理構造』を指している点である。
 これにたいして『対立する両者のあいだの媒介運動、すなわち両者の媒介的なむすびつきを伴っている』対立物の統一を「媒介的統一」という。

 三浦さんは繰り返し次のことを強調している。
『直接的統一がとりもなおさず「同一」なのである。つまり、「同一」というのは「統一」の特殊な形態をさすのである。』

対立物の統一
 ① 直接的統一(同一)
 ② 媒介的統一

 レーニン矛盾論の誤りがこの点に大きく関わっているからである。

 ちなみに、資本主義社会における「階級的矛盾」を「敵対的矛盾」の典型例としてあげることができよう。
516 認識論と矛盾論(6)
誤理論は毛沢東へと続く
2006年6月5日(月)


 レーニンを神格化していったソ連の哲学者たちはマルクス主義の真理論のレーニンによる歪曲・修正を見抜けなかったばかりか、反対にこれをエンゲルスの理論を発展させたより高い段階の理論だと持ち上げた。そして、この間違った真理論に毛沢東までが無批判的に追随していったという。三浦さんは毛沢東の「実践論」から引用している。

『絶対的真理の大きな流れの中では、個々の一定の発展段階での具体的な諸過程についての人間の認識は、ただ単に相対的な真理性を持つにすぎないものであると考える。無数の相対的な真理の総和こそが、つまり絶対的な真理なのである。』

 三浦さんがこの論考を書いた頃、いわゆる「中ソ論争」が加熱していた。その論争の中国側の論文には、さらにマルクスやエンゲルスが全く使ったことのない概念、「いついかなるときにも妥当する」という意味で「普遍的真理」という概念まで追加されているという。これはもうデューリングの形而上学的真理論まで後退してしまっている。デューリング氏曰く。

『ほんとうの真理というものは決して変化することのないものである。……であるから、時間や現実的変動によって認識の正しさがそこなわれうると考えるのは、総じておろかなことである。』

 この相対的真理を絶対化した真理論が『中国の教条主義あるいは「トロツキズムのくりかえし」をささえる認識論的な根源』であると、三浦さんは指摘している。一例として、「核世界戦争においても正義の戦争と不正義の戦争の区別が妥当する」と主張した当時の中国の戦争論をあげている。

『正義の戦争と不正義の戦争を区別せず同一に論じたり、一律に反対したりするのは、ブルジョア平和主義の観点であって、マルクス・レーニン主義の観点ではない。』

 「正義の戦争と不正義の戦争」という区別は普遍的真理であると言っている。まるでこれは新自由主義の観点からイラクに「正義の戦争」を仕掛けたブッシュの論理と同じだ。

 これに反して、マルクス主義の真理論に拠れば、『この命題にはそもそもはじめから少しばかりの誤謬がこびりついており、対象領域をひろげすぎると相対的誤謬に転化してしまう』と考えることになる。三浦さんの見解を聞こう。


 正義の戦争と不正義の戦争とは、戦争の動機やスローガンによって区別されるものではない。敵を倒して人民を救うという、戦争自体の性格において、これが正義の戦争とよばれるのである。
 戦争によって戦闘員である人民はもちろん、非戦闘員である人民さえ多少とも被害を受けることは、どんな正義の戦争でも免れることはできない。ここにすでに、正義の戦争であることを否定する客観的な契機がひそんでいる。

 武器が小銃や手榴弾などから、ガス、細菌などのようなコントロールの困難な、しかも戦闘員が防禦用具を持つに反して一般の人民が持たないようなものに進み、さらに核兵器のように殺傷力・破壊力が人類の滅亡をもたらすものになると、戦争をはじめる動機は正義であっても現実の戦争には敵を倒して人民を救うという性格を与えることができない。正義の戦争と不正義の戦争があるという命題はここではもはや妥当性を失ってしまう。もしこの命題を絶対的に妥当するものとして、あらゆる戦争に通用しようと試みるならば、世界核戦争においてはエンゲルスが警告しているようにその反対物に転化し、この中国側の命題は誤謬となり、「ブルジョア平和主義」の誤謬が真理となる。



 ブッシュの戦争にはその動機にさえ正義のひとかけらもなかった。そして今なお、イラクの人たちは毎日虐殺され続けている。ブッシュやそのポチ・コイズミのような人民の敵が裁かれもせず、世界の指導者、国の指導者としてしてのうのうとのさばっている、いや、のさばらせているいる人類に希望はない。人間はほんとうに救いようのないドウツブだ。

 と、ついまた言ってもむなしい愚痴を吐露してしまった。
515 認識論と矛盾論(5)
レーニンの躓きの石
2006年6月4日(日)


