2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
444 「正義論」は「現実」とどう切り結ぶか(3)
同性愛(1)
2006年2月27日(月)


(昨日このシリーズの中断を決めたばかりなのに、もうチョッとだけ続けることにしました。)
 今日の朝刊(朝日新聞)に『「同性愛」告白されたら?』という小さな囲み記事があった。
 『最近は、同性愛者自身の支援グループは少しずつ増え、自分が同性愛者であることを公にする人も増えてきた。だが、家族や友人、恋人などに正しい知識を教える場がなく、告白に戸惑ってパニックを起こし、事態を悪化させてしまう例が問題になってきた。』
 そのような人たちへの悩みに答える無料電話相談のスタートを紹介する記事だ。

 その電話相談を始めた方(かじよしみさん)の肩書きはカミングアウト・コンサルタントという。恥ずかしながら「カミングアウト」という言葉を私は知らなかった。

 研究社版「新英和大辞典」によると「(若い女性の)社交界へのデビュー」とある。これじゃ意味が合わない。きっと新しい用法なんだな。ならインターネットだ。
 インターネットは便利ですね。「はてなダイアリー」によると「自分が,社会一般に誤解や偏見を受けている少数派の主義・立場であることを公表すること。」これこれ、これならピッタリだ。
 (この段落は余分ごとでしたかな。)

 さて、上の記事が最近ケーブルテレビで見たトム・ファンクス主演の「フィラデルフィア」(1993年)という映画と結びついた。

 同性愛者でエイズに侵された弁護士ベケットが勤務先の事務所を解雇される。直接の解雇理由は重要書類を紛失するという失態である。しかしその失態は仕組まれたものであり、真の理由は「同性愛者でエイズ」に対する偏見だ。ベケットはその解雇の不当性を裁判に訴え、ある裁判での係争相手だった弁護士ミラーに裁判の弁護を依頼する。
 法廷での一場面。

 ミラーがそれまでとは略脈のない質問を証人にいきなり激しい口調で浴びせかける。
 「あなたはオカマか?クイーン?フェアリー?かま掘り? あなたはゲイか!」

 当然相手弁護人から「異議あり」の声が上がる。
 「証人の性の問題は本件に関係ありません。」

裁判官「何を考えているのか説明してくれんかね。まるで私には見当がつかない。」
ミラー「裁判長!この法廷の人々は性のことが頭から離れない。性的な興味がだ。(中略)ならはっきりさせたほうがいいのだ、隠さずに。話はエイズだけじゃない。本当のことを話すべきだ。我々の中に嫌悪、恐怖。同性愛へのだ。その嫌悪と恐怖の気持ちが、この同性愛者の解雇にどうつながったか。ベケット氏の解雇にです。」
裁判官「この法廷では正義だけを考え、人種も、宗教も、肌の色も、個人の性の趣向も、いっさい関係ありません。」
ミラー「しかし我々の社会は、法廷の中とは違います。」

 「正義論/自由論」の第6章は「セックスとリベラリズム」。

(というわけで、「正義論」に戻った言い訳でした。)

スポンサーサイト
443 「正義論」は「現実」とどう切り結ぶか(2)
宗教
2006年2月26日(日)


 第4章は「宗教とリベラリズム」と題されているが、宗教にかぎらず、一般的に思想・信条の問題として読むことができるだろう。
 「原初状態」と「無知のヴェール」のもとでの必然的な選択として、人は宗教・思想・信条の自由を認めることになる。


 「原初状態」と「無知のヴェール」の条件のもとでは、いかなる宗教者であっても、無神論の存在を認め、異なる宗教の存在を認め、多神論にならざるをえない。また、信じる神が変わることの可能性も認めるだろう。自分がいったいどんな宗教を信じるかが分からない状態において、また、無神論者になるか、信心家になるかもわからない状態において、宗教も無神論も彼にとっては、併存していなければならないものである。
 つまり、人々が、自分がどのような宗教、思想、信条をもっているかを知らないという条件のもとで、正義の原理を選択するとしたならば、当然に、彼は、その宗教、思想、信条を理由にして、人々が不利益をこうむり、差別をこうむり、あまつさえ投獄され処刑されることを、けっして認めることはないだろう。 この「原初状態」を基盤にしてみれば、私たちは、この社会が、宗教、思想、信条の多数性によって成り立つことを求めるのだ。




 勿論この自由は宗教・思想・信条の内容に関わらない。もしその自由が制限され得るのは自由の名の下においてのみである。つまりその宗教・思想・信条が社会における自由の存続を侵害したときのみである。  このことからロールズの国家論はおのずと次のようになる。


国家とは、この自由の条件を保証する存在であって、それ自体がなんらかの宗教、思想をかかげているものではない。
 彼(ロールズ)にとって、国家はさまざまな価値や思想をもった者たちの連合体なのだ。国家そのものは、この自由の連合体の保証人であるにすぎない。宗教国家がそこでは存在しえないように、民族への忠誠を求めるような民族国家も存在しえない。多民族国家や多人種国家において、一つの人種への忠誠を求めることは、自由の条件への侵害である。そこでは、平等な自由への権利は侵害されている。



 勿論、「多民族国家や多人種国家」だけの問題ではない。一つの偏狭なイデオロギーへの忠誠を求めるイシハラの教育支配の目論みは全面的に否定されなければならない。


言い訳:
 ここまで書いてきた過程で、より詳しく知りたいことや疑問点や新たな課題がいくつかでできました。なによりもロールズに対する理解が不十分です。まずは、ロールズの著作を直接読んでみたいと思い本屋に行き、次の2冊を入手しました。

(1)ジョン・ロールズ著「公正としての正義 再説」(田中成明・亀井洋・平井亮輔訳 岩波書店)
(2)川本隆史著「ロールズ 正義の原理」(講談社)

 (2)はロールズの評伝です。その中に『正義論』は600ページほどの大冊でしかもずいぶんと難解とありました。
 そこで(2)を購入しました。(2)は『正義論』を「説明をよりよいものに改め、多くの誤りを正し、幾つかの有益な修正を加え、そして、若干の比較的共通の反対への返答を示」し、「また、多くの箇所で議論を書き直した」ものということなので私の必要にかなっていると思いました。
 しかし読み始めてみると、ページ数は『正義論』の半分ほどですが、これも相当に難解です。(1)(2)ともに読み終えるのにかなりの時間がかかりそうです。
 ということで、しばらくは「正義論」を中断します。(1)(2)を読み終わった段階で「正義論」に戻る……かどうか、予測できません。

 ともかく、次回からは別の記事を書くことにします。またこれを機会に「反ひのきみ」というテーマに縛られずに、話題を自由に選ぶことにします。



442 素敵に詩的な三角関係
追悼 茨木のり子さん(2)
2006年2月21日(火)


 茨木さん、享年79歳。ジョルジュ・ルオー、享年86歳。
 茨木さん、ルオー爺さんのように長生きするといっていたのに……

 ところで、昨日茨木のり子さんの詩を選んでいるとき、むかし読んだある詩を思い出していました。思い当たる古雑誌を調べて探し出しました。ユリイカ・1976年3月号。松永伍一さんの「金子光晴」。(第142回・2005年1月3日で金子さんの詩を2篇紹介しています。)

