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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
474 「良心の自由」とは何か(7)
キリスト教単性社会
2006年4月15日(土)


 一般に宗教裁判とは異端審問という名目で行われたもの全てを指す。すぐに思いつく事例にガリレオ・ガリレイ等の科学者に対する裁判がある。聖書の説く世界観(天動説)と異なる研究成果(地動説)が糾問されている。ガリレオに対する第1回目の裁判は1616年であった。なお、ガリレオ以前に、ジョルダノ・ブルーノ(イタリアの宗教家、哲学者)がその無限宇宙論を異端とされ、1600年に火あぶりの刑に処せられている。
 また、カトリックとプロテスタントとの抗争(宗教改革)の過程で行われた凄惨な異端審問がある。「魔女裁判」がキリスト教に先行する土着の宗教に対する弾圧なのに対して、これはキリスト教の中での異端(分派)狩りということになる。中でも1562年から始まったフランスでの宗教戦争では、15 72年にカトリック側がプロテスタント側のおよそ4000人を大量虐殺したという事件(セント・バーソロミューの大虐殺)があった。この宗教戦争は1598年のナントの勅令(アンリ四世)によって終結している。そのナントの勅令に次の条項がある。

第6条
 余が臣民の間に騒乱、紛議のいかなる動機も残きぬため、余は改革派信徒が、余に服する王国のすべての都市において、なんら審問・誅求・迫害されることなく、生活し、居住することを認める。
 彼らは、事、宗教に関してその信仰に反する行為を強いられることなく、また本勅令の規定に従う限り、彼らの住まわんと欲する住居、居住地内において、その信仰のゆえに追求せられることもない。

 「信仰の自由」の宣言であるが、あくまでもキリスト教内のことである。「魔女」やキリスト教以外の自由には何も触れていない。「宗教の自由」ではなく「宗派の自由」である。

 さて、「信仰の自由」の古典的典拠となっている「寛容についての書簡」をロックが発表したのは1689年だった。大がかりな魔女狩りの最後の時期(1660年~1680年)が終わり、異教はすっかり狩りつくされていた。古田さんは『異教が狩り尽くされ、異教的な臭気すら殺されたキリスト教』の神のみを唯一の神とする社会を『キリスト教単性社会』と呼んでいる。

 その書簡の中でロックは「信仰の基本事項に関する異端や公共の秩序を乱すもの」だから「許すべきではない」として「寛容の対象から除外すべきもの」を4項目あげている。

l 国家に危害を加えるもの
2 他の宗教に対して不寛容なもの
3 外国の権力への服従を主張するもの
4 神の存在を否定するもの

 「1」でいう「国家」は「イギリス教会の首長たるイギリス国王にひきいられる国家」である。
 「2」はピューリタン(プロテスタント)派の傾向への戒めであり、
 「3」は英国に圧力を加えつづけて来たローマ・カトリック教会への牽制である。
 「4」の「神」とは「キリスト教の神」である。ここで否定しているのはキリスト教以外の異教である。(もちろん無神論者をも含んでいよう。)

 つまりロックが言う「寛容」とは「イギリス教会の首長の支配下における各派の容認」という意味である。ロックの「信仰の自由」はキリスト教単性社会内のそれであり、やはり「宗教の自由」ではなく「宗派の自由」にすぎなかった。

 『異教・異端の徹底的粛清によって合一されたキリスト教単性社会』という暗黙の前提は、1949年に制定されたドイツ連邦共和国基本法にまでも真直ぐに貫流していると、古田さんは指摘している。


 神および人間にたいする責任を自覚し、その国民的・国家的統一を維持し、かつ合一されたヨーロッパにおける同権の一員として、……ドイツ国民は、過渡期について国家生活に新秩序をあたえるために、その憲法制定権力にもとづき、このドイツ連邦共和国基本法を決定した。(前文の冒頭)

 日本などの非西欧世界では「諸宗教の自由」の明々白々の侵害でしかあり得ない、この表現が、ここでは 「信教の自由=神の中の宗派の自由」の明々白々の根拠とされているのです。

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