 前回に紹介したような認識論を三浦さんは「マルクス主義の認識論」と呼んでいる。これからはその言い方にならう。しかし、ここでいうマルクス主義が「官許マルクス主義」のことではないことを改めて強調しておきたい。

 三浦さんよると、多くのマルクス主義者はエンゲルスの『フォイエルバッハ論』を入門書として一度は目を通すそうだ。。そして、これだけを読んでフォイエルバッハの全てを分かった気になってしまっているという。その結果、フォイエルバッハに対する過小評価と過大評価の両方が生まれてくると分析している。
 過小評価の方は『フォイエルバッハの宗教批判およびヘーゲル批判における観念的な自己疎外の解明を軽視する傾向』として現れる。また過大評価の方は『フォィエルバッハの社会観以外の唯物論的見解をそのまま正しいものとして受けいれる傾向』となって現れる。

 レーニンがこの後者の陥穽に陥っていた。
 フォイエルバッハはヘーゲルの「絶対精神」を否定して人間の思惟を「彼岸」から「此岸」に引き戻したけれども、「客観的存在そのもの」を「真理」と呼んでいる点で中途半端な唯物論にとどまっていた。

 真理について、フォイエルバッハは次のように言っている。

『観念論と自称する現代の哲学的唯心論は、唯物論に対してつぎのような ― その意見によれば唯物論を根絶するところの ― 非難を与えている。唯物論は独断論である。即ちそれは確定的なもの、客観的真理としての感性的世界から出発し、この世界をそれ自体における、すなわち我々なしに存立する世界とみなす、しかし世界はただ精神の産物にすぎないのだ、と。』

 これを受けてレーニンは

『フォイエルバッハが、唯物論は究極的な客観的真理としての感性的な世界から出発するといっている。』

とフォイエルバッハを丸呑みしている。

 ところで、マルクスの『フォイエルバッハ・テーゼ』の第二項は次のように述べている。

『人間的思考に対象的な真理が到来するかどうかという問題は ― なにも理論の問題ではなく、実践的な問題である。実践において人間はかれの思考の真理性、すなわち現実性と力、此岸性を証明しなければならない。思考の現実性あるいは非現実性についての論争は、 ― この思考が実践から遊離しているならば ― まったくスコラ的な問題である。』

 この第二テーゼについては三浦さんが分かりやすく解説している。


 対象であるお菓子がうまいかまずいかと予想を立てるのは思惟の活動であるが、それは食べてみるという実践によって、訂正されあるいは確認される。ここで真理であるか否かが証明される。対象的真理とは対象から与えられた真理の意味である。



 フォイエルバッハに躓いたレーニンはこの第二テーゼの「対象的真理」をフォイエルバッハ的に「客観的な世界そのもの」と曲解して、マルクス自身が「対象である物自体」を「真理」と呼んだかのように主張した。

『思惟の『対象的真理』とは、思惟によって真に反映される対象(=「物自体」)の存在をいいあらわしたものに ほかならない。』(強調はレーニン自身によるもの)

 つまり、レーニンはマルクスをフォイエルバッハまでひきもどし後退させて、その真理論を展開していった。三浦さんがレーニンの「唯物論と経験批判論」から引用している文章は次のようである。

『客観的真理が(唯物論者の考えるように)存在するとすれば、そしてただ自然科学のみが、外界を人間の「経験」の中に反映することによって、客観的真理をわれわれに与える能力があるとすれば、あらゆる信仰主義は無条件的に拒否される。』

『(1)客観的真理は存在するか? 即ち人間の表象の中には、主観に依存せず、人間にも人類にも依存しないような内容があり得るか?
(2)もしあるとすれば、客観的真理を表現する人間の表象は、この真理を一度に、すっかり、無条件的に、絶対的に表現し得るのか?それともただ近似的に、相対的に表現し得るにすぎないのか?

 この第二の問題は絶対的真理と相対的真理の問題である。』

『現代唯物論、即ちマルクス主義の見地から見れば、客観的、絶対的真理へのわれわれの近接の限界は歴史的に制約されている。だが、この真理の存在は無制約であり、われわれがそれに近接するということは無制約的である。画像の輪廓は歴史的に制約されている。だが、この画像が客観的に存在するモデルを描写するものだということは無制約的である。……一口にいえば、あらゆるイデオロギーは歴史的に制約されている。だがあらゆる科学的イデオロギーには(例えば宗教的イデオロギーと異って)客観的真理、絶対的自然が照応するということは無制約的である。』