 この詩は金子さんへの追悼詩ですが、第一連は茨木さんの夫君の告別式の様子から始まります。茨木さんとその夫君と金子さんの三角関係に私はひどく嫉妬したものでした。
 やがて金子さんの死をめぐって、病床の壺井榮さん、森三千代さん、さらに土岐善麿さんが登場してきます。この詩人たちの七角関係に私の嫉妬はさらに募りました。
 いまなおご活躍しているのは、この詩の作者・松永さんだけとなりました。



金子光晴     松永伍一


             ――要するに金子さんは
               贋革の袋一つさげて歩いている


「一時から告別式に間に合うようにと朝十時に家を出たの、お宅が
わからなくなって今迄歩いて探しまわったの」、いや 「探しまわっ
ていたの」である。金子さんが、茨木のり子さんの家に弔問に見え
たのは夕方五時ごろだった、という。
 七時間ですよ!
 本当にあきれてしまう。途方もない地理音痴である。なんと人を
さりげなく感激させる天才だろう。
 茨木さんは、金子光晴にぞっこんだった。色恋でなく、ぞっこん
だということは、罪歴の過去もないから、「だった」は「である」
そのものなのだ。得難い(えにし)を脇から見ていて、私の目は日当りのい
い川水の音をきいて(ヽヽヽ)しまうの。耳が、公園のベンチにとまる馬をみ
るように。
 いいことだ、すてきなことだ。夫を喪った空っぽの肺に、赤いカ
ーネェーションを金子さんは挿しにきた。涙を拭くよりもっとやさ
しい仕ぐさで、そこいらの易者くずれの風態で、無責任な親切をふ
りまいてくれたのだった。いつまでたっても黄昏れないあたりの気
配。死者の写真に一本射してくる夕日の慈悲。そこからは富士山が
見えるはずだ。
「あのときはびっくりしたわ」
茨木さん、死んでははいけませんよ。そのびっくり(ヽヽヽヽ)があなたを生か
す日めくり暦です。
 きょう、金子さんが開いてから何人目かの弔問客の私がきて、扉
が急に重くなった家の空気を吸っている。
 六月三十日である。あと十日ほどで北軽井沢に行く。「窓を開け
ましょうか」「その必要ありません」といった会話が、いつになく
よそよそしいのは、茨木さんの悲しみのせいだ。月蝕のような胸の
うち。透けて見えます。
 そのとき電話。
 曲がった階段を降りかけるところに、黒い受話器がある。
 え? ほんとですか。……まあ……。
(そして絶句)
「金子さん死んじゃったの」
「え?ほんとですか」
「まあ」だけを貰わず、あとは電話の応答のままを私が返す。これ
は事件だ。これはいさぎよい金子光晴の〝誕生″だ。にぎやかにな
る合図だぞ。
 六月三十日。つまりきょう、訃報を聞く詩人と、息しなくなった
金子さんとの三角関係が、追悼心理の月並をとびこえて成立した。
死者のために祝福しよう。

     *

 その日も壷井さんは中野の共立病院にマクログロブリン血症で
「寝ていた」 と書きたいが、実は起きていた。私が病室に入ると
「金子が死んだよ」と言う。報せていいか悪いか気をもんで、ねじ
ったり、さすったり、まさしくそんな配慮で見舞いにきたのだが、
「追悼文を書いているんだ」と正座して。それは、幕末の志士が遺
書を記述するような風(かぜ)が立つから、厳粛という他ない。
「追悼文ばかりこのごろ書かされる」
 壷井さんの笑いには酢の匂いがする。いつもそうだが、きょうは
濃いな。
「金子はやりたいことをみんなやって死んだ、悔いはあるまい」
 そうでしょう、と応えるしかない。
「ぶっきらぼうで、抜けているようで、親切で、誰にでもたてへだ
てなく」
 そうでしょうではなく、そんな感じでしたね、という他ない。
 もうすぐ北軽井沢に行くんかね、あっちから手紙でもくれよ。壷
井さんは、そんな風に言うところがその人らしく、金子さんの口に
せぬところだから、金子さんは壷井さんがそこで気になるのだろ
う。返事は「はい」の一語で十分。この人の死も遠くはないとおも
えてくる。
「飄々としていたが、学のある男だったよ」
 追悼文を、私が目を通す。ナンバーが一つちがっている。ああそ
うか、うっふっふ、である。手持ちぶさたでなく、照れくささをか
くすように、「病院の飯がうまくないから、松永君、寿司を一しょ
につき合ってくれんか」と言う。こんどは威勢よく「はい、はい」
である。茨木さんの家から駆けつけて、飯二杯分は喰えそうだか
ら、わっはっは、と景気をつけたいところだ。
 壷井さんの、先っきの緊張してた肩の線が崩れ、疲れが富士の裾
野のスロープのようだ。そこで私はおもう、この人に死神の奴が近
づいてるなと。わっはっはは、野犬みたいに殺される。

     *

 死人は、大型のボストンバッグに納められるぐらい縮んでいた。
遠慮はいりませんよ。伸びのびと死んでくださいよ、後輩どもの臆
病を吹っ飛ばすためにも。死んだふりじゃないでしょうね、まさか。
 白布をかぶった金子さん。
 生きのこった森三千代さんは、死人とは逆に枕を置いて、カリエ
スの身を横たえている。多情の女生き残る! その人の声をかき消
すように金子さんが、伊勢丹の方から私に話しかける。
 あれは、六月十三日午前十一時。
「元気かね」
「ええ。先生の方はからだの具合は」
「この季節はよくねえんだ、喘息には悪いよ」
 新宿小田急デパートだ。伊勢丹と間違えたのは金子流の、すっと
ぼけ戦法に殉じたことで……。
「子守唄を収集して、しょっちゅう旅です」
「おお、そうか。子守唄知ってるよ、きみ、こんなの知らないだろ
うね」
 うたいだした金子さん。
 きいてるのに、よくわからない。陶酔しそうな屋形舟のふわふわ
である。
  金紗の帯で子どもを締めて
  紅町傘町とろろ町
  さてさてどこまで行きやんすか
  三千世界は広うがんす
  極楽あっち
  よく見て行きやれ
  花でごまかせ
  おまんこ地獄
 こんな風だが、正確ではない。弓道場のおもいで話が、「おまん
こ地獄」のそのあとに、すいと滑りこんできて、小石川の何とか町
の十軒長屋の……という具合である。
 先っき「永瀬義郎の芸術」について一節ぶったのは私で、きいて
いた土岐善麿さん、きいでいるふりをしてきこえていなかった金子
さんが、並んで坐っている。レセプションは雑音がつきものだか
ら、子守唄もどこかへ行っちまったよ。いいの、いいの、そんなの
おれの即興だから、と言いたげに、金子さんは、私のとってあげた
柔かい肉片を不器用に食べた。
 死人は抱いて持ち帰れる大きさだ。盗んで、井の頭公園あたり
で、あの脳味晴を切りとってこっちにいただきたいよ、金子さん。
色事に関するものは不要だが、漢籍の隅々までの博識は貰い受けた
い。合掌する。それでも笑ってくれない金子さん。ほんとに死んだ
のですね。
「いま十万億土のどの辺ですか? まだそんなに遠くは行ってない
でしょ。じゃ、そこまで行きますから、もう一度子守唄を、いつも
の贋革の袋から出して書かせてくださいな」
 そこらあたりはほんのり冥く、いまの金子家よりずっと静かなは
すだ。絶対聴きもらさないぞ、とおもう。

