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387 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(39)
「アマクニ」はどこか(1)
2005年9月25日(日)


 「神代記」の「国生み」の説話には「亦の名」という言い方で 二種類の呼び名が記載されている。古田さんはそのことから論じ始めている。
 ここには少なくとも表裏二種類の地図が合成されている。 なぜなら、A、亦の名はBと謂ふという形を定型として書かれているからた. Aの方はわたしたちになじみ深い国名だ。これに対し、Bの方はなじみにく い形だ。人名形式のものが多い。一見してAよりさらに古い形の国名である ことがわかる。
 次の地図はその「亦の名」を記したものだ。

またの名

 四国と九州は四分割されていている。その中で九州の肥国は「建日向日豊 久士比泥別(たけひひむかひとよくしひねわけ)」という長たらしい「亦の 名」がついている。この「亦の名」もまた学者たちを悩ませる謎だった。 この呼び名を解明できず、誤伝としたり「改定」したりするものもいて、 諸説紛々、従来この「亦の名」の謎を説いた学者はいなかった。これ を古田さんは次のように解く。

 今、わたしの住んでいる町は「向日(ムコウ)町」だ(最近「市」となった)。ここは洛西だ。京都市内と  この町との間には桂川がある。比叡山の連なりが「東山」と呼ばれるのに対 し、この地帯は「西山」と呼ばれる。いずれも、京都の中心部を原点とした呼 び名だ。つまり、京都の人がつけた名前なのである。
 だから、「向日町」の場合も、本来、京都市内を原点として、西の方越川 の向こうの町″という意味で「ムコウ町」(向こう町)といったのではないだ ろうか。そして後に美しい漢字(佳字)二字をあてて、「向日」と表記したの であろう。

 「建日向日」は「タケヒムコウ」だ。「建日別」(熊曾国)に向かっている という意味だ〔むろん、「タケヒムカヒ」とそのまま読んでもいい。意味は同 じだ)。
 つぎに「豊」は「豊国」だ。「久士比」は「クシヒ」、〝奇し火″の意味だ。 有明海の有名な不知火のことであろう(「前つ君」の九州一円平定説話に、こ の「不知火」のことが出てくるから、この現象は古くから存在したものと考え られる)。「泥別」は「ネワケ」、〝分国″の意味だ。
 つまり、通解すれば、〝建日別(熊曾国)に向かう(途中に当る)不知火の 燃える、豊国の分国″という意味だ。

 この名前について注意すべき点は三つある。
 第一に、この国は、はじめ豊国の一部だったこと。
 第二に、この国に独立した名前が与えられたとき、〝建日別(熊曾国)に向 かう途中″として意識せられていたこと。これと同じ発想の名前は「淡道(あわ じ)島」だ。〝「淡国」(徳島県)へ行く途中の島″として見られ、そういう 意味の名前がつけられたのである。
 第三に、この国を〝建日別に向かう途中″と見る、その原点はどこだろうか。 いうまでもなく、筑紫(白日別)の方から見ていっているのである。ちょうど 淡路島という名が本州(兵庫県)の方から見て、名づけられているのと同 じだ。

 〝この九州四分図は筑紫の方から見て作られている。″


  さらに古田さんは次のような疑問を持つ。
筑紫は「白日別」だ。他の二つ、「豊日別」「建日別」と形式上、対等だ。 だのに、筑紫だけを原点とする。――なにか、ひっかかるのだ。

 もう一度地図を見よう。肥国を〝建日に向かう″と見る視野の原点、それは 逆にいえば、肥国から見て「建日別」と逆の方、すなわち北方にあるはずだ。 その北方にはなにがあるか。
 まず、「白日別」がある。そしてそのさらに北にあるもの、それは「天比登 都(あめひとつ)柱」(天一柱)だ。
 これは尋常ならざる名前だ。「白日別」「豊日別」「建日別」、これらは 〝天からの日別け″つま り、〝天国(あまくに)の分国″との意味を示す国名なのだ。ここで注目され るのは、先の地図の中で「天の―」という「亦の名」をもっている領域だ。その 七個、それは一定の領域、つまり朝鮮半島と九州との間の島々を中心に分布して いる。


 この謎解きを私はドキドキしながら読んでいる。とてもスリリングだ。濃い霧が 一気に晴れ渡るようなさわやかさを感じている
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