 前回の認識論の検討で退けてきた間違った真理論のオンパレードである。
 第一の引用文では「誤謬」をまったく切り捨てている。
 従って第ニの引用文では絶対的真理が客観的真理の無条件的・絶対的な反映だと言っている。
 さらに、第三の引用文を加味すると、対象的真理=客観的真理=絶対的自然=絶対的真理であって、人間の認識としてはこの客観的な世界をすっかり反映したものが絶対的真理、部分的に不完全に反映したものが相対的真理だということになっている。そしてこのことから、部分的に不完全に反映したものがつぎつぎにつみ重ってすっかり反映するようになるという考え方、つまり「相対的真理の総和が絶対的真理である」と主張している。

 すべて、前回検討した「マルクス主義による真理論」とは全く逆立ちしたものになってしまっている。


 レーニンが、このように客観的に存在するモデルそのものを真理とよんだことは、マルクス主義に反しているけれども、このあやまりはさらに真理の弁証法的な把握を妨害する結果にならざるをえない。なぜならば、真理は誤謬に対立するものであり、弁証法は真理と誤謬を対立物の統一として……相互に転化するものとして、とらえるのである。だが、客観的実在を客観的真理とよぶならば、これはどこまで行っても真理であって、誤謬に転化することはありえない。それゆえ、あらゆる真理は条件づきであり、誤謬に転化する可能性を持っているというマルクス主義の真理論は、この時代のレーニンにあっては暗黙のうちに修正されているわけである。

514 息抜きのため、ご無沙汰でした。
2006年6月3日(金)


 日ごろ自宅を中心に半径1㎞ほどの範囲で生活している出不精者が神さんに引っ張られて2年ぶりに旅行に出かけました。
 何でも見てやろう型の旅行はくたびれる。私の旅行は、日常から解放されてひととき頭と心が空っぽになれればよいという無目的旅行。そして終われば旅行中に体験した大半を忘れてしまうというウツケ型旅行。
 それでもやっぱり5月30日に予定されていた藤田さんの裁判の判決は気になってしかたがなかった。帰宅してまず最初にやったことは30日付の夕刊でその判決の報道を読むことだった。
 この裁判は起訴すること自体がむちゃくちゃな権力による見せしめ裁判。判決は一方的に検察側の証言だけを採用し、被告側の証人の証言を全く無視したもので、有罪20万円の罰金だとさ。茶番もいいとこ、なんとも滑稽な、しかし見せしめ効果はきちんと果たす、見方によっては計算しつくされた行政権力追従判決だ。ブルジョア民主主義という欺瞞、三権分立という欺瞞を改めてはっきりと露呈してくれた。

 確か前にどこかで引用した記憶があるが、もう一度引用しよう。


 社会は進歩した。従って征服の方法も発達した。暴力と瞞着との方法は、ますます巧妙に組織立てられた。
 政治! 法律! 宗教! 教育! 道徳! 軍隊! 警察! 裁判! 議会! 科学! 哲学! 文芸! その他一切の社会的諸制度!!

 そして両極たる征服階級と被征服階級との中間にある諸階級の人々は、原始時代の彼の智識者と同じく、あるいは意識的にあるいは無意識的に、これらの組織的暴力と瞞着との協力者となり補助者となっている。
 この征服の事実は、過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の、人類社会の根本事実である。この征服の事が明瞭に意識されない間は、社会の出来事の何物も、正当に理解する事は許されない。(大杉栄「征服の事実」より)



 時代錯誤の世迷い言と言われるだろうか。私はそうは思わない。進歩派あるいは革新派を自称する人たちの言論にむなしさを感じることが度々あるが、それは上記のような意識の片鱗も感じられないときである。現在の国家を民主主義国家であると無批判に是認した上の言論に対してである。そのスタンスから発せられる言論は、いかに激しく政治権力を批判していても、私にとっては床屋政談にしか聞こえない。
 続いてたまった新聞に一通り目を通した。とてもいいコラムに出会った。5月25日に亡くなられた米原万理さんを追悼する池澤夏樹さんの文章から。


 右へ右へと傾いてゆく今の日本に対する米原さんの批判は筋が通っていて、表現に威力があって、読む者に勇気を与えた。共産圏は滅びたが、社会主義の理念は生きている。資本主義がエゴ丸出しの投機に走るほど、人間を土台に据えた社会主義の必要は増す。



 私としてはより詳しくリバータリアン社会主義といいたい。そして必要が増しているのは政治思想としての社会主義だけではない。社会主義思想を構築している論理であり、物事を正しくとらえるための思考方法である唯物論的弁証法も、少なくとも私は必要とする。
 ということで、次回から中断していたテーマに戻ります。