441 年老いても咲きたての薔薇
追悼 茨木のり子さん
2006年2月20日(月)


 茨木のり子さんが亡くなられました。私は茨木さんからたくさんの糧をいただいてきました。
 川崎洋さんの訃報をきっかけに、「詩をどうぞ」というシリーズを始めました。(第69回 2004年10月22日)
 茨木さんと川崎さんは一緒に同人誌「櫂」を創刊しています。もう53年も前、1953年のことです。

 これまでに「詩をどうぞ」には茨木さんの詩を3編紹介しました。ただし、このHPのテーマである「反ひのきみ」に関連したものという観点からの選択でした。
(第97回 2004年11月19日、第98回 2004年11月20日、第165回 2005年1月26日)

 今回は茨木さんを追悼して、初期の詩集「対話」「見えない配達夫」「鎮魂歌」からそれぞれ1編ずつ、3編選びました。紹介したい作品がたくさんあって、とても難しい選択でした。



準備する

<むかしひとびとの間には
 あたたかい共感が流れていたものだ>
少し年老いてこころないひとたちが語る

そう
たしかに地下壕のなかで
見知らぬひとたちとにがいパンを
分けあったし
べたべたと
誰とでも手をとって
猛火の下を逃げまわった

弱者の共感
蛆虫の共感
殺戮につながった共感
断じてなつかしみはしないだろう
わたしたちは

さびしい季節
みのらぬ時間
たえだえの時代が
わたしたちの時代なら
私は親愛のキスをする その額に
不毛こそは豊穣のための<なにか>
はげしく試される<なにか>なのだ

野分のあとを繕うように
果樹のまわりをまわるように
畑を深く掘りおこすように
わたしたちは準備する
遠い道草 永い停滞に耐え
忘れられたひと
忘れられた書物
忘れられたくるしみたちをも招き
たくさんのことを黙々と

わたしたちのみんなが去ってしまった後に
醒めて美しい人間と人間との共感が
匂いたかく花ひらいたとしても
わたしたちの皮膚はもうそれを
感じることはできないのだとしても

あるいはついにそんなものは
誕生することがないのだとしても
わたしたちは準備することを
やめないだろう
ほんとうの 死と
      生と
      共感のために



わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね



汲む
 ― Y・Yに ― 

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶  醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
440 「正義論」は「現実」とどう切り結ぶか(1)
効率優先社会への批判
2006年2月19日(日)


 私の関心に引き寄せて、これまでは「アイデンティティについて」という表題をつけてきた。今回からはテーマは「アイデンティティ」からは明らかに離れることになるので、表題に本来のテーマである「正義論」を取り入れ稿を改めることにした。ロールズの「正義論」の現実問題への応用編という意味合いとなる。土屋さんの著書「正義論/自由論」の第3章以降にあたる。
 今回のテーマはきわめて今日的である。現在進行中の「新自由主義」に依拠するコイズミの改革路線はまさに最悪の「効率優先社会」をつくりつつある。

 効率優先社会への批判は「実力主義=競争原理」と「効率主義」の2点について展開されている。

 ロールズの「正義の原理」のもとでは実力主義は認められない。実力主義はこの社会の不平等を助長こそすれ、決して解決することはない。しかしロールズは競争原理に留保をつけているが、全面否定をしてはいない。

 競争の原理を否定しないのは、「社会の活力を保持する」という効用面においてであり、「市場の自由にすべてをゆだねる」という手放しの自由放任主義を認めているわけではない。
 一つは、大前提として、「競争の公正な機会の均等」がなければならない。
 また、異なる才能と資質をもつ人間によって社会が構成されている以上、社会が不平等を結果として生み出すことは否定できないが、「正義の第2原理」に従って、その不平等の結果を競争のなかで破れ去った者の状態を有利にするために使われるべきであるという。たとえば、教育への助成・社会福祉・税金の軽減などを通して、競争に勝ち残った者のその成果をを自分だけで享受するのではなく社会的配分にゆだねよという。

 次に功利主義への批判。
 功利主義は「社会全体の幸福計算の総和が高まるように、個人は自分の幸福を追求すべきである」と主張する。
 この考えのもとでは、いつでも個人の自由は社会全体の効率のために犠牲にされることになる。「正義の第1原理」を選択した時、社会全体の効率を理由に「平等な自由の権利」を否定するいうな考えは否定されている。このことを土屋さんは次のように述べている。


 たとえば、奴隷制が正義にもとるということを、功利主義は説明することができない。奴隷制によって、社会が効率よく運用されるならば、奴隷制は認められてしまうことになる。たとえ、功利主義者が奴隷制に反対したとしても、思想家個人の感情であって、自分の理論とは矛盾しているのだ。
 これを、私たちのトピックスとして考えれば、「国内総生産」とか、「国民総所得」という統計上の計算が、個々人の幸福の増大とは直接関係がないことに対応している。世界第二位もしくは、世界第一位の経済大国などといばってみても、私たちの生活は、まったく貧弱である。



 「国内総生産」とか「国民総所得」という統計上の計算結果を提示して、日本は経済大国であるという。「国家の経済的繁栄が、そのまま日本人民衆の繁栄である」かのように、日本の民衆は錯覚させられている。
 このことに関連して、土屋さんはイギリスでの次のような見聞を紹介している。


 (土屋さんの下宿先の)大家さんは、ロシア占領後に、ポーランドから亡命してきた、ポーランド人であった。彼の家は、隣にあったが、三人の子供がいて、どれもが大学教育を受け、娘さんは音楽大学にいっていた。ご主人はもう相当な年になっていて、ハインツの缶詰工場に勤めていて、ポーランドの農夫という感じの好々爺になっていた。彼は、日本にもハインツの缶語は売っているというと、びっくりして喜んでいた。この老夫婦は、停年の年を迎えるので、ウェールズに土地を買って、そこに引っ越すということだった。ウェールズは、イギリスの田園地方で、美しい場所である。
 戦後に亡命してきたポーランド人が、ハインツの缶詰工場に勤めていて停年を迎えれば、ウェールズに引退することができる。私は心底羨ましかった。こんなことは日本では考えられない。停年後も働くであろうし、下手をすれば、相当過酷な労働条件のもとで働かなければならないのが、日本人の停年後の姿である。亡命者ではないのだから、田舎はあるかもしれないが、そこに引退して優雅に老後を過ごすなどということは、夢のまた夢である。

