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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
390 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(42)
最古の政治地図「オオクニ」(1)
2005年10月7日(金)


 再度、吉本さんの「国家の起源」についての論述を引く。
 はじめに共同体はどういう段階にたっしたとき、<国家>とよばれるかを 起源にそくしてはっきりさせておかなければならない。はじめに<国家>と よびうるプリミティウな形態は、村落社会の<共同幻想>がどんな意味でも血 縁的な共同性から独立にあらわれたものをさしている。この条件がみたされる とき村落社会の<共同幻想>ははじめて家族あるいは親族体系の共同性から分 離してあらわれる。そのとき<共同幻想>は家族形態と親族体系の地平を離脱 してそれ自体で独自な水準を確定するようになる。
 この最初の<国家>が出現するのはどのような種族や民族をとってきても、 かんがえうるかぎりの遠い史前にさかのぼっている。

 『加速する日本崩壊の根源を辿るとき、その原点にくっきり見えてくるのが、 ……日の丸や君が代に象徴される理念や規範など、伝統的な精神文化の崩壊で はないか(田代京子「日の丸のこと、君が代のこと」)』

という「優等高校生」の論文に対して、私は

『「日の丸や君が代に象徴される理念や規範」が「伝統的な精神文化」とは笑わせ る。「伝統的精神文化」を語るのなら、縄文時代までさかのぼれ。』

と書いた。(第99回・2004年11月21日)

 言うも愚かなことだが、「ヤマト王権」が政治支配の覇権者となった時 に突然国家ができ、文化が生まれたわけではない。そのはるか以前からこの列 島に生を営む人たちは連綿として豊かな文化を育んできたのだ。もちろん 「最初の<国家>が出現する」以前からだ。「記紀」という史料からたどれる 限りでの「国家」でさえ、「アマクニ」よりさらに遠くに至る。

 さて、「日本書紀」が伝える「神話・説話」は「ヤマト王権」本来のものに「日本旧紀」などの 他の王朝の「神話・説話」を、時には改竄した上で、盗用・挿入をしている。その手口の 論理的解析の帰結として「九州王朝」の存在が明らかとなり、さらにその源流 である「アマクニ」の所在も明らかにされた。では「記紀」という史料から読み 取れる最古の「国家」は「アマクニ」だろうか。古田さんの探求はさらに遠くへと 行く。

 『記・紀』の説話を探究してゆく中で、わたしははからずも「天国(あまく に)」という、九州王朝の原域に到達した。これこそ日本神話最奥の原姿だ。 ――わたしはそのように信じた。
 けれども、やがて――。『記・紀』史料は、未知の広大な領域が、この原域 の、さらに奥に横たわっていること、それをわたしに告げたのだ。その発端は、 『古事記』のつぎの史料である。

 故(かれ)、其の大年(おおとし)神、神活須毘(かむいくすび)神の女(むす め)、伊怒比売(いのひめ)を娶りて生む子。大国御魂(みたま)神。次に韓 (から)神。次に曾富理(そとり)神。次に白日(しらひ)神。次に聖(ひじり) 神。(神代記、大国主神、大年神の神裔)

 問題はこの中の「五神」だ。これらの名前には、重大な特徴がある。一つ一つ 調べてみよう。
 まず「大国御魂神」。この神は、いわば〝出雲(大国)の最高神″という性格 の名前をもっている点、注目される。その点、「大国主神」に勝るとも、劣らぬ 名前だ。

 つぎは「韓神」。わたしがこの系譜に目を注ぎはじめた糸口、それがこの神 だ。当然韓地の神、韓国の神と解するほかない。だが、『記・紀』中、ほかに このような神は出現しない。いわば、普通の『記・紀』神話のわくを破った神 名だ。ただ、この「韓」は、後にいう韓国(南朝鮮)といった広域ではなく、 釜山付近の加羅を中心とする狭域であろう。それは、以下の第三~第五がいずれ も「狭域」の三神と見られる点からそう考えられる。

 第三は「曾富理神」。次を見よう。

 日向の襲の高千穂の添山(そほり)の峯。添山、此を曾褒里能耶麻(そほりの やま)と云ふ。(八神代紀、第九段、第六、一書。天孫降臨。)

 「ソホリ」の地がここにズバリ出ている。したがって、「ソホリの神」はほか ならぬこの地の神だということとなろう。

 第四は「白日神」。これは明白だ。筑紫の「亦の名」は「白日別」であり、須 玖遺跡の近くに「白木原(シラキパル)」がある(「原」は例の「パル」。「木」 は「城(き)」の意味)。だから、この地名の固有名詞部分は「白」だ。 「白日神」の場合も、当然、固有名詞「白」に対して「日」が加えられたもの だ。「橿日宮」のように。すなわち、この「白日神」とは、〝筑紫全体の神″で はなく、この「白木原」の地点を中心とした、狭域の神名だ。これを〝筑紫全体″ とすると、第三と第五の神名とダブッてしまう。

 第五は「聖神」。この神名に対し、「日知りの神の意で、暦日を掌る神か」 (岩波、日本古典文学大系本、註)という解釈がある。しかし、これは従いが たい。なぜなら、第一から第四まですべて地名の上に成り立っている。それな のに、これだけ、地名と無関係の名と見るのは無理だ。これは「日後 (ひじり)」ではあるまいか。第四の「白日神」をうけて、その〝背後の地″を 呼ぶ名称だ。ちょうど、筑前が「筑紫」とされるのに対し、筑後が「筑紫後 国(しりへのくに)」と呼ばれていたように。「白木原」に近い須玖遺跡の近 くに「井尻(イジリ)」の地名がある。「――シリ」という地名接尾辞の用い られている例だ。だから、この「聖神」の名は、今の「白木原」より南の地帯 (太宰府から久留米市あたりにかけての地帯の中の一定地域)に当るのではあ るまいか。

(中略)

 以上の検証によってみると、この「五神」は
(一)大国(出雲)と、
(ニ)北の韓国、
(三)南の博多湾岸とその周辺、
の三点――の三領域をさしていることがわかるだろう。すなわち、全体として 日本列島の西北の一定領域の「政治地図」をさし示しているのだ。

大国

 しかも、大切なこと。――それは、この「政治地図」には、中央の「天国] 部分の海域がスッポリと抜け落ちていることだ。つまり、天国部分を除いた、 その周辺の政治地図。これが、この「五神」の示す限定領域だ。そしてその 原点は「大国」なのである。

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