 生活の質の向上というスローガンは聞き飽きるほど聞いても、いっこうに庶民の現実とはならない。いたずらに「国内総生産」とか、「国民総所得」といった数字だけが、新聞にある。
 この日本の姿は、まさしく効率優先の社会の姿である。計算上の総和が、経済の指標であるのだ。

439 「アイデンティティ」について(7)
正義の第2原理
2006年2月17日(金)


 公理1・公理2から導かれる定理がもう一つ挙げられている。
定理2:正義の第2原理
 『もしなんらかの不平等が存在するならば、その不平等によって有利を得たものは、社会にうちでもっとも不利益をこうむっている人間のために、その有利を配分しなければならない』

 この章では「不平等」を、『生まれながらの資質において優れた者が、他人の不利を考えることなく、自分の有利を享受することができるか。』という問題を設けて、もっぱら生得の「才能・資質の不平等」に焦点をあてて論じている。

 公理1・公理2をもう一度確認する。
 「原初状態」のもとで最も適切な原理を選択しようとしている人間を仮定している。すなわち人間は自分のアイデンティティに対してまったく無知である。自分の性別、人種、社会的地位、あるいは、自分自身の才能・資質・性格といったものについても無知である。
 しかも、他人の利害にはまったく無関心で自分の利害のみを考えている。
 しかし、現実に社会のうちには性的差別や人種的差別や社会的地位や資産による差別など、社会的な不平等が存在することは知っている。

 そうであれば人は、現実に社会のうちにある性的差別や人種的差別や社会的地位や資産による差別などを自分が受ける可能性のある原理を採用することはない。
 自分の才能・資質・性格についても無知であるのだから、その才能・資質・性格のゆえに有利と不利が決定されるようなことは、回避するであろう。そこで正義の原理の第2原理が成立する、という。

  この「正義の第2原理」はなんとなく納得しがたいもやもやが残る。定理1の「パイの配分」のような明瞭さがなく、説得力に欠けると思うのは私だけだろうか。
 多分その理由は、「社会の不平等」と「才能・資質・性格の不平等」は明らかに別問題だという点にある。その区別があいまいである点にその理由があるようだ。土屋さんの次のような解説の中にもその問題点が表れていると思う。


 ここでの社会の不平等は、それぞれの才能、資質において、社会のなかで不可避的に生まれる不平等である。ロールズはそれを否定しない。ただ、その不平等をそのまま放置するならば、社会には限りなく差別が広がり、社会のモラルは下降する。
 それでも、生まれながらの資質をもつ人間は、この資質における才能を特権化して、自己の利益のみを追求することを認めろというかもしれない。
 はたして、それだけを理由にして、まったく他人の不利益を考えずに、その生来の資質による有利を享受していいのか。

 ロールズは、違うという。
 ロールズは、そもそも生まれながらの資質というものを否定してしまう。天才を否定する。もし、そうした天才を主張するとしても、多くはその人間が生まれた環境、幼年期の幸運に由来するのだという。




 ロールズが「天才を否定する」にいたる理論的な手続きが詳しく書かれていないので、その当否については軽々に判断すべきでないが、どうやらそのあたりに定理2の不明瞭な原因のもう一つの理由があるように思う。
 すべてを「生まれながらの資質」とするのも極論なら、すべてを「その人間が生まれた環境、幼年期の幸運に由来する」とするのも極論だ。しかしこれは稿を改めるべき問題であり、この点の議論は今はおく。
 いずれにせよ、定理2を公理1・公理2からの帰結とするのは苦しい論理だと私は思う。しかし次のようなことわりを定理2の論拠とするのなら、納得できる。


 生来の資質といっても、社会のなかでの、他人との社会的協働なしにはありえない。そこでは、むしろ、その才能は、社会の「共通資本」である。その才能によって得た有利は、才能がないゆえに不利な立場にいる者のために配分される必要がある。



 物的な社会の富とともに、人それぞれが持つ「才能」をも「社会が共有する富」ととらえようと主張している。第2原理の成り立つ理由をこの点に求めるとすると、ロールズの「正義論」はほとんど「相互扶助論」と同じではないかと思えてくる。しかし、「相互扶助論」については、これも稿を改めるべき問題だろう。いまはロールズの「正義論」に集中しよう。
438 「アイデンティティ」について(6)
2006年2月15日(水)


 目にとまった新聞記事があったので、今日はチョッと間奏曲。
 土屋さんによると、ロールズの『正義論』は「ケネディ政権以来の歴代のアメリカ民主党政権の政治綱領であったといても過言ではない。」そうだ。
 ところで、日本政治家にも自由と寛容を説く政治家がいることを本日の新聞(朝日・14日付朝刊)で知った。

  根本清樹(編集 委員)さんの『政態拝見 靖国問題の迷路 「心の自由」ですむのなら』は、「心の自由」を言い募って靖国参拝に固執するコイズミの頑迷さを指摘し、それをムハマンドの風刺漫画事件につなげて、最後に次のように述べている。


 ムハンマドに帰依する人と、キリストに帰依する人の心に、優劣をつけることはできない。宗教の尊厳も、表現の自由も、等しくかけがえがない。
 信仰上の、思想上の真実をそれぞれが貫き通そうとすれば、争いはいつまでも終わらない。比べようのないものを比べようとする限り、人々は迷路の中をさまよい続けることになる。
 心や価値の問題は棚上げし、比較可能な利益の次元に、対立を絞り込む。政治的な共存は、そういうやり方で、常に暫定的に実現されるほかない。
 内面の問題に深入りしないという政治の作法は、「人類の多年にわたる努力の成果」(憲法 97条)の一つだろう。日本の政治はなお、この流儀にうとい。憲法や教育基本法の改正論議で、国民の「心」の中に国家が踏み込もうという主張が根強いことも、それを示している。

  03年の総選挙にあたり、当時の菅直人・民主党代表は、重要なメッセージを掲げていた。
 病気や貧困といった不幸の原因は、政治の力で相当程度取り除くことができる。これに対し、幸福は精神的なものに支えられていることが多く、「権力が関与すべきでない」。
 従って、政治の目標は「最小不幸社会」の実現にとどまるべきであり、心にかかわる「『価値』の実現」からは手をひく。

 あまり注目されなかった菅氏の政治哲学は、いま、むしろその意義を増していると思う。
 「小泉劇場」は、「心の問題の迷路」を舞台に残したまま幕を閉じるだろうからである。



 コイズミにもみ手をして「小泉劇場」をはやし立ててきた不定見なマスコミ、朝日新聞もその例外ではない。そのことへの反省を表明することなく口をぬぐったままであることは今は問うまい。
 この記事の全体の論調あるいは菅氏の政治哲学は、政治権力はひとつの価値観によるアイデンティティの強要をすべきではないという、まさに自由と寛容を基調とする政治理念だ。

 この記事の隣のページに中日エジプト大使・ヒシャム・バドルさんの『私の視点 風刺画危機 自由・寛容の社会をつくる契機に』という投稿記事があった。ずばり「自由・寛容」を表題に掲げている。一部を抜粋する。


 イスラム世界で起きた騒動は、何もないところから生み出されたのではない。イスラムが組織的な攻撃の目標になってきた、と信じているイスラム教徒も多くいる。パレスチナの占領が続いており、イラクへの侵攻や対シリア、イランへの圧力の高まりがこの確信を強めている。それが正確で正当化できるかどうかはともかく、イスラムに対する挑発は、何であれ事態をさらに悪化させるだけだ。
 風刺画転載の権利を主張して表現の自由を守ろうという人たちは、自分たちが尊重し神聖だと思っていることの方がイスラム教徒が尊重し神聖とすることよりも守るに足る価値があると言っているのと同じだ。

(中略)

 欧州のイスラム教徒が風刺画に反発して報復を叫ぶスローガンを支持したとする言説は、すべての欧州人が風刺画掲載を支持したと主張するのと同様に不正確だ。欧州諸国の穏健なイスラム指導者たちは、自制を呼びかけ、街頭での暴力を非難し続けている。どの社会にも良識を持つ人がいるように、偏見を持つ人もいる。イスラム社会でも多数は穏健な人々だ。

 欧州であれどこであれ、イスラム教徒はそこに住み続ける。彼らが社会に早く同化すればするほどいい。今できる正しいことは、穏健な人々に、彼らが期待する民主主義はイスラムの神聖な象徴と感受性をも包み込むというメッセージを伝えることだ。憎しみは憎しみを生み植え付けられた偏見や他者への本能的恐怖を強めてしまう。

 風刺画危機は、不寛容と無知の世界に暴力が起こりうるという目覚まし時計である。イスラム世界と西側世界の亀裂の深まりは、誰の得にもならない。私たちは自由と寛容の民主主義社会を育てる必要がある。平和と繁栄のために近代的で、多文化・多民族・多宗教の社会を築くこと。それが私たちの希望である。



 私の知る限り、今回のムハンマド風刺漫画事件についての諸論評の中では最も出色のものだ。この事件は「表現の自由」だけで論ずるべきものではない。中近東の民衆が強いられている過酷な政治軍事情勢イスラム的な価値観に対する欧米的価値からの一方的な裁断、マスコミが作り出しているイスラムに対する偏見。これらをを踏まえた公正な論評だと思う。結語にあるように、その根底にある思想はまさに「正義の原理」に他ならない。

437 「アイデンティティ」について(5)
偶然性の排除
2006年2月13日(月)


 「第30回(2004年9月13日)」で私に「アイデンティティ」の宿題を与えてくれた文は次のようだった。

 『「日の丸」と「君が代」がテレビで放送されればされるほど、日本中は感動で熱くなるのではないか。日本人がアイデンティティを認識するオリンピックである。』

 「identity」の訳語には「自己同一性,自我同一性,主体性,自己確認,帰属意識」などがあるが、上記の場合は「帰属意識」という意味で使われている。さらにそれだけにとどまらず、「自分の存在を保障する不可欠の与件」というほどの強い意味合いを含んでいるように思う。そのとき前提として、現在のブルジョア民主主義国家を固定的絶対的な存在とみなしている。さらに日本人の場合は「万世一系の天皇」という虚偽意識(イデオロギー)がその根底にあるから、さらに度し難い。
 「アイデンティティ」という言葉を、このような絶対的な意味合いをこめて使っているのに出会うと、『冗談言っちゃいけないよ、「国家」ごときにそんな大それた資格も条件もないぜ。』と言わざるを得ない。

 さて、公理1「無知のヴェール」は端的に次のように言い換えることができるだろう。

 なん人も自らのアデンティティを知らないし、必要としない。

 この場合の「アイデンティティ」はかなり広い意味で使っている。
 「男性・女性」といような性別の意識も「性」を基準とするアイデンティティであり、「上流階級・中流階級・下流階級」といったような階級意識も「資産」を基準とするアイデンティティに他ならない。

 公理1はこうした意味でのアイデンティティ全てにたいして全ての人がまったく無知であると仮定している。すなわち、共同体の構成員のそれぞれが持つ自然的要因や偶然性を排除した上で、共同体のあるべき姿を探ろうという立場を表明している。
 この点についてのロールズの論述を土屋さんは次のようにまとめている。


 それを、彼(ロールズ)は、大略して、こんな言い方で示している。
 「無知のヴェール」のもとで、合理的な選択をする場合に、六フィートの身長の人や晴れた日に生まれた人の権利を特別に尊重すべきであるといったことを、誰も提案することはないだろう。それと同じで、誰も、基本的権利が皮膚の色、肌の色で異なるべきだとも いわないだろう。
 そういわないのは、「無知のヴェール」と「原初状態」の条件づけのプロセスに立った時、自分がいったい何であるかというアイデンティティについてまったく無知であるのだから、自分がどうなるかもわからないままに、ある特別な徴をもった者に有利な特権をあたえるべきだとは、けっして誰も選択しないからである。

(中略)

 ロールズが、正義論のなかで、人間のアイデンティティを問わないのは、「共同体」をこえた「共同体」の構成を視野に入れることができるからである。もっといえば、「共同体なき者の共同体」(否定の共同体)といったものも、ロールズの正義論の果てに見ることができる。



 「共同体なき者の共同体」とはどういうことか。私は「アイデンティティを持たない共同体」ととらえるとよいと思う。またここでいう「共同体」とは国家に限らない。会社・学校・家族など、およそ人が協働共生すべく寄り集うどのような集団を想定してもよいと思う。
 アイデンティティという閉ざされた観念から自由になった者たちが形成する共同体。個々人は分離されたまま、かつ相互に関係を持つ。自己に閉じこもることなく、かつ全体に融合することもない。土屋さんはこれを「無縁」の共同体にほかならないと指摘している。(私は網野善彦さんの「無縁・公界・楽」の副題が「日本中世の自由と平和」であることを思い出した。)

 ここで土屋さんは共同体論者のロールズに対する論難を取り上げ、それに次のように反論している。


 サンデルをはじめとする共同体論者は、ロールズの「原初状態」に立つ人間は、アイテンティティを失い、物語を失った、「負荷なき自我」であるという。人間は抽象的な個人ではなく、家族、都市、国家といった共同体の物語を背景にして、自らの物語を生きる者であるという。
 私は、共同体論は、いつでも過ちを犯すと考える。共同体論と個人のアイデンティティとが結びつくとき、全体主義の過誤から自由であることは絶対にできない。「絶対」にという言葉に強調符をつけよう。

 人間が自分の物語をもつことは、誰でも認めることだろう。しかし、その個人の物語を、共同体の物語に還元するならば、共同体は物語に参加しない者を排除することから出発せざるをえない。物語を共有する者だけが、共同体を構成することになる。

 ロールズの正義論の社会は、その社会自身の目的をもたない。ただ、「原初状態」における、正義の原理から出発するからである。平等な自由への権利は、共同体の中心であるけれども、その先で人々がいかなる目的のために生きるのかを指示しない。この社会が、多数の物語から成立していて、それを統一する、全体の物語へと収赦することができないからこそ、平等な自由への権利を人々は選択するのである。いかなる物語を選択するかは、人々の自由である。




436 「アイデンティティ」について(4)
他者への眼差し
2006年2月12日(日)


 前回の論旨をもう少し詳しくたどってみる。まず公理2について。
 公理2は「一番大きなパイを得たい」という「エゴイズム」が人の「原初状態」での偽らざるありようだといっていると思う。私は自分自身を振り返って、この仮定を肯定せざるを得ない。
 しかしその「エゴイスト」には『一般の全ての社会的事実を知っている』という条件がついている。
 すなわち、社会にはさまざまな差別や不幸があることを知っている。それらはときには他者の環境であるとしても、同時に自分をとりまく環境でもある。他者と自分はいつでも入れ替わる可能性がある。エゴイズムの中に閉じこもっているわけにはいかない。「他者への眼差し」が必然であり、原初状態でのエゴイズムはそこに留まることなく、他者へと開かれていく。


 「無知のヴェール」のもとでは、自分がいったいなんであるかをまったく知らないのだから、いつでも、他者は自分自身と入れ代わることが可能な存在である。この他者の環境が存在しつづけ、しかもそれはけっして固定することなく、次々と新しい他者の環境があらわれるのであれば、自由の創出のシステムは、けっして閉じることなく、他者の回路をとおして、他者の環境へとひらかれていくことになる。その結果、私たちは、この世界を、「原初状態」をとおして、他者とともに共有することになるのだ。
 この他者の環境の不確定さは、私たちが「原初状態」で行う選択を、さらに普遍的なものにするだろう。いかなる自由の抑圧も認めることはできないからである。そこに例外があるならば、その例外はいつでも自分にふりかかる可能性がある。

 こうして、私たちは、現実の他者の環境にコミットすることになる。自分のエゴイズムは、反転して、他者への配慮に変わる。他者は、自分であるからだ。しかも、けっして他者は、私と同じではない。不確定な変数として残りつづけるのが、他者である。

 ここでは、私たちは、他者への同情や情緒から、他者との共生を考える必要がない。私たちの自由が、神からの施しではなかったように、他者へのかかわりが、社会による施しであるわけがない。それは私たちの選択と自発的なコミットメントによるものなのだ。

 他者の問題を、自分の問題として考えるといった、世間のルールは、ロールズの正義論のなかで、正義の原理を選択する条件の自己創出としていわれたことになる。


 定理1:正義の第1原理(誰もがパイを平等に配分することを選ぶ。)は同情や哀れみに由来するのではなく、必然の選択である。信仰上の義務的な施しとは異なる。ましてや、社会的不平等の上にあぐらをかいて行う貴族や資産家の同情や哀れみに由来する慈善という名の施しとはまったく異なる。

435 「アイデンティティ」について(3)
正義の第1原理
2006年2月10日(金)


 前回の結論を改めてまとめる。
 「無知のヴェール」のもとで(「公理1」「公理2」からの帰結として)、

定理1:正義の第1原理 
『人は「すべての人間の自由と平等」を選択する』

 このことを土屋さんは次のような比喩を用いて説明している。(土屋さんは「イチゴのショートケーキ」で説明していますが、「アップルパイ」に置き換えました。「イチゴのショートケーキ」に特に恨みがあるわけではありません。)


 大きなアップルパイがテーブルにあったとして、五人でそれを食べることになった。全員がアップルパイが大の好物であったので、全員が、人より大きいところを食べたいと思っている。五人で分けるのに、ナイフを入れるのだが、ナイフでアップルパイを切る人間が、最後に食べることにしておいた場合、いったいこのパイを切る人間はどのようにパイを切るだろうか。
 答えは、均等に切る。つまり、大きさをちがえて切ってしまえば、自分より前に必ず誰かがその大きいところを食べてしまう。自分には一番小さな部分しか残らない。ナイフでパイを切る人間が、どんな場合よりも自分が最大限食べるためには、アップルパイを均等に切るしか方法がない。均等に切った部分が、彼にとっては一番大きい部分である。


 勿論これは比喩であり、現実はこんなに単純ではない。しかし、人が原初状態のもとで社会を構成した場合、構成員は全員が相互の合意としてこの「正義の原理」を選択するほかないという機制をよく説明していると思う。
 この「無知のヴェール」を前提としたロールズの方法は、発表された当時から激しい非難をあび、今でも非難が絶えないという。土屋さんの解説を読んでみよう。


 こんなことはありえない、というのがもっとも単純な批判である。どんなに複雑な批判があったとしても、やはりこの単純な批判以上のことをいっているわけではない。つまり、ありえない虚構の前提に立って、社会の基本的な原理を導き出すことはできない、と。
 だが、このことは、ロールズの「無知のヴェール」を批判したことにはならない。そもそも、ロールズは、この「原初状態」を仮説であると認めているからである。ロールズにとっては、正義の原理への自発的なかかわりが生まれる条件を設定することによって、政治社会における平等な市民の自由を基礎づけることができればいいのであって、社会における、所得、富、地位、名誉といった、市民の生活の根本にあるものの配分のあり方を示すことができればいいのである。
 そうした抑制が、ロールズにはある。なにごとにも、「正義の原理」が優先することを主張することにおいて、ロールズの正義論は、きわめてイデオロギー的であるが、それを導きだす手続きは、仮説された条件からの合理的選択によるのであり、その選択を取るかぎりにおいて、誰もが認めざるを得ない結論が、正義の原理である。


 「全ての人間の自由と平等」は神から与えられているというロックの「自然法」に代わって、人間の論理的・必然的な選択としてそれは措定されている。私にはとってもよく納得できる。
434 「アイデンティティ」について(2)
「無知のヴェール」
2006年2月7日(火)


 シリーズ「自由について」の第1回(第138回2004年12月30日)で、「人権」思想はロックの「自然法」に多くの影響を受けて形成されたことを知った。ロックの自然法とは次のようであった。
『人間は神の被造物として神から「自然法=理性」を与えられていて、それはあらゆる「人間の立法」に優先するものとされる。その自然法に基づく権利は「自然権」と呼ばれてる。』

 さらにその「自然法」のもとでの人間のあるべき「自然状態」を次のように述べていた。

 『地上に共通の優越者をもたずに、相互の間で裁く権威をもち、ひとびとが理性に従ってともに住んでいた状態が、正しく自然のままの状態である。』

 現代の人権思想へと繋がる理論のいわば公理とも言うべき「自然法=理性」を「神から与えられて」たものとし、そこに正当性の根拠を置いている。信仰を持たない私はこのことになんともすわりの悪い違和感を抱いていた。

 ロールズもロックの「自然法」と同様な公理から理論を組み立てていくが、ロックの場合のような神の介在はない。ロールズは次のような「自然状態」(ロールズは「原初状態」と呼んでいる)を仮定している。(「公理」「定理」という用語は私の好みによる。)

公理1
 誰も社会のうちで自分がどの位置にあるかを知らない。階級・社会的身分・資産・知能や体力といった能力などが生来どのように与えられているのかまったく知らない。
 さらに誰も自分がいだいている善の概念や自分に固有な心理的傾向がなんであるかも知らない。

 つまり『自然の運の結果や社会的環境の偶然の結果によって、誰も有利になったり不利になったりすることはない、ということである。』この公理を「無知のヴェール」という。

 「原初状態」における人間について、もう一つの条件が加えられている。

公理2
 誰もが社会の一般的事実や差別の存在についてはすべて知っていて、しかも、他人の利害に無関心であり、自分の有利な条件を追求している。

 この二つの公理から全ての定理(社会のなかでの関係の原理)を導くとしたら、どのような原理が得られるだろうか。

 ここまでを土屋さんは次のようにまとめている。


 つまり、自分の利害のみに関心がある者が合理的選択をする場合に、かりに、自分がいったいどんな階級に属し、あるいは、男であるか女であるかも知らず、ロックフェラーの一族であるのか、ニューヨークのホームレスであるのかも知らず、あるいは、どのような権利や名誉を大事であると思うのかも知らず、また、自分が野心的な人間であるのか、それとも控えめでシャイな人間であるのかも知らない場合に、いったいどのような正義の原理、つまり、社会のなかでの関係の原理を選択するであろうか、とロールズはいう。

 その人間がエゴイストであればあるほど、自分が差別されたり、自由を奪われたりする可能性を排除するにちがいない。しかも、自分がいったいどんな人間であるかを、男か女かということすら知らないのだから、当然に、男が差別されたり、女が自由を奪われたりすることを認めることはありえない。すべての人間の自由と平等を、当然に選択するのである。


 





433 「アイデンティティ」について(1)
2006年2月6日(月)


 シリーズ「Kさんへの批判・反論」の最終回(第30回 2004年9月13日)で

 『ただ一つ宿題が残りました。「アイデンティティ」です。これは一度きちんと考えてみなければならない問題だと思っています。今は取り敢えず、それは国家権力への「アイデンティティ」であろうはずがない、とだけ申し上げておきます。』

と自分自身に宿題を出した。
 この宿題を忘れていたわけではない。時々あれこれと考えてはいたが、私には独力で思考を発展したりまとめたりする力がない。これまでと同様、他者の言葉を借りながら考えていくほかないと思っていたところ、格好のテキストに出会った。前回に紹介した「正義論/自由論-寛容の時代へ-」だ。
 この本は、ジョン・ロールズ(1921~2002年、ハーバード大学教授、倫理学・政治哲学者)の「正義論」という著書を下敷きに自由と寛容を論じたものであり、二部に分かれている。

Ⅰ リベラリズムの政治哲学
Ⅱ 寛容の時代へ

 このうちの「Ⅰ」を読んでいく。まず結論を提示する。


 コミュニティは、あくまでも個人相互の関係の集積としてあるのであって、なんらかのコミュニティのイデオロギーへの忠誠を前提にしない。
 相互の自由と平等への配慮によってのみ、コミュニティは成立する。私たちが、ロールズの正義論から学ぶことができるのは、このことである。
 また、その場面で、私たちは共同体論者とわかれるのだ。
 共同体論者の決定的な過ちは、いつでも共同体独自の価値を設定してしまうことである。強固な中心のもとでの共同体を構想してしまうことである。

 私たちは、そうした立場をとらない。いえるならば、こういってしまうのがいい。「中心なき統一性」と。あるいは、「中心なき共同性」ともいっていいだろう。
 これには、ただちに国家主義的な側からの反論が予想される。伝統主義の側からの反論があるかもしれない。しかし、私はあくまでも強固な価値を中心にして構成された共同体は、必ず人間を不幸にするといいきってしまおう。


 ここでいう「コミュニティ」はどんな種類どんな規模の集団としてもよい。しかし、今の私の問題意識からは「日本国家」を想定して読むのが一番わかりやすい。「コミュニティのイデオロギー」とは、もちろん、「日の丸・君が代」に象徴される天皇制イデオロギーであり、そのイデオロギーを中心においた国家を恋い焦がれて、そのイデオロギーへの忠誠を教育を通して強要しようと愚昧な暴走をしている代表がイシハラということになる。イシハラは本人の自慢に反して文学者とはほど遠い。単なる国家主義イデオローグである。そのよって立つ「共同体論」は、本人は新しい独創と得意がっているようだが、大日本帝国時代に農本ファシズムに対抗するすべなく萎んでいった社会ファシズムの亡霊である。

 次回から上記のような真っ当な結論に至る論理の道筋をたどってみる。




432 久しぶりに本を買いました。
2006年2月4日(土)



 今日久しぶりに本屋に行きました。日本古代史関係の書棚を覗いてみて、読むに値するものありやなしや、何冊か手にとって中身を調べてみました。
 古田さんによって論破された「定説」はたくさんありますが、とりあえず次の四点をチェックポイントにしました。

1. 相変わらず、邪馬壱国の所在地を「ヤマト」の同名地に求めているか。
2. 相変わらず、卑弥呼や壱与をヤマト王権の誰かに比定してるか。
3. 相変わらず、倭の五王をヤマト王権の王に比定していりか。
4. 相変わらず、「日出ずる処の天子」を聖徳太子としているか。

 残念ながら、私が手にした本の中には読むに値する本はありませんでした。
 上記の事項を真面目に検討し直している著者はいません。古田さんの諸論考が発表される以前ならまだしも、それ以後(中にはつい2,3年前が初版の本もありました。)のものも相変わらず「定説」を前提にした偽古代史を書き散らしています。
 古代史について一家言をもつほどの知識人にして、知的な誠意や羞恥心はひとかけらのないのでしょうか。「採択せず・論争せず・相手にせず」の「三せず」手法をもって「定説」という殻のなかに閉じこもっている古代史学会の知的退廃はいまなお続いているようです。


 ガラッと話が変わります。
 「『日の丸・君が代』強制反対予防訴訟をすすめる会」の会報「おしつけないで(21号・1月29日発行)」に弁護団団長の尾山宏弁護士が次のような文章を寄せています。


年頭にあたって私が願うこと



 正月早々からオドロオドロしいお話をして恐縮ですが、いまこの国の民主主義はポロポロと崩れつつあります。大田尭先生は、証言のなかで「わが国の民主主義は未成熟」とおっしゃいましたが、その未成熟な民主主義さえ奪われようとしています。大田先生は、『証言一良心、の自由を求める』(一ツ橋書房)の「まえがき」のなかで、徐京植氏の「日本で民主主義が死のうとしている。抵抗しながら殺されるのではない。安楽死しつつあるのだ」(『新しい普遍性』影書房)という言葉に衝撃を受けたと書いておられます。
 そして民主主義が確固として存立していなければ、世界平和に貢献することもできないことは言うまでもありません。


 この国の民主主義が危機に瀕していることはいろいろなところに出ていますが、その典型的な例が、学校における日の丸・君が代の強制です。それは次代を担うべき子どもたちと教職員の精神の自由を剥奪するものにほかなりません。このような精神の自由の剥奪が、ほかならぬ学校という場で起きていることは、民主主義の現在ばかりではなく、その未来にも大きな災いをもたらすものです。


 しかしこのような事態は、逆に言えば自由と民主主義を立て直し、より確かなものにしていく絶好の機会でもあります。
 私たちが裁判と運動を通じて、思想・良心・信教・表現の自由および寛容の精神をこの国に根づかせることに貢献することができれば、わが国の民主主義の歴史に輝かしい一ページを加えることができます。私が願うことは、ただこの一点に尽きます。そのために必要なことは、私たち自身が自らの意識を点検し改革するとともに、多くの幅広い人々とマスコミに働きかけて自由と民主主義の思想を広げることだと思います。



 この現状認識および現状変革の意思と方向づけに賛同するとともに、それをひとりでも多くの人と共有したいものと、掲載させていただきました。(無断掲載です。お許しください。)

 特に私は「私たち自身が自らの意識を点検し改革する」という点に注目したいと思います。私の問題意識に引き寄せると、これまでに何度が書きましたが、「わが内なる保守反動の止揚」ということになります。このHPを始めた一つの理由はその点にあります。

 私が特に注目する点がもう一つあります。「思想・良心・信教・表現の自由」に並べて「寛容の精神」を取り上げていることです。これは私たちがよって立つべき立場を構成する基盤の一つとすべきであるとともに、「権力を行使する者」側への批判あるいは呼びかけの言葉ではないかと、私はとらえています。

 集会で何度か尾山さんのお話を直接聞く機会がありましたが、その度に「寛容の精神」を強調されていたように思います。そして「寛容の精神」を詳しく論述している本を紹介されていました。私はその書名を聞き流して記憶にとどめませんでした。

 ところで今日、「寛容の時代へ」という副題を持つ本に出会いました。尾山さんが紹介していた本はこれに違いないと確信して、それを購入しました。(勝手に確信しましたが、違うかもしれません。)

土屋恵一郎著「正義論/自由論-寛容の時代へ-」(岩波現代文庫)

 読み始めてみると、なんとその前半は、私が自らの宿題としていた問題に重なりそうなのです。収穫でした。
431 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(82)
近畿王朝の成立
2006年2月1日(水)


701年(長安元年)
 十月、日本国、使を通わし、其の大臣、人を貢し、万物を貢す。『冊府元亀』外臣部、朝貢三)
702年(長安2年)
 冬十月、日本国、使を遣わして万物を貢す。(『旧唐書』本紀巻六、則天武后)

703年(長安3年)
 其の大臣朝臣真人、来りて万物を貢す。
 「朝臣真人」は、猶(なお)中国の戸部尚書のごとし。冠は進徳冠。其の頂、花を為し、分れて四散す。身は紫鞄を服し、帛を以て腰帯と為す。真人、好んで経史を読み、属文を解す。容止温雅。則天(則天武后)之を麟徳殿に宴し、司膳卿を授け、放ちて本国に還らしむ。(『旧唐書』日本伝)

 中国史書では701年以降、「倭国」ではなく「日本国」が正式の国名として使用されるようになる。この長安元年は、則天武后の年号である。またこれと時を同じくして日本国の天皇も年号を持つようになる。近畿王朝の最初の年号は文武天皇の大宝(大宝元年=701年)である。

 また、日本国の公式史書は文武天皇の項から「続日本紀」に引き継がれる。そして、上記703年の記事のような中国への使節の記録は、中国側と日本側の記録(続日本紀)とがピッタリ一致し始める。

 「世にも不思議な物語」(白村江の敗戦直後のヤマト王権のはしゃぎぶり)を解明した文の最後で古田さんは次のように述べている。


 中国側(唐朝)の対倭国外交記事は貞観22年(648)で終り、そのあと「白江の戦」の記事につづいている。これに対し、代って「日本国」との友好的な国交記事が長安3年(703)からはじまっている。
 つまり、中国側(唐朝)の目から見て、明らかに相手国は交替した。白江の戦の「主敵」ともいうべき「倭国」は七世紀未、崩壊した。そして「倭国の別種」と記されている「日本国」、すなわち近畿天皇家によって吸収されてしまった、というのである。
 これなら、これが史実なら、先のような「不思議」はない。きわめて通常である。人間の理性でうなずくことができる。



 さて、古田古代学の紹介を今回をもって終わります。ずいぶん長くなりましたが、それでもほんの一端の紹介に過ぎません。
 古田さんの著作に出会って、私の目からはいくつものウロコ落ちました。私の視界はずいぶん開かれたように思います。
 興味をもたれた方は、ぜひ直接古田さんの著書をお読みください。容易に手に入る朝日文庫版をあらためて紹介しておきます。
『「邪馬台国」はなかった』
『盗まれた神話 ― 記・紀の秘密』
『風土記にいた卑弥呼 ― 古代は輝いていたⅠ』
『日本列島の大王たち ― 古代は輝いていたⅡ』
『法隆寺の中の九州王朝 ― 古代は輝いていたⅢ』

 最後に「日本古代新史」(新泉社)の最後の一節を掲載して結びとします。


 人々よ、「世にも不思議な物語」と、「人間の理性でうなずける話」と、いずれを自分の国の歴史事実として認めようとするのか。それは、すでに敗戦の日、わたしたちが心に刻んだ真実への憧憬、それによって見れば、疑う余地はない。「神風」がはばをきかせるような、いたずらに奇蹟をうけ入れるような歴史観、それにわたしたちは決然と別れを告げたのではなかったか。
 占領軍が、戦前の教科書を墨で塗らせたとき、かれらはそこまでは考えていなかったかもしれぬ。当然のことだ。かれらなどに、わたしたちの奥深い歴史の真相などわかりようはない。それは知れ切ったことだ。
 そんなこととは無関係に、かれらの思わくなどとは何のかかわりもなく、わたしたちは、真実を見よう、そう望んだのだ。虚偽の歴史では満足すまい、そう心に誓ったのだ。それは少なくともわたしの青年の日の、他にたぐいなき「事件」であった。

 今、わたしは見る、歴史の真相を。日本列島の古代の新たな山並みを。そして心の底で叫びかけることができる、「歴史よ、こんにちわ」と。
 わたしが別れを告げたのは、天皇家一元主義という虚偽の史観だ。だが、九州王朝中心主義をもって、これに代えるべきか。 ――否。

 近畿においても、すでに天皇家以前に銅鐸国家があった。九州には、天皇家の母国があった。沖縄列島やその彼方には、そのさらにはるかなる祖源の地があったのかもしれぬ。
 また関東や東北、北海道には、卓抜にして秀麗な縄文文明があった。甲・信・越にももちろん。
 それらの全光景を視野におさめつつ、わたしはいわねばならぬ。 ――多元的な古代世界が、わたしたちの愛する山河、この日本列島の上に存在していた、と。

 そのような展望の中でこそ、近畿天皇家がその中で果した、相対的な、適正な位置、それがハッ キリと浮かび上がってくるのである。そしてよき面も、悪しき面も、冷静に、 真実(リアル)に理解することができるのだ。そのような新鮮な目が若い人々の中に誕生したとき、新たな数々の独創の湧き上がる時代、そのような豊かな未来がわたしたちの眼前に待ちかまえていることとなろう。